J・L・ボルヘス著 鼓 直 訳
『伝奇集』
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本書は『八岐の園』と『工匠集』に分かれて、それぞれのプロローグと17篇の短編からなる。
一読して頭に浮かぶのは、筒井康隆の実験的な小説だ。二十世紀後半に日本の作家にも影響を及ぼした、ラテン・アメリカ文学の隆盛を用意した者としてボルヘスがあるというのだから、不思議はないのかもしれない。
それらは小説を装った小説、架空の本の書評、存在しない国についての百科事典の項目、夢の中で成長していく神話といった、ファンタジーとしてはあまりにつかみどころがない、夜の夢の記録とも、手の込んだ冗談ともとれる物語である。
例えば、『バビロニアのくじ』は一人の男の回想の形をとって、バビロニアの人々が熱狂するくじ引きの制度を、その起源から人々の生活への影響まで、こと細かに記述している。くじは次第に人々の日常のすべてを支配し決定する、社会制度や法律の役割を持つようになる。くじを主催する講社は神に等しい存在にまでなっていく。
ところが、最後に講社はもともと存在しなかった、あるいはまたバビロニアそのものが偶然による無限の可能性の一つにすぎないという「憶説」が語られて話は唐突に終わる。
読者は、足元の地面が実は底なしの砂の海だった、というような頼りなさの中に取り残されるのである。
残念ながら浅学のためにとうてい読み解くことはできないが、さまざまな隠喩や引用は、歴史、文学、言語、哲学、神学などの広範で深い知識が基になっているらしい。
『バベルの図書館』には、宇宙とも読み替えられる無限数の六角形の回廊が、上下に際限なく続く階層からできた図書館のことが書かれている。六角形の四辺はひとつに32冊の本がおさまる本棚で埋められている。図書館の中に1冊として同じ本はない。
そのほかに、「立って眠るための部屋」と「腰おろす司書のための便所」がある。すべての本は23個の文字と、コンマとピリオド、行間だけで書かれている。
無限数の六角形のどこかには、他のすべての本を要約した本がある。人間はある六角形で生まれ、一生をかけて求める本を見い出すべく旅をする。いつか人類が絶滅しても、図書館は永久に存在し続ける。
この短編に出てくる象徴的な数の意味をなんとか解釈しようとする人々に対して、ボルヘスはそれらが当時彼が勤務していた現実の図書館からとったものにすぎないと言ったとされる。
小説の世界に読者を誘い、それが現実の世界よりも現実のように思えるような体験をさせるのが作家の目的の一つであるとすれば、この作品集に書かれた世界は、それとは明らかに違った場所へ読者を連れていく。
ここには、物語の背後に常に作者の目がある。その目は無関心を装いながら、実は皮肉な関心を持ってこちらを観察しているように感じられるのである。
物語は幾重にも解釈が可能である。読者はどう読むかを試されている。どう読んだとしても、その程度か、と冷笑されているような気がする。負けず嫌いの人間はますます深みにはまっていく。
円環、迷宮、謎の探索、書物、夢といった共通項で繋ぎあわされた短編群は、全体がボルヘスのしかけた罠であり、それと気付くころには、とうに捉えられてしまっているのだ。
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1993年11月 岩波文庫 刊
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