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うんざりの活動を休止している現在、オイラはN響を中心としたオーケストラの仕事を中心に据えた日々をすごしています。
オーケストラというのは、1日から3日ほどの練習(1日約4時間)の後に本番のステージを迎えます。もっと練習した方がいいと思うときもありますが、練習はコストがかかるばかりで収入にならないので、多くとることは難しいわけです。N響くらいのレベルになると、練習が多すぎる事の方が多いんですけれどね。まぁ、ここら辺のことは一般の方には理解していただけないことでもあるし、オイラよりもうまく解説していらっしゃるオーケストラ・プレイヤーのページが多数あるので、興味のある方はそちらを探してみてください。
中学の時に吹奏楽部に入ってから、オイラはシンバルが一番好きです。はじめて必死に練習した曲もシンバルだったし、芸大に入って最初にオーケストラの授業で演奏したのもシンバル。因縁とは思わないけれど少なからずエニシや巡り合わせみたいなものは感じてしまうわけです。
コンサートを聴きにいってもやはり一番気になるのはシンバルだし、自分が演奏していてうまくいかない時でも、シンバルなら次々と違うアイディアが出てきて、新しいアプローチをくり返すことが苦痛なく出来るというのはやはり「好きこそものの上手なれ」の言葉を体験として実感する瞬間です。これがトライアングルなんかでつまづくと、頭の中が真っ白になることもよくあるのに、シンバルだとどんなに難しくてうまく行かないときでも前向きにチャレンジできる精神力を保つことが出来る。不思議ですね。
今日はそんなシンバルについて考えていることを書きたいと思います。ちょっとマニアックかな?あ、ちなみにここでいうシンバルは「合わせシンバル」のことですよ。
シンバルは非常に特殊な楽器です。両手に持ったものが両方とも発音体であり、共鳴体なんです。これは他の楽器にはあまりありません。普通の楽器は発音体と共鳴体が別であるのに対し、シンバルは両性であるわけです。オスとメスの関係よりも、オカマとオカマの関係に近いのかな (^_^;)。管楽器は唇の振動を発音体であるマウスピースに伝え、その振動が楽器本体に共鳴することで響きのあるサウンドを獲得します。打楽器全般は、バチや手などによって叩かれることで発生した振動を皮、鍵盤が共鳴体であるシェル(胴)やパイプに伝えることでサウンドを獲得します。原理としては管弦打、ほとんど同じです。しかし、シンバルというものはそういう意味で考えるとムチャクチャであり、原始的であるわけです。楽器同志をぶつけることでサウンドを獲得する楽器はあまりありません。カスタネットくらいだな、今思い浮かぶのは。ムチ(スラップスティック)もそうだけどあれは共鳴体を持たないし。
また金属と金属がぶつかりあうというバイオレンスさもシンバルの魅力のひとつです。生活の中で金属と金属がぶつかる道具の代表はハサミ。つまり刃物です。端が鋭利に研ぎすまされた金属は人間の発明した最高の道具のひとつです。鉛筆、紙、ナイフ。この3つが全ての想像力と道具の作成の根元であることは明らかです。その中でもっとも危険なナイフを連想させるシンバルは、まさに両刃の剣。生きる糧を獲得するために使われ、人を殺すためにも使われる。シンバルにはそういうメタファーがあります。あるいは鉄を作るときに生まれる火花もメタファーのひとつなので、光ー太陽や空、希望や栄光を表す場面も多いですね。
話がなんだか難しくなっていますが、書いているうちに熱くなってしまいました (^_^;)。
今日はこのへんで終わりにしちゃいます。次回はシンバルで音を出すときにオイラがイメージしていることについて書かせていただきます。
PMFでのコンサートも全て終わり、東京に帰ってきました。
PMFは今年で10年になるイヴェントにも関わらず、北海道はもとより中心となる札幌市内でもほとんど認知されていない印象を非常に強く受けました。コンサートはほぼ満員だったし、街のいたる所に垂れ幕やパンフが置いてあるにも関わらず、どうしてもそう感じました。
札幌で音楽活動をなさっている方々にもお会いしましたが、「札幌(市)は地元で活動してがんばっている僕らにはほとんど助成をしてくれないが、PMFには毎年何億の金を10年に渡って使ってきたのに、その結果が出ていないのが腹立たしい!」と嘆いていました。
世界では特に夏のシーズンに多くの国際音楽祭が開かれています。オイラはどれひとつ行ったことがないので分かりませんが、札幌で10年続いてきた、PMFという音楽祭は、少なくとも地元の人が喜んで世界の優秀な音楽家の演奏を聴いているとはみじんも思えない、とても残念な結果でした。 海外の形式やホールデザインをそのままもってくるのは得意な日本人には、アイデンテティを確立する方が優先されるべきだと感じるのはオイラだけでしょうか?ちょうど宇多田ヒカル・DA PAMPが札幌にライヴに来ていました。若いファンばかりでなく、タクシーの運転手さんや八百屋のオヤジさんも知っていました。「今日は花火が河原でうち上がるよ。見てきなよ!いいもんだよ。」そういう会話と同じレベルで語られてこそ、地元で開催する音楽祭の意義があると思うんだけど、PMFはヒカルとパンプにもあっさりと抜かれた感をぬぐえません。ガッカリって感じです。
日本人は肩書きやブランドに弱い民族だから、ウィーンフィルの主席奏者が来ればかならずそれはホンモノの音楽であると、そして苦しい中、地元に腰を据えて演奏活動をしている人たちはホンモノではないと、そういう解釈をしているとしか感じられない。そんな音楽祭を目の当たりにした若い人たちに、どうして「僕も演奏家になりたい!」と強く感じさせることが出来るのでしょうか?
さて、気分を入れ直して、札幌で見つけたおすすめをいくつかご紹介いたします。味噌ラーメンやビールなんかは雑誌に詳しく出ているからおいとくとして、今回は「北海道限定ソフトドリンク」3種類発見したのでご紹介(ゴメンネ。オイラお酒弱いのでソフトドリンクにしか目がいきません (^_^;))。
まずは「ナポリン」(もうネーミングからわからない (^_^;))。
リボン・シトロンって知ってますか?旅館の宴会場で出てくるジュース。あれの姉妹品です。だから正確にはリボン・ナポリンと言います。ただし味は最悪(じゃぁすすめるなって?ウヘ。)ですが、ジンギスカンを食べているときに飲んで(しまった)いた植松さん曰く、「コーラだと炭酸きついし、ウーロン茶だと飲むのに疲れる(このニュアンス、伝わらないかな?)というところでナポリンは薄い味と炭酸だから(オイラにはリポビタンDを水で3倍にうすめた味に感じました)ソロだとアレだけど、肉食べているときには案外いいよ。」とコメントしていました。
次は「ガラナ」。ガラナは南米の植物で、お酒にはあるのであまりめずらしくないかな。コーヒーの3倍のカフェインがあるらしく、気分がスッキリすると言うのが売り言葉でした。
キリン・メッツのブランドで発売されているガラナは、ドクターペッパーの「北の国から」版と言う感じでしょうか?いずれにせよ北海道とはあまり縁のない、どうして限定なのかよく分からないものです。オイラはガラナは気に入りました。
そして最後にメイン「カツゲン」!のはずでしたが、残念なことに入手できませんでした (:_;)。
マミーってあるじゃないですか。高校生が部活の帰りにパン屋さんで一気に飲むやつ。ヤクルトみたいな甘い乳酸菌飲料。それに似ているもので、北海道では子供の頃必ず飲んで育つ(とその現地の人は言っていました)大事な飲み物です。最初「カツゲン」と聞いたときは、育毛剤のことかと思いました(活源みたいな字でなかったっけ?)が、そうではなかった。コンビニを何軒か探しましたが見あたらず。店員さんに聞いてみると、「あれは雪印の製品なので今入ってこないんですよ。売れ筋なのでうちも苦しいんですよ。」ということで現物は手元にないので、想像図でお楽しみください 。
あと六花亭のバターサンドはやっぱり美味しかったんですが、あまり出回っていない六花亭のお菓子の中でチョコマロンもなかなか上品なお味。栗アンをココアビスケットでサンドし、まわりをチョコでコーティングしてあるお菓子です。チョコの歯ごたえが絶妙!
東京の名物を東京にいるときに食べるなんて事はめったにないのに、旅行に行くとなぜか食べてしまうこのオイラもれっきとした肩書きとブランドに弱い、日本人なのであります。
小平名物の梨とウド、もっと食すようにしてみようかしら?
ご紹介したドリンクとお菓子です。一番前はご存じバターサンド。
北海道にお越しの際はぜひとも御賞味を。ただしめずらしい物好きでないと怒り出すかも知れませんが、責任は負いかねますのでご了承くださいm(__)m。
今月17日から約1週間、札幌に来ています。北海道は2年前に函館に来て以来、2回目です。
PMF(Pacific Music Festival)という国際音楽祭があり、そこで演奏するNHK交響楽団のトラとして同行させていただいてます。今回は3つのプログラムで演奏会をする予定です。すでに2つ終了し、少し気持ちに余裕ができました。
PMFは「ウェストサイド・ストーリー」などの名曲を残したアメリカの作曲家・指揮者であるレナード・バーンスタインの提唱により始まった音楽祭で、世界各国の優秀な学生や、一流プレイヤーを招聘して開催されていて、今年ですでに10年めになります。詳しいことはPMFのHPをご覧ください。
先日丸1日オフ日だったので、レンタカーでドライブに行ってきました。植松さんとヴァイオリンの嶋田さんの3人で、富良野・美瑛を回ってきました。 富良野はテレビドラマ「北の国から」で有名なスポットなので、皆さんも行かれたことがある方いらっしゃると思います。
麦畑の気持ちいい風の中で、自然人にかえっている植松さん。張りつめた神経がほぐれていくのは気持ちいいですね。
今回一緒に行った嶋田さん。オイラ&植松コンビとなぜか馬があってしまい (^_^;)、「ラベンダー畑が見たーい!」と言ってドライブ。
ラベンダー畑はミツバチがいっぱいいてビックリでした。
正直言って富良野に行くまではあまり「ああ、北海道に来たなぁ。」と感慨深くなることはありませんでした。魚もジンギスカンも美味しいし、空港には大きな雪印の看板があったし、ススキノの淫らな夜も想像以上だったけど、ホラ、見渡す限りモロコシ畑とかさ、オーバーオール着た人がじゃがいも収穫してるとかさ、あるじゃないですかそういうイメージがホッカイドーには!
そしてそんなイメージをやっと眼球にとらえることが出来ました。富良野はヨカッタ!モロコシもオーバーオールも見あたらなかったけれど、そこはまさに北海道でした。沖縄に行ったときと同じ感覚、オイラの思っていた日本のイメージの外側の世界を感じることが出来ました。冬の厳しさを乗り越えながら生活している人と大地は、悠然としていて優しい、今だけの顔を覗かせていてくれたようです。
「哲学の木」を訪れました。麦畑が広がる中に1本の大きな「哲学の木」。言葉など出せない世界。音楽では太刀打ちできない大きさ。
麦畑の斜面にそびえる哲学の木は、やや傾斜した幹にたくさんの葉をなびかせています。この傾きが人を感動させています。 「哲学の木」がたたえた葉は、清らかで乾いた風に優しくなでられて音のない広がった世界の中で絶えることなく葉音を奏で続け、細胞のひとつひとつに溜まっていた力みをなめらかに溶かしていきます。一生かかっても聴けない心のこもった拍手も、世界一の音楽家が紡ぎ出す音楽も「哲学の木」の前では止めざるを得ない。そう、自然と神の恵みを畏敬の念を持ちながら受け入れる感覚があるのみです。
音楽はその土地や風土が育むものだと思います。「哲学の木」を盗んで東京の自宅に植えたとしても、富良野で聴かせてくれた音は絶対に奏でてくれないでしょう。自然界の素材を楽器にして演奏するということは一体どういうことなのか?これから考えていこうと思います。
新宿まで28分。山手線に乗り換えて渋谷から銀座線に乗って合計50分、なんてカリカリした窒息気味の都会は確実に生きるための大事な栄養を消耗しているのではないか?ストレス解消のためのレジャーがストレスを増幅している東京人ってヤバイですね。明日を生きてゆく術を取り戻すことが出来たらいいと思います。
今日はパーカッション・アンサンブルの仕事でした。
マリンビストとして活躍している岸田佳津子さんが主催する「パーカッション・プレイヤーズ(分かりやすい名前だこと!ちなみにオイラは『佳津子バンド』と呼んでます。)」で、浦和にある埼玉会館というホールでのコンサートでした(ちなみにお隣は埼玉県庁。今なら噂の「ハム定食」食べれますよ)。
佳津子さんは、マリンビストとして卓越した能力を持っているだけでなく、いろんなオーケストラで演奏したり、尚美コンセルヴァトアールなどで後進の指導にもあたっている、非常にバイタリティ溢れる活動をなさっている芸大の先輩です。今月は新星日本交響楽団でコンチェルトを演奏します。また今日の佳津子バンドも、約20年近くの活動歴を持っています。オイラが参加しているのは6年ほど前からです。継続は力ですね。先日の金沢も佳津子バンドでの演奏旅行でした(んですよ。酔仙亭響人さん (^_^;))が、今日も一緒に演奏してきました。
今日のコンサートは名前を聞いていませんでしたが、音楽鑑賞を目的とした(2ヶ月に1度、演奏家をまねいてコンサートを催しているそうです)地域の団体が佳津子バンドを呼んで、パーカッションの演奏を聴きましょう!という類のコンサートで、一般のお客さんもいらっしゃったようですが、主だったお客さんは音楽が大好きなご年輩の方々でした。
パーカッションのコンサートは、概して年齢層が幅広いことが多いんです。うんざりライヴをやっても子供からおじぃちゃんまで集まるくらいです。そういう場合、オイラは年齢層の若い部分を軸のターゲットとしながら、皆さんに楽しんでもらえるような部分を含んで演奏します(キャラ的にもそういうターゲットの係なので)が、今回はほとんどの方がオイラの親程度のご年輩。本番までは「今日は盛り上がらないだろうけど、気を落とさずがんばりましょう」と自分を激励していました。
しかし、ステージに上がってみると、お客さんがとても集中して聴いてくださっていることにすぐ気付きました。お客さんの目は音楽を楽しみたいというまなざしでいっぱいでした。だからステージに上がる前の気負いはなくなり、いつも通りの姿勢で演奏に取り組むことが出来るばかりか、いろんなことを感じることが出来るステージとなりました。ホント、演奏する側ばかりでなく、お客さんも毎回毎回千差万別だなぁ!
どうしてもイメージで「年寄りは演歌」などと決めつけてしまいがちです。音楽は年齢層だけで割り切れるものではなく、また違うジャンルを同時に好きなことは当たり前のことですが、そんな普通のことを改めて感じ入ることが出来ました。インストゥルメントの音楽は、時代を切り取る歌や言葉がない分、年齢を問わず個人の感覚で好き嫌いが判断できる形態だということにも改めて気付かせてもらえたコンサートでした。
若い人たちは興味のないものにはシカトで、自分の好きなものだけを追い続けます。大人の方々は、自分が好きではない音楽だとしても受け入れてみようという雰囲気がある気がします。どちらも悪くないと思いますが、出来るならば、大人の方もステージに向かってダイレクトな反応が出来るようになったら、もっと音楽が楽しくなるとも感じました。それを促すのはプレイヤーであるオイラの仕事。「クラシックは静かに聴き入らなければならない」という大人の感覚を壊していけたら。そんなことも感じました。夏バテ気味のやる気がまた復活した1日でした。
今日まで金沢に演奏旅行していました。今帰ってきたところ。フゥ〜、クタクタだぁ!
今月は本当に演奏旅行が多いです。金沢も3連泊。演奏旅行はいろんな場所に行けて楽しいことがたくさんあります。普段と違う環境にいて心境もいくばくか高ぶっているので、ハプニングも生まれやすくて刺激的です。この仕事の特権ですね!うらやましいっしょ。
その地の美味いものを食べたり、名所に行くことも楽しみではあるけれど、オイラはどっちかといえばそういうことよりも、その土地の雰囲気や街並みをボヤーッと眺めているのが好きです。観光客相手の繁華街や県庁所在地に行くことがどうしても多いけれど、チンチン電車やバスでちょこっと足を伸ばすと、その街の穏やかな日常に触れたような感覚になって、落ちつきます。最近は積極的に時間を見つけて本番前に出歩いてみることにしています。そうするとコンサートの時のお客の雰囲気をつかむきっかけを見つけることが出来る。(演奏会に足を運ぶ客は土地土地で本当に雰囲気が違います。)どんなステージでもある程度の緊張はありますが、街の雰囲気にほんの少しでもいいから触れておくと、親近感が湧きやすく、お客とコミュニケートをとろうとすることでリラックスすることもできたりします。ホント、自分で自分がおもしろいときもありますよ。その街の雰囲気を気に入ると、初めて来たところでもすぅっと溶け込めた(気になってるだけなんだけどね。でもその勘違いがプレイヤーにはムチャクチャ大事かつ必要な心理です)りするんです。そうするとお客さんも喜んでくださる。そうするとオイラも喜んでいつもより一芸多くやったりして。そこでまた今まで経験していないリアクションを受けたりすることで、こちらのステージの幅もグンと広くなったりもします。
こうやって書いていると(特に旅行中でなく家に帰ってきてから書くと、嫌なこと忘れているので)演奏旅行はいいことづくめに受け取られるかも知れませんが、そうではありません。基本的には悪いこと尽くめなんです (^_^;)。自宅に帰らないというのはどうしても疲労が溜まります。携帯電話代やネット通信代もかかるし、もちろん全て外食なのでだんだん胃も疲れてきます。また、なにより体調が壊れたり風邪気味になると辛いです。ホテルの冷房が効きすぎたり、部屋が乾燥していたり、音楽以外のストレスは限りなくゼロに近い方がいいので、旅行中にコンセントレーションを保つのは難しいです。だから演奏内容は、東京での仕事の方が格段にいいのは当然です。本当の意味でのプライベートなリラックスする時間がないに等しいんだから仕方のないことです。
そんなオイラの今月の最大のストレスは「天気」。東京に帰ってきた時に台風がきたり、昼まで快晴だったのに夕立でも降ろうものなら、次の演奏旅行のための「洗濯大作戦」が滞ってしまうんです。そうなると洗濯物をカゴに残したまま、また3日4日と家を空けなければいけないばかりか、出先で服をかわないといけない事になるんです。ヘヘッ、すでに金沢でトランクス買っちゃった (^_^;)。だからオイラ、男の割にはパンツ持ちかも。
本日はこの辺で。
リズムについて最近考えることがあります。
パーカッショニストは常日頃から「リズムとはなんぞや?」という疑問を内面・外面問わず問いかけているものですが、その時々の心境や関わっている音楽によって、アングルや考えが変わってきます。そこから新しいリズムやノリ、グルーヴなどが生まれてくる。
今オイラはすごく単純にリズムを捉えていこうと考えています。リズムに限らず音楽はものすごく本能的な部分が強くて、楽器の前に立って演奏するときは理性よりは習性とか、本能とか、身体を包んでいる唄が音に具現化される場面が多いんですが(これはオイラの場合ですよ。プレイヤーによっては理性と知性で音を紡ぐ人もたくさんいますから)、それを客観的に見つめて、複雑になっている脳味噌をほぐそうという試みをしているところです。脳味噌に蓄えられたオイラの演奏に於けるアルゴリズムのフラグメンテーションを解消するという感じです。
その中で今オイラの中で大きなテーマになっているのは、「慣性の法則」です。
「慣性の法則」は皆さんご存じでしょうが、要するに「動いているものは動き続け、止まっているものは止まり続ける」法則ですよね。これは地球上にいるよりも抵抗のない宇宙にいる方がきっと分かりやすい法則ですが、地球上にいてもいろいろ体感できます。また人間は慣性の法則を自然に身につけていて、法則が成り立つときに安静でいられる生き物のような気がします。これがリズムにもあてはまる。
今皆さんの近くにコップやライターなどのちょっと硬めのものが転がっていたら試してみてください。
1.それで一定のリズムで「コッ、コッ、コッ、」と机かなんかを叩き続けます。テンポはご自由にしてください。目安は1秒です。
2.叩き続けながら目を閉じ、その音に身を委ねる感じで静かに瞑想してください。
3.やがて叩いている手が自分のものではないような感覚が訪れます。
4.そしたらおもむろに叩くのをやめます。さぁ、やってみよう!! ♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪ どうですか?今まで聴こえていた「コッ、コッ、コッ、」という音がなくなった瞬間(正確に言えば次の「コッ、」が聴こえなかった瞬間)、ドキッとしませんでしたか?あるいは頭の中ではまだ続いている(聴こえている)ような錯覚を感じた人もいるかも知れません。
これが「リズムの慣性の法則」です。リズムが楽しいとか、ワクワクするというのは基本的にはこの「慣性の法則」を利用した人間の錯覚をおこすことで生まれると思うんです。シンコペーションやブレイクはそのもっとも効果的な利用法ですね。
リズムは乱暴に言ってしまえば次の2種類しかありません。
1.一定の間隔で刻まれるリズム
2.加速度をもったリズム(正と負がある) です。「2.加速度をもったリズム」とは要するにだんだん早くなったり(正)だんだん遅くなったり(負)するリズムです。これも一定加速度を持った場合に慣性の法則が成り立ちます。このほかにも不定期に刻まれるリズムや、リズムがないリズムなどもあるけれど、ほとんどのものは上の2つで成り立ってしまうのではないか?今のオイラが感じているシンプルな答えです。
多くの音楽の中では1.と2.を利用したり、それを壊すことで表現が生まれてきます。和太鼓、ワルツ、ポルカ、ガムラン、ジャズもポップも、リズムの要素としては1.と2.だけで事たりてしまいます。
リズムのないリズムについても少しだけ、今考えていることを。
リズムがないということは、音が時間軸上において1カ所以下で発生した場合です。音がひとつしか聴こえなければリズムが生まれません。また2つ聴こえても同時だとリズムにはなりません。音が全くないとすればそれも同じ結果です。これがリズムがないという状態。
しかし人間の想像力や錯覚はまさに想像以上の機能を持ち合わせているようで、1つしか音が聞こえなくてもそこにリズムを感じることもできると思うんです。この場合はリズムが決して時間軸だけで語ることが出来ないものであることに気付かないといけません。音色や距離感、風や匂い、色や味、更に言えば聴いた人の年齢や性別、性格や今までの経験までも含めた感覚を刺激する音と出逢えたとき、「リズム」がもつ新しい一面に出逢えるんだと思います。そしてオイラはそんな音を出したいと、いっつもいっつも悩みながら楽しんでいます。
例えば千年を1秒に短縮して早送り再生して、氷河を見ることが出来たとしたら、そこには大きな氷のなめらかな動きが映っているでしょう。ナイアガラの滝の下にある大きな岩はみるみる小さくなり、コロコロと転がっていくように見えるかも知れません。竹林では毎年生えてくる竹がものすごい速さでニョキニョキ動いて、そのあまりの速さに電気カミソリのように感じるかも知れません。止まっている(リズムがない)と思っているものにさえ、大きな世界や時間軸で捉えることが出来ればそこにはシンプルなリズムが見えてくる。そんな経験や想像力が僕らにまた新しいリズム感を与えてくれる。
だとするならば、大きく大きく物事を捉えられるとするならば、この世の中には一定のリズム以外のものなどないのかもしれない。心臓の鼓動が早くなったり遅くなったりすることも、相対的に見ればそうだけど実は生命を一定のリズムに保つために正確なリズムを刻んでいるにすぎないのかも知れません。
「規則正しいリズムのある生活」この言葉に代表されるリズムに対する貧困なイメージを打ち破っていきたい。オイラのライフワークかも知れません。
シンプルに考える。リズムを考える。単純におもしろいです。音楽ってやめらんないですわ!
牛乳が大変です!
雪印の対応のお粗末さはきっと雪印社員の方でも「マズイ!」と思われていると推測がつくほどのヤバさです。社長さんというのは、普段仕事しないでブラブラしててもいいし、ノーパンしゃぶしゃぶでいろんな舌鼓をうってもいいかわりに、こういうときこそ会社の信用と、社員の気持ちをおもんばかった発言と対応が出来なければいけませんね。器が大きいと言うことは、会社のシステムうんぬんとは全く違うところで全ての社員を掌握するための愛情を持ち合わせているということだと感じました。雪印の社長さんには、購買客への謝罪も、全国にいる雪印社員にも、もちろん事件を起こしてしまった大阪工場の社員からも遠い存在の発言でした。
食中毒などの被害に遭われた方が1万人を超えたという事実もビックリですが、雪印が被害者の皆さんに出す「お見舞い」の中身が雪印製品のギフト券というのもこれまたビックリ!
今回の事件(事故でなく、事件です。ちなみに東海村の放射能漏れも事件だよ!)に関しては、多くの識者がコメントを出していますので、これ以上オイラが「なっとらん!」とわめくことは控えます。オイラが気になるのは売れなくなった牛乳。回収された牛乳を1本1本廃棄している工場社員の映像をテレビで見ました。悲しい後ろ姿にはいろんな想いが複雑に交錯しているようで、今回の事件の食品会社としての責任の重さがにじみ出ていました。と同時に捨てられていく牛乳が純粋に「もったいない!」と感じた人はオイラひとりではないと思います。黄色ブドウ球菌とやらがどんな性質なものか、オイラのみた報道には一切なかったので分かりませんが、煮沸することで死滅するのであれば違う製品にすることも出来ると思うんだけど。
雪印製品は売れないでしょう。でもだからって捨ててしまうのはどうなんでしょうか?責任を感じているのならすみやかに回収したのちに、安全な製品に再加工して無料配布するとか、動物園の餌として安く売るとか、何か再利用する手段があると思うんですが。無駄にするのでなく、何とかして利用する道を考えることのほうがオイラ、雪印という会社の姿勢として誠意があるように感じるんですけれど皆さんはどう思いますか?回収された製品のうち、問題がないものもたくさんあるだろうし、あっても何らかの加工手段を経て食品として再生出来る方法がある気がするんです。また、そういう手段で食品の無駄を押さえていかなかればいけない義務が現在生きている人間全てにあるようにも感じます。
今回の事件は結局まわりまわって酪農家のところにやってくる問題です。厳しい衛生管理をパスして大企業に生乳を卸している酪農家のみなさんのことまで是非考えて欲しいと思うし、いくら牛さんとはいえ、牛乳を絞り出すにはそれ相当の体力が必要なはずですよ!子牛からしてみたらまさに「たまったもんじゃないよ!」てな事件ですからね。自分の取り分の牛乳を持っていかれて捨てられて。牛に訴訟する権利がなくてよかったよね>雪印。
それともうひとつ。
きっと雪印を買いたいひとは少なくなるけれど、今僕らのまわりにある食品で「安全だ!」と豪語出来るものはゼロといってもいいでしょう。遺伝子組み替え食品も、無農薬野菜も、一皮むけば裏でどんな操作をしているのかは知ることが出来ないのが現状です。正すべきは雪印ではないと思うんですけれど。だからこそオイラはこれからも雪印の牛乳を飲むと思います。「毎日骨太」は昨今の健康ブームに乗って「これで今日のカルシウムOK!」とオイラを有頂天にさせてくれていた大事な飲み物でしたから。これからもオイラは飲んじゃうよ!
でも、どこにも置いてなぁ〜い (^_^;)。
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