2000年3月のトークページです。

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最新のトークはこちら。

3/6 オイラ 「やっとつながった!」 3/19 オイラ 「嗚呼、20年後のマエストロ」
3/9 オイラ 「携帯の進化」 3/24 オイラ 「ピットで物思い」
3/12 オイラ 「理科大オケ諸君へ」 3/27 オイラ 「春」
3/14 オイラ 「所有権もリサイクル?」 3/28 オイラ 「真の黒幕」

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2000.3.28 オイラ 「真の黒幕」

今日は久しぶりにパーカッションの技術的な話をしようと思います。といっても他ではなかなか読める類のものじゃないですよ。

皆さん、自分の手をジィーっと眺めてみてください。何か気付くことありませんか?普段見なれている自分の手。今さらよく眺めたって新しい発見などそうそう出来るものではありません。

しかし、人間はこの手のカタチを我がものにしたことでここまでの文明を築き上げたといっても過言ではありません。道具を造り、使うためになんとも機能的なカタチです。

中でも重要なのが親指。サルの手は親指以外の4本が発達している(気がするんですけど)ので、木から木へ移りやすいのかも知れませんが、人間は親指が「手のひらの足腰」とも言える大事な任務を負っていますね。

考えてみてください。日常の行動の中で、親指を必要としない手を使った行為がいくつありますか?鼻をかむとき、耳ほじるとき、タバコ吸ってるとき...あ、割とあるな (^_^;)。

しかし親指は他の指に比べ大きな筋肉を獲得し、繊細さでは人差し指や中指に分があるものの、力強い動きや、ものを動かすときにはなくてはならない存在です。縁の下の力持ちのようです。

スティック(バチ)で太鼓を叩くとき、多くの皆さんは人差し指の使い方にもっとも神経を使うでしょう。繊細なピアニッシモや美しいロールには人差し指が大活躍しますからこれは正しい。しかしその動きを支える土台作りをしているのは他でもない、親指です。

タンバリンを演奏するとき、多くの皆さんは細かいパッセージを練習したり、手首が早く動くような練習をするでしょう。しかしもっとも大事なのはタンバリンを持っている方の手の、親指(と手首)です。叩く方の手を生かすも殺すも、楽器を持っている方の親指次第です。

ヴァイオリンなどの弦楽器は左手の親指で楽器を支えます。他の4本は表舞台で弦を押さえながら、華麗なパフォーマンスで動きますが、そのためには裏の親指がしっかりと支えていなければなりません。

スティックやマレットを使うパーカッションで、もし悩んでいることがあったら、まず親指のことを考えてみてください。バチに対してどうアプローチしているか?親指の腹が楽器に対してどんな角度で対面しているかで音色が如実に変化します。

ケガでもしないと本当のありがたみに気付かないのが僕らのアホなところです。親指がつかえないと箸はおろか、スプーンでさえ使えないのにね。

オイラは特に思います。足の親指も含め、人間を人間たらしめている影の本当の立役者は、親指だと。ついでにいうとその先にある爪こそが真の黒幕じゃないかと。

ちなみに人間の体の中で一番美味しいのは、親指の付け根だという話があります。よく動くので筋肉質でしかも柔らかい。ほらほら、自分の親指がフライドチキンに見えてきませんか?


2000.3.27 オイラ 「春」

最近は風が強く吹き荒れるようになりました。もうすぐ春ですね。

それにしても春ってすてきな季節です。まぁ、どの季節も風情があるから、うけとめる人間の持ちようなんだけど、それでも「何かが始まる予感」が気持ちを高揚させてくれます。4月が年度始めの日本人って、ステキですね。

皆さんもそれぞれにいろんな場面で春を感じたことと思います。一番多いのは花粉症かな?オイラはポカなんかが鼻をグズグズさせているのを見ると「春近し」って感じますよ (^_^;)。

先日の土曜日に、日中電車に乗りました。春休みちょっと前でしたが、学生は期末試験終わった後の頃だと思います。土日の昼間の電車は、東京の中でも一番ゆっくりと時間が流れる場所のように感じられて、オイラ大好きなんだけど、その日はそんな車内でした。

中学生の女の子数人が原宿にでかけていく様子は、とてもかわいらしいです。いつもよりちょっとおめかしして、ピンクや黄色のブラウスは新品の匂いが漂います。

お母さんとおばあちゃんが、小さな子供を連れてお出かけの様子も見ていて心が和む風景です。子供の小さなリュックにはお菓子やお弁当が入っているのかな?しかしこの画の中にお父さんがいると、大抵風情が壊れるのは男として哀しさを禁じ得ません。疲れたからだにムチ打っての家族サービスは、「ご苦労さん」と声をかけたくなる現実に引き戻されてしまいます。

んでこの季節一番好きなのは、やっぱり初デートの男の子と女の子ですよ!初デートかどうかはインタビューしてないのでこっちの想像ですが (^_^;)、2人のまわりにはドキドキと嬉しさと、ぎこちなさが窓から入ってくる日差しの色さえも違って見せてくれるようです。オイラが電車に乗って初デートしたのが、この季節だったので、忘れていたいろんな感覚を思い出させてくれました。

数々の歌にもあるように、春は別れの季節でもあります。オイラも学生時代のことを思い出すと今でも胸の中が熱くなってしまいます。一緒に音楽を創ってきた仲間との別れ、憧れていた女性の先輩が卒業するときなんて今では絶対に味わえない切なさを感じたものでした。

この春、卒業を迎える方、このページを読んでくださっている中にもいらっしゃると思います。「卒」という字は<下級の兵士><あわただしく>という意味を持っています。「業」は<学問><仕事>などですね。「卒業」という言葉には、ひとつの学問を修得し、ランクをあげていくという意味がありますが、同時に自分の下に新しい<下級の兵士>がはいってくることでもあります。少しずつ確実に大人としての責任や、人間としての優しさを身につけていく行為こそが、卒業の本当の意味だと思います。

あわただしくも、一生忘れることのない卒業。そんな記憶をたくさんたくさん抱えながらオイラもここまで生き続けてきたんだなぁ。

もうすぐ風も止み、あたりにはみずみずしい空気がたちこめ、今年も桜が僕らを迎えてくれるでしょう。

さりげない日常、帰ってこない過去。春には優しい別れの歌、唄いませんか?

ポカ、あお、卒業おめでとう!


2000.3.24 オイラ 「ピットで物思い」

今オイラはバレエの仕事の最中です。

ったってさ、踊ってる訳じゃありませんよ(分かってるでしょうが、お約束なんで (^_^;))。演奏しに行ってます。

オペラやバレエでは音楽が欠かせません。録音技術など何にもなかった頃から愛されてきたオペラでは、今でも生のオーケストラが伴奏することが一般的です。歌い手達のその日の状態などで変化するテンポや音量バランスは、指揮者の統括の元、生オーケストラが反応しますが、それもオペラの醍醐味のひとつです。

バレエは時には録音された音楽を使用することもあります。バレエの場合、ステージ上では磨き抜かれた「ダンス」をしていますから、稽古してきたテンポや音色でないと躍れないということが出てきます。小太鼓やティンパニ、タンバリンなどはバレエのリズムを支える重要な楽器ですが、オーケストラによって音色が全然違うので、海外のバレエ団が来ると録音で踊る場合があります。まぁ予算も大いに関係していることですけどね。

今回は生オーケストラでのバレエです。

バレエは特に日本人にとっては縁遠いものかも知れません。ホールに足を運んで実際に観たことのある方は少数だと思います。またエレガントで高級感漂うイメージがあるので、デートにはいいかも知れませんが、友達とプラッと行くには気がひけるのも確かです。

それでもいいですよ!バレエは美しいです。男性の股間がちょっと気になるコスチュームではありますが (^_^;)、バレエの美しさはイコール人間の美しさだと思います。

フランスのバレエ団の仕事をしたときは、「嗚呼、何故にオイラはフランス人ではないのだ?」と嘆き悲しむほどの美女で溢れていました。首なんかバービー人形もビックリ!な細さと長さとしなやかさ!指先からは見えない光線が出ているような存在感。鍛え上げられた男性陣も西洋美術館に飾っておくべき肉体で、重力を無視したかのように機敏で力強く踊っていました。

まだ観たことのない皆さん、是非一度観てください。日本のバレエ団の公演なら比較的低料金で観ることが出来ます。おすすめはチャイコフスキーの「くるみ割り人形」。クリスマスプレゼントに女の子がもらったくるみ割り人形が踊り出すというおとぎ話です。クリスマスに観たら、お台場のホテルでシャンパンあけるよりもずっと暖かくていい気持ちになれますよ!

オーケストラが演奏するところは、ステージと客席の間にある「オーケストラ・ピット」です。普段のコンサートの時は客席になっている最前列を取り除き、掘りゴタツよろしく一段ひくい穴ボコに詰め込まれます。まっ暗い中で譜面灯をたよりに演奏する行為は、一種独特な世界です。だっていつもはライトいっぱい浴びながら、お客さんの視線を感じて音を出すのに、ピットでは誰1人として視線を注いではくれません。注いでくれちゃってたらステージが猛烈につまんないことの証でもあるわけですね。

ピットの仕事はあらゆる面で普通のコンサートと違うので、大変でもあり、楽しくもあります。オイラは久しぶりなので疲れがたまっていますが、それでも刺激的な仕事にはかわりありません。だんだん勘も戻ってきて楽しくなってきました。
穴ボコにつめこまれたオーケストラは、なんとも言えない連帯感が生まれたりします。狭くて隣と肩がくっつきながら演奏するほどのラッシュは、雪降る中、鎌倉でしりとりしているような感覚かな?お客さんの注目を普段ほど感じないで演奏できるので、リラックスしていることも原因だと思います。コンサートで間違えると、新宿駅のホームでおもむろにパンツを脱ぐような、得もいわれぬ恥ずかしさで全身が快感、イヤ、冷や汗もんですが、そういう緊張感はありません。

「総合芸術」なんて重々しい言葉の意味などどうでもいいんですけど、音楽の本来のあり方に気付かされる思いをしています。コンサートは音楽を聴きに来るものですが、人間は本来五感で物事を感じようとする生き物だと思います。SMAPがあんなに見る人を楽しませてくれるのは、歌やダンスやしゃべりやキャラクターが全て一体となって見る人を楽しませる雰囲気でいっぱいだからだと思うんです。モー娘もそうですよね。

もちろん歌がうまい方がいいだろうし、歌がうまいだけで人は一生残る感動を感じることが出来ます。でもそれが全てじゃない。酔っぱらって新橋駅前で変な踊りすることも最高だと思うんですよね。

なんかそういうこと、いろいろと感じながら仕事中です。


2000.3.19 オイラ 「嗚呼、20年後のマエストロ」

音楽家は音楽を演奏してなんぼですが、音を出さない奴等がいます。指揮者です。

一度はやってみたい職業といわれ、クラシックが好きな人ならば絶対一度は部屋でこっそりと指揮者になりきって、自分の妙な踊りに陶酔したことがあるでしょ?んでもって、「もしかしたらオレには猛烈な才能が眠っているに違いない!」などとあらぬ妄想で血圧あげちゃうの。

最近若手日本人指揮者のタクトでコンサートをしてきました。2人の若手指揮者を続けて経験しました。
そのうちの1人は駆け出しで(オイラの後輩になります。知らない人だけど)、一生懸命がんばっていました。若々しさがこちらにも充分伝わってきます。オイラは若い指揮者には辛口だと思ってますが、今回は好感が持てました(本番はいいとこなしだったけど (^_^;))。もう1人は?です。オイラには彼の良さがわからなかった。

音楽界はみなさんには分かりづらい世界ですが、中でも指揮者とオーケストラの関係や音楽的内容との関わりは不可解な部分でしょう。

まずアマチュア・オーケストラや吹奏楽団における指揮者は、音楽監督的な立場と同時にトレーナーでもなければなりません。っていうかオイラの経験からすると、トレーナーとしての割合の方が大きくないと務まらないし、いい演奏会になりません。これは当然です。技術的にも音楽的にも絶対的経験数が足りないアマチュアの皆さんをひとつにまとめあげるためには、知らないことや出来ないことをひとつずつ教え、クリアしていく必要があります。教えるノウハウをもっていることが必要になります。プロの場合、そういうことは出来て当たり前。出来るからプロプレイヤーですからね。出来ないのであれば自己責任において磨いておくべき事です。
だから、アマチュアにおける指揮者と、プロに指揮者は呼び方こそ一緒ですが、内容は全く違うといっても過言ではありません。

若い指揮者ははっきり言ってしまえばダメなんです。もう年齢だけで×が出ちゃうくらい。ピアノやヴァイオリン、マリンバなどのソリストは「神童」なんて呼ばれ方で子供の頃からその才能を世界中に認められる人も出てきますが、指揮者では絶対にありません。断言できます。世界的に有望な若手指揮者(外人。32才くらい)でもまだまだといった感があります。それでも前出した日本人の若手指揮者とは雲泥の差があるのが悲しい現実でもあります。

何故若いだけでダメなのか?簡単です。指揮者はオーケストラの王様で、ステージにいる誰よりも音楽性がずば抜けていないといけないからです。野球やサッカーの監督と同じじゃないかな?個性の強いプライドを持ったプレイヤーを自分が描いた音楽に向かって本気にさせるには、音楽性以外の武器などありませんからね。音楽性を極限まで高めるには人生を含む経験が不可欠なので、若いだけでハンディがあるわけです。
ユダヤ系の指揮者に素晴らしい人が多いことは想像に難くないのはこのためだと思います。

オイラの未熟な経験で言えることは、素晴らしい指揮者は指揮をしているときが一番音楽を語っています。若い指揮者は技術的にも音楽的にもオーケストラをコントロールしきれないので、口数が多くなる傾向にあり、しゃべればしゃべるほど音楽からかけ離れていくことがよくあるんです。

「Aの8小節目、クラリネット!そこは愛しい人が死ぬ場面ですから、もっと悲しげにお願いします。」
「打楽器の方!コーダは祝典の部分なのでドンチャカお願いします!」

こういうことはタクトを見れば分かることだけど、それが表現(あるいはオーケストラをコントロール)しきれないと、言葉で説明するしかありません。こういう発言を聞くと、その指揮者の音楽性が分かってしまうことがあります。「おい!若いの!こちとらこの曲はもう150回も本番やってんだ!お前さんのいってることは的外れもいいところなんだよ!」なんて思われてしまうと、指揮者は辛いです。同情しちゃうくらいに孤独な存在になってしまう。
「それはひどい!」っておもうでしょ?でもオーケストラも毎回毎回、今までで一番素晴らしいコンサートを夢見て音を出しているから仕方ないことなんです。

でもですよ、若い人には若い人にしかできないこともたくさんありあます。時には無茶苦茶なことも必要かも知れません。いつまでも先人達が残した遺産にしがみついていては乗り越えることもできません。
また、指揮者とプレイヤーが持つ同じ目的は「お客さんに感動を贈る」ことだから、その意思確認が出来ればお互いの音楽性を認め、補いつつ素晴らしい演奏をすることもあります。(だからオイラは、指揮者がブレインでプレイヤーはピアノを演奏する指1本1本である、という考えは正しくないと思います)

世界的に巨匠と呼ばれる指揮者がいなくなってきている現状で、若い指揮者が成長することがクラシック界の将来において大きな課題になっています。
先日の2人の指揮者が、20年後にものすごくなっていることを期待します。そんでステージ上で目があって、彼等の音楽がオイラの音楽と同期する。

プレイヤー冥利だろうなぁ!


2000.3.14 オイラ 「所有権もリサイクル?」

先日の出来事です。
深夜家に帰る途中に、あるマンションの前を通りかかると、そこには大量のゴミがでていました。おそらく住人が引っ越しのために処分するものだと思います。ちいさな戸棚や本箱などが山積みでした。ふと見ると本やCDも大量に置いてありました。ひもで結ばずに紙袋に入れてある状態のまま。「なんかもったいないなぁ」そんな気持ちで中を覗くとちょっと聴いてみたいCDがいくつか。「どうせ捨てるんだから頂いていこう。CDは有害ゴミだし(CDは金属やプラスティックなどを使っていますが、リサイクルが現状では出来ないために非常に有害なゴミとされているそうです)。」オイラは何の気なしに数枚のCDを頂戴して来ました。

もう一つ、先日の出来事。
仕事に出かけるために朝早く駅に向かって歩いていました。6:30ころだったかな?その日は「燃える資源ゴミ」回収の日で、ゴミ集積所にはたくさんの雑誌や新聞が積まれていました。最初は「最近はリサイクルも随分と一般化してきたなぁ。みんなこうやって分別して出しているもんなぁ。」なんて思いながら歩いていましたが、だんだん気付くことがありました。どこのゴミ集積所も何者かによって、雑誌などの出されたゴミが持ち去られている形跡があるんです。
「これから電車だし、今日は長いからオイラもマンガ拾って電車のお供にするかな?」と何度か拾おうと横目で物色しました。結局オイラは全ての集積所を素通りして駅に行きましたが。

2つ最近オイラにあった出来事ですが、みなさんどう思います?気持ち分かりますか?おそらく皆さんにも同じような経験ありませんか?やった・やらないはともかくも、自分が興味のあるものがゴミとして出されていると「持って帰ろうかな?」とか「もったいないなぁ」とか。

この出来事の後、オイラの中でずっとひっかかっている疑問があります。それは、
「ゴミ集積所に出したゴミは誰のもの?」です。

これ、「ゴミ集積所に出した」っていうのが重要ですからね。駅や公園のごみ箱とか、ポイ捨てとかは定義していません。

要するに所有権の問題ですが、考え始めると複雑ですよ。
まず「誰のものでもない。それはゴミだから」という考えは違うでしょう。危険物があった場合などの責任の所在がなくなってしまいます。

じゃ、「みんなのものである。それはゴミだから」はどうでしょうか?これも無理がありますよね。人に知られたくない書類やラブレターも入っているかも知れないし、恥ずかしいものも捨てるわけだからそれを「みんなのもの」とされるのも光栄すぎる。

次は管轄自治体のものとする場合。出した時点でゴミの持ち主が所有権の放棄を宣言していると見なせば合点が行きます。ただ気になるのはゴミ収集を拒否する場合がありますよね。お住まいの地区で違いがあるでしょうが、燃えるゴミの中に空き缶などが混ざっている場合、ゴミ収集車は置き去りにしていくことがあります。この場合このゴミは一体誰のものか判断が難しくなる。

こうやって考えていくと、ゴミを出した人に所有権があるとするのが一番無難だと思います。自己責任においてゴミを出すとすれば、納得がいきませんか?

そうすると上に挙げたオイラのゴミを持ち去る行為は、窃盗の容疑がかかってきますね。でもこの行為に対してドロボーだという認識が広がらないと、本当のゴミ問題の解決にはならないんじゃないかって考えています。もし自分が出したゴミや雑誌が、何者かによって持ち去られていたらあまりいい気持ちはしないと思いませんか?捨てると決めたモノにだって、人には分からない、いろんな記憶や想い出があるんだと思います。あるからこそ捨てるモノだってたくさんありますよね。だから、ゴメンナサイ。CDゴミに出した方に謝ります。聴かずに処分することに決めました。

会社や企業は、自社の機密事項が産業スパイなどに盗まれないようにシュレッダーをかけたりしますよね。万が一情報がゴミから洩れた場合、事件として訴えられるんじゃないかと思います。

女性(とは限らないけど)の皆さんは特にそうでしょう。ストーカーとなったら、「あの女性の出したゴミは全て欲しい」なんて異常な行動を取られかねません。いくら切り刻んだとしても、下着類などは心配だと思います。ゴミ集積所に出したモノを持ち去るのは犯罪である。オイラはそう感じるようになりました。
数年前、東京都ではゴミ袋に氏名を明記しないと収集しないと言っていた時期がありました。青島さんの時代だったと思います。これはゴミの所有権がゴミを出した人にあるという認識を広めるためには有効な手段だったでしょうが、犯罪を増やすことを助長することにもなっていたでしょう。結局取りやめになったけど。

それにしても、ゴミは朝8:00までにださなきゃいけないのに、収集車が来るのが昼過ぎだったりするのは何とかなりませんかね?ゴミは出した人の責任とするならば、その保護を自治体がもっと積極的にするべきだと思いませんか?でないとゴミはいつまでも「ゴミ」であり続けてしまう。資源とかリサイクルって、言うよりずっと難しいなぁ。

皆さんの中で本当の答えを知っている人がいたら教えてください。

と、ここまで書いてまた疑問が出てきました。下水の所有権は? (^_^;)
お金出して使用している水道ですから、部屋の中にあるうちは自分のモノですよね?配水管に流れ落ちた瞬間から自分のモノではなくなるのかな?自分の排泄物はいつまで自分に所有権があるんだろうって、ねぇ、知っている人いませんかぁ〜!?


2000.3.12 オイラ 「理科大オケ諸君へ」

たまにはこんな読者限定トークもいいでしょ。

皆さん合宿お疲れ様でした。
今回もまぁまぁ楽しませてもらいましたよ。(って遊びに行ってる気分じゃん、 (^_^;))

先に音楽的な真面目な話。
理科大オーケストラでオイラが弱いとずぅっと感じているのは、「音の処理」です。目立つので主に金管だけど、全てのセクションにあてはまります。楽器を演奏する人間が一番快感を覚える瞬間は単純に音を出す瞬間なので、音の立ち上がりや発音については君らなりに努力している気配が感じられます。もちろん音程が悪かったり、音の出始めでさえ鈍感なときもたくさんあるけれど、恐らく練習を積めば直る部分だね。

しかし音の処理に関してはいつも合奏を聴いていてストレスを感じます。直す気配がない。音符を伸ばすべき所まで音色、ハーモニーなどを保ちしっかりと伸ばす。そんなムチャクチャ基本的なところが弱いといつも感じています。一流バレリーナのように、髪の毛の先から足の指先まで、意志のあるサウンドを志してください。それは音楽を、曲を点ではなく線で捉える感覚を養います。他のセクションとのつながりを分かろうとする行為にも繋がると思います。

ボウイング(誤変換-暴飲愚だって!)、ブレス、技術面で克服することがあるだろうが、それはこの瞬間一緒に音を出している仲間とのつながりをも理解することと同義かも知れません。
今回の合宿では今までの中で一番音の処理が気にならなかったし、そういうシンプルな基本を正確にやることをどんなときも忘れずにやって欲しいと思い、書きました。

オイラも少しずつ皆さんとつながりが深くなり、嬉しい限りです。
タイコはもとより、最近はトランペット・トロンボーンはほぼ手中に収めましたが、今回はさらに木管や弦の人とも打ち解けることが出来始め、「理科大オーケストラ征服(誤変換-制服。これもアリか?)5ヶ年計画」も予定通りといったところでしょうか?

Percussionは教授時代に終わりを告げ、2人の女の子が精進してました。
まず他のセクションに申し上げておくけど、アマオケのPercussionが上達するのがいかに大変か分かってください。教授は一度も小太鼓を演奏しないまま現役を退きました。つまり吹奏楽のように曲ごとにたくさんの楽器を演奏する機会があるわけでなく、ラフマニノフの2楽章は数小節のロールだけという状況が茶飯事あるセクションで、全ての楽器に3年間で精通することは不可能です。他のセクションの君たちが1時間練習してものになるとすれば、Percussionは最低10時間必要かもしれません。教授は特別な環境からティンパニのみを3年間やったので、ティンパニに関しては皆さんと同じ上達をしました。してないとすればそれは教授の技量の問題かトレーナーのキャスティング・ミスと言うことです。

1年の女の子が今回初めてティンパニをさわります。つまりもう入団して1年経つけど、ティンパニに関しては去年の春とほぼ同じレベルなわけです。そんななか、彼女達はごくまっすぐに、真剣に取り組んでいたことをオイラは嬉しく感じました。パチパチ!

サトコにはオイラ安心しました。君には技術は30円くらいしかないけれど、自分の中で白黒つけないと気が済まない性格が音楽に結びつき始めていると思いました。夏合宿の時に比べると雲泥の差で、音に「サトコ(誤変換-サダコ(ナイナイ)」が住み着いていたよ。自分が出したい音や好きな音を見つけることと、自分の気持ちに正直な演奏を志してください。ニュートラルなサトコのままで、しかも妥協しないこと。
エリは無意識かもしれないけど、まれに見るセンスを持っています。エリ風にいえば、楽器やバチを持ったときに「楽器とお話ができる」ひとです。演奏するのは自分だけど、自分の気持ちを音にしてくれるのは紛れもなく楽器です。楽器を好きになること、楽器の気持ちを知ろうとする感覚は、君のその性格そのものです。100人近い人間でひとつの音楽をつくるとき、君はその性格から自分を苦しめてしまうことがあるかも知れないけど、あんまり気にしちゃダメ。音楽を演奏するときに「責任問題」をもちこむのは日本人のよくないところだから、ひとりでしょい込むのはやめな。君のまわりにはいい仲間と気持ちの通じる楽器達で溢れていることを忘れないでください。(セクハラしてゴメンナサイ)

オーケストラは本当に素敵だと思うよ。
こんな大きな集団で行動すれば、うまくいくことはあり得ないよね。もし全員が何の疑問を持つことなく音楽に打ち込んだとしたら、非常に気持ち悪いよ。マジで。

違う想いをもっていて当然。その中から、100人いたら100人のドラマをそのまんま抱き込んでひとつの音楽を作る。本番はさらに1000人のお客さんのドラマも巻き込むんだから「パーフェクト」はイコール最悪に他ならない。素晴らしいオーケストラ・音楽は奇跡の時間を追い求める気持ちだけが元気の源だよ。

オイラも毎日苦しんでいます。素直な気持ちや自分の本当の気持ちさえ分からないままに生きているんだと思う。活きるために音楽を選んだ分、学生のみんなよりオイラはずっと深刻なものをかかえているんだよ。音を出す恐さを乗り越えるには夢を忘れないことと信じています。オケライフに悩んでいるそこのアナタに捧げる言葉です。

Oh,久しぶりシリアスぅ。

最後にもうひとつだけ君たちに言っておきたいことがある!!
起床して朝や午前中に、「昨日の晩はありがとうございました!とっても楽しかったです!」などと礼儀正しく言うな!オイラはオイラの夜を好きなように満喫しているだけだ!そんなことを言われたらちょっぴり恥ずかしいじゃないか!本当はこっちが「浴衣汚してゴメン。」なんて、気持ちの一番はじっこでくすぶっているものがあるのに(これはウソ (^_^;))。

夏はなにしようかなぁ〜?


2000.3.9 オイラ 「携帯の進化」

2月頭から携帯でのe-mailを使用しています。
料金が月800円から300円に下がったこと、iModeを持つ人がまわりに増え始めたことで、始めました。今まではTU-KAとJ-PHONE同志ではスカイメッセージというメールをやりとりしていましたが、今ではアドレス取得しているひとに誰にでも送信できます。オイラの電話番号ご存じの方は、番号に続いて@sky.tu-ka.ne.jpでオイラに届きます。よろしかったらメールくださいね。

もちろん自分のニフティにも送れるので、今日中にこなさないといけない仕事は自分にメールしておけば、家に帰ってからメールチェックして思い出すことが出来ます。これは忘れっぽいオイラには重宝しています。

TU-KAでは、無料メールサービスとして毎日3通「サンスポ・フジニュース」が送られてきますが、これがまたまた痛快なまでにアホらしい。スポーツ新聞の見出しのようなニュースが送られてくる様は、携帯やE-MAILがいかにメディアとして急速に僕らの生活に浸透しているかを、かいま見るおもいです。

28日17時発 サンスポ・フジニュース
「◆梨元レポーターが大学の教授に。第一声は『教職です!』か?」

29日18時発 サンスポ・フジニュース
「◆救急隊員和田アキ子を"男"と誤認」

7日12時発 サンスポ・フジニュース
「◆日テレ人気番組『女子アナ給湯室』を閉鎖。マニアは涙・・・」

もちろん一面トップ記事も送られてきますが、反町と松島の密愛ニュースなんかはもうほとんどシリーズ化している状態だったり、巨人の4番候補が三振したりヒットを打つと逐一報告してくれます。イヤー助かるなぁ!!

携帯は今月には自宅加入電話の契約数を突破する勢いです。まだまだマナーの面など使用する人間の方が新しいメディアに追いついていない感がありますが、いずれ変化してくることでしょう。サントリーホールは、客席内では携帯が通じなくなりましたし、少しずつ社会と人間と携帯がいい関係になっていくんだと思います。

着メロは4和音のものなどでていますね。この先はPCM音源でリアルなサウンドを使用する方向に行くでしょう。自分の息子の声で電話に出たり、広末が「電話ですよー!」なんてボイスデータ・ダウンロードもできるでしょう。ただ僕ら音楽を仕事としていると、着信音量はオフにしていることが多いし、個人的には着メロなんてまだまだ愚の骨頂と思っています。

それよりもヴァイブ機能の進歩に期待したいです。着メロで唯一いいと思うのは、相手によって着メロを設定できることです。ヴァイブにはそれがないけど、是非付けて欲しいですよ。

友人からは「ブー・ブー・ブー」。
仕事仲間からは「ブッ・ブッ・ブッ」。
女の子からは「ンムゥプゥウウウウヴー(だんだんクレッシェンド)」。
話し出すと長い奴からの場合は軽い電気ショックなんてのもアリだと思うんだけど。

携帯は大きな可能性に満ち溢れている道具であることは間違いありません。全ての人が使いやすいようなたくさんの枝分かれ進化をしていくことを願います。


2000.3.6 オイラ 「やっとつながった!」


やっと我が息子(パワーブック)がほぼ復活するに至りました。このページにアクセスしてくださった皆さん、更新できなくてすいませんでした。

今回は不運が重なり、修復にものすごい時間と労力がかかってしまいました。事細かに書きたいことが山ほどありますが、あまりに時間がかかりすぎたので忘れてしまいました (^_^;)。本当に疲れた。ハァ〜 (:_;)。

先月仙台に1週間いました。東京に帰る前日の夜から動かなくなりました。旅先だったので原因を絞り込むことが出来なかったのが長引いた原因でした。1月にCPUをアップグレードしていたことも問題究明を複雑にしていました。結局ハードディスクのクラッシュだったんですが、それまでにCPUを購入した新宿の店に3回足を運びCPUの動作テスト。渋谷のクィックガレージに入院(2回足を運ぶ)。で、秋葉のハードディスクを購入した店で保証内交換に至りました。ただ、そのあとPCカードスロットも具合が悪くなり、モデムカードを認識しないのでまたクィックガレージへ行き、カードスロット交換 (:_;)。

ここ何日かかけてシステムを構築し直し、なんとか復活しました。仙台で書きためたデータは救出できなかったものの、デスクトップのバックアップのおかげでどうにかなりました。OSも8.0から一気に9にしました(このことが復活まで時間をかける結果ともなりましたが (^_^;))。一番困ったのがまたもや家計簿。仙台で記入したものがすべて吹っ飛んだので、先頃思い出しながら改めて入力しました。疲れた。

iBookはSpecial Edition も出て、皆さんの中にも持っている人がいたり、買いたいと思っている人もたくさんいるでしょうが、万が一のバックアップ環境は、お金が許さなくても構築しておくことをお勧めします。やはり1台目はデスクトップというのは、安全性の確率からすると正論だと実感しました。やはりハードディスクは記録メディアとしては非常に安心感が低いですね。しかもパワーブックのトラブルはデスクトップのそれよりもずっと面倒くさいですよ!そう滅多になるものではないけれど、一度なると非常に厳しいことが分かりました。アップルケア延長しておいて助かったオイラです。

この2週間強、通信をしない生活だったんですが、これが実に快適でした!!
失礼とは思いますが、HP更新しなくていいし、メールチェックしなくていい。あると便利だけど、ないと快適です。夜寝るまでの時間がゆったりとしていて、「今までいつ寝てたんだ?」と思うくらい。携帯が壊れたときも同じように感じました。機械やコンピュータ、使いこなしているようで自分が振り回されていることもあることを再認識しました。

やっぱり黒電話しかなかった時代が一番だとおもいます。「いる」か「いない」だもん!あのころはいさぎよかったなぁ!

通信不可能な間に、ご心配いただいたみなさんにお礼申し上げます。牛尾さんの「トーク、楽しみにしています」のお言葉、勇気が出ました。ありがとう!

とにかくご挨拶。今後ともよろしくお付き合いくださいませ。

仙台での本番後の打ち上げ写真です。手前は仙台フィルの三上さん。このときはまだパソコンも元気でした (:_;)

(photo by mishina)


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