銀塩写真倶楽部

御連絡用掲示板(BBS)
こちらです

目次です

  ----------------- 銀塩写真倶楽部_____________-
フォトライブラリー

ソフト優先かハード優先か?

写真における芸術性

フィギアフォト(写真)の撮り方 作例

デジタル写真を切る 銀塩は生き残れないか?

現時点で銀塩写真の方が勝っていると思われる点

オリジナルプリントとは

写真の見かた、撮り方を切る

写真の事実と真実

人物写真の撮り方

背景をぼかす方法

EOSボデイで他メーカー レンズを使う方法

人はカメラを向けるとでダンスをはじめる。 

人物写真の撮り方 洋服

人物写真の撮り方 着物

人物写真の撮り方 幼児子供

手ブレの問題

フィギアフォトの撮り方 作例

良い風景とは&

風景写真の撮り方

三脚の問題

撮り方のスタンスの問題

写真は光線を撮る

銀塩写真から見た、デジタル写真の撮りかた。

名人と上手

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ソフト優先かハード優先か?写真 撮り方 テクニック 上手

銀塩写真とは?
俗に言う カメラとフィルムを使用する写真撮影法。
アナログ機械の究極道具である。

 
簡便な時代になってきた。カメラマン諸君!少し写真を残そうではありませんか?
そんな写真の撮り方の話をしましょう。
デジタルカメラなどのハード(メカニズム)の問題と比較の研究の話はもうウンザリしてiru?
機材はなんでもいいです。たとえば 銀塩カメラの癖のあるレンズでも使いこなせば、
 自分の画風であると言えるはず?
銀塩カメラは予想以上の酷使に耐えうる道具として活用できるのです。
ただし銀塩写真、今後方向の本質は高品質の叙情写真のみであることには異論はない?
中古屋(リサイクル、ショップなど)銀塩カメラとレンズは捨て値で売られているから、(残念である!)今なら
画材に不自由はしないのである。
************************************************
説明   デジタル説明

                                      
 
アナログ的なことを書くならば
感情移入を...せよ!!
本来 写真とは、なるべく少ない枚数(限りなく1枚に)で、全てを表現する技術であることに徹すべきである。(フレデリック・エバンズ1854〜1943英国)
それに、ハッキリしていることは後で見て面白くない写真は良くない写真です。
さらにすべてのカメラを持つ人は、後世の人類にメッセージを発信する責任がある人、
と考えればよろしいnoda。
 たった1枚の写真が地球上のたった1度の記録となる場合が多い。(マーフィ哲学)

われわれは徳川家康 織田信長 など人格のイメージをもった。
これは記録(描いた)技術者が存在したから後世に残った。
もちろん文書を含めて、記録者の技量と責任は絶大だと考える。
イメージを強烈に印象つけるためには、ブレ、ピンぼけさえ良いと考える人たちもいた。(ロバート・キャパ米国)
 カメラを持っているならば未来のために記録を残すべき責務のある人と考えていた。
であればメッセージと情報が明確強烈に感じ取れる写真が良い写真といえるのである。(コレは、デジタルカメラも同じこと・・・。これまた残念ではある!(笑)
 (レンズがとらえた現実がいかに美しいものであることを証明するために)

更に踏み込んで
喜怒哀楽の感情が転化するような写真を撮らねばならぬ。

たとえばカメラを向けさえすれば楽にリンゴがリンゴらしく撮れてる。
問題は写真にリンゴを写してどんな意味を持たせるかと言う事であり、
リンゴを撮って喜怒哀楽の感情を転化する。
このことが絵画と基本的に考えを決別しなければいけない表現問題であろうとかんがえる。


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スタンスの問題 事実と真実と自由
写真は「ただの記録技術であり、芸術ではない」という攻撃を受けてきた。
単なる画像の機械的生産に過ぎないと主張するひともいる。
これはスタンスの問題で定義の問題ではない。(審美的に)
ゆえに
客観的に写真を撮ってはいけない。(機械的、に撮らないこと)
うまい写真はもう一歩踏み込んだ方が良くなる場合が多い。
被写体に一歩でも近くに。これが結構難しい!

初期時代、写真は記録性のみを優とした。レンズと感光材料の組み合わせを模索する
時代である。1920年ごろより写真が一般的なアート(芸術)表現の素材として利用されだし
(この場合斬新性 最新性をさす。)モノクロの表現を先鋭化した。
 カメラマンは立場を明確にして撮らないと意味不明人畜無害の写真を
他人に撒き散らすことになる。(機械的生産)
 それは、写真は真を写さないと理解されているからである。 
カメラは事実を撮っているが、カメラマンの意図で作画できる事が問題だ。

偽UFO写真とかが例にあげる人物写真もソウであろう。 その人物が化粧をしていれば事実として写る。
がしかしスッピンが真実と言えなくもない。
 結論的に書くならば、カメラマンの主観を全面に出して撮る
意地必要だ。
感情移入せよ!!


どちらに片寄って撮るかはスタンスの自由であるが、真実をメッセージできる写真が良い写真といえるのだ!
メッセージを考え込ませる写真が良い写真といえる。それもできるだけ少ない枚数で。(・・・真実の一枚!)

写真における芸術性
写真はしばしば「ただの記録技術であり、芸術ではない」という攻撃を受けてきた。
単なる画像の機械的生産に過ぎないと主張するひともいる。

否、否、否、これはスタンスの問題で定義の問題ではない。(理由 審美的に優れて世に残りうる!から)

アート(芸術性)はフロンティアを求め続ける
芸術とは「よい技術、美しい技術」(scho"ne Kunst)
のこと。だから 新古関係なく美しい技術であれば芸術と呼ぶらしい。だから
先人たちが開発した技術がのみが芸術ではないのだ。
 デジタルカメラでも、まだ誰も見たことのない(この場合 斬新性のこと)画像を表現すれば
の芸術と呼べるという。
 ハード(道具)はなんでも良い。自分にあったハード(道具)を使用すればよい 銀塩を使おうがデジタルを使おうが誰も見たことのない美しい画像を作り出す工夫をしている。
 しかしなにごとにも基本がある。
絵はデッサンが基本。デッサン(構図)は才能の問題。写真も構図の才能のない人が撮れば問題外につまらない。(審美的に)

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説明------

デジタル写真を切る 銀塩は生き残れないか?
今後フィルム写真(銀塩写真)は生き残れないであろうか。
民生用では一部のマニア・オタクしか使わないシロモノになりつつある。
記録のみであればコスト&取扱いし易さにおいてはデジタルカメラにはかなわない。

では、銀塩はどの方向に行こうとしているのだろうか。
残念ながら、画材としての扱いになってきているだろうか。
アート(芸術)表現の素材の水彩油彩パステルテン水墨などなど。
中古屋(リサイクル、ショップ)銀塩カメラとレンズは捨て値で売られている。(残念である!)
言い換えれば今なら画材に不自由はしない。
銀塩カメラのレンズは癖のあるレンズである!

銀塩写真は 方向の本質は高品質の叙情写真であることには異論はないはずである。
 今までの膨大なかずのレンズや機材を無用の長物にしかねない勢いだ(世界規模で)
大部分は、取り扱い性能が不安定であることに尽きる。
デジタルは銀塩写真の技術が必要ない部分が多く
デジタルカメラで写真を撮り始めた人は幸運だ。
ハードが安定しているからソフトだけの問題になってくる。
確かに、銀塩写真は過去から現在まで高品質の情報を提供してくれた。がしかし、
酸とアルカリと銀の化学反応は嫌になるほど不安定に作用する。
タッタ一枚の写真のために、当然のごとく膨大な資源と労力の無駄を繰り返さなければ良い作品は
出来ないと信じ、連写、連写をしまくる写真家は多かった。
資源の無駄は時代に合わない。

保存性それはどんなメディアでも同じであると考えるのが妥当と言える。
プリントしてしまえばその素材の問題になってくる。デジタルゆえに保存性に問題が
あるとは考えられない。あるとすれば規格が変ってデータが取り出せないことにある。
新メディアが開発され、優位性が確認できれば、着物が洋服に、下駄が靴に、
レコードがCDに駆逐されたようにすたれる。ハードが無くなってくるわけだ。
今 デジタル&フィルムそれぞれの長所短所が議論されている。
それもやがて終わる。それだけをやってきた者は特殊技術伝承者とみえるが仕方がない。
問題今後 銀塩機材&材料が入手困難になることであろう、
現在が底値&捨て値と認識している。これからの新開発も無いであろう。

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現時点で銀塩写真の方が勝っていると思われる点
アナログな化学変化による偶発的な発色効果を期待する。と位置ずけることだ。

「宇宙の果てまでアナログだ...人智のおよぶ範囲ではないWA!」

   以前より予想されていた通り。高画質プリンターで人の目で判別がつかないだろう
と謳ってあり、技術的は日進月歩、発展途上ではあるが。一般使用の場合解像度その他雰囲気
そうとうよくなってきた。
 しかし感覚的には平面的にプリントされるようです。皆さんもソウ感じるはずです。
銀塩の場合、色及び諧調が圧倒的に粒子レベルで優れるなのである。結果、立体感及び空気感に優れる(プリント現像)とおもう。
 逆光及び斜光に勝る。撮影レンズの内面乱反射の問題は深刻である。順光ではデジタルも遜色ない、
光線が逆光気味なるとフレアが強くなり鮮明度が下がる。
受光素子の平面性がフィルムよりも良くなった結果受光素子に対して垂直に入る光線以外乱反射しているようだ。
最近、レンズコーティングを強化しているが、当然銀塩単レンズよりも光線状態の選択がシビアになるだけだ。
ランニングコストではデジタルが優れる。
フィルムとペーパーの現像処理が省ける。
 モノクロの時代はオリジナルプリントというものがあったが、カラープリントは現像液処理温度管理に厳密さを要求され、オリジナルプリントそのモノが消えた(他人任せにするナラバ)。これが銀塩写真の弱点である。アナログは調整が微妙かつ複雑怪奇である。
設備が民生用個人(アマチュア)が調整できる限界を遥かに超える。他人任せの現像焼付けで歯がゆい思いをしたものである。
デジタルでオリジナルプリントへの回帰可能性がでてきたという変なお話である。

オリジナルプリントとは。
 近年、"何とか先生記念館"にはいってみた。若いころ見たオリジナルモノクロプリントの焼き方と印象がだいぶ違った。
フィルムがスコア(楽譜)とすればオペレーターが指揮者か。多少解釈が違いすぎる気がする。
ただの機械焼きでいいのだろうか?。これは仕方のない問題だろうか?
 
作者の意図を反映すべきであると主張する。が
アナログの調整が微妙かつ複雑怪奇である。
 モノクロの場合ネガの増感現像、減感現像に始まり印画紙の種類、メーカー、
号数 引き伸ばしの種類、メーカー、レンズ、マスクワーク、ソラリゼーション、焼きこみ、デフォルメ、合成
技術を駆使しているが本人以外は再現不可能ではある。

それでも良い作品は良いと言えるだろうか?。

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写真の見かた、撮り方を知る

昔 ある有名な写真家が仰った。撮りたいものがあったら、カメラを構えて
できるだけ近づきファインダーいっぱいになったら、連続でシャッターを切る。連写一眼トカ
(デジタルカメラが普及してから皆さん この方法が一般的になった。)
更にもう一歩踏み込んでもう一枚シャッターを切る。

どんな写真が良い写真というのだろうか。写真は技術である。
であるから、構図、ピント、シャッターチャンス、カメラブレカメラ操作などは、
繰り返せば克服できる。さて、写真は引き算といわれるが、
ここに誰かさん(どこかの)がいたとする、カメラで誰かさんを表現するにはどうすれば
よいのだろうか?まず正面から1枚側面から1枚後ろに目印をいれて全身を1枚、
歩いて,寝て 食べて怒って喜んでいる…と際限なく 枚数が増えてしまう。しかし この方向は違う。

写真の技術とは、なるべく少ない枚数(1枚)で、全てを表現しようとする技術である。人物写真であれば、
性別、性格年齢は言うに及ばず環境、感情の状態、置かれてる状態雰囲気がわかるものがよい。
たった1枚の写真がその背後に隠されたものを想像できるものが良い作品である。
メッセージのが込められていなければいけない。

もっとアナログ的に踏み込んで
喜怒哀楽の感情が転化するような写真を撮らねばならぬ。

たとえばカメラを向けさえすれば楽にリンゴがリンゴらしく撮れてる。
問題は写真にリンゴを写してどんな意味を持たせるかと言う事であり、
リンゴを撮って人の喜怒哀楽の感情を転化する。
このことが絵画と基本的に考えを決別しなければいけない表現問題であろう。

たとえばカメラを向けさえすれば楽に猫が猫らしく撮れてる。
問題は写真に猫を写してどんな意味を持たせるかと言う事であり、
猫を撮って喜怒哀楽の感情を転化する。
このことが絵画と基本的に考えを決別しなければいけない表現問題であろう。

写真は、アップで撮ること。とにかく、まず、被写体に近ずいて、アップ

人物写真の撮り方 


風景写真を撮っていても人物が映り込むと人物のインパクトが強くなります。
どうしても人物に見入ってしまう。人は本能で顔に興味を持つらしいです。
それで街には、インパクトのある人の顔のポスタ-があふれる。
人間は人の顔に興味を持つらしいのです。

一枚の写真からその人物の職業、感情、性格、生い立ち、
今の環境等を表現しなければいけません。その人物の感性を撮るのです。
その人を知らない人に伝えるため
無表情人物の写真はいけません。メッセージの何かが問題なのです。その人に少しだけ芝居をしてもらうと良いでしょう。たとえば怒、笑う、沈む、喜ぶ、表情を作って何枚か撮る、そしてその人らしいと

絵画は絵筆にて全宇宙の森羅万象を具現できると画家は胸を張る。
たしかに写真はそこまでは行かないらしい。

ゆえに、写真はなるべく少ない枚数(限りなく1枚に)で、多くを表現(説明)する技術であると結論する。
その人物の内容物を写真に写し込む感覚が必要である。
さらに言えば日本画の文化を引き継くらしく,写真にも感情を移入しているのが良い写真と言われます。
一枚の写真から背景を読み取るのが好きな国民なのでしょう。
 方法論的に書くならば、カメラマンはその人物を何枚か撮り続け、(タッタ一発で撮れている場合も多い)
その人物を表現していると思われる写真を選ぶ作業が必要がある。
カメラマンはその人物の人格、性格、雰囲気、人種、職業、風貌などを表現する必然性と使命がある。
カメラマンその人物を他人に知らせるために工夫すること。
アナログ的に書くならば
被写人物にカメラを向ける。
(宇宙はデジタル、霊長類はアナログ!?)
 シャッターを押す〜可能な限り撮る〜現像を見る〜
その人格をあらわしてると思う写真を選ぶ〜
後は捨てる!”!

まず基本的は目にピントをあわせる、目にピントが来ていない人物のメッセージ性が薄いのです。
 基本です。  なぜなら表情がぼやけ,表情が読み取れないからである。

一枚の写真からその人物の職業、感情、性格、生い立ち、
今の環境等を表現しなければいけません。カメラマンの感性で撮るのです。
その人を知らない人に伝えるために
無表情人物の写真はいけません。メッセージの何かが問題なのです。その人に少しだけ芝居をしてもらうと良いでしょう。たとえば怒、笑う、沈む、喜ぶ、表情を作って何枚か撮る、そしてその人らしいと感じる写真を選び出す。この繰り返しです。
前にも書いたが、われわれは徳川家康、織田信長、坂元竜馬の人格のイメージを持っているでしょう。
これを意図(イメージ)して画いた人がいたから人格が残ったと考えるべきである。

人物が画面の中央に主題があるのは問題だ。表現的には素直で良いのですが
落ち着きすぎ変化の乏しい写真になる(日の丸写真)。
たとえば変化をつける意味で中央からはずす。どのようにはずすかはその人の感覚でしかないのである。
センスおよび構図の問題である。具体的には何枚か連写する。その内から選ぶカメラマンがその人をどのように見ているか(見えるか)メッセージを込めた写真を選び出すこと。
更にはカメラを意識した表情は良くない。
  (この状況でカメラ目線かヨ ! と思うときもあるがその人をひょうげんしていればそれで良い)

 が しかし、表情を左右しているのは目ではありません。目で表現する力は強くはありません。
どこで感情を表現しますか?それは口の形が感情をあらわしてます。これは微妙なかたちで表現します。
何枚か取ったら選んでいくのが良いでしょう。

また口の形に気を付けるよう言いましょう。
顔が引きつっているといいますが、口が引きつっているのがほとんどです。
口の形が表情のかたちを造る

更に気を付けなければいけないことはその人の特徴、長所を引き出す撮り方ではうまくいかない。
その人の欠点を探し出してカメラマンがそれをカバーする撮り方をしなければいけない。
 
なぜなら長所は強調しなくても目立つのである。カメラマンはこれらのことを認識した上で作画する。

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背景をキレイにぼかす

これは質問が多い。どうすれば背景がきれいにぼけますか?と簡単なことです。
ぼけやすい銀塩一眼レフレンズ(通称は大口径高級レンズ。)を使うことです。

仕組み、ピントが合った前後がぼけます。望遠レンズはピントの合う範囲が狭いのでぼけが強くなります。
絞り込めば、ピントの合う範囲が広くなりぼけは感じられなくなります。
開放で撮ればピントの合う範囲が狭くなりますピントの前後がぼけます。

結論的に書くならば望遠系で開放値の明るい
性格の良い価格の高いレンズ(大口径高級レンズ)を
それに見合ったシャッターの速く切れるカメラボディにつけて、出来るだけ開放に近い絞りで撮ること。
要するに大口径高級レンズはきれいにぼける(写真の撮らない技術者が詳しい)。 
ピントが薄くなるのでピント合わせは丁寧にやる。

EOSボデイで他メーカー レンズを使う。
EOSは便利である。EOSがおすすめだw
 リサイクル銀塩絶版限定高級レンズをEOSに装着すればほとんどのレンズが使える。
理由 EOSは中判カメラ並みの大口径マウント、フランジバックも充分で便利。
・・・アダプターが必要です〜。(マウント変換アダプター)

いろんなメーカーで売っている。
(ここは在庫が多い)

  http://www.ne.jp/asahi/discoverphoto/co/dpc/Foradapter/ForadapterA.htm


カメラを向けるとで人はダンスをはじめる

カメラを意識する。野生の小動物でさえも(武器に見えるらしい) 普通の状態ではなくなる。
カメラを向けると、それに気がつき人は血圧が揚がり脈拍が速くなり、顔が上気するという。
カメラが精神構造に何らかの影響をあたえていることはまちがいない。
その状態を面白いと感じて撮るか撮らぬかは,カメラマンのセンスの問題である。
俗に言う” カメラ目線バッチシ ”本人らしさがが読み取れる良い写真であればそれも良いが。

それをふまえてカメラを構えてスタンバっているとレンズの前でとんでもないことが起きる場合が多い。
決定的瞬間である。

  やったぜ ベェビィ


人物写真の撮り方 洋服  

最近の人物写真の撮り方←現在はアップが主流なのである(必要以上に)。
長玉(高級大口径望遠レンズ)の明るいやつ(F2.8以上
大口径高級レンズ)適当なバックを離し(ぼかし)細工モノのハコ(ライトボックス)に、細工したコンタクトレンズ(カラー&クロメ)で細工したキャッチライトを派手に入れる。そしてにっこり笑顔を造る。
 これはこれで以前よりは私の意図する写真の傾向であるから文句は少ない。
女性写真の場合
 基本の基本は髪を整えること。髪がスッキリしないことによりもどきになってしまう。「乱れ髪」は意図しないかぎり良くない。


以前ナチュナルメイクとかが流行してだいぶスッピン テカテカ 写真を撮った。化粧をきっちりしたほうが写真の仕上がりはよいのだ。これは日本人の顔が外国人に比べ平坦といえるから。化粧することによって陰影がつき表情を際立せる目的がある。

逆に表情は自然のほうが良いと思う
洋服の場合 少しローアングルから撮るようにしている。
下からあおった方がレンズのパースペクティブ効果で顔が小さく写るしプロポーションのイメージも修正し易い。
だだし、顔に影がかかり暗くなり易いので顔の角度を調整すること、レフ板で光を起こすことも必要かしら。
 ローアングルでとる場合顔の表情の少ない写真になりがちなもしくは威圧的な表情になりがちなので
常に気をつけることし視線。あまり長玉は使わないほうが効果が出る。
必要があれば広角レンズを使い、ローアングルからアオリ人物を左右どちらかに寄せパースペクティブ効果を利用撮影する
なおかつトリミングしてフレームを整える、微妙に細い写真が撮れる場合がある。
その人の特徴、長所を引き出す撮り方では良くない。その人の欠点を探し出してカメラマンがそれをカバーる撮り方をしなければいけない。

屋外で撮る場合、影の処理に気をつけること。
人の目よりもフィルムが影に反応しやすい(黒く落ちる)。
フィルムには露光の再現許容範囲(ラチチュード)がありどちらかに
合わせると片側の部分が影につぶれたり白く飛んだりして何が写っているか判別できなくなる。
屋外で撮る場合影を弱める技術が必要だ。人の目で理解できる光と
フィルムの理解する光は違うこと認識すること
プリントがあがって来てはじめて影が濃い写真が多いと気が付く。
 人の目には影は気に成らないらしいのである。 

人物写真の撮り方 着物    
近年着物が流行った。男も女もヨレヨレ、グズグズに着るのが流行とか。どこかのアパレルさんや着付け屋んが仕掛けたらしい。”何とかサムライ”のゾロリとした着流し姿も思い浮かべてほしい。
流っているときは何となくカッコイイと皆感じる。流行ものはそれなりに強調して撮るしかないである。
胸をやたらはだけて帯をゆるく締めた着方がその時代を表現していると考える。流行には逆らえない。

女性写真の場合
 基本の基本は髪を整えること。髪が乱れるとスッキリしないばかりでなくもどきになってしまうのを防ぐためである。「乱れ髪」「ほつれ髪」は意図しないかぎり良くない。

着物の撮り方、着物に緊張感を感じる方向で撮る。
具体的には袂肩まわりのシワも何とかして消したい。
必要があれば後ろから洗濯バサミなどで引っ張りシワを取る。
ボール紙を切って袂にいれシワをとる。とにかくシワが見えないうように注意する。

ハイアングルから撮ることで日本的イメージが出る。少し前かがみ及び猫背気味のほうが良い結果になる。 正面から撮るポーズを避ける。石段、階段などを下がってもらい、上からねらうと日本的動きのある写真が撮れる。
着物の流れに無理がある場合テグスなどを使って引っ張って柄を見せたほうが良い。着物は柄が命である。柄が不明なのは着物写真としてはマイナス要素である。
昔の着物の写真は手を隠してとる場合が多かった。理由は単純に着物の場合手が目立ちすぎると考えられた。手の大きさに目がいきそれを良しとしない感覚は正しいと思う。(日本画の夢二は逆に手を大きく描く、バランスをわざと崩し特徴を出そうとしたが写真は画ではないらしい)
バランス的に物を持つか袖で隠した方が手が目立つ写真にならなくてすむだろう。
 残念ながらポーズは浮世絵などの美人画などが参考になるであろう。
その人の特徴、長所を引き出す撮り方ではない。
その人の欠点を探し出してカメラマンがそれをカバーする撮り方をしなければいけない。なぜなら長所は強調しなくても目立つのがふつうである。(なぜなら美人は強調しなくても目立つのがふつうであろう。)


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人物写真の撮り方 子供幼児
子供の目線の高さで撮ること。大人が子供を撮る場合、どうしても撮り下すことになる、子供は見上げる視線になり
上目使いの嫌らしい外国風の写真ばかり撮れてしまう、カメラマンはカガミこんで視線の高さを合わせ撮影することになる。
私なんぞは、座り込むどころか、地べたに腹ばいになって撮ることになるというウソです。
カメラマンは皆言うカメラマンは大変なのだと。
できればストロボシンクロを使い表情優先に撮る。
ガラガラとかオモチャの音の出る小道具を使い子供の興味を引くとよいぜ ベェビィ

究極のフィギア フォト(写真)の撮り方-----作例
 フィギア フォト(写真)の撮り方。最近流行のデジタルカメラでフィギア(アンティーク ドールなど)をポートレート風に撮り額に入れて楽しむのが流行らしい。
 アンティーク ドールが高いのでフィギアで代用してみる。雰囲気を出しながら撮るのは難しい。
近接撮影になるのでマクロレンズを使うこと1/2倍あればよいと思う。私の場合タムロンの52Bを使っている
影がキツクなるのでストロボは使わないことなるべく自然光でレフを使いスポットは白熱球スタンドを使う。
三脚とレリーズは当然使うこと。
背景はなるべく整理して被写体からはなしておくこと。ポートレートは正解が無いと考え、思いつくだけのバリエーションで撮っておくがひつようだ。その中から選択すること。

やはりこの被写体もデジタルカメラ向きだ。 

手ブレの問題
  カメラがデジタル化して急浮上した問題ではあるが
近年ボデー側に手ぶれ補正機構を備えているカメラが有効だ
デジタルカメラで修正できるのであれば有効である。ブレは見にくい  

元来、手持ち撮影写真のほとんど(コンパクトカメラ&使い捨てカメラも含む)手ブレ写真と推測できた。
が、あまり問題にならなかった。何故なら、すべて同時プリント及びサービスサイズプリント専用であり、
一部の人以外大伸ばしはやらないのが普通であるから皆でブレ写真を撮っていたわけだ。
カメラ本来の性能を使い切っていないとはいえる。
 デジタルの場合パソコンモニターの大伸ばし状態で見るため、レンズの性能&ブレが簡単に確認できるようになった。予想以上にブレが多いのに結構皆驚いている。(私も含めて)  カメラブレを増幅しやすい構造性格を持っているのだろうか。微妙な回転ブレがおおいようだ。

 以前の常識 手ブレを防ぐには三脚を使う。特に望遠レンズは三脚、光が暗いときは三脚を使う。
更にシャッター速度を揚げるため高感度フィルムを使う。更に1000分の1秒あたりでシャッターを切れば手ブレはおきない。

三脚の持っていない人はカメラを構え両脇を絞めて腕と胴体を密着させる。
出来るだけ早いシャッター速度で静かにボタンを押す。これしかない。間違っても片手で取ることなんか考えないほうが良い。
シャター速度の選択。望遠レンズはどういう訳かブレ易い。
ISO100 200o(35oフィルムカメラ換算)レンズ1000分の1でもブレる。ブレがとまらない。
デジタルの場合望遠換算レンズになりがちで、さらに増幅する。
が確かに面倒だし機動性が損なわれるのも事実である。
被写体によって間に合わず三脚を使い絞り込めばよい写真になるかなと考えながら
シャターを切った写真は全部ダメと言う。

手ブレ補正システムを使う。これは効果が有る。ブレは見にくい   

三脚の問題
 とにかく面倒くさい。シャッターチャンスを逃しそうだ。ただし助手がいれば話が別。

良い風景とは?
 良い風景とはどんな風景だろうか?ズバリ、観光地のことである。
万人が見て感動する風景が良い風景であることを認識してください。たとえ手垢にまみれた風景でも。
とりあえず、観光地を撮ることが勧め。他人と自分の撮り方の違い比較できる。
他人の作品をじっくり見ることが写真の勉強だ。

風景写真はさすらいの感覚に
見慣れた風景ではカメラを向ける気にならないが他人が撮っていることがある。
放浪・流転・浪漫・漂流の精神で記録に残す。
心象風景の写しこまれていない写真は記録としても意味がうすい

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風景写真の撮り方 

基本的には  このみっつ

”構図”
”光と影”
”決定的瞬間”(むかし流行った言葉)

構図は〜撮影者の感覚をあらわす。
光と影は〜対象物を強調・なおかつ季節を表現す。
決定的瞬間その時代を表現する。


山脈などの山岳写真は山並みの稜線の変化の激しいところを狙う。
単調な繰り返しの稜線を撮って見てもつまらない単調な写真にしかならない。
望遠レンズを使うと良い。更に
 風景写真は二者択一である。眼前の風景を撮るか撮らぬか?
撮るなら今か?待つか?(過去にはサカノボレナイ)待てば光線とか雲の状態が良くなるのか?悪くなるのか?主題を生かすには、副題を入れるかはずすか?
ひとつのモチーフに対していろんなバリエーションがどれだけ考えつくかが勝負である。それを時間の許す限り試しながら撮る方法がよい。

良い風景を探し歩くときは感覚を研ぎ澄まして歩く。とのような感覚で歩くか?
たとえばゴキブリ&コオロギなどの昆虫が長い触角をどこまで伸ばしふりまわしながら確認し歩くことの感覚。そして二者択一

良い風景とはどんな風景だろうか?ズバリ、観光地のことである。
万人が見て感動する風景が良い風景であることを認識してください。たとえ手垢にまみれた風景でもである。自分だけの秘密の場所はそうざらにあるものではないのだ!
とりあえず、観光地を撮ることを勧める。他人と自分の撮り方の違いも比較できる。
他人の作品をじっくり見ることが写真の勉強だ。

風景写真はさすらいの感覚に
見慣れた風景ではカメラを向ける気にならないが他人がキレイに撮っていることがある。
放浪・流転・浪漫・漂流の精神で記録に残そう。更に喜怒哀楽の写しこまれていない写真は記録としても意味がうすい気がする。


写真は光線を撮る。
 光線状態をフィルムに映しこむことが必要である。
順光なら順光が、逆光なら逆光に、ベタ光線とそれぞれ効果のある撮影法方があるはず。
同じ風景が光線によって違う風景(印象)に見えることは、周知のとおりである。

銀塩写真が開発され160年
カメラマンはアナログゆえのその扱い難さに体験した、標準的なフィルムの保管管理は18℃
その温度以上でも以下でも感光異状が発生するこれ常識。
次に現像液温度が、1゜C違えば発色が違ってきた。
 同時にその華麗な偶然性の魔力に魅せられたのも事実である。
逆に安定化させるための技術、
ピントとは何か?構図とは?絞りとシャッター速度の関係は?効果は?アングルとは軟調・硬調とは?色温度とは?
そんなものはデジタルカメラの安定性ゆえに必要にない技術に
なってしまったことは認めるしかないのだろうか?

今から思いえば、モノクロの時代はレンズの癖が強かった。精度の問題があったのだろうか、
光線の波長が違いを、ガラスの種類においてレンズ面の角度を補正しながら焦点に持っていく設計をしなければいけない。
ソロバンと手作業で計算したらしい。アタリハズレモ多かった。

どんな癖が出るかというと。軟調レンズと硬調レンズである。コントラストが偏る。
硬調レンズはたとえば髪の毛が太くなり針金のような感じに写ってしまう。
軟調はその逆コントラストが低くなりすぎるレンズは柔らかい画風に向くとはいえ我慢ならない程だ。
レンズは高いので使い込むほどアラが気になる。

そこでを各メーカー モノクロプリントペーパーを、階段的に製造販売していた。
要するにレンズの癖をペーパーによって修正しながら作品に仕上げようという訳だ。

カラープリントが普及するころにはアタリハズレガ少なくなっていた。メデタシメデタシ。

銀塩写真から見た、デジタル写真の撮りかた。
   誰でも1眼デジタルを撮ると手振れが気になるという。レンズの特性が変わるわけが無い
デジタルカメラのの場合、性能が安定している分、良いレンズ悪いレンズの差がハッキリわかる。(高い安い&好き嫌い関係なく)
これだけ簡単にレンズの比較が出来るとは驚きである。
フィルムの性能が安定しないこと、現像液が安定しないなど、アナログの要素がプリントにどう作用しているか判断がつかなかった。
デジタルで撮る場合できるだけコントラストの良いレンズを使う。出来るだけ新設計のレンズをつかうこと。手振れ防止レンズは更に良い。
ISO感度を400に、シャッター速度を速くし手振れを防ぐこと。
モニターで拡大確認し易くなり手ブレが多いことに気が付く。
デジタルの場合ISO100から400に上げるとノイズが増えると言うがブレを防いだほうが画質の効果が大きい。
予想以上にデジタルはレンズにシビアである。(当然だが、内面反射処理とか、解像度とか安易に比較できるので、)

名人と上手
 写真を撮り始めると他人の写真を見て、自分よりうまいかヘタかすぐ判断できるようになる。不思議だ・アハハ・・・・・・・・・・・・・・つづく・・・・・・

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とりあえず著作権はありますから。商業目的のコピー禁止

  C  三日月ハリマオ(みかずきはりまお)