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■日程:2005/3/5〜2004/3/20のうち2005/3/6〜2005/3/16の10泊
■ルート:パリ→バマコ→セグー→セバレ(モプティ)→トンブクトゥ→セバレ(モプティ)→ドゴン・カントリー→ジェンネ→バマコ→ダカール(セネガル)→パリ
■利用航空会社:エール・フランス、セネガル国際航空
マリ観光は、言うまでもなく日本人には非常にマイナー。マリという国を知らない人も多いと思う。そんなマリであるが、実は観光地としてはとても魅力的である。このサイトを見て、意外と面白そうな国だと感じてもらえれば嬉しい。
雨季はマラリアの危険(本当は雨季に限らず年中危険だが)や交通網の遮断、暑季は日中の40度を超える殺人的暑さが、観光客を遠ざけるが、11月から2月の比較的気候がいい時期には、フランスを中心として欧州から、秘境好きのバックパッカーもしくは都会観光に飽きた裕福な老夫婦が多く訪れる国である。ちなみに、マリは昔、フランスの植民地であったこともあり、公用語はフランス語(実際には現地ではフランス語でなく現地語が話されている)。英語は全く通じないと考えたほうがいい。
マリへはヨーロッパ経由で行くことになる。最も一般的なのはパリ経由。パリとマリの首都であるバマコ間は一日一本エールフランスが運航しているので、これが便利。所要5〜6時間のフライトである。パリのシャルル・ド・ドゴール空港では、出国審査を抜けてバマコ行き飛行機の搭乗口に向かう辺りから、周りはほとんど黒人となり、アフリカの雰囲気が漂う。
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パリ発バマコ着の飛行機はバマコに夜中22時頃の到着となった。パリの引き締まるような寒さからの中から一転、亜熱帯のムンムンとした熱気に包まれるアフリカの大地に到着すると、体中から汗が一斉に吹き出してくる。まず、タラップから滑走路脇に降り、他の乗客に倣いバスに乗り込み、空港施設へ移動した。建物の中に入ると、乗客と職員が入り乱れ、何が何だか分からない状況。とにかく割り込みされないように、自分の場所を確保しながら、入国審査の順番を待った。マリ入国には黄熱病の予防接種が義務付けられている。いい加減そうに見えても、接種証明書(通称:イエローカード)は一応チェックされるので、必携である。
入国審査を終え、その目の前にある荷物回転台へ向かうと、ここでも我先にとでしゃばる人たちに揉みくちゃにされながらも無事自分の荷物を拾い上げ、やっとの思いで外に出た。外には深夜だというのに、この小さな空港に多くの人でごった返している。家族友人を持っているのか、客引きなのか、単に暇なのか・・・。
勢いよく外に出たはいいが、両替をしていない。でも入国審査から出口までの間にそれらしき窓口もなかった。どうしようかと思った、その時、案の定「Change Money?」と語りかける男が近寄ってきた。そもそも銀行がないし、周りは真っ暗だし、相手にせざるを得ない。両替したいと伝えると、空港のとあるタバコ店に連れて行かれた。レートは十分満足のいくものだったため、両替したが、この国に到着した人が皆こんな方法で両替しているのだろうか、不思議である。
とりあえずマリの通貨「セファー・フラン(CFA:西アフリカ各国で流通する共通通貨)」を手に入れ、とりあえず市内へ向かうわけだが、特に当てもない。さっきの男が、「市内までタクシーで案内するので、ホテルを教えてくれ」と言う。いつもなら、無視するのだが、既に深夜23時は回っているし、町の地図もろくなものを持っておらず、空港から市内へのタクシー料金も7500CFAオンリー(1500円程度)と正規料金であったため、同行させることにした。というか、英語の通じないドライバーと、暗闇のバマコを当てもなく彷徨う方が危険と判断し、同行させた。
しかし、バマコという首都は空港は当然のこと、町中も真っ暗である。本当に真っ暗である。市内に入ったと言われたとき、衝撃を受けた。都市じゃない。村である。明かりはバラック小屋から裸電球がちらほら灯っているだけである。ホテルという気配は全くない。「今晩どうしよう・・・。」
とりあえず日本を出発する前にWebで調べた宿に行ってもらった。満室であった。女将さんは屋根上なら泊まってもらっても構わないがと言うが、初日からきつ過ぎる。そもそも蚊帳も持っていない。唯一の当てが外れた。
仕方がないから、近くにある宿をLonley Planetから探し、向かってもらった。走る方向が違うなぁと思いつつ、そのホテルに着くと、案の定、ホテル名が微妙に違っていた。ドライバーに文句を言うと、どうもホテル名の発音(例えば英語で言う、LとRの違いのようなもの)がうまく伝わっていなかったようだ。自分のせいも少しあり、強く攻められない。とりあえず、ホテルの様子を窺うと、かなり割高感があったため、却下。振り出しに戻ってしまった。
今度は、間違えないよう本を見せて向かってもらった。が、次で3箇所目ということで3倍の料金を払わないと連れて行かないと言うではないか。かなり抵抗したものの、辺りは闇、ここで降ろされたら終わりだと思い、諦めた。カネで解決するしか方法はなかった。
…暫くして、やっとの思いでホテルに着いた。この時既に日は変わっていた。
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マリの首都、バマコを一望。舗装された道路は少なく、のどかな田舎町といったところ。見渡す限り、高い建物(いわゆるビルは)は銀行とホテルの2棟のみ。ちなみに夜は真っ暗。
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幹線道路以外は基本的に未舗装。やたら土木工事が行なわれていた(工事が進んでいるとは思えなかったが)。
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マーケットを行き交う人々。
マーケットの中心ではなかなか写真を撮らせてくれない(混み合う中ではカメラを出しづらいし、撮るなと怒られる)。というわけで、人込みから離れたところで一枚。
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バマコの外れにある掘っ立て小屋がひしめき合うマーケット。ここで蚊帳を買う。
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ここは町の外れであるが、中心地に近いところと殆ど変わりない。宿泊施設らしきものも見当たらない。深夜、泊まる当てのないまま、街灯のない闇のバマコ(マリ)に到着すると、たちまち不安に陥る。
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ホントに何もない静かな町。することがないのは自分だけでない。現地人も昼間からすることがなさそう。
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コーラナッツと呼ばれる木の実。バマコで買うのがお勧め。
面と向かってカメラを向けると撮ると怒られるので、こっそりとリモート撮影。
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この手の国を旅すると悩まされるのは自称ガイドが寄り付いてくることである。いつもならば、完全無視の姿勢を貫くのだが、今回のマリ旅行はちょっとスタンスを変えてみた。
というのも、(1)マリでは英語が全く通じないこと、(2)目的地が相当離れていることから遠距離の移動が強いられるが、遠距離の公共交通機関はローカルバスに限られ、それが予約制であること、(3)トンブクトゥやドゴンカントリーへの公共交通機関がなく、車をチャーターしなくてはならないこと、(4)ドゴンカントリーでの自力のトレッキングは不可能であること等、を考えるとガイドを雇わないと、時間のロスが生じるなど旅はかなり困難なものになることが予想されたからである。
という訳で、バマコ空港から市内までのタクシーに同乗した案内人にガイドの紹介を依頼すると、翌朝宿にその案内人と自称ガイドが訪ねてきた。
そもそもこいつらは何者だろうかと疑いつつも、これも何かの縁と思いながら、話を聞くこととした。
まずは、何日間か、何処に行きたいかを説明し、お互いに旅程を考える。ガイドは昔の写真を広げながら、自分の腕をアピールする。どうもこのガイドはドゴン出身らしい。ドゴントレッキングはマリ観光のハイライトでもあることから、ドゴン出身がセールスポイントとなるようだ。
やはり重要なのは「ガイド料」はである。さて幾らか?尋ねると3000ユーロ(日本円で約40万円)との回答。ここからが大変。というのも、ガイドの見積りが3000ユーロ、こちらの予算が300〜500ユーロ以下(←相場を知らない)。それから1時間半もの時間を掛けて値切りの交渉が始まった。折り合わなさそうだと、「もういい。違うガイドを探す。」と言いながら・・・。
かなりの額まで値切ったのだが、現地の物価や、日本円に換算した感覚的な相場観から判断しても、相当高いことは判っていた。しかし、これから新しいガイドを探すことを考えると時間がもったいない。仮にもう少し値切ることができたとしても日本円で数万円。10日間も知らない人と旅を共にするわけだから、ガイドの人柄も重要である。最終的には、総合的な判断からこのガイドを雇うことにした。
契約の内容は、10泊のマリ国内ツアー。料金の中には、ガイド代、交通費(車のチャーター含む)、食費(飲み物除く)、宿泊費、ポーター費、トンブクトゥでのラクダツアー。誓約書を書き、お互いそれぞれ保有した。ちなみに、払った金額は秘密。高いか安いかはその人の価値観で決まるので・・・。
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ガイドを雇った後、ガイドの友人宅に昼食に誘われる。
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バケツの水で手を濯いだ後、手で食べる。煮込んだ牛肉らしき肉とゴハン。料理したてなので、素手では熱過ぎる。
味はまあまあだったが三口ほどでご馳走様。今日はマリ初日。食事は慎重に・・・。
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バマコのバスターミナルを夕方の5時半に出発した。夕方といえども猛烈な暑さの中、ローカルバスに揺られて4時間、移動距離230m21ローカルバスは、どこかの国で使っていた中古の観光バス。というわけで、一応エアコンの吹き出し口は装備しているものの、案の定動いていない。僅かに空く窓を全開しても、全身から汗が吹き出す。もちろんバスは満席。さすがに地元の人にとっても不快な状態らしく、窮屈な座席に体を縮込ませ汗を垂らしながら耐えている様子。ウチワが飛ぶように売れていた。僕も耐え切れず一本購入。ちなみに、長距離ローカルバスは完全予約制である。従って、現地語(フランス語)が話せないと厳しい。
夜の9時過ぎに着いた。予想通り、町とは思えないくらいに闇の世界が広がっていた。闇の中をガイドが宿まで案内してくれたが、はっきり言って一人だったらヤバかった。
セグーは「マリの中でも港町として栄える重要な都市」ということで、それなりに期待して行ったが、着いてみると拍子抜け。確かにアフリカを代表する大河、ニジェール川が町を横切っており、重要な交通拠点であることには間違いない。ただ、港という港がない。町中も大したことない。到着翌朝、10時くらいのローカルバスに乗るため町中を散策したが、居場所がない。結局、川辺に座って時間を潰すことになった。
そもそもセグーに来たのは、バマコからモプティまではローカルバスで10時間以上もかかるため。時間的な制約からセグーに一泊することにしたのである。恐らく多くのバックパッカーもそうするであろう。実際、観光客目当ての土産屋や外国人用のホテルは数件あった。
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ニジェール川とセグー港。セグーはマリを代表する港町というフレコミだが、これってただの川岸じゃない?
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船着場兼洗濯場。主婦と見られる人からクリーニング屋まで、黙々と働く。
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マーケットと大通り。ほんとに田舎町。行き場がなく、バスの出発時間までの時間を潰せない。
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セグーからセバレを結ぶ道路の中間地点に位置するサンという町。ここで食事休憩。マリに来てまだ2日目、まだ食事に慣れない。
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セグーを出発したのが昼の11時。昨日(バマコ→セグー)と違って、今日は真昼にローカルバスに乗ることになった。バスの環境は最悪。猛烈な暑さの中、満員の乗客を乗せたローカルバスは6時間掛けてセバレに到着した。今回の移動距離は400km。
今回の旅の目的地は、「砂漠の都市・トンブクトゥ」「土のモスク・ジェンネ」「断崖絶壁の集落・ドゴン」であるが、バマコからの距離は、それぞれ900km、570km、700kmとために、どこかの町を中継しなくてはならない。多くの観光客は、港もあり、マリの中心都市の一つであるモプティを拠点にする。ただ、モプティは幹線道路から12km内部に入り込んだ場所に位置すること、観光する町でもないことから、幹線道路沿いのセバレに滞在することにした。
セバレに一泊した後、翌日にトンブクトゥに向かい、トンブクトゥで一泊。翌朝トンブクトゥを発ち、セバレ(同し宿)に戻るという旅程を組んだ。
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宿の前にてサッカーをする子供たち。どうしても写真を撮れというので、それに応じる。
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幹線道路は綺麗に舗装されている。この先、ドゴンカントリーへと続く。
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セバレのバスターミナルに到着。周りにはなにもない。
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西アフリカはバオバブの生息地。バマコから西へ向かう幹線道路にも、至る所で見ることができる。
でも、バオバブといえばやっぱりマダガスカル。形はマダガスカルの方が断然美しい。
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