癒やしの旅 . 2 |
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黒潮列島〜海流の癒やし |
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中学生の頃、「竹いかだヤム号の漂流」というテレビ番組を見て、私は心を揺さぶられるような感動を覚えました。直径10センチほどの竹を幾層にも組んで筏を作り、動力も帆も使わずにフィリピンのルソン島北端のアパリから鹿児島まで黒潮の流れにのって漂流するというドキュメンタリー番組でした。それから十数年後、私はヤム号が船出した場所を訪れました。カラフルに装飾されたエンジン付きの船が並ぶアパリの漁村を歩いていると、村外れの砂浜に色あせた竹いかだが無造作に放置してあるのを見つけました。とても海に出て行ける状態ではなく、ただ朽ち果てるのを待っているかのようでした。 私はここから黒潮に洗われるカラヤン島、バタン島、そして台湾の南東に浮かぶランユイ島へと旅立ちました。カラヤン島の漁民は太い丸太をくり抜いた丸木舟を操り、バタン島の漁民は丸木舟の舷側に板を継いで工夫し、ランユイ島の漁民は船底に丸木舟の底だけ残して舷側は板を組み合わせて数人のれる舟を造っていました。はるか南の島より漂着した丸木舟に工夫を加え、それが再び漂流してさらに北の島へと流れ着き、そこでまた手が加えられていく。小舟を操って海に出て行く漁民たちを見ていると、かつて彼らが南方から運ばれてくる漂着物のように黒潮とともにやってくる姿が目に浮かびました。そして視線はさらに北へ、沖縄、そして鹿児島へと伸びていくのでした。 私は島々に伝わる漁舟の違いに、太古から文化をゆったりと伝えてきた黒潮の流れの力強さを感じました。竹いかだヤム号を鹿児島まで運んだ黒潮は、確かにそこに流れていました。 (写真はカラヤン島の丸木舟) |
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ザンベジ川〜大河の癒やし |
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アフリカ南部の大西洋に面したナミビア付近に始まって、ザンビアを横切り、モザンビークよりインド洋へ注ぐザンベジ川は全長3000キロに及んでいます。中流域にはダムが出来たことによって生まれたカリバ湖という巨大な湖があります。私は食用となる魚の生態を調べるため、2年間その湖のほとりで暮らしていました。家のそばの岸辺にワニやカバが出入りし、ボートで島に渡るとゾウの群れが繁殖していました。飛行機のような形をしたナマズやゾウの鼻のように長い口をした魚、獰猛なタイガーフィッシュなど見たことのない不思議な魚がたくさんいました。私は豊富な水量を誇り、多様な生き物を育みながらゆったりと流れるザンベジ川に魅せられました。 「この水はどこから流れてくるんだろう」そんな興味にかられ、40リットルのガソリンが入ったジェリ缶をバイクにくくり付けて上流に向かって走り出しました。400キロ走ってリビングストンという町に着きました。ビクトリアの滝の水しぶきが空高く舞い上がり、美しい虹がジンバブエとザンビアの国境をつないでいました。森林を突っ切る赤茶色の道は、どこまでも西へ続いていました。1000キロほど走ると森林がサバンナに変わりました。そしてサバンナが砂漠に変わる辺りで、大河ザンベジは相模川くらいの大きさになりました。砂漠から発した水が砂の中を流れ、サバンナを流れ、森林を流れながらあまたの生き物を育み、進化を支える母なる大河となってゆくその変貌の姿に、刻まれることのない悠久の時の流れをみるようでした。 (写真は中流域にあるビクトリア滝) |
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南インド〜ビーチの癒やし |
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南インドの突端近くにコバラムビーチという美しい砂浜が果てしなく続く場所があります。私はビーチにあるラジャンさんという人の家にお世話になりました。ラジャンさんはインドの軍隊勤務でほとんど家に帰ることができないため空いている部屋を民宿として私に貸してくれたのでした。ブロックを積み上げて作った壁の上に椰子の葉で葺いた屋根がのっているだけでしたが私はひと目で気に入りました。奥さんとくりくりした目の4才の一人娘シャリニー、そしておばあさんとの生活が始まりました。毎日2度の食事はいつもフィッシュカレーでしたが4人でニコニコしながら食べるカレーが楽しみでもありました。奥さんが食事の仕度を始める薪の煙のにおいがしてきたら私とシャリニーは台所へ行き、早く作るようにせっつきました。ここでは私はシャリニーと同格でまだ若い奥さんが私の母親でした。私が片言のヒンディー語をしゃべると皆ケラケラ笑いました。シャリニーはいたずら好きで、いつも奥さんが棒をもって追いかけ回しています。眉間にしわを寄せてコワイ顔をしていますが、その顔が可笑しくて私の所へ逃げてきたシャリニーと大笑いしました。すると奥さんも怒るのをやめて笑い出すのでした。おばあさんはいつでも微笑みながら私たちを見守っていました。夕食がすむと寝る時間です。ランプの光の中でシャリニーを抱いて奥さんがインドの子守唄を歌います。安心しきって中空を見つめていたシャリニーの目蓋が少しずつ閉じていき、スーッと眠りに落ちていきます。夜は家の庭先の砂浜に出て椰子の木のはるか上空に瞬く無数の星々を見上げるのが日課でした。天の川の白い帯がくっきりと宇宙を貫いていました。アラビア海を渡ってくる心地よい潮風に身をゆだねながら、私は家族そして親子の無条件の愛情をしみじみと感じました。 (写真はビーチ) |
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ピグミーの森〜ジャングルの癒やし |
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アフリカ中央部のコンゴとウガンダの国境付近にセミリキの森という果てしなく広がる密林地帯があります。私はピグミー族に会いたい一心で、森の入り口までトラックがでるというフォートポータルという町を訪れました。私と同じようにピグミーに会うためにアメリカからやってきた青年と出会い、私たちはトラックの荷台にしがみつきました。ぬかるんだ赤茶色の道が密林の中をうねうねと続いていました。チェックポストでトラックは止まり、ピグミーの集落まで二人で歩いていくことになりました。大木が生い茂る森の中は薄暗く、時折サルの声が森の静寂を引き裂きます。5km程歩いた時、一人のピグミーが現われました。私は緊張しました。そして密林から次々と半裸のピグミーたちが現われて私たちを取り囲みました。どの顔も人なつっこく笑っていました。私は緊張が解け、うれしくなりました。ピグミーの集落は密林を切り開いて作った直径30メートルくらいの広場にありました。 昼間から酔ったように陽気で、ひょうたんや竹のパイプをプカプカふかしてすっかり出来上がっているようでした。日が暮れ、焚き火を囲んで夜の宴が始まりました。女たちは少し離れた場所に集まって歌ったりおしゃべりに夢中です。男たちはバナナ酒を飲み続け、時々バナナの皮をむいて焚き火の中へ放り込みます。私たちも勧められるままにバナナ酒を飲み、パイプを吸い、灰だらけの焼きバナナを食べ、笑いが止まらなくなりました。 静寂した森の中で、ここだけが華やいでいるようでした。焚き火の傍らで顔を灰だらけの地面にこすりつけるようにして眠っている彼らを見ていると、かつて私もこのような生活をしていたような妙な懐かしさがこみ上げてきました。ほんのりと温かい大地に横たわり、いつしか眠りにつきました。 (写真はピグミーたちとアメリカのデイブ) |
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ベンガル湾〜修行僧の癒やし |
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私は20代半ば、ある仕事に挫折し虚しい日々を送っていました。その揚句に交通事故を起こし顔面を80針縫うという怪我を負い、ショックのあまりうつとなって人と会うのが怖くなりました。家に引きこもっていたある日、ふと「インドに行けばなんとかなる」という思いが浮かんできました。そして私はベンガル湾に面したプーリーという漁村を訪れたのでした。しかし無気力状態は改善されません。村のはずれにある安宿のベッドが唯一の居場所でした。ついに村の食堂に行くのも億劫になり、石油コンロとナベ、フライパン、米とジャガイモ、バナナを買い込んで宿に引きこもりました。時々バナナの皮を食べに部屋に入ってくる野良牛だけが私を癒やしてくれました。 ある日サドゥー(インドの修行僧)が私の部屋に現れました。色あせたオレンジ色の僧衣をまとい、長い白髪を束ねて白ひげを蓄えた老人でしたが、褐色の顔に光る目は青年のようでもあり悟った人のようでもありました。 裸足の彼は左手に杖を持ち、右手にはナスを一つぶらさげていました。私を見て父親のように優しく微笑み、部屋の隅にある炊事用具からナイフをとりだし、床に座ってナスを薄く切り始めました。 私はベッドに横たわったままただ眺めているだけでした。彼はコンロに火をつけフライパンに油を入れました。腰のあたりから小麦粉が入った小さな袋をとりだし、ナスの一枚々々に粉を丁寧にまぶしていきました。それを熱くなった油の中へ入れ、揚がり具合を楽しそうに確認しては取り出していくのでした。最後の一枚を揚げ終えると彼は私に微笑みで合図しました。目の前に並んだ沢山の薄いナスのてんぷらが心のこもった豊かなご馳走に見えました。それから毎日お昼頃になると彼はナスを一つぶらさげてやってきました。いつしか私もてんぷら作りを手伝うようになりました。ある日彼はココナッツの実をぶら下げてきました。私に甘い果汁を飲ませた後、固い殻を二つに割り、一方を私に差し出しました。彼はギザギザに割れた面をコンクリートの床にこすりつけ、私にもやれといいます。私は彼にならって面が滑らかになるように毎日夢中でこすりつけました。時々彼は私の仕事ぶりを確認しにきました。穏やかに微笑みながら眺めているかと思うといつの間にかいなくなりました。 ようやくなめらかでツルツルに研磨された椰子のお椀が出来上がりました。私は彼に見せたくて杖の音が聞えてくるのを待ちました。しかしその日を境に彼は姿を見せなくなりました。彼は私にコツコツと仕事をやること、心をこめて丁寧にやることの大切さを教えてくれたのかもしれません。私は砂浜に打ち寄せる波しぶきを眺めながら、虚しい心に新しい風が吹き込んでくるのを感じました。 (写真はプーリーの漁民とベンガル湾) |
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