過去ログ 
 2002年 1〜2月




受験  2002/02/19 (火)
受験シーズンです
障がい児学級とて例外ではありません
自分の関わりから感じる生徒の実態、保護者の願い、受験校の評判・倍率など
本来的なことからそうでないことまで色々と気になってしまいます
packがこの頃考えているのは
ゴールはどこか?ということです
現実として中学校には進路の問題があり
担任は本人、保護者の希望を叶えるべく努力するものです
そのためには
指導の連続性やら生徒自身のニーズを少し後回しにしても
面接練習やら身辺自立の練習をさせたことがあります
「あの学校では面接でこんなことを聞かれた」
「この学校ではこんな運動をさせたらしい」
情報を仕入れ、子どもにやらせてみる
できるとほっとし、できないと焦って練習計画を立てたりする
ゴールは受験であり
それが子どもの将来を見通した上で優先されるとの判断です
そういう判断は十分ありうることだと思います
で、
そういう判断しかないのだろうか、と考えています
区切りとしての進学はあり、そのための準備をするのは当然として
受験のための指導優先にするのが3年生らしい過ごし方としてよいのでしょうか
中学校の教育のゴールが受験であったなら
通常教育の悪弊と変わりありません
子どもの発達段階に応じた指導をするのが義務教育だと考えると
その大事な時間を「受験指導」に費やすことが重要なことなのでしょうか
発達優先で受験指導なし、という判断もありうる
と思いたいです
  #その方がある意味難しいでしょう
振り回されるのだけはゴメンです
ゴールは地域で生きることだと考えます
高等養護学校も施設も、本当は地域で生きる力をつけるための場所であろうとしているはずです
だから通過点です
通過点のために必要以上に時間を取り、心豊かに過ごす時間を削ることは避けようと思っています
自立とは「一人でがんばること」だけではないはずです
「適切に支援を受けられる」「必要に応じて支援を要求できる」ことでもあるはずです
試験官の先生と上手に対応できることより
身近な人間と上手にコミュニケートする力を育てたいです





指導要録の違い  2002/02/11 (月)
資料室に「〜〜指導要録の改善等について(2001.4 通知)」をUPしました
ここでも話題にしておきながら、UPしていなかったんです(恥)
それから雑感のログや各ページのリンクボタンを変えました
で、件の通知をしみじみ読み直して今ごろ気付いたのですが
同じ養護学校でも、知的とそれ以外は指導要録が違うんですね!
ついでに調べたら、今度そうなるんじゃなく、今も違うんですね
個人的にはとても驚いたので思わずにまとめてしまいました
考えてみればわかります
例えば下肢麻痺で車椅子で知的発達は標準の子どもであれば
通常教育の形式に自立活動が付加されればよいだけです
では
盲・聾・肢体不自由・病弱の養護学校で
その学校名に冠する障害だけをもつ子どもの割合はどの程度なのでしょう
つまり
実際には肢体不自由で知的障害、聾で知的障害のように重複しているお子さんけっこう存在しているのではないか(いるだろう?)、ということです
それなのに単一の障害を前提とした形式で、通常教育と同じ教科学習の観点でいいのか(だめじゃん!)、ということです
  #ついでに自閉はどうしてくれるんだ、と言いたい
たしかに通知の中には重複障害への配慮も言及されていますが
やはり前提が違うと思います
でもずっと以前からそうなっていて
packが知らないだけでした(再恥)
嘘だろ、という気持ちと同時に
こんな体制の中で個々の子どもと向き合いながら
ずーっとやってきた先生方もたくさんいるんだろうなーと
改めて見知らぬ諸先輩に脱帽です





おたより  2002/02/10 (日)
先日、ちょいとトラブルがありまして
3年生向けにこんな通信を出しました(3年生は障がい児がいない学年です)


1−○○で生活し、1−○○でも勉強しているTさんについて、3年生の皆さんに改めて知ってほしいことをお伝えします。

 そして、一つ考えて欲しい事があります。
  〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

Tさんは、道路標識とCMと楽しそうにしている友達が大好きです。
彼は「自閉症」です。

それは、色々な意味で彼の一部です。
(彼のほんの一部を表すに過ぎない、と同時にまちがいなく彼の一部分を表す)

自閉症の方々にはいくつかの特徴があります。

○言葉を使ったコミュニケーションが苦手

言葉が全く通じないわけではない。苦手の度合いは人によって様々。
わからない言葉を言われた時には、同じ言葉を繰り返したり、全然関係ない言葉を言い返すことが多い。(聞き取れないのでなく、「音は聞こえるが知らない外国語をまくし立てられたような状態」に近い)

相手に「言いたいこと」でなく、その相手に対して強く残っているイメージを言葉にして言う事も多い。

たくさんの音の中から自分にかけられた言葉を聞き分けることが苦手なため、声をかけても無視するような形になることがある。


○「場の空気」や相手の気持ちを感じ取るのが苦手

厳粛な場面、我慢してでも静かにする・楽しそうにする場面、相手がゆっくりできない時、もっとたくさん接したい時 などを察するのはとても苦手。わざとでないのに、周囲には気まぐれ、しつこいと思われてしまう。

況を整理するのが苦手で、不安や苦しみを非常に強く感じる

大きな声で叫んだり嫌がったりすることがある。うるさいと思うかもしれないが、彼が感じる苦しみの強さをも表している。
時には「パニック」といって感情制御不能になる。


○何かのきっかけで興味を持ったものにこだわり続ける

いつ会ってもCMの言葉をつぶやいている、と見えるかもしれません。
また、道路標識のミニチュアをいつもポケットに入れていて、精神安定剤の役割を果たしている。不安が強まるとこの標識を握りしめる。信頼関係ができていない人には見せてもくれない。

「自閉症である」という側面が一つの特徴になるか、その人を苦しめるハンディとなるかは、周りの接し方で決まります。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

Tさんは中学校に入ってから多くのことを学習しました。
その一つに「ガイジ」という言葉があります。
彼は時々、人に対して「ガイジ、ガイジ」といいます。
それは相手をからかっているのではなく
その人にかつて言われた場面を再現しているのです
もしくは、さっき誰かにそう言われた場面を再現し続けているのです
自分が否定されたことは敏感に感じ取り、苦しいイメージとして後々まで残ります
彼の中には、今、「3年生、ガイジ」というイメージが残っています

残念ながら日本語には、様々な差別的表現があります。
特定の肌の色、特定の国、特定の病気・・・
そして、相手を馬鹿にしたりからかうときに当たり前のように「ガイジ」と使う。
意識はしていなくても、自分には障がいがない前提で安全地帯から、障がい者を利用して(あるいは直接)相手を見下し攻撃する卑怯な行為だと、私は思います。
「差別やいじめはイケナイ」と誰でも頭では知っていて
仲間を大切にしたり自分の進路を見つめてがんばる一方で
現実には「ガイジ」と言う差別語が普通名詞としてまかりとおっています。

何気なく「ガイジ」と使うことがどんな意味をもつのか、考えて欲しい事です。



この通信を書くのは苦しかったです
まず、時間的に一晩しかなかったこと
願書の準備等めちゃくちゃ忙しい時期にすぐに対応してくれた担任や学年の先生方に応えるためにも、どうしても「トラブル」の翌朝に出したかった
これは『生徒指導はタイミングが命』という持論によるものです
次にB4に収めようとしたため短くまとめるのが難しかったこと
ふだん接していない学年の生徒に対して、どの程度の内容・強さが適当か測りかねたこと  などです
しかし
今までいくつかのサインをキャッチしていながら
3年団の先生方がTさんに積極的に関わってくれている事に甘えて、適切な働きかけを3年生に対して怠っていたこと痛感し
不充分ながら何とか書き上げました
あと、少ーしキツイ表現もあるので
先生方に提示するときに精神的にしんどかったです ふう・・・
また指導の仕方も「障害の先生がこう言ってるぞ、とか○○はもうやめなさい、という押し付ける指導ではなく、『こんな考え方があるね』とか、『これはどうかなあ?』『そうだ考えなきゃね』と生徒の目線でいっしょに考えるような働きかけをお願いしたい」と注文までつけてしまいました 

結果的には受け止めようとしてくれる先生が多く
(もちろん?ウーンという今ひとつな表情の方も・・・)
3年生以外の学年・学級でもこの通信を取り上げて指導したいと申し出る方がいましたし
実際に学級で指導したら生徒がすごく真剣に読み話を聞いた、という先生のお話もいただき
とりあえずがんばった甲斐がありました
しかし数日たって文章を読み直すと、やはり言葉足らずです
差別感があるのは何も中学生(子ども)に限った話ではありませんし
突きつけっぱなしにしたくもありません
厳しいメッセージの後には、受け止めきれない(あるいは厳しいイメージしか残らなかった)生徒の存在も想定したフォローが必要だと考えます
間をおいて最後にもう一度3年生にメッセージを発信しようと思っています





サービス  2002/02/03 (日)
各学校、次年度に向けて会議が目白押しのこととお察しいたします(^人^)
わが校でも先日行われ
その中で通知表の内容検討の提案がありました
理由は、新指導要領の施行ならびに指導要録の様式変更にともなって、です
通常教育の通知表はある程度練られたものが多いためか、あまり見直しをするのは聞いたことがありません
まして、「より伝わりやすく」という視点での見直しは全く遭遇したことがありません
これは、通常教育の怠慢だとかいうことよりも
通知表は成績を伝える手段の一つと捉え、様式にはあまり重きをおいていないためと思われます
それ自体はそのとおりだと思うのですが
packは単なる説明責任とか通知とかより、教育サービスの一方法として重く考えています
国のために働くのが公務員ですが
そもそも国は国民に様々なサービスを適切に行うのがお仕事です
ですから、子どもや保護者のためにpackは通知表をつくります
その子どもに応じた教育課程を反映したものであるのは勿論
よりわかりやすく、より伝わりやすく・・・と考えてしまいします
その結果や評価を、子どもや保護者と分かち合いたいし
「評価の評価」を保護者にしていただけたらいいなあ、と思っています
思ってすぐ実行できてしまうのが
小回りのきく障害児教育の強みです

ひさびさに通知表をUPしました
やっと小学校の先生にご協力いただけました
ありがとうございます
提供者のコメントに様々な思いが綴られておりますので、ぜひご覧ください




名称変更  2002/01/27 (日)
先日書いた名称変更の話題をきっかけに
当サイトの名称およびサイト内の字句・文言を変更しました
   特殊教育→特別支援教育もしくは障害児教育
   特殊学級→障害児学級
約1年前、サイト開設にあたってこれらの文言をどうするかはかなり考えました
特に「特殊教育」「特殊学級」という名称には反対の方々が多いことも知っていました(packも反対派の一人です)
結局、色々な考えの方がアクセスすることを想定し
法律上の言葉である「特殊教育」「特殊学級」を用いました
当面の使用としては特に問題ありませんでしたが
この1年で「特別支援教育」が一般化しつつあることと
packの中で「特殊」に対する反対の考えが深まったことから今回の変更としました
ついでにこのだらだらしたコメントも「雑感」として独立です
packはアクセス解析には興味がないので
このサイトにリピーターなる方がどのくらいなのか謎なのですが
カウンターを見ているとどうやらほんの少しはいらっしゃるようだと判断しています
そしてこの雑感(コメント)の更新のわかりずらさがちょっと気になっていましたので題名なぞをつけて解消を試みました
気がつくことと変えることは必ずしも連動しないものです
今回の変更も
文章すべてのチェックからバナーの作り直し、YAHOO!など登録サイトへの連絡など小めんどうな手続きがありました が
できるところからささやかに責任を果たしてみました




2002/01/20 (日)


すっかりご無沙汰してしまいました
研究会その他で多忙であったことと
私の勤務校をご存知の方も居ることから
一番書きたかったこと〜この間packがもっとも関わって悩んだ状況〜について書けなかったこと、が停滞の理由です
因みに障害児教育とは無関係のことです
そちらの件もあらかたメドがたち、晴れて更新再開と相成りました
今年もよろしくお願いします m(_ _)m

先日、「精神分裂病」が「統合失調症」へと名称変更されると報道がありました
一部には、言葉狩りをしても偏見はなくならない!との意見もあるようですが
状況にふさわしい意味の名称を追求したり、誤った偏見につながるものを一掃する姿勢には賛成します
特に、当事者や家族にアンケートを行って最終決定したという経緯に驚き、感嘆しました
障害児教育の世界でも
精神薄弱→知的障害  特殊教育→特別支援教育
と名称変更がされています
勿論大切なのは実態であり、名前負けしない質の支援や権利保障、世論形成にむけてのアクションが欠かせないでしょう
packの学校では次年度に向けて学級名称を検討しています(今までは数字)
これも時折話題になることですよね
といいますか
学級開設のときは色々考えても
異動した場合、よほどのことがなければ学級名称は以前のまま、というケースが多いように感じます
特別支援教育への流れの中で、もっと各校で考えてもよい事柄の一つだと思います







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