師匠 常磐津初勢太夫の芸歴


1945 父〆尾太夫、母松加の四男として生まれる。
幼少の頃より父に手ほどきを、受けるも
今,三味線を持たせたら一日中でも弾いている
三味線好きは、母より受け継いだ.ものと思われる。
何故、三味線方にならなかったのか?
母早世に加えて幼少のみぎり、
あの夜の悪夢のせい、なのです。
 
1965 父〆尾太夫よりプロフェッショナルとなるべく本格的に指導を受ける 
同時期1967年まで故藤間松応師に入門、日本舞踊の修行。
長唄五郎で初舞台を披露する。
1968 故常磐津千東勢太夫師に、入門、内弟子となる。

1969 常磐津初勢太夫を名のる。−−〆尾太夫が師松尾太夫の、
最後の弟子となったので、初めに、戻るよう又初心わするべからず  
と千東勢太夫師が、命名。
以後千東勢太夫存命の頃より四枚目,三枚目語りとして、
基礎.を築き師匠没後、脇語りとしても活躍出来る様になる。
又舞踊会で立て語りを務めるようになると共に
芝居舞踊会などで、名脇語りの名声を、戴く。
 
1989

清栄会奨励賞を受賞
(清栄会とは清元.栄寿郎師の遺産相続について
 「伝統芸能のために貢献したい」と言う故人の意志を尊重して
 1973年4月1日国立劇場関係者により財団法人として設立。
 1987年度より清栄会奨励賞が設けられる。)

季刊邦楽ー63号に「堅実にその技芸を修得、中堅としての活躍が評価され、
今後の研鑽を期待され、受賞された。」とある。
  

1989・10・6 常磐津初勢会設立
(会員8名の小さな、小さな.会です。2001年現在14名です。)

1999・1

京都南座前進座公演「お染めの七役」で立て語りを、務める
(初子は、八坂神社に参拝して後々には名立て語りとしての、
 名声を戴くようにお祈りしてきました。)

正派若柳会定期公演の立て語りとなる。(初子が属する流派なのです)

2000・6

重要無形文化財常磐津節保存会会員に認定される。




       我が初勢会の歩み
1990
12・9
初勢会主催により「常磐津初勢.太夫弾き語りの会」を開催(「梅川下の巻」)
1994
12・12
念願の第一回初勢会
(初勢太夫の名の如く初心忘れない様にお稽古場を、舞台にしました。)          
以後初勢太夫の希望を貫き幕が有り年輩の方のためには、
椅子席である事にこだわってきました。

第五回は記念の会として三味線方に常磐津齋蔵さん岸沢.式松さんに
賛助出演を、お願いしました。

第六回,第七回には常磐津齋蔵さん常磐津秀三太夫さん(初勢太夫の一番弟子です)に助けて戴きました。

第八回初勢会は2001年12月16日忘年会を兼ねて又初心に戻るつもりです。

2002年3・24

「常磐津初勢太夫の会」開催 於:旧大阪商船ビル1Fホール
              演目:初勢太夫のお話し・舞踊「和布刈」(立方 若柳吉仲)・関の扉(下)
 浄瑠璃:常磐津初勢太夫・常磐津秀三太夫  三味線:常磐津文字蔵・常磐津齋蔵 でした☆

たくさんのお客さんに来ていただき、盛会のうちに終わることが出来ました☆

後援いただきました「門司レトロ倶楽部」様に感謝いたします m(_ _)m


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