課題 39 一家の主は小なりといえども「書斎」を持つべきか
   

    イエス
    
    ただし ここでいう書斎は
    必ずしも 一部屋をとったいわゆる 「書斎」 ではなく
    いわば 「こころの書斎」 である
    
    
書斎へのあこがれと限界
    
    個人的な話で恐縮だが
    小学生の頃から 自分の図書館が欲しかった
    本に囲まれて生活したかった
    中学、高校、大学 と 充実した図書館を見るにつれて
    これが すべて自分のもので
    読みたい本を プライベートな時間に さっと手に取ることができたらなあ
    とか
    自分だったら こういう風に整理(配列)するのになあ
    とか
    蔵書の管理と検索のためにはこうした方がいいなあ
    とか
    ことあるたびに思ってきた
    
    実際自分の本はとても大切にしてきたし
    それなりに並べて喜んできた
    図書館で読んだ本で気に入ったものは
    わざわざ書店で買ってきて
    もう一回読んだ
    こうして何十年もの間
    将来できるであろう自分の図書館の蔵書を
    蓄積してきた
    その図書館では
    音楽を聴いたり お茶を飲んだりしながら
    ゆったりと 心を休め
    考え事をしたりなんかできるようにしたい
    パソコンのキーボードを机上に置いて
    電子作業や通信も行えるようにしたい
    などと いろいろ考えてきた
    いわゆる 「書斎構想」 である
    
    翻って 現実の世界・・・・・
    私は転勤族のハシクレである
    
    その苦労して蓄積した蔵書やレコード(CDではない)が
    (物理的に)大変な荷物になってきた
    引越しの度に苦労するし
    子供が成長して 
    一人一人にそれなりのスペースが必要になってくると
    家の中での「置き場」に苦心するようになった
    こうなってくると
    お父さんの宝物は家族にとって邪魔な「お荷物」にしかすぎなくなる
    せめてもの わがままを という
    お父さんのエゴも
    共同生活をする上での問題として
    常に上がってくるようになる・・・・・・
    
    そして今ではマンション生活
    ここでは その時に必要なものだけしか
    収納するスペースがない!!
    つまり 新しい何かを置くためには
    古い何かに消え去ってもらうしかないのである
    
    この住環境の変化が
    しゅうおじさんの価値観に少しずつ変化をもたらしはじめたのである
    
    
    「物」への執着とは?
    
    世の中には いろんなコレクターがいる
    しゅうおじさんにとって 「本」と同時に「レコード」がそうであった
    学生時代も アルバイト代の一定割合はレコードへと化けていった
    かつて
    「音」 を保管(保存)し好きな時に再生するというのは
    大きな課題であった
    テープレコーダーがあったはず と
    いわれるかもしれないが
    今と違って アナログの時代である
    テープ は確実に劣化する!!
    当時の オーディオマニアは
    その劣化を防ぐため
    劣化させたくないものはディスクすなわちレコードで保存する
    というのが定説であった
    レコードは聴くためのものではなく
    保存するためのものであった
    だから
    レコードに針を落とすのはテープに録音する1回だけ
    というのが 多くの者がとる行動だった
    私の場合 極端な例では
    いつも聞いているものは
    エアチェック(FMラジオからテープに録音すること)したカセットテープであり
    レコードは保存のために買ったもの
    (すなわち一度も針を落としていない!!)
    なんてものがある
    
    そ、そ、それが・・・・・
    気がつけば CDなんてものが登場し
    瞬く間に市場を席けんしてしまった
    昔のレコードを聴こうにも
    レコード針自体を もう売っていない・・・・
    
    あわてて CDに買い替え始めたものの
    数百枚にもおよぶレコードの同じタイトルを
    CDで買っていくなんて経済的に無理がある
    第一 CD自体が発売されないレコードがほとんどである
    
    自分が執着してきたものが一体何であったか・・・・
    
    おそらく CDも 永久に続く音楽媒体ではないだろう
    また次の媒体が登場し
    今のCDは ただのプラスティック円盤にしかすぎなくなる
    
    「本」の変遷はここまではないにしろ
    例えば今の本屋さんは今後の電子媒体の普及により
    大幅に数を減らしていくであろうし
    本自体 劣化しないように保管管理することに
    かなりの労力が要求される
    
    コストを考えないのがコレクターのコレクターたる所以だが
    それにしても
    長い目でみた時
    コストのかかりすぎる道楽である
    
    心のどこかで認めたくない と叫んでいるものの
    この時代の流れは認めざるをえない・・・・・・・・
    
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    名画をいつでも好きな時に観たいと
    映画のビデオを借りてきては
    ベータ方式のビデオカセットに懸命にダビングして
    ホームビデオ・ライブラリーを作った
    おじさんたち
    今頃 どうしているでしょうねえ・・・・・・・
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    
    こうして考えていくと
    物のコレクションという執着心は実にナン・センスに見えてくる
    
    
    
大切にすべき心の書斎
    
    話が 遠回りしてしまったが
    図書館としての書斎については上記の通りである
    
    しかし ここでいう「書斎」は
    サロン すなわち
    社会からも 家族からも 離れて くつろぐ
    あるいは 自分の気に入った作業をするスペース
    または ホントに気の合う友人達と
    社会からも 家族からも 離れて
    リラックスして語り合うスペース
    つまり 自分自身を取り戻すスペース
    のことと解釈する
    
    これは必要だ
    
    現代人は 仕事に・情報に・時間に と
    いろんなものに管理されており
    個人の逃げ込む場所が極めて少ない
    
    別の場所でも書いたと思うが
    ビジネスマンたるもの
    仕事と家庭の2つの世界しか持っていないと
    極めて 限られた思考しかできなくなってしまう
    しゅうおじさんのいう 心の書斎とは
    仕事でもなく
    家庭でもない
    もうひとつの別の場所
    自分だけがもつ自分の場所
    そういうスペースのことだ
    
    本当に物理的な書斎が持てる人は
    それを 心の書斎として
    自分を取り戻す 大事な場所として利用すればよいし
    
    会社と家の間にある喫茶店を それにするならそれもよし
    パチンコ屋やマージャン屋を それにするならそれもよし
    アスレチックジムやプールを それにするならそれもよし
    地域貢献活動を        それにするならそれもよし
    不倫相手の部屋を      それにするならそれもよし
    
    とにかく
    仕事(職場)でも 家(家庭)でもない ところにいる自分
    そこでは
    自分自身に戻れる時間が持てる
    そういうものを 
    心の中に
    生活の中に 作ること
    これが大切である
    
    もう何年も前の話になるが
    JR上野駅であるホームレスの人と話をした
    いろんな面白い話が聞けて有意義であった
    話しているうちに
    彼は実はホームレスではなく
    ある大企業に勤めるサラリーマン(管理職?)であることが
    わかったのだが
    休日は時々 一番汚い格好をして
    そこに来るのだそうだ
    その目線から
    (目線は誤りで正しくは「視線」だ などとガンコなことをいっているのは誰だ!!)
    見ると 人間というものがよく見えるのだそうだ
    
    ホームレスの中には
    仕事と家しかなくて
    何かをきっかけにホームレスになった人も多いという
    
    確かに ホームレスになっても
    ゴミ箱から日経新聞を取り出して読んでいる人もいる・・・
    
    私が話したその人にとって
    上野駅の片隅は
    本当の意味での こころの書斎 なのかもしれない
    
                         (JULY 25, 2001)