戦場のChristmas
Christmas truce
プロイセン式の軍帽をかぶったドイツ兵と並ぶイギリス軍狙撃兵のグリッグとアンドリュー

ああ、この茶色の地面はどうだ。
めちゃめちゃに引き裂かれ、張り裂けている。

この茶色の地面は
太陽の光の下に、脂びかりかすかに輝き

休む間もない、鈍感な自動人形の世界の背景になっている

僕等の喘ぎは
自動人形のゼンマイの鳴る音である

(エーリッヒ・レマルク「西部戦線異状なし」より)

第一次大戦は、「毒ガス」・「戦車」・「航空機」・「潜水艦」などが
初めて実戦で用いられた戦争だった。軍人の戦死者は900万人以上とされ、
その他にも食糧不足や虐殺によって、軍人以上の戦死者を出したとされる

クリスマス休戦のきっかけを作ったのは、時のローマ法王ベネディクト15世。
彼がクリスマス休戦をカトリック教徒に呼びかけたのだ。
ドイツは受諾したが、フランス・ベルギーは拒絶した。
カトリック教徒の少ないイギリス人はこれを自らへの呼びかけと見なさなかった。

こうして、砲撃や狙撃はフランスやベルギーの受け持ち戦線でも中止されたが、
交歓会が持たれたのはイギリスとドイツの両軍だけだった。




1914年のクリスマス、気温は氷点下まで下がり、小雪のちらつく夜だった。
最前線の戦場で、兵士達は憂鬱な気分で、故郷に残した家族に思いを馳せた。
各国では、前線の兵士に少しでもクリスマスの気分を味あわせようと、物資を送った。
メアリー女王は、35万5千名のイギリス兵一人一人にプレゼントを用意した。
ドイツ軍では、本国から届けられたクリスマス・ツリーを飾り始めた。

フランドルの戦場、兵士達は故郷から届いたクリスマスカードを読みながらも、
心は沈んだままだった・・・

何処からか、野太い声で「きよし、この夜・・・」と歌声が聞こえてきた。
その響きは木霊のように荒んだ戦地を包み込み、徐々に兵士達の声が一つになった。
ぬかるんだ塹壕に、「クリスマスおめでとう!」という声が響き渡った。

その夜、各地の戦場は音楽の力で奇跡が起こり続けた・・・
クリスマス休戦中のドイツ軍とイギリス軍の奇跡の交流 クリスマスツリーを戦場に用意するドイツ兵
ドイツ軍兵士のヴァイオリンの『ラルゴ』の響きが、戦場を包み込んだ。
通称「バイエルンの森」では、フランス軍の美しいテノールの声に酔いしれていた。
ドイツ軍の即席楽団がクリスマスソングを歌い終えると、それに答えるように
イギリス軍も「牧人ひつじを」を歌う。ドイツ軍は拍手を送り「もみの木」を合唱した。
そして、両軍が声を合わせて、「神の御子は今宵しも」を歌った・・・

前線の至る所で、兵士達はクリスマスを祝おうと努力した。
1914年のクリスマスの奇跡は、イギリスとドイツが対峙する前線の
およそ1/3の地域で起こったのだった。

この一時休戦で、お互いの陣地に数週間もの間放置されたままの遺体を交換し
丁寧に埋葬した。従軍司祭の発案で合同の追悼式も行った。
従軍の聖職者がいなかったドイツ側の為に、イギリス軍司祭は彼等の為に神に祈った。
木の簡素な十字架を作り、多くの名も無き兵士の墓に立てた。
故郷に帰れぬ戦友の墓標には、ただ一言、
『祖国の自由の為に』とだけ、刻まれたのだった・・・



翌年の1915年のクリスマス。
奇跡は再び起こった。

その朝、フランスのラヴェンティエ村近郊の戦地では、
バイエルンの兵士とイギリスの連隊が対峙していた。
イギリス軍兵士が前線の相手に声を掛けた。 「ハロー、フリッツ!(やあ、ドイツ兵)」
ドイツ軍兵士もそれに答え叫んだ。 「ハロー、トミー!(やあ、イギリス兵)」
そして賛美歌を歌い、今日戦う意思が無い事を確かめ合った。
兵士達は、上司の命令を無視し、お互いに歩み寄りチョコレートや
タバコ、ジャム等を交換し合った。

いつの間にか戦場では、サッカーの試合が始まっていた。
ボールを好きなように蹴りあい、雪の中を無邪気に転げまわった。
双方とも50人位の兵士が集まり、若者らしく、心から大好きなサッカーに興じた。
狂った戦争の最中、人間が人間である事を取り戻せるひと時だった。
しかし、西部戦線での奇跡はその後再び起こることはなかった・・・



3度目の奇跡は、第2次世界大戦のさなかに起きた。
1942年のクリスマス、
スターリングラードの戦場で、ドイツ軍陣地から
「きよしこの夜」の歌声がラジオから流れてきた。
ドイツ軍を包囲して優勢に立ったソ連軍は、この日だけは攻撃をやめ
クリスマスの歌に聴き入るドイツ兵を、そっと見守った。
ドレスデンの戦地でも、ドイツ軍とイギリス軍はエルベ川を挟み
対峙していたが、クリスマスのその日だけは
両軍供に「きよしこの夜」を歌い、クリスマスを祝ったと伝えられる。