過去のコラム


【神を知ろうとする】

 もし、あなたの隣にいる人のことを、ほんの数行の説明で全部分かるのだと思っているとしたら、軽率のそしりを免れ得ないだろう。もちろん、人は誰かのことをすべて理解できるわけではない。けれど、そのような限界を痛感しつつも、もし、その相手があなたにとって大事な存在だったら、一つでも、二つでも、その人を知りたいと願い、追い求めるものではないだろうか。時には、少し頑張って探り求めようとすることも含めて。そして、新たな発見に出会うたびに、喜びを噛みしめるのだ。
 人間はもちろん、神のすべてを知ることはできない。見えてこない御心はたくさんあるし、神のなさることに「なぜですか」と問う言葉はどこまでも繰り返されているだろう。でも、この方が本当に大切な存在であるのだとしたら、私たちはやはり、神を知ることにいつまでも取り組み続けるのではないだろうか。聖書にある一言に、祈り求める言葉の中に、生活の中の様々な出来事に、私たちは主を体験し続けようとするはずである。
 だから、時には少し真剣に取り組んで、普段よりも神と向き合って、どこまでも広がっている祝福の草原へと、足を踏み出してみることは意味がある。友情が、時には喧嘩するほどにがっぷり四つに組み合ってこそ、深まっていくように。
 来週、おいでになる森谷正志師は、今、同盟諸教会の中で静かに広がり始めているC-BTEという取り組みを推進している方である。この取り組みは、確かにちょっと小難しい。受験勉強ではないので、たくさんの知識を要求されるわけではないのだが、自分でよく考えてみたり、応じてみたりすることが期待されるので、馴染みにくいように感じられるかもしれない。テキストや説明の仕方が難解に感じられたら、どんどん文句を投げかけていいそうだ。表現の仕方などの改良はいつでも大切である。ただ、何とかして一人でも多くの人たちが、自分のこととして神に向き合い、神を知り、神との歩みを楽しんでもらいたいという願いの中、C-BTEというコースが差し出されている。来週、ぜひとも、まずは試していただきたい。

(2008.7.20)

【神様にお返しする】

 先週、この3月に天に召された神学校の恩師の記念会があった。思い出話に笑い声のさざ波も起こる、心温まる良きひとときであった。
 その中で、長女や長男の方がここ数年の様子を話しておられた。先生は牧師としての仕事に加えて、神学校の教師としての活躍、日本全体のキリスト教における重責など、多くのことを担っておられたのだが、アルツハイマーを患われたので、それらが次々とできなくなっていかれていた。学生たちに教えることができなくなり、人々をリードすることや責任を担うことができなくなり、親しく関わっていた多くの人のことを忘れ、尊敬する父親から子どもに戻っていき、というようであったそうだ。(私も発症が確認される前後だろうが、コンサートでお目にかかった際、誰だか分からぬ様子でいらしたので、どきっとしたことを思い出す。)
 それは、一緒に暮らし、身近に世話をしていた子どもたちには、とりわけつらいことであったのだと思うのだが、けれど、長女の方が、こんなふうに言っていた。父は、多くのものを神様から与えられて、そして、この世での歩みを終えるにあたり、与えられたものを一つ一つ、神様にお返ししていたのだと思う、と。長女の方が口にした言葉ではないが、ふと、ヨブ記1:21の聖句を思い出した。「主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」
 年齢だけではなかろうが、人は時に、手にしていたものを放していかねばならないことがある。大切にしていたし、間違いなく神からの賜物であり、祝福であり、自分でもその恵みに応じてきていたものであり、誰が考えても、握り続けていて有意義と思われる事柄が、しかし、手放すことになる場面がある。なぜだろうか、と問うし、答えがよく分からないこともあろう。けど、神様が与えられたものであり、委ねられたものであることを思い起こす時、預かったものは返す時がくるのが自然だと、気づかせられる。「もうお返しなさい」と神が言われるのがいつなのかは人それぞれだろうが、その時に、快く、「長い間ありがとうございました」と言うことができたら、人の生涯として最良のものであったのだと言えるように思う。

(2008.7.13)

【温かい励まし】

 青森のふるさと教会から荷物が届いた。開けてみると、青森名産のリンゴジュースの大瓶が並び、お便りと献金が同封してあった。先日の泥棒騒動のお見舞いとして、であった。「驚く」というのは、全く予想していなかったこと、あるはずがないことで、考えもしなかったことが目の前に出現した時の反応だそうであるが、まさにびっくり仰天、驚いた。家族なのだから知らせないのも変な話だと思って、6月末の同盟のニュースに一応載せておいたのだが、こんな反応があるとは思いもよらず・・・。
 温かい心を感じた。ほっとさせられるような、励ましといやしを覚えずにはおられなかった。幸いにも、教会の運営に重大な影響を及ぼすほどの被害には至らなかったし、壊れた窓ガラスもすぐに修繕された。けれど、何か嫌な気分ではあり、殺伐とした世の中への心寂しさはどうしても残る。でも、北から吹いてきた思いやりに満ちた風によって、そんなものは一気に飛ばされてしまった。
 聖書には、人を思い、人を顧み、自分自身と同じように心を配ることが教えられているし、私たち皆、一応はそのつもりでいるはずだとは思う。でも、実際には何をどうすればいいかわからず、気持ちはあるんだけれどもね、と言いつつ、そのまま通り過ぎてしまうことのほうがはるかに多いのだと思う。たぶん私たちは、こういった励ましがどれほど豊かな幸いを生み出していくのかについて、経験がなさ過ぎるのだろう。したことのある経験も、または、受けた経験も。しかし、神が語られていること、指し示されていることには、私たちが気づいているよりもはるかに大きな恵みが込められていることを、そろそろ信頼して、信用して、取り組んでいったほうが良さそうだ。さもないと、永遠にこの祝福を味わうことになく終わってしまい、愚かで、もったいないことになってしまうだろうから。
 リンゴジュースを味わいながら本州最北の地に思いを馳せ、そこにもまた、心を一つにして、共に喜び、共に泣く家族がいることを覚えつつ、主が与えてくださった温かいこの関係を、心に刻んでおきたい。

(2008.7.6)


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