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いつの世までも 石垣島には、叩きつけるような強い風が吹いていた。 「マリア、早く早く!」 船着き場の端に停泊する小さな船を目指して、猛烈な勢いでカンナが走っていく。 「ま、待ってカンナ」 飛ばされそうな帽子を片手で押さえ、マリアは懸命に後を追った。 横浜から沖縄行きの船に乗り、沖縄本島から石垣島を経由して、カンナの故郷の島へ行く。 余裕を持ったスケジュウルを組んだはずなのに、なぜ走っているのかというと、沖縄本島から石垣島へ渡る船が遅れたためであった。 島への便はこれが最終だとカンナは言う。 船に乗り込む客は誰もなく、今にも出発してしまいそうに見えた。 「おーーい、その船待った待った!!」 カンナが大声を張り上げる。 「カンナ、切符!切符は?!」 「おう、まっかせとけ〜」 カンナは足を緩めず上着のポケットから切符を2枚取り出すと、ひらひら振った。 その瞬間、ひときわ強い風が吹いて、カンナの手から切符をあっさり奪っていった。 『あっ!』 声を上げた時には、すでに切符ははらりと海へ落ちた後だった。 「チクショウ!もっぺん買ってくる!!」 カンナは猛スピードで券売所へ引き返す。マリアはとりあえず船へ急ぎ、舫綱を解きかけている船長に声をかけた。 「ごめんなさい、もう少し待っていただけますか。今、切符を買ってきますから…‥」 だが船長はちらとマリアを見たきり、無言で作業を続け、さっさと船室に入ってしまった。 じきにエンジンが回り始める。 「待ってください、後少しですから、お願い!」 マリアは懸命に叫んだ。だが船は先程の船長の態度同様、さっさと港を出ていってしまった。 「あ、あああ〜〜〜」 呆然と立ちすくむマリアの背後に、駆け寄る足音と落胆の声が近づいてくる。 「マリア、どうして引き留めてくれなかったんだよ〜」 「お、お願いしたんだけど…‥」 マリアはまごまごと答える。カンナは大きくため息をつくと、その場にぐったりしゃがみこんだ。 「まいったなあ、船は今のが最終なんだぜ〜」 「ごめんなさい、カンナ」 「…‥いや、マリアは悪くねえよ」 カンナはよくわかっているというようにつぶやいた。 「それよか宿を探そうぜ。今日はこっちで1泊して、明日の朝1番の便で島へ向かおう」 反動をつけてポンと立ち上がったカンナに、 「××島ですか?乗せましょうか?」 側にいた小さな船から若い男が声をかけてきた。 「あぁ?」 カンナが不審そうに振り向き、青年の顔を見て、「あっ!」と目を丸くする。 「元気そうだなぁ、カンナぁ?」 「何だおまえ、どうしたのさ?」 あとは島言葉が矢継ぎ早に交わされた。 やがてカンナはマリアの方を向き、 「こいつ、島のもんなんだ。乗せてってくれるってさ」 とにこにこ顔で言った。 「初めまして。東京で、カンナさんと一緒に働いているマリア・タチバナです。 ご迷惑をお掛けしますが、よろしくお願いします」 頭を下げるマリアに、 「はい、よろしくね」 青年は人なつっこく笑うと、マリアに手を貸し船に乗せた。 「さっきは災難だったねー」 「あ、いえ」 「ねーねーがあんまりちゅらさんだったんで、船長も照れてしまったのさぁ。 気を悪くしないでくださいねー」 「…‥ええ…‥」 「助かったな〜、マリア」 カンナは無邪気に喜んでいる。しかしマリアの心の中には、別の思いがわきあがっていた。 -------------------------- この旅を提案したのは私ではない。 カンナによって、半ば一方的に決められてしまったのだ。 数日前の夜のことだった。 私の部屋にふらりとやってきたカンナは、 「沖縄にいた台風が、やっと通り過ぎたんだ」 唐突にそんなことを言い出した。 「そうなの?」 私は上の空で返事をした。私はそのとき、 来年度の定期公演の演目をリストアップするための作業に没頭していた。 そのリストは、新しく支配人となった大神隊長から、 明日までに提出するように言われたものだった。 候補作をずらりと並べた表と睨めっこしていると、 「今年ってさ、マリアの誕生日に何にもしてやれなかったよな」 カンナは再び私に話しかけた。 「いいのよ。今年は何かと忙しかったから…‥」 適当に答えていると、 「まだ、間に合うよな」 独り言のようにカンナはつぶやいた。 「間に合うって…‥?」 「沖縄だよ。明日、切符取ってくる。明後日の朝出発でいいよな」 私は顔を上げてカンナを見た。 「カンナ、沖縄に帰るの?じゃあ隊長とかえでさんに許可をもらったらいいわ」 夏公演も終わったし、しばらく大きな行事はない。カンナが里帰りをしても不都合はなかった。 用件を済ませたつもりで再び書面に目を落とすと、 「マリアも一緒に行くんだぜ」 とカンナが言った。 「えっ?」 「やっぱ誕生日はバカンスだよな。あたい、かえでさんに話してくる」 さっさと部屋を出て行くカンナを、私は慌てて引き留めた。 「カンナ、待って。私は無理よ、行けないわ。劇場の仕事があるし、この表も明日までに提出しなければならないのよ」 だがカンナはちらりと机の上に視線をくれると、 「だから、明後日出発ならいいだろ。それ、早いとこ済ませちまえよ」 そう言って、部屋を出ていってしまった。 翌日、私は完成したリストを持って隊長室を訪れた。 「ご苦労さん、マリア」 就任して3か月、隊長はずいぶん支配人らしくなってきたと思う。 リストに目を通している隊長に、 「あの、カンナから何か聞いていませんでしょうか?」 と私は尋ねた。 「ああ、旅行の話だろう?楽しんで行っておいで」 隊長はこともなげに言った。 「いえ、私は行くわけにはいきません」 「どうして?」 「私は劇場サブマネージャーとして、隊長のサポートをする義務があります」 隊長が支配人に就任したのと同時に、私もかえでさんから劇場サブマネージャーの仕事を任されていた。 いずれ(かなり早いうちに)、私にマネージャー及び副支配人の職を譲るつもりなのだと、かえでさんは言った。 かえでさん自身は、乙女学園の理事として後進の人材の育成に力を注ぐらしい。 私の言葉に、だけど隊長は柔らかい笑顔になって、 「行っておいで、マリア」 と繰り返した。 「俺の方はかえでさんとやっていけるから大丈夫だよ。 それに、カンナにつきあってほしいんだ。 このところマリアが俺にかかりっぱなしで、ちっとも相手をしてくれないって、カンナはおかんむりなんだよ」 これ以上怒らせると組み手でボコボコに仕返しされるからね、と言って隊長は笑った。 「マリアは夏公演もずいぶん頑張ってくれたし、ここらで少し休んだ方がいいよ」 そこまで言われると、残ると言い張るのは逆にわがままのような気がしてきた。 「では、お言葉に甘えて」 私は言った。 「沖縄はいいところだよ。ゆっくり骨休めしておいで」 その言葉に送られて、私は隊長室を出て行った。 ------------------------------- 「(いいところ、だといいけど)」 出鼻を挫かれて疑心暗鬼になったマリアは考えていた。 もしも自分ひとりだったら、この青年は船に乗せてやると言っただろうか? そんなことを考えているうちに、船は島に着いてしまった。 マリアは時計を見た。そろそろ6時を回ろうとしている。 帝都では夕焼け空の時刻だが、こちらではその気配すらない。 日射しは少し和らいだが、空は青い色のままだった。 港で青年に別れを告げ、ふたりはカンナの家目指して歩き出した。 港から入った道を少し歩くと、正面に行く手を塞ぐような形で大きな木が生えている。 「魔除けの木だよ」 カンナが説明した。 「島にまじむんが入ってこないようにな。沖縄じゃ石敢當(いしがんとう)って言って、魔除けの石が道路の突き当たりなんかに置いてあるんだ。もうちょっと行ったら見ることができるぜ」 「まじむん」とは魔物のことらしい。カンナの言葉どおり、集落に入ると、あちこちの道の突き当たりで、その四角く小さな石を見ることができた。 ふたりは間もなく集落に入った。 家はどれもずっしりとした低めの平屋建てで、強い日射しを防ぐためだろう、軒が深いつくりになっている。 漆喰で塗り固めた赤瓦の屋根には、シーサーと呼ばれる獅子に似た動物の置物がちょこんと乗っていた。 家の周囲を囲む塀は、ごつごつした奇妙な形の石垣だった。 きっちりと隙間なく積み上げられた灰色の石には、小さな穴がたくさん空いている。 「変わってるわ、この石垣」 「珊瑚でできてるんだ。それ、全部手で積んでるんだぜ。すげえだろ?」 カンナは自分で積み上げたかのようにいばった。だが確かにいばりたくなるほどに、それらは見事な積み方なのだった。 集落のはずれの坂の途中に、カンナの家はあった。 石垣で囲まれた家は庭が広く、奥に小さな別棟が見える。 家の中に入ると、かびとほこりの匂いが鼻をついた。 「うへ〜、あちいあちい」 カンナは雨戸をガタガタと開ける。空気を入れ換えている間、ふたりは井戸で顔を洗った。 母屋の奥に、小さな建物がある。 「カンナ、あの建物は何なの?」 「あれかい?道場さ」 「ああ…‥空手の道場ね」 「あそこで親父と空手の稽古をしてたんだ。この庭でもしてたけどな」 なるほど、庭には帝劇の中庭にあるのと同じ巻き藁があった。 少し休んだ後、ふたりは家の中を掃除した。 家の中は襖で仕切られているだけで、そこを開け放つと、風がよく通るようになっている。 カンナが箒を使い、マリアが雑巾がけをして、まもなく家はきれいになった。 「さんきゅ、マリア。んじゃ次は飯だな」 腕まくりするカンナに、 「お父様のお墓に行かなくてもいいの?」 とマリアは声をかけた。 「ああ、今日はもう遅いからさ。明日ごちそう持って挨拶に行くよ」 カンナは笑うと、かまどに火をおこし始めた。 空は真っ赤になったかと思うと、じきにすとんと暗くなって、星が白く瞬き始めた。 島に来て最初の夕食は、庭でバーベキューであった。長旅の疲れも何のその、ふたりは肉や野菜をたくさん焼いて、たくさん食べた。 「明日は朝から本格的に料理するぜえ。親父の好物をたくさんつくって持っていくんだ」 カンナは張り切っている。その様子に、マリアも何だか楽しみになってきた。 「お墓参りなのに、まるでピクニックに行くような感じね」 「それでいいんだよ。墓参りってのは楽しいもんなんだからさ」 だって親父に会えるんだぜ、とカンナは嬉しそうに笑った。 お腹いっぱい食べて酒も飲んだふたりは、すっかりくつろいだ気分になった。 マリアが縁側に腰掛けて星を見ていると、カンナが部屋の奥から三味線を取り出してきた。 「カンナ、三味線なんか弾けるの?」 「おっと、こいつは三線(さんしん)っていうんだぜ。へへへ、弾けるかだって? まぁ見てなよ」 縁側に座ったカンナは、弦の調節をした後、おもむろにつまびき始めた。 三線は太く力強い音を出した。カンナの演奏はちょっと雑だが、本人の人柄そのままに、元気がよくたのしい音色を奏でた。 「それじゃ、星空三線ショウ〜」 三線を弾きながら、カンナが歌い出す。ゆったりしたテンポの、沖縄のことばでうたう歌だった。 切れのいい音に合わせて、カンナのおおらかな声が豊かに伸びる。 マリアは気づかないうちに体全体でリズムを取っていた。とてもリラックスした気分だった。心にも体にも、どこにも余分な力が入っていなかった。 生真面目なマリアにとって、そんなふうに力を抜くことは本来とても難しいことである。それがここでは、いとも容易くできるのだった。 「(いいもんだわ)」 数刻前の不安も忘れ、マリアは気持ちよく酔っ払いながら、カンナの歌を聴いていた。
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