EXPERIMENTAL AIR CRAFT

eXperimental Air Craft


X(S)-3 スティレット

ぱっと見には 宇宙にまで飛んでいってしまいそうな機体だけれども、実際には音速を超えるのも青筋立てて必死にならなければならなかった。
Dryden Flight Research Center

もっと強力なエンジンがX-3に与えられていれば、その姿や材質の性能を遺憾無く発揮できただろうに…

当初の実験目的を果たせなかったX-3は失敗作なのは間違いは無い。飛行データがF-104の設計に多大な貢献をしたのが救いかな?
わたしがX-3で一番好きなな所が パイロットの搭乗方法!
射出座席が機体下面に降りてきて、パイロットは地面付近まで降りてきたシートに座ると シートごとコクピットへ・・
いや〜、なんだか子供の頃 夢中になったロボットモノのアニメのような この機構が大好きです!(^^)


History

超音速飛行計画も速度は出るが短時間しか飛べないロケット推進から、ジェットエンジンを搭載し、長時間の超音速飛行へと進んだ。
XS-3の開発は1945年6月に正式に決定し、機体の製作はダグラス社が担当することになった。 ジェット推進で、X-1並みの速度・上昇限度を要求する欲張りな軍に対し、当初ダグラスでは、まだまだ非力なジェットエンジンだけではなく、ロケットエンジンも搭載するジェット・ロケット併用機を設計案として公表していた。

1947年、当時画期的なアフターバーナー付きの新型エンジンがウェスティング・ハウス社で開発中だった。J46と命名されたされたこのエンジンを2基搭載すれば、ロケットエンジンを使わなくともマッハ2以上・高度37,500フィートは達成できると見込まれた。

Dryden Flight Research Center

グラマンはこの新型エンジン搭載を前提にXS-3の製作を進めた。
主翼には高速飛行時の高温に耐えられるようチタンとステンレスが使用され、細長く伸びた機体はスティレット(短剣)の名にふさわしいスマートな姿をしていた。
機体の製作は順調に進んでいたが、しかし肝心のエンジンの開発が難航し、XS-3への搭載が難しくなってしまった。

1952年10月20日、機種記号から「S」が外れたX-3 1号機(49-2892)は、明らかに非力だがJ46の原型となったJ34-WE-17を搭載し、グラマンのテストパイロット・ウイリアム・B・ブリッジマン氏の操縦でで初飛行に成功した。

大推力エンジンに恵まれなかったX-3は、ダイブ中に音速を超えるのがやっとという状態であり、1953年12月2日までの25回の飛行で、水平飛行速度マッハ0.93、最大高度35,000フィートを記録するにとどまった。マッハ2以上を狙った機体としてはなんとも寂しい記録である。
X-3は2号機まで製作される予定であったが、 1号機の性能が要求をはるかに下回った為、2号機はキャンセルされた。
この後X-3はNACAに移管され、亜音速飛行時の安定性研究の目的で飛行を続けることになる。

エンジンを大出力・大推力の物に替える事で、脇役から主役に躍り出た、あるいはその可能性があった航空機は少なからず存在する。
X-3がその内のひとつであったかどうかは不明だが、推力が大きいエンジンを搭載していれば、X-3の運命はまた違った物になったであろう。

1956年にX-3はすべての研究項目を終了し、現在ライトパターソン空軍博物館に展示されている。

全長:20.34m 全幅:6.91m 全高:3.81m 総重量:10,024kg


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