「幕末から明治にかけての神戸での気象観測:神戸居留地データの歴史的研究」

中津匡哉・松本佳子・塚原東吾
(神戸大学・塚原研)


2003.1.12  東アジア環境史・気候変動国際シンポジウム発表



1、 序論


 現在、地球環境問題を語る時、地球温暖化問題は避けては通れない問題の一つとなっている。この問題の要因として化石燃料の燃焼による二酸化炭素の過剰排出が挙げられるが、その要因だけを取り除けばすんなり解決すると言ったことではないし、二酸化炭素の排出を制限しようにも複雑な政治問題が関係してきたりと、ある一つの角度からの解決は期待できないほど大きな問題となってしまっている。

 私が所属する塚原研究室では、この問題に対して歴史的なアプローチを試みようとしている。具体的な方法論としては、江戸時代、つまり、日本に於いて近代的な気象観測が"始まった"時代からの観測データを収集、解析、比較しようとするものである。このような方法は、確かに、史料としてのデータ収集、データ解析時の基準設定等の困難性が伴うのであるが、現在のデータとの比較は10年、100年単位での分析が可能となり、即時解決と長期データの両方が必要とされる問題群においては非常に有効な手段となり得る。
 
 今回の調査、研究においては、この塚原研究室の研究を補い、日本においての気象観測の歴史の1ページを書き加えるものとして考えていただければよい。このような研究においては、できるだけ多くの、しかもできるだけ広範囲に及ぶデータの収集が行われなければならない。そうすることによって、データ分析時に、より正確な結果が得られるからである。


2、神戸における気象観測史



 日本における気象観測の最古の記録は1838年から1854年にかけてのデータが『霊憲候簿』として残っている。近代的なものとなると、明治8年(1875年)6月1日に、はじめて気象観測の中央官署として東京気象台が赤坂葵町に設置された。それに続いて三島、大阪、福岡、沖縄と日本各地に測候所が設置される。

 さて、現在、神戸における気象観測は神戸港に隣接した神戸海洋気象台において行われている。この海洋気象台は神戸を中心とする関西一円についての気象観測を行っており、その歴史は古く、明治29年(1896年)創設の神戸測候所にまでさかのぼる。神戸測候所は神戸市中央区中山手通に建設され、1920年までの24年間、気象観測が行われた。神戸海洋気象台はその跡地に立てられ、1995年の阪神・淡路大震災により、現在の場所に移転した。神戸海洋気象台の観測記録は1897年分より現在まで気温、降水量など兵庫県内各地の傾向を分析したものになっている。

 上記が神戸における近代気象観測の大まかな流れであるとされているが、今回私たちが調査、発見したデータは、この気象観測史に新たな1ページを書き込むものであることは間違いない。なぜなら今回の調査によると、神戸では1869年、つまり神戸測候所が設立されるより27年も早く神戸において気象観測が行われ、そのデータが当時発行されていた英字新聞に掲載されていたからである。「歴史気象学」という歴史的な視点から考えると、この20年間の差はあまりにも大きく、今回発見した史実の重要性を看過することはできない。では、はじめにそのデータ収集の1次資料として活用した英字新聞「Hiogo・News」(ヒョーゴ・ニューズ)の歴史的背景の説明から行うことにしたい。


3、「Hiogo・News」(ヒョーゴ・ニューズ)の歴史的背景



 「Hiogo・News」(ヒョーゴ・ニューズ)は明治元年(1868)4月23日、神戸在住のポルトガル人フィロメノ・ブラガ(Filomeno Braga)によって創刊された。当時神戸外国人居留地にはすでに多くの外国人が暮らしていたため、英字新聞の需要の高まりは当然のことであっただろう。実際、19世紀後半には他の日本の国際都市においても英字新聞が発行されている(長崎「ナガサキ・エキスプレス」(Nagasaki-Express)、横浜「ジャパン・ヘラルド」(Japan Herald)「ジャパン・ガゼット」(Japan Gazette)「ジャパン・メイル」(Japan Mail))。ブラガ自身も神戸にくる前は「ヒョーゴ・アンド・オオサカ・ヘラルド」の植字工であった。創刊後、ヒョーゴ・ニューズの経営者はエル・ゼー・ダ・シルヴァー(L.J.da Silva)、ジェームス・イー・ウェインライト(James.E.Wainwright)、ダブル・ジェイ・ジョンソン(W.J.Johnson)と移り変わっていく。話がそれるが、この新聞社では???で有名な小泉八雲ことラフカディオ・ハーンも記者として働いていた。新聞社は現在の日本郵船ビルディングである。


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