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卒業 〜春の始めの物語〜
ドドドドドドドドドドドッ!
凄まじい重低音が近づいてきた。きっと一朗に違いない。真理亜は校門をくぐりかけて、音の方角を振り返った。相変わらずの凄い蒸気バイクにまたがって、見慣れた黒いヘルメットが近づいてくる。自転車を、脇に寄せて止めた。
真理亜に気づいたのか、校門を通るときに右手を挙げてみせる。白い歯がこぼれた。
きゅん
真理亜の胸が甘く締め付けられる。必死の思いでそれを押さえ、顔をしかめて見せた。バイクは駐輪場の方へ曲がっていく。
「大神センセ〜!おっはー!」
「いっちろうせんせ〜!今度乗せて〜!」
生徒たちの黄色い声のなか、涼しい顔で(といっても上半分はゴーグルで隠れているが)ゆっくりとバイクを進めていく。いつもの朝の風景だ。真理亜は、この登校風景を見るたびに、なにか嫉妬のようなものを感じてしまう。大神一朗──乙女学園の教師──は、真理亜の母方の従兄なのだ。昔から仲良しだったお兄ちゃんを、他の生徒に取られたような気になってくる。
彼女の名は橘(真理亜(。乙女学園に通う3年生……平誠13年度の卒業式を控えた、卒業生だ。
ズドドッズドドッドドッドドドッ…ドンッ!
駐輪場からしばらく聞こえていた、アイドリングの音が止まった。ハーレーダヴィットソンFXSローライダー、78年式。一般にショベルヘッドと呼ばれている、一朗の愛車だ。真理亜自身も、何度か乗せて貰ったことがある。
自転車を止め、植え込みの陰になったところをそぉっと覗き込む。大神先生(が、着替えをしていた。
厚い皮ジャンを脱ぎ、中に着込んでいるジャケットをバイクのミラーにひっかける。足に巻いている、カウボーイが着けるような皮パンツもどき(のジッパーを裾から上げる。下はスラックスだ。ジャケットの内側に着ていたハイネックを脱ぎ、鞄からワイシャツを取り出したところで、真理亜は作り声で声をかけた。
「大神先生! 何をしてらっしゃるの?」
「うわぁっ! …きょ、教頭!?」
一朗のびっくり顔がおかしくてたまらない。真理亜はくすくす笑いながら、顔を出した。
「な、なんだよ、真理かぁ…あ〜びっくりした」
「ふふっ、似てました?」
「ああ、さすが演劇部の前部長だね」
屈託の無い笑顔で、一朗は着替えを続ける。真理亜はネクタイを渡しながら、ほんの少し厳しい顔でたしなめた。
「そんなにこそこそしなければならないなら、バイクなんかで通わなければいいんです。乙女学園はバイク通学禁止ですよ?」
「それは学生の規則だろ? 教員には適用されないよ」
「でも、教頭先生は、いい顔はされないんでしょ? そもそも生徒に示しがつきません。少しは自覚してください、大神先生」
「…言うことまで教頭の真似しなくていいよ。真理は相変わらず堅苦しいなぁ。だいたい何だい? その他人行儀な物言いは」
一朗が真理亜の顔を覗き込む。顔の近さに思わず胸が高鳴ってしまう。
「だ…だって、学校では、先生だもの…」
どぎまぎした真理亜は、顔を赤らめて俯いた。
「だからって、従兄妹(は従兄妹だろ?血は水より濃いっていうじゃないか。もっと砕けてくれていいのになぁ」
「そ、そういう訳にはいきません!」
「どうして?」
「だ…だから…お兄ちゃんは…先生だもの…」
ふぅ
一朗が盛大なため息をつく。
「全く、昔はお兄ちゃん、お兄ちゃんって可愛かったのになぁ…」
むっ
「今は可愛くないって言うんですか?」
「そう…だな。今は随分綺麗になったよ」
いたずらっぽくウィンクしながら、からかうように言う。真理亜の顔にたちまち朱がさした。
「な…!」
「あはは、怒った顔は可愛いな。じゃ、俺、職員会議があるから」
顔を真っ赤にして怒ろうとした真理亜を残して、一朗は笑いながら行ってしまった。見送った真理亜は、小さくため息をつくと、教室へ向かって歩き出した。ぐずぐずしてると遅刻してしまう。
その時、背後から近づいた無表情な男が、真理亜に抱きついた。鼻と口を何かの布で覆う。一瞬の抵抗のあと、真理亜の身体から力が抜け、人形のように崩れ落ちた。
「出席取るぞぉ〜。相山、足立、飯島、有働、江崎、大島、……」
一朗の呼び声に、はい、はい、という声が小気味よく返事をする。平和な朝の光景だ。
「桐島、桜井、橘…? 橘? あれ? 橘真理亜? ……おい、だれか橘を知らないか?」
「あれぇ? 真理ちゃん今朝来てたよねぇ?」
「うん、来てた来てた」
「もしかして、サボり〜? きゃはっ♪ 真理ちゃんマジメだと思ってたのに、やるねぇ〜」
ざわっ
一朗は、厭な胸騒ぎがした。真理亜とは、確かに今朝会っていた。その時は別に変わった様子もなかったのに…絶対おかしい。真理亜はサボりをするような娘(じゃぁない。
「ちょっとお前ら自習してろ!」
言うなり教室を飛び出した。生徒達の好奇な視線が一朗の背中に刺さるが、そんなものに構っていられない。なにしろ真理亜は特別な娘(なのだから。息せき切って教頭室へ駆け込む。教頭──藤枝あやめ──が柳眉を逆立てて、一朗を睨んだ。
「大神くん!? …何事です、騒々しい。教師の立場で廊下を走るなど、非常識にもほどがありますよ!」
「それどころじゃありません、教頭! 真理が…橘真理亜が行方不明です」
「な、何ですって!?」
真理亜は、乙女学園特別生の一人だ。そもそも乙女学園とは、初代帝国華撃団司令、米田一箕が創設した女学校で、そのとき以来の華撃団養成所である。時代が下り、平誠の世となった今は、通常の女子学園とされていた。が、実は霊力を有する生徒を「特別生」と位置づけ、華撃団員としての訓練を施しているのだ。無論、この訓練を選択するかどうかについては、当人の意志の有無が最も尊重される。
華撃団、という名称は、今では通称になっている。正式にはアイダス日本支部(という。アイダスとは、国際対魔攻撃特殊部隊(International Demon Atack Special Service=I.D.A.S.S.)の略である。
現在は国連の下部組織として存在しているが、母胎になった組織は帝国華撃団。アイダスジャパンおよび乙女学園は、いわば一番の老舗として、世界をリードする立場にある。
特別生となった生徒は、卒業後、自動的に表向き帝劇の職員として、活動することになる。無論、花組に配属されるのは、その中でもごく一部だが。帝劇は今でも有数の少女歌劇団として、人気を誇っている。特別生は全校生徒の憧れの的だった。
真理亜は特別生の中でも、霊力と戦術面に突出した成績を残し、在校中にも関わらず、花組への配属が決まっていた。
「状況を説明してくれる? 大神くん」
「今朝は確かに、駐輪場で見たんですが…HRに居ないんです」
「…」
「真理は、サボるような娘じゃありません。何かあったのでは…」
「…もしかしたら…」
「何か心当たりがあるんですかっ!?」
鼻に噛みつかんばかりの勢いで、教頭にせまる。教頭…藤枝あやめは動じない。
「大神くん、冷静に。ちょっとこちらへ来て頂戴」
あやめは立ち上がり、壁の書架へと向かう。「花戦(」と題された本を押し込むと、かちり、と音がした。書架が音もなく横へスライドする。
階段が現れた。
一朗も何度か足を運んでいる、地下訓練施設である。特別生の特別カリキュラムが、ここで行われる。一朗とあやめは、施設内の奥へと向かっていった。
「この辺りに来るのは、初めてですね…」
「大神くんはその筈だわね…特別生と講師は、立ち入りが禁止されているから」
「いいんですか? 俺が入って」
「乙女学園支部支部長が一緒なら、ね。さ、ここよ」
資料室、と古めかしい木のプレートが下げられた一角には、厳重な霊子ロックが施されている。登録されたものの霊波が無いと、開かない仕組みだ。あやめがパスワードを打ち込み、ドアノブの下に設けられた穴に、人差し指を入れる。かちり、と音がして錠が外れた。中に入り、ドアを閉じると自動的にロックがかかる。
中は清潔な感じの広い空間だった。いくつかのテーブルと椅子があるほか、何も見あたらない。
「資料室…なんですよね? …何もないな…」
「ふふっ。まぁ、とにかくおかけなさい」
あやめが近くの椅子をすすめ、自分は反対側に腰を下ろす。あやめが座った側の一部が自動的に開き、コンソールパネルが現れた。これもどうやら登録霊波自動反応式らしい。
コンソールパネルを操作すると、机の中央が割れ、一冊の古びたファイルが現れた。表題は「帝撃銀座本部日報〜自:太正拾五年四月〜至:太正拾六年四月」となっている。
「こ、これは? …帝国華撃団の日報ですか?」
「ええ。大神くんも聞いたことがあると思うけれど、第四次魔大戦の記録よ」
「第四次…あれは、ヨーロッパで起こったものではありませんか? 祖父が、巴里華撃団を指揮していた時の事では…」
「そう、一般にはそういう事になっているわね。けれど、内部では『魔神大戦』と通称されている、魔戦があったの。あなたの祖母、マリアさんがそれを経験しているわ」
「な、なんですって!?」
「マリアさんから聞いていない?」
「祖母はそういう事は、一切口にしません。祖父との出会いについても、守秘義務違反になると言って、つい最近、俺がアイダス関係者になるまでは、教えてくれませんでした」
「なるほど…祖母から聞いていた通りの方ね。マリアさんは」
「そう言えば、教頭のおばあさんは、帝国華撃団の副司令をしていた方だったですね」
「ええ。大伯母も、ね。私の名前は大伯母から貰ったのよ。それはともかく、当時日本でも大規模な魔戦が行われていたの」
「そのことと、今回の事件との関係は?」
「当時、魔神大戦が勃発する少し前、乙女学園の生徒が行方不明になる事件があったのよ…」
「な…!」
「当時の状況と、今回の状況はよく似ているわ。その事件は、魔神大戦自体に深く関わっていたらしいのだけど…詳しい記録は残ってないわ」
「どうしてですか?」
「魔神大戦がどうしてそう呼ばれているか…分かる?」
「え? …さぁ」
「当時の敵組織、『招魔』が、究極の魔の呼び出しを画策し、一部分は成功したからなのよ」
「究極の魔…ですか」
「そう。最高位の魔の召喚には失敗したのだけれど、それ以前に少し下位…とは言ってもかなり強力な魔を、呼び出すことに成功しているわ」
「それは…降魔の強力な奴ですか?」
「いいえ。降魔というレベルではないわ。当時の霊子甲冑では、まるで歯が立たなかったのよ」
「そ…それじゃぁ一体どうやって撃退したんですか?」
「帝国華撃団・宙(組という組織を知っている?」
「確か…第二次世界大戦前に解散になった攻撃部隊ですよね? …あまり役に立たなかったとか…」
「役に立たない、どころか魔神を撃退したのは、後に宙組の隊長に就任した、霧島中尉よ」
「はぁ?」
「宙組、というのは、対魔神攻撃部隊だったの。あまりに強力な装備と能力を備えていたので、その出動には帝撃総司令、副司令、及び宙組隊長の三者の合意が必須、とされていたほどよ」
「ど…どんな装備なんです?」
「記録には残されていないわ。第二次大戦のような、大規模な国同士の戦闘に使われたくない、という配慮だったと思うの。おそらく、当時の総司令が宙組の装備を大量殺戮に使われるのを畏れて、封印したのが真相ではないかしら。それに伴って、魔神大戦の詳細な記録も破棄され、表向き役に立たなかった部隊として、宙組は解散されたのだと思うの」
「その…隊長の霧島中尉…という方は、どうなさったんです? もうお亡くなりになったんですか?」
「宙組解散以後の隊員の動向は、一切記録が残っていないわ。でも、もし存命なら、アイダス本部が放っておくはずもないわね」
「結局は…何も分からない、という事ですか?」
「何も、という訳じゃないわ。一つだけ分かっている事があるの。この『魔神大戦』の皮切りになったのが、乙女学園生徒の失踪事件だった、と言うことがね」
一朗は絶句した。顔が急速に青ざめていく。あやめが淡々と続ける。
「招魔という組織は、どうやら究極の魔を召喚するために、乙女学園の生徒を使ったらしいの。どういう使い方をしたのか、残されている資料からでは分からないけれど、100人近い生徒が招魔の手に落ちたらしいわ」
「そ…そんなに…それじゃぁ…真理は…」
「あくまでも可能性として、の話だけれど、同じ目的のために攫われた、という事が考えられるわ」
がたんっ!
一朗は席を蹴立てて立ち上がった。
「こうしちゃいられない!」
「落ち着きなさい! 大神くん!」
「でも…!」
「橘さんの捜索は、アイダスジャパン諜報部に依頼します。あなたには他の特別生の保護をお願いしたいの」
「…」
「お願い。もし、推測される通りだとしたら、他の特別生も危ないわ。お願いできるのは大神くん、あなたしかいないのよ」
「…わかりました。でも、真理の居場所が分かったら、俺も連れて行ってくださいよ。いいですね?」
一朗の真剣な表情に、あやめはきっぱりと頷いた。
「もちろん、奪還が必要な場合には、あなたにも協力して貰うわ。その際は実戦になります。覚悟しておいてね」
その日の放課後、特別生が地下訓練施設に集められた。一同不審な表情をしている。今日はカリキュラムのある日ではない。
「なんですの? 先生。本日は、カリキュラムの日ではございませんことよ?」
「あたいにはもう、カリキュラムは残ってない筈だぜ? 一体なんの…! ま、まさか、真理亜になんかあったのか?!」
「なんですの? 桐島先輩。一体何のお話ですの?」
「真理亜、今朝のHRに出てこなかったんだ…」
神崎家の令嬢、澄子(と桐島流次期継承者、香奈(は仲がいい。祖母同士が(表向きとは言え)いがみ合っていると、孫達は仲良くなるものらしい。祖母達も本当はお互いを認めあっていたのだが、結局最後まで変わらなかった。もっとも、香奈の祖母が先年亡くなったとき、まっ先に駆けつけたのは大親友だった一朗の祖母と、神崎家の長老だったそうだが。香奈は祖母に良く似ているせいか、それ以来神崎家にお呼ばれする事が多い。行くと必ず、長老(が離さないそうだ。
「おいっ、先生! 真理亜、無事なんだろうな?!」
「わからない…」
「な、何だと!? い、一体どういうことだよ!」
「落ち着けっ! 香奈!」
こういうときの一朗の一喝は効く。香奈が黙り込んだ。
「真理は今、行方不明だ。まだ可能性の段階だが…誘拐ということも考えられる」
「な、何だって!?」
「現在、アイダスジャパン諜報部に、捜索を依頼している」
「そ、それで、真理亜はどこだっ?!」
「捜索中だと言っただろう! 落ち着け!」
「よくも落ち着いていられるな! 先生は、心配じゃねぇのかよっ!?」
一朗の両眼が、まともに香奈の瞳を捉えた。紫の瞳と深い黒瞳が、火花を散らす。一朗は静かに口を開いた。
「うろたえて真理が帰ってくるなら、いくらでもうろたえてやる。真理は俺の従妹だぞ? 心配にならない訳が無いだろう!」
一朗の身体からは、憤怒のオーラが吹き出していた。誰の目にも、はっきりと分かるほどの勢いで。従妹の危機に何も出来ない自分に、腹を立てている。怒りが霊力を倍加させ、押さえきれずに吹き出しているのだ。
「う…わ、悪かったよ、先生」
「いいか、今回の事件は、もしかすると実戦がらみになるかも知れないんだ。霊力者を狙ったものである可能性が、指摘されている。そこで、君たち特別生に、発信器を配らせて貰う。今後、単独の行動は、事件解決まで控えて欲しい」
「実戦がらみ…って…降魔がでるんですか!?」
美桜(が目を丸くして、叫んだ。真宮寺家の一人娘だ。乙女学園2年生。真宮寺家は美桜の代も、入り婿を取ることになりそうだ。
「わからない。もし、出たとしても、君らが実戦に参加することはない。君らはまだ訓練生で、実戦投入は先の話だ」
「せやけどセンセ? ウチらかて、アイダスジャパンの仲間やないか。ましてや、橘先輩の危機なんやで? 黙ってみてろ言うんは、酷やないのん?」
そう言って霊力の炎で、文字通り瞳を燃え上がらせたのは、留学生の蘭花(・カルリーニだ。母方の祖母の正義感と、父方の祖母の激しい性格を受け継いだこの娘には、一朗の言葉は納得できない代物らしい。祖母の紅蘭同様、日本ではホワード邸で世話になり、すっかりあやしげな関西弁が身に付いている。美桜と澄子のクラスメートだ。
「蘭花の言うとおりです。黙って見ている訳には行きません!」
美桜が蘭花に同調する。こうなると、香奈も澄子も黙っていない。口々に不満を表明する。しまいには、自分たちの力で真理亜の捜索にあたる、とまで言い出した。
「みんな、いいかげんにしないかっ!」
一朗が怒気を含んで一喝した。
「…真理を心配してくれるのは、嬉しい。だが、そのことでみんなが危険にさらされかねない。もし君たちにまで、何かあったら、俺はどうすればいいんだ?」
「……」
「みんなだって、俺の大事な生徒だぞ? みんなの事がなければ、俺がまっ先に真理の捜索に当たっていただろう。頼む、自重してくれ」
一朗が一同に向かって、深々と頭を下げる。まっすぐな思いは必ず伝わる。一朗の真摯な姿は、特別生達の胸を打った。
「…すまねぇ、先生。あたいたち、ちょっと熱くなりすぎちまったみてぇだな…」
「分かってくれるか」
「すんまへんな、センセ。…けど、ウチらかて橘先輩の事、心配なんや。それだけは、分かってや」
「もちろんだ。状況が解り次第、すぐにみんなにも知らせる。だから、くれぐれも軽はずみな行動はしないでくれよ」
一朗の言葉に、一同はこっくりと頷いた。
真理亜は、暗い部屋で目を覚ました。病院のような、パイプベッドの上に寝かされている。頭がずきずきする。思わず額に手を当てようとして手を動かしたと途端、何か堅いものが手首に食い込んだ。
枷…?
辺りを見回すと、無表情な男達が立っている。6人ほどの黒ずくめの服装をした男達が、無表情に真理亜を見下ろしていた。
「…誰? あなたたち。私に一体、なんの用なの?」
いい度胸、と言えるだろう。普通ならパニックに陥ってもおかしくない状況だ。さすがはマリア・タチバナの孫、冷静なものだ。が、男達は何も応えない。黙って身じろぎもせず、真理亜を見下ろしている。なにも反応がない相手というのは、この上もなく不気味な存在だ。まして、自分が身動きの出来ない状態では…。
「彼らに話しかけても、無駄だ。何も応えはせんよ」
「…誰?」
「答える必要はないな。君はもうじき、そんな疑問も抱かなくなる。ロボトミー手術によって、な」
「なんですって!?」
「君は、この男達と同じく、私の先兵となるのだよ」
「…一体…何者なの?」
「そうだな…。名前ぐらいは教えてやろう。これから、お前の主人になる男、だからな」
逆光で顔が見えない。男の声が低く響いた。
「私の名は、京極慶次。この世界を、浄化する者だ」
ドドッドドドッドドドッ…ズドドンッ
車庫に単車を止めるなり、メットとグローブを取るのももどかしく、玄関に飛び込む。乱暴にブーツを脱ぎ捨て、一階南の角部屋へむかった。一朗の表情が厳しい。
「おかえりなさ…きゃっ!」
「ただいま。ごめん、母さん、ちょっと急いでるんだ」
部屋の前に立ち、一つ深呼吸。ノックをする。
「ばぁちゃん、いるかい? 俺、一朗。話があるんだけど…」
「あら、朗(くん? 開いてるわよ。入っていらっしゃい」
部屋にはいると、プラチナブロンドの上品な老婦人が、窓際の揺り椅子にいた。本から顔を上げ、眼鏡を外しながら、昔からの癖で前髪を掻き上げる。優しい微笑みを浮かべた。
一朗は祖母を眩しそうに見た。往年の帝劇スターは、もう百歳に近い年齢だというのに、どう見ても50より上には見えない。祖母がまだ十二分に魅力的な女性だというのは、孫にとっては居心地の悪いものだ。それに加えてこの祖母は、一朗を見るたびにとろけるような優しい微笑を浮かべる。一朗が祖母の最愛の人に生き写しだから、なのだが、一朗にはその微笑みがどうにも居心地が悪い。三年前に祖父が亡くなってからは、それこそ恋人に向けるような笑顔を向けてくる。
一朗は、咳払いを一つした。その表情にただならぬものを感じて、マリアは即座に表情を引き締めた。花組副隊長として、何度も命がけの戦闘を生き残ってきたマリアの勘は、未だに衰えていない。
「どうしたの? 朗くん。なんだか、怖い顔をしているわ」
「聞きたい事があるんだ。『魔神大戦』について、教えて欲しい」
「…まじん、たいせん? 何の事かしら? それ…」
ふわ、と謎めいた微笑みを返し、マリアはそう言った。守秘義務は守らねばならない。マリアの微笑みはいつもと違う。一朗は、マリアの意図がはっきり分かった。
「ばぁちゃん、守秘義務を守ろうとするのはよく分かる。けど、今は緊急事態なんだ。教えて欲しい」
「…緊急事態って? 何か、あったの?」
「真理が、行方不明になった」
マリアの目がくるっと丸くなった。次の瞬間、すっと細くなる。警戒の表情だ。
「…状況を聞かせてくれる?」
一朗はあやめとの話も含めて、すべてを語った。
「…そう。…まだ、判断するのは、早計なようね」
「確かにそうだ。だけど、俺はまず間違いない、と思っている。これは、俺の勘だ」
「そう…。朗くんの勘、ね。…いいわ。何が聞きたいの?」
「魔神大戦の勃発前、乙女学園生徒の行方不明が続出した、と聞いた。『招魔』という組織は、いったい何のために生徒を誘拐したんだい?」
「そのことは詳しく知らされていないわ。けれど、誘拐された生徒は、どうやら敵戦力の増強に使われていたらしいの」
「敵戦力の…増強?」
「ええ。招魔は、私たちの世界にはない、恐ろしい技術を持っていたの。今の言葉で言う、オーバーテクノロジーね」
「オーバー…何だって?」
祖母の口から、カタカナ言葉が飛び出し、一朗は面食らった。相変わらず、ハイカラ(死語)なばぁちゃんだ。
「オーバーテクノロジー。朗くん、若いくせにカタカナ言葉弱いの? つまり、私たちの科学技術よりも、遙かに進んだ技術を持っていたのよ。遺伝子関係の技術だそうだけど、詳しいことは分からないわ」
「で、そのオーバーテクノロジーとやらを使って、どうしたんだい?」
「人の身体を造り替えて、恐ろしい能力を持った敵を生み出したの。私たちがとても歯が立たないような、ね」
「だって霊子甲冑があったんだろ?」
「とてもじゃないけど、あのスピードには付いていけないわ。奴らの召喚した降魔を防ぐので、精一杯だった…」
「じゃ、どうやって切り抜けたんだ?」
「新しい霊子甲冑を開発したのよ。その技術は、当時私たちを一時的に指揮してくださった、霧島中尉がもたらしたものよ」
「霧島中尉…ねぇ。その人、どうしてそんな技術を?」
「それは…今でも謎ね。とにかく、霧島さんがいなければ、私たちは全滅していたでしょうね。それと…一郎さん。危ないときには、必ず助けにきてくれたわ。私の大切な人…。このお二人がいなければ、そもそも朗くんだってこの世にはいないわよ」
ほんの少し、おのろけが混じる。亡くなった夫の話をするとき、マリアはいつも恋する少女のような表情をする。
「…まぁ、それは置いといて。つまり招魔とやらは、その技術を使って、兵士を作り出したわけだね?」
「そう。真理ちゃんが同じ目的で攫われたとすると…意志に反して兵士化する技術があるはずね。今の技術なら、前頭葉をうまく破壊して、意志のない兵士にすることも可能なはず…ロボトミー…だったかしら?」
こういう事を話す時のマリアは、恐ろしく冷酷に見える。震えの来るような状況を、淡々と整理するからだ。だがそれは、戦場で身につけた抑制力が働いているに過ぎない。その証拠に、白くなるほど握りしめた拳が、震えている。
一朗は、その拳にそっと手を添えた。
「大丈夫だ、ばぁちゃん。真理は俺が必ず、連れ戻す! ばぁちゃんは、心配しなくていいよ」
一朗の深い黒瞳が、まっすぐマリアを見つめる。一郎さんの目と同じだ、とマリアは思った。何度この目に勇気づけられて来ただろう。
「ありがとう、朗くん。お願いするわね」
「うん、約束するよ。…ところで、その技術とやらが具体的にどんなものかは、分からない?」
「それをご存じなのは、たぶん、霧島さんお一人ね」
「霧島さんか…その人に話が聞ければなぁ…もう、亡くなったの? 霧島さんは」
「…生死は分からないわ。でも、私はたぶん、どこかで生きてらっしゃると思うの。あの人は、とても不思議な人だったから…亡くなっているような気がしないの」
往事を思い出したのか、マリアは遠い目をした。一朗は、そんな祖母の横顔を美しいと感じる。咳払いを一つした。
「とにかく、真理の捜索は今、アイダスジャパン諜報部に依頼している。居場所が見つかり次第、俺が迎えに行くから、ばぁちゃんは心配しないでくれ」
「アイダスジャパン…昔の月組ね。わかったわ。橘の家には、連絡したの?」
「ああ。帰りに寄ってきた。向こうにはただの行方不明と話している。心配はしてたけど、まだ捜索願は出さないでくれ、と頼んであるよ。こちらで捜索するから、と言ってね」
「そう…賢明な処置だわ。さすが朗くんね」
「じゃ、俺はこれで。邪魔して悪かったね」
「ああ…ちょっと待ってくれる?」
マリアは立ち上がり、クローゼットを開けた。中から、桐の箱と細長い布包みを取り出す。包みは二本。一朗の前に置いた。
「…なんだい?これ」
「こっちの布包みは、一郎さんの愛刀よ。私たちと帝都を守るために、一郎さんが振るっていた小太刀…。朗くん。これからは、あなたがお使いなさい」
「じぃちゃんの小太刀…か」
一朗はその布包みを押し戴いた。桐の箱に目を転じる。
「こっちの箱は、真理ちゃんへ」
「真理へ? なんだい、これは?」
「私が使っていた、エンフィールドよ。私の身体の一部、ってとこね。真理ちゃんは射撃が上手だそうだから…少し早いけど、卒業のお祝い。真理ちゃんも、これからは華撃団ですものね。みんなを守るために、戦わなくてはいけないわ。そのために、使って欲しいの」
「……」
一朗は下唇を噛んだ。真理自身が選んだ道とは言え、可愛い従妹が過酷な道を歩むのを、見送らなければならないとは…。
「…朗くん。その気持ち、大切にしてね。大事な人を守るためにこそ、私たちは戦うのよ。そのことを、決して忘れてはいけないわ」
「…分かった。ありがとう、ばぁちゃん。真理へも、必ずばぁちゃんの言葉を伝えるよ」
必ず、という言葉に、決意が籠もっていた。真理は必ず取り戻してみせる。部屋を出ていく一朗の背中を、マリアは頼もしそうに見つめた。目尻に浮かんだ涙を、指先でそっと拭う。
「ほんとうに一郎さんにそっくり…。でも、もう少し手助けさせてね、朗くん」
机の引き出しの奥から、複雑な紋章を象った、ブローチを取り出す。しばらく懐かしそうに見つめ、呟いた。
「困ったときの…ね」
中央の宝玉に軽く振れる。不思議な色合いの光が湧き、揺らめくように震えた。低く、懐かしい声が響く。その声の主に、マリアは語りかけた。
「お久しぶりです、マリアです。…今、どちらにおられますか? …」
香奈たちは繁華街にいた。ファーストフードの店で、井戸端会議をする。話題は真理亜の事だ。
「せやけど、妙な話やで…。橘先輩、トロいお人ちゃうで?なんで、あっさり掴まってしもたんやろなぁ…」
「そうねぇ…。あんなに凄い先輩が、どうしたのかしら…?」
「実際、格闘術だきゃあたいのが上だったけど、真理亜の身のこなしは、下手な男どもよりよっぽど凄ぇもんなぁ」
「打撃力以外は桐島先輩と、互角でしたものねぇ。状況を伺った限りでは、HR前のごく短い時間で、ということになりますでしょう? そんなことの出来る方が、そうおありになるとは思えませんわ。かといって、あの真面目な橘先輩が、ずる休みなさるとは思えませんし…」
「ははっ。真理亜がサボるようなら、ちったぁ話せるってもんだけどな」
「桐島先輩? 少々不謹慎じゃございませんこと?」
「う…悪ぃ悪ぃ。そんなつもりじゃ、なかったんだけどよ」
顔を赤らめる香奈に、澄子は優しく微笑む。
「桐島先輩に悪気がないのは、ようく存じておりましてよ。ただ、こうした場合ですから…生意気を申し上げました。お許し下さいな」
「い、いや、澄子はなんにも悪くねぇよ。悪ぃのはあたいだ」
放っておけば延々と続きそうな二人のやりとりに、うんざりした顔で蘭花が割ってはいる。
「はいはい、いちゃつくんはそれくらいにしぃ。そないな事はどうでもええねん。今は他に考えなあかん事があるやろ?」
それから4人は真理亜の拉致された先について、ああでもない、こうでもないと話し始めた。いずれも推測、もしくは妄想の域を出ない。放課後の一朗の言葉を守るのなら、さっさと帰宅して待機するのが正しいのだが、真理亜を心配する気持ちは、ただ安閑と待つことに耐えられそうもない。多少癖があるとはいえ、粒ぞろいの美少女達が、制服姿でする話題にしては、いささか物騒な方向にまで話が進んでいった。
盛り上がってる美少女達は、それだけで充分目を引く。ロンゲにピアスと言ったいでたちの少年が3人、近づいてきた。片手に缶ビールを持っている。
「ねぇねぇ、何そんなに盛り上がってんのぉ? 俺らも混ぜてよ」
「なんや、アンタ。ナンパなら他当たりぃ。ウチら、忙しいんやで?」
「およびでなくてよ。ごめん遊ばせ」
「『ごめん遊ばせ』だってよ。ギャハハハハハハ」
澄子の言葉遣いを面白がって、真似をした。その態度に澄子の柳眉が逆立つより早く、喧嘩っ早い香奈がぱっと立ち上がる。香奈は祖母譲りの長身だ。眉を怒らせて立つと、かなり迫力がある。澄子が慌ててその腕を押さえた。
「き、桐島先輩! おやめ下さいな。わたくし、平気ですから…」
「をっ!? なんだ、男かと思ったら女かよ? スカートはいてやがるぜ?」
「それともオカマだったりして。ギャハハハハハ」
ピアスの少年達は、とどまる所をしらない。ますますエスカレートしていく。蘭花が父譲りの銀の瞳に、炎の色を映した。唇の端を、きゅぅっと吊り上げる。
「そのくらいにしとき。ロンゲ燃されてまったら、熱いでぇ?」
「だ、だめよ蘭花! お、落ち着いてっ!」
美桜が慌てて蘭花を押さえる。こんな所で霊力を使ったら、大惨事は目に見えている。美桜や澄子の態度を、怯えと取っているのか、少年達は絡むのをやめようとしない。ついに澄子がキレた。
「この三下! いいかげんになさい! …お脳の足りないお猿には、少しお灸が必要なようですわね。表へおいでなさいっ!」
こうなると毒舌は祖母譲りだ。少年達の顔色が変わった。
「なんだぁ? 誰にクチきいてんのよ、おめぇ」
「お脳ばかりでなく、耳までお悪いのかしら? 表へおいでなさい、と申し上げましたのよ?」
皮肉な調子の丁寧な言葉というものほど、憎々しいものはない。少年達は顔をどす黒くして、黙り込んだ。目ばかりがぎらぎらと輝く。べっと唾を吐き捨てた。
「上等だよ…バックれんじゃねぇぞ」
「まったく…! お下品なお猿はどうしようもありませんわね。奇妙な行動をお取りになってる暇があったら、さっさとお出になったらいかが!?」
もはや少年達は、怒りで口も利けない。頭から湯気を立てて足早に店を出る。怒りのオーラを吹き上げながら、澄子が続いた。怒りのためにこちらも動きが早いが、舞を舞うような典雅な動きは変わらない。喧嘩好きの香奈は、生き生きとしている。体重のないもののように、軽やかな動きだ。しかたないなぁ、という表情の美桜と、にやにや笑いを崩さない蘭花も、足音を一切立てない。
少年達は、薄暗い路地裏に入っていった。袋小路になっている。香奈と蘭花の笑いが、ますます深くなった。ここなら多少暴れても問題は、無い。美桜はあきらかに、安堵の表情を浮かべた。
その時、袋小路の入り口を、黒い集団が塞いだ。黒ずくめの、無表情な男達の集団だ。6人。黒い伸縮素材のスラックスに長袖Tシャツ。動き易さのみを追求したコーディネイトだ。足下は、安全スニーカー。つま先部分に、鉄板の入った代物だ。全員が徒手。一見無造作な立ち方は、見る目のあるものが見れば、恐るべき戦闘能力を示している。香奈達の顔に緊張が走った。
「へっ…いまさら泣いても、誰も来ねぇぜ」
少年の一人が、ヤニ下がった笑顔で言い放つ。桃色の想像でもしているのだろう。こんな雑魚はどうでもいい、一瞬で終わる。問題はこの男達だ。中央の一人が進み、少年達に言った。
「ご苦労。帰ってよし」
「んだぁ? フザケてんのか?! オイシイとこだけ持ってこうったって、そうはいかねぇぞ!? お!?」
「…障碍は排除する」
言うなり、男の姿が消えた。
ドンッ!
3人分の上半身が宙を舞う。凄まじい衝撃波が少年達の命を、一瞬にして奪った。
「…!」
全員の顔が硬直する。戦闘部隊としての訓練を受けてきたとはいえ、人の死を目の当たりにするのは、初めてだ。人の命というのは、こんなにも簡単に消えてしまうのか?
硬直する特別生たちに、少年達の命を奪った男が、冷酷に告げる。
「抵抗するなら、意識を奪って連行する」
「ふざけんなっ! てめぇ!」
香奈が咆吼と共に拳を打ち込む。男の姿が再び消えた。延髄に衝撃を感じる。
── は、早ぇっ…! ──
香奈の意識は、暗黒に閉ざされた。
一朗の端末が緊急信号を受信した。香奈の発信器だ。澄子、美桜、蘭花と続く。一朗は我が目を疑った。
「な、なんだっ!?」
緊急信号は、発信器を装着した者の、意識の喪失を示している。一朗の顔から血の気が引いた。
「いかんっ…!」
エンフィールドをホルスターごと懐に収め、小太刀二本を背中に差し込む。メットとグローブをひっ掴む。ブーツに両足を突っ込むのももどかしく、玄関を吹っ飛ばす勢いで開け放つ。盗難防止に掛けているロック類が、今日ほど煩わしく感じた事はない。一朗は焦っていた。
ズドドドドドドンッ!!
一朗の焦り感じてくれたか、普段はぐずる愛車がキック一発で目を覚ます。冷え切ったエンジンを気にもせず、スロットルをちぎれんばかりに絞り上げる。
発信器の導くままに、一朗は夜の街を弾丸のごとく走り抜けていった。
なにやら奇妙な紋章が描かれた金属板が、照明の光をはね返した。金属板を恭しく捧げ持つ手は、白手袋に包まれている。扇状に並べられた手術台の上には、5人の少女達が縛(められていた。むかって左から、真理亜、美桜、蘭花、澄子、香奈と並んでいる。
「これが…君らに超常の力をもたらすものだ…」
恍惚とした表情で告げるのは、京極慶次と名乗った男だ。
「我が一族の崇める常闇之尊(から賜った、超常の血…君らも光栄に思うが良い」
「ふざけんなっ! 何だそりゃぁ!?」
「ふっ…知りたいか? ならば教えてやろう。この金属板には、ある遺伝子の情報が組み込まれている。こう、起動すると…」
京極は白手袋の指を、金属板の中央に触れた。奇妙なことに、心臓の鼓動音が起こり、金属板から細い針が延びてくる。
「この針を骨髄まで通すと、遺伝子が書き換えられ、超常の力を得ることになる。…耐えられれば、な」
指で無表情な男の一人を差し招く。男は、機械のように近づいてきた。男の腕にすぅっと針が通って行く。京極がすっと離れた。ハンカチを取り出し、鼻を覆う。
ばしゃばしゃばしゃっ
吐瀉物が落ちる音が盛大に起こる。部屋の中を悪臭が満たした。
「書き換えられた遺伝子は、体中の組織を急速に造りかえていく。筋肉、骨格、内臓……癌細胞の転移の数百倍のスピードで、な。その際に起こる高熱、嘔吐感、下痢…この状態からの生還率は5%。…通常ならな。神のもたらした超常の血は、受け入れる者を選ぶのだよ」
男は見る見るミイラ化していく。ひくひくと痙攣しながら、自らが流した汚物の海へ沈む。やがて、動かなくなった。
「…片づけろ」
くぐもった声に命じられ、無表情な男達が動く。ミイラ化した遺体と汚物とを、手早く片づけていく。
「こ奴らには、”神の血”は受け入れられまい。最初から分かっていた事だ。だから、少し力を弱めた”血”を与えた。下僕が必要だったので、な」
「…なんてことを…!」
「てめぇ…人の命をなんだと思ってやがる!」
「ふっ…我が大望の前には、多少の犠牲は付き物…ま、諸君らには理解できまいが、な。だが、諸君のその強力な霊力と強靱な肉体ならば、あるいは”神の血”を宿せるやも知れぬ。さて、何人残るか…? くっくっく…楽しみだ」
「…それで、何をしようというの? あなたは」
低い、怒りを抑えた声で、真理亜が訊ねた。敵の情報を少しでも引き出そうとしている。
「ほぅ…冷静だな。良い戦士になりそうだ。結構。が、その質問には答えんよ。諸君らは私の単なる下僕となるのだ。余計な情報は要るまい? この小さな機械が、諸君らを下僕に変えてくれる」
京極は親指の先くらいの、奇妙な機械を取り出した。
「…これは前頭葉の働きを制限する機械だ。これを諸君らの脳へ埋め込めば…ここにいる下僕共と同じ、忠実な兵士の誕生だ。その上で、この”神の血”を試す。ま、駄目ならミイラとなって捨てられるだけだがな。せいぜい良い結果が得られるよう、耐えてみてくれたまえ。くっくっくっくっく…」
「…こんド阿呆! ええ加減にしぃやっ!!」
蘭花の怒りが霊力の炎となって、膨れあがった。が、次の瞬間、四肢を縛めている枷が、炎をことごとく吸い込む。何事も起こらない。
「なっ…なんや!?」
「くくくくくく。大した霊力だ。結構、結構。その枷には、霊力を封じるように、我が呪力を込めてある。諸君らの力では破れまい。…しかし封じられてなお、それだけの力が出せるとは…ますます楽しみだ」
楽しげな京極の声が、死刑の宣告のように響いた。
「…さて、自分の置かれた状況は、理解できたかね?では、そろそろ手術の時間だ」
ドッコォォォォォォンッ!
その瞬間、部屋のドアが吹っ飛んだ。近くにいた男達を数人吹っ飛ばす。白銀のオーラに包まれた一朗が、抜き身の小太刀をかざして突っ込んでくる。
「みんなっ!無事か!?」
「せ、センセ!」
「大神先生!」
「先生…お待ちしておりましたわ!」
「先生っ! この枷何とかしてくれ!」
「お兄ちゃん!」
みんなの声を受けて、気合いと共に一朗が小太刀を振るう。白銀のオーラが四方へ飛んだ。
<解呪(>
白銀のオーラが枷に当たると、ぱん、と音を立てて枷が砕け散った。
「な…なにっ!?」
5人の少女達が、ぱっと手術台が飛び降り、一朗の回りを固める。香奈がぼきぼきと両手を鳴らした。
「へっ…! やぁっと出番が回ってきやがったぜ」
美桜は床に転がった布袋から、木刀を取り出す。青眼に構えた。
「もうこれ以上、好きにはさせませんよ! かかってきなさい!」
澄子が携帯用の木長刀を取り出すのと同時に、蘭花が腰から九節鞭(を抜いた。金属製の短い棒を繋いだ鞭で、先端は短刀になっている。中国拳法で使う、暗器(隠し武器)の一つだ。練習用のものなので、短刀は刃引きがしてある。
「降りかかる火の粉は、払わねばなりませんわね。この神崎澄子の舞、ご覧遊ばせ!」
「やっと暴れられるでぇ。あんたら、覚悟しぃや!」
一朗は真理亜に向き直り、懐に収めたエンフィールドを取り出した。
「真理…これは、ばぁちゃんからだ」
「これ…エンフィールド?」
「そうだ…いいか、これはばぁちゃんの言葉だ。みんなも聞いてくれ。俺達は、大切な人を守るために、戦うんだ。みんな、そのことを忘れるな!」
「「「はい! 大神先生!」」」
「くっ…小癪な。かかれぃっ!」
京極の号令と共に、無表情な男達が襲いかかる。その動きは凄まじく早い。
「香奈! 後ろだ!」
「チェストォッ!」
後ろ蹴りが見事に決まる。霊力を帯びた強烈な蹴りが、男を吹っ飛ばす。
「澄子くん! 美桜くんの左!」
「せいやっ!」
気合いもろとも、振るった長刀は男の右肩を撃った。すかさず斬り込んだ美桜が、一刀の下に切り倒す。
「蘭花! 左奥を頼む!」
「はいな! ま〜かしとき!」
蘭花の九節鞭が、うなりを上げて低く旋回する。三人の男達の脛を、骨ごとうち砕いた。
「真理! 右奥の奴!」
「そこっ!」
真理亜の銃弾が突っ込んで来ようとした男の右膝を、正確に打ち抜く。一朗の小太刀が、正面の敵を叩き伏せた。峰を返している。
男達の動きは早かった。が、一朗の的確な指示が、その動きを一歩制して特別生達の勝利を導いた。戦闘能力を失った、黒ずくめの集団が床に転がる。
一朗は、京極をきっと睨んだ。
「貴様の野望もこれまでだ! …覚悟しろ」
「ほほぅ…これほどとは、な。戦闘能力といい、霊力といい、良い素材だ。貴様らが手に入れば、こ奴らに用は無いわ」
京極が薄ら笑いを浮かべながら、床に転がった男の頭に足を乗せる。少し力を込めると、トマトのように潰れた。床に赤い血が広がる。
「ぐっ…な、なんと言うことを!」
「ふっ…甘いぞ。その甘さが命取りと知れぃっ!」
京極の姿が4つに別れる。澄子、蘭花、香奈、美桜が吹っ飛ばされた。4人揃って意識を失う。
「「「きゃぁぁぁっ!?」」」
「な…!?」
いままでの男達の比ではない、凄まじい速さだ。真理亜と一朗は動くことも出来なかった。
「ふっ…。これが神の血を受けた者の力だ。そこいらの下僕と一緒にしないで貰おう」
「…っ!」
一朗が下唇を噛む。この動きには、おそらく付いて行けない。まさか、これほどとは…。
<地底の闇よ。汝の見えぬ鎖もて、眼前の咎人を縛さん>
「くっくっく。残念だったなぁ、大神とやら。貴様も我が下僕となる運命よ」
勝利を確信した京極が、悪鬼の笑顔を浮かべる。もはや、これまでか?
<闇縛鎖(>
京極の動きが、凍り付いたように止まる。とまどいの表情を浮かべた。
「な…なんだっ!? 身体が…身体が動かぬ!?」
状況は解らないが、機を逃すような一朗ではない。最大限の霊力を解放した。
「いくぞっ! 真理!」
「はいっ! お兄ちゃん!」
「我らの絆がある限り!」
「悪の栄える明日は無い!」
「天網恢々、粗にして漏らさず!」
「天の裁きが悪を裂く!」
白銀のオーラと玄(のオーラが溶け合い、幽玄の輝きが生まれた。暖かな波動が広がる。その波動は少女達を包み、京極には逆に刃となって襲いかかった。
「「狼虎滅却! 天下無双!」」
凄まじい波動が二人を中心に、球状に広がっていく。美桜はうっすらと目を開けた。橘先輩と大神先生が寄り添って、霊力を解放している。…先生。小さく呟く美桜の目尻に、ぽつん、と涙が浮かんだ。
二人の霊力が起こした波動は、京極慶次をその野望と共にうち砕いた。
京極のアジトにアイダスジャパン諜報部が到着し、ねぎらいの言葉と共に一朗達を助け出した。あやめが泣き笑いの表情で一同を迎える。
「お帰りなさい! …無事で…本当に、無事で良かった!」
「ご心配をおかけしました。教頭」
一朗の謝罪に、あやめは首を振る。しばらく言葉が出てこない。
「…良くやってくれたわ、大神くん。見事にみんなを守りきってくれたのね」
「いえ…俺の力ではありません。みんなが力を合わせた結果です」
「いいえ。あなたがみんなの力を一つにしてくれたのよ。本当にありがとう」
敵を倒し無傷で特別生達を救った一朗に、賞賛が集まる。特別生達もこの先生を誇りに感じ、輝かしい表情で京極のアジトを後にする。一人、美桜だけが複雑な表情をしていた。
誰もいなくなったアジト。闇の中で柔らかい声が響く。嘲笑を含んでいた。
「半端な騎士だぜ、ったく。デュアルワードスペルなんぞに掛かりやがって…」
ぼっ
オイルライターの炎が大きく揺らめき、秀麗な半顔を闇の中に浮かび上がらせた。声が優しい調子に変わった。
「しっかし、みんな似てやがる。太正に戻ったみてぇだな…。それにしても……」
男のセリフが笑いに溶けた。紫煙を吹き上げながら、にやっと笑う。
「嬉し恥ずかし合体技…か。いいもん見して貰ったぜ。来た甲斐があったな」
マリアはその夜、古いなじみのカフェに出かけた。マスターは代替わりしてしまったが、マリアには古いなじみ客として接してくれる。今のマスターを、子供の頃から知っているマリアは、この店では一種の顔だった。
ちりん
ドアの鐘が涼しげな音を立てた。黒い皮の上下を着た男が入ってくる。京極のアジトにいた男だ。マリアの隣のスツールに、腰を下ろした。
「お久しぶりです、霧島さん」
「おぅ、久しぶり、マリア。相変わらずべっぴんだねぇ」
「いやですね、こんなおばぁちゃん掴まえて。からかわないでください」
マリアが嫣然と微笑む。霧島の言葉通りに、その笑顔は美しかった。霧島がにやっと笑う。
「何言ってやがる。そのおばぁちゃんが、随分と色艶のいい肌してるじゃねぇか。50より上には見えねぇぞ? 孫と並んで歩っても、母親に間違われんだろうが? 恋する乙女は化け物だねぇ。時の流れまで止めっちまいやがる」
くすっ
マリアの微笑みが深くなった。
「昔とまるっきり変わらない霧島さんに、そんなことを言われたくありませんね。霧島さんこそ、時の流れを超えてらっしゃるじゃありませんか」
「俺ぁ特別製だからな…それに、騎士の身体は300年近く持つ。100年くれぇなら、まだまだ青二才さね」
マリアはカクテル、霧島はバーボンを注文する。古い戦友同士が、再会の祝杯を挙げた。静かな時間が、ゆっくりと流れる。
「すまなかったな。大神の葬儀に出れなくて」
「いいえ。…それに、あの人はまだ死んではいません。ここに、生きています」
マリアはまだふくよかな胸を、そっと押さえた。ロケットがそこにある。
「一郎さん、亡くなるときに言ったんですよ。『約束を守れなくて済まない』って。…私、吹き出してしまいました」
「…?」
「私は一郎さんに言ったんです。『あなたは、私にこんな素敵な家族を残してくれました。一生守ってくださいましたよ。それに、たとえあなたの肉体が滅んでしまっても、あなたの心は、私の側に居てくださるんでしょう? 約束を守りきったことを、誇りに思ってください』って」
「…それで? 大神は何て言ったんだ?」
「何て言ったと思います?」
「そうさな…さしずめ『君はゆっくり来て欲しい、決して急がないで、ね』ってところかな?」
霧島のセリフは、大神の今際の言葉そのままだった。マリアの微笑みは花のようだ。
「さすが同期ですね。その通りです」
「お前さん、何て答えた?」
「ふふっ…『ええ、ゆっくり行かせていただきます。素敵な人生を楽しんで、ね。でも、必ずお側に行きますから、素敵な天使が居てもよそ見しちゃ駄目ですよ』って」
「ぷははははっ! 大神の野郎、最後の最後まで釘刺されてやがったか。…罪作りな野郎だねぇ」
マリアと霧島は、ひとしきり大神の思い出話に花を咲かせた。暖かい笑顔を交わし合う。話の切れ目に、ふとマリアが訊ねた。
「…それにしても、どちらにいらしていたんですか?」
「ちょいとジョーカーに帰ってた。宙組の連中連れて、な」
「力を使うのを避けるため、ですか?」
「ああ…なんしろ俺らの力を、国同士の戦争なんぞに使う訳にゃぁいかねぇからな。今でも正直、ヤバいかな、と思わねぇでもねぇが、マリアの頼みじゃしょうがねぇ。俺だけ帰って来たって訳さ」
「みなさん、お元気で?」
「ああ、厭になるほど元気だよ。タキも、相変わらずさ」
霧島は、マリアの顔を覗き込んで、訊いた。
「あの、真理亜って娘、孫なんだろ? 大神の姓を名乗ってねぇのは、なんでだ?」
「ああ…娘が橘の家に嫁いだんですよ。昔のしこりが消えたようで、嬉しかったですね」
「なるほど…ね。大神そっくりな方は、息子の子か」
「ええ。朗くんは、本当に一郎さんに良く似ています。真理ちゃんは、私そっくりですね」
「昔のお前さんらを見てるようだったよ。合体技で決めてやがったぜ。…あの二人、くっついちまうかも知れねぇな」
霧島の言葉にマリアは苦笑する。
「真理ちゃんは、まだまだ子供ですよ…それに、従兄妹同士です。そんな風にはならないと思いますが…」
「何言ってんだよ、法律知らねぇのか? …従兄妹同士ってのぁ、結婚できるんだぜ?」
霧島の言葉に、マリアの目がくるっと丸くなった。
さくら吹雪が舞う中、卒業生達が校庭で最後の挨拶を交わしていた。一朗は人気が高い。たくさんの生徒にもみくちゃにされている。その様子を切ない目で眺めながら、真理亜は卒業証書を胸に抱え、ぼんやりと立っていた。帝劇に努めるようになれば、お兄ちゃんともあまり会えなくなる。そのことが、真理亜の胸を締め付けていた。
「橘先輩! どうしたんですか?」
「あら、美桜。…なんでもないのよ」
「そうですか…? なんだか、切なそうな顔してましたよ?」
どきり
美桜の鋭い言葉に、真理亜の心臓が跳ね上がる。が、色には出さない。さりげなくかわした。
「卒業する、となると、色々懐かしい思い出がいっぱい詰まってて、ね。やっぱり少し切なくなるわ」
美桜はじっと真理亜を見つめた。…違う。やっぱり、橘先輩は大神先生を…そう思った時には、口から言葉が飛び出していた。
「橘先輩、大神先生が好きなんでしょ?」
核心を突く鋭い質問に、真理亜は言葉を失う。しばらくしてから、ようやく言った。
「…従兄のお兄ちゃんだもの、嫌いな訳ないでしょ?」
「本当にそれだけなんですか?!」
真剣な美桜の瞳が、まともにぶつかってくる。真理亜は部活で培った演技力を、フル動員して柔らかく微笑んだ。
「もちろんよ…どうして?」
「…べつに、何でもありません」
美桜が瞳を逸らして、俯く。小さく呟いた。
「…でも、従兄妹同士って…結婚できるんですよね…」
真理亜は美桜の呟きが、聞こえない振りをした。
「本日、1200を持ちまして、アイダスジャパン銀座本部に着任します、橘真理亜、出頭致しました!」
卒業式から一週間が過ぎた。大帝国劇場支配人室で、凛々しい敬礼を決める。支配人席に座った品のいい婦人が、嫣然と微笑んだ。金髪碧眼、この女性もマリアと同じく時を止めてしまっている。
「ようこそ、帝国劇場へ。歓迎するわ。私がアイダスジャパン総司令、イリス・シャトーブリアンよ。…本当に、マリアそっくりね」
「! …祖母をご存じなんですか?」
「ええ。マリアには随分お世話になったわ。…あなたの隊長を紹介するわね。この人も新隊長なの。あなたより一日早く着任したのよ」
総司令はいたずらっぽくウィンクすると、ドアへ声を掛けた。失礼します、と聞き覚えのある声がして、一人の青年が入って来る。
「真理、帝劇へようこそ。…これから、よろしく頼むよ」
「!! …お、お兄ちゃん!?」
してやったり、と総司令の笑いが深くなる。春の始めに動き出した、一つの物語。その展開に嬉しい目眩を覚えながら、真理亜の胸には美桜の呟きがよみがえっていた。
── 従兄妹同士って…結婚できるんですよね ──
End

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