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2000年7月30日

へちまがたわわに




2000年7月28日

朝は午前休で社民党へ。三役会議室へひょこひょこと。昼、富士銀本店。当然、しんちゃんと。
夜、梶原営業。池袋で社の人にばったり、のみました。(2000年7月28日でした。29日のもう早朝、更新)




2000年7月27日

かっちょえー、おっさんマルコススザーノと。ショーロクラブのライブ、サバス東京。ボアソルチ!来週もね。(2000年7月27日)




共同通信労組、電脳突破党の一員としてあいさつまでしちゃった。(2000年7月27日)
4党合意NO!

2000年7月26日


水曜も昼国会裏集会。夜、JRに法的責任ありシンポ。

2000年7月25日

まずい、特製牛タンシチュー



火曜日、国会にて、ばすぼんとまずい昼飯、4党合意NO!の座り込みにちょっと。夜、中野、ビデオ国労冬物語の完成試写会。



火曜夜、ひきつづき大泉で、もいちと飲み。二人の母校の幼稚園前。

2000年7月25日




月曜日は、毎日労組のシンポから、早大ラテアメ部室1年生の「やまぶし」村松君としばし、高円寺の沖縄のみやへ。


2000年7月21日

 デオドラントな社会。柔らかい全体主義。宮台的にいえば、表象化しないから闘いにくいもの、とみやざきさん。。岡留さんが明快に。反「自公保」で結集しないと。憲法改悪も間近だ。

2000年7月19日

 あぶらぜみを今年初めて聞く。参議院で。首相官邸の林では大合唱。暑さが増す。

2000年7月18日

 なんか、充実感があると、手をやめてしまう。例えば、昨日は数通のメールが来ていたし、掲示板にも書き込み。「ぱかぱか」書いても小一時間は越えてしまう。そうなると、「なんかやり終えたぜ」、と燃え尽きた感じ。
 この感覚って、試験勉強をしていたときと似る。「成績がよかった」といっても、まんべんなくのように見えて、実は変動している。漢文を調べたな、という時期もあれば、物理の運動がおもしろかったり。高一の2学期中間試験の生物で30点だったら、ちっとやばいな、という意識が働き期末では、丸暗記大作戦だったり。今風な言い方なら、「興味、関心、意欲」を重視の教育。さて、その私の軌跡はなんなのか、知る由もない。いちおう試験が終わる。

2000年7月17日

 教育学原典講読の講義の受講者7人(ひとりお休み)に「17歳のバタフライナイフ」を配る。浅草サンバカーニバルに遊びに来てね、のメモを添えて。「おばちゃん」は、みなにシュークリームを配る。ビールでも飲みたかったすね。

2000年7月16日

 父が「筆談」をしながら、おれを起こす。入れ歯が口の中にはまったまま取れなくなったのだ。母は、近所の集合井戸の草むしりに出ている。前日に記したとおり朝方まで作業をしたので寝ぼけながら。ボーっとしたまま、突っ掛けで走り、呼んでくる。父の意図としては、ペンチなどでいいから手作業して欲しいようだが、やはり安全を期して「ドクター」に任せることに。自動車運転係りの兄をたたき起こし、祖父の部屋で山積みの新聞おきから、ねりま区報をさがす。母は、心当たりの医者に電話をする。私は、「休日夜間医療案内のテープサービス」にダイヤル。しかし、聞き取る能力が高いと思われる私でも、メモに困るぐらいはやい。かつ一度しかアナウンスしない。普通の人、とりわけ、取り込んでる時に聞く人は不自由しないのかな。あせっているからはやいほうがいいのかな。石神井庁舎に医師会の担当医が交代で詰めているそう。ちょうど、10時から開くので、うかがうむね連絡し送り出す。昼からは浦和でウニアンの練習。涼みがてら兄やんの車で練習場まで。暑かった。
 河童天国からおんじ。一足先に、一人で西浦和。ベンチで「1番線がないぞ」ときづく。欠けゆく月を見ながら、しばし眠りこくる。新秋津で電話しようか迷って階段を上るときには最後の人。駅員2人と車椅子の2人。「お手伝い願いますか」と。生まれてはじめて車椅子の人を持ち上げるのを手伝う。しこたま酔っているのでややつらい。途中一回休んで何とか地上へ。お疲れ様でした。西武線の待ち時間で入ったファミマ。「サバイバル」3巻を立ち読み。よみきった。小学生当時ならめちゃくちゃ怖いような内容だけど、科学的に考えると色々と突っ込みたくなる描写に気づく。

2000年7月15日

 つう、わけでこれを書いているのはまさに午前2時半。古い写真をデジカメに落としアップしました。やべ、かおばれしそう。もう雨が降らずに梅雨あけてしまうのかな。なんか、一昨日ぐらいから、カウンタの回りが速くなりましたね。宮崎さんのところではないから訪問者は、「けぇ察庁」関係者ではないでしょうけど。おつかれさんす。感想、投稿などをもらえたらありがたいです。
 さっき3人ほどに電話した。電話を終えてからふと。なんか切羽つまんなかったらやらない性格は変わらないね。多かれ少なかれみなさんそうだろうけど、ワシはそのまま、やらないことも多いように感じちゃうけど。つうことはこのまま40歳までまっしぐらぽいか。
 同期ラテアメ幹事長のヒロキーニョから今年のウニアンへの参加確率は「我々の年内結婚と同じくらいでしょう」だって。じゃぁかなり高いんじゃない。強気、本気モードよ。どうしよう、ヒロキに抜かれたら。いやね、競争主義の自分って。(笑)

2000年7月14日

 へちまが咲いた。裏の畑のきゅうりも花を終えて、膨らみつつある。
 せみを聞いた。この夏はじめて。私の大好きな「えぞはるぜみ」は今年は聞かずに終わりそうか。ふりかえみすれば、やっぱり突っ走ってきた感がある。4月からほとんど学校を休まず。(7コマのみ。)日曜日も衆院選がらみの活動などか。
 だらっと、山小屋昼寝モードをしたいな。でもサンバの練習、営業。こちらも「しゃかしゃかモード」。うむ。またウニアン夏合宿のあとは必ずいくぞ。行こうね。田畑屋は月曜休みだから注意ね。北志賀から千曲川沿いで直接、竜神温泉いきましょう。あ、書けばわくわく。怒涛の営業も全出席の予定。仕事は大丈夫なんすか?、と突っ込みたくなるよね。
 夏の終わりに、土日出勤で、パソコン更改する予定。(早い話新しいものの購入、ネットワークなどのセットアップ)これに対応するのがいつになるのか決まらないけど。代休含めて、うまい具合に作業日程をつくらないと。
 どう、いそがしい?なんていいながら横の職場の人と会話。「忙しいふりしているだけなんじゃないの?」とつっこみつつ。自分に関しては「暇なふりをしている」、と。職場のわきの新聞を読みながら、しばし戯言。「それはかっこいいね」、といわれる。そりゃ、かっこいいよ。
 今でもあるのかしらないが「授業中に授業を聞く」「試験前に勉強をする」などがかっこ悪いというのがまだあった世代なんだろうか。わしなんかは、不器用でかっこ悪いから、というよりやることが無いので授業を聞いてしまう。そして寝ることをしなければ、高校の成績は自然とよくなってしまう。ただ、この循環。
 ま、そのおかげか、「体制側に組み込まれたのたか」、ご存知のように推薦で商学部に入学できてしまったのだから、たちわりぃーよ。(太田チンのフレーズを思い出しちゃった)自慢するわけではなくて隠したくないからいうけど「評定平均値4.55」。
 その延長なんだろうな、大学も9割以上出席していたからね。陰の動機付けは、悪い成績を取ったら、自分の高校に推薦がこなくなる、という内なる脅しだったのかもしれないけど。だそくだけど、一文の推薦ではいる人で革マル派になる人がママみられますね。おれも暴れればよかった。(笑)日記なんだか、思い出話なんだかわかんなくなったな。ま、いいか。結局原動力がなんだかわからないように走っています。社が入る会館の地下一階からまた、食堂が立ち退いてしまう。結構愛用していたので残念だ。そもそも、共同が汐留跡地にいってしまうのが2003年から。それまでにはもぬけのからになっちゃうのかな。BOTMも9月には退去するし。共同も危ういか。

2000年7月13日

 だるい。単純に睡眠不足もあろうが、暑さが体にはまってこないのかな。外に食事をしに行きたいとは全然思わない。
 教育法制。結局戦後教育史をベースにみざるを得ないでしょう。教育委員会法、教育委員会公選のなされた時代。民主制の強い時代。クラスの女性にURLを教えたけどみにきたのかな。お便りちょうだいね。ロフトプラスワン。宮崎、別役本をまた5冊購入。「共同体」についてはこの夏にちょいと調べたいな。

2000年7月12日

 屋久島への振込み。7月末にはパッションフルーツとマンゴーが送られてくる予定。南の島にも最近とんといってないな。
「中核派の政権ができたら亡命するよ」とは、中核派系の集会に参加したばかりのあとで語った宮崎学氏の言葉。共同通信OB、同志社大教授浅野健一氏も同様のことを語っていたと記憶する。彼は、「過激派報道の犯罪」などでおなじく、集会の講師として彼らに協力的であるが。
 しゃあないな。僕もそのような意思表示をしておいたほうがいいね。スタンスをはっきりすること自体には意味が無い。中核派、革マル派などの革共同系の諸君のポリシーにも私も完全に賛同するものではもちろんありません。
 しかし、結局彼らが対抗しなければならない、枠組み。それに対する、いわゆる権力側のやり口が全くもって問題なので、連帯していく部分はありましょう。田中康夫氏がいうように「孤立を求めて、連帯を恐れず」です。確認しておきますけど、ひと昔前の運動の精神は「連帯を求めて孤立を恐れず」。この順番を変えた言葉。
 トラメガをもってアジルこともできなくなる早稲田大学。授業の邪魔になるから、うるさいから。うーむ。別の友人からは、「おれは盗聴されるようなことをしゃべっていません」から。
 うーむ。いいんです。あなたはきっとすばらしい「個人主義者」だから、見事に自己の主張をされることは(もちろん皮肉をたっぷりこめていっていますが)。でも、その担保される社会の枠組みとして「めちゃくちゃなまでの自由」を保証することなしでは成立し得ないでしょう。
 かつ、あなた自身が行わなくても誰かが代替してそのようなことを行っている社会に私は生きているわけです。ぶっ飛んだ発言で言うならば、小林よしのりの発言さえも「私のもの」といっても構いません。時代の産物という意味合いでは。(この辺は、とんでいるので説明はまたいずれ。でも、デューイのさす「社会的な生命」はこんなような考えだと思う。)
 彼らは「過激派だから」、「うるさいから」。であるからこそ、素晴らしいのであります。「宮崎学信者」と最近言われましたが、私はそんな風に思っておりません。仮に日本人すべてが彼の指向になったなら離れるでしょう。ま、アウトローたる、彼自身もその立場を嫌がるでしょうし。仮に日本が共産主義国家になるとしたら、私は、徹底的に天皇主義者となって「日の丸・君が代」をほえることになるでしょう。
 少数派であることが気持ちいい。まだ、断言するのは勇気が要るかもしれません。でも、少なくとも、他者の圧倒的な多数者観を感じた過去からすると、宮崎さんの言葉がぶるぶる響いてしまいます。ピュタゴラスにはまったような感じです。河出書房新社の「文藝」なんて雑誌買っちゃいました。宮崎学インタビューと、赤軍・足立正生の手記などが特集。沢田けんじ主演「太陽を盗んだ男」を話題に職場でしばし。今度ビデオで借りて、みなおそっと。

2000年7月11日

 今日は箇条書きで。さぶちゃんから電話。ばすぼんとルートビールフロート。実は結構はまりそうだったりして。民法では名前の長さは決まっているのだろうか。銀行名義人の長さは。DBを設計する側からすると絶対その大きさは決まっているはずだろうけど。社会制御の観点。

2000年7月10日

 噂の真相8月号発売日。岡留編集長の編集後記。私も聞きにいった、先日6月28日早大でのシンポジウムについて。政治的なしらけ、無関心の中で、抗議文も書くし見直したと。これしか、こんなにも「も、しか」の論争ではないけど。そのようなみかたなんだな。もっと肯定的にとらえることもできるのだと再認識。「創」8月号では篠田編集長はまた違った見方。真っ暗けなのには変わりないかもしれないが。その開き直りが大事。
 反省しきり。7人ほどの講義では、「勉強について」やや雑談ぽく。受験勉強なんかやっているときに、何でこんなことやっているんだろうと考えたりした、と。うむ。発言はしなかったけど、結構わしなんかやり始めると乗りやすいので、やっているときにはあまり感じない。むしろ、何にも刺激が無いようなときには、どーんと落ち込んでいたな、と思い出す。
 フリーター、はたまた、若者のカラオケなどには、「楽しまなければやってられない」という享楽さが伺える、と山崎さん。それは、仕事の後の「ストレス発散飲み」をするオヤジのようだ、と。すかさず、私が「オヤジ」視され、「おれはそんな解決はしない」と、小さい声でつぶやく。(笑)聞こえてないか。
 レポーター氏の友人の「青学」君が、飲み会で破滅的な飲みをしている、と、友人の「オヤジ化」を指摘。これを読む人は、「飲み」のイメージはいかがか。私の原点は、北大けいてき寮的な飲みだね。あくまでも一つの道具なんだから。もしくは、おいしく飲みたい、という。それは、やっぱり自分の味覚の反応なんだろうけど。
 それとはべつで、日記を更新しよう、とは思いつついいや明日で。そうなるとだらだら。連続写真からアニメを作るのを適当に試みるが未完で午前2時。むむむ。生きている意味自体を考え直すことにはならないけれど、なにやら反省。そう、いえなかったこと。短期的な利益に終始するということは、そのスタンスしか持ち得ないこと。で、それは中長期的な利益というもあるんだけど、結局は自分の産業、仕事でどういうことをしたい、ということが明確でないことのほうが問題なんだろうな。
 TBSアクセスで田中康夫氏。いくら賃金が高くても虚しい仕事のままでやっていけるのか。賃金が少なかろうと、仕事の充実感でこそ生きていけるのだろう。単純な二者択一ではないけれど、両方とも向上を目指すことが望まれよう。しかし、こんにち高賃金は望みにくくなる中で。どこまで。

2000年7月9日

 二日続けて、よっぱらった、よっぱらった。ウニアンの練習メモに重なってしまうので避けますけど。楽しく酔う。老若男女。ページの更新をしたかったけどそれはそれ、楽しいひとときゆえ。

2000年7月8日

 台風はいってしまった。起きたら晴れ間。朝日ニュースターの愛川欽也の番組。雪印をはじめ企業、組織について。日産自動車の経営陣がゴーンにかわったときのことを引き合いにして。「その直前の日本人経営者は、結局車が好きでなかった。好きでもないことをやっている経営者の退場だった」、と。雪印の社長は経理財務あがり。財務の数字でしか経営ができなかったことが指摘されていました。3月に紹介したメディア論水越さんの言うように「テレビをつくりたい人がもっとメディアで活躍して欲しい」と重なる。もちろん労働条件の改悪にはもろ手を挙げて賛成しにくいが、「高い賃金」だけが目的で働いている状況が、いまだメディアには蔓延している。そういうあなたは?、という問いには甘んじて受けるほか無い。私の腹には、たぶちよしお氏(生物同好会、陰のOB)の言葉がまだ残る。(小学館刊森からの手紙など)氏が「対抗文化の人」なのだろう、と最近きづき始めた。16のころにわからなかったことが見えてくると面白いものである。一人、飯田橋で飲む。辛口の酒。二合徳利なので酔う。白みる貝、さつま揚げなどもうまし。一人酒なんざめずらしい。なにかあったのか?

2000年7月7日

 雨、台風対策。今日の会議の準備もあったので、早起き。朝っぱらのTBSラジオ生島ヒロシの番組。あいだみつをの「おことば」を聞いてしまった。自分自身を見つめろというシロモノ。朝っぱらから憤慨で目がさえる。その自分自身にはやはり、「他者のまなざし」が含まれるのはアリではないか。その他者性をどう考えるか、ということなんだ。見つめる自分自身に「他人の評価」がある。それが完全に「隔絶して存在している」なんて思い始めるのもいかがなものか。結論、他者のまなざしを受け入れることにしか自己は形成されない。その自己に取り組む「他者性」を意識する必要はある。では、意識する主体はなんなのか。やっぱり自己はあるではないか。そう、そのぐるぐるまわりなのであります。
 物置から、ゴアテックス製品の雨具上下、軽登山靴。さすがに朝方はまだ雨が降っていないので靴は履かずに背中に。8時前の池袋駅「こんなに混み合うとは」と驚き。皆さんおつかれさんす。
 まだ、雨は降らない。昼飯の食堂で連れの人が「1.5」ください、と。これが「おかずのこと」とは忘れていた。卵、納豆、豆腐をつけて、1.5の鯵のたたきで大盛り。めっちゃ腹いっぱい。ごっつぁん。コーヒーシェイクを喫茶店でこちらは僕の出費。あいだみつを批判を延々としゃべる。お付き合いありがとうでした。
 ニュース23の映画紹介コーナー。オルフェは紹介されず。「昔の作品のほうがよかった」とは、おすぎ。

2000年7月6日

 ばすぼんと昼飯。おかわりご飯を百円取られた。本当に百円もするごはんなら食べたいが、とんかつ屋にしては珍しいか。角川争議への支援金、沖縄タイムスの購読料の振込み。
 よく本を配った。共同労組の大会議案書を40冊ほど。事務職場(総経班)は2、3、9階に分かれているので、いい運動になりました。やっとこさ戻ってきたら、三一書房労組の出版第一号。10冊ほどをカンパを兼ねて注文。宮崎総裁の本は読みきれないほど出版される夏です。
教育法制が終わったあとに、学食で夕食。小学校の非常勤講師の人と。今週、東京都の小学校採用試験がある方。父母会の雰囲気、学校図書館、コンピュータの利用などについて聞く。でも、実は一番驚いたのは、俺より年上だと思っていたのが、実は、一つ年下だったこと。失礼(?!)しました。

2000年7月5日

 佐賀県伊万里市の市民図書館の発想は面白い。「滞在型」を指向している。一般的に多くの図書館は「情報を受け取る」という発想だ。しかし、ここでは、循環するものとして存在しているように見える。個人的な「学習」のみならず、ホールなどがあるので発表の場としても、また、工作室があり、実践の場にもなっている。そこで、また課題も見つかるので学習に取り組める。当然、「勉強」だけではないので、リラックスして読める工夫もある。低めに設定される書棚は圧迫感が少ない。書棚の途中に座って読める工夫。美術書など大型本を読むには広い机。授業で使用できるように、教員がビデオ編集などもできるという。
 ここには参加する、発想を持っているのだろう。金がかかる、と敬遠しまいがちだが、使いどころにより「学んで参加する自治」の原則がここに見られる。そのことを、憲章としてうたい、再確認がなされている。

2000年7月4日

 どしゃぶりがあった?。私は全くぬれない、傘をささずにすんだ。年休。午前は朝霞校舎で一部の社会文化思想史。あらかじめ、教員にメールで行きますと伝えていたので、迷わず教室へ。明らかに若い。平均年齢、20歳弱。一番前でフムフムとあやしい親父(私)がうなずく。終わった後に、教員の研究室でしばし雑談。「社会思想史を学ぶにはどんなテキストがいいのでしょうか」。「結局は哲学史を学ぶことになる」。ということで中村雄二郎さんの「思想史」を薦められました。マルクスに関して、「新マルクス事典」を出された柴田さんの講義でした。社会思想をやるのなら、やっぱり哲学史だね。彼の土俵に引きずり込まれたか。

2000年7月3日

 青空が見える。あつい。指、特に左手が痛い。昨日のウニアンのメモに書いたのだが、なんだか記憶力が衰えてきたようだ。会話したこと、場面は覚えているのだが、中身、というか名前がもう覚えられない。よほどのインパクトがあればいいのだが。えらくだるい。かぜ。まさか食中毒。単なる疲れか。昨日の疲れか、暑さか。もうだるだる。ほんとは、昼間に先日忘れた携帯電話をとりに行く予定も突然キャンセル。夕刻まで、飲み物などでつなぐ。ヨーグルトドリンクを飲む。会社で飲み物を買うのは久しぶりか。
 私の席は窓から遠いほうだ。派遣のお姉さんが窓より。夕刻に土砂降り。窓際のプリンタに用紙を取りに。席に戻る時に、私の嫌いな財務部長Tが手招きする。横の財務部はさらに内部。「何であけているんだ」。主語が無いのでよくわからず。「は?」。
 どうも、窓を派遣のお姉さんが開けていることが「いや」らしい。「おまえがいえよ」と、腹の中で。口から出た言葉は「自分で言ってくださいよ」。「だいたいあんな薄着だからいけねえんだよ」、とぼやいてました。
 大学はなんとか。1限はでたあと、ロフトプラスワン。酒は一滴ものまず。ジンジャエール、ウーロン茶などでのどを湿らす。宮台氏が「G.H.ミード」をひきつつ、コミュニケーション論のはなしなど。横に座る知らないお姉ちゃんは横の連れに、「50年前のアメリカのはなしなんか・・・」。昨年の社会学史でも習ったミードは、社会学、社会心理学などでも、いまでも必ず引き合いに出される、古典の人。古典の人は今だ、研究に対して「提供するもの」をもつもの。だから、商学部の経済学説史の講義で大森君も言ったとおり、資本主義研究ではマルクスの右にでるものはいまだいない。捨て去ることはできないのです。捨て去るぐらいの枠組みをあなたが作るのなら別ですが。私は、シカゴ大学でミードとともにしたデューイを眺めようとしているが、まだまだ、というか、はよ、とりかかれ、という感じです。

2000年7月2日

 ウニアンの練習に久々。人前でしゃべる職業をしていたり、おとといの会議でもしゃべったのだが、なんか、非常にまとまりのつかないはなししかできないな、と自己嫌悪にもならないぐらいの気持ち。私のパート、カイシャ、「2年生」は女の子しかいないけど、お世辞ではなくて、とてもたくましく見えました。

2000年7月1日

 あち。半ば酔いどれながら、祖父のへやで冷房にあたる。ノートパソコンでレポートを書き(たたき)ながら。