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■セバレ→バンディアガラ→ドウロウ→ベニマト(泊)→ヤバタル→エンデ(泊)→テリ→カニコンボレ(泊)→バンディアガラ→セバレ
ドゴンカントリーは、マリ観光のハイライトである。ただ、“ちょっと集落を観光しよう”というノリでは行けない。気合が必要である。
ドゴン観光が「気軽」でない理由は次のとおり。
(1)ドゴンの村々は広い地域に点在しており、徒歩でないと入れない。
(2)断崖絶壁を歩くこともあり、地理を知らないと危険。
(3)宿泊は民泊形式。ホテルはない。
(4)食料を買うような店はない。本当に小さな村である。
(5)電気・ガス・水道がない。当たり前だが、夜は驚くほど真っ暗である。
(6)英語が全く通じない。
(7)村人に話しかけたり、家を覗き込んだりなど、地元住民の生活に干渉してはならない。
(8)炎天下の下、灼熱の大地を歩くため、歩行のペース配分を十分に考慮する必要がある。
繰り返しになるが今回のマリ旅行はバマコで出会った自称ガイドを引き連れた旅である。もちろん、旅程の交渉時点で「3泊4日のドゴン・トレッキング」を要求した。もともと、ドゴン観光の情報なんて全く持ち合わせてなかったこともあり、最初からどこかでガイドを雇おうと考えていたのである。
今回のドゴントレッキングは、トンブクトゥ往復を共にしたアメリカ人のバックパッカー女性2名とガイドの4名での出発となった。
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| ■ドウロウ(出発地:1日目) |
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朝、セバレの宿からタクシーをチャーターし、バンディアガラまで1時間のドライブ。ここまでは舗装道路のため快適。バンディアガラで水を買えと言われ、1リットルを調達。バンディアガラからドウロウまでは1時間の山道ドライブ。長閑な農村風景を楽しめる。ドウロウに着いたのは昼前。
休憩所に着いた。暫くすると、いつものとおりチキンのぶっ掛けご飯が振舞われた。さて、これから何をしようか。次の目的地のベニマトには夕方出発するらしい。果てしなく暇である。仕方ないから、村を散策。村の散策はガイドと動向を強いられた。カメラ撮影も許可を受けてから。
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高層ビル!?と思いきや、人の背丈ほどの小さな家である。
このような土でできた不思議な建物に現在も人が暮らしている。
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壷の中に仕込み中の地ワインがあるというので味見。アルコール分の少ない淡白な味。まあ、こんなもんか。
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ドウロウからベニマトへの道のりは殆ど岩場である。夕暮れ時のトレッキングであったため、迷子(遭難)にならないようにガイドから目を離さないよう気を使う。
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| ■ベニマト(宿泊:1日目) |
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ドウロウを夕方5時に出発し岩場をひたすら歩いて1時間半。ベニマトに到着。夕方も6時を過ぎると日がすっかり落ち辺りは闇に包まれる。ガイドの足は早い。ガイドを見失わないようにしなければ危ない。
ベニマトに到着した時には回りは完全な真っ暗である。どれが宿かも分からない。闇の中、「ここだ」と言われ、荷物を降ろすも、どこで食事をするのか、どこで寝るのかも分からない。
その後、ランプの光を頼りに食事を済ませると、またまたすることがなくなった。そうこうしているうちに、寝床の準備ということで、屋根の上にマットが敷かれた。ただ、このまま寝るのはマラリアを媒介する蚊の危険があるので、持参の蚊帳が活躍することとなった。
明け方、村中に響き渡る杵をつくの音で目が覚めた。そして、初めてこの場所の状況を把握することとなった。
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夜は満天の星空。蚊帳はバマコ市内で買ったもの。こんなこともあろうかと思い、買っておいて正解。ちなみにここは屋根の上(右の写真参照)。
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この屋根の上が寝床。
ちなみに電気のない村に、風呂(シャワー)はない。バケツの水で体を洗う。ちなみにトイレは穴。
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夜は暗闇で何も見えなかったが、翌朝はじめて自分がいる場所が明らかになった。「寝床」から村を一望する。
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村の散策はおとなしく。覗き込んだり、カメラを向けたりすると嫌がられる。
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朝早起きして崖っぷちに登れば、最高の景色を拝むことができる。が、怖くて下を覗けない。
この後、この崖の下に広がる平原をひたすら歩くことになった。
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家に貼り付けられたサルらしき動物の頭蓋骨。意味が分からない。
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ベニマトからヤバタルに向かう途中。崖を下り続けて、やっと平地に到着。
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| ■ヤバ・タル(休憩:2日目) |
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ベニマトを出発したのが朝の9時。崖を下り、平地を歩き1時間半後にヤバ・タルに到着。今日の最終目的地はエンデ。ここに向かうための休憩場所である。
朝はそうでもなかった日差しが太陽が昇るにつれ猛烈な強さに変わる。人生で感じた一番強い太陽光線である。気温は何度くらいであっただろうか。おそらく40度は優に超え、50度近かったかもしれない。ペットボトルの水を大事に飲みながら、黙々と進み続けることとなった。
ヤバ・タルを出発するのは、強い日差しを避けるため夕方である。ヤバ・タルの村には何もない。これまた暇である。幸い近くでマーケットが開かれているとの情報を得、見学に向かった。
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ヤバ・タルから1時間程度歩いた場所で開かれていたマーケット。一週間に1回催されるらしい。偶然見れてラッキーであった。
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マーケットで買い物を済ませた女たち。頭に荷物を載せて一列になって行進。
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ヤバ・タルからエンデに向かう途中に「祭り」に遭遇。どこからか集まった人々のまえで、曲芸競馬が披露された。ガイド自身も初めて見たらしく、これまたラッキーであった。
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バオバブ街道。
この辺りは平地が続くので、歩くのは楽。といっても、サラサラな細かい粒子の砂の上は歩きづらく、それはそれで疲れる。
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| ■エンデ(宿泊:2日目) |
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街道ベニマトを出発し、一旦ヤバ・タルで休憩した後、夕方遅くにエンデに到着。この時すでに回りは闇の世界である。結局、朝と夕方の移動くらいしか体を使わないが、環境が環境だけに十分に疲労する。今晩の宿も前日同様、土の家である。1泊目の経験もあり、ドゴンの村の雰囲気、宿の状況、食事等に慣れてくるものである。
この晩も、ランプの灯で食事。今日は珍しくガイドが酒を飲みたいというので、おごってあげる事に。ビールだけだったが、結構飲んだのかもしれない・・・。
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今晩の寝床もやはり屋根の上。蚊帳も完璧にセットされた。蚊帳越しに、満点の星空を眺めながら就寝。
アフリカの大地といえども、意外と夜は冷え込むものである。蚊帳がいい風除けにもなる。
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翌朝、まわりの状況を確認する。
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| ■テリ(休憩:3日目) |
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3日目にもなると勝手が分かってくる。今日も朝、エンデを出発し、1時間半程度歩いて休憩場所であるテリに到着。ここで夕方まで時間を潰し、カニ・コンボレに向かう。
やはり暇である。日差しが凄いので長時間休憩場所から外に出られない。出ても何もないので出る理由もない。仕方なし、今日もマットの上でゴロゴロして過ごすしかない。何もない場所で6時間の待ち時間は長い・・・。ちなみに、昼食はまたまたチキンのぶっ掛けご飯。食事が出てくる前に、鶏のうめき声が聞こえたのは気のせいではない。
テリは数あるドゴンの村の中では大きい方(だと思う)。そして、村のすぐ北西側にそびえる断崖絶壁には、かつてのドゴン集落が残っており、ドゴン観光のハイライトにもなっている。いろんな観光案内にあるドゴンの写真は恐らくテリ村の旧集落だと思う。村からは歩いて数分で行ける(というか村の一部である)。日差しが和らいだ頃、崖を登ってみた。
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崖を登ってテリ村を一望する。ドゴンにはこのような集落が点在する。
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モスク。やはり土で出来ている。いかにもマリっぽい建築様式である。村の中心にあり、ひときわ目立つ。
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ドゴンの村と言えば、必ずこの遺跡が紹介される。昔はこの崖に住処があったようだが、現在は皆平地で暮らしているらしい。
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お土産物売りの少女。目で何かを訴えながら、無言のまま、ずーっと付いて来る。
買ってもいないのに、写真を向けると快くOK。
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日中は気温が高く身動きが取れない。このような休憩所で半日過ごす。することといえば、地べたに敷いたマットの上での昼寝のみ。
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| ■カニ・コンボレ(宿泊:3日目) |
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最終宿泊地。エンデの村を朝出発し、テリ村で休憩。夕方5時過ぎにテリ村を出発し2時間程度ひたすら砂地を歩き、カニ・コンボレに到着。夜の7時ともなると日もすっかり落ちて辺りは真っ暗。電気も何もないから本当に真っ暗である。ガイドは必須である。
到着後、ランプの日を頼りに夕食のスパゲティ。ドゴンに着てから「チキンのぶっかけご飯」か「スパゲティ」しか食べていない気がする。
カニ・コンボレもこれまでの村と同様、屋根の上のテントが寝床となる。この夜も星空を眺めながら就寝・・・というはずだったのだが、何時ごろであっただろうか、風が冷たく目が覚めると、空から水滴がポツポツと。雨である。誰もが「やばい」と思う。ガイドも起きた。一緒にツアーに参加している他のバックパッカーも起きた。闇の中、必死で荷物をまとめ、梯子を降り、屋根の下に入り込んだ。いちおうセーフだった。
屋根の下には簡易ベットみたいのが置いてあって、そこで寝ることになったのだが、雨の勢いが急激に増し、雷もガンガンになっている。窓も壁もない「部屋」には、濁流が大量に流れてくる。おまけに、湿度が高く、猛烈に暑い。虫やら埃やらも舞っている。不快指数120%の状態のまま、やっとのこと朝を迎えることになった。
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深夜1時、屋根の上で寝ていると、雷の音で目が覚めるや否や、この季節には非常に珍しい雨に見舞われる。暗闇の中、慌てて屋根から降りる羽目に。
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屋根から降りて、屋根の下の奥まったところで寝ることとなった。これまた蒸してて寝苦しい。さらに、かなりの雨量で、一面ドロドロ。
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ドゴンの3泊4日の旅もこれで終わり。向かって左から2人目がガイド。
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今回のマリ旅は全工程ガイドと共にするという、今までにない旅行であった。良い面、悪い面を面とまとめてみた。
まず、良い面。当然、旅行がスムーズに進むこと。特に今回の旅を振り返って、ガイドがいなかったらヤバイ場面が幾つかあった。?長距離バスに乗るとき。マリでは(全てではなかろうが)長距離バスの乗車は事前チケット制となっている。人気路線は超満員。ガイドのサポートが助かった。?言葉。どこに行っても英語は通じない。ガイドのサポートが助かった。?トンブクトゥへの足の確保。トンブクトゥへは4WDをチャーターしないと行けない。車とドライバーの手配は必須である。ガイドがやってくれた。?ドゴンツアー。これはガイドがいないと無理(不可能)である。ドゴンまでの足の手配も重要な点である。ドゴンはガイジンのみでは歩けないことを覚えておこう。
次に悪い面。自由度が下がるということは当然のこと。それはいいとして、最終日に事件が発生。最終日の前日にバマコに戻ってきた。ここまでは良かった。しかし、その翌日が問題。ガイドが行方不明になってしまった。料金は前払いのため、彼は「最終日のツアー履行」を放棄していなくなってしまったのである。おまけに最終日の宿代も持ち逃げしたのである。彼に電話しても出ない。さすがに許せない。宿主と交渉し、いなくなったガイドに払わせることで了承させた。金銭的な被害は大したことはないが、楽しい旅が一気に不快な旅になってしまった。非常に優秀なガイドであったので、残念で仕方がない。
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