三四郎池と赤門

 赤門撮影:BQB07306宮本健一

僕は生粋の大阪人で東京の土地勘はほとんどありません。
そんなわけで、初めて赤門をくぐったのは1991年3月たまたま
東京大学総合研究資料館で“乾板に刻まれた世界−鳥居龍蔵の見た
アジア”展が開催された8年も前のことになります。その時の印象
について書いて見たいと思います。

資料館は確か門をくぐって直ぐに右に進んだ一番奥にあった。
静かな環境でゆっくりと見学出来る雰囲気で由緒ありそうな建物で
はあったが膨大な貴重品を預かる東大の資料館にしては簡素な建物
という印象であった。

資料館の見学を終えて直ぐに法学部の教室に入った日本の頭脳が集
まり良くも悪くも日本を作って来た人材を育てて来た東大法学部と
はどんなところか興味があった。しかし、お粗末な校舎の壁には意
味不明の落書きがあり大いに失望した。それは曾て見学したハーバ
ードやケンブリッジに比べるべきもなかった。

 東大構内撮影:BQB07306宮本健一

こんな学び舎で育った高級官僚が現在の日本を駄目にする遠因があ
るように強く感じられた。
確か矢内原総長だったと記憶しているが、卒業生に送る言葉として
“ただ酒を飲むな”と言ったと新聞に報じられた時に東大総長が卒
業生に送る話にしてはあまりにも俗ぽい教訓と思ったが今にして思
えば東大総長が将来を危惧した深い言葉であった。その時の生徒が
現在高級官僚になっていると思うが彼らは卒業式の日に何を聞いて
いたのであろう。

法学部でがっかりしたので安保騒動の時に火だるまになった安田講
堂、見学しようとしたが丁度リニューアルの最中で残念ながら中に
は入れなかった。

 三四郎池撮影:BQB07306宮本健一

三四郎池に向かった。途中で高床式の新しい高層ビルの柱の間を抜
けた。その時初めて教授らしい御仁に出会ったので丁重に頭を下げ
たらキチンと会釈を交わしてくれたので、ほっとした。
三四郎池は大都会にこんな自然が残っているのは宮城を以外にない
のではないかと思った。宮城は多分手入れされていると思うがここ
には本当の自然が残っていた。

序でに友人の息子が理三に入ったというので東大病院を見学した。
ここがあの東大病院かと思われた。ほどなくして汚職事件が新聞を
賑わせた。

東大を見学して強く感じたのは私学より遥かに劣る環境を良くする
ことが急務であると思った。人間は環境に強く左右されることは論
を待たない。時は未だそれほど遷都論議がなされていないときであ
ったが、遷都するよりも都内にある全ての大学を環境に優れた地方
に移す方が遥かに効率的で且つ合理的である思った。
そのためには東大は赤門と三四郎池だけを残して率先して移転する
のが良いと思った。

東大新聞に投稿歓迎と出ていたので、僕の考えを投稿したが、歓迎
されなかったようだ。僕は今も自分のアイデアが正しいと思ってい
るが、皆さんは如何ですか。それとも八年も前と今では大学の環境
そのものが変わったのでしょうか。
                        ☆(Ed.)☆




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