C. ブコウスキー 著   中川 五郎 訳

  『死をポケットに入れて』

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 チャールズ・ブコウスキー。ドイツ生まれのアメリカ人。若い頃は酒と女性遍歴と放浪に明け暮れ、無頼な暮らしのかたわら詩や散文を書き続けていたが評判はさっぱりだった。中年になってから生活のために十数年、郵便局で条件の悪い労働を続ける。その体験をもとに、50歳で書いた最初の長篇小説『ポスト・オフィス』が売れ、その頃から詩人としても高く評価されるようになった。1994年に73歳で他界している。死因は白血病。

 本書は、名声を手に入れた後、LA郊外に建つプール付の家に妻リンダや9匹の猫と暮らすブコウスキーが、老境の日々の行動と省察を飾り気のない言葉で綴った日記である。といっても、老大家の含蓄に満ちた語りなど期待するのは間違いだ。年をとっても、生活が安定しても、ブコウスキーの過激なアウトサイダーぶりは健在である。

 ゲートが開き、自分が賭けた馬と騎手が死力をつくす一瞬を求めて、彼は毎日レースに出かけていく。しかし、出走と出走の間には30分の待ち時間があり、その間に残り少ない人生が吸い取られていくように感じられるのだ。そして、競馬にとりつかれた人間達のひどい表情がある。それでも競馬場に出かけることで重要なのは、そこから帰ってくることだ。マッキントッシュIIsi の前に座るために。91年1月に購入したコンピュータで書き始めたブコウスキーは、その魅力をタイプライターと比較している。タイプライターはただの道具。だがコンピュータのスクリーンの向こうには宇宙空間が広がっている。夜になると、クラシック音楽をラジオで聴きながら、ブコウスキーはモニター画面に文字を踊らせる。一日中、家にこもって書くなどということは、彼にはできない。映画も美術館も毎日行くような場所ではない。そこで、ほとんどしかたなしに競馬場に出かけると、欲望をむきだしにした人間社会に向き合うことになる。「それはあまりにもおぞましい、延々と続くホラー・ショウだ。わたしは競馬場に行ってうんざりさせられ、恐怖を感じさせられもする。しかしわたしは同時に、ある意味では生徒でもあるのだ。地獄の生徒。」

 ブコウスキーにとって競馬は単なる趣味でもなければ、気晴らしでもない。金に困らなくなった今では、儲けるのが最大の目的でもない。「勝つのが目的じゃない、ギャンブルがしたいだけなんだ」という友人の言葉を、本書の中で二度も引いている。それは彼自身の感慨であったのか、それともそうでないのかはわからないが。それよりも、書くことが彼にとっては最大のギャンブルだった。ともかくブコウスキーは競馬場へ通う。そこから帰ってくるために。

 競馬場の対極にあるのが、有名人達が集まる華やかなパーティだ。「私と暮らすのはきっと変なものに違いない」というリンダへの気遣いからブコウスキーは一緒に出かけていく。そこでは彼自身が有名人で、いろいろな人から声をかけられるが、誰も他人の話など聞いていない。自分のことを喋るだけの、からっぽの人々。しかし、いずれ死ぬその時までの空騒ぎということでは、競馬場もパーティも同じことなのだ。

 音楽に関してブコウスキーが我慢できる唯一のジャンルがクラシック音楽であり、どちらかというと壮大な曲想のものが好きだったようだ。そして、特定の作曲家や演奏者にこだわるのでなく、ラジオでその日その時かかっている音楽を聴きながら、書いたり酒を飲んだりしている。ラジオから流れる、あらかじめ知らされていない未知の音楽が、彼の創作意欲を高めてくれる。コンサートでもCDでもなく、ラジオでというのがブコウスキーらしいところで、自分以外のことに深入りしていくのは、どこまでも一匹狼の彼には似合わない。

 私は、ブコウスキーのように音楽なしでいられないわけではない。何かを聴いている夜よりも、何も聴かない夜のほうが多い。それでも、どこかにあるべき「ちゃんとした音楽」を探し続ける彼の気持ちはわかる。私が知らないだけで、まだまだ他にあるはずだ。本もそうで、読む価値のある、いまだ読んでいない本は無数にある。ただ、時間がまったく足りない。そして、私にとって読む価値のない本もまたずっと多くあって、その中から選り分けなくてはならないのだ。まして才能に恵まれたブコウスキーには、他の作家が書くものはどれも見えすいていて読むにたえないらしい。社会や人間が生み出したものをブコウスキーはことごとく嫌悪するが、かといって彼は不平屋ではない。その反論は正当なものだ。あるいは、読者をそう納得させるだけの力がある。もっとましな音楽を探しても見つからないから、彼はクラシック音楽を聴き、読む物がもう何も残っていないので、自分自身で書くのである。

 お気に入りの作家が、日頃何を考えていたか、どんな音楽を聴き、どんな方法で書いていたのかは、読者にとって興味がつきない事柄である。ブコウスキーは、それらに気前よく答えてくれる。小説が面白い作家の随筆が面白いとは限らない。逆に随筆が面白く納得できるのに、小説は嘘臭く心に響いてこない作家もいる。ブコウスキーの小説の多くが自伝的な色合いが濃いといわれるように、この日記もまた日常風景の中の異様な出来事や人生の浮き沈み、ののしりとうめき声、書き手の本質を見抜く慧眼に満ちていて、小説のイメージと混じり合う。原書を読めないのが残念だが、翻訳でも文章の生き生きとしたリズムは伝わってくる。ブコウスキーが、狂った人々、偽善的な人々、価値のないものを支持する人々を罵倒するのを読むのは、実に爽快だ。同時に、自分のみっともなさや卑劣ささえも一切隠そうとしない、その辛辣なユーモアと妥協のない孤独に共感を覚える。

 

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 1999年2月     河出書房新社 

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