すっぽんの寝言  

            
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面白い新聞の論争              04.04.10

朝日、読売、産経の「日の丸・君が代」論争が面白い。折柄の卒業式・入学式
シーズンで公立学校の式で国旗掲揚・国歌斉唱に反対して実際に起立しなかった
教員に対して、東京都教育委員会が戒告処分したのがそもそもの発端で、このこ
とに対して朝日が日の丸・君が代を強制するのは憲法が保障する「思想及び良心
の自由」を犯す暴挙
であり、掲げない自由・唱わない自由も認めるべきだ と主
張した。

まず読売がこれに異議を唱えて「学校だけが社会の常識からかけ離れている。
(野球場やサッカーW杯のように)当たり前の姿に戻すべきだ」
と主張したが、
これはちょっと論点が的外れだと思う。野球場などではそれこそ個人の自由で唱
いたい人は唱ったらいいし嫌なら起立しなくてもいい。産経は読売とは違った論
点で朝日に反論しているがこれは正に正論だ。

 ここで問題なのは都立高校という公教育の場でのことで教員は公務員だという
ことである。私的な生活の中では個人の権利を主張し自由に自分勝手な行動をし
ても罷り通るのが今の日本の社会であり、朝日や“進歩的文化人”の得意の場面
だが、公教育の場にその考えを持ち込むのは場違いでありそれではそもそも教育
は成り立たない。しつけや教育に強制が伴うのは当たり前であり、公教育を担う
教員に教育委員会の通達を遵守する義務があるのは当然の話である。それが嫌な
ら公立学校を辞めて私学か塾の先生になればいいのである。

 公と私、義務と権利、自由と規律を弁えない独り善がりな詭弁を弄する大新聞
にはウンザリする。最近また朝日の販売拡張員の勧誘が激しくてウンザリするが
部数の減少に歯止めがかからないという業界の噂もチラホラ。それはそれで結構
なことではある。       (完)



      
自衛隊のイラク派遣を支持する      03.12.10

 そもそもどんな戦争にも正義の戦争はない。いわゆる括弧つきの「正義」は
あるが。アメリカが日本を「正義」の名において裁いた東京裁判がそれである。
マッカーサー自身が後に米議会で証言したように大東亜戦争は日本の自衛の
ための戦争でありアメリカの国益と日本の国益との衝突によって起きた戦争で
あって決して東京裁判が裁いたような「正義」と「邪悪」との戦争ではない。
古今東西いかなる戦争も利益と利益との衝突によるものだ。以上は前置き。

 イラク戦争を起こしたアメリカの狙いが石油にあることは今や常識である。
ブッシュが世界の保安官気取りで正義の旗印を掲げても底は割れている。そん
なアメリカではあるが、日本は憲法により自力で自分を守ることが出来ずアメリ
カの核の傘で守ってもらうしかない情けない国家であることに甘んじてきた。い
ま日本の隣にはナラズモノ国家が日本国民多数を拉致した上にテポドンの筒
先を東京に向けて照準を合わせているのが現実である。あの国が侵入し攻撃
してきたときに日本は自力で防衛し反撃することができるのか?

 まさか「民主主義人民共和国」がそんな悪いことするワケないと、野党やいわ
ゆる進歩的文化人や朝日新聞などのメディアは信じているようだ。いったん有
事の際に日本国・日本人を武力で守ってくれるのは残念ながら(憲法を普通の
國並みに改正しない限り)同盟関係にあるアメリカしかないという、情けない国
家である。 今イラクでアメリカが支援を求めているときに応じずにいて、こんど
日本が攻撃されたときに助けてくれと言え
るか。言ったとしても無駄なことだろう。
つまりイラクでアメリカを支援することは「正義」や「国際信義」とかのキレイ事じゃ
なく、日本の安全と平和を守るためである。

 独仏中露が対米支援に参加しないことを称賛するような議論がメディアで盛ん
に取り上げられているが、独仏やカナダの近くにナラズモノ国家がいない。別段
アメリカに義理立てする必要もない。ましてやロシア・中国はもともと北朝鮮とは
特別の関係にあり6ヶ国協議でも北に融和的で日本の立場は知ったこっちゃない
わけでこれら諸国にとってイラク問題は見て見ぬ振りで高見の見物でいいのだ。
むしろアメリカの苦労を面白がっている風に見える。

 そんな諸国の動きを見て見習えという論調は無責任か無知による論外の意見
であり日本国民の将来にわたる安全保障に責任を持つならば止むを得ざる選択
としてアメリカの支援に応じるしかあるまい。その場合もできるだけ高値に吹っか
けて最小限の犠牲で済むようすべきだがわが国にそんな外交が出来るのか不安
である。 尤も、それまでに北の体制が崩壊するか、憲法改正して自力で自国を守
る力が出来てアメリカに頼る必要がなくなれば話は別になる。
                                             (完)


      ジェンダーフリーは國を滅ぼす        03.10.20

 先日、孫の小学校の運動会へカメラマンを仰せつかって参観に行ってきた。
5年生ともなると4年生のときとは随分体つきが変わってきたな と思ったものだ。
そんななかで驚いたのは5年生の競技で男女混合の騎馬戦。騎馬戦や棒倒し
は男子の競技と思っていたが今は騎馬戦の馬も大将も男子もいれば女子もいる。
むしろ女子が大将の馬の方が優勢だったり、そうかと思えば女子を突き落としたり
投げ飛ばしたりする男子もいた。以前は女は弱いんだからいたわりを以て接する
のが男だと教えられていたものだ。これは差別でも軽蔑でもなく骨格や筋力など神
様がそのように造られた資質であって男女の特性の違いである。子供のころから
男女の違いを意識させずイッショクタにする教育をしていていいのか。家庭内暴力
(DV)の急増もこれと無縁ではないかもしれない。

 最近の教育では男女を同じに扱うのが正しいのだそうな。男女同権、男女平等
が行き過ぎて「男女同質」を主張するジェンダーフリー論者
が幅をきかせていると
いう。
中学生の男女生徒を保健室の同じ所で着替えさせたり、夏休み合宿で同室
で宿泊させて保護者から抗議があったという報道を先ごろ新聞で見た
のを思い出す。

 
ジェンダーフリー論者は男女の違いは生殖器だけであとは全部イッショだと主張
し、男らしさ・女らしさは排除すべきものだという。そして「男女」はいけない、「女男」
と書いて「みんな」と読ませるのだそうな。全国の自治体で広まっている「男女共同
参画宣言」の中には「ジェンダー意識の解消」をうたい「女男(みんな)」を採用する
ところもある。

 性差を無視し男女同質を主張するばかりか、美しく正しい日本語をムチャクチャな
造語によって破壊する彼らの非常識というより奇矯・過激な考えは恐ろしい。この
ようにして日本は内部から壊れていくのだろうか。
                                     (完)



      
いわゆる靖国問題とは            03.08.15

 八月十五日が近づくといつも「靖国問題」が浮上する。ことしも来日中の中国
外相が首相の靖国参拝に対して強い牽制球を投げてきたが「靖国問題」はあく
までも日本の国内問題であり他国がとやかく干渉すべきことではない。
 「靖国に戦犯が祀られているから首相参拝には反対」という意見がある。
そもそも中国共産党や朝日新聞が戦後40年も経った'85になって急に「戦犯合
祀」を理由に猛反対を言い出したその時期とODAの金額の推移の相関に興味
がある。中国の民族感情を刺激というより金銭勘定を刺激したらしいがさすが
中国の現実政治のしたたかさ・巧妙さは見事なものだ。それにつけても日本外
交のナイーブな幼稚さは情けないばかりである

 死者に鞭打ち溺れる犬に石を投げ、王朝が変わるたびに旧王朝の歴史を書き
換えて墳墓を暴いてきたという彼らの民族性と、こちらは逆賊でも死んだら神や
佛として祀るという(平将門、足利尊氏など・・)大和民族とでは、どっちが良い悪
いではなく、死生観や宗教心やつまり民族文化がぜんぜん違うのだ

 靖国に眠る方々の多くは一銭五厘の赤紙で召集され御国や家族のために命を
捨てた恩人である。国の命令で亡くなったのだから国の責任者である総理大臣
が公人として参拝し感謝と追悼の誠を捧げるのは当然であり小泉個人では無意
味である。
 そのことが他国民の感情を傷つけるとしたら民族性や文化の違いを繰り返して
説明するしか仕方がない。説明の努力は必要だがどうしても理解できなければ
しょうがない。お互いの異文化を認め合うべきであり主張を押しつけて内政干渉
する方が間違いだ。

 殊更にツッパル必要はまったくないが、よそから言われて言うべきことも言わず
にひたすら相手のご機嫌を窺うのが外交だと考えてきた日本は世界中からバカ
にされてお金だけふんだくられて ハイ ソレマデヨ にならないように、孫たちの
時代に期待するしかないのかな
                                   (完)


       原爆の日に思う                03.8.6

 アメリカのトルーマン大統領が、太平洋戦争の早期終結を目的として、
日本の本土に原子爆弾の投下を指令したのだと教えられ「戦争を終わ
らせるためには原爆投下はやむを得なかったんだ」と納得していたが、
それがウソだと知ったのはソ連崩壊で当時の外交機密文書が流出して
公開されるようになったためで、戦後50年以上も経った後のことである
 戦後の「獲物の分け前」を巡って米ソの激しい外交駆け引きがあった
のだ。日本を降伏させる「トドメの一撃」を打った方が戦後処理の主導権
を奪うことができるというわけである。7.25にトルーマンが原爆投下命令
を下し、8.6に広島に投下した、僅かその2日後の8.8にスターリンは一方
的に日ソ中立条約を破棄して参戦してきた。するとその翌8.9日にアメリカ
は長崎に広島のより強力な2発目を投下したという、獲物を狙う2匹のハ
イエナの凄まじい争いであった。
 日本が既に死に体だったことは承知の上で、戦後の外交戦略の道具と
して原爆が使われたことは歴史が証明している。外交は武器を使わない
戦争だから当然ともいえるが、そのことを知らない(知ろうとしない)多くの
日本人はオメデタイことに「原爆のお陰で戦争が早く終わったんだ」とアメ
リカに感謝さえしている。
「あやまちは繰り返しません」はいったい誰がいうべきことか?

                                    (完)


       
あの戦争の呼称               03.8.1

 毎年のこと、八月の声を聞くと「あの戦争」のことに思いを馳せることが多い。
そもそもあの戦争を「太平洋戦争」と呼ぶのはアメリカ側の呼び名であり日本
が戦ったのは大東亜戦争であった。その事実を確認しておきたい

 昭和16年12月8日の閣議でこの戦争を「大東亜戦争」とすることを決定して、
官報にも公示した正式の名称である。日本が大東亜戦争を戦ったのは歴史上
の事実であり、イデオロギーや善悪の評価とは別のことである

 敗戦4ヶ月後の昭和20年12月15日に「聯合国軍最高司令官総司令部参謀
副官発第三号」という名の命令書によって、『公文書に於いて大東亜戦争なる
用語は使用することを禁止する』との指令が出た。これは法律でも条約でもな
い、占領軍の命令である。当時マッカーサーといえば最高権力者だからこれに
従わざるを得ないのは当然でアメリカ側の呼称「太平洋戦争」を使わされたのは
しょうがない

 昭和27年4月28日講和条約が発効して日本は主権を回復して独立国になり、
占領下の命令指令の類はこの日を以て無効になったのだが占領されボケの日
本は政治家も報道関係も占領下のままノンベンダラリと過ごしてきてコンニチに
至っている。憲法も然り。主権国家としての自覚がないまま経済発展だけを追求
してきたことが今日の国家としての在り方、国民の生き方を根本的に毀損してき
たといえる。単に戦争の呼称の問題ではない。自分の頭で自主的に考えることを
放棄した独立国とも言い難い姿がここに見えるのである。
                                     (完)



           
女性専用車の怪           02.12.21

 昨日もまたウッカリして女性専用車両に知らずに乗ってしまった;;
大阪駅でエスカレーターでホームへ上がったとこに電車がドア開けて待って
まんねん。シメタ!と思って乗り込んだら運良く席が一つ空いてたので坐って
夕刊読んで20分後に降りる駅に到着。ホームに足を下ろしたらそこに女性専用
車のマークが大きく書いてある。いま乗ってたのは女性専用車両だったんや!
と初めて気がついて、動き出した電車を振り返ったらその車両だけすいていて
前後の車両はかなり混んでいた。これって、不合理ちゃいまっか?

 そもそも女性専用車は痴漢行為から女性を防御する目的だろう?
それを一括りに性差で「女性」と「男性」に分けるのが間違ってるのではないか

すべての男性:A
そのうち痴漢および痴漢予備軍:a
すべての女性:B
そのうち痴漢の被害に遭いそうな女性:b
と区分して、aだけを隔離する専用車両、またはbだけを保護する専用車両を
設けるべきではないか。現状では「A−a」には迷惑「B−b」には過保護むしろ
失礼だと思うがこんな意見 JRは聞き入れてくれへんやろね;;
どないして区分するねんって? 有識者の審議会を作って答申してもらうとか
自己申告制をとるとか方法はあるやろ

 ジェンダーフリーだ男女共同参画社会だと叫び、看護婦はいかん看護士だと
いう方々が女性専用車に異議を唱えないのは納得できないのである
                                           (完)





        
 朝日(チョウニチ)新聞           02.09.18

 昨日の日朝首脳会談の結果は衝撃的だった。拉致された方々のうち8人
がすでに死亡していたとの報道には驚きと憤激を禁じ得ない。ならずもの国
家北朝鮮への怒りはいうまでもないが、加えて、これまでの日本の歴代の
首相や外務省(特に槇田元次官や田中真紀子外相ら)国会議員(特に野中、
中山正アキ、鳩山由紀夫、土井たか子ら)マスコミ(特に朝日新聞とその系列
局)がこの問題をマトモに取り上げなかったり、或いは軽視してきたことは重
大な犯罪行為(不作為による共犯関係)と言ってもいい。彼らは何をしていた
のか?この失われた20年間は余りにも大きい。

拉致事件を1980.1.7の産経新聞が初めて報道したとき他紙は無視を決め込
み、92年に「李恩恵」の存在が分かったときも産経は北朝鮮の関与を指摘
したが朝日はこのことで日朝交渉を停滞させてはならないと社説で主張した。
横田めぐみさん拉致が発覚したときも朝日は「拉致説」とか「いわゆる拉致
問題」との表現で、単なる疑惑に過ぎないと言ってきた

今朝の論調でも朝日はさすがに拉致が北朝鮮(イチイチ長ったらしい国名
で書いて)によることを一応は認めた上で、「天声人語」はこういう「犯罪」
(括弧をつけたのはイワユルという意味らしい)は珍しいことではない、米
CIAでも嘗ての日本でもやっていることだと北朝鮮のために弁解している。
また、拉致事件の衝撃と憤りの気持ちは理解できるがそもそも日朝の不正
常な関係は日本による植民地支配に原因がある 過去の日本も北朝鮮も
負の歴史を負っているのは同じだ(だから北朝鮮だけを責めるなとの含意
である)と論説主幹が主張している。これを読むと、朝日はいったい日本の
アサヒ新聞なのかチョウニチ新聞なのかと疑いたくなる

8人の死亡は北朝鮮の国家犯罪だ(括弧なしの)。それを放置した政府の
不作為と今に至ってなお北朝鮮寄りの論を弄する「朝日」新聞には言うべ
きことばも見いだせない(怒!!)



      
 日本の官僚ここが悪い         02.08.30

<前項にひきつづきNYのPさんとの対話の一部である>
Pさんの問いかけ>やっぱり、諸悪の根源は、官僚制度なのかな?
           >官僚にも、もちろんいい人はいるんでしょう

マスコミは諸悪の根源を官僚制度や官僚そのものに決めつけていますが、
そんなことはありません。官僚制度はどこの国にもありこれがなければ
行政は機能しません。官僚制度が悪いのではなく、まして日本の官僚は
極めて優秀で仕事熱心な人たちです

問題は組織の運営の仕組です。日本の官僚組織は世の中(世界や社会)
が変化しても外界には目を向けず一旦決めたことは杓子定規の金科玉条
で変えない、何事にも前例主義、眼が内に向かって組織を守ること自体
が目的になっている、よく「省益あって国益なし」と批判されますがその通り
で国全体や国民の利益を考えるよりも自分の役所の利益を優先する仕組
みになっている。外務省、大蔵省がその典型です

何故そうなったか? 中央官庁には優秀な人材が集まります。「優秀」
とは大学の成績優秀者であって成績優秀とは問題発見の能力ではなく、
予め正解のある問題の答を上手く当てる能力で決められています。今は
初等教育から大学入試までそうです。役所に入っても自分で問題点を見
つけるよりも、正解(前例はどうか、上司の意見はどうか、、)を見つけて
それに忠実に従うのが優秀な人材として出世階段を登ります。入省年次
の序列は固く守られ後輩が先輩を追い越すことは絶対あり得ません。
双六の上がりは事務次官でそれになれるのはタッタ一人で他の人は莫大
な退職金を貰って、関連の公社や紐付きの会社に天下りのレールが敷い
てあります。しかも権限は大きく責任を取ることはありません。こんな天国
みたいな世界に住んでたら組織を必死に守ろうとするのも当然です。
個人的にはいい人で優秀で家庭ではいいパパだからこそ、官僚組織の弊
害を身の危険を冒してまで打破することができるわけありません。

わたしは小泉首相の目指す方向性は正しいと評価します。他の政治家には
出来ないことをやろうとしている。しかしそれを実現するための戦略・戦術
が杜撰で危ない。米国大統領補佐官リンゼーさんが「小泉さんには経済の
分かるアドバイザーが一人もいないのか」と驚いたそうですが私のような素
人が見ても掛け声だけはいいが実現可能性には疑問を持ちます。理想を
現実のものにするには実務の官僚を丸め込んで使わなければできません。
敵を味方に取り込む度量と策略が必要ですが、逆に必要以上に敵を作って
意気がってるように見えます。それが心配です   (完)



        
ジャパニーズ・ウェイ          02.08.29

<ニューヨーク在住の知人Pさんから ”日本人の商社マンは決定が遅いと
評判が悪い。これは最近大和魂に欠けるからではないか”との提起があった
ので、それに対する私見を述べたものである>

日本人のビジネスマンのYES,NOの意思決定が遅いのは、男らしさに欠けると
か毅然としないとかの人間的資質の面もあるでしょうが、それよりも日本の
社会全体に植え付いている「意思決定のやり方」にあるというのが実務の経
験から得た私の意見です。個人よりも仕組みに問題があると。

一般に欧米のビジネスマンが商談で即決できるのはトップ(決定権を持って
いる人)から大きい権限と責任を与えられているためです。日本でも中小規
模の会社なら担当者に相当の権限を与えますから即決できるし判断に迷った
ら即刻東京のトップ(社長とか)に直接電話で相談して結論が出ます。
大会社では組織の階層が多い(担当からトップへ至るまでに少なくとも5つ
や6つの階段があるでしょう)。現地での契約について駐在員に与えられた
権限内で判断できない場合には「御本社」へお伺いを立てます。御本社では
その案件について例えば10人の役職者がハンコを押して合議・決裁となる。
また会議を開いて異議なしで決議されます。この経過だけで優に数日はかか
ります。決定した結果について万一失敗した場合に誰が責任を取るか?誰も
取りません。「会議で決まった」「全員のハンコが揃っていた」ので全員が
責任者、ということは誰も責任者でないと同義です。敗戦時の一億総懺悔と
イッショです。バブル崩壊の原因となった住専問題で大蔵省の高官、狂牛病
問題で農水省の高官が責任取ったという話を聞いたことがありません。「省
議決定事項」だからです。いま日本をダメにしているのは権限と責任の所在
が曖昧になっていることだと思います。本来、権限だけ大きくて責任はない
とか逆に権限がないのに責任だけ負わされるのはあり得ないことです。権限
と責任とはコインの裏表で一体のものの筈です。強大な権限を使いながら責
任を取らない官僚組織やそれに倣った大会社の不祥事に共通しているのがこ
の日本式意思決定の弊害です。これの改革をしないで個人レベルでの人間的
側面(男らしさ、毅然、勇気などの資質)を問うのは無理と思います

貴方の指摘された「なさけない話」を無くすには現地の担当者に大幅な決定
権限(責任を伴う)を与え、トップ(最終責任者)との距離を短くしてスピーディ
に結論を出せるように組織の構造改革を行うことしかありません。
しかしこれに猛反対するのが霞ヶ関の官僚組織であり不祥事の絶えない一部
の大企業です。現実には小回りの効く中小企業や、大企業でも優れたトップ
のいる会社は現地駐在員への権限責任を大幅に委譲して任せています。そう
でないとシタタカな中・韓に負けてしまいます。貴方がご覧になったのはまだ
大企業病に蝕まれたことにすら気付いていない会社でしょうね。
そんなのは潰れても自業自得と思います

このことの根幹には戦後の教育の在り方が深く影響していますがここでは触れ
ません。創造力や知恵の価値よりも全員一致の集団の力で目標に向かってマッ
シグラに進む方が効率がよかった高度成長期にはこれが日本の強さの秘密でし
た。エズラ・ボーゲルの「ジャパン・アズ・ナンバーワン」がベストセラーになったり
NYのロックフェラーセンターを三菱が買収したのも遠い昔になりました。時代が
明らかに変わっているのに気付かない人(組織)が多いのです。
時代の変化に伴って変えなければいけないことと、如何なる時代にも通用する
普遍的なこととの見分けが大切です。「思いやり」や「相手の立場に立つ」は
後者ですね。アメリカンスタンダードが至上ではない。芭蕉のいう不易流行の
精神が今や日本人に忘れられています

日本人の持つ潜在能力は大きいと自負します。それを発揮するには社会の構造
特に大切な教育や税制etcを変革しなければ、やがて中・韓から大きく離されて
アジアの後進国になるのは必至だと思います  (完)




       
男(女)らしさは差別か
        02.08.14

政府や自治体が推進しようとしている「男女共同参画社会」とは何物か?
児童生徒のクラス名簿は男女別をやめ混合名簿にせよ、男の子の端午
の節句や女の子の雛祭りなんかは、男は強く女は優しくといった誤った
考えだから廃止せよ、男言葉女言葉は差別である、子どもに男(女)の子
らしい名前をつけるのは差別を植え付けるものだ、ランドセルの色が男は
黒(青)女は赤と決めるのも差別だ、3才までは母親の手で育てるべきと
いうのは女性軽視だ、女子中学生からコンドームやピルの上手な使い方
を教えるべきだ、女性に「美しい、きれい、優しい」と形容するのは性差別
である、昔話桃太郎はおジイさんが山へ芝刈りにおバアさんが川へ洗濯に
行ったのは男女の役割意識を刷り込ませるから子どもに読ませてはいけ
ない・・・いやはやナントモ凄まじい教育が行われつつある

兎に角、男女の「区別」を差別と歪曲し男らしさ・女らしさを徹底して排除
するのが男女平等の美名のもとに公教育の現場でいま着々と進んでいる
憂うべき実状である。日教組や「進歩的文化人」が画策している「美しい日
本伝統文化の破壊工作」に文部科学省がマンマと乗せられてこの有り様
である。
皇太子ご夫妻のお子様に「愛子」と名付けられたのはよかった

やはり夏は暑く冬は寒く、女は優しく男は強く、あらまほしきものなり。




         
国を守る気概?    
       02.05.15
 
中国シン陽の日本領事館で起こった北朝鮮の亡命者駆け込み事件で領事
館員の対応が非難の的になっている。こんな外交官は懲戒解雇だと与野党
もマスコミも追及に忙しい。しかし、本質は違うんじゃないか

雪印食品ではセンター長の個人犯罪と言っていたのが結局は会社全体
に遵法精神が無いことが明らかになり会社そのものが消滅してしまった。
そういう社風だったと古参の元社員が告白していた

外務省の機密費横領も個人犯罪だがその横行を永年にわたって許した組織
の風土があったことがハッキリした。そういう風土を放置した歴代幹部の責任
は重大である

領事館の連中に國を守る気概がないのは情けない限りで非難されて当然で
みんなから袋叩きになっている。彼らや外務省幹部という目に見える対象を
非難し懲罰を加えるのもいいだろう。しかし、ヘソ曲がりの私は敢えてあの副
領事を弁護したい誘惑に駆られる(こっちも袋叩きに遭うか;;)

「公務員は憲法を遵守する義務がある。憲法前文には--日本は自国の平和
と安全を自ら守ろうとするのではなく、諸外国はすべて平和を愛するのだから
その公正と信義に信頼しておけばいい--と明確に書いてある。その証拠に外
務省に今まで國を守る気概を発揮した上司が一人でもいましたか?」と彼が
言ったら面白いナ(無理か;;)

外務省に限らず政府、与野党、マスコミ、進歩的文化人も含めて、国家意識の
薄い人たちが多いというこの國の風土が根強い限り今回のような事件が続発
すること間違いないだろう。事件の都度担当者と責任者が懲戒解雇になり、そ
して誰もいなくなって外務省自然消滅..という雪印方式はどうです。ナニも急い
で今直ぐ潰すこともあるまい

報道を見ていると尻すぼみになりそう。マスコミも近ごろは75日も持たない。
その内誰も話題にしなくなって忘れられてしまうのがオチだ。

李鵬サンの「2008年日本国消滅説」が俄かに現実味を帯びてきた;;
                                          (完)
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平等主義でいいのか                   01.10.8

 雨で延びていた孫の小学校の運動会にカメラ係で行ってきた
昔わが子の時はペンタックスに望遠レンズだったが今や周りは誰も彼もみんな
ビデオとデジカメの全盛である。
 幼稚園年少組のときから見続けているが初めて走り競走でトップでゴールする
のを見て親や本人よりも私が興奮してしまった。私自身はいつもビリかその前、
子ども達も走りは遅い方でトップランナーの経験がない筈だ。ようやく三代目で
トップを切った!と大喜びすること
 ゴールに入っても「1」とか「2」とかの旗がないのだね。順位をつけるのは差別
につながるとやらの平等主義思想に染まったいわゆる「戦後民主主義教育」が
ここに具現されている。子どもたちも懸命に走って一等になってもあまり嬉しくも
なく、必死で走ってビリになってもあまり口惜しくもなく、なにか白けた表情である。
「みんな頑張りました。一緒にバンザイ!しましょう」「バンザイ」。それで終わり
 算数はダメだが足は速い、漢字は苦手だが画は素晴らしい、音痴だが理科は
抜群、といった子どもがクラスに居て人気者だった昔を思い出す。いまはみんな
同じように平均的な子どもを育てているようだ。これでいいのかな。
                                         (完)

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NY在住の友への返信                     01.10.8

 拝復 
 頭だけでなく身体全体で感じて書かれたお手紙から臨場感が伝わってきて
そちらの大変さをただお察しするばかりです。ただ、「日本の人の意見をみる
と、報復はいけない、戦争はいけないというものが多い」と受けとめられてい
るようですが、その意見にもいろんなのがあります。「平和憲法」という、敗戦
後の特殊な状況下で神ならぬ人間が作った法律を金科玉条・不磨の大典と
たてまつって、いついかなる場合にも武器を執ってはいけないという平和念仏
を唱える信者がいらっしゃいます。戦争を考えるだけでも平和に反する。あくま
で話し合いで解決せよと、まるで神懸かり的な議論をまじめにやっています

私は「戦争はいけない」派でしょうが平和念仏教とはまったく違います。報復で
はなく制裁を!です。テロリストとその組織を草の根分けても徹底的に追及し
て法的制裁にかけるべきです。軍事力での報復は罪のない大量の民衆を犠牲
にします。敵は「国家」や「民族」ではなくテロリスト組織集団で彼らは神出鬼没
で見えないところに隠れています。ミサイルや空爆では潰せません。テロリストを
炙り出すために頭脳を使った戦略・戦術がいちばん重要だと思います。今この
卑劣で残虐な敵に立ち向かうのは、腰に二挺拳銃を挟んだ威勢のいい西部劇
の保安官ではなく緻密な戦略家と思慮深く真の勇気と智慧あるリーダーです。

テロ組織との闘いに支援を惜しみません。要はその闘いの方法であり戦略です。
従来型の軍事力による戦争では敵と同じ土俵になってしまう。早くもイランやパ
キスタンなど近い國ではアメリカの軍事行動に対して反発が出てきてイスラム民
族主義との衝突の様相を憂う声が上がっています。まさにテロ側の思うツボです。
敵には余程優れた戦略家がいて、数年かけてここまでのシナリオを書いてきたと
いう説があります。真偽は分かりませんが、敵の思うツボにはまらない真に智慧
と勇気のあるリーダーシップをアメリカに望みたいと思います
                                           (完)



       
不謹慎ですか               01.9.28

 近鉄バファローズが代打逆転満塁サヨナラ本塁打で12年振りのリーグ優
勝を決めた。暗いことばっかりの最近目の醒めるような快挙である。ところが
このご時世に不謹慎だ、といって大騒ぎは御法度だとコミッショナーが指示し
たそうで恒例のビール掛けは出来ずささやかにシャンパンで祝杯あげたとか。
常勝チームなら兎も角、12年振りでしかも2年連続最下位チームが劇的な
優勝したんだからビール掛けぐらい大目に見てやってもええのんちゃいまっか。
ベンチ入り選手の年俸総額が12球団中で最下位で成績も最下位で「近鉄」
と書いて「チカ鉄」と呼ばれてきたチームがここまで頑張って結果を出したこと
を祝ってやりたい。こんなときに喜びを爆発させることがテロの犠牲になった
方々や遺族の方々の心を傷つけることになるとは思えない。選手の自発的
発意からなら兎も角、コミッショナーというお上の権威で指示したところに胡散
臭さを感じる。他にせんならんことあるだろう>コミッショナーさんよ

NYの事件は他人事じゃない。何か出来ることは取りあえず貧者の一灯をと
赤十字と某新聞の寄金に浄財を寄せて犠牲者との連帯感を覚えて帰った。
その帰りに行きつけのバーで「ニューヨーク」というカクテルを注文したらバー
テンダー氏、自信がないという。近ごろそんなカクテル出ないそうな。仕方ない
ので「マンハッタン」を頼む。ベースのウィスキーはブッシュ大統領に因んでテ
キサスをと思ったら、テキサスのウィスキーなんて無いんだね。ケンタッキー
(バーボン)かテネシーか。テキサスにより近いのはテネシーだから「ジャック
ダニエル」をベースに「マンハッタン」をつくってもらったた。1杯目をマンハッ
タンのテロ惨劇の犠牲者を追悼しながら、店の隅にあるTVを見てたらセ・リ
ーグでYGが連敗している。2杯目はYGのご臨終を心から悼んで献杯した
                                   (完)


   
アメリカは世界の保安官か               01.9.16

 アメリカがNYでの卑劣且つ残虐なテロリスト組織に対して報復の牙を向けた
ことは当然のことと共感する。しかしその背後にあるとされる勢力や國に対し
正義の敵だと言い始めているのは要注意だと思う。自分こそは「正義」であり
それにしたがわないものは「邪悪」である、近代文明に対する挑戦である、善
と悪との戦いである、という二元論の考えがアメリカには根強い。マンハッタン
の瓦礫の上で演説するブッシュ大統領の姿はまるで西部劇の保安官ケーンか
ワイアット・アープを髣髴させるものがある。
 湾岸戦争時のブッシュ(父)と今のブッシュ両大統領の演説の放映を見たが
全く同じように「正義」と「善」を振りかざし、当時も今も相手側は「聖戦」を叫ん
でいる。古今東西およそ戦争に100%の正義・善の戦争や聖戦などあり得ない。
今回のテロ行為の組織を徹底的に壊滅するのは制裁として当然の行為だが、
しかし「それを支援する國の存在を許さない」のは異文明・異文化の存在を否
定するものだ。西欧近代文明のみが正義であると誰が決めたのか。世界の保
安官気取りはマッピラご免である。(完)



       プロ野球の人気凋落       01.06.20

最近プロ野球とくにセ・リーグの人気の落ち込みが大きいそうだ。その大きい
原因が今年から変わった順位の付け方にあると思う。去年までは(パ・リーグ
は今も)毎試合後の勝率で順位を決めたが今年からは勝利数の多い順番で
順位を表示する方式にかわった。

巨人はドームが本拠だから雨中止がなく試合の消化が早い。ヤクルトは神宮
が本拠で雨天中止が多い。昨日現在で消化ゲームは巨人がヤクルトよりも
9ゲームも多い。だから勝利数が多いのは当然だがその差はたった4である。
従来の方式ならゲーム差0.5、勝率0.022差でヤクルトが首位だ。ドームを持た
ないチームはゲーム数が追いつくのが遅れるからシーズン中に首位に立つの
は至難の技で、従来のように僅少ゲーム差で首位争いで緊迫してTVを見るこ
ともない。パ・リーグのように首位から4位まで日替わりで順位が入れ替わる方
が面白いのは当然である

これは巨人のオーナーが新聞のスポーツ欄で常に巨人が首位であるためにこの
方式を強引に持ち込んだと噂されているが本当かな? もしそうなら実態を隠し
て表面上は首位であるように粉飾する、いわば「バブル」そのもの。

国会の小泉・真紀子人気やイチロー・新庄のメジャーリーグ人気という外部にも
原因があるとしても、球界内部に本当の原因がある。一億円以上のプレイヤーが
何人も(桑田・斎藤・槇原・工藤)二軍で無駄メシ食ってるなんて、ファンに対して
失礼じゃアーリマセンカ(--)/~~~~~~~ピシッ


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        中国政府の対日姿勢について            01.4.11

中国の政治体制が一党独裁の全体主義であり反党反政府の意見が許されないのは
明白な事実だがその国の国内問題だから別に構わない。ただその考え方を体制の
異なる日本に押しつける(教科書問題で)のは平和条約や共同宣言で謳った相互不
干渉や友好関係に反する。国家と国家との関係を律するのは条約であり両国トップが
国家国民を代表して条約に調印したにも拘わらず、猶も国民感情が反日に燃えている
とすればそれは政府の統治能力の問題であるか又は意図的に国民感情を煽って外交
的に利用しているかである(歴史上その例は多い)。

合意の上で平和条約を締結したのに日本人一人一人が謝罪するまでは未来永劫に
対等な友好関係にならないなどという無茶苦茶な論があるが友好を本気で望まず永久
に恫喝と謝罪の関係を継続したい魂胆としか見えない。内政の矛盾のハケ口を外に求
めるのは古今東西多くの権力者が使うお馴染みの手法でこれが露骨になったのがあの
天安門事件以降であることは注目すべき事実だ。

 <註> 天安門事件:'89.4の胡耀邦総書記の死を追悼する集会がキッカケとなり
  '89.6.4に天安門広場に民主化を要求する学生・市民の百万人規模の大集会が行
  われたがその群衆の中に李鵬首相らの意を受けた人民解放軍が戦車で彼らを蹂躙
  及び発砲し死者3700、負傷者約1万を出し血の日曜日として世界中にTVで生々
  しく報道された。政府発表(89.6.17)によれば一人の死傷者も出ていないという。
  当初学生らの民主化要求に柔軟だった趙紫陽は罷免され(その後死亡)後任の江
  沢民がその後の党・政府の強硬路線を指導し現在に至る。この事件で多数の人民
  が投獄・処刑・亡命の運命にさらされた。もちろん教科書には載っていない。

天安門事件のあと対日姿勢が急に強硬になったり来日した江沢民主席が皇室の晩餐
会で無礼な言動をしてさらに日中関係を悪くしたことは記憶に新しいところだ。またこれ
で思い出すのは5年前に李鵬首相(当時。現、全人代委員長)が公式の外交行事の中
で「日本は20年後には消えてなくなっているだろう」と公言した事実である。大地震など
で物理的に消えることの期待なのか又は自国の属国か隷従国にしようという魂胆なの
か、なんと無礼千万なと思ったものだがこれが酒席のヨタ話ではなく公式発言であると
ころは次項で触れるアメリカ占領軍のWGIP計画を髣髴とさせる。これを言われて一言
もなかった日本政府とくに外務省の態度は既に精神的に属国並みなのかも知れない。

敗戦直後に占領軍CIE(民間情報教育局)が企図したWGIP(戦争についての罪悪感
を日本人の心に植え付けるための宣伝計画)は原爆2発でも壊滅しなかった日本人の
精神に「第3の原爆」を投下することを目的にして情報と教育分野を重点に置いた民族
精神改造の壮大な実験だった。CIEの文書の冒頭には『日本人の心に国家の罪とその
淵源に関する自覚を植え付ける目的』『日本における伝統的秩序の破壊』などの文言が
あり周到に計画され実行されたことは今では公文書公開で周知の事実になっている
('48.2.6付CIEの文書)。その重要な標的にされたのが戦前戦中から最も好戦的で軍部
に追従してきた朝日新聞だったのは当然であり、いまなおその影響の残滓が強く「国家」
「国民」「国益」「公益」「祖国」「伝統」「秩序」「義務」「規律」などの言葉に反発するのは
他紙と読み比べれば顕著な特徴ちなっている。

朝日新聞に近い考えの人にむかって「それでも日本人か」とその人たちを責めるのは見
当違いといえる。彼らは無意識のうちに最も模範的で忠実なWGIP被験者になった日本
人の標本である。自分の属する国家に対する意識がない、正にWGIPの期待した日本
人像だがその呪縛から未だに解放されずにいる人たちが減りつつもなお残存するのは
やむを得ない。CIEの目論見では、War Guilt Information Program は教育と言論を
掌握することによって占領終了後も幾世代にもわたって影響力を及ぼすであろう と予
測したが、その予測は概ね当たっているようだ。さすがアメリカ、やることが長期戦略的
でシステム思考が徹底している。長期戦略のない日本など足もとにも及ばない。
嘗てのアメリカ製のWGIPであり中国政府製の日本消滅論に注目する必要がある

必ずしも年齢や世代に関係なく現に政治の中枢にもその種の日本人はいるし、アメリカ
に都合のいい価値規準を「グローバルスタンダード」と錯覚する官僚や評論家もいる。
占領軍のCIEが報道と教育に目を向けたのは正鵠を得ていた。同じ意味でこれからは
「失われた日本的な良さ」を取り戻すために報道と教育の正常化が21世紀の課題であ
ると思われる。某国首相から「消えてなくなっている」と宣言された「Xデー」まであと15年
しか残されていない。愛する子や孫たちの世代にこの日本を残すために自信を持って粘
り強くやるしかない。
 
<歴史教科書問題>
今まで7対0だったのが7対1になった意義は大きい。他国からの不当な干渉を排して0
を1にしたのは自由な言論と報道を守る意味でよかったと思う。採択の問題も明かな国内
問題であり他国の介入は許されない。日本人自身の責任で決めることである。
検定合否が山場を迎えていた3月27日に中国共産党機関紙人民日報の最高幹部白克明氏
が来日して朝日新聞箱島信一社長と会談したという小さな記事が目に留まった。朝日は国
営新華社通信や共産党の人民日報と親密な関係にあることは自他共に認めるところだ。
検定失格工作に失敗したあとは今後は採択を巡ってどんな手口での工作や宣伝が行われ
るのか、大きい関心を以て朝日の記事に注目したいと思う。
                                                   (完)



          朝日新聞は反日的か?        01.02.25

朝日の言論が甚だしく事実に反し歪曲されていることや日本よりも他国の国益に
利するものであることは多数の実例を挙げることができます。今また教科書問題
で「いったいどこの国の新聞か?」と疑うような論説を書いています。
しかしそのことで「反日的」「国賊」「売国奴」などと決めつけるのはちょうど
彼らの側が反対側に「右翼」「ファシスト」「侵略者」などと呼ばわるのと変わ
らない空虚で愚かしいことで、私は反対です。

朝日やその影響を強く受けた「進歩的文化人」も決して反日的国賊売国奴なんか
じゃなく、彼らなりの考えで日本の幸せのために正しいと信じてやっているに違
いありません。彼らは日本が主権国家として堂々と自己の主張をすることは日本
の為に良くないと信じているのです。そういう発言があるたびに「近隣諸国の反
発を呼ぶことは避けられまい」などと抗議・謝罪要求への期待を滲ませる記事を
何回も書いてきたのも日本の未来のためには中国の属国となり中国を宗主国とし
てひれ伏して過去を謝罪し続けることが平和と安全の為に大事だと確信している
ためです。軍事力で侵略されたら抵抗せずに喜んで首都東京へ迎えるべきだとの
意見が堂々と公言されています。5年前(?)に当時の李鵬首相が「20年後には
日本なんて国は消滅しているよ」と豪語しましたが、日本の「文化人」の中には
それに呼応する意見が公然と存在します。"空気"をつくるのが上手いのが戦前か
ら朝日の得意とするところです。

彼らの考えは決して「反日」ではなく日本の国家主権を棄てて中国に従属するの
が日本の為だというのだから「棄日」「嫌日」というのが正当でしょう。国家や
国益、国民という言葉を嫌悪することからも明らかです。

その考えは価値観、歴史観が歪められていることに起因すると思います。明治維
新や日露戦争の世界史的な意義をどう理解するかで全く反対になります。彼らは
現在の法律で往時を裁くことをしている。世界の大きな歴史の流れの中で見よう
とせず、勝者が敗者をリンチにかけた「東京裁判」を正義が邪悪を裁いたとし、
その視点で歴史を視ているから戦前の日本的なものはすべて「悪」になります。
その過ちを指摘し青少年や無関心層にも知らしめなければならないと思います。
相手をスローガンで罵倒しても「目糞鼻糞を笑う」の類で何の得るところもない
ように思います。


        

      成人式と日教組の集会              01.02.01

 1/27から4日間都内で日教組の「教育研究全国集会」が開かれた。毎年行われ
る大会で目的は ”教師が日頃の教育実践を報告し話し合う”ことだそうな。
 新聞報道によると1/27の全体集会で来賓として挨拶に立った横山東京都教育長に
対して会場から「右翼!」「帰れ!」などと激しい罵声が浴びせられた。しかも反省の
色はなくその後の分科会ではこれを報道したマスコミに対する抗議の声が挙がり、以
後の取材拒否に出たと報じられている。成人式での若者の傍若無人な行動と日教組
集会のそれとがダブッて見えてきた。まさに「日頃の教育実践」の成果である。
 こういう社会人の初歩的なマナーすら弁えぬ教師集団に教えられ、影響を受けて育
った若者が常軌を逸した行動をとるのも必然かもしれない。

 学校が社会から遮断した特殊な場所であり、社会のマナーや常識とは別の論理が
罷り通るのはどう考えてもおかしい。来賓を呼んでおいて罵声を浴びせかける人間が
学校で子どもたちに社会のマナーや常識を教えられるわけがない。教員に社会人体
験のある人を採用する、教員に実社会の研修をさせる等、実績を挙げている府県もあ
るが日教組の強いところでは出来ないとか。校長が自殺したり土下座させられる教育
界は異常である。親や一般の社会人がもっと学校現場の今の実態に関心を持って意
見を言う責任があるのではないか。

 一部の学校では未だに結果平等がはびこり、朝礼で「気を付け」「前へならえ」は軍
国主義を連想するから号令をかけないので整列がバラバラだし、教室へ先生が入って
も「起立、礼」もなければ「お早うございます」の挨拶もなくなんとなくダラダラと始まり
ダラダラと終わるのだそうだ。その学校内では通用したとしても、子ども達が社会へ出
た時いちばん戸惑うのは当の子ども達だ。努力して成果が出たときの喜びや、挨拶や
ルールを守り周囲と協力することの大切さを身をもって学ばせることは学校教育の大
きな役目だと思うが、それと全く逆のことを教えている教師集団があって自らも教育研
究集会で実践して見せているのが実状だ。
 高松市の成人式で暴れた若者も後日になって反省して「目立ちたかった。そんな問
題になるような悪いことだとは知らなかった」と言っている。教えてなかった親や自ら
手本を示していた教師集団、の責任は重大だ。そんな振る舞いを「若者のパフォーマ
ンスで一分の理もある」と媚びて煽てる朝日新聞には毎度のことながら、白ける。
                               



    「大東亜戦争
」は失言ではない              01.01.14

 またまた森アイアム総理の「失言」騒ぎ。彼が「大東亜戦争」と言ったのを一部の
メディアが攻撃しているようで、先の石原都知事の「第三国」発言のときと同様に
彼らの無知さ加減には呆れる。いうまでもなく靖国に眠る戦死者の方々は大東亜
戦争に従軍して尊い生命を捧げられたのであってアメリカ製の「太平洋戦争」なん
ぞじゃない。それでは英霊は浮かばれませんぞなもし(怒)

 日本人が「太平洋戦争」と言い始めたのは、敗戦後4ヶ月経った昭和20年12月
15日にマッカーサー司令部が大東亜戦争なる用語の公文書における使用を禁止
しアメリカ側から見た「太平洋戦争」の用語を使用せよと命令したことによる。CIE
(民間情報教育局)の”WGIP”(war guild informa-tion programm 戦争について
の罪悪感を日本人の心に植え付けるための宣伝計画)にもとづいて、様々な強制が
行われた。わたしの記憶にあるだけでも日の丸禁止、二宮金次郎像の撤去、神社
参拝禁止、先祖崇拝や神棚を拝む絵や写真の禁止、出版物や映画演劇で仇討ち
物の禁止(忠臣蔵や猿蟹合戦も)チャンバラ物禁止(桃太郎も)etcetc,日本人の心
に伝統として伝わってきた古き良き伝承もすべて邪悪なものとして排除したが一番の
標的は新聞と教育の洗脳でそれに忠実に従って期待に応えたのが朝日新聞と日教
組だった。

CIEは当時「われわれは2発の原爆で戦争に勝ったが日本人は必ず復讐を考えるに
違いない。日本人の精神に第3の原爆を落とすのだ」と言ってWGIPを策定したのだ
が、占領が終わり主権が回復して半世紀が経った今も未だにその呪縛から脱してい
ないマスコミや「進歩的文化人」がいるわけである。

 先祖から受け継いだこの美しい祖国の国土とこころを子々孫々まで立派に伝えて行
くことが私らの願いだが、何しろ「進歩的文化人」は日本人でありながら日本が嫌いで、
もし他国が日本を侵略してきたら手を挙げてどうぞどうぞと侵略軍を東京に迎え入れよ
うという思想だから某國の「偉大なる領導様」などがお聞き遊ばしたら手を拍ってお喜
びになることだろう(怒)。逆に某国でこんなこと言うたら即刻監獄入りだが、こっちは
思想言論の自由の國だから何を言おうと勝手放題で有り難いことである。

 森 I am 総理がどんなつもりで大東亜戦争と発言したのかは知りないが、こういうこと
は言うべき相手と場所とタイミングを心得てキチンとした形で確信をもって発言すべき
であり揚げ足を取られるような軽はずみな発言は国益に反する。あの人にそれを期待
するのはどだいモリ チャウ、ムリだろうが・・

 どの國にもそれぞれの国益があり主張をぶつけ合いながらギリギリのところで折り合
いをつけるのが外交というもの。他国の顔色を窺ってひたすら迎合し自らの国益を主張
しないのは外交とは言えない。この國に外交があるのだろうか






            続:大蔵省は徳川時代の悪代官か     00.12.2

 
一昨日標題の文章をアップしたばかりだったが昨日の新聞報道によると発泡酒増税は見
送るそうだ。なんでも自民党の剛腕実力者である亀井さんから大蔵省幹部が呼びつけられ
て「そんなちまちました悪代官みたいなことはするな!」と一喝されて恐れ入ったとか。見送
りの結果は結構だがその経緯は逆に情けない。信念があるなら説得して押し通せばいい。

 見送りであって撤回ではないのも気になるところ。おそらく来夏の参議院選挙を前にして
いま増税では票を失う心配からの政治的先送りであり、見返りには大蔵高級幹部の将来の
参院出馬というニンジンがぶら下がっているのだろう
 重要な政策の行方がこんな目先の永田町の利害で左右されるのは国民にとって不幸な
ことである。発泡酒増税見送りを一概に喜んでばかりはいられないが取りあえずカンパイ!



            大蔵省は徳川時代の悪代官か       00.11.30

 大蔵省の役人が来年度の税制改正(?)で発泡酒の税率をビール並みに引き上げようとして
いる。その理由は主税局によれば「一時期アルコールに苦みをつけただけの模造ビールと
呼ばれた発泡酒があってこれをビールと同等に扱うことは品質上無理だった。ところが近年
技術の進歩で発泡酒とビールの品質に差がなくなってきた。同じ様なものには同じ税負担を
課すのは税負担公平の原則から当然である」 とのことである。

 
オイオイちょっと待てよ!

 そもそも日本の税体系で、ビールと発泡酒は全然別のものである。水を除いた原料のうち
麦芽の重量が67%以上のものがビール、それ未満のものが発泡酒ということが法律で決め
られていて税率にも大きい差があった。発泡酒メーカーの品質向上努力で美味いことが消費
者に認知され売上げが急増した平成8年に大蔵省はビールの税率を据え置く反面、発泡酒
のうち麦芽率の67%未満50%以上のもの(つまり原料面でビールに近い部分)の税率を約45
%引き上げたという経緯がある。取りやすいところから取れというわけである。その根底には
麦芽率がもっと低い25%未満あたりの発泡酒はどうせ不味くて売れるわけなかろうと考えて
それでも26%の増税をしているのである
 業界各社は消費者に美味くて安いものを提供するべく、麦芽を25%未満に抑えながら如何
にして消費者に評価される品質のものを作るかに原料面、製造工程面などで創意工夫を凝ら
した結果、現在では「ビール+発泡酒」市場に占めるシェアは22%にまでになり市場の認知
を得たことは証明されている。いま出ているメーカーの発泡酒はすべて麦芽比率25%未満だ。

 大蔵官僚のやり口はまるで徳川時代の悪代官そのもの。民間の血の滲むような企業努力
の成果を「技術の進歩で発泡酒とビールの品質に差がなくなってきた」からとまるで天から
降ったか地から湧いて出た自然現象みたいに言って取りやすいところからふんだくろうという
浅ましい魂胆ではないか(怒)。単に増税なんでも反対を叫んでいるのではない。正当な、納得
のいく増税なら受け入れるべきは国民として当然であるが、自らは懐手をして他人の努力の
結果をかすめ取ろうという官僚根性は腹立たしいものがある
 今夜もまた美味しい発泡酒を飲んでウサを晴らしてやりましょう
 


           (続) この國の政治家には呆れる      00.11.21

 こんなタイトルで書くのはもうウンザリだが今度もまた書かざるを得ないのが腹立たしい。
2週間もの間注目されてきた自民党加藤ナニガシによる内閣不信任騒動がその決議案採決
の直前ドタンバになって加藤本人が採決に欠席と態度を豹変してアッサリ幕切れ。森内閣は
不信任されなかったという結果が残ったのである
 およそ大事を成すにあたっては理念・目標・戦略・戦術がキッチリ明確でなければならない
のは何ごとでもそうだが、特に政治・外交においては然り。それが何もない、ただ世論の支持
率が低いのを唯一の名分にして旗揚げした加藤ドンキホーテの愚かさを嗤っているだけでは
こわい。理念や戦略ではなく、結局は義理と人情、懐柔と恫喝、下手な浪花節の世界である。
 まかり間違えばこの程度の政治家が一派閥のリーダーであるが故にこの國の首相になりう
る可能性があり、ひょっとして実現したかも知れないのだ。彼がもし首相になった場合中国や
北朝鮮に対してどういう外交態度がとれるかを危惧していただけに一応は安堵しているのだ
が、まだ安心はできない。
 マスメディアは相変わらず派閥レベルの政治力学にのみ興味を煽って報道しているこの
2週間のなんと空しいことか。アメリカ大統領選挙の開票の混迷もひどいもんだが、そこから
大統領選の在り方が根本的に議論される動きが出てきたのはせめてもの救いではある。
こちらの騒動からは何ものかが生まれてくるのか。


            
この國の政治家には呆れる          00/11/3

 
このところの政治の世界の出来事は語るのも嫌になるほどの不愉快さだがやっぱり書いて
おかないと後悔するので一応書き留めておくことにした。
ひとつは中川官房長官の女性および暴力団幹部との交際スキャンダル。もひとつは森首相が
英国のブレア首相にしゃべった「北朝鮮の拉致事件の第三国発見」発言である。中川問題は
所詮は人間として思慮の足らない甘ちゃんが政治家なんかになって分別もなく軽率なことをや
らかした馬鹿な事件にすぎないのであって、野党が鬼の首でも取ったように政府の責任を追
及するのは野党に政策論議で自信がない証明であり基本的に大したことじゃない。
 しかし森首相の「拉致された人が第三国で発見されたことにしたら北朝鮮の面子が立つ」と
の解決策があったことをブレア氏にペラペラ喋った件は許し難い。これを国会で追及した野党
党首たちも森首相から「そんな話は今さら国家機密でもなくすでに周知の事実であって非難さ
れることではない」と反論されてそれ以上の追及はできないテイタラクである。
 機密を漏らしたかどうかが問題ではない。そういう発想を国の責任者である総理をはじめ政
治家が何の疑いもなくすることが大問題だ。国政の最大の目的は国民の生命・財産を守るこ
とだ。これを外国が犯す行為は国家の主権侵犯であるのはいうまでもない。主権侵犯がなか
ったことにしてウヤムヤで解決する策を提案し、そんな姑息な策があったことを関係もない英
国首相に話すという呆れ果てた軽率さ思慮のなさにはまったく絶望する。
 
国家の根本を忘れ小手先の策略で事を済ませようとする政治家には辞めてもらいたい



                  体育の日に思う            00/10/10

 体育の日といえば十月十日と思っていたら今年から十月の第2月曜に移動したそうな。連休
を増やす安易な機嫌取り政策だが小手先の思いつきで理念も哲学も見えてこない。それは所
詮期待しないが気象庁の資料によれば十月十日は晴天の特異日で東京オリンピックも含めて
この日に雨が降る(降った)確率はゼロに近いらしい。今年9日に変わったために、地域の大
運動会は午後雨に祟られてサンザンだった。自然界の摂理に逆らうような思いつきは止めた
方がいい。
 地域の運動会だが年々参加人数が減っている。町内対抗(1丁目から6丁目ほか)も人集め
がむずかしいらしい。少子化が大きい要因だが地元意識が薄くなっている傾向だとすれば由々
しいことに思われる。阪神大震災で経験したようにご近所の間での「助けられたり助けたり」こ
そが災害に強い町づくりのいちばん大事な出発点だと思うのだが。
 運動会に限ったことではない。いまこそ地域の人々の交流の機会を増やしていきたい。まず
は通りすがりの挨拶から。


                 パ・リーグを声援           00/10/8

 ようやくダイエーの優勝が決まった。あの戦力で連覇は立派だ。マジックが1になってから足踏みがつづ
いたお陰でNHK衛星放送が3日間連夜の実況ナマ中継をしたので他局がCMの間ときどきチャネルを切
り替えて観戦した。
 そもそもTVでパのゲームは滅多に放映しないから選手の名前と顔が一致するのは少ない、ダイエーで
は秋山。城島ぐらいしか知らない。名前だけは知っている村松、吉永、小久保、松中、坊西、ニエベス、
ラジオにしても顔を見てもどれが誰かわからない。シーズン前に工藤や小宮山がパからセへ移籍したの
も、TVや新聞での報道のされ方についての不満があるとの見方もあるそうだ。虚人軍の二流選手でも
TVで顔が売れていて引退後の口が容易に決まるというのだからまったく不公平な話ではないか。
 札束の力で他球団やアマ球界から強引に有力選手をさらっていって他チームの二倍の戦力で優勝を
ふんだくったチームとの日本シリーズでは何とかしてパを代表してダイエーに頑張ってもらいたい。希望
的予測はダイエーが4−2で日本一だ!
 それにしても親会社ダイエーの社長副社長がインサイダー取引疑惑とは、何をしてるんだ!スポーツ
マンシップと対極の醜態だ。


            柔道の誤審のこと       00/09/23 

 シドニー五輪での100kg超級の決勝での判定を巡って怒りの声が満ち満ちている。誤審で銀メダルに終わった篠原選手
が可哀想だ、表彰台で終始口惜しそうに顔を伏せていた気持ちに同情するとの意見が圧倒的である。中には少数派であるが
「不服だったら、表彰台に立たなければ良い。立った以上、ウジウジすべきではない」との声もあったが、まったく同感で
ある。
 明かな誤審とはいえ決定は決定だ。それが不服なら表彰式をボイコットして抗議の意思を示すか、或いは、出るならば
スポーツマンらしく胸を張って堂々と誇りを以て銀メダルを誇示すべきだ。それが真の武士道精神ではないのか
 あの主審の判定の瞬間に「得点電光掲示板が故障したと思ってその場で抗議しなかった」との発言があったそうだが
(新聞報道による)これこそ問題である。悪い情報は受け入れたくないという心理がはたらいて自分に都合のいいように
解釈して却って問題を大きくしてしまった例が、このところ政治や経済面でも余りにも多い。判定がおかしいと思ったら
その瞬間に即時抗議して試合を中断することはルール上できるのだから、それをしなかったコーチ陣の失態だと思う。
篠原君には罪はない。誤審のために失った金メダルよりも誤審で得た銀メダルの方が価値が高いというエピソードを五輪
史上に残した。彼がこの事件で武道家としてさらに大きく成長してくれることを期待したい

 この事件ははしなくも日本の「自己主張能力」の欠如を世界に披瀝してしまった。国際社会でしたたかな外国と交際して
いく上で致命傷にならなければいいが と祈る


       
           道具と筆法の間          00/07/09 

 エッセイスト・画家・農園主である玉村豊男さんの「モバイル日記」という本を読んだ。大阪心斎橋の「そごう」本店の
最後の姿を見ようと行った(これはこれで感慨深いものがあった)ついでに隣の大丸で玉村豊男展をやっていて独特の水彩
画や版画の世界に興をそそられ、ついでに彼の著書が積んであったので手にとってパラパラ眺めていたらこういう文章が目
に留まったので面白いと思って買ってしまったわけである
 <引用開始>(P53)
 ペン書きで不便なのは、手が紙に触れるとまだ濡れているインクをこすってしまうことだ。筆で書くのなら濡れた墨を
たっぷりとつけたとしても手は宙空にあるのだから字を汚す心配はないし、また、ペンを使っても西洋式の横書きなら書
き終わった部分に手が重なることはない。道具と筆法の間には合理的な必然性があるのである。万年筆で縦書きをしよう
というのがいけないのだ。<引用終わり>

 この本の腰巻きの惹句には「私はいかにしてデジタル人間になったか」「ありあまる老後のヒマを潰すのにパソコンほど
役に立つ道具もない。しかも飽きる前に死んでしまうから、最後まで楽しめる」とある。ちなみに著者は1945年生まれ、
私より一回り以上も若い。老後をいうのはまだ早いゾ!
 久しぶりで肩の凝らない、味のある本を読んだ気がした


         新聞のやったこと         00/07/01

 <日本の新聞はいつの時代にも外交問題には冷静を欠く刊行物であり・・・、つねに一方に片寄ることのすきな日本の新聞
と国民性が、その後も日本をつねに危機に追い込んだ>
という文章を読んだ。(或るフォーラムでのM.N氏の記述)

 その最も顕著な先例が日露戦争終結時のポーツマス条約反対運動を扇動した朝日・毎日両新聞である。
ロシアは日本海海戦で大敗したといっても陸軍力には余力があり長引けば挽回して勝つ公算は大きかったが革命という国内
事情があった。日本は日本海海戦勝利の今がピークでこれ以上戦争を継続しても勝算は乏しい。アジアに影響力を保持した
い米国のルーズベルト大統領の仲介でアメリカのポーツマスで講和条約が締結されたのは日露両国にとって幸いであった。
 ところが朝日、毎日新聞が屈辱的な講和だと講和反対・戦争継続の論陣を張り世論を扇動し紙上で黒枠つきの記事、弔旗
を掲げ日比谷公園で全国大会を開き条約破棄を主張して政府や小村寿太郎全権大使を糾弾した。新聞に扇動された民衆は政
府系の国民新聞社を襲撃したり交番を焼き討ちしたり暴徒と化した。この騒動は決して国民の中から自発的に起こったもの
ではなく明らかに朝日(と常にそれに追随するDNAを現在でも持っている)毎日のペンの暴力である。司馬遼太郎もその
ことを「この国のかたち」で触れている
 これが単に一つの歴史のエピソードではないことが怖いことだ。戦前戦中戦後そして今に至るまでも(ますます)、新聞
の危険性は増しているように見える。大新聞に対する盲目的ともいえる無批判な受け入れが戦前から今日に至るまで、特に
インテリを自認する層に多い。「新聞に書いてあったから」正しい、とする"信仰"は一部のいかがわしい宗教の弊害よりも
もっと危険だ

        平和の念仏        00/05/30 

 戦争はこっちから起こさなくても仕掛けられることがある。日本ではこの50年間戦争がなかったのは日本がひたすら「平和を
愛する諸国民の公正と信義に信頼し」て平和を誓ったのを平和を愛する諸国が聞き届けてくれたからなのか? 平和の念仏を
唱えて戦争が防げるならこんな結構で気楽なことはない。仕掛けられなかったのは冷戦構造下の東西勢力のバランスの上で米
国の核の傘の下で保護されていたからではないのか。戦争は必ずしも悪魔が起こすとは限らない。今も地球上のどこかで正義
や平和の旗印のもとに起きているのが現実の世界である。
 平和を望み戦争を憎むのは当然だが、戦争を憎むからといって戦争のことを研究し戦争に備えることを忌避する今の日本の
(特に一部の大新聞の)風潮は小児病的でさえある。政務次官が核問題を議論しようと口にしただけで辞職させられる集団ヒ
ステリー状態は、癌を憎むあまりに癌の研究を止めるというのと同じくらい馬鹿げた現象ではないだろうか

       
         再び朝日新聞         00/05/04

 昭和53(1978)には尖閣諸島の領有権問題で朝日は明確に「日本固有の領土である」とし中国の主張を論難したが平成9('97)
にはまったく反対の説を立て西村代議士らが尖閣に上陸して日の丸を立てたことを強く非難した。日の丸については昭和63
('88)には既に反対の社説が出ている。恐らくもっと前からだろうが資料不十分なので保留する。なおこの'88には文部省が
小学校教科書で教えるべき人物として学習指導要領で聖徳太子、紫式部、徳川家康、福沢諭吉などとともに東郷平八郎を挙げ
たことに猛烈に反発している。わが国近代化の歴史の中で日露戦争さえも侵略戦争だとする歴史観を持つ朝日だから東郷元帥
のような軍人を教科書で教えることは軍国主義であり戦争賛美であるとの論理であろう。
 '66から吹き荒れた文化大革命と紅衛兵を絶賛したり北朝鮮を地上の天国だと礼賛した朝日新聞や朝日ジャーナルの報道を
(当時は他紙を読んでいなかったので)そのまま信じていた。恥ずかしながら一応インテリと自認していた人々の多くはそう
だっただろう。購読料を払うのがバカらしいので公民館でまとめ読みするこの頃だが、「いったいこれはどこの国の新聞か」
と思うとともに、これでは若者たちが自分たちの国を嫌いになり未来に希望を持てないと思う(日韓高校生の意識調査の結果)
のも当然かと寒気がする。


     反日新聞朝日          00/04/18 

 親の代から六十数年購読していた朝日新聞をやめてから2年半になる。
向こうに言わせれば「偏向」ではなく、北京や平壌に迎合した記事こそ正しい報道だという確信があるのだろう。最近とくに
目立ってきた。他にも皇室嫌いというか皇室蔑視(例の雅子様ご懐妊誤報事件での無礼な報道など)や結果平等主義の教育論、
公益国益よりも私益優先、被害者よりも加害者の人権を守るetc,etc,,,各紙の中でも際立っている
 言論の自由が保障されている国だからいろんな主義主張の新聞があって当然で、日本に日本嫌いの反日的な新聞があっても
構わない。しかし世論を分けるような問題が起こったときに公民館や図書館で各紙を読み比べると「いったいこれはどこの国
の新聞か?」と寒気がする。こんな新聞に影響された大人から教育を受けた子ども達が日本を嫌いになり、観念的に平和や
人権を声高に叫ぶ若者に育つことを想像すると恐ろしい
 この新聞で私が強く記憶しているのは敗戦直前(中学1年時)の、敵兵の殺傷の仕方を具体的に紙面で説明した記事、戦後
の共産党地下潜行幹部伊藤律との架空会見記、中国の文革・紅衛兵礼賛記事、北朝鮮は地上天国である報道、数年前の珊瑚損
傷デッチアゲ記事、などなど枚挙にいとまがない。
 どの新聞を選ぶか、読者の選別眼こそが問われている

     三国人、第三国人       00/04/14

 石原慎太郎東京都知事の発言が問題視されている。先頭に立ってこれが差別語だと騒いでいるのは案の定、朝日新聞である。
果たしてそうか?
敗戦前からいた在日の人々(朝鮮、台湾、中国本土)は日本の敗戦によって立場が大きく変わった。マッカーサー司令部が旧
植民地だった朝鮮・台湾の人々を解放国民として処遇すると発表し中国本土の人々は戦勝国の国民となったわけだ。これらの
人々は日本人ではないから敗戦国民ではない、しかし占領軍である連合国国民と同じ扱いもできないのでGHQがthe third
 nationarity という表現をとり、これを日本語で「第三国人」といったのである。
 わたしは当時神戸に住む高校生だったからハッキリ覚えているが神戸には戦前から外国人は珍しくなくどこの民族の人も何
の違和感もなく付き合っていた。敗戦によって第三国人(話し言葉で言うときは「三国人」のほうが言いやすい)には日本の
警察の取締が及ばないので大活躍した。闇市場や禁制品の密輸などで儲けたりしたが私ら庶民はその恩恵を大いに受けていた。
敗戦国日本人がマッカーサーから「精神年齢12才の国民だ」「四等国」だと蔑視されて劣等感に苛まれていたとき三国人の
人々は我々と同じ皮膚の色でありながら逞しいエネルギーで戦後の復興に大きい力を発揮した。少なくとも神戸では「三国人」
という表現に蔑視感や差別感はなかった。むしろ一種の「やっかみ」というか「ズルイ」「うまいことやる」連中という見方
をしていた。東京の弁護士がこの言葉を「旧植民地出身者を差別するときに使われてきた言葉だ」として告発するそうだが、
当時の実際を知らずに頭の中で考えた発想であろう。
 1945年の当時の現実の中で使われ今は死語になった語句を、今更わざわざ持ち出した慎太郎の意図は知らないが三国人
という表現が差別発言だと騒ぐのは無知を告白するようなもので失笑ものである

        
        病院ものがたり −2        00/03/23

 いままで病院とはあまり縁がなく多くは知りないがいま母が入院している病院に感心している点は次のような点である。
どれも今までの経験上(特に)国公立病院ではなかったことだ。
・各階のエレベーターホールなどの目に付くところに「病院の理念」「看護の理念」という額が掲げられていて具体的な目標
(患者本位ウンヌン)が明示してある
・スローガンだけでなく受付・会計・ナースステーションなど外来者に接する場所で何か用ありげな人を見ると「お聞きして
いますか?」などと向こうから声をかけてくれる。特に高齢者に親切なように感じた
・スタッフ相互間の連絡がキッチリされているようで、或るナースに頼んだことを後で別のナースに言ってもチャンと応答し
てくれる(患者からは皆同じように見えるのでよくあることだ他の病院では「わたし聞いてません」とか盥回しされることが
よくある)
・診察室、処置室、検査室、薬局、ナースステーション、事務室、など総ての部屋の入口にスタッフの顔写真入りの名前札が
掲示してある。「相手の顔が見える」のは信頼感のもとである
・今回手術にはリスクも大きいのでインフォームド・コンセントには念入りに丁寧に納得いくまでやっていただけた。万一の
ことがあっても納得のいく説明であった
 管理が縦割り構造でなく、患者の身になって「チーム」として対応していることを随所に感じる。「理念」が末端まで浸透
しているようだ。タクシーの運転手氏に聞いても評判いい。タクシーは街の評論家だからこれはホンモノだろう。最近あまり
褒めることが少ないので、ちょっと褒めすぎかも??

      
     病院ものがたり −1          00/03/18 

 久しぶりにパソコンの前に坐ってホッとしている。

 先週火曜日に孫No:2が生まれて面会のために連日病院通いをしていたら今週月曜日に母(92歳)が室内で転んで救急車
で入院し昨日手術をして当分入院生活が続くことになった。水曜日には娘と孫が退院してわが家(実家)へ戻ってきた。・・と
いうわけで上を下へとテンヤワンヤの毎日である。

 我が足の怪我の方は今は月一回のX線検査だけだがそれを含めて最近3つの病院に係わりを持っていろいろと考えさせられる
ことが多い。最近頻発している国公立病院の信じられないような医療ミスが起こる原因に思いが及ぶ。薬品の取り違え、患者の
取り違え、病名の取り違えetcあちこちの公立医療機関での事故に通底するのは個々の医師やナースの個人的な過誤より以前に
「画一的な管理システム」が根本にあるようだ。いま母が入院しているのは民間の医療法人の経営だがここで初めて「患者の
ための医療」に接することができて安堵している。予期せぬ出来事のお陰でいろんな発見をしている。
 それにしても「病院」という名前は暗いね。「病いの院」。病人でなくても病気になりそう。hospitalの本来の意味からは
かけ離れた日本語だ。「療院」「癒院」「治院」「楽院」とかに変更したらどないや? 


      司馬遼太郎の書き出し     00/02/03

 菜の花忌にちなんで。
 司馬さんの作品は書き出しの一文にとっても魅力がある。
「まことに小さな国が、開化期をむかえようとしている」(坂の上の雲)
「雪が来る」(峠)「落ち着いている」(国盗り物語)「京から八瀬までは、三里ある」(風神の門)「佐渡は、越後からみれ
ば波の上にある」(胡蝶の夢)「淡路の島山は、ちぬの海をゆったりと塞ぐようにそて横たわっている」(菜の花の沖)

 書き出しの一文を読んだだけでこれからの展開をおもって期待感が膨らむ。
高校生のころ名作の書き出しを蒐集(?)したことがあった。有名なのは漱石の「坊ちゃん」「草枕」トルストイの「アンナ・
カレニナ」などはいまでも宙で言える。ま、自慢できることでもないけれど。

      人生二回結婚説                  00/01/18

 昭和35年ごろ、慶応の林タカシ(高ヘンに操のツクリ)教授、木々高太郎というペンネームで推理小説作家でもある、
この先生が「人生2回結婚説」を推奨して評判になったことがある。「頭のよくなる本」というベストセラーも書いてタレ
ント学者のハシリだった先生。その説によると、

(男女とも平均寿命が60才というのが前提で)
1.女性a 20才のとき40才の男性b と結婚する
2.20年経つと夫b 60才、妻a 40才。そして夫死亡
3.40才の妻a は新しく20才の男性c と結婚。
4.20年経つと夫c 40才、妻a 60才。そして妻死亡
5.40才の夫c は新しく20才の女性d と結婚。
6.20年経つと夫c 60才、妻d 40才。そして夫死亡
以下、リフレイン(^^)

これをみんなが実行すれば幸せな人生が送れるというんだね。飲み屋でよく議論した。男性は初婚の40才までどないするねん?
とか、そんなら30才と20才で30年経って60と50ならどうや、とか、男は60で死ぬやろけど女はそうはいかんぜとか
侃々諤々だった。たしか提唱者の林センセイは持論どおり実践しようと途中まで順調だったがどこかで予定が狂ったと聞いたよ
うな気がする。バカな話をした元気な時代であった。


    広島の日の丸・君が代問題        99/03/05 


 今回の広島の件は根が深い問題で平成4年頃から表面化した広島県教育界独特の問題がマグマのように地下で燻っていて
それが何かの引き金で噴出したものといえる。永年、県教育委員会・校長会・組合が一体となって「君が代・日の丸・元号
・道徳教育に反対」してきたのが去年6月に問題化して県教育長が訓告処分されたがそういった永年の経過の積み重ねの中
で現場の荒廃はひどいもののようだ。そういう本質の部分を衝かずに、起こった現象だけを捉えて大騒ぎするマスコミ報道
やそれを奇貨として法制化しようとする政治屋にはウンザリする。この3年間にこの県で校長の自殺が5人あったことは報じ
られていないが偶々今回は卒業式前日なのでマスコミが飛びついたわけで、問題の本質を逸らせて日にちが経てばケロリと
して別の話題に飛びつくのはO-157のカイワレ騒動やダイオキシン騒動などと同類といえる。
 君が代・日の丸は氷山の一角で主任制や職員会議や授業カリキュラムや日常の校務運営等々教育現場のあらゆる面でマグ
マが蓄積している異常な現状(主任制闘争の如き全国に類例のない特殊な事例も)に正面から向き合わないと同じ事はまだ
まだ起こり得る。子供を人質に取った大人たちの醜い争いであることだけは間違いない。一番の被害者は子供とその親達で
あるがPTAは子供を人質に取られているので黙っている。教育の問題に親が発言できない、こういう現状こそが問題だ。


      お酒の本にもいろいろ            99/02/18 

 岩波新書からは優れた酒の本が出版されている。特に坂口謹一郎先生の「日本の酒」(1964.6初版)と「世界の酒」
(1957.1初版)はこの分野で古典的名著といわれており何回繰り返して読んだかわからないほどだ。
 こんな名著を出した日本を代表する出版社が同じ新書で稲垣真美「ワインの常識」というのを出したのが96年。
その内容の間違いだらけいい加減ぶりは多くの専門家や業界人や愛好家を憤慨させた。弁護士であり日本ソムリエ協会
顧問、日本輸入ワイン協会会長である山本 博氏は「”ワインの常識”と非常識」という著書(人間の科学社。B5版で
398ページ)でその間違いぶり・デタラメぶりを検証して本当の「常識」を伝えている。
 今では稲垣著の間違いだらけは決定だが、いまだにこの本は絶版にもならず書店の棚に並んでいる。ワインブームと
いわれているだけに誤った知識を撒き散らし続けるこの出版社のモラルを疑う。「南京事件」のようなのとは性質が違
うのであまり大問題にはなっていないが、真実を枉げて強弁し、誤りが露呈しても改めようとしない点では通底すると
ころは同じである。
 日本酒もワインも人類の智慧でつくりあげた素晴らしいもの。正しい常識を知って美味しく飲みたいものだ
読んでから飲むか飲んでから読むか読みながら飲むか読んでる内に寝てしまうか

              
       
   1.17.AM05:46        99/01/17

 あの前日(1.16)は振替休日で三連休の最後の日だった。娘ムコの店も大忙しだった夜9時過ぎてオーダーストップ後に一人の客が
来た。普通ならお断りするのがこの御仁は無類のワイン好きの常連で某大学医学部の先生、折角だから入ってもらったら他の
客が全部帰られたあともシェフと長々とワイン談義に花が咲く。シェフも話好きなほうで付き合っている内に12:00過ぎだ!
 休日に限り私の娘もフロアーで働く。その場合は孫をわが家に預かってやり夜遅くなっても店を閉めた後クルマで迎えに来
て自分たちの家へ帰宅する。ところがその夜に限って娘から電話で「これから後片づけしてると2時ごろになるので起こすのが
可哀想そうだから今晩はそのまま寝かしといて」という。こっちは「よっしゃよっしゃ」と大喜び。
 その夜私はパソコンで遊んでいて遅くなりそのまま側のベッドで寝るつもりだった。ところが深夜の娘の電話で喜んで孫を
寝かせている布団の側へ移って寝込んだのである・・・   そしてあの恐怖の05:46(゚o゚;)
・・・・  ・・・・
 なんとか正気にかえって、私が寝ていた筈の部屋のベッドを見たらその上にパソコンが2メートルも吹っ飛び本棚が倒壊しステレオ
アンプやテレビが散乱して枕が埋まっている。私の頭があった筈の場所は完全にガラクタに埋没している。もしも、と想像すると
ゾッとするとともに、無信仰の私が初めて神の思し召しを感じた。「生きろ」といわれたのだと。
 もしあの夜あのワイン好きの先生が現れてなかったら。その先生を満足させるワインが存在しなかったら。そう考えると私
の命の救いの神はワインなのである。ワインを飲むことは神様と友だちになること。そう思って今夜もワインの栓を抜くのだ。
 素晴らしき哉、ワイン!


       白地に赤く          99/01/10

 元日は日の丸を掲げたあと近所の八幡宮へ初詣。わが家から半径1km四方を歩いたが日の丸は1本も見当たらず、ここは
どこの國かいな。真っ青な空に白地に赤くハタめく日の丸の素晴らしさ。夕方娘一家が車でやって来るなり孫(6歳)が
門柱に掲げた日の丸を見て「あっ、日本の旗だ!」と叫んだので「えらい!」と年玉を奮発する。元日の新聞各紙を見ても、
題字のそばに日の丸を掲げているのは「産経」だけ。日の丸はオリンピックかサッカーのワールドカップの応援旗と思って
いるらしい。自国の国旗を尊敬しない世界でも珍しい国である。祖先から受け継いだこの国をもうちょっとましな国にして
子孫に伝えたいものだと思いながら、日本酒じゃなくイタリアワインを飲んで正月を過ごすんだから矛盾も甚だしい三が日
である。
おみくじも神社3軒ハシゴして「吉」「凶」「半凶」。今年も波瀾万丈で面白い一年になりだ。
NHKのニューイヤーオペラコンサート、佐藤しのぶのヴェルディのトスカ「愛に生き恋に生き」「乾杯の歌」を陶然と聴
きつつガイヤのバローロを飲んで小市民の幸せを感じる。浪花ともあれ今年はいい年であるように祈る

           
  お御籤のランキング        99/01/03

 毎年初詣のハシゴをしてお神籤を引いている。
今年は過去最悪で「吉」「凶」「半凶」の順番だった。何種類かあった時はいちばん良い運勢のが正しいと解釈している。
いいとこ取りのつまみ食いである。
従兄弟に田舎で神官をしているのが居て彼によると神籤には(良い順に)大吉、中吉、吉、小吉、末吉、後吉、平、吉凶相交、
凶向吉、凶末吉、半凶、凶とあるそうな。
 その従弟によると初詣用に吉系と凶系とのブレンドを多少甘い目に加減するかしないかは神社の営業方針によるそうだ。阪神
大震災の翌年神戸の生田神社長田神社では大吉と吉だったがあれは元気づけのため甘味を増やしたのではないか。それもよかろ
う。大吉中吉を大盤振舞いして景気の花を咲かせてくれる神様はいないかな。

                   

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