井上先生のカナダレポート
井上先生の懐かしいお顔やお仕事風景見ることができます。

Shoji’s Tentative Album in Canada


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全豪オープン直前レポート

全豪オープン直前レポート 2002/1/ 13(日) 11:49

私は昨日1月12日(土)に全豪オープンの開催されるナショナルテニスセンターに行って来ました。
予選の最終日だったのです。予選は3日間(3試合)行われ、勝ち残った選手が本戦に出場することができます。
日本選手が最終日まで残っているのかどうかはチェックせずに出かけました。入場は無料でした。
各コートのスケジュール&スコアボードを見に行くと、そこにAkiko MORIGAMIという日本人選手の名前を見つけることができました。男女4名ずつ予選に参加して最終日まで残ったのは結局彼女一人だったようです。
会場が広く目的のコートにたどり着くのに結構時間がかかり、試合は既に始まっていました。森上亜希子選手は善戦しましたが、途中足の具合が悪くなりトレーナーを呼んだこともあり、5−7、4−6でモロッコの選手に負け、本戦入りは果たせませんでした。
彼女のテニスは初めて見たのですが、全体的に外国人選手と比べるとパワー不足は否めず、世界的に飛躍するためには得意の粘りともう一つ何か工夫が必要だと感じました。
日本選手唯一の試合だったので、その時会場にいた日本人はほぼ全員集まっていたと思うのですが、モロッコの応援団7−8人に対して、観客席には2−30人の日本人がいました。
私のすぐ前には井上青香選手と家族、5mくらいの間隔がありましたが隣には、井上(旧姓)悦子さんが座っていました(よく“井上”が揃ったものです)。
その前には杉山愛選手母娘がいて、その他森上選手のコーチや家族、友人と思われる人達が熱心に応援をしていました。
試合のないコートでは14日からの本戦に備えて選手達が練習していて、それを見るだけで圧倒されてしまいます。ただ女子選手の場合はコーチがすぐ横についていて一球一球打ち方などのアドバイスをしている姿が目に付きました。
コーチは教えるのが商売ですが、プロフェッショナルの選手に対してのこのようなコーチングはある種の驚きでした。
帰る前に観客席が閉ざされたままのスタジアムコートを隙間から覗いてみると、サンプラスが練習していました。
しばらく見ていたのですが、私の眼にはお世辞にも調子が良いとは映りませんでした。若手選手とは違い、世界のトップ選手として試合直前の余裕のある調整なのでしょうか。
時間があれば、本戦の観戦レポートを送りたいと思っていますが、これが最後のレポートになるかもしれません。帰国まであと僅かになりました。

オーストラリアレポートNo.1 2002/1/ 3(木) 13:36

皆様、明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い申し上げます。
2002年が皆様にとってよい年となりますよう心から願っております。

前回のギリシャレポートから1ヶ月半のご無沙汰でした。私は12月12日に最後の訪問地、オーストラリアのメルボルンに到着し、セミの鳴くお正月を迎えました。
今年のメルボルンは冷夏で30℃を超えた日が2日か3日しかありません。風も強く、肌寒く感じます。しかし、もう少し北のシドニーの方では連日猛暑で、クリスマスに発生した山火事(放火らしい)が町まで迫っているということです。
オーストラリアに限らず、キリスト教圏の国では正月よりもクリスマスがメインで、ここでもクリスマス・新年休暇が12月22日〜1月2日までと長く、今日3日からここモナシュ大学でも仕事が始まりました。学生さんは3月までの長い夏休みが続いています。
私は空港に降り立ち、ビルを出た直後からクシャミの連発で、日本にいる時よりもかなりひどい花粉症に悩まされながらも、郊外にあるキャンパスに隣接した住居からバス、電車を乗り継ぎ、時々メルボルンの街へも出かけ、また、1日ツアーにも参加してオーストラリアの自然にも少しは触れることができました。年が明けて、花粉症も次第に落ちついてきているようですし、次第に暑くなってくるはずです。
昨日も街に出て14日から始まるオーストラリアンオープンテニスのチケットを買ってきました。センターコート(ロッド・レーバー・アリーナ)ではなく外のコートの15日(2日目)の1日券(約1500円)を手に入れました。テレビでは見られない、無名選手(日本選手も含む)の1回戦の戦いを見たいと思っています。
時間があれば次回、テニスのレポートもしたいと思っていますが、レポートよりも本人の帰国の方が早いかもしれません。1月20日に帰松予定です。
皆様、お風邪などひかれませんように。


ギリシャレポートNo.1 2001/11/20 (火) 21:24

皆様、お変わりございませんか。しばらくのご無沙汰でした。
9月末からコンピュータが故障し、修理に思いのほか時間がかかってしまいました。それでも何とか復活し、レポートを送ることができるようになりました。
ご無沙汰しているうちに、私はカナダ・バンクーバーを離れ、ギリシャのアテネに来ています。既に1ヶ月近くが経過しました。心配していたアメリカ同時テロ・アフガニスタン報復攻撃の影響もまったく感じられません。
ほとんど予備知識なしにギリシャに来たのですが、アテネの町がこんなに大きいとは思ってもいませんでした。バンクーバーの人口が200万に対して、アテネは何と500万弱で、ギリシャ全体の半数近くがアテネに住んでいることになります。
近郊も含めアテネ市街は車で溢れています。完全に弱者(歩行者やシニア)保護の徹底したカナダから来ると、そのギャップの大きさに閉口せざるを得ません。ここはあくまでも車優先で、歩行者は自分自身で身を守る必要があります。信号は有りますがほとんど無いに等しい状態です。
これもこちらに来て知ったのですが、アテネにある有名なパルテノン神殿のあるアクロポリスはじめその他の遺跡や博物館は、街の中央から遠くない地域にありほとんどが徒歩圏内なのです。宿泊しているホテルの最上階にあるラウンジに上がると、パルテノン神殿が眼前に迫ってくるではありませんか。街中のホテルから歩いて10分でアクロポリスに行けるのです。
私は月曜から金曜まではオフィスに通っていますが、土・日にあちこち歩き回っています。ただ、ここは地中海気候で11月から3月までが雨季にあたり、時々降る雨のため歩きづらい時もあります(年間雨量は松山の3分の1程度)。夏は40℃を越える日も多く、雨はほとんど降らないそうです。もう既に4回の週末を過ごし、歩いて行けるところはほとんど行き尽くした感じです。
ギリシャの生活習慣は、日本とかなり違っています。その最大のものがおそらく時間帯でしょう。ヨーロッパ全体に当てはまるかもしれませんが、一般の企業などでは、昼休みが長く、いわゆるシエスタ(午睡)を経て職場に戻って、夜まで仕事するというパターンがひとつです。
今一つは・・・・・・字数制限のため、続きは次回にします。

ギリシャレポートNo.2 2001/11/21 (水) 18:32

オフィスアワーのもう一つは、私のいる研究所などおそらく役所全体だと思いますが、勤務時間が7:30〜15:00というパターンです。
私の研究所では、昼休みというものがありません。お腹が減った人は、スナックやパンをパクつきながら仕事をしていますし、適当に研究所内のカフェで休憩しています。勤務が終わって、家に帰ってあるいは帰る途中でランチというのがここの人達の生活です。
前回報告した分も含めていずれのパターンにしても夕食が遅くなり、一般的なギリシャ人のディナータイムは夜9時頃からです。時々同僚とディナーを共にしますが、待ち合わせが夜の9時です。それからレストランに行っても十分に座れ、10時過ぎると混み合ってきます。週末などは小さな子供を連れた家族が、夜10時半、11時にレストランに入ってきます。
カナダでは参加したテニス大会で準優勝でしたが、ここでも頑張ろうとカナダで買ったテニスラケットは日本に送らずに持ってきました。
しかし、私の生活圏がアテネのほぼ中心ということもあるのですが、テニスコートが見当たらないのです。いろいろな人に聞いてようやく2つのテニスコートを見つけることができました。それはプライベートテニスクラブで、高い年会費を払わなければならないメンバーシップ制のものです。
一つ(歩いていける距離のクラブ)は特に格式が高く、ビジターは認めていないということで、年会費の12分の1で1ヶ月の会員にしてくれと言ってもダメでした。
もう一つはバスで20分、徒歩5分ぐらいのところにあるもう少しフレンドリーなクラブで、ビジター制度もあるようなのでテニスウェアに身を包み、ラケットを抱え、バスに揺られて行ってみました。ところが、ここの人達はシングルスしかしないのです(カナダでも感じましたが、テニスというのはプロだけでなくアマチュアもシングルス主体でダブルスばかりやっているのは日本だけかもしれません)。メンバーは必ず2人1組で来ていて、順番待ちをしています。私も英語の話せる人に相手を探してほしいと頼み、その人がみんなに当たってくれたのですが、見つかりませんでした。コートが空いていれば、練習相手は見つかると思うのですがビジターが入りこむ余裕は無さそうです。しかも、壁打ち用のボードも無く、1時間半ほど見学して帰りました。
まだ諦めたわけではありませんが、アテネでのテニスはなかなか厳しいようです。


カナダレポートNo.1 2001/04/01 (日) 15:54
こんにちは 井上です。
まず、私の出発後に松山で大きな地震があり、被害に遭われた方、お見舞い申し上げます。
バンクーバー国際空港に降りて、10日目を迎えようとしています。
ようやくメールが使える環境が整いました。 到着したときに満開だった桜も、毎日の雨で大分散ってきました。 バンクーバーは冬に雨が多いと聞いていましたが、まさしくそのとおりの状況です。私は肌寒く感じ、外を歩くときはシャツにセーター、その上にジャケットを着ていますが、私のような人種もいれば、ノースリーブの女性や半そで半ズボン姿の若者も多く、彼らはどういう人種なのかと疑ってしまいます。
また、雨が降っていてもよほど強くなければ、傘を開かないのが普通のようです。服そのものも乾きやすい素材なのでしょう。
まだ、右も左もわからない状況ですので、今回は到着のご挨拶といったところで報告を終わることにします。(2001.3.30 0:40)

カナダレポートNo.2 2001/05/15 (火) 10:32
ユニバースポーツの皆様、石鎚会の皆様、お久しぶりですが、いかがお過ごしでしょうか。
カナダレポート第2段(住居編)を送ります。
早いもので、バンクーバーに来て1ヶ月半が過ぎました。はじめの頃の苦労が少しずつ薄れつつありますが、忘れてしまわないうちにご報告したいと思います。
まず、出発前にこちらの大学(UBCといいます:University of British Columbia)の中のアパートやゲストハウスを借りられるように頼んだのですが、6ヶ月待ちということであきらめ、現地に到着してからアパートを探すことにしていました。
私の到着の週には大学の研究室の関係者は全員調査で出払っていたので、とりあえずホテルに入り、一人でアパート探しを始めました。不動産屋さんはアパート等のリストを見せてくれるだけで、自分で大家さんと交渉しなければいけない、それでいて高い仲介料を取るということでした。
そこで不動産屋は最後の手段として、とりあえずホームページで調べていたリストや地元の新聞広告を見て通勤に便利そうな住所(これもはっきりわからない)を選び、片っ端から電話していきました。
しかし、3月下旬の広告では、4月から、あるいは5月から入居というのが多く、即入居可というところは稀です。絶好の物件に出会うと、最低1年でないと貸せないとか、本当に途方に暮れる状態でした。
しかし、下手の鉄砲も数打てば・・で、ホテル暮らし2日だけで何とかぼろアパートを見つけることができました。普段、英語を聞いたり話したりすることもなく、いきなりネイティブの中に飛び込んで、しかも電話以外に方法がないという、ものすごく高いハードルでした。
アパートが決まれば、電気、電話の契約とこれまた、電話でやらないといけない。このような大きな会社はいきなりオペレーターが出ることはなく、テープ案内がありどのような用件かをプッシュボタンで知らせないといけない。それがなかなか聞き取れず、テープ相手ではゆっくりしゃべってくれとも言えず、オペレーターにたどり着くつくまでが大変でした。
 あまり長くなると書く方も読む方も大変なので、このあたりでブレイクタイムにしたいと思います。引き続き、カナダレポート第3段を送りますので、よろしく。

カナダレポートNo.3 2001/05/16 (水) 07:42
引き続き、レポート第3段(交通事情)をポストします。
前回書いたように、とりあえず、UBCに通勤するのに便利の良さそうな(バスを意味します)ところにアパートを借りて、到着の翌週3月26日の月曜日からバスで通勤し始めました。
1週間経ち、バスの乗り方を覚え、回数券がどこで売られているかなど情報を得て、いざこれからというときでした。4月1日(日)に、ダウンタウン(一番の繁華街)にショッピングに行こうと思ってバス停に立っていたのですがバスが1台も来ません。
こちらは、4月の第1日曜日からサマータイムが始まるので、突然1時間早くなります。今年はたまたま4月1日からということになり、バスも調整か何かが必要なのかなという気がしました。仕方なくアパートに戻り、どうなっているのかインターネットで調べたところ、実は4月1日早朝に突然バス運転手のストライキが始まったのでした。
これには本当に参りました。月曜日はタクシーで大学に行き来し、火曜日から1週間契約でレンタカーを借りましたが、17年ぶりの左ハンドル右側通行、道は不案内、ナビゲータ無し、最悪の条件でのドライブが続きました。
誰に聞いても、ストはいつ終わるかわからないというだけで、特にアドバイスはなく、これは車を買うしかないと判断し、土・日にディーラー巡りをしてとにかく安い中古車を探しました。
値段の交渉もしましたが、ストで車が必要なことは見え見えで、結局わずかなディスカウントだけで押し切られてしまいました。こちらはどんな古い車でも値段が付くので、1991年のマツダファミリア、126,000km走行(これは本当に少ない方です)、オートマチック、エアコン無し、サンルーフつきで、日本円で約50万円(税金、保険は当然別です)もしたのです。
日本ではちょっと考えられない値段ですが、アパートと同様、すぐに必要ということでどうしようもありませんでした。6ヶ月後にいくらで売れるかが楽しみです。
このレポートを書いている今日は5月15日(火)ですが、ストが始まって1ヶ月半、まったくストの終わる気配はありません。これがカナダです。組合の強さはアメリカ以上だとカナダ人は言います。
もうバスの車体の色や乗り方も忘れてしまいました。買ったばかりの回数券もどこにいったやら。
今後、食べ物事情、スポーツ事情、観光スポット等を報告できたらと考えています。

カナダリポートNo.4(前編) 2001/06/20 (水) 08:50
皆さんいかがお過ごしですか。1ヶ月ぶりにカナダレポート第4段を送ります。
石鎚会のシングルスも始まったようですね。今年はこのホームページで結果がチェックできるので楽しみにしています。管理人さんは相当ご苦労されていることと存じますがこれからもよろしくお願いします。
私は残念ながら今年は参加できませんでしたが、来年に向けてトレーニングを始めました。そうです、いよいよテニスを再開したのです。といっても週1回ですが。まず近所のスポーツ店に行きラケットを買いました。Wilsonのハイパー・ハンマー5.6ローラー、日本円で約18000円でした。
こちらでは一人も知り合いはいないし、大学の研究室や周りの人たちでテニスをしそうな人は見あたらず、UBCテニスセンターという大学内の有料施設を覗いてみました。
ここは屋外4面、室内4面(いずれもハード)を有し、専属コーチがいて、毎日レッスンがあり、大学外の人にももちろん開かれています。金曜日以外はマシンを使った基礎練習、主にシングルス対応で、私が参加している金曜日は、ダブルスの試合形式のレッスンです。3ヶ月か半年単位のレッスンですが、いつでも飛び入りで参加でき、1回2時間が12カナダドル、日本円で約1000円です。
コーチがその日のメンバーをチェックして組み合わせを決めて試合をし、適当な時間で組み合わせを変えていきます。人数によってはコーチが入ったり、シングルスをやったりということで2時間から2時間半ほとんど休憩無しに頑張っています。
毎週来ている人の中にスイス人のジョージというかなり上手な人がいて、ジュニアの時代からやっていたそうです。特にシングルスは得意で、初めのうちは競っていても体力でやられてしまいます。ダブルスでもジョージとショージが組めば負け知らずで、他のレッスン生と組んだコーチが相手でもいつもやっつけています。ただし、コーチはショットの一つ一つが私よりランクが上でさすがにプロだと感心させられます。
夕方6時半からのレッスンが終わるのが8時半から9時ですが、まだまだ明るいバンクーバーです。今は夜の9時半にならないと暗くなりません。約15度の緯度の差を実感させられます。
この落書き帳は字数制限がありますので、ここらで休憩し、すぐに続きを送ります。(To be continued)

カナダレポートNo.4(後編) 2001/06/20 (水) 10:09
(続き)
カナダといえばホッケーということですが、アイスホッケーに関してはあまり情報を持っていません。しかし、必ずどこかのテレビでやっています。バンクーバーにはCanucksというNHLプロチームがあります。こちらに来てすぐ、生の試合を見ようとしたのですが、レギュラーシーズンが終わったところで実現しませんでした。
その他、自転車(ロードレース)が本当に盛んです。大学内および周辺でも交通規制をして、ロードレースを週1回はやっています。ここにはいわゆるママチャリはなく、スタイルはほとんどがレース用かMTBです。自転車通学、通勤する人もレース用のスーツに身を包んだ人が80%、ヘルメット着用者は実に99%といったところです。
テニスコートの話はしましたが、大学内にはいろいろな施設があり、一般に開放しているものが多くあります。その一つがUniversity Golf Courseで、大学の敷地内にゴルフ練習場ならぬ、ゴルフコースがあるのです。
その他、有名な民俗学博物館やシアター、多数の庭園などです。庭園の一つにはNitobe Gardenがあり、これは純日本庭園で、ここUBCで客員教授をしていた5千円札の新渡戸稲造を記念して作られた庭園です。こちらではナイトベガーデンと言わないと通じません。私もまだ行っていないところだらけで、UBC(キャンパス)の規模というものがある程度伝わったでしょうか。
こちらの学校は9月入学なので、UBCでは4月に最終試験があり、5月から8月までなんと4ヶ月の夏休みがあります。ごった返していた食堂もゆっくり食事ができるようになりました。
前回レポートした、バスのストは相変わらず続いています。高齢者からの反発もボチボチ出始めているようですので、3ヶ月(6月いっぱい)が一つの区切りかなと予想をしています。車の運転にはだいぶ慣れてきましたが、日本と違って、ドライバーのマナーが良いのに感心させられます。歩行者、自転車を優先させる、信号が変わるときに無理して突っ込まない、車線変更なども、ウィンカーを出せば譲ってくれる車が多い等々です。
前回のレポート後、石鎚会の方から思いがけずメールを頂きました。本当にありがとうございました。他の方々からもメールをお待ちしております。もし、私がこちらにいる間にバンクーバーにお出かけの計画のある方は是非ご連絡ください。

カナダレポートNo.5 2001/07/13 (金) 08:30
私は前回のレポートでテニスを再開したことを書きましたが、実は、その後テニストーナメントを観戦する機会があり、さらに自らローカルな大会に出場してみましたので、レポートいたします。
先月、バンクーバーオープンと称するトーナメントが大学のテニスセンターで行われました。こちらではプレーヤーのレベルを1〜5の数値で表します。
一般的なローカルトーナメントは、3/4,4/5クラスがメインのようです。日本で言えば、B,Aに相当するのでしょうか。バンクーバーオープンには+5.0(いわゆるオープンクラス)もありました。
最終日に覗くとローティーンの女子プレーヤーが登場してきたのでジュニアクラスもあったのかと思ったのですが、試合前の練習でストロークを2,3球打った瞬間に、それはまぎれもなくオープンクラスの決勝戦だとわかりました。
若い女の子二人が、あれほどのプレーはテレビ以外で見たことがないというテニスを展開するのです。後でわかったのですが,二人とも15,6才で、バンクーバー市のあるブリティッシュコロンビア州のランキング1位と3位のプレーヤーであり、おそらくプロ予備軍でしょう。
それに刺激されたわけでもないのですが,この間の週末に隣のリッチモンド市で開催された小さな大会に参加しました。
トーナメントはもちろんダブルスそのものがほとんど未経験という日本人の女性とミックスダブルスの3/4クラスにエントリーしたのですが,参加者が少なく結局4/5クラス8ペアのトーナメントとなりました。
土曜日午前中に1回戦、日曜日午前中にセミファイナル,夕方からファイナルというスケジュールでした。
順調に決勝まで進みましたが、ファイナルの2セット目に入った頃から、持病の腰痛が出て、逆転でやられてしまいました。
トーナメントはすべて3セットマッチの長丁場であり、日ごろの運動不足による体力負けと、こちらの人の物凄いパワーに負けないようにと少し無理をしたのかもしれません。
相手が女性であってもまったく手加減せず叩き込んでくるし、女性が前にいるときに正面アタックをかけるのも当然であり、ここではそれがミックスダブルスのようです。
初めての大会で様子もわかりませんでしたが、もし次の機会があればと密かに期するものがあります。それでは次回のレポートまで。