95.01.17 05:46  マグニチュード7.2  震度6

 <阪神大震災発生当時の写真と日記の一部>
阪神大震災から満5年です。記憶を風化させないためにあの瞬間のわが室内の様子を再現します。
95.1.17 AM05.46 の直後、AM07.00ごろの撮影です。(2)の斜めに倒れている本棚の下に私の枕がありました。
偶々その前夜に孫が来ていて、いつもなら両親が迎えに来て帰るのだが、この夜に限ってハプニングがあって孫はそのままわが家で泊まることになった。
私はその夜に限って孫に近い別の部屋で寝ていたために危うく一命をとりとめました。いつもの枕で寝ていたらいまの私はありません。
(2000.1.17記)


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当時の日記 といっても部屋が滅茶苦茶で取りあえずそこらへんの広告の紙の裏などに走り書きしたものがあるのでそれをここに初めの三日分を転載します。メモの断片的ナグリ書きを後日つなぎ合わせて整理してものです

1.17(火)
まだ暗い6時ちかく、大地震発生。ドーンという地鳴りとともにヨコ・タテの激しい揺れで目を覚ます。咄嗟に、タックンが隣の部屋で寝ていることに気付いて急いで行こうとしたが食器棚などが倒れているので乗り越えて辿り着く。部屋にはピアノが横倒しになりテレビがぶっ飛んでいるが奇跡的にタックンの頭の位置ギリギリで止まっている。神様のお陰。キョトンとして立ち上がっている。無事を確かめて抱きしめてやる。気が付いたら足の裏から出血、寝室から来るときに倒れた食器棚のガラスの破片を踏んだらしい。
電気・ガス・水道すべてストップ。枕元の携帯ラジオで情報を聴く。神戸が大変らしい。戦災並みの被害だという。電話もしばらく通じない。9時すぎ淳次・聡子がクルマでタックンを迎えに来る。道路が寸断されていてあっちこっち回り道したので2時間もかかったらしい。3人で店の様子を調べに出かけた。午後電話が回復。店は内装もワインや食器類も壊滅状態。夜7時すぎ電気が復旧し一安心する。家中の家具がひっくり返って足の踏み場もない。床面が見える程度に取りあえず片づける。東京の洋平から電話、テレビで見た由。「神戸はエライコッチャ、高速道路が横転してる」という。「取りあえず明日なんとかして帰省する。何か必要なもの持っていく」と言って切れる。深夜0:40八島氏から電話あり。いま羽田から関空経由難波まで帰ってきたが宝塚まで帰れるかどうかわからないとのこと。相当ひどいことになっているらしい。

 <後日の解説>電気は夜には復旧したが、地震で切れたままの電気ストーブが復旧したときにそばの燃えやすいモノに火がついて火災になった例が多いという。要注意! 電話も一応復旧は早かったが非常に繋がりにくく公衆電話に走ることが多かった

1.18(水)
一夜明ける。一晩中余震がつづく。不安でよく眠れず。午後2時洋平帰宅。羽田−伊丹−北千里−梅田−西宮北口と飛行機・タクシー・阪急を乗り継いで、西宮からは徒歩で荷物を担いで来た。普段は伊丹から40分のところを3時間かかったとのこと。トランクにミネラル、パン、ラーメンなど満載。さすが息子だ。市山くんが鳴尾からポリタンクに水を充満して車で持参してくれたが聞けば彼の母上が昨夜神戸兵庫区の火災で亡くなったそうな。交通不通のため救出に駆けつけられなかったと聞いて、言葉を失う。合掌。今日もこれから神戸へ向かうが何時間かかるかわからないそうだ。電話が繋がらず公園近くの公衆電話へ何度も走るが長蛇の列。夕方かかりやすくなり無事であることの連絡を数件する。JR駅の北側の7階建てマンションが完全倒壊。家の近くも木造瓦葺き民家の倒壊が数知れず。向かいも半壊。我が家は鉄筋築後10年のため本体は無事。ラジオによれば神戸は地震に加えて火災により壊滅的な被害が出ているらしい。夜安否を問い合わせる電話6件あり。逆にこっちの様子を教えて貰う。取りあえず困るのが水。トイレ排水できないので大便は便器にとって庭に穴を掘って埋めるが2,3日しかもたないだろう。

<後日の解説>町内(1丁目から6丁目)で亡くなった方が12人。すべて家屋倒壊による圧死。火災発生がなかったのは不幸中の幸いというべきだ。神戸のことを後日知って恐ろしくなった。

1.19(木)
早朝、朝田くんが安否を確かめに来る。横浜の兄が明日救援物資を持って見舞いに来るとの電話。給水車が小学校運動場に来たのでポリタンクで貰いに行く。13時〜15:30の間、3往復する。炊事用の水はなんとかなるが用水に困る。前日に風呂の湯を落としてしまったのが敗因。JRが甲子園口止まりまでは開通したので梅田阪神百貨店へリュック背負って出かけて食料買い出しのついでにトイレ使って帰る。登山用の携帯コンロと燃料を探すのに苦労した。大阪は平常通りで全く関係ない様子。汚い格好してリュック背負った被災地の姿が梅田の百貨店あたりに大勢見かける。時間にして30分の距離でこれは天地の違いだ。JR車内はまるで敗戦直後の買い出し列車の如き様相。甲子園口以西は不通とのこと。交通の状況がどうなっているのか情報不足である。

<後日の解説>ライフラインの中で水の復旧がいちばん遅く苦労した。町内のどこそこのお宅の古い井戸から水をいただけるというクチコミ情報が有り難かった。日頃からのご近所の付き合いの大切さが身にしみた。


震災から得た教訓(日頃の備え)
いろいろ日頃の備えの必要はいわれていますが、私の失敗体験から特に痛感したことを付け加えます。以下のことは今では励行しています。

1.風呂の残り湯は流さずに溜めておく
   水洗トイレ、洗濯用その他雑用水として絶対に欠かせない。給水車から貰った貴重な水を使うわけにはいかない
2.ベッドの側に厚手の靴下とスリッパを。
   本棚や食器棚のガラスが割れて破片が散乱して足裏を怪我した。冬なら厚手の靴下を履いて寝るとよい。運動靴も用意するのがベターだが、最低、スリッパは必携。厚手の軍手と防空頭巾も身近に置く。
3.枕元にメガネのスペアーを。(眼鏡の人)
   外して枕元に置いたメガネが吹っ飛んで行方不明になった。瓦礫の中から発見した時はレンズが無くなっていた。スペアをつくるとともに、ケースに入れて枕の下に置くとよい
4.懐中電灯は大型で足のついている型がよい
   大型で光量の強いもの。下に置いて両手を塞がないもの。家族一人に1個あるべき。
5.携帯ラジオの電池を点検しておくこと
  せっかくラジオがあっても電池が切れていてはペケ。常にチェックしておく。
6.テレフォンカードは必携
  (いまは携帯電話が普及しているから事情が違うかもしれない)
  家庭の電話が不通でも公衆電話は通じていた。しかし公衆電話に10円玉を入れようとして詰まっていて掛けられないことがあった。テレカでは通じた。  
7.非常品の保管場所は持ち出しやすいところに
  押入の中などイザというときに取り出せるか? ベランダとか玄関、物置など我が家の状況に応じてスグに取り出せる場所を家族で相談して決めておくとよい

                                                               以上