表紙ディジタルカメラカメラのはなしコンピュータブロードバンドWEBページ雑学日本語Perl好みのPCを組む
 はじめに 歴 史 10進法と2進法 論理回路 加算器を作る 構成と動作 2進減算 加減算の拡張 負の数の導入 乗除算 2進数の特殊な扱い OSとプログラミング
コンピュータ

はじめに

Intel 4004

Pentium 4 と 4004

1971年11月15日、アメリカのエレクトロニクス系の雑誌「Electronic News」に画期的な IC の広告が掲載された。それは、まだ名の知られていない半導体メーカーの「4004」という型番の LSI の広告であった。広告主は、1968年7月18日に設立され、まだ 3 年余りしかたっていないベンチャー企業「Intel」であった。これが、現在の「Intel」という企業の名を初めて世に知らしめた広告であった。ちなみに、「Intel」という社名は、「integrated electronics」から名付けられたといわれている。

4004」という LSI は、当時A4サイズ程度の基板を何枚も使い、脇机の引き出しほどの大きさの筐体内に組上げられていた、コンピュータの頭脳部といえる「CPU(Central Processing Unit:中央演算処理部)」を、2,300個のpMOSトランジスタを使って、3×4mmのシリコンチップの上に作ってしまったものだ。これがその後、マイクロプロセッサと呼ばれるようになった IC の先駆けであった。

マイクロプロセッサというと、外国の企業が開発した舶来の技術のように思えるかも知れない。しかし実は、このアイデアは、「日本計算機販売(現:ビジコン)」という日本の企業が Intel に持ち込んだものであった。

日本計算機販売では、当時各企業で必需品となっていた、電子卓上計算機の特注品を販売していた。しかし、当時の電卓製造技術では、各社の仕様上の要求に答えるためには、それ専用のLSIを設計する必要があった。この不合理さを解決するため、電卓の動作に必要な機能をもつ 小さなコンピュータを作り、プログラムの変更で各社の要求に対応できないかと考え、そしてこのアイデアを実現できそうな半導体メーカーを探し、Intel と1年9ヶ月あまりの間共同開発を進めていたのだった。

開発途中で、Intel はこの IC の秘めている可能性に気付き、日本計算機販売が費やしてきた開発費を返還することを交換条件に、独占販売権を手にする。そして、冒頭の広告とともに、世界初のワンチップ CPU の販売を開始したのだ。

このとき、日本計算機販売側でこのマイクロプロセッサの開発の中心的立場にいた人物に、その後のマイクロプロセッサ開発の先端を歩くことになる嶋正利氏がいた。彼はこの後 Intel に移籍し、以後のマイクロプロセッサ開発で先導的役割を果たし、その後、Intel をスピンアウトした仲間が設立した Zilog 社へと移って、8ビット、16ビットへと発展するマイクロプロセッサの開発に携わることになる。

4004は電卓の計算機能をこなし、結果を表示ないし印刷できればいいという発想で設計されたため、4ビットのマイクロプロセッサであった。メモリーは最大で 4k バイト で、クロック周波数は 108kHz と、今から考えると赤ん坊のような性能であった。この後マイクロプロセッサーは 8 ビット、16 ビット、32 ビットと発展を続け、現在の Pentium 4 ではトランジスター数は4,800万個を使用し、クロック周波数は2GHzで最大メモリは 4Gバイトと、トランジスタ数、クロック周波数のどちらも 2 万倍、メモリは100万倍に増加している。