やっとこ帰りついたな、というのが率直な感想。なんか昨日ねれなくて、3時すぎまで。ひげもそったし、気分が違う。行きの電車では、『子どもの社会力』(1999門脇厚司 岩波新書)を読みながら。「若者たちが人のいない無機質的な空間を好み」、というくだりがある。わしは、「人が好きか?」、と問われれば、「好きでもあるが、だぁれもいない世界を好んで、想像したり」、と。ま、誰もがそうであるのだろうが、こいつぶん殴ってやろうか、と思ったり、も、よく、する。(笑)
そういう時は、むしろ、すいすい一人歩き、山、里あるきで結果的に、「回避」する。なんだ、逃避じゃないか、ともおもいがちだが、いろいろな事象に出会い、そのことに取り組むうちに結果的に「忘れたり、薄められて」しまうのである。そして、なにより、そのこと自体が極めて心地よいのだ。春の芽吹きのぶな林、えぞはるぜみと沢の音、落ち葉の上で、小春日和を全身に受け止めたり、クロカンスキーで誰もいないとこで昼寝して、寒くて急に目を覚ましたり。いやぁ、想像しただけで、お茶とお菓子、ココアとチョコ、トースターでもいいや、プリムスとボンベを背負って、マウンテンパーカに、ニコンの双眼鏡を首に下げ、ぶらぶら歩きたくなっちゃうね。
いや、この「文章を書いている」こと、もまさにそうなんだな。本日の、国会界隈、宮崎さんのお話、日本国憲法、石原、中曽根のこと、などなど。数分前に書こうと思っていたことからもう頭の中は、森の、やまのひとときへ、「とんじゃっている」もんな。
この感覚についてこれない(ついてこない方が、普通です、笑)、人は、やっぱり、オレがおかしいと思うだろうな。
(・・・wish you were here)そうか、カウンターカルチャー的なソローのことをいわんとしたんだよな、田淵義雄兄いは。僕もはまった、『森からの手紙』(1985 小学館)について、同じくひきこまれた人もいるようだ。結局、フライフィッシングや、ガーデニング、薪ストーブ、バイク、岩登り・・・。氏の領域までまだまだ達していないぞ。まだ、遊び足りないぞ。「記憶」というのは便利なものである。で、先ほど検索したら、1999年の12月2日の自分の日記もヒットしてやんの。秋、初冬、寒寒として来ることが楽しみなことを知っている人生は豊かなことなんだ。今日読んでくれたあなたにこっそり、それを教えてしまったのだ。
いや、ホント、書いていて気分的に「田淵さん」ののりになってしまった。うん、先輩、いつか長野川上村の赤い屋根の山小屋に、お会いしに行きますよ。16才のどんよりしていたオレに、「人はみな、好きなことをして生きていくものだ」と教えてくれたんですから。
ああ、なんだか知らぬが涙がとめどもなくでてきてしまった。ホント、人生はこんな短い間(1時代で書き終わるはずだったのに)でも、わからぬものだ。面白い。
日記の整理を帰りの飯田橋駅ではじめる。やっぱ、反省をしないとあかんね、と思いつつ。すすむ、すすむ。その前は、てんやでかき天をはじめて食す。昨年からかきフライは食べられるようになった。季節品で、看板が気になっていた。・・・でもまぁ、リピーターにはならないな。あそこのアンケートにはいつも「のり、ちくわを加えてほしい」と記入するが。これは加わらないか。チープだけど、えびもダメだから、天ぷらは野菜にかぎる。
いちょうが色づき、すっかり寒くなった。朝、裏のはたけを通ると、まだ陽があたっていない。もうすぐ、霜柱も立ちあがる季節か。前日帰るときにいっぱいあった中島公園の落ち葉は、お掃除のおばさんにきれいにかたされていた。なんか、もったいなぁ。などなど、書きとめたいことがいっぱいあるけど今日ももう終わりゆきそうだ。ひげをそる。そうそう、朝の地下鉄のつり広告。週刊女性の永久保存版の文字も気になったけど、それより、女性の文字のすぐ上の「コーヒー浣腸」が気になり、昼休みに立ち読み。案の定、商品宣伝のようで、ある種ホッと。
池袋の芳林堂にすべりこむ。掲示板にも書いたけど、ストレスがたまると、なんかものを買っちゃうのは、それはそれ、健康的。おっと、その「健康言説」がテーマ。内容もともかく、いかにも野村さんのつくリだな、と気づく。索引のあたり。あと、雑誌「大航海」も購入。宮台真司、斎藤環の対談が載るので。
「かなわないとおもったよ」、とは高校時代の友人の、「私の過去」を表する言葉。そういうことを、ほんとーに面と向かって、はじめて聞いて、浮かれちゃう自分もしょぼいけど、浮かれてました。(笑)彼の連れ、(彼女も私のギャグをよく知る後輩なのだ)が、大学院に合格したお祝い。ワインを結局、一人一本あける勘定。4時間あまりしゃべり通し。どうでもいいことを含む、オレの記憶力のよさが、一同認識されたか。役立つ面も多いけど、つらくもあるのよね。
それにしても、「連れ」を持つ人への、「うらやましさがない」、といったら嘘になるが、うーん、やっぱりめんどくさそうだな、という意識がいっそう強まる。噂の真相編集長岡留さんが家庭を持たないのと同様、危険が及ぶのを避けるんだい。しかも、オレは革命家だからな、とうそぶく。
しかし、そのあとふらふら、早稲田方面。寝かせて、と。寝袋の人となったが、夜中に、リバース。しかも、すかさず、はらが下る。そして、ほぼ同じに上からも。どうしようもないので、バスタブへ。そーっと流して、カーテンもきれいにして、再び、寝袋へ沈。でも、翌朝、「バスタブにもどしたでしょ?」と。そりゃ、きれいに流したつもりだったから、わざわざ言わなかったのだが、やっぱ残っていたのね、ごめんでした。
結局、一日中ラテンライブ。いや、よかった。(すみません語彙が少なくて)でも、最後は酔っ払って携帯電話をなくすので、ちょっとしょんぼり。ブラジル系が多くなったとはいえ、いろいろありのてんこもり。「悪魔の音楽」と称せられていたサルサ。でも、結構モントゥ−ノピアノとか好きなんですよ、よいっしょ。エリスレジーナの曲もよかった。そんななかでいちばん印象に残ったのは3年サンバ。カルトーラのアルバムをやったのは、すごいなぁ、と。さらに、ギリィエルミの「枯葉のサンバ」。りゅうへいのギターもいいし。僕も口ずさんで、かつ、涙ぐみました。この涙は,なつかしさなのか,うらやましさなのか,はたまたその歌詞でもあるんだろうな。死ぬまでにマンゲイラ、そして、それよりなにより、ブラジルを訪れることはできるかな。
面と向かってはいまさら、いいづらい。いや、でも、むしろもっと共通認識されるべきだな、と強く思ったね。僕らの仲間である「トシキ」がマンゲイラで優勝したこと。あ、もちろん、社長やあいた、もよ。茨城で「くさっている」なんてデマ話もあったけど、北関東の「ブラジル空間」の話は興味深く。こりゃ、訪れないと。ほんとだよ。5000人のディスコそしてライブ。
さらに、ブラジル話はいきいきと。今度きっちり聞きとって、ホームページネタに使いたいな、おお、いいぞいいぞ。最初の記述のようにおもったのは、3年生のMなんかも、マンゲイラのある、モーホやファベーラを知らなかったから。ま、リオのサンバを知らなくても「サンバは楽しめる」けど、知っていたほうが・・・。と、いうのは30を越えたおやじ的な発想なのかな。しかし、その後のG人を交えた、牛丼特盛り食ったりの「蛮行」は、もうちょっと・・・。そうそう、阿佐ヶ谷北口で「ボサノバナイト」を偶然発見。ウニアン8代リーダーの石川智がライブをしていたんだよな。冷やかしに行けばよかった。残念。
午前中スト。多少余裕があったで、あわただしく、家に帰り、パソコンを持って会社へ。自宅の便所の水がでない。1階は共同の井戸水のため。2階の便所を借りる。
午前中、外大のまつり。ビール2本で酔う。午後1時から大隈講堂ではじまる宮台、筑紫らのイベントのため、早々に移動。「官から民へ」という標語のあやまりについて、宮台氏。少年法改正もんだいなど。メディアとの関わりをわかりやすく説明。大隈講堂に来場者は6割ほど。週刊金曜日などでイベント告知した観客そうが多いのかも。川田龍平氏の話しはやっぱりメモをとれない。うーん、何をいっているのか、あまりよくつかめない。ラテアメ部室で午後8時ぐらいまで結局まったり。すがちゃん家に泊る。ラテアメの紹介ページ作成のためのスキャナ作業。
現金がそこをつく。チケット換金のために、やすろうに電話。会社に来ていないとは。山さんがもってきてくれたのでなんとか生きかえる。しかも、お駄賃つき。こちらは、日本代表のカレンダーをお返しに。
さて、冬季補給金、第一次回答。社団、KKで10万円を超える格差回答。職場集会はメディア局で。別のビルまで歩く。完全分煙。現場の納得のいかなさがよくわかる。火曜日なんで教育社会学なんだけど、うどんを食って帰る。ストライキ突入。
高田馬場でサッカーのチケット、プログラムなどを受け取る。どしゃぶり。さぁ、かとうこういち、と思ったら、あれ、国会を休むのね、と高田馬場駅でTBSアクセス。いただいた早慶サッカーのプログラムを隈なく読む。そうまでして、国立競技場で開かなくてもいいのにな、と感じる。とりわけ、早稲田は、学生部門は「オール早稲田」の一部門という特殊な環境。ここ最近は、年々弱くなっている。学生の主体性というものが、感じられないな、というのは私の思いすごしなのだろうか。OBとの関係というのが、あそこのクラブ、サークルでは課題となろうか。
午後6時まで仕事。帰ろうとするサーバー室で、次長に呼びとめられる。伝票処理をしろ、という趣旨。「勘弁してくださいよ」と、やんわりと。「急ぎはないんでしょ」などなど。なぜ私が、急ぐかというと、今日、発表があるからなのだ。結構そのやりとりをふくめ、「きれている」状態。南北線の溜池山王駅で、小銭入れ、と定期を忘れたことに気づく。段取りの悪さに気づきながら、たどり着けないか、といやになる。財布にパスネットと、100円ほどあり。これで、足の確保と、配布資料のコピーもできるな、と。キャッシュカードもあって気がラクになる。
30分すぎて到着。「ためこまないように、きれてきました」と、おくれた理由を説明。ためこんじゃうと、やばいのである、とやや本日のテーマにからめながら。
ふんで、たまにはそれを使って、文字数を埋めよう。
『親子ストレス』(汐見稔幸 平凡社2000年)の第2章の2。
「育て」のための豊かな「育ち」とは。
先週のはなし、から。
育児が、多数いた家族、兄弟もしくは、地域の遊び仲間など、「異年齢集団の力学」が働いた時代から、今日は、「母親ひとりが背負い込む」時代へ。そのなかで、「母親」はいかに「重荷」を背負っているのか。
しゃべる内容もまとめた紙があったのだが、「きれた」ので、社に忘れてきた。頼むから俺をきらせないでください。(笑)
1980年代以降の「母親」をめぐる状況が3つ。
1、育児ストレスをためこむ、「孤立する」状態
2、2種類の「暴力」を受けてきた世代−「できた母親」による優しい暴力と「AC」をうむ怖い暴力
3、「望まない出産」
で、以下は羅列。
◎1980年代の母親の不安傾向
「大阪レポート」が明らかにしたこと。
・現在の母親は予想以上に育児疲労感を持つこと。
・育児において、体罰が行われていること。
→体罰がその後の子供の発達に悪い影響を与えている。
専業主婦のほうが育児不安や疲労感はやや強い。
→相対的に育児ストレスが少ないのは、
(1)働く母親、(2)外で自己表現する場を持つ、
(3)夫とのコミュニケーションに満足を持つ場合など
◎小さな不安が積み重なる時
体罰を常用する母親が精神的に不安傾向が強く、ストレスが高い。
育児懸念。孤独、相談相手がいない。
◎子ども時代に受けた負荷のゆくえ
子どもの頃から無理をさせられて育ってきた。
「できた母親」に育てられる。
強い期待のまなざし。過剰に適応。
→自分の素直な感情を出せなくなる。
自己受容感や自己肯定感の弱さ
→人間の感情の豊かさやしあわせ感そのものの「育ち」を阻害する。
◎アダルト・チルドレンな人の特徴
親が何かに病的に依存するという問題を持つ。
「嗜癖」の対象は仕事、ギャンブル、アルコールなど。
親の目を気にして生きる→アダルトチルドレンをうむ。
他人のまなざしを気にかけ、他人からの評価でのみ自分の存在価値を成立させる。
人間との関係をもつこと自体がストレスになる
自分の行動の基準が「外」にある。
ACという言葉は、
「自覚」することで自分を見直すためのきっかけとする、それだけのことである。
同じ悩みをもつ仲間と出会い、自由に表現しあうことで癒される。
自分を好きになる試みの場を提供すること
→孤独感や不安から自由になる道だとされている。
「ありのままの自分でいい」。
◎優しい暴力と怖い暴力
子どもに無理を強いたという点で共通する「親の暴力」。
親が自分の思う方向に子どもを引き込もうとする点では同型だ。
過剰に適応する子どもが、親の世代になる。「世代間伝達」される。
→否定したいイメージなのに、入りこんでしまうジレンマに陥る。
温かく受け止めてくれる人の必要性。
現状では、第一には夫婦しかない。
育児を一人ですることの問題。
地域社会の多様な人間関係の中でもまれて育つことが減少している。
相対的に親の影響比率の増大。
◎望まない出産、意図しない出産
育児中の親がストレスを強くする三番目の理由。
望まれた出産の少なさ−気安く「おめでた」といえない
日本36パーセントアメリカ66パーセント
児童虐待例の8割が「望まない出産」。→結婚や同棲の質が問われる。
◎「子育て」は「子育ち」の豊かさが前提
「豊かな社会」における問題
選択的テーマとしての「出産、育児」
→親の思うレールに乗せる「育児スタイル」の出現
「子育ち」の豊かな前提がなくなったなかで
新しい「社会的な仕掛け」が必要になる。
かつては、家庭だけでなく、地域社会で多様な体験をして育った。
育児のストレス化は、文明を変えていく努力の中に位置づけるしかない。
「育ち−育て」のシステム変容が、大切だ。
私の感想
地域、共同体が相対的に沈むなかで、「井戸端会議」、ストレスを発散する場はどのように存在しうるのか。
合理的、機能的でない「はらっぱ」などの空間。このような「無駄なもの」が排除されるなかで、隠れ家はあるのか。
この章で、取り上げられる『アダルトチルドレン・マザー』(橘由子 学陽書房1996年)はさらっと読めるので参考になる。
自らの性体験、などを親に「包み隠さず」しゃべることに驚きました。単純素朴に、秘密はいっぱいあったほうが面白いでしょうか。
「ありのままの自分」といわれても、逆に困っちゃう人もいる・・・。
「家庭が教育の基本です」とちかげ先生の保守党のように言われても、フォローする環境がないままだと、もっと、やばいぞ。