癒やしの旅
私がこれまでに出会い、癒やされた自然や人々を紹介します。

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 ヒマラヤ〜山々の癒やし

 ネパールの首都カトマンズから西へ200Km行くとポカラという町があります。バスを降りると6993mのマチャプチャレという槍のように尖った山が目の前に聳え立っていて、その神々しい姿に圧倒されました。私はヒマラヤの引力に吸いよせられるように数度ネパールを訪れ、ポカラから山の世界に入り、山小屋(民宿)に泊まりながら歩き回っていました。純白の巨大な峰々を仰ぎ見ながら旅をしていると、自然のエネルギーが身体の中に徐々にたまっていくのを感じました。午前中ひとしきり歩き、お茶屋があればそこで野菜炒めとマメスープとご飯を食べ、軒下で昼寝をし、午後はその日に泊まる山小屋を探しながらぶらぶら山歩きを楽しむという毎日です。車も電気も水道もない所にしばらくいると不便さにも慣れ、当たり前のように水をくみに行き、薪を燃やしてご飯をつくり、夜はランプの光がありがたく感じるようになりました。余計なものがそぎ落とされて、爽快な気分でした。山の人々は穏やかで人なつっこく、周囲の自然とひとつに溶け合って生活していました。 居心地のいい山小屋には長居をしてしまい、家族の一員のように家事の手伝いをしたり、子供たちと一緒に寝たりしていると心が温まりました。
 明け方まだ暗いうちに起きだして薄暗くぼんやりとたたずんでいる山々を眺めていると、雪を戴いた山頂が突然ライトが点灯したようにピカッと輝きます。東から昇ってくる太陽がいち早く最も高い所を照らしているのですが、私には神様が眠った大地に命を吹き込む瞬間のように見えました。
       (写真はマチャプチャレ峰 6993m )


 ボルネオ〜熱帯雨林の癒やし

 ボルネオ島へは妻と新婚旅行で行きました。コタキナバルからバスでサンダカンという港町(サンダカン八番娼館という映画の舞台になった場所)へ着くと、そこは広大な熱帯雨林の入り口でもありました。町の郊外にオランウータンリハビリセンターというのがあって、密猟で親を失ったオランウータンの子供たちが木の登り方やバナナの採り方、ロープの伝い方などを練習していました。マレーシア人の教育係の人たちの接し方や眼差しが実の親のようでもあり、オランウータンの子供たちが彼らに甘えてしがみつく姿は、種を超えた愛情に満ちていました。なんとか1mくらい木に登ってみたけれど降り方がわからずに教育係に助けを求めてキーキー叫ぶ子や手が滑ってロープから落ちてしまう子もいました。センターを卒業し熱帯雨林に帰された青年期のオランウータンたちも、まだ一人で生きる自信のない者は近くにいて1日2回のバナナの支給を当てにしています。定時になると森の中から一人また一人とロープを伝って集まってくる姿はなんとも微笑ましいものでした。私たちがぶらぶら散歩していると向こうから青年のオランウータンが歩いてきました。私は身をかがめ彼と目の位置を同じくらいにして通り過ぎるのを待っていると、彼は私の前で止まりしばらく見つめ合いました。ポケットにあめがあったので彼に差し出しました。すると彼は当然のように受け取って、口に入れたり出したりしておいしそうに食べていました。
 なにかすごいコミュニケーションをしているように感じ、こころが癒やされました。センターの背後に広がる果てしない熱帯雨林の濃密な息吹に触れた私は、自然の厳しさと命の優しさに畏敬の念をおぼえました。
              (写真はバナナをもらいに森から出てきた青年のオランウータン)


 チベット〜高原の癒やし

 私が学生の頃、中国の成都から飛行機でチベットのラサを訪れました。標高3700mの地にいきなり入ったため高山病になってしまい、入院して酸素を吸入しました。高所に身体が慣れてきた時、中国製の鳳凰号という名の実用自転車を買い、布団や食料をくくり付けてネパールへ向かって走り出しました。チベット高原は岩石砂漠のようであり、どこまでも続く黄褐色の大地と透き通るような空の青の2色の世界でした。生命を育むことを拒んでいるような厳しい自然の中で、わずかな恵みを頼りに人々や動物や植物が無駄の許されないぎりぎりのところでたくましく命をつないでいました。高原を吹く風は冷たく強烈で、なぜかいつでも向かい風でした。ギアのない重い自転車はお尻を上げて体重を目いっぱいかけてペダルを踏むとやっと前に進みました。ラサから50km地点で舗装道路が途切れ、デコボコ道になったときは泣きたくなりました。夜は強風が吹き荒れテントごと吹き飛ばされそうな恐怖の中で、厳しい自然を前にした時の自分の無力さを思い知りました。5000mのカンパラ峠の登りが始まると、重い自転車を押して進むしかありません。全身の力が尽き果てた頃、遠くに集落が見えてきました。村の人たちは私を人なつっこい笑顔で歓迎してくれました。久し振りに人間に会いました。熱いお茶や饅頭、人々のこころが冷え切った私を温めてくれました。しばらくその集落にお世話になった後、自転車旅行を中止し、トラックをヒッチしてネパールに向いました。夜どうし走るトラックの荷台から見上げた空には無数の星が瞬き、矢となって凍てついた空気を突き抜けてくるようでした。          (写真は中国製鳳凰号)


 アフリカ〜野生の癒やし

 私は青年海外協力隊に参加して2年間アフリカ南部のザンビアという国で暮らしたことがあります。ザンベジ川を堰き止めてできたカリバ湖(人造湖では世界一らしい)という四国くらいの広大な湖のほとりのシナゾンゲという村でした。電気も水道もなく、町まで行くバスが出る村まで17kmという陸の孤島のような場所でした。夜はカバが家のそばまで草をむしゃむしゃ食べにきます。時々怪物のような声を出すので(ブタの50倍くらい)はじめはびっくりしました。ダムができて島に取り残された動物たちはそこで繁殖を繰り返し、ゾウやライオンの鳴き声が湖面をつたって村に届いてきます。カヌーを漕いでいると岸で日光浴をしていたクロコダイルが驚いて水しぶきを上げて潜っていきます。林からインパラが不思議そうな顔をしてこちらを見ています。湖面からタイガーフィッシュ(ピラニアのような魚)に追われた魚の群れが逃げ場を失って一斉にジャンプします。時間が止まったような昼下がり、遠くで話している漁民の声が風に乗ってすぐそばで話しているかのように耳に届いてきます。子供たちは私を喜ばせようとサルやウサギ、トカゲ、クロコダイルなどを嬉しそうに持ってきます。私が大げさに喜ぶと、もっと嬉しそうな顔をします。子供たちと一緒に湖に水浴びに行き、今日食べる魚を釣り、マンゴーの木の下のキッチンで薪に火をつけ焼いて食べます。主食は毎日とうもろこしです。夜は月明かりの下で太鼓が始まり、子供たちが踊ります。文明の利器は何もありませんが、それ以上望むものもあまりない平和な2年間でした。
            (写真は魚の網に引っかかったクロコダイルを見せに来た子供たち)


 沖縄〜サンゴ礁の癒やし

 沖縄本島から船で2時間ほど西に座間味諸島があります。琉球大学でサンゴ礁学などを学んでいた私は、バイクで行ける本島周辺の海に授業をサボってよく潜りに行っていました。公共工事の影響で赤土が海に流失しサンゴ礁が死に絶え、天敵のオニヒトデが大発生しサンゴを食べ、美しくエメラルドグリーンに輝く海の中は無残な墓場のような姿をしていました。まだ生きている美しいサンゴを見つけると、ホッと安心しました。私が初めて座間味島の海に入ったとき、目の前に豊かで元気なサンゴ礁の世界が広がっていました。様々な魚が群れ泳ぎ、はるか100m先までも見渡せそうな海の中で、意識だけがサンゴの森をどこまでも回遊していくようでした。  (写真は古座間味ビーチ)


 リンク

 ティテパティ よもぎの会
ヒマラヤの村々で鍼灸の巡回診療を続けています
 青年海外協力隊
海外で草の根ボランティア活動をしている政府の外郭団体


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