鈴木 秀美 著 

  「『古楽器』よ、さらば!」

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 ラ・プティット・バンドとバッハ・コレギウム・ジャパンという、古楽(と簡単に言っていいのかどうかを本書は問うている)好きにとってはおなじみの2つのオーケストラで、主席チェロ奏者を勤める著者による音楽エッセイである。

 「なぜわざわざ苦労して、演奏が難しく響きに乏しい古楽器など弾くのか」と常々、いやというほど質問されているらしく、それに対する答えが全体のテーマであるといえよう。

 本書は、ライナーノートやコンサート・プログラム、『アントレ』などの雑誌に書かれた文章を纏めたもので、評論家による専門書のように解釈中心ではなく、プロの演奏家ならではの視点で書かれていて新鮮である。音楽に対する思索の深さと妥協のない姿勢には、拍手を送りたくなる。

 バロックの演奏家(と呼ばれることにも、著者はだいぶ反発があるらしい)が何を考えながら弾いているのかがわかって興味深い。実際に楽器を演奏する人だったら、きっと参考になるのだろう。

 特に、バッハの< 無伴奏チェロ組曲 >については、詳細な解説がある。

  それによると、チェロは「鍵盤楽器やリュートのように旋律と低音・和音を同時に奏することができない楽器」であり、本当は対位法的な音楽には向いていないのだという。

 <チェロ組曲> でバッハが行っているのは「一種の疑似対位法」である。重層的に聴こえる音は「今鳴っている音と前の音の記憶との間にのみ存在しており、時に遠近法的な奥行きや陰影となって、この組曲に一層の深みを与えるのである。したがって、演奏するときにある音をいつまで響かせ記憶に留めさせるか、いつどの瞬間に響きを止めるかということが、各声部の存在そのものや和声の機能に大きく影響するのである。」(19〜20頁)という、胸のすくような説明がされている。

 リュートやギターによるこの曲の編曲版が、本家チェロによる演奏よりも豊かに、様々な感情の喚起を伴って聴かれ、一方でチェロの名演奏が余分な物を削ぎ落とした音楽の精髄を響かせるように感じられる理由が、この記述によっていくらかわかった気がした。

 著者が音楽を表現する手がかりは、あくまでも当時の理論と楽器や楽譜の研究のみである。作曲家の生涯や宗教観などには触れていない。「バッハ自身には関心がない。」と語るグスタフ・レオンハルトに通じる冷静さである。

 本書ではガット弦を始めとするオリジナル楽器の各部の取り扱いについて、乾燥を防ぐために塗る油のことから駒の木目が音に及ぼす影響まで、実用的な情報が詳しく書かれている。

 あるいは、チェロのエンド・ピンが多く使用されるようになったのは20世紀になってからで、決してそれが当たり前の姿でないということも力説されている。

 著者がオリジナル楽器で演奏するのは、それが作曲家の生きた時代のモダン楽器だからだ。

 たとえ他人から変わっていると思われようと自分の選択は正しいのだという矜持と、理解者を求めてレクチャーに努める行為のジレンマは、オリジナル楽器演奏者のみならず、自分をいずれかの意味で積極的なマイノリティだと認める人には、とても理解できる心情なのではないだろうか。

 後半に収められた身辺雑記には、この演奏家のより人間的な面が現れている。

 オランダから日本に来ると、日本人が国全体を家の中であるかのように振る舞うことや、いたるところで流されっぱなしの世話焼きアナウンスと音楽とはいえないBGMが、非常に気になるというのがむべなるかな、でおかしかった。

 そして、リハーサルのため訪れたボージョレに近いフランスの田舎で陽光きらめく森の中を歩きながら、共演するピアニストと曲について語らったり、きのこ狩を楽しんだ日々の思い出を記した文章が心に残る。

 

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 2000年11月  音楽之友社 発行 

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