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13
鈍い音とともに切っ先が肉へ食い込む嫌な感触が、金属の柄から伝わってきた。第二の本能にまで鍛え上げた機械的な反射が、長鎗をひねりながら送り出す。
ずぼっ
聞こえない筈のそんな音が、柄から伝わってくる。長鎗(が敵の身体を貫いた音だ。即座に軽くしごくと、血に濡れた長鎗はあっさり敵を放り出した。右手に強烈な殺気を感じる。勘をたよりに右手を振る。
ぶちんっ
切っ先が確かな手応えを伝えてくる。右手の敵の動脈を切り裂いたらしい。ねっとりとした紅い噴出を、反射的に避ける。それが最後だった。
気が付いたとき、レニはただ一人月光を浴びていた。蒼い光に沈んで、同じ年頃の少年や少女が、物言わぬ呪いをレニへと投げかけている。死人の視線が、レニの心に突き刺さった。
「う…うぁ…うぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
── 動揺を鎮めよ、13号 ──
記憶の底に残る、忌まわしい声がレニを凍らせた。無理に止めた感情が、心をきしませる。凍てついた感情が鋭い棘となって、胸に食い込んだ。
この痛みを止めるには、心を眠らせてしまうしかない。
長い訓練によって、レニはその事を良く知っていた。自らを機械と化す。それしか、この痛みに耐えうる手段は無い。
── それでよい。動揺は判断を鈍らす。お前は13号…最強のナンバーを持つ戦士だ。余計な物は要らない ──
余計なもの…?
眠りかけた心が、ぼんやりと疑問を訴えたとき、視界に花輪が浮かんだ。懐かしい、暖かい花輪。アイリスの、大神の心が込められた、帝劇の象徴。それが、みるみるしおれて行く。
心の張り裂ける痛みが、レニをベッドから跳ね起きさせた。
「……夢」
速い鼓動を鎮めるように、そっと胸に手を当てる。全身が冷や汗に濡れていた。しばらく震えていたが、やがて弱々しい声で、そっとつぶやく。
「…頑張らなくちゃ。今日から…稽古だ…」
そう、今日からクリスマス特別公演の稽古が始まる。
「俺が選んだのは…レニです」
大神の宣告を雷鳴のように聞いたのは、3日前の事だ。
おめでとう。きっと素晴らしい舞台になるわ。一緒に頑張りましょうね。みんなで応援するわ。花組の面々とともにそう言いながら、マリアはどうしようもなく落胆する自分を感じていた。
大神に主役を選んでもらおう。演出もしてもらおう。そう言いだしたのは誰だったか。本来、素人の大神にそんな大任を任すのは、狂気の沙汰に近い。にも関わらず、だれも異議を唱えなかった。
公演をいわばだしに使って、大神の気持ちを知ろうとした。公私混同も甚だしい、と言えるだろう。だが、舞台に厳しいすみれや織姫も、普段は口うるさいほど規律に厳しいマリアでさえも、異議を唱えなかった。大神の気持ちが知りたい。それは、花組全員に共通した想いだったから。
だからこそ、それとなく三人娘に花組の意図を伝え、大神に伝わるように画策もした。
誰が選ばれても恨みっこなし。
花組の間で暗黙の協定が結ばれ、特別公演という形にまとまった。表向きは平和になった帝都の人々を勇気づけたい、という事で提案され、米田もかえでも賛成した。もっとも、かえでは花組の意図を見抜いていたようだったが。
そして、結果はこれだ。マリアは選ばれなかった。
輝くようなレニの笑顔が、胸に棘となって突き刺さる。この三日間、切ない涙で枕が濡れなかった事はない。こんな気持ちで、果たして稽古が出来るだろうか…。
今日から、クリスマス特別公演の稽古が始まる。
本読みのときから、マリアには少し違和感があった。レニの表情が暗い。どうしたというのだろう。主役に選ばれたとき、あれほどの笑顔を見せたではないか? まるで…初めて会ったころ、まだ心を開いていないころのような顔をしている。
「アメリア…すまない。最後に…君に会えて…良かった…」
「ダニエル! あぁ、ダニエル!」
「ダニエル、力つきて倒れる」
「ダニエル! あぁ…聖母さま、どうかお恵みを…どうか、どうか…」
「黄金色の光がアメリアを包む。聖母、舞台中央より登場」
「聖母さま!」
「…アメリア、よく、頑張りましたね」
「聖母さま! どうか、どうかダニエルを、お助け下さい! どうか奇跡を!」
「…いいえ、アメリア。私が奇跡を起こすのではありません」
「聖母…さま?」
「…そなたの愛が、奇跡を呼ぶのです。…他人(を想う気持ちが、奇跡を呼ぶのです。汝、強き…者よ。尊き…者よ。そなたのために、奇跡の鐘を…鳴らしましょう。さぁ、御使い達よ…」
「すがしい鐘の音が鳴る。聖母、美しく微笑む。スポットは聖母へ」
「ちょっと待ってくださ〜〜〜〜い!」
「…何かしら? 織姫?」
「今の聖母の台詞ですけど〜、変な間が多すぎませんか〜?」
織姫が不満そうに稽古を止めた。口を尖らせてレニを見やる。
「それに、な〜〜〜んか聖母が無愛想な感じデ〜〜〜ス! どうしちゃったのってカンジ!」
織姫の不満は、マリアにも良く分かった。実際、レニの台詞はもう一つ聖母という感じがしない。他の台詞は問題無いように聞こえるのだが、この台詞だけが、なにか違和感を感じる。だが、口をついて出たのは違う言葉だった。
「…織姫、まだ本読みの段階よ? 役作りに関しては、まだこれからだわ」
「そ、それはそうですけど〜…いつものレニなら、もっと…」
「誰だって、調子の悪いときはあるわ。そうでしょう? それより、本読みを進める事が大切じゃないかしら?」
「う…そ、それはまぁ…そうですけど〜」
「…ごめん、織姫…まだ、役が降りてこなくて…」
「とにかく、本読みを続けましょう。レニも、少しでも早く役を掴んでちょうだい。時間があまり無いんだから」
「う、うん…了解」
だが、やはり聖母の台詞が思わしくない。その日は、本読みで稽古を終えた。
稽古はやがて、立ち稽古に入る。だが、やはりレニの、聖母が奇跡を呼ぶ場面が思わしくない。
「さぁ、御使いたちよ」
すがしい鐘の音のなか、スポットを浴びて立つレニ。だが、その表情はどこか暗い。
「いけませんわよ、その表情はっ!」
すみれの厳しい声がなんども稽古を中断させた。そこには、大神に選ばれた主役がそんな事では…という想いが加わっている。いつも以上に手厳しい声だ。他の花組の面々も、口には出さないが同じ想いを抱いていた。
そんな中、マリアは稽古の進行を慮り、レニをかばう発言を繰り返す。マリア自身、本心では皆と同じなだけに、中を取り持つ行為は神経をすり減らしていく。稽古が進むにつれ、マリアの疲労はたまる一方だった。
どうしてレニはあんな表情しか出来ないんだろう。隊長に選ばれたときは、あんなにも輝くような笑顔でいたではないか。過去の境遇のせいだろうか。いや、隊長に愛されて、それは克服出来た筈だ。そうでなければ、選ばれたときのあの笑顔は…。
レニの笑顔。想い起こすたびに胸に鋭い痛みが走る、幸せそうな笑顔。マリアは激しく首を振ると、シーツを頭から被った。少し涙がにじんでくる。
なんと未練たらしい事か。そう自分を罵倒してみても、胸の痛みが去る訳ではない。こんな心を抱えたまま、表面は取り繕って稽古を進める自分。つくづく嫌気がさしてくる。それもこれも、聖母をきちんと演じられないレニのせいだ…。昏い想念にとらわれていく自分に、マリアはまんじりともせず夜を明かすのだった。
レニの悪夢は続いていた。
13号。最強のナンバー。不吉な数字…その番号で呼ばれ、かつての訓練や戦闘で殺した者たちが現れる。ことごとくを突き伏せ、独り、その恨みを背負う。そんな夢だ。
目覚めるたびに、思い知らされる。自分が辿ってきた道を。こんなボクが、聖母…。レニの心は昏く沈んで行った。
自らの苦悩に沈むにつれ、ますますレニの表情は無くなっていく。ついに、マリアまでもがレニの演技を批判しだした。
「ねぇレニ。どうしてそんなに無表情なの? ここは幸せを分け与える喜びが、あふれているべきなんじゃないかしら?」
「うん…」
「どうしたの? 隊長に選ばれたとき、あれだけ幸せそうな笑顔をしてたじゃない。あの感覚を、思い出してみて」
「う、うん…」
だが、肝心の聖母の台詞に入ると、死者の物言わぬ視線が眼前に迫る。レニの心は引き裂かれそうになった。額を抑えてよろける。
「レニ!」
「レニ! 大丈夫!? しっかりしなさい!」
「だ、大丈夫…ちょっと、めまいがしただけ…」
マリアは、しばらくレニの様子をみつめていたが、やがて大きく息を吐き出した。
「しばらく休憩にしましょう」
「で、でも…」
「いいえ、休憩よ。レニ。良く考えて、早く役を掴んで頂戴。もう時間が無いわ」
「…了解」
そういうレニは、いつもの…いや、心を開く以前のレニと、変わりなく見えた。マリアは思わず罵声を漏らしそうになる。どうしてそうなの? 何でそんな冷静な顔が出来るの? あなた事態を分かってるの? 技術だけじゃ、お客さまを感動させることは出来ないのよ! 隊長に選んでもらったんでしょう? しっかりしなさい!
ぎりっと奥歯を噛みしめ、ようやく罵声を押しとどめた。しばらくの休憩の後、稽古が再開される。だが、その日もレニの演技は思わしくなかった。
その夜、レニの部屋へノックの音がした。
「…誰?」
「遅くにごめん、ちょっといいかな?」
「…隊長…?」
ゆっくりとドアが開けられ、うなだれたレニが顔を覗かせる。
「レニ…」
「ごめん、隊長…そ、その…なかなか、演技が上手くいかなくて…」
「そんな話をしに来たんじゃないよ、レニ。ちょっと、いいかな?」
レニは脇へ寄った。大神が中へと入る。寒々しい室内に、大きなベッドが一つ。暖かそうな布団が掛けてある。戦闘機械としての訓練を受け、横たわることは死を意味していたレニにとって、帝劇へ来て大きく変わった調度の一つだ。
壁には、花輪が一つ。ドライフラワーにして、飾ってある。アイリスとの友情、大神との心の絆を記念する、レニの大事な宝物だ。寒々しい室内で、ほとんど唯一の装飾品だった。これを目にするとき、レニと初めて心を通わせた時を思い出して、大神の顔は自然とほころんでしまう。
そのまま優しい視線をレニへ向け、ベッドを指して首を傾げてみせる。レニは軽く頷き、二人はゆったりとベッドへ腰を下ろした。大神は、ゆったりとレニの顔をのぞき込み、微笑む。
「…レニ。もしかして、何か悩んでる?」
「えっ…」
「最近のレニを見てると、なんだかそう思うんだ。良かったら、話してくれないかな?」
「ど、どうして…」
「レニは、何か悩んでるよ。大好きなレニだから、俺には分かるんだ」
レニはつま先へ視線を投げた。確かに、悪夢に悩まされ続けている。だが…。
過去の自分を知られたくない。
強烈にそう思った。あの死人たちの視線。ボクは、確かにあれだけの命を奪ったんだ。不吉な番号を背負わされた、呪われた子。このことが隊長に知れたら、きっと隊長はボクの事を嫌いになっちゃう。そんなボクが、聖母の役だなんて…。
「別に、問題ないよ」
「えっ…?」
「別に、問題ない」
「れ、レニ…」
「ちょっと役が掴めないだけ。今までやったことの無い役だから。でも、大丈夫だよ」
「…本当かい?」
「うん。問題ない」
きっぱりと言い切り、大神へと視線を合わせる。今までやったどんな役よりも、演技力を必要とした。
「…もう、帰って。休むから。…こんな時間に、女性の部屋に隊長がいるのは、不謹慎だ」
「え? あ、そそ、そうだね。…分かった」
なぜ不謹慎なのか、意味も分からぬままにレニはそう言い、大神を狼狽させた。部屋から送り出すためだ。去り際、大神はそっとレニの頬に手を当てる。隊長の指、あったかい…思わずその指に手を添えた。
「お休み、レニ。…遅い時間に済まなかった」
「うぅん。…ありがと、隊長…」
暖かい隊長の指。この温もりがあるかぎり、ボクは悪夢になんか負けない。
だが、その夜も、悪夢はレニを襲った。
「どうしてそんな表情しかできないのっ!」
マリアの大きな声が響く。稽古は、衣装をつけての立ち稽古に入っていた。レニを見つめる碧の瞳は、憎しみすらたたえている。
そんなしゃらっとした顔をして。一体何を考えているの? 隊長とみんなで作るこの舞台を、台無しにする気なの? マリアの怨嗟にも似た想念は、今や胸を圧迫していた。
駄目だ。このままでは、この胸の内をそのまま吐き出してしまう。そうなれば、何もかもぶち壊しだ。自制心を全開にして、ようやく言葉を押し出した。
「…稽古を続けましょう」
重苦しい雰囲気の中、稽古は続く。誰もが、疲れ切っていた。長い、長い稽古が終わる。一同はぐったりと食堂へ向かった。さすがのカンナも、どんぶり飯一杯を平らげるのが、やっとなほどだ。
このままではいけない。マリアは、ようやっと夕食を終えると、隊長室へと足を向けた。
「隊長、マリアです。ちょっとよろしいでしょうか」
「あ、マリア? うん、鍵は開いてるよ」
「失礼します」
マリアの堅い表情をみて、大神はため息をついた。大神にも、苦悩と疲労の色が濃い。そんな大神の表情は、マリアを悲しみに沈ませた。すみません、隊長。私たちの力不足のせいで…。レニさえ、もっとしっかりしてれば…。
「えっと…用事は何だい?」
大神の声は、マリアの昏い想念を止めた。意を決して、マリアは深い黒瞳を見つめる。低い声で切り出した。
「…単刀直入に申し上げます。レニの配役を変えてください」
「えっ?」
「レニの配役を変えてください、と申し上げています。…今のレニには、聖母役は無理です」
大神の驚いた表情は、ゆっくりと引き締まっていった。まるで戦闘時のような、厳しい顔つきへと変わる。本気で言ってるのかい? どうしてレニでは駄目なんだ? そもそも、俺に配役を選ばせたのは、君たちじゃないか。大神の様々な厳しい言葉を予想して、マリアは緊張に身を固めた。全部、答えは用意してある。感情的にならないように、うまく伝えなければ…。
大神の言葉は、完全に予想を裏切った。
「マリア。君は…君たちは、本当にそれでいいのかい?」
「は?」
「俺は舞台には素人だ。舞台のプロの君たちがそう言うなら、俺は配役を変更するのも、やむを得ないと思う」
「た、隊長…」
「でも、本当にそれでいいのかい? きっと、他の誰かが聖母になれば、舞台は成功するだろう。今の時間が無い状況で、もしかしたら唯一の選択かも知れない。でも…本当にいいのかい?」
大神の問いかけは、マリアの胸を突いた。隊長に主役を選んで貰おう。私たち花組の中で、一番好きな人を選んで貰おう。その誰かさえ決まれば、みんなで二人を応援できる。それは、すごく幸せな事ではないか。その気持ちは、きっとお客さまにも楽しんでもらえる舞台へと繋がるはずだ…クリスマス公演を志した、一番最初の花組の想いを、大神の問いかけは正確に突いていた。
言葉を失うマリアに、大神は表情を和らげた。
「俺はね、マリア。最初、主役選びをしろ、舞台演出もやれ、と言われたとき、とても無理だと思ったんだ…」
「隊長…」
「だって、俺から見ればみんな素晴らしい女優さんたちだ。誰が主役をやったって、決しておかしくない。台本を読めば読むほど、その感じはますます強くなった。素人の俺が口を出せるレベルじゃ無いよ」
「……」
「みんなが舞台で輝くためには、どうしたらいいだろう。それが俺の選択一つで決まってしまう。そう考えると、責任は重大だし…とても俺には無理だと思ったんだ。なんど辞退しようかと思ったか知れない。選ばれなかった人の気持ちを考えると、なおさら選べない。そんなとき、かすみくんが一つアドバイスをしてくれたんだ」
「……」
「一番好きな人を選べばいい。かすみくんは、そう言ってくれた。それで、俺は謎が解けた気がしたんだ。きっとみんなは、はっきりしてくれ、と俺に言ってるんじゃないか、ってね」
「……っ!」
「俺の態度は、確かに曖昧だったと思う。優柔不断、って言うのかな。そういう感情を部隊に持ち込むのは、公私混同だと思っていたし…ま、これは言い訳なんだけどさ」
「……」
「正直、態度をはっきりさせるのが怖かった、という事だね。俺はそういう意味で、少々軟弱だったと反省もした。だからみんなの気持ちが宙ぶらりんになって、大切なみんなを却って傷つけていたのかも知れない。だから…これだけは、この仕事だけは絶対に引き受けなくちゃならない。そうも思った」
大神の瞳が、マリアを真っ直ぐ射抜いた。
「俺は、レニが好きだ」
ひゅっ、とマリアの喉が鳴る。大神の瞳に動揺は無い。
「それを、みんなが祝福してくれるかどうか。それが、この公演を成功させられるかどうかの、鍵になる。俺はそう思ったんだ。主役発表の場を見る限り、それは大丈夫だと思っていたんだけど…」
大神が、辛そうに視線を落とした。マリアの表情も、辛そうに歪む。やがて、言葉押し出すように、マリアが口を開いた。
「…けれど、レニには、隊長のお気持ちは通じていません。隊長が、そこまでお考えくださったのに…残念です」
大神の目が、くるっと丸くなった。素っ頓狂な声を出す。
「通じていないって?!」
「…残念ですが、そうとしか思えません。レニのあの無表情さは、以前のレニのよう…」
「無表情!? だって、レニはあんなに苦しそうにしてるじゃないか」
レニが苦しんでる? 今度はマリアが驚く番だった。あんなに無愛想で、無表情で…一体何を考えてるか、分からない顔をして。隊長は、レニをどう見ているのだろう。
「レニは、確かに苦しんでいるよ。何か、悩みがある筈なんだ。あんなに、顔に表情が無くなるくらい…それをどうしてか、俺にうち明けてくれないんだ…」
大神の顔が苦悩に沈む。その表情が、マリアには堪らない。思わず声を荒らげた。
「それなら、余計ですっ! レニだって隊長を一番信頼している筈です! それなのに、隊長に隠し事をするなんて…私には、そんなレニが聖母役に居ることが、納得いきませんっ!」
怒りに燃える碧の瞳が、悲しみに満ちた黒瞳とまともにぶつかる。吸い込まれそうな瞳に、マリアははっとした。自分の中にある、黒い心…嫉妬心。それを見透かされそうな気がして、思わず目を逸らす。
「…とにかく、申し上げたいのはそれだけです。ご検討ください」
投げつけるような言葉を残し、マリアは逃げるように隊長室を後にした。
隊長室から自室へ戻ったマリアは、そのまま閉じこもってしまった。感情的にならないように、色々と考えていたのに…結局、大声を出してしまった。隊長はなんと思っただろう。他のみんなや、隊長と顔を合わせる気にならない。もう、今日はこのまま部屋に居よう。誰とも顔を合わせないように、時間をずらして風呂へ入り、逃げるように自室へ戻った。
集中出来ない読書を無理矢理続け、どうにか時間をやり過ごす。なんと時計の針の進みが遅い事か。ねじを巻き忘れたんだろうか? やがて見回りの時間となり、心配そうな大神の声をドア越しに聞いた。もう休みますので。見回りご苦労さまです。
一応ベッドへ入ったものの、眠れるはずもない。あきらめてシーツを巻き付け、窓際から中庭を眺めた。蒼い月光に沈んだ中庭は、いつも見慣れている中庭とは、別物に見える。と、視界に人影がよぎった。
酔ったように歩く小柄な人影…レニ!? 一体、こんな時間に何を…? 考えるより早く、身体が動いた。手早く下着を身につけ、コートを羽織る。
中庭へ出ると、レニが虚ろな表情でふらふらと彷徨っている。ぶつぶつと何かを呟きながら歩くその姿は、明らかに異常だった。
「レニ!? レニ! どうしたの!? しっかりしなさいっ!」
「違う…ボクは、ボクは…」
「レニ…一体、どうしたの?」
「ボクは…もう…13号じゃないんだ…」
「レニ、一体何を言って…しっかりしなさいっ!」
強く揺すぶると、ようやくレニの瞳に意志が宿った。夢から覚めたような表情で、周りを見回す。
「マリア…あれ? ここは…」
「中庭よ。一体どうしたの?」
「分からない…ちゃんとベッドで寝てたのに…」
夢遊病、という単語がマリアの脳裏に明滅した。取りあえず、レニを自室へと連れて行く。暖かいココアを淹れ、レニへ勧めた。落ち着くのを待って、口を開く。
「一体どうしたの? …なにか、あった?」
「…べ、別に…なんでも…」
「何でもない訳無いでしょう!? 一体何があったの?!」
つい声を荒らげてしまった。レニの瞳から、大粒の涙がこぼれ出す。レニは何か苦しんでいるよ。大神の言葉が、マリアの脳裏に響いた。かける言葉を失ってしまう。
「その…隊長も、随分心配なさっているわ。もし私で良かったら、話してくれないかしら?」
隊長、という言葉がそうさせたのか、レニは自分を抱きしめ、小刻みに震えだした。
「隊長には…隊長には…知られたくない…」
「…一体、どうしたの? レニ…」
「隊長に…知られたら…きっと、きっと、嫌われちゃう…」
レニの消え入りそうな声が、マリアの胸を締め付けた。このレニが、ここまで…きっと、よほどの事があったに違いない。どうにかなだめすかして、夢の事を聞き出した。
「…13号?」
「そう。ボクはずっとそのナンバーで呼ばれていた。たくさんの人を傷つけ、たくさんの命を奪ってきた。ボクの倒した敵が、夢の中で何度も現れるんだ…ボクを…ボクを…呪うんだ…」
感情を噴出させ、泣きじゃくるレニはあまりにも幼く、可憐に映った。思わず抱きしめてしまう。
「こんな…こんなボクが聖母だなんて…きっと、隊長はがっかりしちゃうよ…。嫌いになっちゃうよぉ…」
レニの苦しみは、マリアには痛いほど分かった。ほんの少し前まで、似たような過去に苦しんでいたのだ。大神の励ましでどうやら乗り越えられたとは言え、まだまだその苦しみは生々しい記憶がある。
それを、こんな少女が…痛ましさに、マリアの腕が力を増した。嗚咽が弱まるのを待って、ゆっくりと話しかける。
「大丈夫よ、レニ。隊長は、そんな事であなたを嫌いになったりしないわ」
「……本当?」
「えぇ。本当よ。大丈夫。隊長は、あなたが一番だと思ったから、聖母に選んだの。それを簡単に変えるような隊長じゃないわ」
「でも…」
「ん? …なぁに、レニ」
「ボクは…不吉なナンバーを背負わされて…」
「…どうして、不吉だって思うの?」
「13…キリストを裏切ったユダを表すとされ、キリストの処刑の日でもあるところから、不吉とされる番号…」
「ん…そうね。そういう説もあるわね」
「…違う説があるの?」
「ねぇレニ。もしも裏切り者のユダを表す番号だとしたら、どうしてヴァックストーム組織の人間は、それを最強のナンバーにしたのかしら?」
「……分からない。分かりたくもないよ」
「13という数はね、畏れ多い数だとする説もあるのよ」
「畏れ多い?」
「えぇ。イエス様の弟子は12人だったわよね? つまり、イエス様が13番目。主、そのものを表す数字とする説もあるの。みだりに使うのは、畏れ多いってわけね」
「……」
「レニ。あなたにとって、確かに忌まわしい番号だったかも知れないわ。でもね。確かに最強の数とする説もあるのよ」
「…だからって、ボクのしたことは…」
「あなたは、隊長にとっても一番なのよ」
「…え?」
「隊長は、きっとあなたが一番好きだから、あなたが隊長の一番だから、あなたを選んだと思うの」
「……そう、かな…」
「えぇ、きっとそうよ。そのあなたが、一体何を苦しんでるのか、隊長は分からない。ねぇ、レニ? 一番大切な人が、何を苦しんでるのか分からないなんて、辛い事だと思わない?」
「……」
「大丈夫。隊長は、決してあなたを嫌いになったりしないわ。あなたの悩みを何もかも、隊長にぶつけてご覧なさい? きっと、隊長はあなたを勇気づけてくれるはずよ」
「……」
「隊長に、どんな気持ちであなたを選んだか、聞いてごらんなさい? そして、早く私たちの聖母になって。聖母が居ないと、天使は奇跡の鐘を鳴らせないわ」
「………うん。わかった」
ようやく涙の乾いたレニを送り出し、マリアは閉じたドアを見つめた。その微笑みには、もはや何の影も無い。ただレニと大神の幸せを願う、穏やかな微笑みだった。
ややあって、マリアははっとした表情になる。…まさかと思うが、こんな夜中に隊長室へ行くだろうか? いや、直情径行のカンナじゃあるまいし、レニがそんな事は…。だが、どうにもそのまま行っていそうな気がして仕方ない。マリアは首を一つ振ると、立ち上がった。…大丈夫、コートは身につけている。
足音を殺して隊長室の前まで来ると、花組の面々が鈴なりになっていた。全員、寝間着姿だ。あやうく大声を出しそうになるのをぐっとこらえ、小声で厳しい声を出した。
「な! …何をしてるの? あななたたち」
「ま、マリア…!」
「一体こんなところで、何をしてるの? カンナ…」
事と次第によっては、とマリアが眉を怒らせるのを、なだめるようにカンナが手を振った。
「マリア、静かにしてくれよ。レニがこんな夜中に隊長の部屋へ入ったんだぜ? 気になるだろう?」
「そ…だ、だからってこんな…」
「まーまー。マリアだって気になるから、出てきたんだろう?」
「そ…そんな、私は…」
「いいから、いいから、分かってるから」
「ちょっと静かにしてんか。「ききみみくん」は調整が微妙なんやさかい」
「こ、紅蘭! そ、そんな機械まで…もが…」
カンナが凄い力でマリアの口を塞ぐ。少しもがいて見せるが、とても敵う力では無い。そうこうする内に、ききみみくんとやらが部屋の様子を伝えて来た。マリアまでもが思わず聞き耳を立ててしまう。
<…隊長、あと、一つだけ。どうしてボクを選んだの?>
<…レニ…>
<こんな夜中に、ごめん。でも、どうしても聞きたいんだ。答えて、隊長…>
大神の足音。衣擦れの音。レニの、吐息を漏らす音。…どうやら大神は、レニを抱きしめたらしい。
<…レニ。それを、俺に聞くのかい?>
<た、隊長…>
<レニ。さっきも言ったように、俺はレニのすべてを愛してるんだよ。過去も含めてね。もしも悪夢が君をくるしめるなら、俺が全部その夢を変えてあげる。レニが一番大事なんだ>
<…っ>
<俺は、花組のみんなが、全部幸せになって欲しい。そのためなら、俺の命をかけたって構わないと思ってる。…でもね、俺がこの手で幸せにしてあげたいと思うのは…レニ、君なんだ…>
<た、隊長ぉ…>
レニの潤んだ声は、震えていた。
<レニ。俺と一緒に生きて欲しい。君を幸せにできなくて、どうして他のみんなを、大切な仲間を守って行く事ができる? 俺とレニが幸せになれば、きっとみんなだって祝福してくれると思うんだ。暖かい帝劇が、より一層あったかくなる。俺はそう思って、君を選んだんだよ>
<……>
<レニ。二人で、帝劇を楽しいわが家にしようよ。…協力してくれるね、レニ>
<…り、了解…>
楽しいわが家。スイートホーム。花組は家族。切れ切れに聞こえてくるそんな言葉が、聞き耳を立てているみんな心に、暖かい灯火を灯す。ほんの少しの切なさと共に、全員が胸を押さえた。
ききみみくんが、二人が口づけた気配を伝えて来た。花組全員の神経が、小さなスピーカーへ集中する。だ、駄目です、隊長っ! それ以上は…お気持ちは分かりますが、レニはまだ少女なんですよっ!
<…さぁ、レニ。もう遅いよ。そろそろ休むんだ>
<う、うん…り、了解…>
<送っていこうか?>
<平気…ありがと、隊長>
花組全員が、ほっと息をついたのもつかの間、レニの足音がドアへ近づいて来た。訓練中にもやった事の無いような身のこなしで、音もなく花組の姿が消える。
扉を開け、レニが顔を覗かせた。続いて、レニの肩をつつむように抱いた大神も、姿を現す。
「じゃぁ、隊長、遅くにごめん」
「いいんだよ、レニ。じゃ、お休み…」
「うん、お休みなさい」
扉が閉まると、そっと胸に手を当て、レニはため息を吐き出した。ふと、何かの気配を感じて、首を傾げる。が、すぐに幸せそうな笑顔のまま、自室へ戻っていった。
「いや〜〜〜、冷や汗かいたぜ…でも、良かったなぁ、レニ」
「レニ、幸せそうでしたね…うらやましいな…」
「でも、レニが幸せなら、アイリス嬉しいよ」
「せやなぁ…それにうちら、家族やもんな…大神はん、えぇ事言わはるわ」
「これで、聖母役も上手く行くですね〜…良かったで〜す」
口々にそうささやく面々の背後で、低い声が響いた。
「…その稽古に差し支えるわよ。これ以上夜更かしすると…」
麗人の碧の瞳が、囁き合う花組を凍らせた。そそくさと自室へ引き取っていく。やれやれ、とため息をつき、マリアを自室へ戻った。いつか、マリアの顔にも、柔らかい微笑みが浮かんでいる。
その日花組全員が、安らかな眠りの中で楽しい夢を見た。
そして、幕は上がった。
出世のために自分を捨てた男を、しかし女は恨むことなく、幸せを願い続ける。時折くじけそうになる女を、聖母が勇気づけた。銀の髪をした、清らかな少女のような聖母。慈愛に満ちたその微笑みは、観客を釘付けにした。
聖母は天使達へ言う。
「あの者こそ、奇跡の鐘を鳴らすにふさわしい者です」
答えて天使は言う。
「人の子の心は移ろい易き物。今少しご自重ありますよう」
やがて男は没落する。女は噂を聞きつけ、必死に男を捜し出そうとした。やがてクリスマスの夜、路傍で果てようとしている変わり果てた男を見つける。
「アメリア…すまない。最後に…君に会えて…良かった…」
「ダニエル! あぁ、ダニエル!」
苦しい息の下から、男はようやくそれだけを伝えると、がくりと力つきた。
「ダニエル! あぁ…聖母さま、どうかお恵みを…どうか、どうか…」
天から黄金色の光が射し、男と女を包んだ。神々しく逆光を背負い、聖母が姿を現す。
「聖母さま!」
「…アメリア、よく、頑張りましたね」
慈愛に満ちた聖母の声は、表情が見えないにも関わらず、観客を魅了した。
「聖母さま! どうか、どうかダニエルを、お助け下さい! どうか奇跡を!」
「…いいえ、アメリア。私が奇跡を起こすのではありません」
「聖母…さま?」
「そなたの愛が、奇跡を呼ぶのです。他人(を想う気持ちが、奇跡を呼ぶのです。汝、強き者よ。尊き者よ。そなたのために、奇跡の鐘を鳴らしましょう。さぁ、御使い達よ!」
すがすがしい鐘の音が、劇場一杯に響き渡る。暗転した中で黄金色のスポットが聖母を照らした。そこには、慈愛と幸福に満ちた神々しいまでの微笑みを浮かべたレニが居る。胸前で指を組んだレニの至福の表情は、観客の心へ焼き付いた。
「今宵、すべての人へ。メリー・クリスマス」
聖母の声を合図に、7人の天使が天から舞い降りる。息を吹き返した男と、奇跡を目の当たりにした女がひしと抱き合った。女の流す涙は、観客の流す涙と溶け合う。
花組の歌声がわき上がった。
誰もいない街角に立つ あなたと私の間に粉雪が舞う…
願い事がひとつだけあるの 今日は特別な日 だからきっと奇跡が起きる…
一夜だけの特別公演は、万雷の拍手の中で幕を閉じた。
続く打ち上げは、レニの誕生祝いを兼ねて、絶好調の盛り上がりを見せた。みんなが楽しく笑っている。大神の優しい微笑みが、レニに多く向けられるのに気づいても、少しも胸が痛まない。むしろ、遠慮して離れているのが、もどかしく思えるほどだ。
カンナは、ぐいぐいと大神をレニの隣へ押しやり、アイリスはあからさまにレニの背中を押した。そんな様子を、さくらまでもが楽しそうに笑って見ている。もっとも、さくらの目の縁には、ぽつんと涙が浮かんでいたが。
やがて、大神が酔い覚ましのために席を立ち、その後をそっとレニが追っていっても、花組全員が見て見ぬふりをした。
「隊長…ここにいたんだね」
「あ、レニか…ちょっと、酔い覚ましにね」
「あの…隊長…その…」
「ん? なんだい、レニ?」
「そ、その…ちょっと…行きたいところが、あるんだ…その、よ、良かったら…連れてってくれない?」
「え? で、でもこんな時間だよ?」
折良く通りかかった米田に特別許可を貰い、二人は夜の街へと出ていく。宴席に帰った米田がその事を告げても、花組は笑って顔を見合わせるだけだった。やがてお開きになり、それぞれ自室へと帰っていく。何か暖かく、柔らかく、そしてちょっぴり切ない物で胸が一杯になり、それ以上宴を続ける気になれなかった。
マリアは、なんとなくテラスへ足を向けた。そっとつぶやく。
「…幸せにならないと、承知しませんよ? 隊長…」
雪の降り出したテラスで、マリアは深夜の銀座を見下ろした。積もり始めた雪は、みるみる町並みを白く化粧していく。ようやくすべてが、収まるべきところへ収まった。そんな安堵に、唇がほころんでいる。
ふと、人気の無い街角に、人影が湧いた。
大小二つの人影は、小さい方に手を引かれ、大きな方が楽しげについていく。…隊長と、レニだ。
雪に足を取られたのか、大神が転びそうになる。レニが慌てて支えようとした。大神が、丁度よりかかるような格好になり、レニをその腕の中にすっぽりと抱え込む。
そのまま、しばらく動かない。レニの表情は手に取るように分かった。目を丸く見開いて…頬の紅潮は、決して寒さのせいではない。
「ご、ごめん、レニ…」
「う、うぅん、いいよ…大丈夫」
「す、すまないね、ちょっと足場が…よし」
しばらく足場を探っていた大神は、ようやく体勢を整えると、レニを離した。レニの表情が、少し残念そうに見える。
「済まなかったね。大丈夫かい? どこか怪我とかしてない?」
「うん、平気…その…あの、隊長…」
「うん? なんだい?」
「もうちょっと…その…あ、あったかかったから…」
はにかんで俯くレニは、とても愛らしい。おそらく大神は、やさしい微笑みを浮かべているに違いない。マリアの頬にも、同じ微笑が湧いた。
大神がかがみこみ、すっぽりとくるむようにレニを抱きしめる。目を閉じたレニは、とても幸せそうに微笑んでいた。やがて、二人の影が仲良く街角へと消えて行く。なにか、暖かい気持ちで一杯になり、マリアは夜空を見上げた。
白い雪が天の彼方から舞い降りてくる…天使のように。
マリアは、自然に胸の前で指を組み合わせていた。レニの微笑みが絶えませんように。隊長が幸せでありますように。みんなが、二人を微笑んで見守っていられますように。どうか…どうか…。
気が付くと、他人の事ばかり祈っている。そんな自分が誇らしく思えた。
ありがとうございます。私は、他人の事を祈れるほど、強くなれたんですね。隊長と、みんなのお陰です。
今宵、すべての人へ。メリー・クリスマス。
Fin.

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