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2000年9月30日

 まずは昨日の訂正から。TBS深夜のスーパーサッカー、小野しんじを特集。福島Jビレッジでテレビを見ていたとのこと。

 「青空だよ」、隣の部屋で父の声。布団でも干すか、と考えながら、今日の行動予定などぼんやり、そしてうとうと。大泉図書館で本を借りて、ヤマダ電気でLANカードを眺め、富士銀のATMで金をおろして、OZの眼鏡屋でものぞこうか、と。ふんで、めっちゃちらかる部屋から教科書などを「発掘して」、池袋のさくらやでLANカードを見て、大学まで歩こうかな。それに大泉の行動を全て歩いたら、結構な運動量だな、ふんふん、と。でも起きるなり、雨。結局パソコンのぞいて、新聞をまとめよむ、全然動かない、いつも通り。西澤会の連絡通知。しかし、生物同好会の50周年行事と重なる。当然そちらを優先。先生にもしばらくお目にかかっていない。
 お気に入りにはる、野村一夫さんのサイトを友人に紹介したので、ついでに読み返す。なんだ、最近オレがしゃべることはここに書いてあるんだな、と。受け売りといえばそれまでだが、その考えが、私の思考をつくっているのか、と。演習の時間でも、そんな体験。おれも、すっかりプラグマティストになったのかな。本駒込でブロイのボトル。飯田橋「ココ壱番」秋限定の鮭フライカレー。東池袋から酔いざましに歩く。西武線では熟睡。「ホームページ作成困ったときのトラブル解決辞典」を5分の2ほど読む。再学習、というより、一からね。
 レポートを書くために読んだ本で絶賛されていた、「図書館の誕生」を大学図書館で手に取った。延滞したのでペナルティのために借りれなかった。でも紹介に違わず、なかなかひきつける。元新聞記者が、ルポ仕立てに。40年前には当たり前ではなかった、今日の、公共図書館のサービス。30年前に英国で見聞し、日本の「新しい」公共図書館づくりに奮闘した「志士」たちの姿。明日こそ借りに行こう。外は雨音だけどな。新しくつくられた、N君のサイトをまじまじ読む。なかなか面白い。彼は公開しないのかしらん。ケーブルテレビのゴレンジャーとR指定の映画を横目に。

2000年9月29日(おまけ文書付)

 福田、市川、南。9月も実質今日まで。職場の別室にサッカーダイジェスト付録の2000年カレンダーがある。今年はオリンピックイヤーということで、昨年の予選で活躍した選手たちがモデルだ。しかし、9月を飾る前出3人の選手は、オーストラリアの土さえ踏むことができなかった。彼らは五輪の期間なにをしていたのだろうか。
 生物同好会の格闘技好きのやつが同好会の掲示板に書き込んだ情報が、カレンダーの面々と関連付ける。ブラジル戦、アメリカ戦、ちょうどその時間に、シュートボクシングなどを観戦していた選手がいる。「落選して一番悔しい」男、おのしんじ。そりゃ、テレビにかじりついて見る理由がないもんナ。昨日の札幌戦で敗れたけどスポーツ紙はトルシエがアジア杯での構想の中心とすると書きたてる。しかし、体が万全でないのが気にかかる。私個人はシーズン前に「J2でもまれろ」と思っていたが、今は???である。歩くのもままならない体でプレーするのは痛々しい。
 昼休み、オリンパスギャラリーにばすぼんと。デジカメの修理があがる。レンズと、本体前面が交換される。出入りがスムーズ、かつ、右手の手触りが滑らかで以前と全然違う。1月に買い、8か月ほど。かなり酷使したもんな。でも、これでまだまだ現役に使える。修理費は2万円ほど。しかし、さくらやで購入時に保険に入っている。本体の3パーセントほどだから1000円ちょっと。これで、95パーセントが返還されてくる。これもなんだか、おいしいような。
 10月にパソコンを更改するのにともない、社では、バックアップを取ったり、ディスクを整理したり。ディレクトリの奥から、昨年の今ごろにこしらえた文章を発見した。これもなにかの縁。もしくはゆかり。運命ということばは嫌いだけど、「縁、ゆかり」はなにかしらしっくり自分の体にあう。まとまった論ではない。(いつもそうか、笑)ただ、あのころのメモとして。ウニアン総会、早稲田での話し合いを受けたものだと思う。結局公開しなかったけど、ガジンなんかには見せたような気がするが。

:::99年9月20日のメモ:::
 「解散、来年不参加、いや、継続だ」と、意見が続出する。このままでは、まとまらない、もしくは、何かしらの結論が出ても、空中分解するのでは、そんな印象がする。もちろん、そういった混乱が決定的にいけない、というわけでもない。

 全く、別のところから眺める。
 僕個人のウニアン(ユニオン)の原点は、「バツカーダはたのしいな」。こんな時に、申し訳ないが、今でも、このレベルになってしまう。アマドーレス(アマチュア)の語源、それは、その対象物への「愛」だと、聞く。お金とか、優勝したい、これももちろんついてくるのだが、決して「お金をもらうため、優勝」、そのものが、楽しいということは、どう考えてもありえない。
 よく対比される「プロ意識」。日本サッカーが、アマチュアの限界として、84年ロスオリンピック、86年メキシコW杯、それぞれの予選で敗退していくのを目の当たりにした。それを受け、まず、選手契約がプロ化し、ブンデスリーガで活躍していた奥寺康彦や日産自動車、日本代表の10番、木村和司が「プロ選手」と呼ばれた。そして88年ソウルオリンピック予選の敗退を経て、トップリーグがプロ化していく。
 雑誌などでは、「プロ」がもてはやされ、「アマ」が劣るというのも見受けられた。しかし、同時に根底にあるものは同様だという意見も見られた。いわく、「マラドーナ」ほど、ボール、サッカーが好きなやつはいない。(すいません、僕らの時代のアイドルで)
 「犠牲」という表現。マスコミの表現で見られるが、別の言葉であらわそうとすると「いけにえ」。因習の話としては、安全に橋を造るために例えば、生きた人間を埋めるなど。今日の意味では、飛行機事故などで「亡くなった人」が、そう呼ばれたりする。しかし、なぜ「犠牲者」なのか。私は、小さい頃から、疑問に思っていた。
 要するに、生きている人(もしくは、後世に生を授かる人も含む)、この場合は、とりわけ「飛行機産業」にかかわる人間が、その再発を防ぐ手だてとして欲しい、ということになろうか。では、一見、全く関係ない新聞読者、その他大勢はどういう風に関わるのか?素朴な疑問である。
 私の考えでは、個々人が、同時代に生きるものとして、その飛行機産業の「監視」をする役割、世論となることかと。そして、そこから普遍化するならば、直接的には関係できないかもしれないが、「批判の視点」を怠らないことが、想定される。その精神は、とどのつまり、日々の我々の暮らし、学校、職場、地域社会、どの場でも発揮されることになるし、されねばならない。
 個人の思いと組織の行動は、どんな風に考えることができるのか。組織としての動きに対して、例えば、また、ウニアンが浅草に参加したとして、「世論」など様々な反応が生じるだろう。
そのことをどう考えるのか。私は、「どのようにあの事故をとらえているか?」が、そのカギだ、と改めて思う。
 僕自身の理解としては、「彼の自発性」がなしたとすれば、誤解を恐れずにいえば、最大限の賞賛を込めて「大ばか者」と呼ぶ。「自己決定」「同調圧力」など、私自身も考えようとする、現在の日本社会のキーワードがある。このへんとの関係性で考えている。では、「自殺」したり「犯罪をなす」、未成年なども「自己決定」と考えてしまうのか、といわれそうだが、これにもズバッとした答えを見出せない。
 しかし、少なくとも、「飛び込め」というものがなかったと考えられる以上、私は、決定的な「集団」の責任を考えにくい。だが、集団として、スタンダードとなる行為(例えば、泳ぐ、全裸になる、大量の飲酒など)が、蔓延していたこと。そして、その行為が危険の度合いを高めること、に無関心、不注意であったこと。この倫理観ともいうべきものが欠如していたことは、程度の差はあれ、各人が思い当たるものがあろう。私は、その延長として考えている。だから、「集団における倫理観」、および、「個人の判断能力」を、高めることを徹底すべきだと思う。
 今回、「反省」が、各自で行われていることと思う。しかし、それが、何に向けられ、また、事故や「倫理観」に自分がどう関わっていて、形作ったことになるのか。簡単に言えば、「個人と組織」の関係性といえようか。その整理をきちんとつけないことには、「解散」をしたとしても、もしくは「あなた個人」がウニアンをやめたとしても、何ら、「今回の反省」があったことにはならないだろう。そして、それこそが、「犠牲」という表現が、空虚になっていくような感じがする。ある人間が酔っ払って、帰り道で自動車にはねられるのとは、わけが違う。あくまでも、ウニアンの支配する空間で起きた事故であることを忘れてはならない。
 僕は、構成員が、その自覚がありさえすれば、乗り越えられる問題と、今は考える。他人(世論)がどう考えようと。しかし、その自覚が無いときには、それこそ「再発の可能性」をおそれ、断固とした処置をせねばなるまいとおもう。残念ながら、現在の日本の反映であることは、様々な場面をみても当然であるかもしれない。(私個人のサンバをはじめるきっかけは、極論すると「日本社会批判」からはじめたつもりではあったのだが。)
 「反省無き」、日本社会。戦後処理問題などをはじめとして、自らに跳ね返ってくるのを、考えることすらできずに。(そりゃあ、考えるほどの想像力があればもっとマシに考えて行動できるだろうね)
 「営業における衣装の着用」、えなが、総会で、渉外の立場を語ってくれた。彼女の立場、商店街の思惑、普段思いを馳せないところがよくわかった。いっぽうで、「スイカを頭でかぶるやつ」に象徴されるように「その窮屈さ」を耳にする。確かに、「浅草のイメージ」での衣装の統一がされれば心地よい。されど、今年も見られたように「衣装の崩壊、管理」など問題も持ちあわせる。突然来るOBなど、めんどくさい処置があったり。「お金を高くもらうのだから」、という言葉は、どうにも私には響かない。「衣装を着る約束になっているのだから」とすれば、契約の考え方としては納得する。「自由度」を大事にすること、しかし全く統一性なくバラバラの印象を与えること、ここも線引きが難しい。というところで、日本的折衷案ならこんな感じか。
・高額で「衣装を着てくれ」というところは、すんなり従おう。自由度はそがれるかもしれないけど。
・「何でもいいよ」、と理解を示すところはゆるやかに。そのかわり、テンションはかなりあがりまくらんとならんか。
で、なにより、本来は、どんな状況でも「マックスまでテンションをあげなければならん」ということにはかわらない。しかし、我々の行動は、また「ある環境の反応」である以上、避けて通れないところはあろう。(これは、普段の練習などでもいえることだがex久々に来た人がいてうれしい、めちゃうまい人のとなりで燃えるなど)「火事場の馬鹿力」まで、「意識的」に高めること、そしてその度合いを高めておくことが必要だ。私は、99浅草は終わった後に、これまでにない手の痛みを感じた。やってるときは、ほとんど感じなかった、ということだ。
:::991009に向けて:::
 基本路線は、草場のいうような「学生のもの」に私自身、帰着したように思う。そして、「討議会」を持つ、「2年目、幹事−運営」方式だ。「コミュニケーションがない」といわれていた状況は、今回の話し合いなどを見れば明らかなように、(きわめて楽観的ではあるが、)変わるきざしが見えたのではないか。
 さて、私のイメージは、幹事(執行者)が、幹事会などを通し、「大枠(グランドデザイン)」を決める。それを、「その他」の人が集まる場(討議会)で趣旨説明を行う形式。その場では、がらっと変えてしまうのではなくて、あくまで、幹事が決めたものを「生かす」ことを主眼にする。ここは、もちろん難しい。だが、先の総会でもこの辺を具体的に示した例があった。
 もりやすが「99年じゅんじゅんの山車」に対して「すごい」と思った。「でも、作り方がわかりません」と続けて言う幹事に「あれや、これや可能性を探ろうとした」行為。また、石井では、ダイヤブロックのたとえ。「簡単に買い与える」ものではなく、「ダイヤブロックさえ作ってしまおう」という、幹事の気持ち。これに対して、その他の人は「知恵、表現」を傾けたい。
 「表現がさらされる」ことは重要な事だ。この夏終わりから、私は「様々な気持ち、個人の思いを言語化すること」を、ホームページなどで訴えた。このことは、そこでも語ったのだが、「言語化」する事により、その「形にならなかったものが」批判にさらされる客体となることを意味する。その批判というのは、「決して表現した人間をおとしめよう、困らせよう」とするものでは決してない。また、あってはならない。その題材に対して、他者が関わる材料になる。また、当然のごとく、その主体と思っていた人間が「反省する」契機にもなる。「ほんとはこうしたいのだ」「いや、なかなかいいんじゃないか」などなど。その討議会がこのような雰囲気になるようだとなかなか楽しそうではないだろうか。
 むろん、つたない、この私のメモもその一環として「広くさらされるしろもの」である。「これは、まったく空理空論だ」、「俺ならこうやりたい」などなどご批判ご意見をうけたまわりたい。
「おれのできそうな事、情報伝達について」
 例えば、討議会で使う「レジュメ」「山車のデザイン」など「公開できるもの」をもらえれば、文書そのまま、もしくはスキャナでとりこむなどして、ホームページなどで公開する。また、個人で扱えない人には、さすがに各大学であつかえる人が居るであろうからプリントアウトして部室などに掲示してもらう。電子機器が使用できない人には「ニュースレターとして」郵送するなど。基本的なイメージはこんな感じだけれど、本来「ゲリラ戦」が好きなので各自が勝手に取り組むなんていうのも面白そう。
ついしん:
国会や、労働組合の運営にイメージをオーバーラップすると
2年生は国会議員、または中央執行委員
「その他」は、国民、または一般労働組合員。
「提案するもの」は、「法案」または「運動方針、実行しようとする策」
「討議会」はそれに対して、「国民の声を聞こうとする、公聴会」または「職場集会」
残念ながら、現在の日本の中央政治は、形式的にはこうなっているが実質は・・・。民主的な運営は、このようなところを目指していよう。
(了)

2000年9月28日

 お昼にご飯の、約束。先日、浅草サンバでビデオを撮ってくれたテレビ部員と。ノーギャラだったので、反省会を兼ねてご馳走の予定。しかし、直前にキャンセルの電話。ルーチンの事務系とは違って、「現場」は動いているんだな、と。雑誌「創」とサッカーの本を伝票にて、地下の流水書房で購入。後者の感想はいづれここに書こう。すでに貸してしまったので、手元にない。貸した相手は浦和市民のレッズファン。首位札幌との決戦が夜。「浦和の勝ちしかない」と豪語するので、それ以外だったら俺の勝ち。昼飯のかけ成立。結果はVゴール負け。負けたことを追求しながら、ご馳走になろう。に、しても、3位大分との勝ち点差2。残り8節、目が離せなくなってきたぞ。
 長野県知事選がはじまる。フロントにリンクを張る「たなかのやっちゃん」に注目だ。既にMLには入った。本日発売、女性自身に登場すると聞いていたので立ち読み。女性週刊誌は、目次がどこにあるのか、いつも探してしまう。5ページほどの記事。クリスチャンである、両親の話しを中心に記事は展開。昨日のニュース23では、オール与党の代表候補の後援会長が「大阪の二の舞は踏まない」、といっていた。田中氏の、噂の真相連載などの、「下半身ネタ」をさすようだ。しかし、「きちんと処理できて」(笑)それを書き連ねるのと、ストレスが昂じての、「おやじエロ」とは次元が違うように思うのだが。前者はある種「パイオニアワーク」(←自分でこう書いておいて、あとでどう反省するのか。)であるのに対して、後者は単なる、「弱いものいじめ」というべきものか、と。教育改革国民会議のそのあやこ先生はなんていうか知らないけど。やっぱ、道徳だね。(笑)
 クライアントのインストールがおやつ時には終わる。システム会社の人にまかせたモノ。俺だけ、ノートパソコンなんだな。来週の休みの日の作業日程を確認。確定していないが、10月8日はどうやら休みになる。高田馬場祭りに出られるぞぉ。翌9日は出勤。ただし、サーバ−などの設定は一発勝負だから、楽観はしないけど。一昨年時は2泊したし。「世界餃子デー」なので、大学にいく前に、近所の中華。しょうゆをかけず、酢のみで餃子。ゴマの入る皮が、よく味わえる。
 というわけで形容詞、形容動詞を使わずに文章完成。(だよね。あったら教えて。)クリエイタ−養成学校では、こういうことをやるらしい。本日の情報化社会と人間の講義で教わりました。ちなみに、課題のお題は「暑い夏」。でも、俺の文章は結構ぶっきらぼうの体言止めばかりなんだよな。うん。

2000年9月27日

 秋の青空。からっと、している。ワイシャツの長袖もまくる必要がない。昨日、ひげをそる。ネクタイを久々に着用。知らない人に会うときには馬鹿丁寧なのが、俺流。というか、そうなのである。システム会社のインストール部隊が3人来るので、待ち構えるため。午前、争議中のサブちゃんから、ニュースレターが机の上に。早速読んでいたら、朝届けに来たと電話。山登りの時のエピソードが、「らしい」。生物同好会のパーティで会おうと。昼、レポートの最終校正。ほんと、ただの作文。午後、在京中央委員会。この秋にも予定される総合メディア局の新設。組合提示が、いまだなされず。当該職場にも話しが詳細には伝わらず。その議題では、該当する社内各班から、珍しく(?)声があがる。議長としても発言がいろいろあって振ることができるのはのはうれしい。しかし、先行きどうなるのか。現場に活気がないと、職場は立ち行かない。
 「自分が何をしているか説明してください」。容赦なく50近くの経理部次長にいいかえす。イレギュラーな処理にたいする仕訳にたいして。俺がわかっているから、(←えらそうだな)いえるのかもしれないが、自分が何をしているか、わかっていないんだな、と気づく。だって、その仕訳を書いているんだよ。もしこの事例が教科書的ならこうなりますが、実務でやる場合はこういう答えもあり。そのなかで決定する面白さはあるのだろう、と。でも会計はやっぱ面白くないんだけど、ま、飯のたね、か。ちなみにいうと、わかっている人からみると大したことない話しです、念のため。ぼくは簿記3級です。
 「すいません聞き取れないのでもう一度お願いします。」。電話を受けて思わず、問い返す。金ちゃんから。稲ふじMスタとれました、と。いつ以来だろう、バンドの練習。竜ちゃん率いるはせがわ一家。練習しなきゃ。回せないけど、愛用したタンボリン。さびさびか。インストールはすんなり終わる。地下鉄を上がると本駒込が真っ暗。前期はずんずん明るくなっていったのだが。ここにも秋。帰りにグランドビアを飲みながら。製造が6月下旬。なくなっちゃう前にのんどこっという感じ。結構、酔う。我慢して家の近くのちゃんぽん。これを食すのも前期以来。ここのはうまい。待ったかいあり。やせ細ってしまったネコが出迎えてくれた。

2000年9月26日

 出勤時、大泉小の運動会。ぼくらのころは休日にやっていたのに、雨の順延だろうか。赤、黄、青、白。4組に分かれていて、ブロック対抗の形式は変わっていないようか。私は、6年の時にブロック長。自動的に、応援団長。しかし、黄組は、私が在籍した6年間は優勝したことがない。うんこ色。案の定、どんけつ。翌日の休みをはさみ、黄ブロック応援団の使用した笛を担当の信夫先生に返却。「順位はビリだけど、返すのは一番だなぁ。おい、おまえはやく集めろ」、とそのクラスのブロック長に叫んでいた。ほんと、どうでもいいことだけど。信夫さんは、私を誉めていたのか、よくわからんが。死ぬまで忘れなさそう。でも、このへんの経験で、「長」のつく役はこりごり。トラウマ、か?
 南北線が開通!。でも、始発でないのですわれなくなりそう。早速、麻布十番にいって来たおじさんが、まめ源のおせんべいをお土産に。そういや、久しく、麻布十番にいってないな。サンデー毎日、ホームページ作成に関する本購入。夜、レポートした書き。エディタは文字数が一目瞭然なので便利。それにしても、鉛筆、紙で文章を書かなくなった。まずいな。それでも職場で「仕訳」を考えたりするときには、紙に鉛筆。これは変わりようがなさそうか。

2000年9月25日

 これぐらいなら書いても平気か。よい子は読まないでね。ものすごく欲情する夢をみて起床。体もきちんと反応。理性ではなんともないのだが。対象相手は架空の人物です念のため。デジャブになるのか。なんなんだ。どうぞ、勝手にに心理学してください。(笑)
 厚生部にて非常食をもらう。賞味期限が切れるため。カロリーメイト風の食料。アルミのブランケット。結構長蛇の列でした。ジャイアンツ優勝。新聞協会長、ナベツネオーナー男泣き。人生で泣く機会はそうない、とのこと。いやぁほんとによかったね。ON対決が楽しみだ。あぁ、ほんとよかった、よかった。一般紙(朝日、毎日、産経、日経、信濃毎日、赤旗)と、東京中日スポーツは、マラソンが一面。ジャパンタイムス、読売とも、マラソンが大きく、セリーグは小さく、一面。ジャパンタイムスのほうが大きかった。スポーツ紙(日刊、スポニチ、報知)と称するものはちゃんとジャイアンツを飾っていた、よかった、よかった。2001年度の予算要求でCD−Rが購入候補にあがる。いやぁ、よかった。
 メールが正常に表示できないことに関して、特殊記号が原因と書いたが、ちょいとその根拠を見つけられず。ネッとで探したほうが早いかも。とりあえず、職場にある雑誌から。日経オープンシステム1999年2月号の138ページを参照した。1、本文にISO−2022−JP以外のコード(シフトJISやEUC)を使う。2、半角カタカナ、機種依存文字を使う、など。すまん、嘘言ってました。
 教育学原典購読は後期の順番を決める。早く終わる。サンバの様子を見せるためにパソコンを開く。(←なんで持ち歩いているんだ)結構驚かれた。やっぱりデジタルディバイドなのかな。MP3も知られていなかった。ふんで、やっと、レポート用の本を読みながら帰り道。自宅にて<META>タグを調べる。やっぱネットは便利だ。さて、どこまで読めるか、お楽しみ。

2000年9月24日

 ウニアンの反省会、ヒロキーニョの引越しと行くべきところがあった日。ほんとはレポートをやるためにあけておいたのだが、結局全くやらず。ま、こころの安寧のためということに。日記、新聞の整理。やっぱり7月以降の生活はエネルギーを割いていなかったところがあったなぁと気づく。じいさんの部屋で、ともにうたた寝。もう夕刻。夏物の衣類を整理。今年も袖を通さなかったTシャツが多数。靴下のローテーション。サウージサウダージを聞き、まったり。ボサノバ特集だからさらに。確かに、89年、90年の現役時代はとりわけ体に応えたような。今は、きわめてしみじみ聞き入ってしまう。先日あったおり、やすろうの彼女マリーサも日本に来たばかりの頃、サウージサウダージが終わると、故郷を思い出したり、物悲しくなる、といっていたのも印象的。仕事が翌日からまた始まるのも大きいけどね・・・。
 買い物に行った父母が帰ってくるのでネコの番をいれかわる。明日からの教科書を購入しに駅前のパルコブックセンター。汐見稔幸著「親子ストレス」平凡社新書。それとは別に笹澤豊著「自分の頭で考える倫理」ちくま新書。月刊誌のコーナーでも先ほどの感覚。全然読んでなかったなを実感。しばし、夏の分を取り戻す立ち読み。
 前々からおもっているが読売新聞はナベツネ社長が亡くなったあとはどうなるんだろうか。ふと、またそんなことを思ったり。あ、ジャイアンツ優勝おめでとうございます。でも、一面は女子マラソンだろうけど。きのりゅうから電話。ラテアメ50周年ライブのバンドについて。そういや、登録してないことからはじまりしばし。タケ、さんちぇなど、遠距離からのエントリーも。はせがわ一家の復活なるか。おたのしみに。

2000年9月23日

 久しぶりに、自宅で寝坊して起きた。来客を迎えるにあたり、掃除など。何するわけでもなく、とっちらかっている新聞、雑誌などを、大移動するだけ、だけど。同時に母もうごめき、庭掃除をいしていた。珍しい。その成果で、久しく履いてなかった靴も見つかったり。モノにうずもれる館。
 ケーブルテレビのインターネットサービスがはじまったので、その契約。待ちにまっていた。さらに、担当者の口車で結局、電話サービスも加入。しかし、けちだから電話機を買わないかも。ダイヤルアップ接続用としても確保か。そもそも、番号の違う電話が家に二つもあっていいものだろうか。ま、いいや。携帯PHSとあわせて3つの番号を持つことに。
 NAPAさんの原稿を加工。だらだらしていたら、サッカーが始まる。茶の間でずーっと座りつづけ。郵便物をとりに行ったりしたぐらいではないか。うーぱぱ@オージーから、優勝おめでとう、アンド引退ですか?の絵ハガキ。ど、どうしようか。
 外の空気を吸いに、銭湯へ。ひげをそる。ここ数日、というか、この夏はふろに入らない日々が多かった。理由のひとつにはやっぱりパソコン中毒。自分でふろを沸かしながら家人が入るのを迎え、結局、もう眠い、でダウン。いかんな。先日、見た週刊誌では、最近の若者は風呂嫌いが多い、なんていうのもあるが、おれもそうかな。回数券を購入。帰りは激しい雨。
 頭の片隅というか、メインでは、「おい、レポートどうするんだよ」という声。ま、どうにかなるさ、と家にかえる。
 先ほどの資料大移動の中で、未整理だった、法政通信など。6年間在籍したころの、月報のようなもの。当時は地理学の話ししか興味がなかったけど、いまなら、社会学、教育学、他の記事も目に付く。あら、見落としていたのね、と、マルクス経済学をベースにする社会経済地理学の鴨澤名誉教授の小論『社会科学における日常生活の意味』。講義でちろっと聞いたこと、と、同様の内容を発見。 「・・・同一人が日常生活の中で、場所による「人格の分裂」をひきおこしながら日に日に再生されているものが、通勤圏と名付けられる有極地域である。・・・」。今のわしなら自己とか、人格とかの観点で、興味がひかれる。ここで、私が、整然と論じることなど、なんらないのだが、「学問が変わって日常生活に注目」などのタイトルなどもなかなか、興味深い。日常ってなんだろうか?
 他にも、インターネットが出はじめのころの記事、ヘーゲルからミードへのつながりなんかもひょっこり見つける。そりゃ、20代前半のころはこれらのことは興味なかったな。自分が変化していっていることを再確認、おもろい。そして、レポートが全く、進まないんだな。寝よ。

2000年9月22日

 昨日飲んだのはビールとホッピ−2杯ほど。だけどえらく酔う。やばい焼酎だったのかな?。先日読んだ月刊噂の真相10月号。ビデオ屋が干上がるのがオリンピック期間だそう。ためしに、横の派遣のお姉さんに聞いたら、やはりそう、みたい。ビデオを借りることが減って、なんとはなしにオリンピック中継を見ている。でもサッカーは見なかったよう。(笑)あなたもそうでしょうか?
 以前も書いたかもしれないが、一日はひとしく、24時間。いくらチャンネルが増えても、視聴する時間はそんなに増えない。いわゆる、トレードオフの関係か。で、最近は、私でいえば、テレビを見なくなったな、と感じる。その分、パソコンに向かう時間が圧倒的に増えている。しかも待望のケーブルテレビ会社のインターネットサービスがやっと始まりそうなので、時間を気にせず使いそうだ。さらに、会社のパソコンもこの10月から、インターネットに接続する。事務系の100台近くの、設定管理はわしの仕事になるのでメンドイけれども。しかしそうなるとどうなるんだろうな。かなり、積極的に触れまい、と思わなければ中毒になりそうか。

2000年9月21日

 大学が今日からはじまる。レポートをやっていないので、一限はさぼってしまった。このまま、すてるのか。うーんどうしよう。2限は、情報化社会と人間。テレビ番組の作られ方を紹介しながら。情報と、さらに切っても切れないメディアの話し。情報をケーキと例えるならば、メディアは皿と銀紙、フォーク。ケーキそのものは直接食べられない構造を説明するとのこと。
 ベーカムのカメラが700万円もするなんて知らなかった。「はじめてのおつかい」(←俺はこの番組を知らなかった)が、12台のカメラを使い、同時回しすることがかなり、異例だと知る。、番組を作る「企画力」」が重要で、それを養成することが講義の目的。うーん頼もしい。WEBづくりもそうだろうな。誰に見せたいのか。その内容の企画がかぎなんだろうな。でも、このWEBは、オレの自己満足、みたい。田中のやっちゃんの日記にははるかにおとるが。
 「ここがへんだよ日本人」(←ほとんどみたことない)でも活躍している、学大のセバスチャンがフランスに帰る。吉祥寺の食べ放題の焼肉屋。遅れていくので、本駒込でエビスビールをひっかけて。普通の飲み会より、ファミリーレストランの雰囲気、20人ほど。私はアイスをガングイ。ガジンは到着わずか30分の食べ放題。色紙。三本締め、セバの熱い抱擁。二次会は駅前の古い街並み。美舟。ホッピ−を多数。ポコ天も賞味。若い人々は井の頭公園。さすがにタクシーで帰る、寝てしまった。2時半すぎ就寝。セバの江戸時代吉原の研究、さらっと話しをきいたけど面白い。体は売らずに芸を売る人々。

2000年9月20日

 ネコも杓子も、ブラジル戦。うちのおやじでさえ、何時からだと聞く。たかが年代別大会だ、と私。そうはいえ、気になるのは確かだ。月締めの処理があるので、だらだら、午後6時を迎えてしまった。社にある、すべてのテレビが叫んでいる。いやでも失点を聞く。ブラジル国旗のネクタイをしたまま。「王国は強いなぁー」、と熱心な浦和レッズファンを冷やかし、社をあとに。
 池袋のさくらやにより、黒インクを購入。私の携帯できるプリンタ、インクのへりが何やら早いように感じる。浅草前日(当日?)にことTを作ろうとして、カラーはいっぱい用意したのだが黒がなくなりダウン。キャノン製は、シアン、マゼンタ、イエロー(いわゆる青赤黄)が別ボトルになっているのが特徴だそうだ。しかし、ぼくのは小さいためこのカラーインクは一体ユニット。なるほど、買ってからこういうことに気づいた。このへんは、本来はネットなんかであらかじめ使っている人たちの話しを聞くべきか。
 帰りの西武線。さて、どうかな、という感じで、テレビ音声をラジオで聞く。TBSアナ、スーパーサッカーでおなじみ、清水の大ちゃん、解説のキンタ二人とも声のトーンが暗い。いまだ1点のビハインドのまま。ふむ。しかし、スロバキアがリード。ほぉー。他の結果は考えていなかったのでちょいと驚く。93年ドーハの韓国の気持ち。いや、97年11月ソウルで日本が勝利したあと、UAEでウズベクが必死に戦い引き分けたときも非常にでかかった。GKブガロはいま、どうしているのだろうか。ラジオもコンソーシアム方式だろうから、ニッポン放送のもろおかアナの声がNHKで聞こえる。いつもの、Jリーグ中継よりはクダケタ感じが少ない。お膝元のニッポン放送は民放ゆえ、途中にコマーシャルを入れる。そのブレイクはもちろんあるが、NHKでは淡々としゃべりつづけているのが面白い。そして、スロバキアの勝利。それをベンチに報告する、サミアコーチが喜んでいる様をアナが伝える。ま、オッケーだな、と。しかし、裏では、同じく勝ち点6の韓国が落選しちゃったようで。運も実力のうち、的な言葉もありますが、ま、日本はきっちり勝ち点をかせいだということでしかないでしょう。スロバキアは戦意喪失している、というステレオタイプな表現を掲示板に記入したが、今後はそのような見方はできないな。一瞬一瞬のプレーに選手は全力を尽くすもんだ、とあらためて。

2000年9月19日

 目の前のことをせかせかこなす、これは、誰でも得意なのかな。久々、そんな日でした。この10月に、クライアントのパソコンをドドーンと更新。96年4月に導入したマシンから、やっとこさ、win98seのNECの省スペースパソコンへ。そんで、ここに来てハードディスクのクラッシュが続々と。(軽々しく書くけど当事者はしゃれにならない、だからパックアップはこまめにね。)先行のインストールをしようと8月下旬。以前記入したように、経理のサブシステムがつながらない。しかし、システム会社の尽力により何とかインストール完了。
 ふんで、プリンタの設定(ドライバのインストール、ネットワークの設定)して、設置したんだけどうまく吐き出さない。そうしていると、プリンタの故障が発生するわ。ふんで、またディスククラッシュのマシンが出るし。忘れていたころに、インストール設定の話し合いもあったり。机に座る間もなしか。やっぱネクタイワイシャツを着てやりたくないとおもうんだが。えっちらおっちら機材を運ぶし。ま、システム会社の人はきっちり着ているんだから、たいへんよね。
 法政大学の94年地形学ゼミ。私は通教生だけどもぐりでお邪魔してました。楽しかった伊豆大島ゼミ合宿など、お世話になった、ゼミ長の方から引越ししたと、ハガキ。なんと、学生時代の下宿に戻ったと。なんだ、それは。今度理由をきこうと。彼もガリガリのサラリーマンをしているんだろうな。某旅行会社。今秋の法大地理学会50年パーティには来るのかな。いや、そもそもおれもどうしようかな。商学部西澤ゼミは今年で退職だから、盛大にやるだろうし、生物、ラテアメとも50年パーティだし。目白押しだね。

2000年9月18日

 システム会社からパソコンが届く。設定が完了。不具合の原因は、オラクルの通信部分のインストール。昨年、自分がやって、作ったマニュアルでは対応できなかった。うーむ。さらに、プリンタへの出力部分でもトラブル。しかし、これは、古いプリンタドライバのインストールで解決。結局、16ビット、32ビット。さまざまなものが混在するのでメンドイことに。ま、マルチベンダーだしこういうものかと、再実感。なるべくおなじモノにまとめたいんだけどね。
 カメラの修理で、新宿さくらやへ。店頭で修理受付をするもんだと思っていたが、直接メーカーにいったほうが早くしあがると。納得。引き続き、ヨドバシカメラの書籍売り場。えらく、いっぱいある本の山にやや度肝を抜かれる。自己決定の時代なんだろうけど、一体何を手がかりにこういうものを読むのか。ま、俺なりには適当に立ち読みしたけど。

2000年9月17日

 新小岩営業。ヒローキニョ宅。晴れ間が見え、取り急ぎ現地に向かう。昨晩の酒が残る。ま、わずか数時間前だし。雨は断続的に激しかったけど、なんとか終了。やれてよかったです。一万円バック。スロバキア戦を見るために、テレビのある飲み屋を探す。ちょうどよい割烹。魚、寿司をいろいろ。変わったメニューではこんにゃくの土佐揚げ。おいしかった。家に帰りついたら午後10時。つかれたな。しかし、若人らはまだ飲んでるんだろうけど。

2000年9月16日

 やすろうの家で起きる。やすろうの彼女マリーサのMTB購入下見。自転車やさんめぐり。あやしい雲行き。そして、雨が降る。飯田橋で下ろしてもらい、いったん帰宅。タケが新潟からおいしい酒を持ってヒロキーニョ宅。わしはなんか出不精で準備が進まず。台風はどうなるのだろう。新宿思い出横丁へ、日付が変わる頃。日光江戸村営業を終わった若人らと。デジタルカメラが壊れる。うかつなことにレンズをあけたまま、おとした。最後に到着した、サウダージ病の「いしまるぅー」のコンバーチブルで5人が出発!、の瞬間に雨ざぶざぶ。スルドを抱えて助手席、一路ヒロキーニョ宅へ。日本酒、うまいピンガを賞味して、沈。エンヘードを聞きながら。

2000年9月15日

 昼過ぎに起きる。NAPAさんの原稿の加工。茶の間に根がはえたように。著作権、肖像権の話しを、兄、父と。ヒロキーニョから電話。やすろうらと、目黒のお祭りに行かないかの誘い。。夜から合流すると答える。午後3時半からTBSラジオ荒川強啓のディキャッチ。もちろん、金曜レギュラーの宮台真司。開幕迫るオリンピックについて。古代ギリシャのそれ、近代のそれ。そして、ナチスドイツの利用など。荒川きょうけいのはしゃぎが、えらくわたしにはのこる。だらだらして、目黒に到着した頃には、ヒロキ、やすろうともに酔っ払って寝てた。やすろうの彼女マリーサ。わしの、昔の写真を見せたら、昔の彼氏に似ている、と。「かっこいいねぇ」。俺はいつもこういわれると喜ぶが、よくよく考えて見れば「今はカッコ悪いって、ことか」(笑)。ま、いいんだけど。

2000年9月14日


 会社で、Sさん(映画を誉められた、9月1日の日記参照)に写真を見せる。タンガのところばかり要求。とにかく、尻に興奮。男って、おけべね。
南アフリカ戦は尻目に、サバス東京。ちょうどついたころ勝利でした。映像が流れていました。
ジョゼピニョイロ、アンド、BOTO。曲のレパートリーはいつもの。

左から、ジョゼ、のりお、秋岡欧。

左から、笹子重治、石川智、渡辺亮。
あと、フルートはきどゆかさん。


上智OG8代の服部潮子さん、芸大OB8代の内藤さん。現サウージ。
ひとり、月夜を、ホープ軒へ。都営12号線(あえてこういう)。国立競技場前駅。東京体育館前から乗る。いつもは喧騒の千駄ヶ谷付近だけどやや静けさが無気味。

2000年9月13日

 自宅にて、やっとこさ新聞整理など。沖縄では、甚平が流行っている、と。

しかもハイティーンから若い女性に。アロハ柄をはじめ、キティちゃん、ドラえもん柄も。渋谷などの街が嫌いだし、週末の営業のときにも、浴衣すがたなど当たり前だと思っていたので、そういうのが流行っていたとは知らず。流行ってたのかな?。ぼくは3年前、長崎原爆の日の翌日に長崎ダイエーで発作的に特価で買ったのを愛用している。綿は気持ちがいいもんね。新聞を、どぁーと読むのはそれはそれ、ここちよい。ショーロクラブが共同通信の配信で紹介。しかもカラーで。

2000年9月12日

 荷物、楽器を背負ってヒロキーニョ宅をあとに。合宿終了。千代田線を怪しい3人組が通勤。

 ばすぼんと昼飯。浅草のことを話す。すしを食いながらこみあげてしまった。意識化、言語化するということがつらい。浅草公式パンフのスキャンを依頼し、別れる。すかさず、スタート直前からのMP3加工作業。アップロード。結構、好評か。浅草で生録音した、エンヘードを聞きつづける。まだまだ、浅草が続いてしまっている。やっと帰宅。

2000年9月11日

 朝起きると雨。あんど、ヒロキーニョ宅の目覚ましが、ヘルツが西の設定になっていたので、時間が狂っていた。このままじゃ遅刻だ。傘を差して、衣装、楽器など、荷物を全部持つことは無理。今日は休みなのであとでとりにいくことにして、傘を借りて、自宅へと飛び出す。俺よりゴウちゃんは、原チャリなのでさらに困ったよう。
 日常に積極的に帰るために、ネクタイを持参(会社で着替える)。でも、エンヘードを聞きながら、浸りながら。社は部長が出張、前の人が急きょ休み。休もうかと思っていたけど来てよかった、すいてる感じ。先週休んだ分の伝票をだらだら処理。
 感情の高ぶりは隠せない。 『 「とにかく、、、飛んでるんです、、、」という、ちゃかのつぶやき』、くしま兄ぃのMLを思い出す。ああ、青空を、飛べてよかった。秋の長雨の毎日。作業直前、本番と、浅草は晴れわたってくれたなぁ。誰のおかげとはいわないけれど・・・。神様はいないとはおもっているが。しかし、雑誌の占い(最高の日になる)、がばっちりあたった、ちゃかはどうなんだろう。オレは、占いは半分半分の話しとしてみるだけ、だけど。
  「優勝して、うきうきだろう」と他の人に、いわれる。だけど、そういうことより、自分の気持ちを説明しようとすると、青空になったことを思い浮かべる。そして、単純な気持ちではないんだな、と気づく。これを説明するのはややこしいか。
 サウダージ休暇のヒロキーニョ宅を夕刻訪れる。荷物のピックアップ。しかし、エンヘードを聞きながらビールを飲むとすぐダウンモード。目の前のジョナサンで至福のひととき。いろんなモノ9品ぐらいを一気に頼む。テーブルを二つくっつけてもらう。これで、ちょうどよいサイズ。ガングイ。寝ぼけながら、部屋にもどる。同じく荷物をピックアップのゴウチャン到着。生録MDをダビングする。電気ブランをひっかけ、また聞きながら4泊目に入る。何回目のパレードだろう。

2000年9月10日

 祝賀会の写真を作業し終わったのが、日の出の頃。起き出したのはお昼過ぎ。結局、私めがベッドを占領していました。外大れいこが初参加の1996年のビデオ。コサキンビデオ第3弾、「枝つきほしぶどう」をみる。さすがに腹減ったよぉ、と。浅草に行く案もあったが、近場に。浅草寺で作業をした小川タケも加わり、近所のうなぎや。新聞チェックするも、毎日新聞、報知新聞には載っていなかった。ゆうまと風呂に入ろうとしたけど、風呂やは午後3時ではまだあかず。暑くて、待ちきれないので、和菓子を買って部屋にもどる。れいこは既に帰る。満腹になったらまた眠くなる。ひと寝入り。その間に、ゆうま、帰る。

 J−WAVEで、サウージサウダージが始まる頃。くしま兄、ヒロキーニョは浅草へ。若手OBともつ煮街。私は、今ちゃん父のお言葉「祭りが終わったら離れるべし」を守り、かつ、暑いのがいやなので冷房キンキンの部屋でまったりラジオを聞きながら。浅草の方から、お日様ではなく、月があがってくる。もう、あれから一日。まだあれから一日。きょうも青空だ。

 外大作業を終えた、肉体労働派ゴウちゃん、原チャリで到着。早速さまざまな反省。昨日のパレードのこと。祝賀会でのこと。外大作業でのこと。終電新潟行きで帰るタケが午後9時近くまで。その後、ゴウちゃんも浅草へ。一人残るわたしはお部屋の片付け。
 ヒロキーニョ帰宅、一緒に風呂にいく。木曜日以来。いつもなら浅草で入っているんだけど今年は電気風呂の蛇骨湯に入らず。近所の世界湯。熱い。ひげをそる。飲みやに行こうかとするが、炭酸など買って戻る。電気ブラン。浅草で生録したMDから、なんとかテープにダビング。はやくMD録再機かってくださいよ。ゴウチャンも日付を回る頃、帰ってくる。カーニバルに包まれて寝る。


2000年9月9日

 昨晩は午後11時すぎにヒロキーニョ宅着。ことTをつくる。皆が寝静まってから、「カンペアンTシャツ」を2着作成。みつからんようにしたけど(←お前は鶴の恩返しか、笑)。ま、優勝しなかったら、寝巻きに使えばいいかっと。カイシャTシャツとかも作ろうとしたけど、インク切れ。いつものような朝を迎える。今ちゃんからメールを受け取る。強盗の話題をしたばっかだから、奇遇か。のどの痛みを抱えつつヒロキは叫びの練習。タケはビール。あっしは、Tシャツプレス。その後、バテリアパンツはすぎさんにプレスをしてもらう。
 集合時間の10時はとうにすぎて、やっと出発。バスにしようかとしたけどタクシー。2000円弱。

 控え室につくなり、いつもの昼飯(宝来楼)に早めに行こうかと。さなやんとも合流予定。「花を買いに行かないか?」とすぎに言う。一人で行こうかと思っていたけど、じじぃ3人だしちょうどよい。たぶん花なんざ生まれてほとんど買ったことない。「デパートには必ずあるよ」、ということで、松屋を目指す。下見をしながら、馬道通りを進む。一階の端っこに日比谷花壇。今日は、9月9日重陽の節句。菊の花の日。
 「お色は?」、と店員さん。やっぱ、「赤、金もしくは黄、そして、青、白だろう」、と。色のとりあわせなんか、よう、わからんが、全部盛り込まねば、と。花を見つめながら、涙ぐんでいるんだから店員には不気味がられたかな。
 川に投げるものと、ヒロキは思っていたようだけど、供えることに。置きあぐねていたら、犬とともに川沿いに住む方が、筒を差し出してくれるのと、ともに「ご苦労さんです」と。
 「うんこびる」を見ながら、つくづく晴れたことに感謝。

 さなやんを迎えて、昼食。オレは、いつものマーボー定食。1階。おかわり食べ放題。優勝した90年には一時間ぐらい食べつづけていた。ひとくち食べるだけで、ごはんを一杯食べてしまうほど。カーボロ−ディングなんていいつつ。でも、今年は違う。食べられない。一杯でちょうどよいぐらい。暑さもあるのだろうけど、ここ数日はのどを通らない感じ。やんがデジカメ持参とのこと。ヒロキらはサウンドチェックで浅草寺うらへ。わしは、薬局で、「鼻腔拡張テープ」を3セットほど。ビタミンドリンク、ウィーダーインゼリー。いつもの横丁で、白い足袋。ここ数年は定番だ。
 山車作業の場はアツイ。緊張感のある「若手」に対して、ゆるい、もしくは、リラックスを装う「年寄」。わしは、足手まといとなってもなんだしと、控え室へもどる。こうやってこの時間を過ごすのは過去にあったかな。去年ともまた気分が違うような。カイシャのパートでは、いちむら、玉井らもいるし。ま、どっしり落ち着こうと。しつつも、壁沿いに電源を見つけたので、パソコン作業。写真速報の用意。でも、ひとみちゃんが電話の充電をしようとしたら、ランプがつかない。なんだ、通電していないのか。
 衣装を合わせる。カベッサ(ぼうし)がややでかい。しかも顔にくくりつけるゴムが本体に固定されない。テーピングを何度も重ねる。今年のカラー青、水色のタオルを持ってきていたので、「タオラー状態」。ちょうど頭にフィットした。
 カベッサのプロペラ。これがまわっているのかは、自分からはよくわからない。社長や、いちむらがつかつかと歩いて、デモンストレーション。よく回る。うん、いい。「すっげーなぁー」。「バッハの衣装がない」−女の子がもっていったのと、すれちがって
(未完)



2000年9月8日

(未完)

2000年9月7日

(未完)





2000年9月6日

 やりのうちを午前7時ごろ。傘を、飲み屋に忘れたのでコンビニで購入。やりの家を出るときに一リットルの紙パックをつかんで持ち出す。さて、飲もうかとすると、牛乳だと気づく。さすがに飲めそうにないのですぐ捨てる。都電「学習院下」から、「東池袋4丁目」。有楽町線東池袋から西武線直通へ。空腹感もあり、体が重い。楽器をピックアップして通勤。最後の練習で十条へ。(未完)

2000年9月5日

 外大へ午後7時ごろ。その後、早稲田のはずれ、昔からよく通う、「旧たるや」、「現、正宗」。ジレトールやり、としきと。この時期に3人で「まったりのみ」も面白い。衣装部長、副部長を呼び出す。飲み屋からやりの家は、1分ほど。しかし、ビールを飲んだ後、いいちこボトルを飲みきるほどだったため、不覚にも全て吐く。そして、ロフトで一足先に寝る。その後の行いはデジカメにはいっとったぞ。としきのタフさには相変らず驚かされる。でも、負けないぞ。(笑)

2000年9月4日

 「なんで?」「動機は?」と僕自身は、人によく聞く。でも、自分がいわれると結構詰まる。最近、というか、昔から「じつは弱い」。ウニアンやっている、モチベーションはなんなの?、とやすろうから聞かれた時に、はた、とくぎがささったような。「社長」からもウニアン復帰(?)の理由を聞かれたような。こんな風に突っ込まれたのを、アメリカに行くシマ君にも自虐的に報告をして、金曜日にも突っ込まれたり。
 「ずること」風にいえば、「いやあ楽しいから」ぐらいしかないっすよ。大学のサークルなら、大学生でなくなったり「追いコン」で区切りとなるでしょう。そういう節目がなかったからか???。やめられないものである、山小屋通いもそんな理由と同様だろうか。会話ではよく使う、「そもそも人々が何かをするのにそんなにまで理由があるんかいな?」と問いかけして、かわしとこっと。
 1997年、フランスワールドカップ予選に向かおうとするころ。TBSの番組、スーパーサッカーは、中田ヒデが「自分のため」といった映像を繰り返しつかったことを覚えている。今度のオリンピックではまた流布されるであろう(?)、「日本のため、メダルのため」という、日本人選手の発言。少なくともおれは期待していないのだが、「日本期待の××」「メダルが期待される○○」、と繰り返される言説。こういったものとは毛色が違ったから中田はもてはやされたのか。ひとつの転換点と記憶する。
 で、なんだっけ。あ、もう今週なんだよ、浅草サンバは。仮に、8年ぶりの優勝してもプロになるわけではない。もちろん山車が壊れて、一部リーグ最下位に終わっても人生が終わってしまうわけもなさそうだ。いや、わからんが。
 「意味より強度」(宮台氏の言説)なんていうのも使い古された感。でも、そこで何かが得られる、というわけではなくて、予定されているようでいて、何が起こるかわからない。そのハプニング性にどきどきできそうな気がする。もちろんなにもないかもしれないんだけど。ほんと、もう下見しちゃったんだけど、ゴールの向こうに見える「仁丹の看板がないな」、「いやあ、音がすんげいよ」、とかね。ありがたいことに、隊列の後ろのほうなのでエンヘードがよく聞こえそう。私の周りもタフなバテリア諸君なので、安心してるぞ。
 日記に戻ろう。夕刻、急いで、池袋へ。西武百貨店。腹が減ったので地下食料品へ。タイムセールの天むすとスパゲッティを購入。9階の屋上(エレベータで音声だけ聞くと、なぬ?と感じる)でつまもうと。闇に包まれるし、アベックばっかかな、と懸念。しかし、アベック、同性の二人連れが数組ずついるのと同様、おれと同じく、30代前後一人飯が男女とも数人。目を合わせないようにしつつも、きょろきょろまわりを観察してしまった。常連のリピーターか、はたまた私のようにたまたま、なのだろうか。
 西武百貨店では用件がすまなかったので、東武百貨店へ。百貨店が斜陽のイメージのせいか、なにやら、両方ともさびれた雰囲気。でも、東武では調べてもらった上で、何とか対応してもらえた。結構やる気を感じた。ただ、しばらく前にNTTドコモで感じたのと同様、口の聞き方が、「ため口」的なのが耳についた。ま、本質ではないからいいんだけど。浅草当日の「小道具」の購入でした。

2000年9月3日

 久々の自宅。7時代に起きて、昨日の衣装など、洗濯。気分がよかったけど、まったり。ウニアンの野外での、最終練習。また、遅刻しちゃった。暑さ対策に時間がかかる。簡易クーラーボックスに氷と飲み物を入れたらめっちゃ重かった。風が一転して強かった日。
 上野で杉山さん、タケ、北村とおやじ飲み。なかなかメニューが面白いのみや。食べなかったけどベトナム春巻きが気になった。だって、名前が越後屋というんだけど、エスニック系が多いんだよな。

2000年9月2日

 ヒロキーニョ宅から私は楽器をとりに帰る。六本木に通勤のお二人とわかれる。おつかれさんす。龍ヶ崎営業。常磐線なるものに久々に乗る。旧オウムの住民票を受理しない張り紙が目をひく、市役所が控え室。関東地方はえらい暑い。風が吹かなかった日。今までで一番つらい営業のようにも感じる。汗がとばない。エンヘードを口ずさむ。お客さんが少ないというのもあるだろうけど、えらくつかれた。バスの中でみなでエンヘードを歌えたのはよかった。竜ちゃんの案内で、上野で焼肉。うまかった。やまだくん、ケンゴ、なおこ、と。

2000年9月1日

 少し涼しい、と感じた9月の始まり。昼休み、南北線、西ヶ原経由、外大へ。汗びっしょり。午後半休を取っていこうかな、と思っていたのだが。珍しく「当日の申し出ははだめだよ」、と部長。あはは、あたりまえか。社の規定集にもそうなっているしな。ちなみに、でも労働者側はこの規定を認めていない。なので、後は力関係なんだな。そうはいえ、実は防災訓練があるので、ま、いいか、と。汗びっしょりなって、外大の現場から帰ってきて、赤坂、溜池の町並みを見たときにえらい違いをなんか感じた。異空間だ。でも、「同じ」東京の空の下。
 映画学校に昨日まで通っていた会社の人。昨日が作品発表だった。今をときめく、映画監督「青山しんじ氏」が講師として、批評。4班に別れている中で、べた褒めされたと。うかれて朝までその班の人とのんでいたそう。そうしたらばっちり遅刻。入社式が本日あって、彼の重要任務だったので、始末書をかかされた。「あおやましんじにほめられたから」と書いたの、と私は冷やかしておきました。
 しまくん壮行会。大隈講堂裏。電撃的に、ゆうま君結婚公表。ヒロキーニョ、「過去ネタ」で、シマ君に「デリカシーがないな」、と怒られました。ヒロキーニョ宅泊。なぜか外大れいこも。