041029四国遍路(八十八ヶ所)…@
平成16年10月4日〜10日


 ≪10/3 発願≫

  発願する…。退職後三月が過ぎた。机の上に標本用の小瓶がある。その中には、この夏庭に見つけた蝉のぬけがらが入れてある。このぬけがらを見てつくづく思う。蝉は誕生から数年間を地中に暮らし、キチン質のぬけがらを脱ぎ捨て、そして地上での第二の生活を始める。蝉はこの思い出深いぬけがらを、惜しげもなく脱ぎ捨ててしまう。
  人間が死を迎えるとき、カルシウム質の骨を残して旅立つのだが、果たして未練なく旅立てるものなのだろうか。まあ、その結論はいずれ明らかになる。いま退職後の身を考えてみたい。
  四十年のサラリーマン生活を終えて、第二の人生を歩もうとしているのだが、経験や体験、思い出ともなるこれらのものを、ぬけがらとして捨て去ることができるのか。読みあさった書籍、書きつづった記録、脳裏に刻まれたさまざまな記憶、こういった過去をうまく処置できないと、これらを引きずって生きるようになる。そしてこのことがこの世の未練としてわだかまり、ついに死と対峙するとき、失いたくない、懐かしい、恋しい、死にたくないという感情から、恐怖と虚無とを増長させてしまう。
  生ける屍、精神的ミイラとして余生を過ごすことは実に惨めだ。第二の人生というからには、ある程度自分の過去を整理しておく必要があろう。
  この整理作業のスタートが四国遍路行のつもりでいるのだ。それだけで完結するとは考えてはいないが、とにかく第二の人生の標を見つけに行こうというのである。


 ≪10/4 発心の道場≫

  四国巡礼のスタート。この日一番寺霊山寺に立つ。解説書に示すような発願寺としての賑わいはなかった。巡礼グッズを売る店も閑散としている。十月四日は月曜、平日である。連休の行楽日や春休み夏休みでもないと、遍路ブームとはいえ、さほどでもないようだ。
(写真:霊山寺大師堂)

  遍路を始めるにあたり、巡礼のコスチュームに身を固めるのも気恥ずかしく、白装束や輪袈裟など遍礼グッズを買うかどうか迷った。結局、夫婦連れ観光客のスタイルで行くこととした。ただ遍路のあかしに納経帳のみを購入、あとはデジカメ記録に徹する。まあ、旅の記録を残そうなんていうのは、まさに未練ある人間の姿であるといえる。死出を意識した旅人には無用な仕業なんだろうが…。
  一番寺から、弘法大師を慕い、般若心経を唱えつつ巡るつもりが、いざ声を出そうとしても音にならず、人間界に染まったしゅう恥の心がさまたげとなって、自己嫌悪に陥る。四十年のサラリーマン人生を清算し、第二の人生に生まれ変わる決意の空しさを感じさせられてしまう。これでは職を失ってブラリーマンになっただけじゃないか。
  新たなる人生への出発、母なる胎内に身をおく思い。まずは『発心の道場』、阿波徳島から…。愛妻と共に。


 ≪10/5 地獄と極楽≫

  前日五番地蔵寺まで巡ったが、宿泊は戻って二番寺である。極楽寺の朝だ。六時半、本堂に三十名ほどの巡礼たちが集合、読経のあと住職の早朝法話が始まった。(写真:極楽寺庭園)
  ここに二枚の曼荼羅がある。一枚は阿弥陀如来を頂点とした仏絵図、浄土の姿だ。もう一枚は閻魔大王の下に冥界の姿をあらわす地獄絵図。「阿弥陀様のいるあの世では…」と住職、

  紫色の煙がたなびき、心地よい香りの漂うそれはもう幸せの極致という世界だ。自分は住職として仏に仕える身、阿弥陀様のすぐ近くに住めるはずだ。すでに予約済みであると朝からジョークをかます。
  皆さんも阿弥陀さんを信じ、お慕いすればこのありがたい世界のどこかに住める。しかし、悪いことをした人間はこちらの地獄へ行くこととなる。地獄は恐ろしいところである。針山地獄というのもあり、火炎地獄というのもある。もっと恐ろしいのは無限地獄だ。といって説く。
  この地獄には、その入り口に老婆がいて、金を出さないとなかなか三途の川を渡してくれない。もっとも、生前のどんな金持ちも、そこに行くまでには、身ぐるみをはがれて、ほとんど財産なんて持ち込むことはできないのだ。川を渡ってどの地獄へ行くか閻魔大王が判決を下す。生前の善悪の度合いで行く場所が異なる。
  住職はまるで子供を諭すように語りかける。幼稚とも思える聞いたことのある話ではあるが、堂内での住職の話はありがたく聞けるから不思議。宗教とは、人類の培った「生き方の教え」なのである。住職は言う、

  病気などで自分の死を思うとうつになってしまう。人生は四苦八苦。老いて死を迎えるのは誰に対しても平等なことで、全く差別はない。だからいかに生きるかが大事。一生懸命生きて、いよいよもうだめかなと思ったらあきらめることだ。

  そうだなあと思ってしまう。だからこそ趣味娯楽に興じて死の恐怖を忘れようとするのではなく、ときにはこれに立ち向かって、いよいよのときにあきらめの境地に至れるようにしておくべきなのだ。さとりとはあきらめること。簡単な論理である。
  早朝、巡拝に立つ。六番安楽寺の午前8時、少ないがもう参拝者がいる。黒Tシャツで中年のパンチパーマの男性、白の自家用車を境内に乗りつけ急ぎ本堂へ。そして真言を唱え、般若心経を早々にあげ、「ありがとうございます」を連呼していた。
  この男性に何があったのだろう。この世で地獄を見てしまったのだろうか…。なにをして、そうなさしめているかは知る由もない。ただ想像するに、仏性に目覚め、悟りを求めているのであろう。その男性は本堂での行を終え、大師堂と、境内に立つ弘法大師像の前でも同じく経を行じて立ち去った。
  次の七番十楽寺に行く。見るとあの黒シャツ黒ズボンの男性がいて、すでに読経を終了する光景を目にする。巡礼姿ではないので、おそらく近隣の寺を回るのを日課としている方なのだろう。地獄に落ちないことを願って、ありがとう、ありがとう…と。


≪10/6 縦の糸≫

  二十一番太龍寺でベンチに休んでいると、一人の巡礼が気安く話しかけてくる。あかの他人に全く動じる様子はない。

  夫婦関係がうまく行く方法がある。奥さんは、だんなの誕生日に、だんなが喜ぶことをするとすれば、それはなにか。だんなは奥さんの誕生日に奥さんが喜ぶことはなんだと思う?

「さあ?」

  奥さんはだんなの実家に行って、両親を喜ばすこと。だんなは奥さんの実家へ行くべき。一年に一度でいい、互いの両親を喜ばすことだ。これで夫婦の仲はうまくいく。両親が生んだから自分がこの世にある。互いに両親を大事にするということは、先祖を敬うこと。自分の先祖を大事にされて、その者を軽蔑することはできない。だから夫婦喧嘩があろうとも、各々の実家を大事にする夫婦は仲はよい。
  衣服は何からできている? 布生地だ。その布をよく見てほしい。縦糸と横糸でできている。横糸が切れかかっても、縦糸が完全であれば布は立ちきれることはない。夫婦も同じだ。夫婦関係は横糸。例え横糸が切れたとしても、かみさんをかえればいいが、縦糸が途切れては、未来永劫つなげることはできない。これは自分の発想ではなく、ある坊さんから教わった。

「なるほどねー」

  この木を見てほしい。根から幹ができて、枝葉が伸びて、花や実をつける。幹が自分で、花や実が子や孫とすれば、根はなにか。両親だ。幹を切ったら、子や孫はできない。それだけ縦のつながりは大事であるということだ。

…ということをとうとうと聞かせる。ちょっとお節介な巡礼だなと思ったが、異論を唱えても始まらないので、「なるほど」と頭をふるしかない。
  人類子々孫々のつながりの姿、立ち木の成長の造形。このへんろさんの問いかけは、フラクタルなものの見方を再認識させられるものであった。
  ちなみにこのご人、企業経営者とのこと。自分の過去を悔い、求道の世界に時折身をおくらしい。従業員教育にも熱心な六十代のおっさんだった。



 ≪10/7 室戸岬≫

  日和佐の国民宿舎うみがめ荘を出て、高知県二十四番最御崎寺まで、三時間かけてのドライブとなる。高知県は広い。寺の間隔も離れている。途中、道の駅でトイレタイム。室戸岬では「カフェすばぁはぁ」という店でコーヒータイム。この店名が意味不明で、客にナゾを感じさせるうまいネーミングだなと思いながら、秋晴れの土佐室戸の風光をしばし楽しんだ。(写真:室戸岬)
  室戸岬は昔、高知市からレンタカーを借りて、それだけを見るために寄ったことがある。実に殺風景だったことを思い出す。どこが岬の先端なのか分からないまま、時間に押されて高知に引き返したものだ。そのころに比べればだいぶあたりは整備され、中岡真太郎の銅像やコーヒーショップなどが設置され、岬には散策コースも造られている。岬におりて海岸の砂を記念に採取、といっても砂などはなく砂利であった。わがコレクションの砂標本に加えるため、その小砂利をすくって持ち帰ることとした。
  駐車場に戻る途中、大きなザックをくくりつけたバイクが路上に止められていて、傍らでライダーが休息しながら携帯電話をかけていた。ナンバーは旭川、ライダーは女性で、わが女房がものめずらしそうに、躊躇もなく声をかけた。
  彼女は、北海道から二か月かけて野宿をしながら四国に入ったとのこと。これからはさらに南下し、沖縄まで行き、半年ほどアルバイト逗留するという計画のようだ。
  「両親は反対しないの?」とかみさんが聞く、「いいんでないの」と言ったかどうか分からぬが、両親の賛同は得ているとのことで、さすが北海道の人はさばけているなあと感じた。なかなか気立てのよさそうな娘で、かみさんはずうずうしく年齢まで聞いた。二十五歳とのこと。

  「大変な行程で、これはまさにあなたの修行の場、この旅行が終わったら、立派な観音さまになるだろうな」と、彼女を激励して別れた。
  二十四番寺は、室戸岬の山上の灯台近くにあった。さあ、遍路を再開する。室戸山最御崎寺、「ほつみさきじ」と読むそうだ。大師は無空・如空・教海などと名乗ったが、空海という名をこの地で得ている。大師十八歳のときである。
  境内の遍路さんは数組しか見あたらない。写生をしている小学生がにぎやかだった。図工の先生か、美術の先生か知らないが、一人の若い男先生が生徒らに乞われて、描き方を教えている。こういう学級には、いじめとか学級崩壊などというものはみじんも感じられない。弘法大師の時代から現在まで、この寺の存続という縦糸と、教師・学級生徒の横糸の交差をかいま見る光景に出会った。

  さて、二十四番から二十八番をこの日巡ったのだが、途中何人もの歩き遍路を目にした。わが車に接待したいところだが、「歩きへんろ」という発願を妨げることになるので、お先に失礼と進むしかない。この間は結構な距離で、歩きでは一日一寺なんだろうかと推測しながら先を進める。今夜は、夜須町の国民宿舎海風荘にと宿を決めた。


≪10/8 雨の難所≫

  台風二十二号が近づいている。四国地方は夜半から大雨になっていたが、朝は小雨となりひと安心。一日中雨ではあったが、三十六番まで無事終了した。
  ところで、三十四番種間寺から三十五番清滝寺に向かうとき、なにを勘違いしたのか、道標の青龍寺を目視してそちらの方向へと進めてしまった。青龍寺は三十六番である。あやうく三十五番を飛ばすところであった。山の寺に向かうはずのところ、海岸にでてしまいあわてた。寺名がなんとなく似ていることが原因で間違えたのだ。急きょ引き返し、ようやく清滝寺の麓にたどり着いた。
  清滝寺までの山道は狭く、乗用車がようやく通れる道幅であった。小雨の中ひやひやしながら到着、いそぎ参拝を終え、この道を引き返すのはいやだなと思っていたら、違う道があることが分かり、そちらに進めることにした。
  ところがそこは、もっと難所で苦しい思いをしてしまう。ヘアピンカーブが一度で回れない。切り返さないとならない個所が数カ所あった。人生においても進むべき道が、自らの判断でにっちもさっちも立ち行かないことがあったことを振り返りつつ、慎重にハンドルをにぎり下山する。そして平地にたどり着き、生を実感。
  高知の巡礼コースは修行の道場といわれるように、特に歩き遍路にとってはきついものがある。コースの姿やその道のりの厳しさからいえる。自分は夫婦行を理由に自家用車へんろと決め、多くの遍路たちが身に着けるコスチュームを避け、未だに輪袈裟すら身にしていない。連日、巡礼者に対しする不敬を恥じながら同道させてもらっている。
  わが四国巡礼五日目にして、この念を払拭するため、旅館で輪袈裟と巡礼用ブルゾンを購入、明日から身にまとうこととした。併せて、本堂、大師堂にて経を行じられるか、わが修行道のクライマックスなり。


≪10/9 台風≫

  まだまだ長丁場の遍路道が続く。さぞかし歩き遍路泣かせのコースであろうと思いつつ運転する。土佐の順路では、歩きだと一寺をクリアするのに二泊三日もかかるところがあるようだ。
  昨日は近づいてくる台風の動向が心配であったが、さいわい四国上陸は避けられ、静岡から神奈川、千葉と上陸して去って行った。こうなれば、勝手なもので「心がけがいいから」とか、「弘法様のおかげ」とか、理由付けしてしまう。上陸されて足止めを喰らったら、どういう理由を付けるのか。全く人間のままの自分を見せつけられる。
  四国西部は晴れ、足摺岬を懐かしく見学させていただいた。この岬にある金剛福寺は、二度目のはずだが、あまり記憶はない。立派なお寺であることを改めて知る。
  午後になり宿探し。走行計算すると、四十番か四十一番あたり。でもその間は一時間の距離がある。走行しながら四十番近くの宿捜しを始める。国民宿舎は満室なので、おそるおそる四十番寺近くの旅館に予約した。
  四十番観自在寺に着いて、かみさんが寺の人に、この旅館どうかと恥ずかしくもなく聞く。「そこは古い旅館だからちょっとねえ」という返事。ではどこが…と聞きただし、四十一番近くの公共ホテルを教えてもらった。住職お勧めの施設だそうだ。かみさん、すかさず予約していた旅館をキャンセル。自分にはできない芸当である。中年女性のしたたかな一面を見た。
  参拝を終えて、その旅館を眺めて行こうとなり建物を探した。宣伝文句通り寺の近くにあった。ボロ旅館、キャンセルで正解、おかげで、効率のいい地点に宿を見つけ、大浴場につかり、ゆっくりと疲れを癒すことができたのだが…。うーん、人間のまんまだ。こんな宿選びでいいのかなあ、ちょっと寂しくなる。これも修行、合掌!
  ホテルのテレビは、関東地方の台風被害を報じていた。


 ≪10/10 菩提の道場≫

  『修行の道場』とされる土佐の高知から、『菩提の道場』の伊予愛媛に入る。菩提とは悟りを開いての極楽への道のりとのこと。一日雨降りであったが、わが旅も極楽近し。衣服を濡らしても全く不快ではなかった。むしろ衣服を通して仏の慈愛がしみ込むような感覚になる。おかしなものだ。人生もこのような気の持ちようで、苦痛が除去できるのではないか。
  四十五番岩屋寺、雨の中の山登り。階段を延々と登る。七十、八十のお年よりらが、ひざをさすりながら登る。気の毒にさえ感ずるが、当人たちはため息をつきながらも元気に登っている。極楽を目指しているのか穏やかな顔つきである。老後を楽しんでいるなあとしみじみ思い入る。
  岩屋寺から四十六番浄瑠璃寺の間は、山間地のためかガスと雨で不安になった。途中崖崩れで一車線規制もあり、不安は増長された。大石が降ってこないかと崖上を見ながらの走行、実に緊張したドライブとなった。終わってみれば心は穏やかになっているのだが…。
(写真:岩屋寺本堂)