あなたを好きになったから




作:ゆうりん様


 どこまでも続く雪原。
 暗く灰色がかった空。
 季節は春だというのに、そんな気配すらないように感じる。
 どんなに暖かな格好をして上から下まで完全装備で身を包んでも、吹きすさぶ強い風は身体の芯まで凍えさせてしまうほど冷たく寒いものだった。
 サクッ。
 固い雪に足を取られて、思わずマリアの身体がぐらりと揺れる。腕を伸ばして大神はその身体を抱きしめた。
「あっ、すみません隊長」
「いいさ。それよりここでは隊長はなしにしてくれよ」
「そ‥そうでしたね。大神さん‥」
 大神の胸に抱きしめられたまま、マリアはつと、ほんのり染めた顔を上げにっこりと微笑む。
 その笑顔があまりに可愛かったので、つい顔を近づけて唇を重ねた。触れた柔らかな感触に暖かさを感じ、凍えかけた身体もいっとき熱く燃え上がる。
 異国・ロシアでの二人きりの旅行。
 そして強く抱きしめられ、接吻を交わしていることにマリアの胸のときめきと高なりは最高頂に達し、自分でも抑えられないほど身体が小刻みに震えているのが分かった。
「そろそろ行こうか」
「はい」
 二人はもう一度ユーリーのお墓に手を合わせ、ソリに乗り込んでホテルへと向かう。
 ソリに揺られながらマリアは、これから先の事をいろいろと考え、赤くなったり時折うつむいたりしていた。
 ホテルのカウンターで予約を入れる際、大神はマリアの通訳を通じて別々の部屋をとったつもりだったのだが、ホテル側の勘違いで二人一緒の部屋になってしまった。
 気づいて慌てて新たな部屋をとろうとしたが、急に団体の客がいっぺんに入り込んで小さなホテルは満室となってしまったのだった。
 仕方なく通された部屋で二人はしばらく何となく気まずい雰囲気で佇んでいたが、取りあえず目的であるユーリーのお墓参りに行こうと荷物を置いて外へと出たのだった。
 あの時は言えなかったユーリーへのさよならと、思い出の詰まったロケットを外したことでマリアの心は更に加速を増して大神に傾いていった。
 (本当に二人きりでここに来れるなんて夢のようだわ‥)
 いつしかマリアはほんのちょっと前の目まぐるしい出来事を思い出していた。
 激しい戦い。
 失った大切なひと。
 大きな悲しみと試練を乗り越えて今まで頑張って来れたのは仲間との深い絆と、その中で少しずつ育んできた大神との愛だった。
 ふと、みんなの顔が浮かんでは消える。罪悪感と後ろめたさが脳裏を掠めた。
 だが、不思議と後悔はまるでない。
 二人きりでいるこの幸せな時間と心の安らぎは、マリアにとって何にもまして得がたい宝物だった。
 絶対に手放したくないと思うほどに。
 マリアはなるべくしてなった、とそう思うことにした。脳裏の片隅にさくらの泣き顔が焼き付いて離れないことを気にはなったが。
「どうしたんだい?じっと考え込んだりして」
 大神が訝しそうに隣に座っているマリアを覗き込む。
「あ‥今までのこと、色々思い出してたんです」
 マリアは小さくそう答える。
「そうか…」
 それ以上深く訊くこともなく、大神はだんだんと激しくなってくる吹雪からマリアを守ろうと、肩に回した手に力を込め自分に引き寄せる。
 その優しさに包まれながらマリアはここに至るいきさつを改めて思い返していた。



 それは太正13年、初春のある日のこと……
「あたし、明日大神さんと外出します。いいですか?マリアさん」
 サロンでお茶を楽しみ、読書をしていたマリアにさくらは駆け寄ってきて嬉しそうにそう言った。
 マリアは本から目を離し、さくらをじっと見つめた後静かに口を開く。
「そう、行ってらっしゃい。隊長も忙しい身だから夕食までには帰ってくるのよ」
「分かりました」
 尚も何か言いかけようとしたさくらだったが思い直し、一礼をしてくるりと回れ右をし、スタスタと出ていく。
 またひっそりと静かな午後の時間が戻ってきたが、マリアの心中はさくらが来る前とは大きく違って、穏やかならぬものが胸の奥底からざわざわと這い上がってくるのを感じていた。
 大神とさくらの二人きりの外出。
 そう思うだけで突き刺されるような思いにかられ、そして自分の嫉妬深さに気づいたとき、マリアは思わず本を閉じてしまっていた。
 (隊長は二つ返事で引き受けたのだろうか?もしそうなら…)
 マリアは一つため息をつき、身体を椅子の背もたれに預ける。
 去年の夏に好きだと大神から告白されて以来、ふたりの仲はそれ以上進むこともなく、お互いを思い合いながらも何もない清い関係のまま今日までに至っていた。
 むろん、恋愛事にうつつを抜かすどころではない天海やサタンとの戦いや、平和が戻った後も修復作業やその他こまごまとした仕事など、しなくてはならないことが山ほどあったので、ここ数ヶ月の間は忙しさに身を任せていた二人だった。
 その中でも、ほんの僅かな間に交わす大神との会話を楽しみたいと思っていても、必ずと言っていいほどジト目をしたさくらが割って入ってくるので、マリアはその度に大神からスッと離れていった。
 さくらでなくとも他のみんなが大神を引っ張り回すのを見て苦いものがこみ上げてくるのを感じつつ、平静な顔をして日々を過ごしていた。
 でもそろそろそれも限界に近い。
 最近のさくらは前にもまして積極的に大神にアタックし、あからさまに挑戦的な視線を自分に向けてくる。
 そして満更嫌そうでもない顔の大神にも、徐々に苛立ちと焦りがマリアを包み込み更に状況を悪化させていた。
 大神があちこちの女の子と適当に遊んで楽しむ人間だとは思ってはいない。
 けれど、この状態がいつまで続くのだろうかと考えたとき、マリアの心は重くどこまでも暗く沈んでゆくのだった。
 マリアはもう一つ深くため息をつき、もう本を読む気力もなくなったので本を抱えて書庫へと向かった。


 次の日―――
 朝からルンルン気分で、さくらは大神と共に出掛けていった。
 アイリスはふて寝をするし、すみれは機嫌の悪い顔を隠そうともせずイライラした様子で立ち振る舞い、カンナの朝稽古はいつになく長く、紅蘭の部屋ではいつもより多く爆発音が聞こえてくる。
 マリアといえば……いつもと変わらず自主稽古に励み、支配人室で報告書の作成に精を出していた。
 あまりに熱心なので米田が心配して声をかけるほどだった。
「マリア。おまえさん、そんなに無理しなくてもいいんだぜ?別に急ぐ仕事でもねえし」
 だがマリアは素っ気ない顔で、「早く終わらせた方が楽ですから」と答える。
 そんな様子を見て、米田は杯を呷りながら心の中で思った。
 (まったく、マリアが一心不乱に仕事に熱中しなくてはならないほど気にしてることを奴ぁ、気づいてねぇんだろうな)
 大神とマリアが思い合っていることは以前あやめから聞いて知っていた。
 その後も注意深く暖かい目で見守ってきた米田だったが、最近の二人ときたら、およそ恋人同士らしからぬギクシャクした態度で接しているのを見ていろいろと考えていたのだった。
 (ま、なるようになるだろうよ。結局最後に決めるのは二人の気持ちなんだしな。俺がとやかく言うことじゃねえか)
 米田はそう思い直し、再びくいっと杯を呷った。


 夕方もだいぶ過ぎ夜になろうとする頃、大神とさくらはやっと帰ってきた。玄関先で二人は別れ、さくらはシャワーを浴びてそのまま自室へと戻り、大神は支配人室に直行し、帰宅した旨を伝え自室に戻る際、階段を上がりきったところで書類の束を抱えたマリアと鉢合わせになった。
「…お帰りなさい、隊長…」
「あ、ああ。ただいま。遅くなってすまなかった。夕食までには帰って来るつもりだったんだけど」
 大神は頭に手をやって申し訳なさそうに苦笑いをする。実際今日一日は、はしゃぐさくらにあちこちと付き合わされてヘトヘトに疲れていたのだった。
 だが、無表情のマリアの顔に気づき、その笑いを引っ込める。
「食事はみんな揃ってきちんと食べることはここの決まりであることは充分ご承知だと思いますが。隊長ご自身がそんないい加減なことではみんなの生活態度にも影響がでます。これからは気をつけて下さい」
 マリアは冷たく言い放ち、その場を離れようとしたが手首をギュッと掴まれ、歩みが止まってしまう。
 振り返ると、真顔で自分をじっと見つめている大神の顔が目に映った。
「放して下さい」
 だがその言葉に耳を貸さず、手首を掴んだまま大神は静かに口を開いた。
「訳を聞いてくれないか?マリア。今日、さくらくんと出掛けたのは仙台にいる母上やお祖母様に贈るプレゼントを一緒に見繕って欲しいって頼まれたからなんだ。遅くなったのは悪いと思ってるけど、決して君が思うようないい加減な態度で出掛けたわけじゃないんだよ」
 しかし、この言葉にマリアの鬱積した気持ちが爆発してしまった。
「いい加減ではないのなら真剣な気持ちでさくらとデートしたということでしょうか?」
「いいっ!?デート?ち、違うよマリア。俺は…」
「言い訳は結構です。誰と付き合おうと隊長の自由ですが、目に余る行動は慎んで下さい。隊長たるべきあなたが自ら率先垂範して秩序と規律を守っていただかなくては困ります」
 何て可愛げのない、いやな女。
 言いながら心のどこかでそう思っていた。
 冷静になろうとすればするほど心はざわざわと黒いものが沸きたち、言いたくもない言葉が口をついて出てしまう。そしてそんな自分に嫌悪感を感じずにはいられなかった。
 大神は黙ってマリアの言葉に耳を傾け、じっと見つめていた。その顔は怒っているようにも呆れているようにも見える。
 いたたまれなくなったマリアは「失礼します」と言って手を振りきり、自室へと戻っていった。


 翌日―――
 昨夜は自己を苛み続け、眠りにつくことが出来なかったので朝から気分が悪かった。鏡を見たら目の下に薄く隈が出来ていて、きつい表情がより深くシャープになっている。こんな顔で大神に言い募ったのかと思うと、情けなくて落ち込みも一層深くなる。
 (きっと嫌われたに違いない。こんな嫉妬深い可愛げのない女など‥)
 そう思ったら食欲もなくなり、大神とも顔を合わせたくなかったが、昨日規律について言った手前、マリアは仕方なくのろのろと身支度を始めた。
 洗顔を済ませ、階段を降りると他のみんなもそれぞれ降りて来て席に着き、食堂のテーブルはいつものように喧騒な雰囲気で始まる。
 大神の両脇には、アイリスとさくらがへばりつきおしゃべりをしていた。すみれとカンナは些細なことで口喧嘩を仕始め、紅蘭は夜遅くまで研究か実験でもしていたのか、茶碗片手にうつらうつらと頭を揺らしている。
 いつもと変わらない朝食風景。
 そしていつものように話ばかりしてご飯の進まないアイリスとさくらを注意し、すみれとカンナのケンカを止め、目を覚ましてちゃんとご飯を食べるよう紅蘭に言う。
 時々ちらっと、大神の何か言いたげな視線を感じたが、マリアは気づかないフリで箸を進めた。
 朝食が終わるとそれぞれ散り、マリアは早々と部屋に戻って机に向かい、ぼんやりと考え事をしていた。
 コンコン。
 部屋のドアが鳴らされ、マリアがドアを開けると思い詰めたような顔のさくらが立っていた。
「ちょっといいですか?マリアさん」
 今は誰とも話をしたくなかったのだが、断る理由もないので首を縦に振る。
「失礼します」
 さくらはマリアのベッドにちょこんと腰掛け、大きな目で真っ直ぐと見つめてくる。
「話って何かしら?」
 努めてさり気ない風に質問を投げかける。さくらは視線を外し、少しうつむいてポツポツと語りだした。
「……昨日、大神さんと二人であちこち歩きながらいろんな話をしました。大神さんは笑顔であたしの言うことを聞いてくれましたけど、どこかぼんやりしてあまり身が入ってないことに気づいたんです。何かの拍子にマリアさんの名前が出たときに大神さん、はっとした顔になって…その時、あたし改めて思いました。やっぱり大神さんにとってマリアさんは特別な人なんだってこと」
 マリアは思わず驚きの表情を表に現した。
 出掛ける時はそんな素振りをひとつも見せずに、てっきり楽しんで帰ってきたのだとばかり思っていたから。
 一瞬のマリアの動揺を確認したさくらは更に言葉を続ける。
「マリアさんは大神さんのこと、どう思っているんですか?」
「どうって…尊敬する花組の隊長で、頼りになる上官だと思っているわ」
 さくらは眉を寄せ、きつい目をして射抜くようにマリアを見つめる。
「はぐらかさないで下さい。一人の男性としてどう思ってるか聞いているんです」
「さくら…」
「あたし、大神さんのことが大好きです。初めて出会ったときからあたしの心の中の大神さんがどんどん大きくなって、今でははっきりこの気持ちに嘘はないことを改めて実感しました。マリアさんはどうなんですか?」
 (私だって隊長のこと…)
 その言葉を呑み込んでマリアは静かに口を開く。
「さくら、今の私に言えることはたった一言、隊長は『尊敬する上官』。それ以外の答えなんてないの」
 さくらはベッドから立ち上がり、つかつかとマリアに近寄って言った。
「マリアさん、ずるいです。マリアさんも大神さんのこと好きなんでしょう?どうして隠したりするんですか?あたし、ずっと見ていたから分かるんです。マリアさん自分では気づいてないんでしょうけど、大神さんと話をしてるときの目が輝いていました。笑いかけた笑顔がどきっとするくらい綺麗で声の感じも優しかったんです。そんなマリアさんを見るのが切なくて。でもあたしの気持ちだってゆずれません!あたしは正々堂々と勝負を挑んでいるんですよ。だからはっきり答えて下さい、マリアさん!」
 さくらの圧倒的な迫力に押されて、マリアは息を飲み込んだ。
 だが真っ直ぐに大神に対する想いをぶつけてくるさくらに相反し、マリアの心は更に重く閉ざされていく。
「私はあなたの勝負を受けるつもりはないし、それに隊長と私はさくらが思っているような間柄ではないのよ」
 それは事実だった。
 互いに思い合ってはいたがキスはおろか、手さえろくに握ったこともないのだ。
 だがそれでも充分マリアは満足していた。語りかける言葉のはしはしに、優しく自分を見つめる眼差しに、確かな大神の愛情を感じることができたから。
 でも今ははっきりとした形のない、不確かな絆にほんの少し心細さを覚えているのも事実だった。
 さくらはすうっと息をつき、怒ったような口調でまくし立てる。
「わかりました。マリアさんの大神さんに対する思いってそんな程度だったんですね。じゃあ、あたし遠慮なく大神さんにアタックします。いいんですねっ!」
 一礼してドスドスと出ていくさくらの後ろ姿を、マリアは悲しい顔で見送っていた。


 さくらが出ていってしばらく経った頃、また部屋のドアがノックされた。
 ドアに行く気も起きないので中から返事をすると、大神のためらいがちな声が聞こえてきた。
「マリア、ちょっと話が有るんだけど‥」
 急いで椅子から立ち上がり、そっとドアを開ける。ドアの外で大神は深刻そうな表情を浮かべて立っていた。
「はい、何でしょうか?隊長」
 自分でも声が強ばっているのが分かる。
「書類の整理を手伝って欲しいんだ。俺の書いた報告書に目を通しておかしな箇所がないか確かめてくれないか?」
「分かりました。後で伺います」
「じゃ、部屋で待ってるから」
 簡単な会話でドアは閉められ、マリアは筆記用具を持ち鏡で顔色を確かめ髪を直した後、大神の部屋に向かった。
 コンコン。
「どうぞ。開いてるから入って」
 その声を確認してマリアは失礼します、と一声かけて部屋の中へと入った。
 大神に勧められて椅子に腰かけ、早速書類の束に目を通す。しばらく二人は仕事に没頭して、熱心に書類に目を通しペンを走らせていた。
 それも終わりかけの頃、大神はにっこり笑ってマリアに語りかける。
「ありがとう。お陰で助かったよ」
「いえ‥」
 マリアは控えめに返事を返す。大神の笑顔に昨夜のことは気にしてないのかと安堵の気持ちを覚えながら。
 二人はしばらく黙って見つめ合う。
 先に沈黙を破ったのは大神であった。
「マリア、聞いてくれるかい?君にとってみれば言い訳や弁解にしか聞こえないかも知れないけど、どうしても言いたいことがあるんだ」
 マリアは大神を見つめたままうなづく。
 覚悟は出来ていた。どんなことを告げられようとも自分の気持ちは変わらない。緊張を抑えるように手は自然と服の上からロケットを探っていた。
 大神はゆっくりと一語一語かみしめるように話し始めた。
「俺は…あやめさんを救えなかったこと、いまでも後悔してるんだ。でも後悔ばかりしていても先へは進めないだろ?だから考え方を変えることにしたんだ。今の俺に出来ることはあやめさんが心を注いで築き上げ、愛したこの帝劇とみんなを、どんなことをしてでも守っていくことだってさ。あやめさんのように一人一人細かく目を配って、みんなから頼まれたことや願い事には何でも聞いてきたつもりだった。でも結果、君を怒らせ、傷つけてしまったことに気づいて俺のやり方が間違っていたことにようやく思い至ったんだ」
 言葉をいったん切って大神はマリアをじっと見つめる。その漆黒の瞳には、あやめを失った悲しみと自分の間違った信念に対する自責の念がごちゃごちゃと入り混ざり暗く翳っていた。
 いっとき目を瞑った後、再び大神は語り出す。
「…君を守ると言っておきながら、俺自身がマリアを悲しませてしまった。それが口惜しくてならないんだ。だけど信じてほしい。俺の気持ちは君に告げたあの時からずっと変わっていないよ。誤解されたままで嫌われたくなかった。だから俺はどうしてもこれだけは言いたかったんだ」
「隊長…」
 マリアの心は大きく震え、目の奥がジンと熱くなる。
「ごめん‥なさい。私‥自分が恥ずかしい‥」
 大神の思いを分かろうともせずに、自分勝手に嫉妬して当たってしまった。自分の馬鹿さ加減に腹が立ち、思わずうつむいてしまう。
「マリア?どうしたんだい?」
 マリアは詰まりそうな胸を押さえ、そろそろと大神を見上げて口を開く。
「隊長のお気持ちは分かりました。でも私にも一言いって欲しかったです。だって、隊長お一人で背負うにはあまりにも負担がありすぎますもの。私にも手伝わせてくださいますね、隊長」
 マリアの言葉に、曇っていた大神の顔は日が射したようにパッと明るく輝く。
「ありがとう、マリア。君にまでこれ以上余計な気遣いをさせたくなかったんだ。でもホッとしたよ。ところで…その‥俺のこと嫌いになったりした?」
 くすりとマリアは笑う。
「嫌うだなんて‥私はずっと隊長を見てきました。私の気持ちも変わってません。あなたが…好きです」
 翡翠の瞳をキラキラと輝かせ、白い面差しにほんのりと赤く頬を染めらせているマリアを見つめているうちに、たまらなく愛しい思いがこみ上がってそっと頬に手をやり、目を閉じて顔を近づけた。


 自室に戻ってからもキスの余韻に浸って少女のように胸をときめかせていたマリアだったが、ふと己の心の弱さを思い返し顔を曇らせる。
 信じて愛していた筈なのに、こんな些細なことでくじけそうになり、見失いがちな自分を情けなく思って深いため息が洩れる。
 (だめだわ。こんなんじゃこれから先、隊長を支えて一緒にこの帝都を帝劇を守る事なんてできやしない)
 もっと強くなりたい。自分自身の心の弱さを克服したい。
 マリアは過去のしがらみに縛りつけられ、ともすればロケットにすがってしまう今の自分と決別したい、と心底願っていた。
 それにはどうすればいいのかと思案したとき、ある一つの考えがフッと思い浮かぶ。
 マリアは決心した顔をして部屋を出、支配人室へと向かった。

 米田支配人にあることを頼んで支配人室を後にしたマリアは、ふと何となく気になって舞台へと足を運んだ。
 そこには舞台中央に膝をつき、荒鷹を手にしたさくらが北辰一刀流の構えをして精神統一をしていた。
 シンとして張りつめた雰囲気。そこだけ切り離されたように周りとは違う空気が流れているようにも見える。
 こちらまで伝わってくるピリピリとした緊張がいつまでも長く続くかと思われた頃、目を瞑っていたさくらは突然気合いの入ったかけ声と共に、目にも留まらないような素早い動きで荒鷹を振るった。
 さくらの愛刀が空を切って鋭い音を響かせる。
 ひとつ息をついたさくらは、舞台袖に佇んでいるマリアの姿を認めゆっくりと歩いていった。
「マリアさん。ずっとここにいらしたんですか?」
「いいえ。今さっきよ。支配人室を出たら何となく気になって来てみたの」
「そうですか‥」
 さくらは少しうつむき、そして思い切ったように顔を上げてマリアを見上げた。
「あたし‥さっき大神さんに告白して、一緒に剣の修行について来て欲しいってお願いしたんです。でも見事に断られました。自分と一緒だと大事な修行の邪魔になるだろうし、仲間として大切に思っているけれど、一人の女性として見ることは出来ないっていわれてしまったんです」
「さくら…」
 こんなことを言うのは余程勇気が要ったことだろう。まして、大神に思いを寄せている自分になら尚更だ。マリアの頭の中は??の嵐が吹き荒れていた。
 しばらく黙ったさくらはまた話し出した。
「その時あたし‥大神さんと一緒に居たいが為に神聖なる剣の修行を引き合いに出した自分の浅ましい姿に気づいたんです。そんな自分がとっても恥ずかしくて‥だからもう一度鍛え直す為に、そして曇った心に気合いを入れる為に明日朝一番でここを発ちます。あ、米田支配人には許可を取ってありますからご心配なく。歌劇団リーダーであるマリアさんに黙って出ていくのは心苦しかったんです」
 マリアは複雑な思いを抱きながらも、笑顔で送り出そうと微笑んで言う。
「そうなの、わかったわ。行ってらっしゃい。道中気をつけてね」
「はい」
 さくらはマリアの横を通り過ぎて立ち止まり、くるりと振り返って小さく言った。
「あたしはそれでも大神さんのことあきらめきれません。こんなことを言ったのもまだあたしが大神さんを好きだって事、マリアさんには知っていて欲しかったんです。だってあたし、嫌われたわけじゃないんだもの。だから…」
 さくらは言葉を切ってうなだれる。
「さくら、私は…」
 そのマリアの言葉を遮るように、さくらは背を向けて尋ねる。
「もう一度さっきの質問をします。マリアさん、大神さんのこと好きなんですね?」
 マリアは一瞬黙ったあと、きっぱりと答える。
「ええ。私も隊長を特別な人だと思っているわ」
「そうですか…でもあたし、負けませんから。絶対に」
 さくらの声は泣き声になっていた。ちらっとこちらを向き、一礼して走り去ったその顔は歪んで目には涙が溜まっていた。
 マリアはそこに佇んだまま、さくらの後ろ姿をいつまでも見送っていた。


 そして何日か後―――
 米田の粋な計らいで帝劇はしばらく休業となり、メンバーそれぞれは思い思いの場所に帰っていった。
 修行の旅に出たさくらを筆頭に、カンナは郷里の沖縄へアイリスはフランスの両親の元に紅蘭は花やしきに滞在する事に決まり、すみれは嫌がる素振りをしながらも楽しそうに実家へと帰っていった。
 みんなを送り出した後、マリアもトランクを引っ張り出して必要最低限なものを詰め込む作業にとりかかる。
 コンコン。
 ノックの音に手を休め、ドアを開けるとそこには少し照れたような顔の大神が立っていた。
「隊長?何でしょうか?」
 不思議そうな顔で訊くマリアに大神は頭をかきながら答える。
「いやあ‥荷物の整理をしてたんだけどよくわかんなくってさ。やっぱりこの時期でもまだロシアは寒いんだろ?厚めの服とか何枚くらい持っていけばいいのかなって思って聞きに来たんだ」
「は?」
 マリアは大神の言っていることが理解できずに驚いた顔をして聞き返す。
「だからさ、俺も明日朝一番の船に乗って一緒にロシアに行くんだよ」
 マリアの頭は混乱していた。
 支配人にしか告げていないはずなのに何故自分がロシアに行くことを隊長は知っているのだろう?それに何より一緒に行くって本気なのだろうか?と。
 少し整理して落ち着きを取り戻すと、マリアはそっと口を開いた。
「あの‥どうして隊長は私が故郷に里帰りする事をご存知なのですか?」
「ああ。もちろん、米田支配人から聞いたんだ。マリアは俺に黙って行くつもりだったのかい?」
 マリアは慌てて頭を振る。
「いえ、今日の夜にでも話そうと思ってました。でもどうして隊長まで一緒にと?」
「もちろん君のボディーガードだよ。まだ向こうは不安定な状況だからマリアに何かあったら大変だろう?俺は君を守ると誓った。だからマリアがどこに行こうと俺はどこまでもついていくよ」
 思わず胸に熱いものがこみ上がる。だが甘い感情を捨てて、静かに首を振る。
「お気持ちは嬉しいのですが、隊長までこの帝劇を離れるなんて米田支配人が何ておっしゃるか……やっぱり私一人で行きます」
 大神はにっこり笑って言った。
「その米田支配人が二人で行って来いって言ったんだよ。帝劇は休業だしその他の仕事なら何とかなるから、必ずマリアを無事に連れ帰ってこいと念を押されたよ。マリアは俺が一緒に行くのは迷惑かい?」
「い、いいえ。迷惑だなんて そんな…」
 思わずぶんぶんと強く首を横に振り、自分の動転ぶりに顔をポッと赤らめる。
 そんなマリアの様子を嬉しそうにニコニコ眺めていた大神はうきうきした口調で話した。
「じゃ、決まりだ。これでマリアとの約束をひとつ果たすことができるよ」
「約束ってまさか‥」
 帝鉄の中で交わしたほんの一言を覚えててくれたのかと顔を綻ばせる。
「うん、初詣の時に雪原に向かって祈るって約束さ。実現できるなんて嬉しいよ」
「隊長…」
 二人はその場でいつまでも見つめ合い、微笑み合っていた。


ここから先は……内緒ですよ、隊長。



 カタカタカタ‥
 強風で窓ガラスが揺れる。
 外は夕方からの猛吹雪が続いていた。
 マリアは大神の体温をもっと感じ取ろうと身体を寄せてみる。
 暖かな肌の温もりに安らぎを覚え、気持ちよさそうに眠っている大神の寝顔を見て、マリアは心から幸せだと溢れ出る喜びをかみしめていた。
 肩からはみでそうになる毛布を手にとって、腕枕をしてくれている大神の身体ごと深々とくるまる。
 やがてマリアも眠りにつき、ロシアの夜に包まれた二人は朝まで抱きしめ合って、ひとときの安らぎの夢に浸っていた。


Fin.

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 ゆうりんさんから、あちらの2万ヒットを踏んづけた記念にいただきました♪ 亭主のリク内容は「しのぶれど 色にでにけり わが恋は ものや思ふと 人の問うまで」という心情のマリアを、というものでした。
 ゆうりんさんのコメントでは、「リクから離れた内容になってしまった」などとのたもうておられましたが、亭主的には十分満足です♪
 みなさんは、いかがでしたでしょうか?
 ゆうりんさん、素敵な物語をありがとうっ!


亭主敬白