| カメラのはなし |
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| 右は黒のデコパネとルーペのレンズを使って作ったカメラオブスキュラ。 上は、屋外を写している様子 | ![]() |
家への来客がお土産に持ってきてくれたお菓子の紙箱(昨今ならしゃれたプラスチックの箱が一般的であるが)をくりぬいて、虫眼鏡とロウ紙を使って、カメラというよりはカメラ・オブス キュラ というようなものを作ってみたのが小学校3年生の頃だった。すると父親がどこかで中古の2眼レフカメラを手に入れてきてくれた。カメラは故障していて、分解してもいいという話だった。たぶん、私が機械いじりが好きな子供と知っていた、父の親友の本屋の親父さんが、私がカメラ もどきのものを作った話を聞いて、くれたものだろう。2眼レフは、6cm 角の大きな板状のファインダーに像が映り、それを覗くだけでも十分に楽しめたので、このカメラは分解 せずにいろんな像を見て楽しんだ。目の前にある景色が、手元のカメラのファインダースクリーンの中に映っているのを見るのは、なにやらファンタスティックな気分であった。
その後、高校生の頃からカメラクラブに属して写真を撮り始めた。家にあったYASHICA(現在の京セラ)のレンズシャッターカメラを使っていた。暗室作業も、現像時間、引伸ばし機の露出時間など、時計に頼らずに仕上げられるようになった。ただ、当時の作品は、大学に入って上京したときに家に残してきたため、ネガもプリントも、どこにあるのか分からなくなってしまった。
その後、大学を卒業して、仕事の関係でまたカメラとの付き合いが多くなった。そこで購入したカメラが、ASAHI PENTAX Spotmatic (SP) だった。いつの間にか、20mmの広角レンズから300mmの望遠レンズまでを買い揃え、PENTAX SPF のボディが追加された。これらは今でも手元にある。撮影後の処理も、自宅に暗室を用意し、カラー写真の現像、引伸ばしまでできるまでにして、とことん楽しんだ。知り合いから、地方の親戚の結婚式のカメラマンを頼まれることもあった。プロのカメラマンと共作したこともあった。
17年ほど前から、転職後の仕事の都合で、カメラからは少し遠ざかっていたが、現在、昔のVHSカメラで撮り貯めた60数本のビデオのパソコンへの取り込みを終え、白黒フィルム46本、カラーフィルム134本の昔の作品をパソコンへ取り込んでいるところである。フィルムの取り込み作業をしながら、懐かしい作品をモニターで眺め ているうちに、「写真こそ、全て独学でやってきた自分の道楽の最先鋒 」であることに気が付いた。それなら「道楽雑記」の一端に飾ってやらねばと、40年も前の作品を引き合いに、なにやら薀蓄めいたことを書き記してみることにした。
はたして、カメラ暦40年のエッセンスの総集編といえるほどの内容にできるのだろうか?