ママの日記(4つ子出産編)

 このページは,多胎児出産を控えている家族の皆さんや双子・三つ子・・・などの子沢山一家の皆さんの参考になればと思い,公開しています。この文章は一部プライベートな部分を除き,ほとんどが当時の日記を元に作成しました。
 これらの文章の無断転載・配布等を禁じます。Copywright(c) by オリオン星雲の父

 

4/30(日記を書こう)
2/21(3回目の妊娠)
3/06(1,2,アレッ?・・3,・・・4)
3/13(再度の確認検査)
4/25(済生会病院へ)
4/25(最後の決断)
4/29(入院前日)
5/01(手術日の朝)
5/01(手術を終えて)
5/04(もう家に帰りたい!)
5/08(退院だあ!)
7/13(ついに出産入院!)
7/14(ショックKさんのこと)
7/19(点滴が始まる)
7/21(忍耐)
7/26(男の子も女の子もいる!)
7/30(体重1000g突破!)
8/01(まだまだ産まないゾ!)
8/05(大きくなったね,まさひろ!)
8/10(モニターはきらい)
8/13(お線香あげられなくてゴメン)
8/17(お腹の中は5kg)
8/22(後1週間)
8/24(出産日が決まった)
8/25(パパが会いに来た)
8/28(帝王切開日は9月4日に)
8/30(手術の説明)
8/31(あと4日)
9/01(あと3日)
9/03(帝王切開前夜)
9/04(生まれてくる赤ちゃんへ)
9/04(4つ子誕生)

 

 

1995年


4/30(日記を書こう)


 全国的に大型連休が始まろうとしている4/29から5/5までの長い休みの中,わたしは,一人病院のベットの上にいる。今日から入院生活.医師から一週間の入院になると言われてはいるが・・・。手術日は5/1の予定.
 わたしは今日から日記を書こうと思う.これからわたしの運命にどんなことがあろうとも,今の自分の心を確かめるために,そして,これから産まれてくる4人の子供たちにママやパパがどんなにがんばったかを知らせるために・・・.
 今私がいるのは,茨城県水戸市にある,ここ済生会病院。入院が決まったのは,この病院をはじめて訪れた4/25だった。パパにも来てもらい,その日のうちに先生に4つ子を産む決心のあることを言うと,入院のための検査を行い,5日後に入院が決まった..あと5日!。急いでママの勤めていた仕事も辞めざる終えなかった..
 今気がかりなのは,家に残してきたまさひろ(一歳半)のこと・・。急に高熱を出した.しかも,私の入院が決まった日から・・・.今までは熱が出ても一晩寝るとすぐに元気になったのに,今度ばかりは高熱が3日も続き,あまり寝付けないものだから,わたしもほとんど寝ずの看病が続く.ママにべったりとなって,離れたはずのおっぱいに吸い付いたり触ったりで,片時も私のそばから離れない状態となってしまった.心配で側にいてあげたいけれど,わたしは病院のベットの上.パパとお義母さんにお願いするしかない.
 まさひろ,私が退院するまで元気でいて!.ママがいなくてもぐずらないで眠って,まさひろまで入院することにはならないでね.

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2/21(3回目の妊娠)


 県立友部中央病院で私の3回目の妊娠が確認された.うれしかった.長男のまさひろとは2歳ぐらい離れてもう一人子供がほしいと思っていたことが,その通りになったのだもの,
 病院で,排卵誘発剤の注射を行い,今度も『ゴナドロビン』により,卵胞を大きくし,排卵させるというやり方だ.最後の注射をしたときに,超音波検査で左の卵巣に直径2.2mmの卵胞,次に大きいようなものが3つあった。右の卵巣の方は小さい卵胞ばかりがたくさん出ていたので,
「右は(受精は)不可能であるが,これなら(受精は)大丈夫。」
とのことで,HCGに切り替えた.いよいよパパの番だ.
 家に帰って,主人に冗談のつもりで
「卵胞の大きいのが4つぐらいあったけど,4つ子にならないわよね?.」
と言った.パパは,「いや分かんないよ,なるかもしれないぞ.」とは言っていたが,わたしは,過去のその治療を受けて授かった子が2人いたけれど,2人とも多胎児にならず一人ずつ授かったので,安易な考えでいた.その二人というのは,最初に授かった『美早』と側で寝ている長男の『まさひろ』.
 平成3年9月,念願の長女誕生。お祝いをしたのもつかの間,美早は3ヶ月でこの世のものではなくなってしまった.それも,切迫流産になりながらも3ヶ月の絶対安静の末に,やっとの思いで授かった我が子だった。それだけにショックも大きく,家族全員どん底に突き落とさせたような気持ちだった.しゃべる言葉もなく,わたしも美早の後を追ってしまいたいとさえ思うほどだった.
 平成5年9月,2度目の妊娠で長男『まさひろ』誕生。暗い影が差していた我が家に明るい希望の光が差しこんだ.まさひろが産まれたときの感動はわすれられないくらいうれしかった。今度こそ,絶対なくさない・・・美早,あなたの弟を見守っていてね,わたしは,まさひろをしっかり育てようと懸命だった。家族の誰もが目の中に入れても痛くないぐらいにまさひろのことをかわいがってくれた.
 そして,今回の妊娠.わたしは,1男1女の理想的な家族構成を描いていた.パパも,
「一人っ子は,甘えん坊になっちまう.」
と,わたしやお義母さんの様子を見ていっていたので,こどもはもう一人ほしかった。今度は女の子がいいなあ。一緒に買い物をしたり,わたしの作ったスカートや着物を着てくれたり・・・.いや,男の子でも,まさひろの遊び相手になったり,兄弟の中でいろいろと心がたくましく成長するはず・・。
 まだ男女は分からないけれど,どちらでもいい.神様がまた願いをかなえてくれた・・.2人目が産れるんだあ.

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3/6(1,2,アレッ?・・3,・・・4)


 3回目の妊娠がわかってから2週間.もう一度超音波でおなかの中の様子を検査しに県立病院を訪れた.モニターに赤ちゃんの入っている部屋が見つかった.先生が数え始めた.
「1・・2・・アレッ?,3こ・・・4・・・。まさか・・ネ。」
2人の心拍は確認されたけど,後の2つは違うかもしれないし,なくなるってこともあるから・・。後1週間たってから見てみるとはっきりするからもう一度来てほしいとのこと.喜んでいた私の目から涙があふれてきた.どうしよう?,足が震えてしまい,運転しながら職場に戻る気は失せてしまった.
 パパの学校に電話を入れた。だめだあ。授業中で取り次いでもらえない.仕方がない。実家に電話を入れた.
「お母さん,わたし4つ子かも・・・。」
実家の母が驚きのあまり言葉を失っているのが,電話の先からもよく分かる.わたしだってそうなのだ.大変なことになっちゃった.とりあえず,主人から電話があったら,4つ子かもしれないからといってくれと頼み,電話を切る.
 ようやく,パパと会話ができたのは午後6時過ぎだった.
「パパ,どうしよう?4つ子だったら,わたしのお腹はどうなっちゃうんだろう?,赤ちゃん,生まれたってちゃんと育つかなあ?.未熟児で障害を持つようになったら・・・どうしよう。育てるとき,4人一緒におなかがすいたら,どうやってミルクを飲ませるの?。母乳が出てもあげられなくなっちゃうよ!?。まさひろの育児はどうしよう?。仮にママが入院?ってことになったら,まさひろがかわいそうで・・・」
わたしは,後から後から流れてくる涙を止められずに,次々と出てくる言葉をパパに訴えた.でも,主人に言われた.
「そもそも,どうしてこんなことになったのか?,よく考えてごらん.赤ちゃんがどうしてもほしいとおもって,授かった我が子なのに,今度は数が多いから(いらない)なんて・・・。」
「母親が泣いていたら,おなかの中の赤ちゃんがかわいそうだよ.・・・喜んであげなくちゃかわいそうだ.おれは,すべてを受け入れる覚悟はできている.」
「その結果,生まれた子がたとえ未熟児であっても,精一杯やった結果ならいいじゃないか.そりゃ確かに五体満足であってほしい.でも,もし障害が出たとしても,長く生きられなかったとしても,今,現におなかの中で赤ちゃんたちはがんばっているんだろう?。だったら,ママもがんばらなくちゃ・・。」
パパのゆっくりした言葉に,わたしは少しずつ前を向くことができた。

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3/13(再度の確認検査)


 衝撃の日から1週間後,年休を取って休んでくれた主人と2人で県立病院を訪れ,二人して超音波のモニターをのぞいた.
「1・・2・・・3・・・4・・。」
間違いなく,4つの心拍が確認された.実は,わたしはまだ4つ子と決まったわけではない・・・双子になっているのではないかとかすかな期待をしていたのだ.間違いないという言葉を聞いて,私の期待はもろくも崩れ去った.動揺するわたしに対して,主人は落ち着いていた.
 家に帰って,お義母さんに話をした.
「早いうちに堕ろしてきた方が良い.」
やっぱり,思っていた通りの返答だった.わたしだってそう思いたいくらいなのだ.上の子のこと,家のこと,色々なことが心配になってしまう.今のままなら,夫婦と子供一人・・・,健康で穏やかに生活していける.その暮らしを大切にしたいと思うのは,当然のことではないか!。
 茨城県内でも未だかつてないことだと言うし,当然我が町でも有名になってしまうし,噂だって絶えないだろうし,多くの周囲の目に晒されるのは耐えられない.わたしはまだ産むことに恐怖があった。ためらいがあった.迷っていた・・・。

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4/25(済生会病院へ)


 もう妊娠4ヶ月になろうとしているのに,誰に対しても,
「妊娠したみたい。」
としか言えなかった.この先どうなるか分からないのに,4つ子を身ごもったなんて・・・,とても言えない。主人の兄弟にもわたしの兄弟にも言えないでいた,もちろん,わたしの友達にも・・・。
 赤ちゃんの大きさも4人とも同じ位で,頭もピンポン玉ぐらいの大きさになっていた。おなかも急に膨らみ始めた4月25日.友部の中央病院で紹介状を書いてもらい,その足で水戸市の済生会病院へ行く.
 先生からの話は,今までの誰にでも言える『がんばって産んでね.』という言葉とは違っていた.
「テレビで5つ子の子育ての大変さは,良くやっているから少しは知っているかもしれないが,あの子達のおなかにいるときの苦労を知っているかい?。」
わたしは返答に窮した.早産になるかもしれない.未熟児で産れるかもしれない.大変なこととは感じていたが漠然としてして,それほどの知識がなかった.いや,あまり深く調べたり考えたりはしないでいたのかもしれない.
 先生の話によると,
「一人の胎児は普通約妊娠7ヶ月末(28週)で体重が約1000gまで成長し,40週目の出産時には2800gぐらいの元気な赤ちゃんになる。しかし,4人妊娠の場合は,同じに母体で成長していったとしても7ヶ月末で4人分で4000g。他の内容物などもあり,母体にかなりの負担がかかってしまうので,何もしないでいると7ヶ月始めででみんな生まれてしまう.そうなると,実際は600gや700gで産れてくることが多く,生存率も悪い.また,後遺症が残る可能性も多い.24週で産れてしまうと,約3分の1が死産,3分の1が後遺症,3分の1が健康という程度の確率なんだ.」
「そうならないようにするには,まず子宮口を縛る手術をして1週間ほど入院してもらわないとならない.そして,4つ子の場合だとせいぜい32週が出産の目標となる。しかも,こうして自由に動けるのも後2ヶ月ほどで,妊娠24週目からは産れるまで病院に入院してもらわないといけない.あなたのような(4つ子の)場合はなおさら長い間赤ちゃんを母体の中で育てることが大切なんだから・・・.」
わたしは,涙が止まらなくなった.先生の話はさらに続いた。仮に,32週までもったとしても,後遺症が残る確率が高いこと.母体にも肝臓を始めとする負担がきつく,妊娠中毒症の危険があること.
 先生の話を聞いて,私の(産もうとする)決心なんて吹き飛んでしまった.心がズタズタになってしまった。診察室の戸を開けて部屋から出た。ふらふらと長い廊下を歩いていると,妊娠中絶の費用がかかれた紙があった.
【12週までなら8万円.12週以降は28万円。】
なんだ,今なら出産費用とあまり変わらないんだ.わたしは,その紙を食い入るように見ていた.今なら,やめることもできる.このつらさから,いやこれから先の途方もないつらさから解放される・・・。私は主人の職場に電話をかけた.

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4/25(最後の決断)


 主人はその日のうちに病院に来ることになり,私と2人で先生から話を聞くことになった.診察室に入る前に,主人に先生から言われたことを話した.しゃべっているうちにわたしのひとみは壊れかけたオルゴールのように涙があふれて止められなくなっていた.主人は黙って聞いていた.そして言った.
「俺はどんなことになろうとも覚悟はできているよ.ただ,1番大切なのはお前だ.母体を大切にしてもらいたい.お前にもし何かあって,俺と子供一人を残されたら俺にはどうしようもない.それこそ一生後悔するだろう.お前が健康でいれば,2人でいる限りは希望を持って生きられる.」
 また,ぐらついた.ああ,この人は産むことをあきらめてはいない・・・。

 数時間前に見た診察室の白い扉の前にもう一度立った.今度は2人。中に入って,先生から話を聞いた.
「違法ではありますが,減数堕胎(多胎児妊娠のときに,胎児の数を減らす手術のこと)をすることもできます.今なら,堕ろすこともできる.わたしは,『がんばって産んでください.』とばかりは言えない.現実の大変さを覚悟はしてほしい.」

 主人は言った.
「4人とも順調に成長していて,どれも同じ位の大きさになっているんだろう?。つまり,どの子もがんばって生きようとしている訳だよ.」
「おなかの中でがんばっている赤ちゃんを,その命をこっちは残す.こっちはいらないと選んで産む子を決めることはできない.第一,どうやって生き残る命を決めることができる?。俺は,赤ちゃんががんばっている限り(堕ろすことは)反対だ.」
と。主人の言葉に4人の命の重みを改めて知った.

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4/29(入院前日)


 小児科担当の宮本部長先生から話を聞く.
話の内容は,こうだったように記憶している.★わたしは出産とは,あくまでも子供が健全で3000gぐらいで生まれるのが本来の姿だ.最初から,未熟児で産まれることを承知の上で,もし,4人のうち1人でも以上が生じた場合は奥さん,その手のかかりようは想像を絶しますよ。まして,あなたには既に上に1人お子さんがいるから余計に・・・。★多胎児出産と言うのは本来病院側の不妊治療の失敗の形で起きるものと考えています.だから,わたし個人的にはあるべき姿じゃないと・・・。★4胎児の場合は,32週を目安に産むことになりますが,その場合,(胎児の体重は)1200gぐらいのため赤ちゃん自身に3〜4ヶ月の入院が必要になります。その際病院側に人工呼吸機が全部空いていればいいのですが,生まれるであろう4人のために何ヶ月も人工呼吸機を空けたまま用意しておくことはできません.だから,その時になってもし(人工呼吸機が)足りなかったら,生まれた赤ちゃんは別々の病院に移送されることになるかもしれません.★お母さんも産むころにはおなかがパンパンに張ってトイレに行くのもつらいものになるでしょう.

 わたしは言った.
「わたしは以前に2度妊娠をして子供を授かりました。その子がもし元気でいたなら,私は産もうとさえ思わなかったし,欲しいとも思わなかったでしょう.でも,最初の子を生後3ヶ月で亡くしてしまった悲しみを思ったときに,その上今度は4っつも命を絶ってしまったらわたし達夫婦は一生後悔するでしょう.だから,苦労することも大変なことも承知で,子供を産もうそして育てようと決心しました.」
と。確かに心の中に不安はいっぱいあるけれど・・・,先のことを考えたら涙が出てしまうけど・・。
 主人は黙って先生の言葉をメモにしていた.同じ思いであるのだろう.

 帰り道,車の中で主人は言った.
「一生懸命がんばれば,どんな結果になっても後悔しないよ.だって,一生懸命がんばったんだろ?。ネッ?。じゃあいいじゃないか。一生を通してみたときに自分の人生でああすれば良かったと後悔するより,がんばったと思える人生を送りたい.」
「そのためのパートナーがママであり,パパであり.2人でいれば,がんばれるよ.先のことを不安がるより,おなかの赤ちゃんが産れてよい事を考えて過ごして欲しい.」
良いことって?・・・とママが聞くと,
「うーん・・・(なかなか思いつかない,この人思いつきでしゃべっているのかも?)。例えば,4人そろって小学校の入学式とか.苦労も人の4倍では済まないかもしれないけれど,喜びも何倍にもなって返ってくるよ」
「そんな日が来るといいね.でも,4人とも全員五体満足であったらの話だね.」
わたしは言った.

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5/1(手術日の朝)


 小さくてもいいから,無事五体満足であるのが一番の願いであった.きっとそれは,妊娠している家の誰もがもつ願いであるだろう.でも,わたしは他の誰よりも心配が大きかった.こんな思いをしているママに産れた我が子は
『産んでもらってありがとう。』
と思われるだろうか?。でも,
『どうして俺を産んだんだ.産れたくなかった.』
なんて,言われるような生き方だけはさせたくない.
 たとえ障害のある子として産れようとも,生命の大切さを知り,一生懸命がんばれる強さを持った人となれるように一人一人を育てていきたい.

 今朝はいよいよ子宮口を縛る手術を受ける日。お腹の中で赤ちゃんが蹴っているような気がした.
「わたし達,元気に生まれたいよー.お腹の中で元気にしているから,ママもがんばって.」
わたしには,そう聞こえた.

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5/1(手術を終えて)


 腰の麻酔の注射を打ち,手術室のベッドに寝る.とうとう私も『まな板の鯉』と同じだ.自分が今から何をされるのか,天井の照明に写る自分を見ていた.丈夫な糸で,まるでスニーカーの靴紐を縛るように子宮口を縛っていく.こんなことまでしなければいけないんだア.
 手術は無事に終わったということで,3時20分ごろには自分の病室に戻った.手術室に入ったのが,2時半だから約1時間だった.これだけの時間なのに,私には1日以上長い出来事のように感じた.
 麻酔が切れてくる夜の9時ごろになって,急に吐き気がしてきた.どこに吐いて良いのか分からず,バスタオルの上にいっぱい吐いてしまった.もうお腹の食べ物は空っぽのはずなのに,吐いた後にお腹に急に力を入れたため呼吸が苦しくなり,手足がしびれ,お腹も痛み出してきた.どうしたらいいんだろう?血圧を測ると,上が54,下が33になっていた.何度測り直しても変わらない.看護婦から「麻酔のせいでしょう。」と言われた.こんな思いまでしなくちゃならないんだ.

 パパは知らないでしょう?。こんなつらい思いを・・・。

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5/4(もう家に帰りたい!)


 入院して5日目にもなるのに,病室の外に出る事ができない.まさひろが来ていても,今は会うことすらできない.GWの中,パパは毎日のように来てくれるが,病院はいやだよ.早く退院してまさひろやパパに会いたい.今回の入院は子宮口を縛るだけの1週間の入院なのに,この後,7ヶ月目になったら,生まれるまでずっと入院しなくちゃ行けないの?。もう,1週間で気がめいっちゃった.ベッドに横たわり,点滴の液がぽとぽと落ちているのを眺めているだけなんて・・・何でもなくても気分が悪くなってしまう.

      早く,早く,帰りたい.

      帰ってまさひろに会いたい.

 こんな思いまでして,お腹まで切って一生懸命にやって,子供達にもしも障害が残ったらどうしよう.パパは後悔なんてしないと言っていたけど,ママは後悔するかもしれない.実際,4つ子を産むのは並大抵のことではないんだ.パパは,
「お腹の赤ちゃんは,美早(亡くなった長女)の分までがんばってくれるよ,きっと。」
なんて言っているけど,複雑な思いでいる私の気持ちなど知る由もない.
「一度に4人生まれて,4人とも同時に育っていくんだもの。こんなにいいことはない!」
なにをおお,お腹を切られる私の身にもなってみろ!

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5/8(退院だあ!)


 今日退院する.やっとまさひろに会える.思いっきり抱っこすることができる・・・。でも,重いものを持ってはいけなし,安静にしていなくてはならないので,まさひろを連れてママの実家にお世話になる.その間パパは毎日のように通って,まさひろをお風呂に入れてくれ,夕食を食べた後はまさひろと遊んでから夜の9時ごろ帰宅するという日課となった.
 まさひろもママが入院中は風邪気味だったことと,ママがいなくて機嫌が悪かったせいもあって,めっきり痩せていたけど,やっと元に戻り.元気一杯実家の兄の子供達と遊んだりしている.
 ままはもうなるようにしかならないのだと覚悟を決めた.だって,もうお腹の子供達をずっとお腹の中でいられるように手術をしたのだから・・・でも,もうすぐ,長い入院生活が待っている.まさひろを家において・・・。ママは不安が一杯だ.4つ子が無事生まれたとして,みんなすくすく育ってくれるだろうか?。どのくらいまで私のお腹にいてくれるだろうか?。ママの体はそれまでもつことができるだろうか?。

 5/13家に帰る.

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7/13(ついに出産入院!)


 25週と2日目にして外来に来る.そろそろ入院とは言われていたが今日から子供達が生まれるまで入院生活を送るようになった.まさひろの事が一番気になるが,しばらくはお義母さんとパパにお願いするしかない.早く赤ちゃんが生まれても,自分で呼吸できるだけの力を持って生まれて欲しい.32週を目標にしているので,より丈夫な赤ちゃんを産んであげたい.

 ねえ,4人とも.ママはがんばるからね.赤ちゃんも狭いだろうけどお腹の中でまだまだがんばってね.

 まさひろ。がんばってね。ママは少しの間病院での生活になるのでまさひろのことを見てあげられません.でも,まさひろの兄弟や妹に障害が残らないように,みんなと仲良く遊べるようにママは精一杯がんばるからネ!。一生のうちで今が赤ちゃんにとって大事な時期だから・・・。そして,それを守れるのはこの世でママしかいないから・・・。まさひろもさびしいだろうけど,パパやお義母さんの言うことを良く聞いて我慢してね.強いお兄ちゃんになってね.

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7/14(ショックKさんのこと)


 私の入院した部屋の隣のベッドにはKさんがいた.双子で現在は33週だとのこと.
「一緒にがんばろうね.」
戸,離していた矢先,突然Kさんが破水してしまった.急遽日立総合病院に救急車で運ばれていった.隣接している県立子供病院が一杯で,新生児の受け入れができないらしい.ショック!!。
 先生に言われた.今は県内のどの病院も未熟児の赤ちゃんを受け入れるところがなくて,栃木県も千葉県も一杯だそうで,もし,今何かあったら,東京の病院に移るしかない(!)と。これじゃあ,何がなんでもがんばるしかない.赤ちゃん,がんばろうね.

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7/19(点滴が始まる)


 26週と1日目にして,とうとう点滴をやるようになった.やり始めたら,きっと赤ちゃんが生まれるまではずせないだろうなあ.点滴が始まってから,自分の手が震える.今まで,洗濯をしたり廊下を歩いたりしていたのが,一挙に不自由な生活となってしまった.だんだん慣れていけるだろうか?。はあ,ため息が出る.この先,まさひろが面会に来ても,会えなくなってしまうのだろうか?。会いたい,ずっと一緒にいたい.

 夜,点滴のため呼吸が苦しくて眠れない.

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7/21(忍耐)


 入院して8日目.だんだん自分の寝る態勢がきついものと変わってきた.午前中のモニターで,お腹が張っていることがわかると,点滴の量を増やし,25から40になった.と,思っているのもつかの間,トイレまでの歩行も禁止となり,ベッドわきにポータブルトイレが置かれてしまった.この部屋の中で用便も済ませなくてはならない・・日に日につらいものとなってきた.いずれはなると思っていたが,思っていたよりも進行が早い.
 明日,まさひろが会いに来る.もし会えなくなっちゃったらどうしよう.忍耐と言う言葉しかないのだろうか?

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7/26(男の子も女の子もいる!)


 入院して明日で2週間.私の行動範囲はベッドの上だけとなり,点滴もずっとつけたままの状態となった.何がなんでも一日でも長く赤ちゃんをお腹の中で育てなければ・・・

 超音波で大きさを見てもらったら,一人は980g,他も850g,830gぐらいあるということで,(お腹の)左上は男の子,左下は女の子ということでした。どうか,無事に五体満足で生まれてきて!。小さく生まれても,障害の残ることなく,無事に産んであげたい.今は,隣のこども病院が一杯で,入れないということであるが,どうか目標の32週ぐらいまで私も赤ちゃんも一体となっていられますように・・・!

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7/30(体重1000g突破!)


 もうすぐ8ヶ月目になる。先生はもう秒読み段階だと言っていたが,私はまだまだがんばるつもり.私しか赤ちゃんを守ってあげられる人はいないのだから・・・でも,先生は言う.32週(までは)難しいと.30週までもってくれれば・・・と。それまで後,2週間足らず.急激にお腹が痛くなって,食事もできなければ,トイレも行けないようになると,言われたが,できればそうならずに(赤ちゃんが)もってくれればと,思っている.
 今日超音波で見てもらうと4人とも1100gぐらいになったということ。だんだん大きくなる我が子をうれしく思う.女の子3人と男の子1人だと,性別もはっきりした.証拠に赤ちゃんのお尻の写真をもらう.4人とも1000gを越えたので,内心ほっとしている.でも,もっともっと大きく・・・健康に生まれてきて欲しい.入院してそろそろ20日。後もう少し.忍耐あるのみ.

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8/1(まだまだ産まないゾ!)


 今日から28週目.8ヶ月目となる。子供の肺が強くなり,外に出たときに,呼吸ができるように注射を4回に分けて行うことになった.もう入院して20日.もうちょっとの辛抱だ.最近,まさひろのことが気にかかる.どうしているのだろうか?。でも,今日はパパがまさひろの成長の様子をビデオに撮ってきて見せてくれた.画面に花火をしているまさひろ・プールで遊んでいるまさひろなどを見た.いつのまにかに,こんなに大きく成長しているんだあ。うれしいと思う反面,その成長を一緒に見られないのを残念に思う.
 入院している間,いろいろな人に出会い,退院する姿を見送った.32週で急に破水してしまい,日立総合病院に運ばれたKさん。24週で生まれてしまい,700gで子供病院に入ったHさん。第1子を4700gで産み,仮死状態となってしまって子供病院に運ばれたUさん。31週で出血し,夜間運ばれていったSさん。21週で胎胞が出てしまい,いつ生まれてもおかしくない状態で私と一緒に入院したMさん・・・。みんなみんながんばっている.我が子のために!!
 私もがんばらなくては。1000g以上になっていれば大丈夫とは言うけれど,自分に力で呼吸ができるようにしてあげたい.

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8/5(大きくなったね,まさひろ!)


 今日はパパとまさひろとお義母さんが病院によって来てくれた.大洗の海へ遊びに行った帰りだと言う.久しぶりに見たまさひろは,パパに髪の毛をスポーツ刈りにしてもらいお兄ちゃんらしくなっていた.相変わらず言葉が出てこないのが,気がかりであるが元気のよさそうな笑顔を見て一安心.ママがいない間,みんなに不自由をかけてしまって申し訳ないと思うが,もうしばらくがんばって,4人の子ども達を健康な体でこの世に誕生させてあげたいから・・・。

  もう少し.一日でも長くお腹にいることが一番大切なことだから・・・

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8/10(モニターはきらい)


 病院にいて嫌なことがある.それはモニターだ.普通の人は赤ちゃん一人とお腹の張りを見る2本の紐でお腹を押さえるだけなのだが,私の場合,5本の紐で固定しなければならず,まず,赤ちゃんの心音の場所を見るのに,かなりの時間がかかり,見つかってもすぐ動き出してしまう.セットしても,赤ちゃんも嫌がるらしく逃げ回ってしまうため,また看護婦さんが心音の聞こえる場所を探さなければならない。まるで,私のお腹を挟んで看護婦さんと子供たちの鬼ごっこをしているみたい・・・
 でも,こんなことをしていると,私自身にお腹の張りが出てきて点滴の量を増やされ,動悸・息切れ・震えがひどくなる。どうにかならないものかといつも思うのだが,お腹の中が狭くなってきた(つまり赤ちゃん自身が大きくなった)ので,一人が動き出すと他の子もそろって暴れ始めるため,お腹は波打ち,ぼこぼことしている.こんなことがいつまで続くのだろうか?。出産日は一日でもながく持たせることが先決なので,決めることはできないと言う.いつ,どんなふうになるのだろう。32週まで持ってくれればうれしいのだけれど・・・

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8/13(お線香あげられなくてゴメン)


 今日からお盆と言うのに,お墓参りにも行けず,病院のベッドから降りられない.先生は
「まだ体が動けるの?。」
と,言うが,確かにお腹は日増しに大きくなり,身動きがとりづらくなってきた.でも,まだ食事と排泄ぐらいは起きあがって一人でできる.先生はだんだんそれすらもできなくなりと言っていたが,もうかなり入院しているのに,まだまだなのか・・・。

 赤ちゃん,せまいお腹の中で来るそうに動き回っているけれど,もう少し.お母さんと一緒にがんばろうね.美早お姉ちゃんの分も・・・。お線香すらあげられなくてごめんね.

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8/17(お腹の中は5kg)


 赤ちゃんの大きさは,1200g,1200g,1170g,1300gとだいぶ大きくなってきた様子.先生の行っていた目標は達成したが,32週までもたせて呼吸が自分でできるようにしたい.9ヶ月に入れば万万歳という言葉を信じてもう少しがんばってみよう.ただ,家のこと,まさひろのことが気がかりで,早く会いたい。帰りたい。

 でも,お母さんが根をあげたら,4人の子はどうなるの?。赤ちゃん達にはどうすることもできないのだから,一日一日がんばらなければ・・・

 お腹の赤ちゃんの体重だけでも5kgに達し,ママのお腹には妊娠線ができてしまった.あと,1kg増えたら限界であろうと言われているが,先生は会うたびに
「よくがんばっているね.」
と,誉めてくれる.これは,私のせいだけではなくてお腹の赤ちゃんがみんなお利巧さんだからと私は思う。
 夜眠るときにお腹をどこに向けたらよいのか分からず,息苦しくなって眠れなくなってきた.先生の話では,まもなく食事もとれなくなるし,トイレにも行けなくなると言っていたが,それはまだ大丈夫みたい.

 後10日で目標の32週。それまでがんばろうね,4人の赤ちゃん全員で!.

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8/22(後1週間)


 今日で31週になった.目標まで後1週間.私の体の方はだいぶ動きが鈍くなってきたが,まだ食べることも動くこともできるみたい。先生に言わせるとこうしていられることが奇跡に近いらしい。帝王切開の日はまだ決まらないが,精一杯がんばって後悔のないようにしたい.人工呼吸器の数が足りないので多分4人のうち2人は別の病院に移ることになるかもしれないとのこと.でも,だんだん呼吸も自分でできるようになっているらしい.がんばれ,我が子。

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8/24(出産日が決まった)


 帝王切開の日が決まった.9月5日か6日であろうと。そうすれば33週になるので全員人工呼吸器をつけなくても大丈夫になるだろうと。後2週間近くあるので,あくまでも予定と言うことで・・。その日まで赤ちゃん達,がんばろうね.何事もなくお腹の中で元気にいて頂戴ね.

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8/25(パパが会いに来た)


 パパとまさひろが面会に来てくれた.うれしい。でも安静ということで長い時間話すことはできなかった.まさひろは片言で話をするそぶりをし,ママのほっぺを触って喜んでくれる.さびしくさせていたんだね.

 パパについ弱音を吐いてしまった.もうお家に帰りたいよーっ,と。でも今県内のこども病院や未熟児センターはどこも一杯では入れないらしい。私と赤ちゃんは帝王切開の決まった日までは最低でもがんばらなくちゃ.

 私と同じ日に入院したMさんに,双子の赤ちゃんが生まれた.1200gと1025gの元気な男の子と女の子だった.生まれてしまえば,今までの安静状態とは正反対にMさんは元気一杯動いている.私ももう少し,がんばればそんな日が来るんだから.今のがんばりが,赤ちゃんにとって,一番大切なのだから。お腹の中に1日長くいれば,赤ちゃんが退院できる日が2日短くなるのだから..。

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8/28(帝王切開日は9月4日に)


 今日はパパとママの実家のお母さんが来てくれ,ほっとする.今度の30日に先生が手術についての話をするから来てくれと,主人に告げた.

 夕方の回診で,先生に手術日が一日早まり9月4日になったと言われた.この所,レントゲン検査・心電図・血液検査といろいろな検査が行われ,手術日が近いことが実感される.後1週間,何事もなくお腹に赤ちゃんを入れておけますように.生まれた後の赤ちゃんの受け入れはこども病院の方でなんとかなりそうとのことで一安心.あと一がんばり.少しでも大きく,丈夫で五体満足に生まれて欲しい.

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8/30(手術の説明)


 今日パパが来て,手術の説明を受けた.手術日は9月4日の午前10時ごろということになった。少し血圧が高くなり,鼻血も出やすくなった.もし,母体が苦しいときは,9月1日になることもあると言われ,少しは気が楽になった.でも,一日でも長くお腹の中においてあげたい.

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8/31(あと4日)


 あと4日で赤ちゃんに会える.楽しみ〜。赤ちゃんがお世話になる予定の県立こども病院の先生方5人と看護婦さん10人,,周産期センターの先生4人全員と看護婦さん8人が私の分娩に立ち会ってくれるということで,安心して任せられる.

 今日超音波で診てもらったら,1400gと1500gと言われ,大きさは1週間前とあまり変わっていないようであるが,それぞれに元気なので安心する.9時半に手術開始。10時に開腹。10時15分には赤ちゃんに会えると言うことだ.ママもできるだけがんばるから,赤ちゃんもがんばってね.

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9/1(あと3日)


 明日から週末.モニターで少し張りがあるので点滴の量がまた増え,3等の50になってしまった.もうちょっとだから,気を緩めずがんばらなければ・・・。

 まだまだ他の正常分娩の子に比べれば2分の1ぐらいの小さい赤ちゃんだけれど,4つ子で9ヶ月目に入れば万万歳と言われている.本当はと言えば,正常分娩より7週間も早い未熟児として生まれてしまうことになるのだが,みんな生まれてから精一杯大きくなって欲しい.赤ちゃん達,あと,3日だよ.あと3日でお外に出られるからね.それまで,お腹の中でお利口にしててね.

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9/3(帝王切開前夜)


 いよいよ明日が4人の誕生日になる.私のほうも準備が終わり,今日から個室に移った.手術時間が少し変わった.10時に手術室に入室,10時30分開腹,10時45分には次々に子供が出てくる予定である.

  元気に五体満足に生まれてきて欲しい.

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9/4(生まれてくる赤ちゃんへ)


 今日が待ちに待った4人の赤ちゃんお誕生日。ママが2ヶ月入院している間,赤ちゃん達も狭いお腹の中で良くがんばってくれましたね.健やかで大きくなってくれましたね.ママが食事をとるときは静かにお腹の中にいてくれましたね.検査のときは,人の何倍も元気に動き回りましたね.
 今日からは,みんな自分の力で呼吸しなければならないんだよ.ママのお腹の中より大変かもしれないけれど,ここの子供病院には立派な先生がみんなの健康をよく診てくれるからね。安心して生まれておいで.ママはみんなを32週と6日で産むことになりました。普通の子よりも7週間も早く,みんなの体重も普通の子の半分ぐらいしかないけれど,ママはね,精一杯がんばったんだ.4人とも元気に生まれて頂戴ね.

 できれば,4人とも障害の残ることのない健康な体で産んであげたい.どの子も一人で自立できるように・・・。それはいまから手術の立会いにやってくるパパも同じだよね.

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9/4(4つ子誕生)


 9時半が過ぎた.ママは手術着を着て.実家の両親とパパの見守る中を手術室へ向かう.
 10時に局部麻酔を開始,30分ぐらいで麻酔が効いていることが確認され,周産期センターの4人の先生により,開腹が始まる.とたんに天井の壁や先生の顔が血だらけになったのが見えた.麻酔が効いているはずなのに,かなり痛い(お腹があまりに大きいので麻酔が良く効いていないのかも・・)。とにかく,こうなったらがんばるしかない.とたんに『男の子が生まれました.』の声.1576g。すぐに保育器に入れられてこども病院へ運ばれていく.その後数分のうちに次々に3人の女の子が生まれ.産声を聞くことができた.3人とも同じ保育器に入ってママの前にやってきた.ママは意識を失って眠ってしまった.

 出血量が多く,しかもなかなか止まらなかったみたいで,手術室を出たのは,午後の1時を回っていた.みんな心配そうにママが出てくるのを待っていてくれた.それから,パパはこども病院の先生に子ども達の様子を見たり,説明を聞いたりしていた。

なおや1570g,みさと1547g,あんな1356g,よしみ1300g

 ばんざーい!

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