[インターネットテキスト快適活用ソフト『T-Time』]


難民・外国籍者虐待大国ニッポン

の記録





第1回 緊急転載メール(2003/04/06)
第2回 緊急転載メール2(プラスちょっとだけコラム)(2003/04/27)
第3回 緊急転載メール3(2003/05/13)
第4回 仮放免のお知らせ(2003/06/23)
第5回 再収容のお知らせ(2003/08/01)
第6回 緊急転載メール:帰還したアフガニスタン難民を支援する会(2003/09/24)
第7回 ビルマ情報ネットワークから緊急情報(2003/11/02)
第8回 ビルマ情報ネットワークから緊急情報2(2003/11/28)
第9回 中国帰国者家族の分断という結果 & ビルマ情報ネットワーク続報(2003/12/22)
第10回 ビルマ情報ネットワーク続報(2004/03/09)
第11回 まだまだ続く!!!! 入管の非道を伝える新たなメール(2004/03/13)
第12回 緊急転載メール:ジランちゃんと家族を支える会(2004/03/22)
第13回 緊急転載メール:牛久収容所79名連署の訴え(2004/04/12)
第14回 緊急転載メール:牛久収容所79名連署の訴え、をちょっと訂正!(2004/04/14)
第15回 狂気の法務省! 難民の身元情報を出身国政府に照会!(2004/04/14)
第16回 「西日本入管センターの処遇と問題点」(2004/12/28)
第17回 「日本の難民・入管問題へのアクション」RAFIC……す巻きカラー写真掲載!(朝日新聞)&マクリーン事件判決(2005/02/02)



第1回(2003年4月6日)
 ●緊急転載メール「Fwd:西日本入管のアフガン難民の仮放免を求めてください」

第2回(2003年4月27日)
 ●緊急転載メール「Fwd:西日本入管のアフガン難民の仮放免を求めてください」(04/06)
 ●緊急転載メール2「Fwd: 西日本センターに収容されている難民の放免を求めるアクション要請」(04/14)

 これまで以上二通のメールを転載してきたわけですが、入国管理局の西日本入管センターに収容されていた難民四名中の三名が、去る月曜日までに仮放免となったそうです。
 まだ一名は収容されたままですし、仮放免の三名もあくまで「仮放免」であり、難民と認定されたわけでもありません。しかも、仮放免された一人は、そのまま病院へ入院せねばならなかったのだとか。
 予断はまったくできない状況ですが、一連のひとまずの変化は、皆さまのご助力、後押しもあってのことと思います。ご助力くださった皆さま、このかすかな希望を分かち合いましょう! うき!

 ですが、この小さな喜びに浸り続ける暇もなく!
 例によって例のごとく、問題点を多々含んだままの難民認定法案の改正審議が、今月末から来月にかけて、始まるのだそうです。
 詳しい情報は、こちらをご覧ください。

 中国残留孤児の家族が直面している入管問題・日本政府問題に関連して、こんなサイトを発見しました。どうかこちらも一度ご覧ください。

(ちょっとだけコラム 04/27)
 もうずいぶん長いこと愛読し、当サイトのコラムでも頻繁に触れてきた『沖縄タイムス』を、先週半ばで購読解除した。どーも去年の知事選あたりから東京政府の極右連中の下請けみたいな記事が増えてきて、社説もそんな感じになってきて、積もり積もってきた腹立ちがとうとう絶望に変わっちゃったのである。涙。
 以前は『ジャパン・タイムス』を購読していた相棒も、どーもUSA中心主義っぽい記事が多いのが嫌だと言って『ヘラルド・アサヒ』に変えてみたら、こちらは何と本家が『 ニューヨーク・タイムス』だったわけで、こちらもやっぱり、ネオコン・ハッピョー・キョウカイ(NHK)風の記事が連発。ほとほとまいり、両紙とも購読中止することに。
 結局、我が家の新聞は、相棒が購読してきた週刊『Internacional Press』のポルトガル語版。そして、今回『沖縄タイムス』に代えてとることに決めた『毎日新聞』の二紙となった。地元の日本語紙って、折込広告やテレビ欄が非常に便利で、ちょっと新鮮な喜びだったりして。
 ところで、『毎日新聞』には、購読初日の朝刊からもう「怒りの突っ込みをメールしたろか?」なコラムがあって、心が一瞬ダーク・サイドに落ちかけたのだが、『沖縄タイムス』と違い特に期待してない分だけ、鷹揚に構えることができました。これって大人? 
 それでも、昨日の夕刊には、江戸時代の朝鮮通信使に関する新発見資料に関する記事が載ってるなどという洒落た面もあったりして、こういうのを『沖縄タイムス』内の新勢力の連中に見せてやりたいもんである。
 つくづく思うに、江戸時代の対アジア諸国関係って、交流の規模はともかく、非常に友好的なものだったわけで、明治政府以降、水戸学の狂信的皇国史観や、これまたチョー観念的な吉田松陰の琉球・朝鮮・中国観、対琉球・朝鮮・中国戦略を受け継いだ連中が権力内部の主流になりさえしなければ、日本人もちっとはましな人間関係、国家関係をアジア地域の人々、国家と結べたのだろうになあと、寂しく、虚しく、考え、ふと翻り、吉田松陰らと同じ時代を生きたにもかかわらず、世俗に生き、人を人として知っていたがためか、まったく違うアジア認識を有していた勝海舟の言葉を思い出し、さらには、そのトンデモ父上小吉殿のエピソードなんかを思い出してみては、しみじみと感傷に浸ったりする……暇などないじゃん! 試験まであと二週間だよ!!!!! 誰か助けて!!!!!!

第3回(2003年5月15日)
 ●緊急転載メール3をどうぞ!

第4回(2003年6月23日)
 西日本入管センターに依然収容されたままだった難民の某氏、八カ月もの収容の後、ようやく先週、仮放免となったそうです。
 ひとまずではありますが、この喜びを分かち合いましょう! うおっほ〜い! うきうき!

 ただ、ここでもまた例によって例のごとく、この某氏もまだ難民と認定されたわけではなく、しかも認定されるかどうかも「法務大臣の裁量」という名の非人道的な恣意次第というわけで、不安定な状態は続きます。出入国管理及び難民認定法の政府による改定案にも問題がおおいにあります。
 この状態をいかんせん!
 というわけで、先週発売となった『インパクション』136号の特集は、「移動の自由 閉ざされる国境をこじあける」は、なかなか嬉しい内容に仕上がっています。こんな雑誌見たことないやという方も、今回はぜひ、どこぞで手にしてみてください。お願い!

第5回(2003年8月1日)
 仮放免されていたアフガン難民の1人が、先月末、再収容されたそうだ。怒!

第6回(2003年9月24日)
 今年七月に、我らが日本から、心ならずもアフガンへ帰還していったアフガン難民を支援する会が結成された、とのメールを受け取った。末尾の、日本で彼がたどった経緯がまた恐ろしい。「難民虐待大国」の呼び名が誇張でないことを実感していただけるのではあるまいか。
 以下、転載します。


************************
 難民認定されず、家族を呼べず、帰還してしまった
   アフガン難民を助けてください!
【転送・転載大歓迎!】

振込み先は郵便局のぱるる
口座名義;帰還したアフガニスタン難民を支援する会
口座番号:10130−98267551
問い合わせ先:
  電話:06−6927−9559
  Eメール:nan_afg@yahoo.co.jp(半角にしてください)
  帰還したアフガン難民を支援する会 岩田 賢司

 7月末に帰還したアフガニスタン難民のグラム・フセインさんが、帰還先のパキスタンで、タリバンとおぼしきパシュトゥン人武装集団に襲われました。

 1度目は息子さんが「知らない」と門を挟んで言い張り、なんとか押し返したのですが、2回目は家に押し入ってきました。1回目に襲われてからフセインさんは夜、自宅から出てホテルに泊まり歩いていたようですが、4、5日して朝自宅に帰ってみると、子どもたちがただならぬ様子だったので、何があったのか聞くとふたたび武装集団がやってきたのだそうです。フセインさんの名前を挙げ、「殺す」とも言われたそうです。
 おそらく1度目襲った後、再度、その住所に間違いないかどうかを確認した上で来たのだと思います。記事にあるように、フセインさん家族はなんとか家を別に借りて、隠れ住んでいます。
 フセインさんは、日本にいるときからずっと腰痛をかかえており、おそらく100メートルも続けて歩くと休まないとダメな状態です。奥さんは、今年の5月頃から、おそらくパニック障害のような状態が続いています。
 おそらくアフガニスタンでは、普通なら息子たちが父親に代わって生計を維持するのでしょうが、第1子をタリバンに殺され、第2子も生き別れて再会できず、第3子もタリバンによって足指を切り落とされ、障害者となっているフセインさんの家族は、そうした生計を維持するための世代交代に失敗しています。
 フセインさんが帰国を決意したのは、上に述べた、奥さんの病気のことがあります。奥さんが一種のパニック障害のようになって泣き叫び、失神するような状態になっているからです。母親の異常な状態にどうしてよいか分からない息子さんが泣いて「帰ってきて」とフセインさんに電話してきました。おそらくそのときフセインさんに、日本で在留資格を得られるたしかな可能性があれば、「もう少し待て」といえたのでしょうが、そんな展望のないフセインさんにはそれも言うことができなくなりました。と同時にフセイン自身は、腰痛と、自動車免許がなくいよいよ日本で働けなくなり、パキスタンに送金できなくなりました。追い詰められたフセインさんは結局帰ることを選んだのでした。
 フセインさんがアフガニスタンへの帰還を口にしたとき、フセインさんに「もしアフガニスタンに帰ったら自分はどの程度危ないと思うか」と尋ねたとき、フセインさんは、「80%」と応えました。シナピス難民委員会の人たちは、必死で彼が日本で残れる方法を、それこそひねり出して、思いとどまるよう説得しました。フセインさんもいったんは説得を受け入れて、帰還を思いとどまりましたが、1か月もたたないうちに「家族のもとに帰る」と言ってきました。その再建プランも現実には難しいものでした。再び帰国を口にしたフセインは、しかしもう「80%」の話はしませんでした。そしても、もう僕もそのことは聞きませんでした。1月の間に状況がよくなるはずがありません。しかしその話をすれば、再びとめられると思ったのだと思います。還るまえは、冗談を連発し、みんなを笑わせていました。もちろん、家族と会える喜びもあったと思います。われわれに対するお礼の気持ちを込めてそうしているのなら、そのまま受け取ろうと。また、帰国した後の生活についても、私たちに聞かせるために、あるいは自分に言い聞かせるために用意した絵空事のようなプランを語るのを聞いていました。
 帰国した当初は、喜びの電話でしたが、8月に入ってから、フセインさんの話が違うようになり、フセインさんの片言の日本語では分からないため、息子さんに状況を英語で書いて、電子メールを送ってほしい、と頼みました。
 ペシャワールでは、インターネットカフェのようなところ(そんなしゃれたものではぜんぜんない、場末のあばら家のようなところですが)があり、そこでインターネットを利用できます。そこから英語で送ってもらった情報が、襲撃されたというものであり、はじめて実態が分かったのでした。
  その後、イラン人に通訳になってもらい詳しく聞いたところ、新聞記事のような内容が判明しました。
 
 今私たちはフセインさんに最低限の生活を支えるためのお金を送ろうと思って います。これは、フセインさんが言い出したことではありません。こちらから切り出したことです。
 
 日本で難民申請をしているアフガニスタン出身のハザラ人で、ペシャワールで定職についていた人はほとんど皆無です。みんな、ペシャワールでは隠れるように暮らしていました。その状況は今でも変わりません。そのようなところでは、親戚どうしでお金を融通しあったりすることはあっても、赤の他人を助けるようなコミュニティが成立する余地はほとんどありません。多くは、西側諸国で難民になったり、在留資格を取った幸運な家族からの送金で食いつなぐ「点滴生活」を送っています。パシュトゥン人のおおいペシャワールでは親戚同士の助け合いはあっても、現実に機能するハザラ人コミュニティはありません。
 以前AP通信に、バーミヤンから逃れてきた家族の苦難を報じたニュースがありました。内容は、アメリカが空爆を開始した2001年10月、空爆に共感すると疑われ、家を焼き討ちされたハザラ人家族がでこぼこの道で車に酔い、汚物だらけになってクエッタにたどり着きました。家を焼かれた家族に残ったのはブローカーに対する借金と、コップだけでした。借金を返すために5人の子どもの父親と一番上の15歳ほどの子どもは炭鉱で働き、すぐ下の2人は絨毯織りの工場に住み込みで働き、乳飲み子とそのすぐ上の子どもは母親といっしょに、地下倉庫で暮らしているというものです。しかし上記のようなフセインさんの家族にはこの生活すら難しいかもしれません。
 何年か難民の支援に携わってきましたが、日本の難民認定の生き残りレースに脱落せずに最後まで残れる人は本当に一握りの人だとあらためて痛感します。フセインさんのように初老で、字が読めない、体に障害がある、そして仕送りしなければならない家族を出身国に残しているような人が4年も5年も耐え続けることは難しい。現に家族との破綻しかけている難民の方もいます。

 今までフセインさんの人となりと経過を知っていただくためにフセインさんのことだけを書いてきましたが、フセインさんの現状を日本で伝えることで、今後送還を抑止する大きな力になるのではないでしょうか。そして裁判官にも、フセインさんと連絡を取り続けることで、日本が難民認定制度によって守るべき法益とは何であるのかを問い返す、契機になるのではないでしょうか。
 
「支える会」は、
 東京で、フセインさんの支援を続けてくだった長島さん、京都で難民の支援に取り組んでこられた河原さんの3人でスタートしました。RAFIQの田中さん、作家の池田香代子さんも呼びかけ人になってくださいました。
 今後、チラシをつくってあちこちの集会でカンパを募らせていただくつもりです。チラシに多くの方が呼びかけ人になっていただけば、訴求力もますのではと思います。どうか、カンパとあわせて、呼びかけ人になっていただければ、ありがたいです。
 下記のように目標を1年とし、60万円を目標にと考えています。
 「1万円とすれば60人、大したことない、大したことない」と言い聞かせている毎日です(1万円出せ、という意味ではまったくありませんので!)。こうした活動に対する批判や懐疑的な意見も受け、なかなかつらい出発となりましたが、新しい仲間も得て、フセインさんとつながり続けることで、新しいことを発信したいと決意しています。
 やむにやまれずはじめたことです。どうか、助けてください。

 文中に出てくる新聞記事はこちら

************************
「帰還したアフガニスタン難民を支援する会」

<趣旨>
 タリバンの脅威は去った、として日本政府は、タリバンによる迫害の恐怖を訴えてきた少数民族ハザラ人の難民申請を認めず、強制退去を命じる処分を昨年から相次いで出しています。不認定とされた多くのハザラ人難民は長期にわたる入管施設への収容を課され、その精神的後遺症に苦しむ人も少なくありません。日本での先の見えない生活に絶望し、国に残した家族の窮状に耐えかねて危険を承知で帰国したハザラ人難民もいます。
 アフガニスタンは復興の掛け声とは程遠い現状にあります。アフガニスタン南部では、数百人規模で再興タリバン勢力が警察署を襲撃し、警官やNGOの援助ワーカー、現政権を支持する宗教指導者などが殺害されています。首都カブールでも、90年代前半ハザラ人の殺害、拷問、拉致、略奪、強姦に明け暮れた原理主義グループが再びハザラ人地域を襲っています。
 日本から出国してしまえば、たしかにその人の日本でのファイルは閉じられるのかもしれません。しかし本当の苦難は帰ったところから始まります。アムネスティ・インターナショナルは、イギリスでのアフガニスタン難民の「象徴的」強制送還をきっかけに、帰還したアフガニスタン難民のその後を検証した報告書『Out of Sight, out of mind』を発表しました。直訳すれば「去る者は日々に疎し」です。
 しかし、われわれの目の前からいなくなった彼ら難民の「その後」こそ、最も苛烈に日本の難民制度の貧困と犯罪性を照らし出すのではないでしょうか。
 この会は、彼らの苦しみが続く限り、彼らとともにあることを目指します。具体的には、帰還したアフガニスタン難民と連絡を維持し、必要に応じて生活資金を含めて支援し、状況を伝えることを目指します。

<具体的な支援対象>
 当面、帰還したグラム・フセインさんとの連絡を維持し、必要最低限の生活援助を行うことを活動内容とします。
 フセインさんは、帰還後早々、タリバンの残党と思しき銃をもった集団がフセインさんのところにやってきて、フセインさんを探すという事件が起こりました。フセインさんはなんとか難を逃れることができましたが、フセインさんは家を変え、家からほとんど出ない生活を続けています。就労どころか移動の自由すら奪われた状態にあり、そのまま援助がなければ、心臓病を患う奥さん、腰痛の本人、タリバンに足の指を切り落とされ、就労できない15歳の息子を筆頭に5人の子どもが路頭に迷うことが必至であるためです。もし銃を持った集団による襲撃の恐れがなければ、長年の商売の経験と才覚を生かして生きるすべもあったでしょうし、マザリシャリフにいる20歳になると思われる息子さんとの再会も可能かもしれません。しかし、今のフセインさんにはその将来も閉ざされています。こうした、自力ではいかんともしがたい迫害の恐れにより、困窮を強いられている以上、最低限の生活を支援しながら、連絡を維持し、帰還したアフガニスタン人、特にハザラ人の状況について情報を得、可能な限り社会に発信したいと思います。
 状況が改善されればフセインさんへの生活支援は打ち切り、定期的な連絡を維持することにとどめます(フセインさんの経過については後述参照)。
 フセインさん以外でも、これまで日本で支援し、タリバン残党などに襲われた、あるいは襲われる切迫した危険があり生活に困窮したアフガニスタン難民に対してもできるかぎり支援したいと思います。

<具体的な活動>
1.募金集め
1.1募金目標額
 何とか月5万円×12か月=60万円程度のお金を集められないかと思います。彼の子どもたちが学校に行く費用までは出せないし、必ずしも負担する必要はないと思います。最低限の生活を支えることを目標にしたいと思います。口座を設け、そこにお金を集中し、送金します。

1.2募金の集め方
 チラシを作成して配布する、あるいはインターネットなどを通じて呼びかけ、口座への振込みや集会などでの募金をお願いする。

1.3送金について
 安全上のことがあるのでできるだけ小分けにして送金する。
 基本的には1年間をめどとして行う。状況が改善すれば送金は打ち切り、連絡を取り合うことで、アフガニスタンの状況をさまざまな形で発信する。
 1回最高5万円までとします。送金時期などについては事務局に一任していただきます。できるだけ緊密に連絡を取り合うよう努力しますが、突然、連絡が途絶える可能性があります。
 もし送金できずにお金が残った場合、半年間預けて置き、それ以降経過して連絡がない場合は、難民を支援している団体に寄付します。

2.フセインさん家族への精神的サポート
 フセインさんは不十分ながら日本語を話すことができます。また、息子さんは、英語の会話やメールを書くことができます。不特定多数の人がフセインさんの家族のメールを知ると問題なので、会に集中していただき、支援者からのメッセージとして、フセインさんに送ります。
 また、電話で話をすることも場合よっては可能かもしれませんので、個別に検 討します。

3.UNHCRへの働きかけ
 UNHCRペシャワール事務所に、フセインさん家族が第三国に出国でき、そこで庇護が受けられるよう働きかける。英文で資料を作成し、送付します。

4.会員について
 会員は当面、長島さん(代表)、河原さん、岩田の3人として、会がどのような方に支援してもらえるかで考えて行きたいと思います。

5.カンパをくださった方に対して
 できるだけフセインさんからの返事や様子をお知らせするようにします。方法は、Eメールのみとします。発信は適宜、不定期に行います。希望される方は、Eメールアドレスをお教えください。

問い合わせ先:nan_afg@yahoo.co.jp(半角にしてください)

フセインさんの経過
1999年7月  来日
1999年10月 友人から「帰ったら危険」の連絡を受け難民申請
1999年12月 異議申出却下
2000年2月  退去令書発布収容(1度目)
2000年2月  不認定処分取り消し訴訟提訴
2000年6月  仮放免
2000年8月  UNHCRより難民認定
         千葉に移り住み生活 この当時から腰痛に苦しむようになる。
2002年9月  大阪地裁 敗訴判決
2002年10月 支援者、パキスタンで家族と面会 息子のナジル君がタリバンによって足を切られていたことを知る
2002年10月 収容(2度目)
2002年12月 仮放免→病院に入院(高血圧、卒倒)
2003年2月  精神科に受診 パニック障害、「要通院」の診断
2003年4月  この頃より奥さんの心臓病の状態が悪くなり、不安を訴える息子さんから電話。就労できず、不眠状態続く。
2003年6月 帰国を決意するも「帰れば80%命を狙われる」という本人の言葉により、支援者が翻意を促す。
2003年7月 再度帰国の決意を固め、帰国。
2003年7月 パシュトゥン人武装集団に襲われる
************************
<
(転載以上)

第7回(2003年11月02日)
 緊急情報……。
 ビルマ情報ネットワークから、
「緊急行動:署名賛同のお願い」です。
 まずはぜひ、こちらをお読みください。お願い!

第8回(2003年11月28日)
 緊急情報:強制退去迫る……。
 ビルマ情報ネットワークから、改めて
 「緊急行動:署名賛同のお願い」です。
 ぜひ、こちらをお読みください。お願い!

第9回(2003年12月22日)
 第2回で紹介した、このケース。子どもは日本に残れるが、両親は中国に送還、と決定したそうで、たぶん今日が送還の日だったはず……。

 ビルマ情報ネットワークでの呼びかけは一旦、功を奏したようで、ビルマ人男性は仮放免になったそうだ。予断は許されぬが、ひとまず、安堵。

第10回(2004年3月9日)
 昨年末、「緊急行動:署名賛同」をお願いしていた、ビルマ難民の方、在留特別許可が下りたそうです! えっ、もうご存知?
 詳しくは、こちらこちらをどうぞ!

第11回(2004年3月13日)
 先日のビルマ難民のケースの喜びも、ほんのつかの間。
 日本政府による新たな人権侵害、外国籍者虐待ケースの情報が、MLに流れてきた。
 フィリピン人女性と、トルコ国籍のクルド人男性、そして二人の間に日本で生まれた3歳の女の子のケースだ。
 ここに転載していいものか、ちょっと悩むところがあるので、興味のある方は、私、ukiuki2000@nifty.ne.jpまでメールを送ってくだされば、詳しい情報の書かれているメールをお送りいたします。どうぞお気軽にお申し付けを。

 しかし、それにしても。
 はっきり言って、このサイトで紹介できている入管による人権侵害のケースは、ほんの一部。氷山の一角にもならないほど、全体のごくごくわずかだ。日本人の支援者に恵まれたごく稀なケースのうち、たまたま私のところに情報が回ってきたもので、しかも私に時間の余裕があってどーにかこーにか転載できたものしか、掲載できていない。
 思えば、うきうき書房ニュースで紹介したり「うさちゃん騎士団ここにあり!」でリンクを張ったりした、「シェイダさんを救え!ニュースアップ デイト」「ジャマルさんを支援する会」についてでさえ、このページでは紹介していなかったありさまだというのに、どうしてこうも後を絶たぬのか……。
 もういい加減、日本の入国管理システムのあり方を改めないことには、日本政府による人権侵害は延々と繰り返されていくだけのイタチゴッコだと、確信しつつ、ため息つきつつ、春の到来を外の空気に感じつつある、3月の午後。家族バラバラにされ、収容所の中にいる親たちの思い、親を思う子どもの思い、ああ、もう、なんてこったい!

 ところでこの話、多重国籍を認容すべき、との話にもつながるので、どうぞこちらもご覧ください。はい!

第12回(2004年3月22日)
 前回、転載許可について問い合わせ中と書いたケースについて、「ジランちゃんと家族を支える会」の方から転載OKとの連絡を受けた。

 同会でもいずれウェブにアップしたいとのことだが、人手不足の中、署名の集約に追われているそうで、どこもやはり人手不足、資金不足、時間不足の3不足に見舞われつつ、人手にも予算にも時間にも満ち足りてる官僚組織による人権侵害に対抗しているのだなあ、などと、この社会の非情と無情とにしみじみと涙あふれて、悲しみ降り積もる。

 ともあれ、前回私が読んだメールが書かれて以降、状況の変化が若干あったとのことなので、それを受けて「追伸」部分の加わった新「転載歓迎メール」を、こちらに貼り付けます。
 お知り合いの方などにメールで転送してほしい、とのことなので、メールで使いやすいように、いつもと違ってウェブ用の改行タグを入れる他は特に加工せず、そのまま貼り付けました。
 皆さま、どうぞよろしく!

第13回(2004年4月12日)
 「ジャマルさんを支援する会」の方が、法務省・入管の牛久収容所に収容されている79名の「連署の訴え」をMLに流してくれた。

 こちらに転載しておくので、どうぞご一読を。ぜひに!

第14回(2004年4月14日)
 前回紹介した79名の「連署の訴え」に、ちょっとした訂正を追加しました。
 こちらでどうぞ!

第15回(2004年8月9日)
 「クルド人の難民認定を支援する会」が、署名を呼びかけている。
 「クルド人難民座り込み支援緊急キャンペーン」も続いている。このサイトの、UHCRのボランティアの人との対話は、圧巻で、こんなボランティア、あっかんわあ……。
 ……。
 一時なりとも、涼を楽しんでいただけたでしょうか。
 最近の報道によれば、日本の法務省・入管当局は、トルコのクルド人数百人からの難民認定申請をすべて却下してきた影で、トルコの治安当局に日本のクルド人難民申請者の情報を提供してきたのだとか。
 恐ろしく非人道的な日本政府・法務省・入管の所業ではないか。
 これを止められるのは、この国の主権者の力だけのはず。
 それともアフガンみたいに、アメリカ軍に空爆してもらうしかない、なんてことだったりして……。

第16回(2004年12月28日)
 今月11日と12日に、京都大学で、京都社会フォーラムというイベントがあって、そこで12日に開かれたRAFIQのワークショップに参加した。
 興味深い内容だったので本サイトでも紹介したいと思いつつも、ばたばたしていて何もできずにいるうちに、そのワークショップにて配布された資料「西日本入管センターの処遇と問題点」をウェブ用にまとめなおし、アップしてくれた方がいる。おなじみ、Carlan's Dream「平和への願い―Carlanおばさんのなんみんもんだい」である。
 ワークショップの資料をもとに、多くの人々の協力を得て作成されたものだそうだ。入管収容所に限らず、こうした収容施設の状況って、よほどのことがない限り、外部にはほとんど、あるいはまったく、伝わってくるものではない。かなり貴重な情報だと思う。
 ぜひご覧ください。

第17回(2005年2月2日)
 先日、RAFIQが行った「日本の難民・入管問題へのアクション」での衝撃的な写真が、朝日新聞大阪版にこのようにカラー写真付きで掲載されたとのこと。

 先ほど、「外国人の基本的人権は、在留制度の枠内で認められるのみ」と判示した、最高裁のマクリーン事件判決(S53.10.4民集32-7-1223。最高裁のサイトに行けば、全文読めたはず)を読み返していた。
 この判決の出た翌年に、日本政府は、いわゆる国際人権規約のうち社会権規約と自由権規約を批准、その後、いわゆる難民条約や人種差別撤廃条約や子どもの権利条約やなんかも批准して、すでにこのマクリーン事件判決当時とは、法体系に大きな変更があったと思われるのに、相変わらず先例として日本の裁判所はこの判決内容に固執していて、「国際法の勉強が司法にたずさわる者に必要」といった趣旨の勧告を国連の人権委員会から指摘されたりしているのだが(こちらの32あたりを参照ください)、まあ、それはさておき。
 このマクリーン判決を読んで強く感じるのが、裁判官も日本政府も、外国人の来日や日本での生活継続を、日本国に災いをもたらすもの、として認識し、そこから出発している点に問題の根本があるのでは、という感触だ。
 そして、今回の「す巻き」写真や、先日の国連認定のマンデート難民をその自国へ追い返した所業や、先日の地方公務員の昇進試験受験資格に関する最高裁判決、さらには現在進行中の「不法滞在者半減計画」(移住労働者と連帯する全国ネットワークのニュースレターによると、かなりエゲツないことが行われているようだ)なんかから見てとれるのは、「外国人」に対しては何をしてもかまわないという、訳のわからん思いこみと差別意識だ。
 日本はいったい、どこへ向かって突き進んでいるのでせうか。


うさちゃん騎士団ここにあり!
[うきうき銀河案内板]


左側に目次フレームがない時は
この「うきうき銀河_案内板」を
クリック!



著作権者:浮世絵太郎/仲 晃生