欧州旅日記
200891925日)

遊武会主宰 石田泰史

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徳島大学で教育学・身体論を教える弘田陽介氏の発案にて、「日本文化における『型』という経験」というタイトルの国際ワークショップを実施することになった。開催地はドイツのベルリンである。20085月に最初のお誘いがあってから、4カ月半の準備期間を経て本番を迎え、おかげさまで何とか無事に務めを果たすことができた。そのワークショップ当日を含めた泊7日に亘る旅の日記を、ここに綴ってみようと思う。


2008919日/1日目 関西国際空港 ヘルシンキ プラハ>
正に嵐の船出と言うのか、台風接近のニュースをにらみつつ家を出た。23日前からゆっくりと近畿地方に向かっていた台風13号は、ついに出発当日に最接近となってしまった。
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時の離陸に向けて、10時半には関空に入り一番乗りでチェックインしたものの、実際に飛行機が離陸するまではとても安心できる状態ではない。
食事をしたり本屋で立ち読みをしたりする合間に、外の様子をチラチラと見てみるが、どんよりと曇ってはいるものの、雨も風もほとんどない。どうやら予定通り飛びそうだと弘田氏にメールを打って、いざ搭乗ゲートへ。結局定刻の10分近く前に、機体にムーミンの描かれたフィンランド航空AY87便は無事飛び立った。
実はお守りとして、「究極の晴れ女」であった亡き祖母の写真を荷物に忍ばせていた。以前沖縄へ行ったときにもこのお守りに救われて、最悪の天気予報を覆したことがある。今回も御利益あり。天国の祖母に感謝!である。
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月末から既にベルリンに滞在して語学などの勉強をしている弘田氏とは、チェコのプラハで合流する予定になっており、そこまでは約13時間の一人旅だ(往路はベルリン行きのチケットが取れず、プラハから陸路でベルリン入りすることになっている)。

関空から乗り換え地であるヘルシンキ(フィンランド)までは約10時間。水平飛行に移り、まずはドリンクサービスのワゴンが来た。機内スタッフには日本人も数名いるが、私の列はフィンランド人が担当のようだ。やはりこうでなくては気分も出ないというもの。
フィンランドのビールを楽しんでいると、ほどなくして機内食が配られ始めた。「beef or chicken?」などというお決まりの台詞もなく、皆に同じメニューが手早く配される。中味を見ると、焼鳥丼、そば、サラダ、デザートの梅ゼリーなど和食風。
食事が回ってくるのを待つ間に、突然隣から「ビールは美味しかった?」と英語で話しかけられた。私は通路側の席で、並びの窓側2席には母娘らしき外人さんが座っている。私の隣はお母さん(50代半ばくらい?)の方だ。聞けばオーストラリアから来ているとのこと。お互いが飲んだビールやワインのことを少し話してから、私は「Japanese Marshall arts teacher」と自己紹介。それから超カタコトの英語を操って、そばの食べ方を説明したり、旅行の目的や武術のこと、またこの母娘が日本を旅行した感想を聞くなど、しばらくの間あれこれと話をした(中学1年程度の英語力で、よく話が続いたものだ)。途中、リュックからワークショップに使う予定の折り紙(だまし舟というヤツ)を出して遊び方を教え、それをプレゼントすると「very cute!」と言って大喜びしてくれたのが嬉しかった。
やがて話も途切れ途切れになり、機内のモニターに映る映画に時折目をやったり音楽を聴いたり、またワークショップのレジュメに目を通したりしているうちに、二度目の機内食タイム。夜食とのことで、パスタにパンだけの軽いものだ。今度は白ワインを頼んだが、これが何故か南アフリカ製。軽くて飲み易く、案外良かった。
それから約2時間で現地時間1810分に、ヘルシンキ・ヴァンター空港に到着(日本とは時差-6時間)。トランスファーが1時間弱しかなく、手荷物検査、入国審査を経て搭乗ゲートに着くや否や機内へ乗り込むという慌ただしさ。入国審査の場所を探していたときに、同じ便で着いたらしい日本人女性から「ローマ行きのゲートはどこでしょうか?」と尋ねられ、内心「こっちが聞きたいくらいや」と思いつつも、一緒に行き先案内のモニターで時間と場所を確認し、説明してあげる。
AY6881
便(機体はチェコ航空のもの)にて再び機上の人となる。今回は窓際の席で、夕暮れの雲海を眺めつつ2時間のフライト。

プラハ・ルズィニエ空港に到着したのが現地時間20時過ぎ(ヘルシンキから更に-1時間)。同じ便で来たサイエンティストらしき日本人男性と話をしつつ荷物の受け取り場へ行くと、コンベアに乗って早々に自分のスーツケースが現われた。あとは 寝袋にくるんだ模擬刀や杖などの武道具が出てくるのを待つばかり・・・なのだが、いつまでたってもその姿が見えない。やがてコンベアも止まり、案内画面にはヘルシンキからの荷物終了と出ているではないか。模擬刀とはいえ、やはり何か問題があったかと、やや暗い気持ちになりながら辺りをウロウロしてみると、30mほど離れたところに、何やらいくつか荷物が置かれている。行ってみるとそこはオーバーサイズの荷物ばかりを扱う窓口で、私の刀も無事に到着していた。係の女性に「これは私の荷物だ」と伝えると、特にチェックもせず、持って行けという素振り。荷物がこの手に戻ったのはありがたいが、おかげで15分近くのロスである。
急いで出口に向かうと、ベルリンから迎えに来てくれた弘田氏の顔が目に入りひと安心。握手を交わして再会を喜んだ。
空港からプラハ市街の外れにある宿までは、バスと地下鉄を乗り継いで小1時間の道のりである。
宿泊先のPension Domov Mládežeは、ヴィノフラディ地区の静かな住宅街にあり、ホテルと言うよりユースホステル風の小ぢんまりとした造りの宿だ。ここでは二人で泊まるのに、普通のベッドが5つと2段ベッドが1つの合計7名用の部屋を用意された。部屋は広くて良いのだが、トイレとシャワーは部屋の外で共同利用になっている(その代り安い)
荷物を置いて一息つくと、まずは飲みに行こうということで、宿を出ることにした。45分歩いたところで見つけたバーに入り、旅の始まりを祝してビールで乾杯。週末の夜とあって、20席ほどの店内はほぼ満員である。喉を潤したところで何か食べるものをオーダーしようと思ったら、店のおじさんからは「ノーフードだ」とそっけない返事が返ってきた。22時前後だったのだが、フードメニューは終了していたらしい。やむなくビールを1杯だけ片付けて店を後にした。
メトロの駅(Jiřího z Poděbrad)近くなら多少は賑やかだろうと行ってみると、食料品と雑貨を売る24時間営業らしき店を発見。中国人が経営する店のようだ。結局ここでビールにチーズ、プレッツェル、ハムなどのおつまみを買い込み、部屋で飲むことにした。
部屋に戻って乾杯をやり直し、機内での出来事などを話すうちに日付も変わったので、シャワーを浴びて就寝。日本で起床してから、約26時間ぶりの眠りである。


2008920日/2日目 プラハ観光>
時差ぼけのせいか、明け方4時前に目が覚めてしまい、そこから多少ウトウトしたものの、結局明るくなるまで眠れず終い。完全な睡眠不足だが、諦めて外へ歩きに行くことにした。旅行先では大抵早く目が覚めるので、いつも明け方の散歩を楽しむことにしている。弘田氏を起こさないよう気をつけながら着替えて、7時前に部屋を出ると、廊下にはもう掃除機が置いてあり、宿の従業員が仕事をし始めている気配がする。早くから働くのだなと感心しつつ、フロントマンに声を掛けてから外へ出た。日本より日の出が遅く、しかも曇り空なので、まだ夜が明けきっていない感じだ。
昨夜買い物をした店近くの、大きな時計台(教会らしいが針は止まったまま)のある公園までぶらぶらと歩きながら、街角の写真を撮るなどして30分ほど過ごした。住宅街の通りには、ほぼ隙間なく両側の歩道沿いに自動車が止められてあるが、どうも合法的な駐車らしい。中に混じってマツダやスズキの日本車も見える。
部屋に戻ると弘田氏も起き出しており、時間を見計らって地下の食堂に下りることにした。朝食は8時からと書かれてあったので、その2分ほど前に行ったのだが、まだ電灯すら点いておらず、ひっそりとしている。掃除は早いのに食事はのんびりらしい。しばらくすると上からおばさんが下りてきて、バタバタと仕度をし始める。厨房では作業が進んでいたらしく、すぐにパンの入ったかごとハム、チーズ、ゆで卵と少しの生野菜が乗った皿を運んできてくれた。コーヒーと共に食事を平らげ、部屋に戻って観光の準備にかかる。

9時過ぎに宿を出て、いざプラハ市街観光へ出発。目指すはプラハ城だ。
時計台の公園を抜けて歩いて行く先には、タワープラハがそびえ立っている。これはTV塔らしいが、古風な外観の建物が多い街並みにあって、未来的デザインが嫌でも目に付いてしまう。あとで調べると、高さは216mあるらしい。建てられた頃は悪評ばかりだったとのことだが、今やプラハで一番のランドマークのようだ。タワーの下までたどり着くと、展望レストランやカフェもあるらしいと分かったが、この時間では早すぎて入口も閉まったままであった。しかたなくタワーを後にして、およその見当でプラハ城に向けて歩き出す。
しばらく行くとRiegrovy sadyという大きな公園があり、その中を抜けるうちに方向を誤ったようで、石畳の坂道を上ったり下ったりしながら、少々遠回りしてようやくプラハ中央駅にほど近い国立博物館の前に出た。ここでいきなり目に入ってきたのはロシア製の戦車である。もちろん動いているわけではないが、発砲音などの演出が施してある。これはチェコ事件から40周年の記念碑として置かれたものであるとのこと。ここから北西に向かっての500mほどが、ヴァーツラフ広場という目抜き通りになっており、さすがに人通りも多く賑やかだ。
歩くうちに少々肌寒くなってきたので、路上の売店で暖かいコーヒーを買って飲みながらまた歩く。曇っていたこともあり、気温は15度前後ではなかったかと思う。
やがてツェレトナー通りを抜けて旧市街広場へと出た。観光用の馬車が何台も広場に集まってきている。乗りもしないのに馬の前で記念写真を1枚。広場の一角には聖ミクラーシュ教会やティーン聖母教会があり、その美しい姿を目の当たりにできた。少し先にはきれいなカラクリ時計がある旧市街庁舎も見え、何か街全体がテーマパークのようで、まさしく別世界にいる気分になってくる。
長さ200mほどのマーネス橋を通ってヴルタヴァ川を渡ると、いよいよプラハ城が近付いてくる。マラー・ストラナ広場、ネルドヴァ通りを経て坂を上っていくと、プラハ城の入口に当たるフラチャニ広場に出た。ずいぶんと高台になっており、ここから市街が一望できて壮観である。はるか遠くにはタワープラハが小さく見える。結構よく歩いたものだと自分で感心してしまった。

城内に入ると、正面に聖ヴィート大聖堂が堂々と構えていた。近くに寄って見上げると立体感のあるゴシック建築の迫力に言葉を失う。側面に回るとまた少し違う味わいで、空に突き刺さるような塔先端の鋭さが際立っている。そこからしばらく行くと、城内にトイミュージアムというのがあったので入ってみることにした。おもちゃの博物館だ。
入っていきなり等身大のジャー・ジャー・ビンクスが目に飛び込んできた。スターウォーズの人気キャラクターだ。少し離れておなじみのダース・ベイダーも立っている。主な展示物はヨーロッパの古い玩具で、数多くガラスケースの中に納められている。実に品が良く、おもちゃというより高級なアンティークといった趣だ。歴史の古いものばかりでなく、先程のスターウォーズやらバービー人形など、世界中で人気のあるキャラクターもたくさんあり、なかなかの見ごたえであった。
トイミュージアムを出ると、城の外壁に沿った緩やかな階段を下って、今度はカレル橋へと向かう。川を渡って旧市街へ戻るルートである。このカレル橋は最も賑やかな観光の名所となっている。橋の両サイドには合計30体の聖人像が並び、中には日本人に馴染みの深いフランシスコ・ザビエルの像もある。橋のあちこちに似顔絵描きや楽器演奏のパフォーマーがいて、実に華やかな雰囲気だ。
橋を渡り終えて再び旧市街庁舎を眺めた後、土産物屋を何軒か覗いていると、いつの間にか14時を回っている。朝から5時間近く歩き通しで、さすがにお腹もへった。混んでいる店を避け、裏通りで見つけたレストランに入ることにした。弘田氏はクリームソースのパスタ、私はチェコの名物料理であるグラーシュ(牛肉の煮込みで、元はハンガリー料理らしい)に、それぞれビールを併せて注文。グラーシュはいわゆるビーフシチューのようなもので、味は少々濃いが意外と重くなく食べ易かった。付け合せのクネドリーキ(茹でパン)とポテトも全部食べると、かなり満腹になる。
ゆっくりと食事を楽しんだ後は、一旦宿に帰り休憩することになった。帰りはメトロを利用することにする。MůstekからJiřího z Poděbradまで、3駅である。部屋に戻って、夕刻までしばし休憩。

日が落ちかけてから外に出て、散歩がてら夕飯を求めて歩き始める。また時計台の公園まで行くと、何やらイベントがあるようで、テントなどを設営している様子。それを横目で見ながら先へ進み、良さそうな店はないかとあちこち覗いてみたが、目に付くのは和食や中華の店ばかりでどうもピンとこない。結局今日も部屋で済まそうということになり、近くにあった食料品店(どうもこの手の店は、どこも中国人がやっているようだ)でパンやチーズを買い、来た道を戻って行く。さっきの公園にはすっかりステージができあがり、バンドの演奏が始まろうとしていた。回りには縁日のような露店が並び、中には綿菓子を売っている店もある。どこか懐かしさを覚える風景だ。しばらくその雰囲気を楽しんでから、露店で太いソーセージを2本買い、その後昨日の食料品店にも寄って、ビールとタイ製らしきカップラーメンを2つ買って帰った。今日はずっと肌寒かったので、体が温かいものを欲している。
部屋に戻ると、買ってきた食料を私が並べているうちに、弘田氏がお湯を入れてもらう為にフロントへラーメンを持って行った。しばらくしてドアが開くと、弘田氏の後に続いてカップラーメンを2つ重ねて持った黒人のフロントマンの姿が。ご親切にもお湯を入れて3階の部屋まで運んでくれたのだ。弘田氏がお礼にチップを渡そうとしても、受け取ってくれない。何と欲のない人か。異国で良い人に出会うと、すごく救われたような思いがする。
さて、缶ビールで乾杯した後、早速期待のラーメンをすすってみると・・・これが何とも表現しようのないマズさ。敢えて言えば石油のような味という感じか(もっとも石油を味わったことはないが)。マズいという言葉は基本的に嫌いなのだが、その私がキッパリと「マズい!」と言い切れるこの味にテンションは急降下。それでも食べ物を無駄にしたくはないので、何とか最後まで食べ切った。素直にどこかで食べて帰れば良かった・・・。
あれこれ話をしながら飲んで、23時頃にシャワーを浴びてからベッドに入った。


2008921日/3日目 プラハ ドレスデン観光 ベルリン>
昨日に続き、また3時台に目が覚めて眠れない。完全に時差ぼけのようだ。晩に食べたものが消化し切れていない感じで、少々胃がもたれている。あのラーメンが恨めしい。持参の胃薬を飲んで、とにかく横になってじっとしたまま、あれこれ考えながら夜明けを迎えた。
今日はベルリンに向かって移動する為、プラハ中央駅から825分の特急に乗ることになっている。7時過ぎに出発するので、宿の朝食を待っていられない。ゆうべのうちにパンやチーズは買ってあるので、列車に乗ってから食べようということにしているが、寝不足続きでどうも食欲がない。
プラハ中央駅までは、乗換えを含めて地下鉄で3駅。日曜日の早朝なので、人影も少ない。
重い荷物を引きずるようにして、特急列車に乗り込む。座席は一方の窓側に集まっており、もう一方の窓側が通路になっていた。個人名と行き先が書かれた紙の付いているのが指定席で、それ以外は自由席ということらしい。空いていたのは進行方向と逆向きのシートだけだった。普段なら気にしないのだが、体調が思わしくないので、嫌な予感がする。
ここからベルリンに入る前に、ドレスデンで途中下車して観光する予定だ。プラハからはこの特急で3時間弱の距離である。
列車に揺られながら少しでも寝ようとするが、なかなかうまくいかず、ものを食べる気にもならない。車内でワークショップの打合せをするつもりでいたのだが、とてもそんな集中力が保てそうにない。時折通路を歩いて車窓からの景色を眺めたりしていたが、ドレスデン到着間際になっていよいよ具合が悪くなってきた。とうとうトイレに駆け込んで胃液を戻してしまう。駅に着いて列車を降りた直後にも、またムカついて戻す(コンビニ袋を何枚も携帯していたので、かろうじて周りに迷惑をかけることはなかったが)。めまいも出てきて、最悪の状態だ。とりあえず駅構内の預かり所へ大きな荷物を預け、カフェに入り休憩する。弘田氏は寄っておきたい博物館があるとのことだったので、私は1時間ほどここで休みながら待つことにした。幸い店は適度に空いており、長居をしても問題なさそうだ。座って静かにしていると、途中ウトウトしたこともあり、徐々に体が楽になってきた。めまいも治まり始めたようだ。元々左の耳が悪く、年に12度はめまいを起こし、完全に復調するまで2日ほどかかるのだが、今回は単純に寝不足と乗り物酔いからきているらしく、いつもよりは回復が早そうだ。
やがて駅に戻ってきた弘田氏の後について、ゆるゆるとした足取りでドレスデン観光に向かう。

薄曇りだが雨が降る心配はなさそうだ。駅前から黄色い車体が可愛らしいトラムに乗り、まずは新市街へ出る。トラムを降りてしばらく歩くと、金色に輝くフリードリヒ・アウグスト1世(ザクセン王国初代国王)像のあるノイシュタットマルクト広場に出た。時刻は13時。私は朝から何も食べていなかったので、ここで少しは何かお腹に入れようということになり、野菜スープくらいなら大丈夫かと考えて、近くにあった小奇麗なイタリアンレストランに入った。メニューには思惑通りミネストローネがあったので注文する。弘田氏はペンネアラビアータを頼んだが、何故か最初に出てきたのは3切れのトマトピザだった。店員に「ピザは頼んでいない」と告げると、「これはサービス品だ」との返事。何とも気前の良い店だ。
ミネストローネにはセロリやポテト、ズッキーニ、ニンジンなどの野菜と、タリアテッレのような平打ちの麺が短く切って入れてある。スープはトマト色ではなく、薄いグリーンだった。具のバランスは良いのだが、とにかく塩味が濃い。結局スープは8割方残し、具だけをすくって食べた。
いくらかでも食べることができたので、多少気持ちも楽になり、またゆっくりと歩き始めることにした。
アウグストゥース橋を渡ってエルベ川を越えると、ドレスデン城である。橋の中ほどには2002年に起こったという大洪水の記念碑があった。大波の絵が高さ2mを超える大きさでパネルのようになっているのだが、これがどう見ても日本の浮世絵にそっくり。日本に帰ってから調べてみると、やはり葛飾北斎の「富嶽三十六景・神奈川沖浪裏」の一部を模写したもののようだった。面白いものだ。
旧カトリック宮廷教会前からノイマルクト広場を経て聖母教会へと向かう途中、城壁に100mにも及ぶ「君主の行進」というタイトルの壁画があった。なかなかの壮観である。
聖母教会はバロック様式の堂々たる建物だが、大戦の被害で一度は瓦礫と化したらしい。その後「世界最大のパズル」と呼ばれる復元作業によって再建されたとのこと。外から見る限り、全体の9割近くは新しく作られたもののようだ。
ドレスデン城の西側に回ると、ツヴィンガー宮殿がある。ここの中庭が素晴しく、様々な形に整えられた芝生と、数箇所にある噴水が実に美しい。天気が良くなってきたこともあり、真ん中辺りの噴水の縁に腰掛けていると、体に精気が戻ってくる気がして、ここで随分と体調が回復したようだ。
宮殿を後にして、次に向かったのは交通博物館だ。様々な時代の様々な乗り物が数多く展示されている。入場料を払って中に入り、早速写真を撮り始めると、係の女性がやってきて「写真を撮るなら別料金が必要だ」と言う。仕方なく入口に戻って1オイロ(ドイツではユーロをオイロと発音)払い、撮影許可のシールをもらって胸に貼り付け、改めて館内に戻る。まだ体力的には50パーセント程度だった為、階段の昇り降りにも少々てこずったが、とりあえず一通りは見学して回った。
交通博物館を出ると、ベルリンに向かうべく再びトラムに乗ってドレスデン駅へ。
ベルリンまでは17時過ぎの特急に乗って、約2時間である。さすがにこの車内ではしっかりと眠ることができ、到着した頃には気分もかなり良くなっていた。

電車を降りてみると、ベルリン中央駅の大きさと賑やかさに、こちらへ来て初めて都会の臭いを感じた。現代的な風景に、何故かほっとする。
ここから弘田氏が借りている学生寮までは1時間近くかかるので、先に夕食を済まして行くことにした。体が弱っているときにはあっさりしたものが良いだろうとのことで、駅ビル内にある「ASIA-GOURMET」という店に入る。ここは中国人がやっている店で、中は中華コーナーと和食(寿司)コーナーに分かれており、どちらも結構な人気のようである。奥のカウンターに座りメニューを見る。普通のにぎりや巻き寿司の他に、日本では見られない色とりどりの変わり寿司も多く、華やかで楽しい。弘田氏は何度かここで食事をしたことがあるとのこと。勧められた鮭丼(メニューにもSAKE-DONと書いてある)と味噌汁を注文。弘田氏は鉄火丼(TEKKA-DON)を頼んでいる。
鮭丼は酢飯の上にサーモンの刺身が乗っており、そこに結構な量のガリとわさびが添えられている。醤油をかけ回して一口食べると、お酢の加減も良くなかなか美味しい。味噌汁も小さめの丼にたっぷりと注がれており、中の具はこれも結構な量のワカメと豆腐。食べているうちにだんだん元気が戻ってきたような気がする。この店は大正解だった。
食事を終えると、同じビル内のスーパーで翌朝の為の食料品を買い込んでから、ヴァンセー駅まで電車、その後バスに乗り換えて学生寮へ。場所はポツダムの近くになる。
到着すると荷物を整理した後、武道具をくるんでいた寝袋を広げて寝床作り。レジャー用のウレタンマットも持ってきたので、そこそこ快適に寝られそうだ。
翌日はいよいよワークショップ本番である。シャワーを浴びて、早めに就寝となった。


2008922日/4日目 ワークショップ当日・ベルリン自由大学>
朝7時頃に目が覚める。さすがに今日はしっかりと眠れた。体を起こしてみるとめまいも残っておらず、8割以上体調は回復している感じだ。外を見ると曇ってはいるが、雨は大丈夫なようだ。
昨晩買っておいたバナナやヨーグルトで簡単に朝食を済ませ、お茶を飲んでゆっくりとしてから、ワークショップの流れについて簡単に打合せを行なう。それから木刀と杖を持って外に出て行き、弘田氏と組んで行なう杖術演武の練習をすることにした。当初は独演だけにしようかと思っていたが、杖術というものを初めて目にする人にも分かり易くする為に、急遽組み型を演じることにしたのだ。
学生寮の裏手に回り、石畳の上で型を合せている間に、何度か人が通りかかったが、意外に立ち止まって見て行く人はいなかった。関わるとややこしい、とでも思ったのかもしれない。
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つの型で弘田氏に打太刀の間を覚えてもらい、少々付け焼刃ながらも演武の目処がついてきた。本番前に再度確認しようということにして一旦部屋に戻り、9時過ぎから改めて朝の散歩へ出掛けることに。
まずはすぐ近くにあるスーパーマーケットに向かう。弘田氏の部屋にあった空き瓶やペットボトルを持ってスーパーの一番奥にあるリサイクルコーナーに行った。機械の穴に瓶を入れると種類を判別して相応のキャッシュバックをしてくれるというものだ。全て入れ終え、ボタンを押すとレシートが出てきて、それを持ってレジに行くとその分の買い物ができるようになっている。子供がいれば喜んでお手伝いをしそうなシステムだ。スーパーを出ると静かな住宅街をぶらぶらと40分程歩いてから部屋に戻った。

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時からのワークショップに向けて12時頃にはベルリン自由大学に入らなければならないので、早めに昼食を取ることにした。弘田氏が「買い置きのパスタソースと麺を使ってしまいたい」とのことだったのでその準備をお任せして、私は別の用事をさせてもらう。
しばらくしてキッチンに行き、仕上げだけ手伝って準備完了。白いクリーム状のソースをかけたグリーンのタリアテッレに、パンとノンアルコールワインを添えて昼食を済ませる。一息ついてから、いざ出陣!
学生寮からバスと電車を乗り継いで、ベルリン自由大学に到着。敷地はかなり広く、構内を移動するだけで結構な時間がかかった。
ここからのワークショップの模様は、既に稽古日誌として遊武会HP上に記してあるので、以下にそのまま再掲する。

9/22出稽古日誌・海外編
遊武会の古参メンバーであり、現在徳島大学で教壇に立たれている弘田氏から、「ドイツでワークショップをやりませんか?」と声を掛けられたのが今年の5月初旬のこと。それから4カ月半を経て、ついにこの企画が現実のものとなった。
~国際ワークショップ・日本文化における「型」という経験~とのタイトルにて、私が武術パート、弘田氏が身体動法パートを担当し、合計3時間のワークショップである。
会場はベルリン自由大学・音楽研究所の一室。屋根裏部屋を広くしたような独特な造りで、床も壁も真っ白に塗られており、窓から入る自然光が心地良い空間になっている。
参加者はこの大学で歴史的人間学を研究されているヴルフ教授と、研究室の学生さんを中心に20名。簡単な挨拶と趣旨説明の後、いよいよワークの開始である。弘田氏と違い、ドイツ語は皆目分からず、英語すらほんのカタコト程度でしかない私にとって、スムーズなコミュニケーションが作れるのかという不安がのしかかるが、それを胸の奥に押しやってまずは演武から始めることにした。
居合術、杖術を演武した後、居合術と体術を用いて「空間固定・相対固定」の理論を解説し、更に「だまし舟」という折り紙をモデルにして「空間変化・相対変化」の概念についても説明を行なった(解説はもちろん弘田氏によるドイツ語訳)。
体術や合気道の技法については、参加者の中から23名に、実際に体験してもらった。やる前は体格も感覚も違う外国人に、どこまできちんと業が通るだろうかという不安もあったが、いざやってみるとあっけないほど簡単に掛かり、少々拍子抜けしてしまった。後で考えれば、武術に対する知識も業に対する免疫もない人たちには、簡単に掛かって然るべきなのだが、そのときはそんなことすら考える余裕もなかったということだ。
続いて立ち座りや礼式の所作、イスからの立ち上がりなどを題材に、踵下しによる体幹部の制御や固定理論の体感を求めて、全員参加で実技を行なった。ここで参加者の皆さんが非常に積極的に取り組んで下さったおかげで、徐々にその場の空気も動き出し、ワークショップらしさが出てきたような気がする。
この後弘田氏のパートにおいては、身体教育研究所の技法を元に、蹲踞からの手を使わない抱え上げや背中合わせでの同調、和紙歩きなどを行ない、その中で手や顔を隠すことによる感覚の違いなどを体験、体感してもらう内容のワークを進めていった。最後にそれぞれがまとめを述べて締めくくり、ワークショップ終了である。
質疑応答の時間がほとんど取れなかったことが少々心残りではあったが、終了後ヴルフ教授や参加者の方々から、高い評価のお言葉を頂き、恐縮しつつも深い達成感を覚えることができた。
現場での準備や片付けなどでお世話になった研究室の方々や、通訳をお願いした高松みどり女史(ちょうど留学中でドイツに滞在されており、久し振りにお目にかかった)、またこちらも遊武会古参メンバーで、今回のワークショップにあたり素晴らしいポスターを作って下さった静三郎氏(沖縄在住)など、皆さんのおかげでこのワークショップを形作れたことに、心から感謝の意を表したい。
そして何より、今回このような機会を作って下さり、また各地の観光案内までして下さった弘田氏には、筆舌に尽くせぬありがたさを感じており、今後も互いに刺激し合える関係でありたいと心から願っている。
919日に日本を発ち、25日に帰国するまでの間は、正に一生の思い出に残る一週間となった。

   

さて、ワークショップ終了後は、参加者の方々と大学近くのイタリアンレストランで食事会。
メニューの中から選んだのはキノコソースのシュニッツェルだ。ドイツ名物として知られる子牛のカツレツだが、その原型はスペインからイタリアを経由してドイツに入ったものらしい。ここはイタリア料理店。果たしてこれはイタリア料理なのか?ドイツ料理なのか?という理屈はさておき、ドレスデンでの不調が嘘のように、しっかりと食べることができた。日本で食べるトンカツの特大サイズにも相当するかという大きなシュニッツェルに、大きくカットされたマッシュルームがごろごろ入ったクリームソースがかかっている。それにさやいんげんのソテーとフライドポテトがたっぷりと添えられており、サラダも含めて完食するとお腹ははち切れんばかり。ビールも2杯飲んでいるので当然か。
食事会が終わると、参加者の一人であるリン女史(後で聞いたら本名はエーデリンデ・スタウダッハーさんというらしい)に車で駅まで送ってもらった。後から考えるとリンさんもビールを飲んでいたはずだが・・・。
寮に帰り着いた頃にはお腹も少々落ち着いてきたので、向いにあるバーで改めて二人だけの打ち上げ。旅の目的を果たした後の脱力感が、何とも言えない心地だ。ビールを少しだけ飲んで部屋に戻った。


2008923日/5日目 ベルリン観光>
昨日無事に役目を終え、今日はスッキリとした気分で朝を迎えた。気分はスッキリなのだが、空は生憎の雨模様。残っていたバナナや、日本から非常食として持参したSOYJOYなどで簡単に朝食を取った後、まずは部屋を片付けて荷物をまとめる。夕方に寮のチェックアウトを行なう為だ。
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時半頃に寮を出発してベルリン市街の観光へ。
バスから電車に乗り継ぎ、ワルシャワ通り駅に着く。ここから歩くこと10分足らずで、「ベルリンの壁」が残るイーストサイドギャラリーと呼ばれる一角がある。切れ切れになっている壁の片面には、色とりどりのペイントが施され、かつての役割とは正反対の、自由の象徴のように見える。
しばらくウロウロしてから駅に戻る途中、ホットドッグを立ち売りしている青年が目に入った。体の前後に材料入れやコンロをぶら下げ、頭の上には傘が取り付けてある。一見すると大道芸人のようだ。姿が面白いので写真に撮っていると、その青年と目があってしまった。丁度小腹が空いたところだったので、1つずつ購入。熱々のホットドッグにマスタードとケチャップをたっぷりかけてもらい、11オイロなり。小ぶりのパンの両端に、長いソーセージが随分はみ出している。これがなかなか美味しくて、歩きながらあっという間に食べてしまった。もう1つ買っても良かったかなと思う。
電車に乗って3駅で、今度はアレクサンダープラッツ駅に降りる。そろそろ雨も止んできたようだ。この駅のすぐ近くには背の高いテレビ塔があり、見上げるとその先端辺りは霧に隠れている。外観はちょっと京都タワーに似た感じがする。
駅前にあるGALERIA百貨店や、カジュアルウェアのC&Aでお土産を購入した後、世界時計の前で記念撮影。そこから少し歩くと「無印良品」の赤い看板が目に入った。中を覗くとドイツ語で書かれた「MUJIとは何か」という説明のパネルがある。店内には日本の商品をそのまま持ってきているものも多い。結構いい値段が付いているので、それなりのブランドなのだろう。

更に10分ほど行くと、ハッケーシェ・ヘーフェという、中庭のある建物がいくつもつながったような場所があり、カフェやショップなどがたくさん入っている。その中の土産物屋でいくつか買い足し、次はここからすぐ近くのハッケシャーマルクト駅に向かう。先程のアレクサンダープラッツ駅からほんの500600mの距離だ。電車に乗ってひと駅先のフリードリッヒシュトラーセ駅で降りると、駅裏のスタンドで名物のカレーヴルスト(ソーセージにケチャップとカレー粉をかけたもの)を買い、それをおかずに寮から持ってきた白飯を食べ、遅めの昼食とした。
お腹がふくれたところで、シュプーレ川沿いを歩いて森鴎外記念館を目指す。着いてみると、入口には「14時まで」と書いてあるようだが、既にその時間になりつつある。とりあえず中に入ってみると、日本人の女性や流暢に日本語を操るドイツ人女性が迎えてくれ、今からでも大丈夫だと言ってくれたので、見学することにした。弘田氏は近くにある医学歴史博物館を見に行くとのことだったので、待ち合わせの時間を決めて、一旦ここで別れることにした。
中はそれほど広くなく、当時の鴎外の部屋を再現してあったり、直筆の手紙や年表があったりと、ごく普通の展示という印象だったが、明治の初期に日本から遠く離れたこの地で生きた日本人に対して、何やら心に感じるものはあった気がする。コンピュータで色々な資料を検索できるようになっていたのが今風で面白かった。国文学科の卒業だが近現代は専門外で、恥かしながら鴎外の作品にはまともに触れたことがない。ドイツに来る機会に『舞姫』くらいは読んでおこうと思っていたのだが、結局読めていないままだ。読んでから来ていればもう少しこの記念館も楽しめたのだろう。
出口の近くに談話室のようなスペースがあり、前日までの日本の新聞が置いてあった。それを見て「あぁ、麻生さんが総理になったのだな」などと分かりきっていた結果を確認しているうちに丁度良い時間となり、記念館を出て弘田氏と合流する。
森鴎外記念館からほんの10分足らず歩くと、ベルリンのシンボルであるブランデンブルク門が現われた。間近で見ると実に堂々たる佇まいで、200年以上前からあるとは思えない程きれいである。
門を抜けてほんの少し歩くと、色んな高さの石柱が無数に並んでいる広場があった。これはホロコースト追悼碑(ユダヤ人犠牲者の追悼施設)だとのこと。そう言われると、モニュメントが墓石のように見えてくる。かつて弘田氏が関わった『これは教育学ではない』(冬弓舎)という本の表紙にここの写真が使われていることのことだが、言われるまで全く気付かなかった。帰ったら改めて見てみよう。

   


石柱の間に埋もれて不思議な空間を味わった後は、2階建てバスに乗っての移動。フンボルト大学の前を抜けてベルリン大聖堂へ。時間の関係で中には入らなかったが、外観を眺めるだけで充分な迫力である。中央の大きな丸屋根がどっしりとしており、いかにも重厚な存在感だ。現在の建物は第二次大戦後に再建されたものらしいが、隅々まで細かく彫刻が施された外装を見ていると、歴史の重みすら感じられる。
ここから再びバスに乗り、先程来たルートを戻ると、ブランデンブルク門の西方に位置するジーゲスゾイレ(戦勝記念塔)に着いた。円形交差点の中央に高々とした塔がそびえ立っている。「プロイセンによるドイツ統合を導いた戦争の勝利を記念して1873年に造られた」とガイドブックには書いてあった。すぐそばにはビスマルクの像もある。しばらく眺めていると、突然塔の前に何台もの白バイとパトカーが現われ、物々しい雰囲気で通り過ぎて行った。どうも誰かの車を護衛して走っていたようだ。
この後、第二次大戦で破損したままの姿を残してあるカイザーヴィルヘルム記念教会を経て、動物園に隣接するツォー駅まで移動し、ここから一旦学生寮へ戻る。

寮に戻ると、既にまとめてあった荷物を持ち出し、チェックアウトの為にすぐ近くにある事務所を訪れた。手続きに少し時間がかかるだろうとのことだったので、私は荷物をそこに置いて、スーパーに土産用のお菓子などを買いに行く。品定めにあれこれ迷った挙句、夕方のことでレジも混んでおり、思った以上に時間がかかってしまった。
スーパーを出て事務所に戻りかける途中で、私の帰りが遅いのを心配して様子を見に来てくれた弘田氏と会った。聞けば私が買い物をしている間に、手続きでひと悶着あったらしい。予めこの時刻にアポイントを取っておいたにも関わらず、約束した相手はおらず、別の担当者からは「そんな話は聞いていない」と、手続きを拒否されたようだ。何度言っても相手の態度が変わらず、普段温厚な弘田氏も相当頭にきたようで、「こうなったら力ずくでも・・・」とまで考えたとのこと(さすがに思い留まったが)。結局渋々ながら手続きはしてもらえたものの、保証金の返金方法も数年前に借りたときとは全く違い後日送金になるというが、正直なところ信用しきれない感じらしい。どうも東洋人だと思って軽く見られている節もあるようだ。前回もいくらかトラブルがあったらしく、「もう2度とここは使わない!」と憤慨する弘田氏であった。怒りを治めつつ、最終日の宿へと向かって出発する。

シャルロッテンブルク駅に着くと、道を挟んですぐ向かいに本日の宿Hotel Stuttga Eckgaがあった。部屋はなかなかきれいで、日本のビジネスホテルよりも広く落ち着いた感じだ。ソファーに目をやると色んな漢字がランダムに散りばめられたデザインである。明日の帰国を予告されているようだ。
夕食を求めて外に出たついでに、街をあちこち歩き回り夜の散歩をする。そんな中、たまたま通りかかったビルの入口に「RANDORI」と書かれた看板があり、その脇には柔道のように人を投げている絵がシルエットで描かれていた。そう「RANDORI」とは「乱取り」のことだ。よく見ると「柔術・柔道・空手・テコンドー」と書き添えられている。ちょっと怖い気もしたが、中に入って見学できるかどうか聞いてみようということになった。

  


エレベータで4階に上がると、すぐ横にカウンターがある。雰囲気はスポーツジムのようだ。「日本で武道をやっている者ですが、見学しても良いですか?」と弘田氏が聞くと、係の青年は快く承知してくれ、奥にあるカフェのようなテーブルへ誘ってくれた。ここから大きなガラス越しに、50畳ほどの道場が見られるようになっている。ここでお茶を飲みながら見学できるようになっているのだ。ただで見るのは申し訳ないと、それぞれ飲み物を注文し、しばらく練習の様子を見ていた。準備運動からボールを投げ合うゲームのようなトレーニングを経て、空手スタイル、柔術スタイルと、時間ごとに稽古のテーマが変わっていく。中高生くらいから20代くらいまで、結構な賑わいだ。途中で鼻の上から血を流した若い女の子が道場から出てきた。引っかかれたような傷に見える。指導者らしき男女が介抱しながら奥の部屋に連れて行った。
結局20分近く稽古を見て、出ることにした。壁に飾られていた免状から、ジョン・ブルミン師(オランダ格闘技界の父でクリス・ドールマンやヤン・カレンバッハの師匠に当たる)の弟子が指導している正統派の道場らしいと分かった。ホテルのソファーといい、この道場といい、どうも帰りを急かされている気がする。
再びぶらぶらとショッピングセンターを覗いたりしながら歩き回った後、夕食はトルコ料理の店に入ることになった。店外のテーブルでしばらく待ってから中に通され、ロウソクの灯る席に着く。弘田氏は羊肉の煮込み、私は定番のケバブを注文。肉は少々クセがあったが、付け合せのスパイシーなポテトやガーリックライスが非常に美味で、結構満足できた。
ホテルに戻る前に、一口だけワインを飲もうということになり、イタリアンの店に入る。店内は天井が高く、ギャラリーのような雰囲気だ。のんびりと話をしながら、一杯だけ白ワインを空けて店を出た。
22時半頃部屋に帰り、シャワーを浴びて就寝。そう言えば今回の旅で部屋の中にシャワーがあるのはここだけだった。


200892425日/67日目 ベルリン ヘルシンキ観光 関西国際空港>
例によって早く目が覚めたので、例によって散歩に出る。まだ7時になっていない。薄暗い街を当てもなく一人ぶらぶらと歩く。気の向くまま風景の写真を撮ったりしながら、30分程でホテルに戻ると、もう朝食の時間が始まっているようだった。
食堂はちょっと狭かったが、明るくてきれいだ。ビュッフェ形式でハムやチーズがそれぞれ10種類近くあり、つい欲張ってしまう。スモークドサーモンに添えられていたクリームソースがホースラディッシュらしき風味で、さっぱりとして美味しく、気分も爽やかになった。
部屋に戻って荷物を整え、1155分の便に向けて、9時前にはホテルを出発し、バスでベルリン・テーゲル空港へ。空港へは思ったよりも早く着いてしまったので、まだ随分時間がかかりそうだ。小さな空港だが人が多く、しかも皆一様に大きな荷物を持っているので、通路を通るにも結構苦労する。ウロウロするのは得策ではないと考えて、電光掲示板の見えるところでじっとしていることにした。
やがてヘルシンキ行きの便もチェックインの時間となり、少し離れたところにあるゲートへと向かった。実はこのチェックインがくせ者で、ここで預ける荷物の重量が1人当たり規定の20kgを超えていると、多額の追加料金を請求される恐れがあるのだ。実際弘田氏は過去にこれで痛い目にあっているそうだ。
刀と木刀と杖を寝袋でくるんだ例の荷物が、56kgというところだろうか。関空でのチェックインでは、重量オーバーを指摘されつつも見逃してもらえたのだが、「帰りはお気を付け下さい」とクギを刺されている。昨晩は2人の荷物が平均化されるように調整し、また機内に持って入れるものはできるだけリュックに詰め込んで、充分軽量化を図ったつもりだが、いまひとつ自信がない。いよいよチェックインの順番が回ってきた。まずは私のスーツケースがすんなりOK。続いて弘田氏の荷物と共に刀を載せると、重量計には20.8kgと表示されている。アウトか、セーフか。係の女性は特に重量のチェックもせず、淡々と座席の手配をしてくれた。ただ、刀の荷物だけはサイズが大きいので、別の窓口へ持って行くようにとのこと。どうも取り越し苦労だったようだが、正直ほっとした。しかしこの手続きの中に、思わぬ落とし穴が潜んでいたことにはまだ気が付かなかった。
刀も無事に預かってもらい、ベルリンからヘルシンキまではフィンエアーAY912便で何事もなく移動。現地時間1445分、ヴァンター空港に着いた。

往きとは違って、ヘルシンキでのトランスファーには6時間近くもある。待っている間にヘルシンキ市街を見に行こうということになり、リムジンバスで街へと向かう。
30分でバスはヘルシンキ中央駅の前に到着。まずは余計な荷物をロッカーに預けるついでに、駅の構内を見物に行くことにした。かなり大きな駅で、ローカル線の部分を入れると10本近くもホームがあり、その線毎に違う形の列車が止まっていて、なかなか見応えがある。しばらく列車を眺めてから、駅を後にして歩き始める。北欧はさぞ寒かろうと覚悟していたのだが、この日は空も青々と晴れ渡り、今回の旅の中で一番の陽気である。ポカポカと暖かく、ちょっと拍子抜けした。
往路で関空からの飛行機に置いてあったフィンランド航空の日本語版機内誌を持ってきていたが、その中にヘルシンキの観光地図が載っており、これが非常に分かり易く重宝した。そもそもヘルシンキの中心部は直径2kmの円に納まるほどの広さで、一通り歩いて回っても半日もあれば主なところは見て回れそうだ。
駅から10分と歩かないうちに、美しい建物が見えてきた。白亜の教会、ヘルシンキ大聖堂である。チェコやドイツの大聖堂とは対照的に、余計な装飾を排した清潔感あふれる建築様式で、陽光に照らされて白く輝いて見える。さほど大きくはないのだが、高台の上にあり周りを囲む建物もないので、その存在感は際立っており、ヘルシンキのシンボルと言われるだけのことはあると実感。中に入ると天窓から自然光が入り、パイプオルガンの柔らかい金属色とあいまって、清楚な雰囲気に包まれる。心安らぐ空間だ。
大聖堂前の広場からは、市街が見渡せる。眼下に港が見え隠れしていたので、そちらに向かうことにした。
5分も歩くと港に面したマーケット広場に出る。夕刻には色んな屋台が軒を連ねるようだが、まだ時間が少々早く、チラホラとしか出ていなかった。目の前に広がるのはバルト海の一角、フィンランド湾である。後で気が付いたのだが、ここは映画「かもめ食堂」の舞台になったところのはずだ。映画をモチーフにしたCMで小林聡美がサンドウィッチを作っていたのがたぶんここだと思う。
近くにあったおもちゃ屋さんでムーミンの置物を見たりした後、ここから西に伸びるエスプラナディ公園を歩いて駅の方に戻り始める。木々は紅葉が始まっており、秋らしいのんびりとした空気が心地良い。
駅の近くで雑貨屋などを覗いたが、物価は中欧に比べて高いようで、物の値段はドイツの23割アップといった感じだ。
トイレを借りる為、百貨店に入ると、1階中央にステージがあり、ライブをやっていた。どうも名の知れたバンドらしく、若者を中心に大勢人が集まっていた。近くまで寄ってみようとしたが、人だかりで前からは近づけず、斜め後からかろうじて写真を1枚撮っておいた。帰国してから調べてみると、この「ザ・ラスマス」という名のバンドは、フィンランドで国民的な人気を誇るグループで、日本でも公演したことがあり、ファンクラブまであるようだ。後日遊武会のメンバーにこのときの写真を見てもらったら、その中の1人がコンサートに行ったことがあるとの話で、しかもその日偶然にもこのバンドのTシャツを着ていたというサプライズ!世の中は狭いものだ。
そうこうするうちに、そろそろ良い時間になってきたので、駅のロッカーから荷物を出して空港バスの乗り場へ向かった。3時間足らずのヘルシンキ観光だったが、雰囲気は充分に楽しめた気がする。
空港に戻ったのが18時半頃。出発は2020分だ。ここでベルリン・テーゲル空港での手続きにあった落とし穴が判明する。弘田氏が2人分のチェックインをする際に「ヘルシンキからは通路側の席にして欲しい」との希望を伝えていたのだが、こちらは当然通路寄りに2人並んだ席を望んでいた。しかし座席の位置を確認すると、2人にそれぞれ通路に面した席をあてがわれていたのだ。言葉の壁を痛感させられた。結局変更も受け付けてもらえず、機内中央の4列を挟んで、離れ離れの10時間となってしまった。

フィンエアーAY77便が離陸して1時間もすると、1回目の機内食タイムである。ハンバーグにマッシュポテト、コールスローサラダに加え、また往きの便と同じそばが付いている。この便には若い日本人男性のスタッフが34名乗っていたが、私の席に飲み物を運んできてくれたのはフィンランド人の男性だった。ここはわずかでも英語のやり取りをしようと待ち構えていると、彼は日本語で「オノミモノハ、イカガデスカ?」。見事な肩透かしを食らった。気を取り直して、ビールと赤ワインを1本ずつもらう。ワインは記念に持ち帰るつもりのオーダーだ。この後でドリンクサービスの時間に白ワインも1本追加して、目論見を達した。
今回隣に座っていたのは、フィンランド人らしき年配のご婦人連れ。前の座席にもお仲間がいるようだ。最後までほとんど言葉を交わす機会もなく、1人デジカメの写真を眺めて旅の思い出に浸るなどして、静かな時間を過ごした。
機内で上映される映画の「スピードレーサー」を後半だけ見た後、次の「相棒-劇場版-(水谷豊のヤツ)」はまるまる1本見てしまい、結局一睡もしないまま朝を迎えた。
朝食が配られたのは日本時間で10時半。トマトソースが添えられた洋風の卵焼きにミートボールが2つ、それにパンとゼリーが付いている。コーヒーと共に平らげると、いよいよ着陸時間が近くなってきた。
かくして定刻通り12時前に、無事関西国際空港へ到着。荷物を待ってから入国カードを書いて出口に向かうと、弘田夫人と2歳半になるお子さんが最高の笑顔でお出迎え。みんなでお茶を飲んでからここで解散ということになった。ちなみに弘田夫人と同じ名前のウチの家内は、出迎えどころか帰りを一日先だと勘違いしていたようで、電話をかけるとびっくりしていたというオチ。
河内長野行きのリムジンバスは客も少なく静かである。寝不足で少々ぼやけた頭を休めながら、見馴れた国道170号線を眺めつつ、旅の終わりの寂しさを感じていた。

 



以上