武士道という幻景
武士道と言えば、「葉隠」です。その内容はこんなふう。
-----------------------------------------------------
(インターネット上での匿名・感想文)
三島由紀夫「葉隠入門」を読んだら、読み終えたも同じ。,
三島由紀夫「葉隠入門」を読み、巻末に付いていたのが「抄」(抜
書き)だったので、元を読んでみたくなり、本書を手に取った。
(本書も全文ではないが)しかし、大事なところは全て三島由紀夫
氏が触れられていた。残ったのは、時代の隔絶ばかりを感ぜずには
いられない内容ばかり。不義密通の男と妻を斬殺した話。囲碁の勝
負でもめて、切り合いになって、首を打ち落とした話。果し合いの
末、両名が命を落とした話・・・。そんな類が多い。武士たるもの、
もっと崇高な理想の下に、本当にいざという時のみ、刀を抜いてし
かるべきと思うのだが・・・。
一番私が憤慨したのは、急に腹痛をおこした男がある家で若い女に
厠を借りたのだが、その時、急を要したのであろう、袴を脱いで厠
へ行った。そこへタイミング悪く、家の亭主が戻ってきて、密通の
疑いをかけ、訴訟沙汰になってしまった。それを聞いた鍋島直茂公
は死罪を仰せ付けられたという件。あんまりである。では、道端で
すればよかったのか?そんなこともなかろう。袴を脱いだのが悪い
というが、余程だったのだろうと哀れでならない。
とにかく、現代の感覚では着いて行けない、野蛮な話が多い。
本当は「星2つ」くらいにしたいのだが、解説者のご苦労を推し量
り、敢えて「星3つ」にした。
「武士道」 岩波文庫
新渡戸 稲造 (著), 矢内原 忠雄 (翻訳)
内容(「BOOK」データベースより)
「武士道はその表徴たる桜花と同じく、日本の土地に固有の花であ
る」―こう説きおこした新渡戸 (1862‐1933)は以下、武士道の淵
源・特質、民衆への感化を考察し、武士道がいかにして日本の精神
的土壌に開花結実したかを説き明かす。「太平洋の懸橋」たらんと
志した人にふさわしく、その論議は常に世界的コンテクストの中で
展開される。
5つ星のうち5 本書の魅力, 2001/12/15
レビュアー: 山*孝* 熊本市**
私たち日本人の精神の源泉は武士道にある―――後に国際連盟事
務次長として世界を舞台に活躍することになる著者は、長い考察の
末に達したこの結論を基に、当時西欧諸国にとっては未知なるアジ
アの一小国に過ぎなかった日本の思想体系を英文で紹介した。武士
道という、一見すると封建社会の遺物と受け取られがちな道徳観念
が、日本人の精神構造にどれほど深く根差しているかということを、
具体例を交えつつ体系的にまとめ上げた手腕は見事としか言いよう
がない。『武士道』は多くの出版社のレパートリーに加えられてい
るが、本書は講談社バイリンガルブックスシリーズの一冊として出
版され、原文の魅力も味わえる最良のもの。須知徳平氏の日本語訳
も流麗で読みやすい。
ただし、注意しておきたいのは本書が著されてから既に100年以
上の歳月が経過しているということ。この間に日本は帝国主義・植
民地支配の誤った路線を突っ走り、結果として多くの苦い教訓を得
た。本書を浅く読み込んでしまうと、日本精神万歳などという極端
なナショナリズムに陥る危険性がある。読解は現在の社会情勢と照
らし合わせ、慎重に行ってほしい。そういう正しい解釈の下で読め
ば、明確な精神観を見失っている私たち日本人にとってこれほど価
値ある良書はない。筆者を5000円札の肖像画でしか知らないという
あなた、是非一読あれ。
-------------------------------------------------
(以上が「武士道」検索からの書評です。以下、それらに対する
とりのさとZの見解です)
この本「武士道」は新渡戸稲造の、ほとんど創作であって、武士道
が日本人の精神の淵源などと言うなら、武士でない階級は日本人で
はなかったのか、ということになるし、上の「葉隠」をどう位置づ
けるのかという疑問も出てくるし、武士が登場する以前の歴史は位
置づけできなくなってしまいます。武士以外の農商工などに、倫理
はなかったのか、そんなことは絶対にありません。
支配者としての武士(武器を持つ兵士、侍)は、江戸時代になる
と、刀を使うことがなくなってしまって、単なる「公務員」になっ
たにすぎない。
そんな時代に「武士道」など生まれるはずがない。所詮、武士は
戦乱をどう生き延びるか、という戦陣の中の話しになるだろう。
外国に向けて、欧州にキリスト教的宗教倫理が歴然とあるのに対
し、日本人の倫理の根源がここにあるのだ、と新渡戸稲造が創作主
張したにすぎない。
ここで、当時はまだ勢いがあったイギリス、そこに「武士道」のモデ
ルがあります。「gentleman」です。新渡戸にはこのgentlemanに対抗
できるような、日本人の精神構造として「武士道」を思いついたに違
いありません。gentlemanとは、ちょっと定義付けが難しいですが、「品
位ある紳士」くらいにしておきます。これこそが今なおイギリス人の理
想とする精神構造です。手元の英和辞典では簡単に「教養のある人
格のりっぱな人。趣味が高尚で振る舞いの上品な人」とありますが、
この話題だけで数冊の本があるでしょう。
日本人の倫理観は、儒教的道徳観、あるいは極楽・浄土地獄の信
仰さらには、山や川など自然教、さらには、長く続いた農村的共同体
でのルールなどによって一体になって総合的に培われたと言うほかなく、特
定の宗教や階級の倫理観が影響を与えたということはなかった。
従って、「武士道」などという精神構造は存在しなかった、とい
うのが、現在の学問上の常識になりつつあります。
一方で、日本人に宗教のようなきびしい倫理観がないので、残酷
な犯罪が起こるという論理を展開する人もいるけれども、欧州でも
残酷な犯罪は起こっているし、聖書に手を当てて宣誓する大統領が
戦争を引き起こしているじゃないですか。日本人に倫理観が欠如し
ているということでなく、以上のような複合的に生成された倫理観を
まだ説明できていないということにすぎません。
キリスト教について言うなら、宣教師こそが実は「グロバリゼーション」の
先駆、すなわち地域的な(ローカル)文化を野蛮と見なして、布教活動に
よって同時に西欧文明を拡大し、それぞれの文化や風土に根ざした暮ら
しを破壊してきた元凶ではないでしょうか。
というわけで、武士にあこがれるのはいいとしても、やっぱり農
民魂みたいなものもあるわけで、自分たちがあるいは漁民あるいは
商人であることを否定する方向はまずいんじゃないか。
まぁ、私たちが学んだ日本史の全部が「政権交替」ばかりで、江
戸時代は別としても、平安・奈良時代を含む以前のの私たちの祖先
である庶民の暮らしについては、なにも学ばなかった。枕草子だの
源氏物語だの「貴族」しか、文字で記録しなかったからだろうけれど、歴史家な
ら、貴族以外の人々の暮らし・倫理を知るのに、もっと手段はいくつもあるだろう。
江戸時代の庶民の倫理観は、以前に私が別ページで紹介している
本からも伺えるようになりましたが、平安・奈良時代以前の庶民の
暮らしぶり・倫理観というものは、まだ課題になっていないようです。
しかし、それは倫理観が存在しなかったということではないのですね。
いかがですか。武士道など存在しなかった。ちょっと考えてみましょう。
評論集・目次
へ移動します
写真集目次へ移動し
ます
表紙へ移動します