川上 弘美 著  

  『センセイの鞄』

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 2001年に新しく読んだ中で、最も印象に残った一冊である。といっても、他に日本の小説をほとんど読んでいないのだが。

 ツキコさんは、高校で国語を教わったセンセイと行きつけの居酒屋で再会し、飲み仲間になった。時には一緒にきのこ狩りに行ったりもするし、何軒か共に ハシゴした最後に、ツキコさんがセンセイの家に寄ることもある。濃いような、淡いような関係である。センセイは、37歳のツキコさんよりも30と少し年上なのである。

 ツキコさんとセンセイは、始めから終わりまで丁寧語で会話する。ていねいな言葉使いは、相手を自分の領域に踏みこませないために使われる。そして、相手を認めることを表現してもいる。古い、とからかわれようが、自分の流儀を通すセンセイが認めるだけあって、ツキコさんもまた、自分で考える人である。いつも世の中の尺度と、少しだけずれている。そのため元同級生の小島孝からは、「確信に満ちて、逡巡する奴」とか「昔からいつも茫洋としてた」などと言われたりする。

 つかず、離れずの2人のつきあいが変わっていくきっかけは、ふたりで島へ旅行したからでも、それぞれ別の相手との関係にヤキモチを焼いたからでもなく、現実とそうでない場所との境界のようなところへ、一緒に行ってしまったからである。ある日、常のごとく居酒屋で飲んでいたツキコさんとセンセイは、いつの間にか干潟の岩の上で並んでカップ酒を飲んでいるのに気がつく。店にいたときに聞こえていた、木の枝がざわざわ鳴る音がしている。そのうちそれは波の音に変わっていく。夢の中でも、音だけは聞こえるものだ。とすると、干潟での一場は夢なのか、それとも本当にどこか別の世界に行ったのか。センセイという存在そのものが、ツキコさんの夢なのではないか。この「干潟 --- 夢」の章に、最も川上弘美らしさが表われている。この作者は、虚実の隙間に「うそばなし」の引き出しを際限なく持っていて、いつでも自在にそれを取り出すことができる。作者にとっては、どんな現実も嘘であり、同時に実際あったかもしれない、古くて新しい物語なのである。

 連作短編のため、一話ごとに時が移り変わる。どの章も季節の描写がみずみずしい。まるで「ワタクシは、あと何回この桜を見ることができるでしょうか」と心の中でつぶやいているかのようだ。季があり月や花があり恋があるところ、ばっさりと容赦なくしかも余韻をひく結末には、俳諧連歌に通じるものを感じる。そしてまた、とぼけた会話と微妙な心理のやりとりは夏目漱石をも連想させる。たとえば『それから』などを。

 <「センセイ」
  「はい」
  「センセイ」
  「はい」
  「センセイ、どこにも行かないでくださいね」
  「どこにも行きませんよ」> 

 発刊後間もない頃に、雑誌の書評に引用されていたこの会話文を読んだだけで、どんな小説か分かった気がした。それで、その後も評判が良いのを横目で見ながら、すぐに読むつもりはなかった。話題になった本は2、3年過ぎて忘れられた頃に読んだほうがいい。しかし、書店でつい手に取ってしまい、不本意ながら読んでしまった。予想どおり気に入った上に、幾度も驚かされた。小説を読むのは、作者との勝負でもある。この作品ではかなり負かされたのでくやしいのだ。だが、鮮やかな手際にはもう降参するしかない。

 

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 2001年6月  (株)平凡社

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