杜氏の流派と分布                                       



杜氏数の減少は著しいが
地元の味を守る貴重な存在

青森県で八戸周辺の南部地方と並んで酒造りが盛んな北部の津軽地方。
津軽杜氏のほとんどは、この地方の弘前出身者で、地元で酒造りに励んでいます。
杜氏の数は少なく、昭和60年代には10名いた杜氏も、現在はわずか5名。
そのため、青森県には南部杜氏を中心とするほかの地方の杜氏が多く見受けられます。


南部杜氏に次ぐ
東北を代表する杜氏

山内杜氏組合は、杜氏数43名、全組合員数358名と、東北で南部杜氏に次ぐ規模を誇ります。本拠地は秋田県山内村。組合員は現在、秋田県のほか京都、静岡、栃木、福島、山形の各都道府県に就労し活躍しています。特に秋田県は醸造場中、その大部分が山内杜氏で占められ、銘醸造地秋田の繁栄の蔭に同杜氏の多年にわたるたゆみない努力の結集があります。


杜氏数は全国最多
酒造り盛んな岩手の杜氏

越後杜氏・丹後杜氏と並んで日本3大杜氏と呼ばれる杜氏集団。杜氏の数は372名と全国最多を誇ります。ほかの酒造従事者を含めると約1300名。最盛期の昭和40年には、3200名が加盟していたといいます。南部杜氏のふるさとは、岩手県の石鳥谷町。県内でも優良な穀倉地帯として名高く、酒造りも盛んです。

福島県で唯一の
組合を有する地元杜氏

福島県の酒造地は、阿武隈川沿いの中通り地域、太平洋側の浜通り地域、会津地域の3地域に分けられます。近隣である岩手県の南部杜氏が多いのですが、会津では地元の杜氏も近年増えて、杜氏の育成を目的に平成元年に組合が結成されました。現在は杜氏6名を含め全39名が所属しています。

全国各地で活躍する
酒どころ新潟の名杜氏

日本3大杜氏のひとつである新潟の越後杜氏は、杜氏数も281名と岩手の南部杜氏に次いで全国第2位。はじめて組織が結成された昭和33年当時は900名を越えていたそうです。出身地は三島群寺泊野積をはじめとする県内各地。地元新潟で盛んな酒造業を支えているほか、全国21の都道府県で銘酒を造り出しています

近江・山城からはじまり
アジアでの活躍実績もあり

石川県の能登半島が本拠地。昔から出稼ぎ労働者が多い土地でしたが、江戸時代頃には酒造りを行うものを「能登衆」と呼び、ほかと区別していたといわれています。多くの酒造職人を近江・山城地方に送り出し、明治中期に入ると北海道や樺太、朝鮮・満州・シンガポールにまで進出しました。現在に杜氏数は85名。

福井県大野が本拠地
杜氏のほか精米士でも有名

戦後、おもに京都の伏見や愛知の半田の酒造業社に出稼ぎに行っていましたが、昭和23年に初の組合が誕生。その後、就労先も関東から関西・中国地方までに広がりました。当時は、精米士を中心とした組合として知られていたそうです。現在では人数が減少し、杜氏はわずか3名、全組合員数は43名となっています。

大正時代に育成を開始した
諏訪(すわ)、小谷(おたに)、
飯山(いいやま)の3杜氏

それぞれの地名をつけた諏訪杜氏・小谷杜氏・飯山杜氏が長野県の杜氏です。もともと長野県には地元の杜氏がおらず、越後杜氏や広島杜氏を雇い入れていました。しかし、大正8年に県による杜氏の育成がスタート。そのとき生まれたのが上記の3杜氏です。3者は昭和25年に合同で杜氏組合を結成。現在杜氏は49名です

県外の杜氏が多い京都で
地元の酒を醸す貴重な存在

京都では兵庫の但馬杜氏や新潟の越後杜氏など県外の杜氏が多く見られますが、京都の地元の杜氏といえば、丹後杜氏。出身地は竹野群丹後町で、明治41年に組合を結成し、研修や品評会などの活動にも積極的です。現組合員数は杜氏4名を含め全27名。少数ながら地元の酒造りに貢献しています。

山と農地にあふれる
兵庫県南但地方の出身

兵庫県但馬の南に位置する山間部を本拠地としています。大正10年に朝来群酒造組合を発足。戦争によって一時活動が中断されましたが、昭和23年に再開され、その後周辺地域の加入も増え、昭和38年の全盛期には杜氏45名、酒造業従業員1836名で酒造りにいどんできました。現在は南但杜氏組合とした活動が行われています。杜氏は7名、ほかの酒造業従事者を含めた全組合員数は70名。

灘の酒を醸して250年
酒造界の中心的存在

ある記録に「宝歴5年(1755年)、篠山曽我部の庄武右衛門が池田の大和屋本店の杜氏となった」という記録があり、これが丹波杜氏のはじまりといわれています。江戸の時代から名高い灘の銘酒を支えるのは、この丹波杜氏。現在、杜氏数は55名。日本3大杜氏のひとつにも数えられています。

昔は満州、朝鮮まで出向き
酒造りを率いた実績を持つ

岡山県にはかつて倉敷市児島に杜氏がおり、児島杜氏と呼ばれていました。しかし、その後杜氏の数は次第に減り、それにかわって現在の岡山県西南部の笠岡市寄島町、成羽町という昔の備中地区に杜氏が多くなり、明治20年頃には100名を数え、このころ備中杜氏と名付けられました。備中杜氏組合は明治30年頃に組織され、次第に勢力を拡大し、大正14年頃には杜氏数が500名を越えるまでとなりました。全盛期には関西地方や遠く満州、朝鮮にまで出稼ぎに出かけていたと伝えられています。昭和10年代にも杜氏は350名ぐらいはいたといいますが、現在では27名に減少し、全組合数も87名です。

軟水醸造法を開発した
三浦氏が育成した杜氏

明治30年に「軟水醸造法」を発明したことで知られる三浦仙三郎氏。軟水か中硬水である広島の水で造る酒にマッチしたこの醸造法で、広島の酒の質は向上しました。同年、氏は杜氏育成の必要を感じて、三津村の杜氏を中心とした杜氏組合を発足。これが、現在54名の広島杜氏のはじまりです。

島根の沿岸沿いの町が拠点
3つの杜氏が一致団結

明治・大正時代は、浜田市美浜地区に美浜杜氏、同周布(すふ)地区に周布杜氏、益田市喜阿弥地区に喜阿弥杜氏があり、それぞれ農、漁業の副業として酒造りを行っていました。これらが団結して、昭和初期に組合を発足。当時は周布杜氏の名を総称としていましたが、現在は石見杜氏と呼んでいます。杜氏数は5名。

日本海沿いの目置町が拠点
山口県内を中心に活躍

山口県の北西部、日本海を臨む大津郡日置町(ひおきまち)を拠点とする杜氏集団。日置町は肥沃な平野に恵まれ、稲作の盛んな地域ですが、そのかたわら、酒造業に携わる者を多くかかえています。就労先は、地元をはじめとする県内各地の酒蔵が中心。杜氏組合は杜氏22名、その他の酒造従事者70名が属しています。

高知県の3地域の杜氏が
昭和中期に統合

かつて高知県には、加美(かみ)郡・安芸(あき)郡・幡多(はた)郡の3つの地域に別々に杜氏組合が存在していましたが、昭和25年頃に3つが合併。現在は高知県杜氏組合として結束しています。一般的な呼称は土佐杜氏。大正末期には3つをあわせると組合員数は500名を超えていたといわれますが、現在杜氏4名を含め、全65名です。

越智(おち)・伊方(いかた)
の両杜氏が活躍
四国一の杜氏の宝庫

四国の3大杜氏は越智杜氏・伊方杜氏・土佐杜氏。そのうち、前者ふたつは愛媛県出身です。越智杜氏は越智郡宮窪町、伊方杜氏は西宇和群伊方町を拠点とし、それぞれ技術の向上を目指して越智郡杜氏組合、西宇和群杜氏組合を結成しています。杜氏の人数は、それぞれ9名、22名。県内を中心に活躍しています。

九州の酒造りは
九州の杜氏が中心

福岡県南部の柳川(やながわ)杜氏、三潴(みずま)杜氏と久留米杜氏が地元をはじめ九州各地で酒造りを行う九州の中心的存在。このほかには、福岡の芥屋(けや)杜氏、佐賀の肥前・唐津杜氏、長崎の小値賀(おじか)杜氏、生月(いきつき)・平戸杜氏、熊本の熊本杜氏などがあります。九州全土の83名の杜氏を含む332名の酒造従事者で九州酒造杜氏組合が結成されています。