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毎週の稽古の様子や、稽古を通じて感じたことなどを、遊武会主宰の石田が綴ります。 |
<過去の日誌>
23年7〜12月分 23年1〜6月分 22年7〜12月分
22年1〜6月分 21年7〜12月分 21年1〜6月分 20年7〜12月分
20年1〜6月分 19年7〜12月分 19年1〜6月分 18年7〜12月分
18年1〜6月分 17年7〜12月分 17年1〜6月分 16年7〜12月分
16年1〜6月分 15年7〜12月分 15年1〜6月分 14年7〜12月分
14年1〜6月分 13年7〜12月分 13年1〜6月分 12年5〜12月分
平成24年1月9日〜
5/21古流居合術教室
1)基本操法一〜四本目 2)中伝「横雲・浮雲・岩浪・鱗返・浪返・真向」 3)初伝「前・八重垣・附込・抜打」
5/22定例稽古会
1)居合術「基本操法一、二本目」「円月抜」 2)杖術「基本打法5種と応用」 3)体術「受身」「袖持ち後ろ捕り(後方崩し)」
5/26月例研鑽会
1)基本所作(立ち座り・礼式・納刀法 他) 2)居合術「基本操法三本目」「抜落(替業・組み型含む)」 3)体術「歩法」「合気上げ各種」
(その他 5/21武術操身法教室 5/22シダックスカルチャー江坂 5/23殺陣武術教室 5/26武術操身法教室)
ひと月ほど前にこの日誌で、プロサッカーチームの練習に「転び方(受身)」というものがないということを知り、少々意外に感じたと書いた。プロ選手ならずとも、昨今は高齢者のスポーツへの参加も多くなっている。受身に必要な身体の柔らかい遣い方やバランス感覚は、あらゆるスポーツの質を高めることにつながるように思える(ここで言う「受身」は柔道のような激しい投げに対応するものではなく、合気道の方式をベースにしたソフトな質のものである)。
私は昨年来、クボタでの稽古や身体操法の各講座においては、極力受身の稽古を少しでも入れるように努めている。最近は体の遣い方についての工夫とその実用という意味で、受身を多くの人に体得してもらいたいと考えるようになってきた。様々なレベル、様々なパターンの受身法を身に着けるためだけの「受身道」というものを、武道の一ジャンルとして作っても良いのではないかと(結構真面目に)思っている程である。
小学校では体育でのマット運動で学ぶ前転や後転の代わりに、上手な転び方としての受身を教えた方が、将来的にもよほど意味があるのではないだろうか。我々の時代と違い、日常的な遊びの中で跳んだり、走ったり、転んだりということが著しく少なくなっているであろう現代の子供達にとって、受身は必須科目であると言っても良いかと思う。また高齢化の進む現代においては、受身の修得によって転倒による怪我を最小限にすることができれば、医療費の節減にも役立つことは間違いない。ただし、正直なところ体が弱ってからでは修得に無理が生じてしまう。受身の稽古で怪我をしたのでは本末転倒である。やはりある程度体力的に余裕のある年齢のうちに、少しずつでも「上手な転び方」を学んでもらいたいものだ。
受身は護身の意味だけではなく、健康法としても有効であろうと思える。多くの受身は背中で転がる形になるが、背部への適度な刺激は自律神経のバランスを良くすると言われ、内臓の働きを整えるのにも効果が高い。私個人の実感としては、少々体がだるい時や、胃腸の働きに滞りを感じている時には、道場で前方回転受身を1〜2分も繰り返すのが、最も簡単で確実な回復法であると思う。
柔らかい受身を体現するには、開脚や屈伸などに必要なストレッチ的柔軟性ではなく、全身各部をバランスよく遣う組み立てとしての柔らかさが求められる。膝の緩みを核として不要な力を抜き、床や地面にどれだけ上手く馴染みながら体を崩していくかということが、私の思う受身の在り方である。
以上
5/14古流居合術教室
1)個別稽古/奥伝「壁添・受流・暇乞」 2)全体稽古/初伝「前・右・左・八重垣・受流・介錯」 中伝「横雲・虎一足・稲妻・浮雲・颪」
5/15定例稽古会
1)居合術「旋」 2)杖術「立ち隠れ」 3)体術「受身」「旋落し」
5/19月例研鑽会
1)居合術「正座抜き付け三態(前切・半身抜き・左足引き)」「旋(組み型)」 2)杖術「基本打法5種」「開拳振り」「突き流し・打ち流し」 3)体術「片手持ち転体崩し」「正座抜刀崩し」
(その他 5/16楽遊会杖術 5/16ヨークカルチャー杖術・居合 5/17ゆうゆうの里・神戸「高齢者向け操身法講習会」 5/20日本殺陣道協会審査会)
居合において「抜き付け」は最も大きなテーマである。早さ、速さ、軽さ、気配のなさなどを全て満たす動きは、求める程に遠さを思い知らされてばかりである。そんな難題に関して、今週自宅で稽古している際に一つの大きな手掛りを得ることができた。
手掛りを得たと言っても、文字通り手掛りに過ぎない段階で、まだまだ明確な動きに反映されるのには時間がかかるであろうと思われるので、ここでは漠然とした書き方しかできないのがもどかしいところだが、ごく簡単にまとめると「柄に右手が掛かる前に鞘引きを始める」ということだ。しかしこれを言葉通りに捉えてしまうと、少々おかしなことになる。柄に掛けた右手を空間固定してこそ、左手での鞘引きが活かされるのであり、固定すべき右手が掛からないうちに鞘引きをするなど、物理的に矛盾が生じてしまう。常識的にはありえない表現なのだが、自分の思う理想的な抜き付けを体現するには、この言葉が最も近いということに気が付いたのだ。
「右手が掛かる前に鞘を引く」というのは、理論と感性の狭間にあるような言葉かと思う。これまでにも数え切れない抜き付けを行なってきた中で、ごくまれに自分の体が何か他者の力で動かされたような、自分自身の力をほぼ感じられない抜き付けができたことがある。その感覚を意図して再現するべきキーワードが、ここにきてやっと見つかったのではないかと思うのである。ただこれは飽くまでも私個人の感覚による表現であるので、稽古の中でこの言葉を用いていこうとは全く思わない。逆に理解を妨げる原因にもなりかねないとさえ思う。
今のところは自分としても手探り状態ながら、もう少し時間が経てば抜きつけの質が大きく進化した状態で安定させられるように感じている。ただ、今後しばらくは不安定さの方が目立つかもしれないのでご容赦願いたい。
さて、この日誌を書いている一週間程前になるが、ある方から「稽古ダイジェストのDVDを送ってほしい」とのご依頼があった。お名前とご住所を見てもしやと思い、ご本人に確認したところ、やはり古流居合術の名門を継がれるお立場の方であることが判明した。ご本人曰く「演武に偏りがちな居合に、武道としての有効性を見出すべく研究している」とのことであり、正に遊武会の理念との重なりを感じると共に、私のような自由な立場ではない御身で、流派の枠を越えて手掛りを求められる姿勢に敬意を覚えずにはいられなかった。
私の拙い動きや理論を僅かでも参考にして頂けるなら望外の喜びであると思い、比較的最近の稽古の様子を収めたものも併せて、早速DVDを送らせて頂いた。今後親交を深めていければと、心より願っている。
以上
5/7古流居合術教室
1)奥伝「信夫・行違・袖摺返・門入」 2)参考稽古/遊武会居合技法「基本操法一〜四本目・浮沈・抜落・鳥居崩」
5/8定例稽古会
1)居合術「基本操法四本目(替業含む)」「天地」 2)杖術「突き返し(応用業含む)」 3)体術「受身」「両手持ち指折り返し」
5/13第7回身体操作塾
座法・歩法・踵下しの応用・指立て引き・上体起こし 他
(その他 5/7武術操身法教室 5/8シダックスカルチャー江坂 5/9殺陣武術教室 5/12武術操身法教室)
今週の古流居合術教室では、ベテラン勢に奥伝の型を稽古してもらった後に、参考稽古として全体で遊武会居合技法に取り組んでもらうことにした。居合術教室ではこれまでにも英信流以外に、遊武会居合術基本操法(四本)や居合道刀法(七本)を参考稽古として時折取り上げてきた。今回は(ほぼ初めてになるが)遊武会居合技法も含めた稽古である。
メンバーの一部は遊武会居合技法に取り組むのが初めてであったが、さすがに英信流の稽古を重ねてきた分、手順を覚えることはさして問題ないように思えた。しかし型の主題が英信流とは少々違っているので、それぞれの型に何を見出せば良いのかということを探る上で、新鮮な感覚が得られたのではないかと思う。
私が独自に様々な型を作ってきたのは、型の手順や想定に囚われず、刀を通じて身体運用の質を掘り下げる稽古をしたかったからであるが、最終的には英信流の武術的側面へのアプローチの為であるという思いも強い。その意味では、英信流の教室に来て頂いている方々にも、もう少し遊武会技法のエッセンスを感じてもらう機会が必要であると思い、今回の稽古で取り上げたのである。また古流居合術教室を立ち上げて以来、定例稽古や月例研鑽会では意図して英信流の型をやらないようにしてきたが、今後は再び英信流の型を参考稽古として少しずつ扱っても良いと思えてきた。私の中で、ようやく両者の区別がなくなりつつあるように感じている。
さて、5/13は第7回となる身体操作塾を開催した。今回は参加者が16名(他に見学が1名)と、過去最多であった。スペース的にはほぼ上限の人数であろうと思う。16名のうち遊武会の稽古に全くの初参加である方が7名もいらしたので、様々な動きの基本として、座法や歩法を主とした下半身の柔らかい遣い方を中心にスタートし、後半は経験者と初心者を分けて稽古を進めた。経験者の方々は各自のテーマにおいて、自由に楽しく稽古を進めていって下さる。ありがたく思うと同時に、この稽古会のコンセプトが具現化してきていることをはっきりと感じることができた。
新しい方に色んな技法を紹介していると、意外と最近やっていなかったことがたくさんあると分かってくる。自分としてはできるだけ新しい理論や技法を紹介していきたいとは思っているのだが、やはり新しく来られた方には、過去に通ってきた道も併せて提供しなければ、理解も深まりにくいかと思う。
自分自身にとっても過去の技法を振り返り、改めて質を見直すということは大いに意義がある。新しく参加される方々あってこそ、高められる質というものもあるはずだ。何にせよ今回初参加の方々が、少しでも身体操作の工夫に興味を維持して頂けたなら幸いである。
以上
4/30英信流居合術ビデオ撮り
奥伝・居業の部
5/1定例稽古会(難波市民学習センター)
1)肩甲骨ほぐし 2)肩甲骨揺らしと応用 3)抜き走り・抜き転換 4)踵下し立ちと応用 他
(その他 5/2楽遊会杖術 5/2ヨークカルチャー杖術・居合)
4/30は祝日の為、居合術教室の稽古は休みとしたが、この日の夕方に身体操法の個人指導が入ったので、その時間の前に久々(約2年振り)となる英信流居合術のビデオ撮影を行なうことにした。ちなみに個人指導の相手は、Jリーグ・ガンバ大阪にこの春正式入団を果たした稲森克尚君(もはや稲森選手、と言うべきか)である。これまではここで個人名を出すことを控えていたが、晴れてプロ選手となったので、応援を兼ねて今後は実名で書かせて頂くことにする。
以前にも書いたかと思うが、私はサッカーについてはまるで素人で、ろくに試合も見たことがない上に、スポーツ自体が苦手である(ガンバが今年ひどく調子が悪いということくらいは、報道などを通じて知っているが)。そんな人間がプロスポーツ選手に身体操法を指導しているというところが、武術の面白さと言えるのだろう。このところはディフェンスに通じるであろう体幹部のまとめ方などを中心に、武術の技法をベースにして進めているが、今回は初めて受身を稽古に取り入れてみた。本人に聞いたところ、サッカーの練習で受身(転び方)を学ぶことはないそうである。これは私にとっては少々意外なことであった。ラグビー程ではないにせよ、数あるスポーツの中でもサッカーと言えば試合中に転倒する可能性が極めて高い種目の一つであろうと思われる。当然その部分に対する何かしらのケアが練習の中にあって然るべきであろうと想像していたのだが、どうもそういうことは全くないようだ(チームによって違うのかも知れないが)。今後機を見て、しっかりとした環境の下、対応力のある受身を身につけてもらう稽古をやってみたいという気がしてきた。
この個人指導も始めてから2年半近くになるが、不定期ながらプロ入り後も継続してくれているので、私自身のスキルアップの意味も含めて、この場でも色んな角度から体を遣う工夫を深めていきたく思っている。
遊武会関係各位にも、稲森選手並びにガンバ大阪の活躍を応援してもらえればありがたく思う。
さて、ビデオの撮影だが、今回は時間の都合もあり英信流奥伝・居業の部のみとした。ただ奥伝・居業は型が八本と少なく、これを一通り演武するだけでは教材としてあまりに物足りないであろうと思い、一つひとつの型についての要点を別角度から、あるいは部分を拡大して撮影し、より動きの本質が伝わり易い内容に仕上げるべく、休日にわざわざ手伝ってくれたメンバー達と、あれこれ考えながら進めた。
いつもながら撮影後に自分の動きを見てみると、あちこちできていないところばかりが目に付き、正直イヤになる。少し時間を置いて覚悟ができてから編集作業に入ろうと思うので、DVDの完成までは今しばらくお待ち願いたい。
以上
4/23古流居合術教室
1)初伝「前・右・左・後・八重垣・受流・介錯」 2)中伝「横雲」
4/24定例稽古会
1)居合術「基本操法一本目(替業含む)」「磐舟」 2)杖術「打ち抜き」 3)体術「受身」「相突き崩し」
4/25月例研鑽会
1)基本所作稽古 2)居合術「基本操法三本目(替業含)」 3)居合剣術「足捌き稽古」「抜落」 4)杖術「切り返し」「突き流し」 5)体術「受身」「相突き崩し」「両手持ち肘差し崩し」
(その他 4/24シダックスカルチャー江坂 4/25殺陣武術教室 4/28武術操身法教室 4/29侍道殺陣塾審査会)
武術を身に着けるにあたって、日常的な体の遣い方を見直すことは必須である。特に現代の日本人にとっては、武術の成熟期とは全く違った生活環境に身を置いて生きている為、古伝の型を学ぼうとしても、まず身体性が往時とあまりにも違い過ぎるというハンデがある。
私自身は普段から歩行や階段の昇降、立ち座りなど、自分の日常的動きをできるだけ観察し、武術に求められる動きと矛盾しない身体の働かし方を探っているつもりでいる(それでもまだまだ充分と言えるレベルではないが)。日々の暮らしの中で、身体運用の理を求め続けるのは、なかなか継続が難しいところもあるかと思うが、少なくとも稽古場にいる間だけでも、終始自身の体を武術モードに切り替え、持続させる意識を持ってもらいたいと思う。足の運び方や、刀などの扱い、礼の仕方などに気を配るだけで、型や業ではない部分に内包される武術の本意が見えてくるはずである。
今週の月例研鑽会では、初参加の方もいらした為、立ち座りや刀の持ち方、礼式など道場で必要な基本所作を細かく説明し、実践してもらった。新しく稽古を始めた人には、このあたりのことをもっと丁寧に指導すべきであるのは重々承知しているのだが、限られた時間の中でできるだけ武術の面白さを伝えようとして、つい省略しがちになってしまう。継続して稽古に来られるようになれば、改めて基本所作をゆっくり覚えてもらえば良いと思っていても、いつの間にかその機を逃しているというのが現状で、反省すべき点であると強く感じている。
このことに関連して言うと、居合においては納刀をどれだけ丁寧に行なうかということが、身体運用の意識を高める上で欠くべからざるものであると考えている。手馴れるほど納刀時の身体運用は漠然としたものになり易い。自分の体に合った刀だけで長く稽古を続けていると尚更のことである。時折納刀の意義を再確認する意味で、長さや重さの違うものを色々と遣ってみるのもよい刺激になるだろう。
今週、29日には永原亨師範が主催される侍道殺陣塾の昇給審査に、審査員として参加させて頂いた。武術とは似て非なる世界ではあるが、もちろん共通項も数多くある。永原師範は約2年に亘って遊武会の古流居合術教室に参加されていたこともあり、殺陣のご指導において抜刀、納刀、礼式などの所作に私のやり方を取り入れて下さっている。刀を振る部分以外の動きにまで細かく手順を定めて指導されており、それ故に学ぶ立場の人にとっても、自身の出来不出来が自覚し易くなっているのだろうと見受けられた。求める動きの質は我々の思うところと違っているかも知れないが、体の遣い方を微細にまで工夫されているところは、大いに通じるものを感じられる。
以上
4/16古流居合術教室
1)個別稽古「奥伝/霞・脛囲・両詰・虎走・門入」 2)全体稽古「初伝/前・受流・追風・抜打」 3)参考稽古「前/半身抜刀」「手捕り抜刀」
4/17定例稽古会
1)居合術「抜落(千鳥捌き)」「下弦」「手捕り抜刀」 2)杖術「突き流し」 3)体術「受身(横回り)」「袖持ち千鳥崩し」
(その他 4/16武術操身法教室 4/18楽遊会杖術 4/18ヨークカルチャー杖術・居合)
居合術において「右手を遣わない」ということは、あらゆる型から身体運用法を導き出す最も大きな手掛りであると考えている。「刀を抜く」という言葉に引きずられて、懸命に「抜き方」を工夫する稽古をしてしまいがちになるが、それは刀ありきの動き方を練磨することであり、汎用性を期待できる身体運用を探る方法とはなり得ない。もちろんこれは居合に対する価値観の持ち方の一つであり、「刀あっての居合である」という考え方自体を否定するものではない。飽くまでも当会における稽古の指針であるということだ。
ちゃんとした型ではないが、検証稽古の一つとして時折「手捕り抜刀」を試みることがある。立った状態での抜刀において、右手が柄に掛かった瞬間、相手に右手を押さえて抜刀を妨げるようにしてもらい、その状況で無理なく刀を抜ききるという稽古法である。ここに必要なのは「鞘送り・鞘引き・左半身の開き・膝の抜きによる身体の沈み・右手の空間固定」などであり、鞘送りを除いては全て同じ間の中で処理しなければならない。これらの中で居合としての最も大きなポイントは「鞘送り」であろう。鞘送りがなければ他の全ての動きが有効性を失うと言っても過言ではない。
居合の型を術として足りるものにしようとした時に、鞘送りは不可欠であると思えるが、この部分について微細に述べられた意見や文章には、ほぼ出合うことがないのが現状である。今年に入ってから「鞘の浮き送り」ということを頻繁に書いてきたが、かく言う私自身が鞘送りに関して大きな気付きを得たのは、何度もあることではなかった。ただ常に鞘送りの重要性を感じ、大切に扱ってきたからこそ得られたものであるとも言えるだろう。そしてその鞘送りがあってこそ組み立て可能な身体運用にもつながっていくのであり、今後も一層意識を高くしていきたく思っている。
話が鞘送りに偏ったが、居合の本質に関わる部分を抜き出して体感できる「手捕り抜刀」という稽古法は、そのまま杖術や体術などにも直接リンクしていくものなので、機を見ながらまた取り上げていこうと思う。
以上
4/9古流居合術教室
1)全体稽古「初伝/前・右・左・後・八重垣・受流・介錯・附込・月影」 2)二本差しでの抜刀について 3)個別稽古「奥伝/両詰・門入・受流」
4/10定例稽古会
1)居合術「基本操法三、四本目」 2)杖術「縦違い」 3)体術「指立て上げ」
4/14月例研鑽会
1)居合術「刀法/前後切」「梅枝」 2)剣術「小手抜き・小手抜き返し」 3)杖術「突き流し」 4)体術「歩法/千鳥捌き」「指立て引き・指立て上げ」 他
(その他 4/10シダックスカルチャー江坂 4/11殺陣武術教室 4/14武術操身法教室)
今週は何箇所かの稽古で歩法を取り上げた。歩く稽古というのは日常の中でいくらでも試す場面があるので、様々なパターンを知っておくと、飽きずに歩き続けることができるようになる。
今回主としてやってもらったのは、とりあえず「千鳥捌き」という名にしたものだが、要は真直ぐ歩きながら膝の緩みを利用して歩く軌道を横にずらすという簡素なものだ。基本となるのは、極力蹴り足を用いずに両膝の抜きと踵の送りで柔らかく歩くことである。柔らかく歩きつつ、例えば少し左に軌道を移そうとした場合、当然ながらその瞬間にどちらの足が前に出ようとしているかによって身体の処理の仕方が違ってくる。千鳥捌きは右足を出しつつ左に移る場合の身体操作である(もちろん逆のパターンも同じ)。
出る足と移る方向が逆になる場合、両足がクロスする形となる。この時に軸足の膝の緩み加減と出る足の送り加減がうまく釣り合っていないと、両足がもつれたようになり、下肢に大きな負荷が生じることになると同時に、安定感も著しく損なわれる。
感覚としては体はそのまま真直ぐ進みながら足元だけ横に移り、一瞬遅れて上半身が後を追うような感覚になれば良いかと思う。変化の最中には体軸に傾きが生じないようにしなければならないが、これも無理に起立を維持しようと思うと、下半身の硬さにつながり具合が悪い。横風に吹かれてフワリと体が横に動いてしまった、というようなイメージで感覚を探ってもらえればと思う。
この歩法は単に歩く際の身体移動に止まらず、体術においても充分効果を発揮する。両手を掴まれた際の崩しなどにおいては、上半身に極力動きを出さずに足元の変化を作ることで、動いてからの作用が相手の反応を超えて大きくなり、柔らかく相手をコントロールできるようになる。崩される側から言うと、掴んだ手から変化の情報が伝わらないままでは、足の動きが見えたとしても意外と対応できないものである。袴を着けている場合は足元の動きを視覚的にも隠せるので、尚更有効性が増すことになる。また居合においても、立業の受流などにおいてこの足捌き(体捌き)が重要な意味を持つことになる(詳しくはまた稽古の中で)。
日常的に万歩計などを利用して、日々どれだけ歩いたかを気にしている人も多いかと思うが、その一歩一歩に身体操作の工夫が及ぶと、体育的な運動では得られない身体感覚を探る楽しみが見えてくることと思う。
以上
4/7柳生さくら祭演武
居合術・杖術・体術
4/8第6回身体操作塾
追いまとめ技法各種・肩甲骨操作・体幹鍛錬法 他
4/7は今年で5回目の参加となる柳生さくら祭での演武を行なった。4月とは思えぬ肌寒さで、残念ながら桜はつぼみのまま待機中の状態。花びらの代わりに、時折チラチラと雪まで舞うような天候ではあったが、昨年は雨に祟られ袴をずぶ濡れにしながらの演武であったことを思えば、贅沢を言う気にはなれない。参加者9名とも、気持ち良く壇上での演武を務めることができた。
さくら祭での演武は、遊武会の年中行事としてすっかり定着しており、また次の機会にも是非参加させてもらいたく思っている。
4/8は2月以来の身体操作塾を開催。定員ちょうどの10名にご参加頂いた。前半にこのところ体術技法の核としている「追いまとめ」を様々なパターンで試してもらった。最も効果が分かり易いと思われる正座からの持ち上げでは、片手に力を入れて重さを感じた瞬間に、もう一方の手を下から添えて相手を浮かす「手皿上げ」という技法を紹介した。
「手皿上げ」という名称は、相手を浮かすことよりも、相手に押さえられた自分の手を、下から添えた手で上げるようにすることからきているが、現在は「身体のまとめ直し」という原理を感覚として得られた結果、添える方の手は、押さえられた手に柔らかく触れるだけで浮きの軽さを感じられるようになっている。
これと同様の感覚を再現する方法として、片手のままでも指一本だけを先に動かし、次の瞬間に全身を働かせるようにするやり方もある。これなどは指の動きだけを見れば、何やらおまじないと言うか、自己暗示の為の動きのようにも思われるかも知れない。
ここで気を付けて頂きたいのは、最初から指一本の変化で全身がまとまると思い込まないようにしてもらいたいということである。私自身は指一本と全身の連動に至るまでに、両手を時間差で遣うところからスタートして、まとめ直しという理屈にたどり付き、そこから更に何段階かを経て現在のシンプルな動きになってきた。いきなり現在の私のやり方をまねてもらっても、うまくいく保証は全くない。感覚を得るまでのプロセスは人それぞれの積み重ね方があり、私と同じ手順を踏むことは必ずしも最短コースではないだろう。私なりの理論説明と実技は、あくまでも参加者各自の身体感覚を作っていく手掛りとして認識して頂きたい。
次回は5月中旬を目処に開催したいと思っているので、興味のある方は是非一度ご参加頂きたく思う。
以上
4/2古流居合術教室
1)個別稽古「奥伝/霞・戸詰・戸脇」 2)全体稽古「初伝/前・右・左・八重垣・介錯・月影」 3)演武練習
4/3定例稽古会(難波市民学習センター)
体術技法各種(追いまとめ引き・両手持ち抜き崩し 他)
(その他 4/2武術操身法教室 4/4楽遊会杖術 4/4ヨークカルチャー杖術・居合)
3/19から約2週間、稽古を休ませてもらい、その間講座を休止したりレギュラーメンバーに代稽古をお願いしたりと、皆さんにはすっかりご迷惑をお掛けしてしまった。
詳しいことはここに書けないのだが、実はある大きなイベントに少しばかり関係することになり、まるまる2週間沖縄に滞在していた。事前にはごく一部の方にしか仔細をお話しできなかったので、色々とご心配をお掛けしたかも知れない。ここに改めてお詫び申し上げると共に、その間稽古にご参加頂いた方々に御礼を申し上げたい。
沖縄で何をしてきたのかについて詳しくお聞きになりたい方は、直接であればお話しできるので、またお声を掛けて頂ければと思う(めったにできない体験をたくさんしてきました)。
この日誌も随分更新が滞ったので、通常のペースとは変えて今週は2回に分けて書かせて頂くことにする。
沖縄にいる間、武術的な動きは(肩甲骨のほぐしをやったりした以外は)全くと言っていいいほどしておらず、久々の居合術教室でまともに動けるかどうか少々不安があったものの、いざ刀を抜いてみると動きの良し悪しはともかくとして、一つひとつの動作を非常に新鮮に感じることができた。不安があったからこそ、身体各部の変化についてより細かく観察しようという意識が働いたのだろう。非常に客観的に自分の動きを見られたように思える。また無意識で動ける部分と、意図して整えなければできない部分との違いが明確に感じられ、今後の自分自身の稽古についての課題が見つけられたようにも思う。同じペースで継続的に(悪く言えば惰性で)稽古を重ねるばかりではなく、時折はっきりとしたブランクを作ることも大切であるということを随分前から言ってきた。食事と同じで、その間隔の中で消化吸収が行なわれ、稽古したことや考えたことが身に着くというのが私の持論である。ただしそのサイクルは人それぞれで、自分なりの配分を覚えるには、それなりの時間も必要ではあるが。
定例稽古はこの日クボタ体育館が使えなかった為、久々に難波市民学習センターを利用して普段着稽古を行なった。護身体術をベースにして、崩しや力の通し方などを参加者同士で色々と探って頂いた。このところずっと体術稽古の手掛りにしている「身体のまとめ直し(追いまとめ)」は、まだまだ多様な展開が可能であるように思え、今回のような道場ではない場所での稽古のテーマとしても非常に良いのではないかと感じている。
話は変わるが、奈良のカルチャーで居合の教室にこられている方が「最近時代劇などを見ていると、役者の動き方の粗がものすごく見えるようになってきた」とおっしゃった。型における動きの意味を知り経験を重ねると、刀を抜き差しする動きについては特にその良し悪しがはっきりと見えるであろうと思う。自分ができるようになる前に、まずそれまで見えなかったものが見えてくるようになる。これは正しい稽古をしてもらっている証拠であると言えるのではないだろうか。
以上
3/12古流居合術教室
1)個別稽古「奥伝/惣留・行違・袖摺返」 2)全体稽古「初伝/前・右・左・八重垣・介錯」 3)演武練習
3/13定例稽古会
1)居合術「旋」「二方詰」 2)杖術「縦違い+浮き立ち」 3)体術「受身」「突き手甲返し捌き〜天秤投げ」 4)演武練習
(その他 3/13シダックスカルチャー江坂 3/14殺陣武術教室)
今年に入って、居合については「鞘の浮き送り」、体術については「帯上げ崩し」「手皿上げ」など、自分自身にとって大きな手掛りを見つけることができ、それらを様々に発展させることを現在の稽古の主題としている。最近になって、これらの術理は全て「身体のまとめ直し」ということなのだろうと考えるようになっている。特に体術においてはこの感覚が顕著である。「身体のまとめ直し」とは、変化の過程で随時その瞬間に必要なまとまりを身体が追いかけ続ける感覚であると言っても良い。
正座した状態でこちらの片手を相手が両手で押さえ、全体重を乗せているような状況から相手を浮かせるようにする場合のことを2月の日誌にも書いた。このとき最初からもう一方の手を添えて両手で持ち上げるよりも、まず押さえられた方の手で相手を浮かそうと力を加えた一瞬後に、もう一方の手を下から軽くあてがって、わざと僅かの時間差を作るように働き掛けると、驚くほど軽く浮かせることができるようになる。
なぜ最初から両手で持ち上げる方が重くなるのだろうか。これは両手に同時に力が加わる瞬間が最も身体のまとまった状態となっており、そこから持ち上げようとするにつれて、そのまとまりが崩れていくからではないかと考えられる。それに対して片手ずつ僅かの時間差で遣う場合には、相手を持ち上げることと並行して、身体を細かくまとめ直す作業も行なっており、変化中の全ての瞬間がより良いまとまりへの過程になるということなのだろうと理解している。要するに100%のまとまりから出発して徐々にマイナスになるよりも、95%程度からスタートし、100%を目指して変化し続けることで、常時99%の状態を保つという感覚である。個人的なイメージとしては、相手の重さに対して全力をぶつけるのではなく、漸近線的な感覚で最後までぶつからずに力を通して続けるという感じになる。
さて、3/17には久々に高橋佳三氏の主催する京滋身体操法研究会に参加させてもらった。そこで高橋氏が稽古の主題とされていた力の通し方が、方法論こそ多少の違いはあるものの、このところ私が考えている「身体のまとめ直し」とほぼ同義のものであると感じられた。参加者の方々ともあれこれ試してみたが、私の言わんとする力の通し方のニュアンスは、皆さん良く感じ取って頂けたようで、私にとっても有効な検証ができてありがたかった。他人のメソッドを介して自分の理論を客観視できる環境というのは誠に貴重である。
訳あって3/19から月末まで大阪を離れることになり、その間稽古を留守にさせてもらう。武術操身法教室やカルチャーの講座などは休止としたが、古流居合術教室・定例稽古会・月例研鑽会については予定通りの日程のまま、レギュラーメンバーに代稽古をお願いしてあるので、できる限り普段通りご参加頂けるとありがたく思う。
4/2からは通常通り稽古に復帰するが、4/3の定例稽古はクボタ体育館が使用できない為、会場がOCATの「難波市民学習センター(第4研修室)」での普段着稽古となるのでご注意願いたい。
以上
3/5古流居合術教室
1)個別稽古「奥伝/惣捲 初伝替業(立業)/前・右・八重垣」 2)全体稽古「演武練習および演武心得」「初伝/八重垣・附込 中伝/颪」
3/6定例稽古会
1)居合術「基本操法四本目(替業/立業沈み抜き)」「背負切」 2)杖術「基本打法+連続業」 3)体術「突き捌き引き崩し」 4)演武打合せ
3/10月例研鑽会
1)居合術「基本操法一本目(替業含む)」「基本操法四本目(替業/正座)」 2)剣術「小手抜き・小手抜き返し」 3)杖術「縦違い+浮き捌き」 4)体術「受身」「突きの甲返し捌き」
(その他 3/5武術操身法教室 3/7楽遊会杖術 3/7ヨークカルチャー杖術・居合 3/10武術操身法教室)
今年も奈良の「柳生さくら祭」に演武参加させて頂く運びとなった(4/7の予定)。今回で5年続けての参加となり、すっかり遊武会の年中行事としてお馴染みになってきた。
昨年は雨に祟られ、水浸しのステージでの演武となったが、それはそれとして良い経験ができたと思っている。好条件でしかうまく動けないというのでは、武術の本質から大きく外れていると言わざるを得ない。然るに様々な環境下で稽古を行なうことが望ましいとは思うのだが、なかなか自ら進んで袴をびしょびしょにしてまで水溜りに座って刀を抜くということもやりにくい。そこは与えられた条件をそのまま受け入れて、環境に都度対応していくことで、非日常的な稽古の不足を埋められればと思っている。
さて、演武に関しては、やはり普段の稽古とは少々意味合いが異なるもので、好むと好まざるとに関わらず「見る者の目」があってのこととなる。ここで見せる為の動きをしてしまうことには少なからず抵抗もあるのだが、一方で観客不在の自己満足に終ることはできるだけ避けたいというのも本音である。それを踏まえて、今週の古流居合術教室では、演武に向けての心得として、目付や間の取り方、残心の意識などを主に話をさせてもらった。もちろん見せる為の意識の話ではなく、その環境にうまく適応し、冷静さを得る為のヒントとしてのものである。
演武についての理想を一言で表すと「質の伝わる動きを示す」ということになる。普段から動きの細部に亘って身体運用の理を求めるべく稽古をしているつもりだが、いざそれをトータルで一つの型として演じるとなった場合に、どこまでその「理」を体現できるかというと、実際には非常に難しいものである。これは経験のある人なら誰もが感じていることであろう。当然ながら術理の詳細を演武だけで伝えることは不可能であるし、そう簡単に見切られてしまっても意味がない。しかし武術の経験や知識がない人にも「何か違う」と感じてもらえるようにと意識は持ちながら演武を行なっても良いのではないだろうか。
衆目を前にしての演武は、それだけで非日常の環境にあると言っても良い。そこで一つひとつの動きについての意味を租借しながら動くことが、普段の稽古では得られない対応力を身に付けさせてくれると思っている。見る者に質を伝えようという意識が客観性を生み、自分を含めたその場全体を俯瞰できる感覚を一瞬でも覚えられれば、その一度の演武は何十回もの稽古に相当すると言っても良い。
参加される諸氏においては、演武を対応力の稽古場であると思って、大事にこの経験を重ねてもらいたく思う。
以上
2/27古流居合術教室
1)個別稽古「初伝/前・八重垣」「奥伝/霞・四方切・両詰・棚下・虎走」 2)全体稽古「初伝/右・左(下半身の変化)」 3)個別稽古「初伝/受流・介錯」「奥伝/行連・連達・袖摺返」
2/28定例稽古会
1)居合術「刀法/幹竹・四方切」「磐舟(立業版)」 2)杖術「二段引き」 3)体術「両手持ち肘差し崩し〜入身投げ」
3/4甲野善紀先生講習会
(その他 2/28シダックスカルチャー江坂 2/29楽遊会杖術 2/29ヨークカルチャー杖術・居合)
前々回の日誌に書いた「手皿上げ(時間差上げ)」という体術技法に関して、このところ色々と応用法を試している。例えば、しっかりと踏ん張っている人間を横から押し動かそうとした時に、力と重さが釣り合って膠着した状態から、指を一本だけ僅かに浮かせて、それを元に戻す瞬間に押しを強くする。すると全身の働きが押すという動作に集中し、思いの外軽く相手が動いてくれるのだ。目に見える変化は指一本のことではあるが、これは両手を時間差で遣う手皿上げの理屈を、より細かいレベルで再現したものであると説明できる。前に書いた通り、これは身体のまとまり具合を変化させることで、自分の動きや重さが無駄なく相手に伝わるということだと思っている。
居合の稽古などにおいては随分以前から、「どの瞬間を切り取ってもそこに明確な働きや意義を見出せるような動き方を求める」ということを稽古のコンセプトの一つとして挙げてきた。今回の一連の体術における展開からは「身体をまとめる」ということの意義を強く感じているが、「どの瞬間にも明確な働きがある」ということは、即ち「どの瞬間にも身体がまとまっている」と言い換えても良いのではないかと思えてきた。そうだとすれば終始まとまり続けながら変化するということを念頭において、体術における型の構築を試みるのも面白いのではないだろうか。
3/4は今年に入って初となる甲野善紀先生の大阪講習会を開催した。ここで甲野先生最新の「膝が迎えに行く」という体術理論について説明を受けたが、これも私には「身体のまとまり」を求める手掛かりであるとの印象が強かった。遊武会体術の新しいキーワードとして「手皿上げ」と共に検証を続けている「帯上げ崩し」もまた、同根の技法であると改めて感じられる。同時に帯上げ崩しの元となった居合術の「鞘の浮き送り」も、身体のまとまりを瞬時に作る為の操作方法であると言って良いだろう。しばらくはこの感覚をあらゆる種類の動きの中に探していくことが、自分自身の稽古の主題となりそうである。
今回の講習会は、心配していた甲野先生の体調もかなり戻られていたようで、いつも通り(いつも以上?)に次から次へと様々な技法を実演して頂き、参加者の皆さんも心から楽しまれている様子でホッとした。初めて参加された方も多い一方で、数年ぶりに来られた昔馴染みの顔もあり、私自身にとっても実に楽しいひと時であった。今後も色んな形で色んな人と関わりを持ちながら、武術の道を少しずつでも広くしていきたい。
以上
2/20古流居合術教室
1)個別稽古「中伝/横雲・稲妻・浮雲・岩浪・鱗返」 2)全体稽古「納刀法」 3)個別稽古「初伝/前・左・附込・月影」「奥伝/霞・戸脇・両詰・惣留」
2/21定例稽古会
1)居合術「基本操法四本目(替業/正座)」「磐舟(立業版)」 2)杖術「引き込み+膕崩し」 3)体術「両手持ち手皿上げ」
2/25月例研鑽会
1)居合術「素振り」「引潮(表・裏)」 2)剣術「受け落し(替業/左捌き)」「引き潜り(替業/横返し)」 3)杖術「基本打法5種+連続業」「振り戻し」 4)体術「受身」「両手持ち皿上げ〜振り崩し」「袖持ち肘払い崩し」
(その他 2/20武術操身法教室 2/22殺陣武術教室 2/25武術操身法教室)
遊武会居合技法の「基本操法四本目」は、立膝から身体に浮きを掛け、膝の緩みを遣って腰の低さを保ったまま左膝を大きく開いて正面に抜き付けるというものだ。今週の月例研鑽会ではこの型の替業として、正座から左半身を大きく開いて抜き付けるという条件でやってみた。これはこのところ検証を続けている「鞘の浮き送り」を、様々な動きの中で試してみようという意図があってのことである。実際にやってみると、基本操法四本目とは違って、左の膝はさほど浮かず、ほぼ床に着いたままとなるので、むしろ英信流初伝一本目の「前」の替業というべきものになった。
一般的な英信流「前」のように、正座から正対のまま抜き付ける際には、浮き送りによって生まれる鞘引きの軽さが、ストレートに刀の変化に影響を与える感触を得ているが、半身での抜刀となると鞘を引く程に鞘自体の角度にも変化が生じる為、ただ早く引ければ良いという訳にもいかなくなってくる。膝や腰の動きと、鞘を引く左手の動きの間の整え方に加え、右手の空間固定を維持する限界点の見極めも非常に難しくなるように思えるからである。
英信流の下村派に伝わる正座からの抜き付けは、上記と同様に体を半身に開きつつ抜き付ける。外見的には今回試みた替業も下村派の「前」とほぼ同じような動きになるのだが、一つだけ決定的に違うところがある。それは鞘引きをした左手の処理の仕方である。英信流では伝系の違いによらず、現在広く普及しているのは、鞘放れの一瞬前に左手の握りを外へ返すようにする。つまり刃を外向きに寝かせることで水平切りの軌道を整えるようにするのだが、現在の私の鞘引きは最後まで握りを返さず、鞘放れの後も真直ぐに鞘を立てたままにし、最後は握りを開くようにしている(現在主流の谷村派でも、古くはこのやり方をする人が多かったとも聞く。私の師も同様であった)。この左手の処理の違いについて、詳しく書くと長くなるので今回は省略するが、これは質的に非常に大きな違いである。
この鞘引きのやり方でのあらゆるパターンに「鞘の浮き送り」が充分に活きてこそ、動きの本質に関わる技法と言えるようになるはずだ。もうしばらくの間は、浮き送りを手掛りにして、色んな型での整え方を探っていきたく思っている。
浮き送りに加えて、最近もう一つ丁寧に扱っているのが「納刀」である。普段から「抜刀よりも先に納刀を修得すべし」と言い続けているほど、そこには身体運用上学ぶことが非常に数多く秘められている。特に手の内の柔らかい遣い方を身に付けるにおいて、納刀は最も適した稽古法であるとも思い、これまでにも時折しっかりと時間を取って、納刀に特化した稽古をしてきた。しかしまだまだ充分に浸透しきっていないように感じるので、今後はもう少し頻繁に自らも含めて納刀をチェックする機会を増やしていきたく思う。
以上
2/13古流居合術教室
1)個別稽古「基本操法四本目・前・月影・追風・横雲・霞・両詰・虎走・行連」 2)全体稽古「踵遣い(立ち座り・八重垣)」「膝遣い(月影)」 3)個別稽古「月影・行違」
2/14定例稽古会
1)居合術「基本操法一本目」「基本操法四本目替業(立業)」 2)杖術「縦返し」・杖体術「擦り引き崩し」 3)体術「居補り手皿上げ」
(その他 2/14シダックスカルチャー江坂 2/15楽遊会杖術 2/15ヨークカルチャー杖術・居合)
先日来「鞘の浮き送り」の感覚から体術技法への展開についてあれこれと書いてきたが、体術に関してはこのところもう一つ新たな気付きがあり、実践を通じて検証を進めている。
今年の初めから、時折「手皿上げ」という技法を試みてきた。これは相手が両手でこちらの片手を押さえ込んだ状態から、相手を浮かして崩していくというものだ。まず持たれた片手のみで相手を持ち上げかけて、重さを感じた瞬間にもう一方の手を手皿のようにして自分の拳を手のひらに乗せて、下から持ち上げるようするだけという簡単なものだ。
最初は立業にて、「拝み上げ」(相手に両手を持たれたところから、一旦頭を深く下げ、再び頭を上げる際に合掌の形で手先を身体に相対固定して上げていく)の要領でやっていた。当初は単に拝み上げの変形というつもりでおり、体幹部の大きな変化と手先を連動させる感覚でやり始めたのだが、いろいろ条件を変えながら試してみたところ、体幹部の働きもさることながら、「片手ずつ働かせる」ということにも大きな意味があると気が付いたのだ。これは合気上げのように座り業にて試みたことで、はっきりと見えてきたものだ。
正座した状態で、相手が両手でこちらの片手を膝に押し付けるようにして体重を乗せたところから、上記のように片手ずつ働かせてみたところ、最初から両手で上げようとするよりも、はるかに軽々と相手が浮くようになった。拝み上げほどはっきりと上半身の動きがなくとも、非常に軽く上がるのである。これは何が作用しているのかと思い、何度も繰り返して色々考えてみたところ、どうやらこれは「身体のまとまり具合」ということではないかと思えてきた。
この条件において丁寧に身体運用の感覚を探ってみると、最初から両手を遣おうとした場合は、スタートの時点では身体にまとまりが付いているのだが、いざ相手を浮かそうとして変化を始めた途端に、そのまとまりが崩れ始めるように感じられる。一方ごく僅かの時間差(せいぜい1秒未満程度)で片手ずつを遣った場合、初動時には身体各部がまとまりきっていない状態なのだが、身体の変化が進むにつれて、どんどんまとまりが良くなってくるような感覚を得られるということが分かってきたのである。
またこの感覚は人間相手のみならず、荷物などのモノ相手についても再現が可能であるということが、何度も検証してみた上で、ほぼ間違いのないことだと認められた。これは日常生活において即有効である。私自身、自宅で玄米30キロの入った袋を持ち上げる際にも試してみたが、持ち上がる瞬間の浮きの軽さが、両手同時上げと時間差上げではまるで別物であった。
当然手の動きだけではなく、それに連動する身体各部の変化があればこそ上手くいくのではあるが、感覚を得る手掛かりとして、この時間差上げは多くの人に分かり易いのではないかと思える。
以上
2/6古流居合術教室
1)個別稽古「初伝/八重垣・附込」「奥伝/霞・戸詰・戸脇・両詰・惣捲」 2)全体稽古「鞘の浮き送り/前・横雲・基本操法三本目」 3)個別稽古「初伝/月影・追風」「奥伝/惣留・信夫」
2/7定例稽古会
1)居合術「基本操法三本目」「落葉(替業)」 2)体術「受身」「突き捌き旋落し」
2/11月例研鑽会
1)居合術「素振り」「納刀法」「鳥居崩」 2)剣術「十字崩」「引き潜り」 3)杖術「基本打法5種+連続業」 4)体術「居捕り手皿上げ」「片手切り結びからの帯上げ崩し/浮き送りの応用」
(その他 2/6武術操身法教室 2/8殺陣武術教室 2/11武術操身法教室)
前回の日誌に書いた「鞘の浮き送り」については、抜き付けに関して明らかにこれまでにない変化が自分の動きの中に現われ始めた実感がある。しかし従来の抜き方にただ浮き送りをプラスすれば良いかというと、実はそういうわけにもいかないのが実情である。
初動から体幹部に具体的な働きを感じるようになることで、身体各部を一つの間の中で同調させる感覚を再構成する必要が出てくる。まだ実践し始めて間がないということもあり、特に刀を持つ右手を働かせる機の捉え方が少々不安定になっている為、まだ精度としては低いものになっていることが実感される。
これまで身体各部を完全に同時並行的に変化させる意識で行なっていたが、胸元を軸とした体幹部の働きの存在感が大き過ぎる為、他の部分との調和が崩れ易くなっているということだろう。これについては当面慎重に微調整を繰り返していくしかないと思う。
前回「鞘の浮き送り」に関連する副産物として気付いた体術的な応用のことを書いたが、これにはその後分かり易い進展があった。前回書いたのは、相手と片手を切り結んだ状態から真下へ手を下して崩していくという設定で、鞘の浮き送りと同時に腕を下げると全身が無駄なくまとまり、手先の小細工なしに大きく崩せる感覚を得られるというものだ。これを帯刀していない場合でも同質の崩しを実現する方法として行き着いたのが、空いている方の手で自分の帯(洋服の場合はズボンのウエスト部分など)の上端を軽くつまみ、僅かの力で持ち上げようとした瞬間に崩しを掛けるというやり方である。スボンをはいている際にはポケットにつっ込んだ手を僅かに浮かせるだけでも良い(この方が日常の護身術としては応用し易いかと思う)。
とにかく居合の抜き付けに関しては、鞘の浮き送りを前提として身体の変化を組み立てなおすという、クリアすべき明確な課題が見つかったことで、当分新鮮な気持ちで稽古に臨むことができそうである。今のところ少々ちぐはぐな動きにはなっているが、初心に返ったような心持ちが楽しくもある。
以上
1/30古流居合術教室
1)個別稽古・奥伝「霞・脛囲・四方切・両詰・虎走」 2)全体稽古「前・横雲/鞘の浮き送り」「基本操法一本目/打ち下し」 3)個別稽古・奥伝「連立・惣捲」
1/31定例稽古会
1)居合術「基本操法四本目」「旋」 2)杖術「足止め+上払い」 3)体術「受身」「袖持ち肘止め転換〜後方崩し〜マウント」
2/5第5回身体操作塾
踵下し・感覚誘導(擦り崩し他)・鞘の浮き送りの応用・肘差し合気上げ 他
(その他 1/30武術操身法教室 2/1楽遊会杖術 2/1ヨークカルチャー杖術・居合)
英信流居合術初伝一本目の「前」という型は、永遠の修行課題であると常々思っている。正座から横一文字に抜き付け、振り冠って打ち下すという簡潔極まりない型であるが故に、一切のごまかしがきかず、自分自身でも出来不出来をはっきりと感じ取ることができる。抜き付けについては特に、納得のいく一刀が放てた実感を得られるのは、今の私で百回、二百回に一度という程度でしかない。なぜこれほど難しいのかと言えば、その最も大きな理由として「正座」という条件が挙げられる。
立膝からの抜刀では、初動から全身の協調的変化を作り易いが、正座の場合は浮くように腰を上げること自体が難題である。今の私のレベルでは「100%合理的な正座からの抜き付けは存在しないのではないか」と思うこともしばしばであった。ところが、この一週間余りの間に一つ重大な気付きがあり、それによってこれまでにない軽さと早さを抜き付けに感じることができるようになってきたのだ。あくまでも私の感覚上でのことなので、外見的にはこれまでとさほど変わりないかも知れないが、少なくとも自分の体に感じられる刀の働きは、これまでに全くなかったレベルになりつつある。
いったい何に気付いたのかというと、それは「鞘送り」の重要性についてである。これまでにも抜刀時に鞘送り(右手を柄に掛ける前に、左手で鞘ごと刀を拳一つから二つ分程送り出す操作)の重要性については繰り返し述べてきたが、それは主に右手の動きを小さくすると同時に、鞘引きを充分に活かすという意味においてのものだった。しかし今回改めて気が付いたのは「鞘送りと体幹部の働き」ということについてである。単なる「鞘送り」ではなく「鞘の浮き送り」と表現するのが最もしっくりとくる。今後はこのように書くケースが多くなろうかと思う。
少しばかりだが具体的に書くと、鞘送りの際にただ左手で鞘を握って前に動かすというのではなく、極力軽く握った状態(握ると言うより、手の上にそっと乗せているという程度)から、繊細な感覚を以て刀の重さを量るような心持ちで送り出すようにすると、左手の変化と同調して体幹部(主に胸から腹にかけて)が働き始め、かなり早い段階で体幹部に関しては抜刀の為の準備が整うという感覚が得られるのである。そしてもう一つ、浮かせる意識を持って鞘を送ることで、実際に柄頭が僅かながら上方へと向かい、そこに生まれた角度が腰の浮きから鞘引きまでを最も無理のないバランスに整えてくれるという感触も同時に得られる。結果、初動から抜き付けまでの過程に滞りが著しく少なくなり、身体各部の動きが一つの間の中にきっちりと納まるように思えるのだ。しかも体幹が早くから整う為に、鞘放れの瞬間の胸の開きにも余裕が生まれ、体幹の重さが一層刀に良く伝わるようにも感じられる。
考えてみれば立業においては、鞘を握った左手を空間固定して腰を沈めることで鞘送りを行なうようにしているので、ここでは既に「鞘の浮き送り」と同質のことを行なっていたはずなのだが、立業では下半身が自由に動くことによって抜き付けの軽さが生まれるという感覚が強く、鞘送りの軽さ、柔らかさにまでつなげて考えることができていなかったのだろう。立業での鞘送りは空間固定を意識するあまり、むしろ少々動きを窮屈にしていたかも知れないとさえ思えてくる。
私個人としては、「鞘の浮き送り」という感覚を得たことで、正座からの抜き付けに関してようやく一通りの材料が揃ったのではないかという実感があり、当面(特に英信流の居合に関しては)これを手掛かりに一層軽く間の早い抜き付けを求める稽古を重ねていきたく思っている。
この「鞘の浮き送り」にはもう一つ副産物があった。2/5に実施した身体操作塾において、浮き送りから得られる体幹部の働きを、体術に応用できそうな気がして、実際に相手と片手を切り結んだ状態からの崩しにて検証してみたところ、想像していたものにかなり近い感覚の有効性が認められた。
以前からこの種の崩し技法については「接点以外を先に(内観的に)変化させる」という感覚で行なうことが肝要であるとしばしば説明してきたが、腰に木刀を帯びて浮送りをすると同時に崩しを掛けると、これまでになく身体各部の内的変化がシンプルに整うように感じられ、あれこれと細かく意識を巡らせる必要がなくなる思いがした。これまではいくつものスイッチを、指を何本も使って同時に押そうとしていたのが、たった一つのボタンを指一本で押すだけで同じ結果が得られるようになったというイメージが最も近いかも知れない。
体術においては鞘の浮き送りと同様の感覚を、素手のまま再現できるようになることが課題となるだろう。この明確な稽古のテーマをクリアできた時には、確実に体術についてもステージが一段上がるのではないかと期待が膨らむ思いである。
以上
1/23古流居合術教室
1)個別稽古 2)全体稽古「前・横雲/抜き付け」「月影/正対と半身」 3)奥伝「霞・両詰」
1/24定例稽古会
1)居合術「基本操法三本目」「磐舟(立業版)」 2)杖術「基本打法5種+連続業」 3)体術「片手持ち手鏡返しからの回転投げ」
1/28月例研鑽会
1)居合術「素振り」「天地」「浮沈」 2)杖術「基本打法5種+連続業」 3)体術「受身」「袖持ち擦り肘崩し(内・外)」
(その他 1/24シダックスカルチャー江坂 1/25殺陣武術教室 1/28武術操身法教室)
操身法の講習において頻繁に取り上げる練習法に「ダルマ起こし」というのがある。これは椅子に腰掛けた人や両膝を立てて(いわゆる体育座りで)座っている人の手を持って引き、立ち上がらせるというものだ。
腕の力に任せて引っ張れば大抵の場合は失敗する。これは身体各部の協調により、腕の仕事を最小限に保って動く感覚を身に着ける為の技法である。無理なく全身を遣って相手の腰をフワリと浮かせるには、アプローチの仕方が幾つかある。体幹部を沈めつつその動きを手の引きに変換するやり方(落ち引き法)や、その体幹部の沈みを踵の上げ下しで引き出す方法(踵下し法)などが基本的な技法と言える。もう一つよく紹介する方法として、相手の肘辺りを柔らかく持ち、そこから手首まで手を滑らせつつ引きを掛けて立たせるという技法(擦り起こし)もある。これは体術における崩しの技法をそのまま当てはめたもので、相手の身体に予め流れを伝えてから実際の動きへとつなげる「感覚誘導」を用いたものだ。
人間はたとえ弱い力であっても、自らの身体に加えられた刺激(ここでは押したり引いたりする力)に対する反射として、自分の位置を保とうとする動きをしてしまう。これに対して、実際の力が加わる前に触れた手を滑らせることで、これから起きることを予見させる為の刺激を与え、対抗する反射を消してしまおうというのが「擦り起こし」や「擦り崩し」の理屈である。この技法自体はもう何年も前から稽古に取り入れており、すっかり定着しているのだが、この技法に関して今年に入ってから新たに発見したことがあるのだ。
「感覚誘導」と書いた通り、これまでこの技法は人間相手にのみ実用可能な身体操作であると考え、そのように説明してきたのだが、実は意外とそうでもなく、相手がモノであってもそれなりに有効性が見出せるというこに、今更ながら気が付いたのだ。
例えば椅子の後ろに立ち、背もたれの一番上の位置を両サイドから掴んで持ち上げてみると、その形状から実際以上の重さを感じるものだが、このときまず20センチ程度下の位置に手を添えてから、適度な速さで手を上部へと滑らせ、最も高い所に到達した瞬間に握りを強めて持ち上げると、驚くほど軽く椅子が浮くように感じられるのだ。あたかも椅子の重量が大幅に軽減したかのような錯覚さえ覚えるほどである(このとき膝を柔らかく対応させると効果は一層増す)。もちろん椅子自体には何の変化も起こってはいない。変わったのは自分自身の身体のまとまり方であろうと思われる。人間に対して行なうときにはあまり感じていなかったが、モノ相手にやってみると手を滑らせることが自分の動きにもある種の誘導を生み、腕に重さが乗る前に、身体各部が自然と持ち上げるという行為に参加してくれる感覚を得られる。ダルマ起こしの中でも、この技法だけは人間(もしくは広く動物)相手にのみ有効で、他の技法とは意を異にするものだと思い込んでいたのだが、実は変化球でこそあれ、やはり自らの体遣いが根本にあることは変わりないのだということが良く分かった。
今後日常の身体運用や体術技法において、「擦り起こし」「擦り崩し」の応用範囲を広げられるきっかけを見つけたられたようで嬉しくもあるが、他の技法・理論についても固定化された概念を一旦払い去って、様々な再検証をしていかなければという思いも湧いてきて、まだまだ道は半ばにすら至っていないという現実を突きつけられた思いもする。
以上
1/16古流居合術教室
1)基礎練習「抜き付け」 2)英信流初伝「前・右・左・後・八重垣・受流・附込」 3)中伝「横雲・虎一足・稲妻・浮雲・颪・岩浪」 4)奥伝「戸詰・戸脇・両詰・虎走」
1/17定例稽古会
1)居合術「引潮」「一文字」 2)体術「胸持ち一重崩し(替業含む)」
1/19ゆうゆうの里・神戸「武術操身法講習会」
体ほぐし・立ち座り・肩甲骨操作・ダルマ起こし各種・歩法・簡易護身術 他
(その他 1/16武術操身法教室 1/18楽遊会杖術 1/18ヨークカルチャー杖術・居合術 1/18殺陣武術教室)
年末年始に稽古がなかった間、僅かの時間ながら自宅で居合の抜き付けをあれこれと試してみたところ、ある大事なことに気が付いた。
抜き付けについては極力右腕の仕事を小さくし、身体各部の変化を以って刀に働きを与えるというのが基本であると考えており、常々そのことを念頭において稽古をしているが、これはほとんど刀が鞘から放たれる瞬間までの身体運用であり意識である。
今回色々と考えたのは、鞘放れの直後から刀が静止するまでの部分についてであった。刀身が鞘から離れた瞬間からは「斬る」という意識が強くなり、つい切先の方に強い働きを求めようとしてしまう。しかしこれでは刀身の重さが生む遠心力ばかりが大きくなり、振るも止めるも力業に陥り易い。
何とか力に頼らず、刀身全体に均一かつ強い働きを作れないものかと試行錯誤しているうちに、「要は手元で斬れば良いのだ」ということに気が付いた。刀は空間上をできるだけ大きく変化させながらも、「斬る」という意識自体は鍔元に近い部分に置くのである。自分に最も近いところをしっかりと斬る意識で、同時に刀を大きく遣うと、結果として刀身全体が均一に働き、体幹の重さが充分切先に伝わる感触をも得られる。当然ながら上体の起立、胸の開き、鞘引きなどが合わさらなければ右腕だけの仕事になってしまうのは言うまでもないが、これまで抜き付けにおいて鍔元で斬るという意識をしたことはほとんどなかったので、自分にとっては非常に新鮮な体験であった・・・と思っていたのだが、よくよく考えてみると、これは打ち下しについてこのところ私が稽古の中で言い続けていることと全く同じであるということに気が付いた。
一般的な居合道では、打ち下しの際に切先をできるだけ遠くに飛ばすような心持ちで振るようにと指導されることが多い。しかしこれでは先述の抜き付けと同様に、遠心力を制御することばかりに力が取られ、非常に無理の多い動き方にならざるを得ない。これに対して私が心掛けているのは、刀は大きく振りつつも、鍔元で眼前を斬るように意識する、ということである。この意識によって切先から鍔元までが均一に働き、刀の軌道にも無駄な膨らみが出なくなる。また打ち下しを終えた瞬間に全ての変化が丹田あたりにまとまり、体幹が充分に働く実感も得られる。要するにこの打ち下しの感覚をそのまま抜き付けに当てはめれば良かっただけのことなのだが、どういう訳かこの正月までそれに思いが至らなかったのだ。この先当分の間は、抜き付けと打ち下しについては、鍔元斬りの意識を重点に置いて進めていくことになると思うが、これもまた次へのステップであることは間違いないだろう。
さて今週は神戸にある有料老人ホーム「ゆうゆうの里」において、医療施設スタッフの方を対象にした操身法講習会を実施した。ここで医療主任をされているS氏は、千葉道場での武術操身法教室にレギュラー参加されており「ぜひこの内容を施設のスタッフにも」とのご依頼を頂いて実現したものである。
講座は1時間半という短時間で、また平日夜間の為、参加者の方々はお仕事を終えてからになることもあり、できるだけ平易で日常的に有効性の高そうな内容に絞り込んで進めることにした。
この種の講座でいつも最初に説明するのは、身体操作の要所である「肩甲骨と膝の柔らかさ」についてである。今回はこれに足首の柔らかさも加えてお話ししたのだが、特にこの寒い時季には足首の柔らかさが体の動きのスムーズさに大きな影響を与えるのだ。中高年の方々は特に、寝起きの際、体を起こす前に足首をできるだけほぐしておくことをお勧めする。30秒から1分程度の足首ほぐしで、朝一番の体の軽さが随分と変わってくるはずなので、ぜひ実践して頂きたい。
この日の講座は皆さん積極的に動いて下さり、雰囲気も明るく非常に良い感じで進めることができた。心身ともにご苦労の多い職場環境であると思うが、今回の講習内容がほんの少しでも日々の助けになれば幸いである。
以上
1/9古流居合術教室
1)四方祓 2)英信流初伝「前・右・左・後・八重垣・受流・介錯・附込・月影・抜打」 3)基礎講習「目付・居合腰・序破急」
1/10定例稽古会
1)居合術「刀法・幹竹」「刀法・切先返」 2)体術「受身」「胸持ち千鳥崩し」「片手持ち手皿上げ」
1/14月例研鑽会
1)居合術「素振り」「抜落」「浮沈」 2)杖術「差し替え突き・差し替え回し」「基本打法5種」「立ち隠れ(簡易版)」 3)体術「受身」「体の転換」「両手持ち肘止め四方投げ」「片手持ち手皿上げ」
(その他 1/10シダックスカルチャー江坂 1/11殺陣武術教室 1/14武術操身法教室)
年が改まって最初の稽古は古流居合術教室である。例年通り稽古始めには真剣を用いた四方祓にて場を清めてから稽古に取り掛かったが、いつもであれば稽古にあたっては模擬刀に持ち替えるところを、今回は最後まで真剣で通してみた。特段の理由はなく、ただ「もう何年も真剣でのまとまった稽古をしていないな」と思ったからに過ぎない。
私の愛刀は抜き身で1250グラムと、一般的な居合刀に比べて重量がある(普段使用している模擬刀は1000グラム強)。これを力に頼らず扱えるかどうかをたまに試してみる程度に遣うのが、今の私には丁度良いと思っている。常々これを手にしていると、その重さありきの動きに偏るような感じがするのだ。今回もこの刀を振る度に普段にはない重さ故の力みを感じそうになり、その都度その力みを全身に分散して滞りを軽減するように努めた。重いからこそ軽さを求める身体運用を探れるのだつくづく実感する。
一般の居合道場では一定の段位(概ね三段程度)に達すると、真剣を稽古に使用する率が高くなる。大会などに参加する場合には、高段者は真剣の使用を義務付けられるような場合すらある。私も道場に通って英信流を学んでいた頃は、真剣購入後はほとんどの稽古で使用していたが、遊武会を立ち上げてからは基本的に模擬刀を用いることにしている。これには上記の内容を含めていくつかの理由があるのだが、その中の一番の理由は怪我や事故の防止である。何も真剣を用いた稽古が全て危ないというのではなく、指導する立場の私に関しては特に、ということなのだ。
当会において居合の術理は、身体運用の細部にこそあるという前提なので、当然ながら一つひとつの動きを分解して説明する場面が多くなる。そうなると型としての流れがブツ切れになり、リズム整わなくなった際にちょっとしたミスも起こり易い。普通に型通りの稽古をする分には、怪我の心配はほとんどないが、指導の際に良い動きだけでなく悪い動き方も体で示すことが多いので、怪我の危険性が高まるということだ。これは取りも直さず私の技量が充分でないということでもあるのだが、体裁を整えるためだけに遣う真剣であれば、その意義は限りなく浅くなると考えていることもあり、普段は専ら模擬刀を使用しているのである(尤も真剣を手にして19年近くになるが、長さ2〜3ミリ程度のかすり傷が2回ほどあるだけで、今のところ怪我らしい怪我をしたことはないのだが)。言うなれば、ここに私の居合に対する向き合い方が表れているのではないかと思える。「刀の遣い方」ではなく「刀を手掛かりとした身体運用」を求めることが、私が居合術に求めるものであり、だからこそ杖術や体術などにも同じスタンスで取り組むことができるし、それぞれが干渉し合って動きの質を高められるのだと信じている。合理的で精密に動ける身体を獲得することで、手にした刀や杖なども充分に働いてくれるのである。刀が好きで始めた居合ではあるが、今はやればやるほど真剣に対するこだわりが無くなっていくのを感じられる。
居合に対する取り組み方は人それぞれで構わない。当会の稽古において参加者が真剣を用いることも、自他の安全に充分な配慮ができていれば問題ないと考えている。ただし私の安全管理責任上、真剣使用についてはその都度きちんと申告して頂けるようにお願いしたい。
以上