2000年1月のトークページです。

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最新のトークはこちら。

1/1 オイラ 「新年のごあいさつのみ」 1/17 オイラ 「楽譜考PART2」
1/5 オイラ 「年輪」 1/19 オイラ 「今日の発見」
1/7 オイラ 「吹奏楽コンクール」 1/21 オイラ 「燃料電池」
1/9 オイラ 「皇太子殿下の憂鬱」 1/25 オイラ 「HP更新恐怖症候群」
1/10 オイラ 「成人式」 1/29 オイラ 「幼稚園児おそるべし。」
1/12 オイラ 「楽譜考」 1/31 オイラ 「家計簿たのしいよ!」
1/15 オイラ 「アナタはどっち効き?」

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2000.1.31 オイラ 「家計簿たのしいよ!」

今日で1月が終わりました。
オイラの家計簿も1ヶ月つけ終わりました。
掲示板にて、やまちゃんにも突っ込まれましたが、自分がいかに浪費家であるかが数字となり、如実に迫ってくる家計簿は恐怖のソフトです。

しかしその逆に「嗚呼、オイラはこんなに貧乏なのにまたつまらんものを買ってしまった。」と一種マゾ的な快感を最近は覚えはじめていますデス。

オイラの使っている家計簿ソフトは「ハイパー家計簿プチ」っていうやつで、ウィンドウズ版をマックに移植したソフトのようです。ちなみに「プチ」はソフト単体販売の製品で、「プチなし」はハイパー家計簿以外にゲームのぷよぷよやポストイット、それに小物ケースが付いてきます。う〜ん、ものすごい抱き合わせだ (^_^;)!

実は入力し始めて今日までに3回もデータを飛ばしてしまいました。パワーブックとデスクトップでシンクロさせたときに消去されてしまったのが1回。これはおそらくオイラ自身のミスです。あとの2回は信じられないようなソフトの「仕様」のために消えてしまいました。

その日使ったお金を入力しますよね。んで保存しないと消えてしまうんです。保存しないままソフトを終了したり、マックを終了するとデータが消えるんです。最初は気付かないままに入力しては消え、入力しては消えをくり返していました。おかげで今月は3回も入力したので毎日をよ〜く覚えてます (^_^;)。レシートのない買い物を思い出すのは至難の業です!電車などの交通は1ヶ月以内ならなんとかなりますが、缶コーヒーを買ったとか、路上販売の中古雑誌を買ったとか、みんなでファミレスいって何食べたっけ?なんてことはどんどん忘れていきますよ。データが消えていることを知ったときは(特に3回目!)泣きたくなるような脱力感に見舞われました。こんな気持ちを味わうことが出来ただけでも家計簿ソフトのもとが取れたぞ!〜!

家計簿を入力するためにはまず、入力項目を設定しなければいけません。あらかじめ細かい項目が設定されていますが、細かすぎてつかいにくいんです。「養育費」「ローン返済」「給与」なんて項目を消して、「音楽素材費」とか「ギャランティ」とか「楽器代」なんて項目を新しく設定していきますが、この行為自体が自分の毎日の生活を見直すきっかけとなります。オイラは外食が多いので「食事代」とはべつに「外食・喫茶」という項目を設けました。

毎日部屋に帰ってきて、今日1日の出来事や自分の行動パターンを反省することこそが、オイラにとっての家計簿つけの真の目的であると感じております。
しかし最近は家計簿入力したいがために、更に無駄な買い物をしているきらいがあります (^_^;)。ほ〜ら、みんなもはじめたくなってきたでしょ!

2月はお金たまるかな。


2000.1.29 オイラ 「幼稚園児おそるべし。」

今日は幼稚園で演奏してきました。

打楽器アンサンブル音楽鑑賞教室(音教−オンキョウ-)は、よくありますが、幼稚園で演奏する機会はほとんどありません。園児の人数からして仕事としてなりたたないのが大きな原因です。だからいつもなら6人で行くところを4人で演奏したり、経費削減しないとなかなか実現しません。今日はめずらしく6人の大所帯で演奏してきました。

音教は演奏家にとっては3Kの部類に入る仕事です。まずギャランティが安いこと。ときたまたくさんでることもありますが、往々にしてディスカウント価格になります。当然軽費もないので事前にリハをすることは難しいのでほとんど一発本番になります。そしてこれが一番重大なんだけど、朝がとてつもなく早いことが多い!学校側からすれば、2時間目が低学年で4時間目が高学年みたいに授業のサイクルでしきるのが手っ取り早いんでしょうが、そのために始発に乗らなければならないこともあります。

しかし多くの演奏家が感じていることは、「音楽教室こそ最高の音楽を提供したい」です。初めてパーカッションなりクラシックなりに触れる機会であろう音楽教室の現状は、生徒も演奏者も、そして教員の皆さんにとっても退屈でこなすべきイベントに成り下がっています。演奏者として恥ずかしい。

お金がないので演奏から環境まですべてが犠牲になっています。基本的に費用は生徒一人一人の出費によってまかなわれているので(そこの市区町村が主催する場合もありますが)、児童数が減っている昨今の学校ではさらにお金が減っています。「1人の生徒から500円以上は集められません。」これを言われてしまうと話が終わってしまいます。でも、おかしいよ。

いいものを子供達に。これが演奏家の願いです。しかしいいものはお金がかかるというのは厳然たる事実です。音楽は金額で計ることは出来ませんが、演奏会終了後に「今日の演奏会は10000円出しても安いよ」って言われるくらいの感動を伝えたいわけです。お金がないけど学校行事の一貫としてこなさなければならない音楽鑑賞教室なんか、やめるべきです。だれの得にもなりません。

それで今日の話です。
今日は幼稚園ということで、僕らはボランティアのような精神で演奏しました。こういうときはお金のことは二の次で一生懸命演奏できます。園児達の楽しそうな笑顔はなによりの報酬でした。

子供達に向かって演奏するとき、一番大事なのは目線だと思います。子供達は体育座りをして聴いていますが、演奏者は立っていることが多いので、どうしても体育館などでは僕らが見おろし、子供達はずっとクビを上に向けた状態になります。子供達は最初少なからず緊張しているので、僕らが彼等の目線に降りていくことが最低必要条件です。しかしこれが難しい!だって僕らだって緊張しているんですから。

そういうわけであまり演奏する機会のない幼稚園での演奏はとても刺激的でした。
彼等は無邪気で純粋というよりも、この世で最高に残酷な人種です (^_^;)。面白いか面白くないか。それだけで毎日を過ごしていますので、彼等が感じていることを彼等の目線におりて、随時感じとる姿勢がないと競馬場やストリップ劇場並の罵声も飛んできます。だからおもしろい!こっちも必死になれるよ。
「このお兄さんキライ!だってシャツがシワクチャなんだもん!」こんなささいなことでも彼等にとっては大事なファクターだったりするので、こっちとしては体当たりでがんばろうと言う気にならざるを得ません。音楽以前に人として戦いを挑まないと信頼が生まれないと、今日は改めて教えられました。

巷で行われるコンサート。日本人は多少つまらなくても演奏者本人を目の前にすると「ヨカッタよー!」の連発です。オイラはこういうの辛いです。スポーツの世界でさえ日本ではひいきの選手に対して甘い評価をくだす民族なので仕方ないというか、そういう文化のもとに生きてきた人種なんだけどね。

「この子達がもし106歳までいきたら22世紀に届くんだなぁ」なんて考えながら、世代のギャップを振り払いつつ、しかし10年後にはこの子たちも渋谷でウ○コ座りしているすがたもまぶたの裏に浮かんでは消え、こっちも作り笑顔でなく、本心から楽しめるステージを一生懸命につくったので今日は身も心もクタクタです。

いい1日でした。


2000.1.25 オイラ 「HP更新恐怖症候群」

アクセスカウントが4000を突破いたしました。この場をお借りしましてお礼を申し上げます。

現在は活動を休止しているにも関わらず、毎日訪れてくださる方がいらっしゃるのはオイラ自身にとっても驚異であります。今後も有益・無益・音楽的・非音楽的を問わず発信していきたいと思っておりますので、よろしくお願い申し上げます。

ここのところ更新を怠りがちですが、理由は簡単。書くことがないからです (^_^;)。書きたいネタはいくらでも転がっていますが、ページで発言するレベルまで考えをまとめる時間的余裕がありません。仕事が忙しいんです。

オイラ怠けもんだからなるべく仕事は少なく、自分の時間を削ってまで仕事をするほどの気合いもあまりないんですが、去年入院のために仕事をいれられなかった反動で、今は仕事ひとつひとつに「感謝の念」が湧いてきます。仕事と音楽に集中していると、他のどこかがおろそかになりますが、今のオイラはその状態です。ですのでこれからしばらくはこのページの更新も間隔があいてしまうと思いますが、ご了承くださいね。仕事にブランクがあったにも関わらず、たくさんの仕事が今年になって舞い込んでいるために今はそのひとつひとつをベストの状態で乗り切るために集中しています。充実した日が続きます。

去年頃から、ネットサーフィンをしていると「このページの開設者は退会されました」と表示されるページがやたら目に付く気がします。HPをクローズする人が増えていると思います。

この気持ちはよーく分かります (^_^;)。HPを主催している方は分かるでしょうが、HPは作ることよりも更新していくことの方がよっぽど労力を削がれます。最初は嬉しかったり楽しい気持ちが上回っているので、どんどん更新したり新しいコーナーを増設したりしますが、アクセス数が伸びないとか、逆に伸びすぎてプレッシャーとか、「責任感」のような感覚が芽ばえはじめると苦痛に思えるときがあります。ネットを巡回しているときは気付きませんが、HPを作成する側にたつとお気楽なだけではやっていけない面倒さがあります。

コラムを書いているページを見れば、誰でも一度は「今日はネタがありません、困ったなぁ〜」というセリフを吐いたことがあるでしょう。書きたいことが自由にかけるメディアなのに、なぜか自分自身で締め切りをつくって精神的に追いやってしまう風潮が少なからず流れていると感じます。オイラも例外ではありません。

このページはうんざりのメンバーが書きたいこと、皆さんに言いたいことがあったときに更新していくページです。書かないという選択肢を尊重する気持ちを持って更新していきますので、よろしくお願い申し上げます。


2000.1.21 オイラ 「燃料電池」

★今回はシロートなのに書かせていただきますので、間違っていることもあるかも知れませんが、お気付きになりましたらご一報ください。

皆さんは燃料電池って知ってますか?
次世代を担う新エネルギーのひとつとして今盛んに研究・開発が行われているものです。一部では実用化され始めているものです。他には太陽電池や核融合なども有力です。
燃料電池は、とってもクリーンなエネルギーとされていて、水素と酸素で水を作り出すときに発生する電気を使用するのが原理のようです。つまり電気を作ると水が出来るってことになりますから、自動車業界を中心に各分野での開発が急ピッチで行われているところです。
燃料電池開発情報センター http://eclab.kz.tsukuba.ac.jp/fcdic/ja/

ハイブリッド・カーとか、低燃費カーなんてのはオイラはあまり意味がないと思っています。ガソリン代は浮くでしょうが、根本的な解決にはなっていない。現在の車は燃料効率が30から35%だったと思います。ガソリン10リットルのうち、7リットルを無駄にしながら僕らは移動しているという事です。ほかの7割は熱や排気ガスとなり、大気へぶちまけている状態だと思うとものすごい罪悪感を感じませんか?

燃料電池はその点夢のような技術に思えています。発生する熱も利用する方向で開発が進んでいるので、その場合燃料効率は80%になるそうです。これは凄いことですよ!また燃料は水素以外にもメタノールなどが使われていますが、たとえば東京湾に沈んでいる汚泥を処理することによって燃料を得ることができます。つまり安くて綺麗になる!生ゴミを燃料として電気を作る燃料電池も日本の鹿島が開発しています。現状ではデメリットが分かっていないのでなおさら夢のように感じています。

自動車での一番の問題はインフラで、既存のガソリンスタンド(水素、メタノールなどを補給するスタンドが必要になる)との兼ね合いやコストはすぐに実現できるレベルではなさそうです。それでも2003年には実用車が必ず出回っているでしょう。これは法律(条約?契約?)で決まっていますので。

今日はネットで燃料電池の新しい記事を見つけました。
モトローラ社が携帯(モバイル)用小型燃料電池を開発と発表していました。
今のリチウムイオン電池の10倍の性能なので、携帯電話なら1ヶ月充電の必要もなく、コストも安いそうです。もちろんクリーンなエネルギーだし。でもわかんないのは水出ないのかな?携帯使っているとアンテナの先からピューッって水が飛ぶのかな?モトローラ http://www.mot.co.jp/PR/html/news/2000/0120.html

携帯電話やパワーブック、PDAの未来を考えるといろいろ創造が湧いてきます。
やっぱり電池は小さくて軽い方がいい。チャージングステーションもホテルや飛行場に設置されれば無敵!ソーラーパワーも見逃せません。
紙のような液晶も出来ると思います。丸めたり畳んだり出来たら、もって歩くのにも凄く便利ですよね。コンビニの袋に入れてバナナと牛乳と一緒に持ち歩けるよ。ラッシュの電車の中でもメールチェックなんて簡単!!夕刊フジより細長くして読めたらいいよなぁ。

原発に費用を投じるくらいなら、国をあげて新エネルギー開発に取り組むべきだと思います。ちなみに現在の電力(原子力・火力など)も効率は50%に満たない状態です。
すでに今の原発は放射能汚染廃棄物以外にも「怒り・憎しみ・哀しみ」という排気ガスまでまきちらしていることに何で気付かないかなぁ?>○京電力!


2000.1.19 オイラ 「今日の発見」

やっと冬らしくなってきましたね。
ここ何日かはちょっと暖かいですが、でも12月頃に比べるといい寒さ加減です。
空気がたっている、凛とした匂いがオイラは好きです。東京の冬は生ぬるくてどうにも半端な感じだけど、それでもこの時期は外を散歩すると気持ちがすっきりします。

2年前からやらなきゃ!と思っていたCDの整理を少しずつやっています。すでにオイラは仕事上必要なCDはデータベース化してあります。CD1枚ずつにナンバーシールを貼って、マック上で検索できるようにしてあるんだけど、所有枚数がナンバーシールを上回った状態が続いているために去年買ったCDについてはちゃんと整理できていないので、ナンバーシールを作り直すところからはじめている最中です。

皆さんならCDのデータベースって、どうつくりますか?

高機能アプリケーションなら、気にせずどんどんつくれるでしょうが、クラリスワークスでやるとなると、最初が肝心だったりします。オイラは考えあぐねた結果、CD単位ではなく、曲単位で管理しています。曲ごとにカードを作成するわけです。1枚のCDに10曲はいっていたとすれば10枚のカードを作るということです。こうすると例えば「ドンファンはどこに入ってる?」なんてときに「22、57、106番のCDに入っている」ということが分かります。特に目当ての曲以外の曲を検索するときに便利です。小さな作品なんて、持っていないつもりでも案外どっかの交響曲に紛れてたりしますよね。クラシックCDにはお勧めの管理方だと思いますが、いかがなもんでしょうか?

深夜、散歩するのが気持ちいいのでさっきセブンイレブン行ってきました。「コーラ2000年記念ボトル」を発見してしまったので購入 (^_^;)。スケルトンカップヌードル以来、限定品に非常に弱くなってます。

300円もするけど、箱入りでなかなか洒落たボトルじゃないですか!古いボトルシェイプなのに、2000年の新しさが全体のデザインを支配していて、気に入りました。今日はいい気分でございやす。

ちなみにおっぱいアイスも発見!購入しました。わかんないよね (^_^;)。小平のガキども連中では通称「おっぱいアイス」と言われていたアイスが新パッケージでお目見えしてたんです。コンビニはやっぱり楽しいな。


2000.1.17 オイラ 「楽譜考PART2」

前回楽譜について書き出したら、自分の思うこととは全然話がそれて内容が浅く広くなってしまいました。んでもう一回気を取り直して書いてみようと、考え続けているんですが、どんどんと頭の中が飽和してしまっています。

いつもトークを書く場合、オイラが皆さんに言いたいことや伝えたいことに向かって話を展開していくことを心がけていますが、今回はどうしても展開している間に「アレ?何が言いたかったんだっけ?」となってしまうんですよねぇ。楽譜について自分の意見を述べるほどの見識がオイラにないか、それとも楽譜の世界が複雑怪奇で手のつけられない状態なのか......

というわけで、取り留めもなく頭の中を渦巻くことを書きつらね続けたいと思います (^_^;)。そこから何か見えるかも知れないしね。

楽譜のある演奏と暗譜のある演奏が存在します。
暗譜で演奏するということは、練習の段階で何度も何度も繰り返し演奏して楽譜を覚えてしまうということです。長期記憶になった曲については何年経っても覚えていたりします。また、頭だけでなく、練習を重ねる中で身体でも音楽を覚える効果があるので、その人の個性を出しやすい演奏方法でしょう。たとえ途中で間違えても記憶をたどれば瞬時に復帰できる心の余裕が音楽に個性を持ち込むスペースを生みます。本番中にド忘れしてしまうと大パニックになるのも醍醐味だけど。

楽譜を見ながら演奏するということは、短期記憶の連続で楽譜データを処理していく(演奏していく)ということになりますので、脳味噌は大きなストレスを抱えることになります。明らかに暗譜に比べれば練習量は少なく、個性は出しにくいです。ただし、余裕の少ない中での演奏はステージにリアリティを呼ぶので演奏家が集中の極致に達しているときの楽譜のある演奏は、聴く者に強烈な魅力を与えると思います。有名な作曲家の楽譜はそういうことがよく考えられているもので(全員とはいいません)演奏家に多大なストレスをわざと与えて、そこから生まれる純粋な物を求めていたり、暗譜をするほど練習を重ねていても楽譜を見ながら演奏すべき曲というのは確実に存在します。

こうして考えると、楽譜とは演奏家にとって生命なんだと改めて気付かされる思いです。暗譜してようがそうでなかろうが楽譜こそ音楽に生命を吹き込む設計図であることに変わりはないということですね。カラオケに遊びに行って、十八番の曲を歌うときだって、覚えていてもやっぱりモニタの歌詞を追いかけたりするのに似ていると思います。楽譜自体に音楽の生命があるから、覚えていても楽譜をおいて演奏したほうがいい場合がたくさんあります。ド忘れも回避できるのはデカイ。

SFX,CGが隆盛なハリウッド映画では、俳優がドラマのストーリー自体を知らないままに台本を演技することがよくあるそうですが、これは音楽にもあてはまります。自分の出した音が開場でどう聞こえるか?責任を持ってまとめるのは指揮者であったり、音楽監督であったりします。

アドリブが「瞬時の作曲作業」であったり、1曲まるまるアドリブだったりすることもありますが、そもそも曲を楽譜に残すという作業がアドリブを紙面上に記録する行為といっても過言ではないので、まぁ言ってみればアドリブを演奏しているプレイヤーの頭の中に楽譜が見えているという状態です。

これからも楽譜は名や体をかえながらも存在し続けることでしょう。コードの走り書きだけとか、寸法だけの譜面とか、モニタの中だけの存在になってしまいつつあるけれど、それでも存在し続けることには違いないと思います。このトークを書くまでは「楽譜の権力は希薄化し、いずれなくなるのではないか?」と結論づけるつもりだったけど、全然逆の解釈に落ちつきました。

今年の入試センター試験の国語の問題が近藤譲著「『書くこと』の衰退」からの出典でしたが、計らずもオイラの考えに近似していました。皆さんも新聞読んでみてください。え?近似してないって? ナンダトー!!(いいのかな?こんなオチで (^_^;))

阪神・淡路大震災から5年目だそうです。被災者の皆さんの想いは想像することしかできませんが、あの日の衝撃を他人事としてとらえず日々活きていくことこそ、亡くなられた皆さんの供養にも繋がると信じて生活していきたいと思います。天災の前に無力な僕らが精一杯努力できること、それぞれの立場で考えていきませんか?


2000.1.15 オイラ 「アナタはどっち効き?」

アナタは右利きですか?左利きですか?

人には利き腕がありますが、これって意味あるのかなぁと不思議に思うことがよくあります。だって両方利き腕だったらすごく便利じゃないですか?箸を両手に持ってカニさんよろしく煮豆をつまんだり、荷物でふさがってない左手で財布の小銭まさぐったりできたりして。

人は右と左で何かと分かれているようで、効き顔、利き足もありますが、動物にはあるのかな?ないですよね。
右利きのハトとか、左が効き顔のマグロなんて見たことないもん。脳味噌が発達して右脳、左脳と役割が分かれた結果なのか、二足歩行のためなのか。左に心臓があるから右利きが多いという話は聞くけれど、両効きだったら心臓だってもっと安心じゃんね。ちなみに昔から思うんだけど、パソコンは両手でふたつのマウスが使えたら便利だと思いませんか?左手用のマウスで左手用のカーソルをコントロールしたら、ごみ箱にいろいろ入れたりするときや、よく使う処理をするときにテキパキすると思いません?マウス入力が片手ということは、本当に効率が悪いといつも思います。

オイラはパーカッショニストです。タイコの練習をするときに気をつけるのは両手が同じように動かせるようにすることです。どっちの手でも同じ音が出せなければ交互に叩いたときにデコボコしたサウンドになってしまいますからね。

オイラ練習嫌いと言うこともあって、生活の中でなんとか少しでも直せないかと考えました。左手でお箸を使うこともやりましたが、これは料理の味がわかんなくなっちゃう(手に神経使いすぎて)断念しました。水泳もよくやりました。クロールを延々と続けますがキック(脚)はなるべく使わずに泳ぎます。1プル1キック(手1かきに1キック。走るときと同じ感じ)でまっすぐ泳ぐには左手が右手と同じように使えないといけないのでいい練習になりました。さらに息継ぎも左右で行うことで随分身体の使い方を覚えました。でも水泳となるとなかなか通えないのでここ数年はほとんど泳いでいません。

今でも続けていることは歯磨きです。利き腕の右手を使わずに左手で磨くんですが、これも結構難しいですよ。今では自由に磨けますが、最初はよく口から血を出してました。歯ブラシの毛のない裏で奥歯磨いてたり(磨くとは言わないか)、だんだん左手が上がってきて背中はよじれ、顔もひきつってたりして (^_^;)。

高校時代の先生が「左利き天才論」を主張していました。世間の物は右利きを当然とした作りなので左利きの人は自然と右手も鍛えられ、かつ左手を使うことで脳を左右まんべんなく動かすことになるので、想像力や判断力などがバランスよくなるという説です。これは絶対に一理あると思いますよ。駅の自動改札、自販機のコイン投入口、パチンコのハンドル、どれもこれも「さぁ、利き腕の右手でお使いなさい」だもん。左利きの人は否が応でも右手を鍛えることになるでしょう。

でも最近思うことは、左右が同じように使えることは音楽にとって必ずしもいいとは限らないということです。もちろん左右が同じように動くトレーニングは必要だけど、左右の音が微妙に違うところに音楽的うねりがあるように感じます。温泉街の下駄の音が左右同じだったら嫌なのと一緒で、メロディを演奏するマリンバでさえ左右の音の違いが演奏に魅力に繋がっていると思います。だからこそ手順まで含めて練習するんだしね。

でもやっぱ、左右同じように使えたら本当に便利だと思うわ。
練習しなきゃな。ハァ〜 (:_;)

☆アナタは電話の受話器はどっちの耳ですか?オイラは左です。ちなみにチューニングや音楽を聴くときは右耳を傾けてしまいます。


2000.1.12 オイラ 「楽譜考」

今日は楽譜について書きます。焦点が定まっていませんがお許しを。

音楽に楽譜はつきものです。これ常識。

というのは全くの幻想です。楽譜はなくてもいいし、現に楽譜のある音楽の方が圧倒的に少ないのではないでしょうか?とにかく、楽譜の存在が音楽を専門家のものと洗脳する権力のような存在にあるのは少なからず事実だと思います。

パソコンやワープロは今でこそインターネットの成長に助けられ、一般の家庭にも家電感覚ではいってきていますが、つい最近までは敷居の高いキカイでした。これは何と言ってもキーボードの存在が大きいです。はっきり言ってしまえば、ほとんどの人は目的を持って使うことよりも、キーボードが使いこなせるかどうかの方がパソコンを購入する上での重要な条件(覚悟)ではありませんか?

同じように楽器を習いたい、歌を歌いたいという欲求は、「でも私は楽譜が読めないから」という劣等感にも似た精神構造により阻害されています。オンチだと恥ずかしがっているのも問題です。でもこれは90%以上の人がオンチだということを認識すべきです。生まれてからの数年間に音程感のすぐれた音楽に触れた人たちのみがオンチではありません。あとオンチの人は練習で克服するんです。

楽譜は小学生の時にほとんどの人がその基礎を勉強しているはずですが、それでも読めない人は読めません。小学校の授業がわかりにくいことが原因だと思います。日本の音楽教育ではドレミやイロハ、四分音符や全休符、ト音記号にヘ音記号、氓フ和音や」の和音など、知識として覚えなければならないものが多すぎると思います。楽譜は縦軸が音程、横軸が時間のグラフであるということさえ分かれば、「ドの位置はどこだっけ?」なんてことは後でわかればいいことだと思います。ちなみに一点ハ(いわゆるドの位置)がなんで五線の下に加線して書くか知ってますか?大譜表を思い浮かべてください。大譜表とはピアノの譜面の形式だと思ってください。上にト音記号の五線、下にヘ音記号の五線。五線が二つでひとつの楽譜と見た場合、一点ハはど真ん中に来るようになっています。ト音記号にもヘ音記号にも属さない(ようにみえる)真ん中の音が一点ハです。

また、リズムを教えると言うことが今の教育システムには皆無と言っていいでしょう。オイラは最近の小学校の教え方についてほとんど知りませんので、もしかしたら革命的変革がおこっているかも知れませんが、日本全国の教師の皆さんが全員リズムを教えるに足りる知識と情熱をお持ちかどうかは、疑問を持たざるを得ないでしょう。

話が脱線しています。もとに戻しますね。

口三味線ということばがありますよね。元来音楽は口から口へ伝承していくものでした。それをなんとか記録として残すために発展したのが今の楽譜で、それは国、ジャンル、楽器などによっても異なる発展を今も続けています。今の僕らは楽譜を読むことが第一で、その後に「そこはこういう風に」などと指示をもらったり、イマジネーションを働かせますが、歴史は逆だと認識すべきです。「この音をこういう風に演奏するためにはどのように書き記せばいいのか?」これが楽譜の歴史そのものでしょう。

仕事をしているといろんな楽譜に出逢います。楽譜は作曲家やアレンジャーと僕らプレイヤーを結ぶ手紙であるのに、譜面からこの曲に対する愛情を感じとれないときは切なくなるばかりです。愛情のある譜面ならば、多少無茶苦茶な要求をされても逆にやる気がみなぎったりしますが、やっつけ仕事のような譜面はその人の人格までも嫌いになってしまうほどです。ひとつの音楽をこの世に生み出すためのチームワークをはなっから拒否している楽譜からは何も生まれては来ない。こういう楽譜に出逢ったときは不運とあきらめて、ビジネスモードで時をやりすごすしかありません。またこの方法がベターだと思います。

楽譜について書き始めたらどんどん脳味噌が回りそうになってしまいました。
まず、楽譜とはなんぞや?からはじまり、楽譜の今後まで考えると音楽と時代が見えてきます。

長くなったのでまたの機会に。


2000.1.10 オイラ 「成人式」

成人式を迎えた皆さん、おめでとうございます。H子さん、おめでとう!

二十歳という年齢は今までの人生を振り返り、これからの長い道のりを考えるにはいい機会です。成人式を迎えた皆さんは少なからず自分の今後のdecadeに想いを馳せ、大きな夢を持つことでしょう。

オイラのオヤジはすでに他界しています。去年七回忌でした。

オヤジは呉服屋を営んでいました。オヤジが亡くなって数年後に従業員の方にお譲りしたので、呉服屋自体は存続しています。(オヤジはオイラに継いでもらいたい夢を持っていたようですが、音大進学を許してくれたことに感謝しております)
毎年15日の成人の日はいそがしくしていました。朝3:30ころには店を温めはじめ、気付けの準備に追われていました。子供の時分はいつもとちがう(いつもはおばあちゃん中心の客層ですので)綺麗なお姉さんがたくさんやってきて、美しい晴れ着に変身してお店を出ていくのはなんとも楽しかったのを覚えています。

和服は美しいですが、着こなすのは現代人にとってなかなか難しいですね。大体自分で着れない服をきこなそうなんてことが無理な話ですし、気付けの方も和服をまとった女性の「美」について無頓着な人が多いようです。オイラはほとんど分かりませんが、オヤジとともに30年働いたオフクロはテレビに出てくる着物を見てよく怒っています。「あんな高級な着物なのに、帯の結びが着物の柄とちぐはぐだ!」なんてね。

かくいうオイラも他の男性諸子に比べれば目が肥えているようで、和服を着た美しい女性のたち振る舞いには敏感なようです。歩き方が美しくない女性はTシャツかぶせられたダックスフントにみえちゃう!
まぁ、成人式なんて単なる儀式ですが、日本人が育てた和服に触れたり、同級生と再会できたり、自分や社会の今後を考えるきっかけにでもなれば、儀式もまんざら捨てたもんではないと思います。

「最近の若いもんは!」はいつの時代もオヤジ達の常套文句ですが、この言葉の先には己自身が歩いてきた青年時代への反省と、若者へ託す夢が溢れているものです。オイラも今の二十歳前後の皆さんとはギャップを感じることがあるけれど、彼等には僕らの持っていないセンスを感じることがあります。熱くみなぎった魂とエネルギーをどこに向けたらいいのか?悩み苦しむ若者がたくさんいることが悲しいことでもあります。

難しい時代に成人を迎えたみなさんに期待する気持ちは計り知れなく大きいです。みなさんの向かう道がこれからの世界を大きく変えることでしょう。是非こころしておいていただきたい。一緒に世界を変えていこうよ!


2000.1.9 オイラ 「皇太子殿下の憂鬱」

ようやく2000年のお祭り騒ぎも落ちついてきました。
最近はクリスマスのイルミネーションや2000年のどんちゃん騒ぎがうっとうしく感じていたので、ほっと一息です。

2000年は西暦の話ですよね。でも西暦1年は2000年前のことだから随分といい加減だと思いますよ。4、5年は誤差があるだろうというのが研究者達の常識のようです。きっとそのころは年齢を数えるということもアバウトだろうし、馬小屋でだれにも見られずにマリアさまがキリストを出産なさったとするなら、これはもうものすごくいい加減な話です。もちろんマリアお母さんとキリストちゃんが実在したならの話ですが。

それに比べれば元号はかっちりしていますよね。これはキリストが生まれる前後で年月を数えるよりも日本人にはあっているとおもいます。その時代の天皇が即位した年から数えはじめる元号は、「ああ、天皇さまも即位なさって今年で12年になられるのだなぁ」などと分かるわけです。この文化は大事にしていきたいと思います。即位してから何年(め)ですから。天皇が変わっても元号はそのままのこともあったようですが、西暦よりはずっとその時代に暮らす民衆に共感を得ることが出来ると思います。長さ(尺・寸)、時刻(丑三つ時)などあらゆる単位は世界標準になる中、元号くらいはがんばれ!って応援しましょうよ。

それにしても天皇一家は日本の中で唯一不自由な一族だと思います。もしオイラが「アナタは国民の象徴でございマス」などといわれでもしたら、もう下手なこと出来なくなっちゃうよ。先日のご懐妊報道を筆頭に、彼等にはプライバシーがありません。本当に可哀想です。しかも皇太子からすると父ちゃんは天皇だから、当然自分にとっても象徴で、でもいつかは自分が象徴で、息子が出来ても親子&象徴。

皇太子はどんな少年時代を過ごすんでしょうか?学校帰りに駄菓子屋に寄ってあめ玉買ったら、次の日には【皇太子殿下御用達飴玉】なんて垂れ幕下がったりして。駅の立ち食いそばのカレーのうまさや、牛丼を友達とむさぼる深夜行動とかできないんだろうなぁ。よしんば出来たとしても「僕は国民の象徴になるの」なんて考えただけで牛丼もうまくないよ。第一友達も「オレの横でツユダクすすってる奴はいつか天皇」なんて....アレ?これは面白いかも?

年賀状は書いたり届いたり出来るのかなぁ?浩宮さまには小学校時代の同級生なんかから届くんでしょうか?
汚い芋版がドカンとついて、はじっこの方に申し訳なさそうな文字で「今年もヨロシク!」って書かれてもどうヨロシクなのか難しい問題だ。住所は「千代田区 皇居」だから日本中全員知っているだろうから「幼稚園の時の同級生で〜す。」なんていう年賀状もまぎれているかもしれない。年賀状のお年玉があたっても郵便局に行くのはジィやなんだろうし (^_^;)。

彼女できてラブホテル行くのも一大決心なんてものじゃないでしょう。もし身元バレたら【皇太子殿下御用達高級ほてる】だもんね!下手したら名前変えられちゃって、【Hotel 菊の御紋】ウワァ〜!!

ごめんなさい。調子に乗りすぎました。先日の先走ったご懐妊報道にたいるすアンチテーゼと御解釈ください。


2000.1.7 オイラ 「吹奏楽コンクール」

NHKで淀川工業高校吹奏学部のドキュメントが放映されました。

彼等は吹奏楽コンクールで常連の金賞バンドです。吹奏楽コンクールは約3000の高校(ちなみに中学はもっとものすごーく多い)が参加し、夏休みから10月までの期間に開かれます。全国大会に出場するには、血の滲むような練習を積まなければなりません。そのなかで淀川工業高校は毎年全国大会金賞を続けているそうです。テレビで放映された彼等の演奏は素晴らしかった。

スクールバンドの上達のカギは残念ながら教師にかかっています。残念ながらというのは学生がどんなにやる気と努力を見せても、トレーナーである教師に技量がないとひとつの生命体であるオーケストラをまとめることは無理だからです。プロのプレイヤーもほとんどがそうであるように、いい師匠と出逢い、鍛錬することが大事だということになっています。

皆さんの中にも吹奏楽経験者やコンクール出場をしたことがある方、いらっしゃるでしょう。
オイラも中学の時に出場しました。高校はオイラ吹奏学部の顧問の先生に惚れて選んだんですが、その先生はコンクールに出ることを拒んでいたので(それも惚れた理由です)中学の時だけ出場しました。

顧問の先生も僕ら学生も、コンクールのレベルさえ分からないままに出場したので、惨憺たる結果でした。その日出場36校中、33位。1年生の時でした。悔しかったので部員でいろんな講習会や金賞バンドの演奏会に出かけたりしました。どうやら合奏で大事なのは縦の線と音程だということにも初めて気付きました。
2年の時は1年前と比べものにならないくらい一生懸命でした。しかし誰からも教わることの出来ない僕らの演奏はどう見ても上手なものではなく、やはり惨めな結果となったわけです。

でも、このときの悔しさや友情がオイラを音楽の道に向かわせたことになりました。「自分が上手になって、後輩達を教えてやろう」そんなことが一番の動機だったと思います。プロになるなんて事は大学はいるまでは想像もしていませんでした。今でもオイラの心をもっとも動かしたトランペットは中学の時のカミとヤオキのサウンドだし、あの頃演奏した曲は暗譜したままです。

学生に音楽を教えるということは、音楽を教えるということではなく、生き方を考えるということだと思います。楽器の練習をすることは自分を見つめることに他なりません。「上手になりたい」「こういう音を出したい」そんな純粋でどん欲な想いを持つことがもっとも尊い事だと思います。教える立場の先生達にはその手引きをして欲しいです。
コンクールで金賞をとった淀川工業高校のみなさんも、悔し涙が溢れたオイラの中学時代も優劣があるわけでなく、後で何が残ったのかが本当の成果だと思います(ちょっと言葉が足りませんが、いい言葉が見つかりません)。

全ての人が音楽が好きであって欲しいといつも思います。金賞を取った学生の人が今までの辛さから楽器をやめることは今の吹奏楽コンクールの大問題です。

淀川工業高校の丸谷先生がおっしゃっていました。「生徒に何かを伝えようとは思っていません。みんなが楽しくできれば、生徒がそれぞれに感じとるでしょう。私が一番恐れているのは自分が生徒を道具にすることです。」
この言葉の深さ、教育音楽に携わる全ての人々に伝わることを願ってやみません。


2000.1.5 オイラ 「年輪」

5日がすぎました。皆さんはどんな正月をすごしたでしょうか?

年末は入院のために、数カ月仕事もほとんどしない生活で、そろそろ独りで考える時間にも飽きてきていたので忘年会には喜んで参加しました。もともと付き合い的な場となりやすい忘年・新年会は好きではないので、出不精になりがちなオイラですが、今年は心から楽しく参加させていただきました。

某オーケストラメンバーであるU氏が1年間の留学を終えて12月に帰国しました。彼はオイラが尊敬する先輩であるとともに友人でもあります。お互いの立場から音楽やそのたいろんなことを気兼ねなしに話できる仲間です。彼とは高校時代よろしくファミレスで8時間もコーヒーお替わりしながら、怒涛のようにしゃべりまくりましたが、1年間にたまった気持ちや出来事はいっこうに解消されませんでした。

音楽は時代とともに生物進化の如く日々かたちを変えながらその枝葉を伸ばし続けます。時代を映し、様式美を追求し、独りの人間の心の内を刻みながら宇宙にも似た広がりを見せているでしょう。しかしクラシック音楽でさえたったの2、3百年での出来事。1000年後の音楽がどうなっているのか、考えるだけでもエキサイティングです。

この冬にオイラが描きためた曲やフレーズの数々は、少なからず今までのオイラのものとも違ってきていることでしょう。健康の2文字に支えられた音楽が全てではないこともしりました。現実世界の方こそよっぽど信じられない出来事が起こっているわけだから、人類が手に入れた音楽という財産ももっともっと想像を絶する進展を見せて欲しいし、オイラの音楽も動き続けています。

1日1日起きる出来事や、そこに生まれる感動、憤り、焦りは小さいけれどしっかりとした年輪として僕らの人生の1ページを築き上げていくと思います。無駄な時間はだれにもありませんね。全ては新しくはじまる明日の幸せにつながっていることを願ってやみません。


2000.1.1 オイラ 「新年のごあいさつのみ」

あけましておめでとう!

横着な性格のため、年末のあいさつとまとめてのアップになってしまいました。

なので書くこともないので、これで失礼いたします (^_^;)。


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