入院徒然草− 大痔主始末記
いつのころからか人間ドックへ毎年の定期検査に入るたびごとに、医師が我が黄門様を覗いては曰く、「早いこと手術せんとあきまへんで」と。しかし、手術が怖いので仕事の忙しさを口実に一年づつ先送りしていたがついに痔の辛さに我慢ならず、手術を決心したのは1994年の初秋のころのことでした。入院も手術も生まれて初めての貴重な体験だったので当時これをパソコン通信某フォーラムの会議室に発表したところ絶賛を博したということはなかったが、一部に再録の要望があると聞くのでここに復刻版を著す次第であります。
入院 94.9.12〜9.19 大阪・済生会中津病院外科病棟
第一章<いよいよ入院>
指定された午前9時に病院の総合受付で入院手続きを済ませて10階の外科病棟へと急ぐ。ナースステーションでまず担当の看護婦さんを紹介される。担当ナースの当たり外れは大きいと悪友どもから聞いていたので、いい人ならいいなとドキドキする。結果はEさんという元気そうで明るく清楚な感じの女性。ちょっと田中律子か香坂みゆきに似ている。これは幸先よし。入院中の生活や手術のことをていねいに説明したあと「なんでも聞いてくださいネ」とニッコリ。大いなる不安があったがこれで解消した。1008号室へと案内される。6人部屋である。まずは同室の先住者によろしくと挨拶する。この加減が案外難しいのである。あまりニコニコしているのも失礼かもしれぬ。深刻そうな顔をしてても暗くなる。そのへんの勘どころが難しい。
おいおいに分かったことだが同室の五人の顔触れはなかなか多彩である。
Tさん、61才。最古参。胃を3分の2切除。何度か入退院を繰り返していまは7月から3度目の入院中である。いわばこの部屋の牢名主的存在で病棟の他の部屋の患者さんのことから看護婦さんの品定めにいたるまで何にでも通じている。便利な情報屋である。
Fさん57才。胃と膵臓の手術をしたばかり。点滴のチューブが24時間ぶら下がっている。見た目にも相当の重症にみえるがご本人は精神的にタフでよく冗談をとばして笑いを誘う。
Sさん、26才。脳外科で手術してリハビリ中。言語中枢をやられたそうで言葉が話せない。松平健に似たスッキリした好男子であるだけにいかにもお気の毒だ。新婚らしい奥さんが毎日面会時間をフルに世話する姿は微笑ましくも痛々しい。
Kさん、61才。私と同じく大痔主だ。1週間前に手術していま術後の養生中。同病の後輩と知って親切に何かと教えてくれるのは有り難いが些か教え魔のきらいあり。手術後に医師の指示を守らずに動き回ったために麻酔が頭へまわったそうでひどい頭痛に悩まされていて、私に「気いつけなはれや」と忠告を垂れる。顔は「そのまんま東」にそのまんま。
Uさん72才。二度目の手術で胃を半分切ったばかり。若いときに鍛えたという自慢の身体の手術の傷跡を自慢げに見せびらかせて嬉しそうである。二谷英明に似た渋い二枚目で胃癌であることを公言する元気一杯の好漢である。猛烈なタイガースファンだという。
皆さんそれぞれに困難を抱えていながらも気持ちが前向きなのが救いである。Kさんや私などは引け目を感じるくらいだ。たちまちに親しくなり「退院したら同窓会やりましょか」などと言っていたが正直言ってFさんやSさんはいつの日のことであろうか。こころから平癒を祈るのみである。
第二章<厳粛な儀式>
手術を翌日に控えた昼下がり、担当ナースのEさんがニコニコしてやってきて「けぞりをしますから処置室へ来て下さいネ」とのたまう。いったいなんのことか分からないがここへ入ったからにはナースの言葉は天の声、ハイっと返事して素直にしたがうしかない。ヒンヤリした感じの処置室へ入ると中年とおぼしき体格のいいオバサンナースが待ちかまえていて手術台のようなベッドへ上れと指示する。そこで下半身をスッポンポンにさせられてベッドに腹這いになり枕を両腕にかかえて顔は伏せて両膝を立てる。そこで初めて状況が呑み込めた。つまり明日の工事の準備で現場の周辺に生えている邪魔な雑草を刈り取って地面をツルツルにするわけだ。これが「けぞり」「毛剃り」か、ナルホドと納得する。
チラリと振り向けば、怖そうなオバチャンではなく美しいEさんが理髪用のヒゲ剃り刷毛とカミソリを手にして私の背後にまわっている。やがて丹念に石鹸の泡を塗り雑草の刈り取り作業に精を出している気配がハッキリと感じ取れる。次第に厳粛な気持ちが湧いてくるのを覚える。この行為は実利的な目的の他に何かしら宗教的な意味がありはしないか。仏教では得度式で頭を丸める。軍隊や今なら高校野球では多くの学校が丸坊主にする。反省したり決心したケジメをつけるのに頭を丸める風習もある。そうするといまEさんに毛剃りされているのは、入院中は主治医やナースのいいつけを守りマジメニお勤めを果たすことを誓う儀式なのかもしれない。そんなことを思い巡らしていると不意に「ハイ、終わりましたヨ」とEさんの優しい声が耳元で聞こえた。うしろへ手をまわすとまったくのスベスベだ。ああ、いよいよ逃げられないところまで来てしまったのだ。すべてを白衣の天使にまかせるよりしょうがない。まさにマナ板の上の鯉である。
第三章<たのしい手術>
めでたく毛剃りの儀式も無事終わりいよいよ黄門様にメスが入る時が迫ってきた。病院食は前日の昼がおも湯、夜はポタージュ様のスープが2皿、当日の朝と昼はやはり重湯。固いものが食いたい! しかも前夜には就寝前に下剤を飲まされて早朝5時に「浣腸しますから」と叩き起こされる。これがEさんでなかったら反抗するんだが昨日の儀式で尻会いの仲になったEさんのいうことには逆らえない。かくして土管の中までスッカラカンになって工事の態勢は整ったのであった。
午後1時40分、Eさんが何故か嬉しそうな笑顔で「さあ、行きましょうネ」とデートのお誘い。ベッドに仰向いたままの状態でベッドごと長い廊下を運ばれていく。10階から専用エレベータで手術室のある6階へ、そしてまた長い廊下を手術室へ。天井が走る走る走る。何かの映画で見たような妙な感覚である。到着するとベッドから2,3人の男の腕に担がれて手術台へ移されたようだ。完全にまな板の鯉状態だ。
主治医と助手の2人から丁寧な説明があり麻酔注射を打たれる。背骨の腰の高さのところにズブリと打つのだが、前もって「ちょっと痛いですよ」と予告があったけどチョットどころの騒ぎじゃない。気が遠くなるような痛さであるがその内にだんだんと麻酔が下半身に効いてきた。その効き加減の確認をしながら「では始めます」とプレイボール宣言が発せられた。
わが黄門様の門前で2人の医師がテキパキと作業に励んでいる気配がし、時々話し声が聞こえてくる。手指の腹でさすっているような感触がするのはきっとメスが走っているのだろう。麻酔は有り難いな。そんなことをボンヤリ考える余裕がでてきた。BGMが流れている。「エリーゼのために」だ。電話かけて待たされるときに嫌というほど聞かされる曲だ。ベートーベンもこんなところで使われていると知ったらどう思うやろな。などとつれづれなるままによしなしごとを思い巡らせていると耳元で「ハイ、お疲れさんでした」と主治医がゲームセットを宣告する声。時に午後2時35分。試合時間1時間弱のたのしいひとときであった。
気のせいか身軽になった感じで再び手術台のままエレベータ前まで搬送されていくと、そこにEさんがベッドとともに待ちかまえてくれているのを見た。「どうでした?」と問い掛けるその声があたかも天上からの音楽のようにわが心の襞にしみ通るのであった。
第四章<上と下>
メインイベントは終わった。1008号室へ戻るとこの道の先輩・教え魔のKさんが寄ってきて手術後の心得あれこれを自分の失敗体験をまじえて喋ってくれる。二三日はなるだけ動かぬようにとか、出された食事は少しだけにして水分をたくさん摂るようにとか、その意味はあとでわかることになる。手術後はしばらく絶対安静である。絶食で栄養は点滴注射で摂る。お疾呼は膀胱からチューブで吸引して袋に溜める。雲古がしたくなったら枕元のナースコールを押せば来てくれる。こんな状態がまる二日もつづくと気分的にスッカリ病人になってしまいそうだ。
何日目かに点滴はなくなって薄い薄い粥になり、下半身のチューブも外された。その時の解放感は何物にも勝る最高の気分だ。Eさんが「チューブを外して最初の疾呼を出すときはちょっと痛いですよ」と脅かすのでびびったが、しかし初めて自分自身の意思のはたらきでお疾呼が思い切り飛び出したときの快感は譬えようがない。ヤッタアーと大声で叫びたい、その気持ちは他人にはわかるまい。
考えてみればどんなに旨いものを食ったり飲んだりしてもこんな幸福感を味わったことはない。インプット(摂取)するよりもアウトプット(排泄)するほうがはるかに喜びは大きいのだ。人間(オス)は上半身に7つ、下半身に2個の穴を持つ。上半身の穴は食べ物や情報を入力するハタラキがあり、下半身の穴は出力のハタラキを持つ。数において優る上の穴よりも少数派の下の穴のほうがヨロコビが大きいというのは創造主である神の思し召しでありましょうや。うーむ。
第五章<ナイチンゲール>
辞書を引いてみる。
nightingale : 燕雀目の小鳥。早朝・薄暮・月明の夜に鳴くのでこの名がある。サヨナキドリ、ヨナキウグイスともいう。
Nightingale,Florence : イギリスの看護婦。クリミア戦争で多くの看護婦を率いて傷病兵の看護にあたりクリミアの天使と呼ばれた。
ナイチンゲール賞: すぐれた看護婦に対して万国赤十字社が与える賞。
だんだんと絶食から重湯にそしてお粥へ常食へと術後の経過が順調なのはうれしいが、Eさんが来てくれる頻度が減ってきてそのぶん付属看護学校生徒のTさん(22才)がEさんの補助として付いてくれることになった。患者の容体によって担当の異動があるらしい。担当の他にも定時の検温、血圧測定には別の人が交替で来るのでおよそ8人のナースの名前を覚えたことになる。みんな明るい性格で(というかそのように患者に接するように教育されているのだろう)病室の空気を明るくするようにつとめているのには感服する。
こんどのTさんは看護学生で来年国家試験を受けて合格すれば正式にここの看護婦になれるとかで張り切っている。高校生のころからこの道を目指していたとか、こういう若者がいることは心強い。実習中なので勉強のために何でもさせてくださいと積極的である。頭のシャンプー、身体を熱いタオルで拭くこと、ガーゼの取り替え、坐浴の世話など、自分で出来ることだが彼女の実習の材料として役に立つならばとお願いする。Tさんみたいな若い女性にしてもらう幸運を満喫して思わず鼻の下が長くなった。
この部屋には病の篤い患者が2人居るのでナースたちはたいへんだ。夜9時半の消灯から朝5時まで深夜早暁にもほぼ30分ごとに懐中電灯を照らして見回りに来て、FさんSさんのベッドを点検して異常なしを調べていく。その合間にもナースコールが鳴る。深夜静まり返った廊下をパタパタと急ぐナースシューズの足音が耳から絶えることはない。まさにnightingaleだ。わが肉親でも嫌になるようなつらい汚い仕事を顔色も変えずにテキパキと片づけることができるのはプロ意識と技術に支えられた自信からくるものであろう。
冗談いえるぐらいに回復したころ、雑談で「あんたら患者さんからプロポーズされたり息子の嫁に来てくれとか言われるでしょう」と聞いたら「アハハ」と笑ってごまかしていたが結構あるらしい。「看護婦をもらったら旦那さんはたいへんですよ。夜勤とか多いし、仕事はキツイし。うちに帰ったらたいていゴロゴロしてますねんよ」と。責任が重くて仕事がキツイ割には給料や休暇などの待遇は一般のOLにくらべて恵まれていないのが事実のようだ。みんな一度はお世話になる彼女たちの待遇をなんとか改善してあげたいと思った。
退院の午後、Eさんにお別れの感謝の言葉を掛けようとナースステーションを覗いたが前夜の深夜勤務明けで早朝に帰宅したあとだった。心残りなことである。Tさんに「ありがとう、しっかり頑張ってええ看護婦さんになってや」と右手を差し出した。その手をしっかりと握り返して「ハイッ」と応えてくれたその頬はさわやかに紅潮して目に眩しかった。
病院の玄関を出て9日ぶりに吸うシャバの空気は、いつも吸っていた大阪の空気と違った新鮮さに満ちているように感じられた。
(完)
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