辺根氏登場 江分利満氏と私

自分史年表の昭和38年の項に書いたとおり、1月某日の深夜突然わが家の前の道路が騒がしくなり黒塗りのクルマが何台も並んだ。新聞社の小旗を立てている。それが、隣りのオッサンが直木賞作家になった歴史的瞬間であった。作品の一部から私がモデルとにされた部分を抜粋してみよう。辺根が杉本(さんらく亭)です。

山口 瞳 「江分利満氏の優雅な生活」より、辺根の登場場面

   出所: 文芸春秋新社発行S.38.2.15初版本(ハードカバー)より

P10−   「塀」
 実際、砂利の多い道である。道路工事をはじめるために砂利を敷いたのか、それとも単に砂利を置いたのか分からぬが、胼胝のある江分利の歩き方は自然に老人のようになる。背を曲げ、下を向き、具合のよさそうな石を拾って歩かねばならぬ。
 砂利は、その他にも実害をおよぼした。江分利の勤めている東西電機の社宅12軒のうち、江分利家と他の3軒が道路に面していた。
 ある日、隣に住む営業1課の辺根がいうには、昨夜寝ているときに拳大の石が飛んできてガラス戸を破ったという。幸い網戸と2重になっていたので大事には至らなかったが、「寝ていて交通事故に会うんやから、かないまへんわ」と辺根がいうのは、その石が、トラックだかミキサー車だかのタイヤではじき飛ばされたものだったからである。

<さんらく亭独白>昭和35年12月に新築の川崎市木月大町83番地の社宅に入居したとき隣人は中年のオヤジだった(と、新婚の私には見えた)。2戸イチの壁一重が6棟で12軒。表の砂利道に面したわが家が砂埃と撥ね石の被害に遭った。隣の山口サンに庭の垣根越しにそのことをボヤイたのが小説のネタになろうとはトホホであった。

 
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 石塀で仕切った隣家の辺根と顔があうことがある。辺根はだまって自分の庭に目を落とす。 
 可憐な、あるいは強靱な、あるいは逞しい、つまりいかにも雑草らしい雑草が無秩序に生い茂っている。モダンなテラスハウスだけに、いっそう痛ましい感がある。目が合っても、何もしゃべらない。これが社宅のエチケットである。しゃべっても、せいぜい、
 「精が出ますな」
 とか
 「公園みたいになりましたな」
 とか言う程度である。

<さんらく亭独白>社宅のつきあいは難しい。昇給のことボーナスのこと人事の噂etcが飛び交うとイケナイ。会社と社宅の生活とをキッチリ峻別するのが気持ちいい社宅生活の秘訣でもある。ゆうべのナイターの巨人戦でわが大洋の桑田武が満塁本塁打を打ったのを見ましたか、見た見た などという話題がいちばんよろしいのである。

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 今年の4月、珍しく辺根が鍬を振るっているのを見た。3週間ほど経って、芽が出そろった。庭の好きな江分利はうっかり禁を破ってしまった。
 「出ましたね、キレイですね」
 江分利は自分の庭が美しすぎるのに負い目を感じていた。 
 「コスモスじゃないですか?」
 辺根は黙っていた。
 「コスモスはいいですよ。つきはなす貨車コスモスのあたりまで。正一郎という人の句だそうですが、コスモスとかカンナとか月見草なんてのは、なんとなく田舎の駅の感じですね」江分利は辺根が汽車好きなのを知っていた。 
 「旅情がありますよ、それに・・・」
 辺根が低くさえぎった。
 「コスモスじゃありませんよ・・・二十日大根です」
 だから、社宅では口をきいてはいけないのである。
 ことわっておくが辺根に羞恥も自嘲も怒りもない。明るく淡々としてこだわらない。ドライである。恥じたのは江分利の方だ。

<さんらく亭独白>コスモスが4月に咲くわけがないのである。秋櫻とも呼ぶように9月から10月末にかけてどこにでも咲く。ちなみに汽車関係でいえば「コスモス咲き駅長は持つ大時計」という句が歳時記にのっている。二十日大根の花を咲かせようとおもったわけではない。何も知らずに蒔いた種がたまたまそうだったわけで内心慚愧に耐えないのだ。

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金網を危害予防のために2倍にするとすれば、道路に面した、江分利・辺根・川村・佐藤の4軒が結託しなければならぬ。
 一番の被害者であり、事務に堪能な辺根が「社宅補修願」を書いた。
 1。某月某日、拳大の石が飛んできて、辺根家の1階のガラス戸を破りました。
 2.. ・・・

<さんらく亭独白>私が堪能というよりほかの3人が事務にメッキリ弱いのであり被害者が書くのが迫力があっていいし組合の書記長やってるから総務課長の判断のツボを知っていて要求を通しやすいというところである。その成果で結局金網は立派なブロック塀になった。

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P18−  「なんにもなくてもよい」

 辺根家の雑草庭園の話が出たとき、夏子は言った。
 「あの人たちは、なんにもなくてもいいのよ。2人だけで充実してるのよ。とても庭どころじゃないのよ」
 辺根は新婚6ヶ月である。

<さんらく亭独白>エヘヘ そうなんです^^

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P96−   「冬枯れの田圃で」

 社宅の前の通りをへだてて、約2千坪の田圃があり、矢島が犬を追っている。辺根が中央でクラブをおおげさに構え、糸のついた練習ボールを打っている。

<さんらく亭独白>たいていはカラぶりだったことは遠くからは見えないのであった

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P100−  「ゴルフはスポーツであるか」

 たとえば、田圃の真ん中でゴルフをしている辺根のことにしたってそうだ。彼にゴルフの腕前をきいてはいけないのだ。 ***
 社宅では、辺根がゴルフリンクへ行っていないということが、おおよそ知れているので、だから
ウッカリ腕前をきけば、侮辱を与えるというふうに勘ぐられてもしょうがない。
 辺根のことだから
 「いや、私のは体操です」
 ぐらいに軽くうけながしてしまうだろうが。
ゴルフの大嫌いな江分利には、辺根のやり方がゴルフ全体を馬鹿にしているようで気持ちがいい。

<さんらく亭独白>ゴルフを馬鹿にしているのかゴルフに馬鹿にされているのかは定かではない。爾後40年近く、その関係は変わることがない。



第二弾 「江分利満氏の華麗な生活」からの抜粋

P185−  「今年の夏」 社宅には、かなりの異動があった。
 隣家の辺根は去年の暮に福岡へ転勤となった。雑草庭園を通してきたのが、子供が生まれてから芝生になった。

<さんらく亭独白>長女が生まれた昭和37年の春に山口サンの親戚の造園店から芝を安く分けてもらって庭一面に張りつけた。ようやく根がついて芝生らしくなり赤ん坊を日向ぼっこさせられるようになった翌年の春、「大阪本社転勤を命ず」と来た。

***
 「芝を植えると転勤になるちゅうジンクスはホンマやね」
 辺根は、トラックの助手席からそう叫んだ。2階の棚の板はよかったら使ってくださいとも言った。
辺根夫人は九州の出身だから、辺根自身も転勤が嬉しそうだった。

<さんらく亭独白>そのジンクスはホンマである。折角植えた芝生を全部はがしてトラックに積むのはなんだか後ろめたい気がして、半分だけをトリスの段ボール箱に詰めて大阪茨木の社宅に持っていって植えつけた。だが関東の芝は大阪の土に合わないのか、やがて消えてしまった。やはり東西文化の差なのだろうか。


                                               (完)  


掲載の写真は
田沼武能写真集「回想 山口 瞳/江分利満氏の想い出四○年」(岩崎美術社)から転載させていただきました
社宅の庭で。
ある日曜の昼下がりの小宴会。
垣根の向こうが我が庭



山口さんご夫妻、正介くん
わたしと娘(1才未満)
社宅住人S氏、U氏