2000年9月のトークページです。

1999年 4月/5月/6月/7月/8月/9月/10月/11月/12月

2000年 1月/2月/3月/4月/5月/6月/7月/8月/9月/10月/11月/12月

2001年 1月/2月/3月/4月/5月/6月/7月/8月/9月/10月/11月/12月

2002年 1月/2月/3月/4月/5月/6月/7月/8月/9月/10月/11月/12月

最新のトークはこちら。

9/1 オイラ 「この夏の疑問」 9/14 オイラ 「インプロビゼーションの正しい楽しみ方」
9/2 オイラ 「楽器の動物園2」 9/22 オイラ 「感想と反省、厳しめ」
9/9 オイラ 「この夏の感想文1」 9/29 オイラ 「いつまでも師匠」
9/11 オイラ 「この夏の感想文2」

top |Schedule | Profile | Listening room | Talk | Repertory | Report Guide | Communication| Links


2000.9.29 オイラ 「いつまでも師匠」

先日25日、オイラ(とJOB)の師匠であるマリンビストの高橋美智子せんせいがコンチェルト・リサイタルを開催しました。高橋美智子先生は常に日本のマリンバ界を引っ張ってこられた、世界に誇る素晴らしいプレイヤーです。また、芸大の講師として多くの優秀な演奏家の師匠でもあり、オイラもその端くれですが、みんなからは『みっちゃんせんせい』と常に親しまれてきた偉大な方です。オイラが芸大に入学できたのもみっちゃんせんせいのお陰です。「去年の山下君の試験、とても良かったわよ!でも今年合格して本当によかったわね」毎年30〜50人が受験する芸大の、落っこちたオイラの演奏を覚えてくださっていることが、その後のオイラの頑張りに信じられないほどの勇気を与えてくれたことを思い出します。

今日のコンサートは、オーケストラ(東京交響楽団)をしたがえて、4曲の協奏曲と1曲の無伴奏ソロ曲をプログラムに、満員になったサントリーホールの聴衆を魅了し続けました。すごい!凄すぎるコンサートでした。


高橋美智子
マリンバ・コンチェルトの夕べ
21世紀へのプレリュード  
東京交響楽団・指揮 / 小松一彦

<プログラム>

山内忠 / コティル
松平頼暁 / オシレーション

トン・デ・レーウ / /みだれ(無伴奏ソロ)
武満徹 / ジティマルヤ
石井真木 / 協奏曲 M-2000(世界初演)


演奏や、せんせいが残してきた足跡や業績に関してオイラがものを言える領域ではないので、発言は控えますが、高橋美智子先生の音楽には自分を信じて続けてきた強さや、21世紀を迎える若い音楽家へのメッセージ、マリンバという楽器の魅力はまだまだ無限に広がっているということを強く強く、語りかけてくださったように感じました。

パーティ後にせんせいを囲んで無理矢理記念撮影。ポカはカメラマンなので写れませんでした。

また、今年は還暦と言うことで、演奏後は還暦パーティを弟子である僕らで企画し、盛り上がりました。そうそうたる顔ぶれがパーティ会場に集まり、その真ん中でニコニコしている(これがせんせいの素晴らしすぎるところです。2時間すべて暗譜のリサイタルをこなしてなお、僕らに優しさのみで接してくださるなんて!)せんせいは僕ら弟子にとってまさに、「強くて優しいお母さん」そのものでした。

いつか「せんせい、うんざりに来てください!」そう胸を張って招待したいというのはオイラのささやかな夢ですが、先生の演奏をまざまざと見てしまった今、更に遠い日になってしまったようで寂しいやら嬉しいやら。

この日の帰りうんざりメンバー揃っての遅い帰宅でした。メンバーだけで一緒の時間を過ごすことが最近全くないので、貴重で楽しい時間でした。これもみっちゃんせんせいがくれたのかなぁ、と思うと、オイラは冷静ではいられない気持ちでいっぱいになりました。


せんせいありがとうございます。そしておめでとうございました。


2000.9.22 オイラ 「感想と反省、厳しめ」

先日16日、平野と中川氏の3人でインプロビゼーションのコンサートをおこないました。
オイラにとって初顔合わせの2人。期待を十分に膨らませて本番に望みました。当日は大雨&雷の、コンサートにとって最悪な天気でしたが、ほぼ満員のお客様におこしいただき、無事(というか不無事 (^_^;))終了しました。


場所は代々木上原のムジカーザ。
イス4つの上に4本のサックス。
真後ろにティンバレスセットとコンガ・ポリバケツ
上手にしゃがんで演奏するエリアを設けました。

今回のコンサート、自己採点すると42点 (:_;)。決して成功と呼んではいけないコンサートでした。こう書くと「金取って演奏しておいて、無責任だ!」と怒られそうですが、部分的には面白いサウンドがたくさんあったし、オイラも120%演奏したつもりです。この3人で演奏していると理想がどんどん高くなってしまうオイラの気持ちで今回は42点ということです。お客様によっては80点だったり、10点だったりすると思いますが。

3人の演奏について振り返ってみたいと思います。他の2人には恐れ多いですが失礼いたします。

平野はソロとか、自分の名前のコンサートということに関して全く意識をしていませんでした。つまり今回はユニットである意識で臨んでいました。もともと彼は最前線で唄いまくるプレイヤーではなく、ポストとしてプレイしたり、モチーフを提供し、展開は他の人にまかせたりする部分にオイラはすごい能力を感じました。しかしオイラとしてはもう少しイニシアティヴをとって欲しいと感じたところがありました。

管楽器はピアノやパーカッションと違い、ひとつの音を出すためにしなければいけないことがたくさんあります。ブレスや指使いなど。「この音を出す」という意志がないと音に出来ません。また、息の長さ(平野は循環呼吸をいとも簡単にこなしはしますが)や音量・音圧も限界がある楽器です。つまりオイラと中川氏に比べて制約が多いので、音の出しどころのチョイスも難しいわけです。それでも平野はそれを補ってあまりあるセンスと存在感をもっています。もう少しそこらへんの自分の能力を信頼したらいいと感じました。お客様もそれを望んでいるように感じたのはオイラの錯覚でしょうか?

中川氏には2つの部分ですごいものを感じました。
まずは音感。相手の音を瞬時に判断する絶対音感と音色感を持っているので、平野のプレイに邪魔にならないサウンドで溶け込む術はさすが!サックスの音色がピアノによって豊かになっていく様は、お客さんにも十分堪能頂けたと思っています。また、オイラがウッドブロックや木板、カウベルなどを演奏してもその音程で展開してくるのには、ビックリでした。絶対音感がある人ならパーカッションのサウンドに音程を見いだすことは難しいことではありませんが、ハーモナイズしてしかも、展開してくる彼の世界は恐ろしいほどです。
もう一つは瞬発力。ピアニストはソロ活動が圧倒的に多いため、叙情的だったり自分の演奏をすることは上手ですが、相手のタイミングに合わせることに長けている人は多くありません。とくに管楽器のブレッシングを感じることや、パーカッションの気配を感じとることは楽器の特性上も含めて厳しいんですが、中川氏のタイミングはオイラと平野を置いてきぼりにするほどのシャープさです。左手のタイム感、グルーヴ感はおいそれとマネできるものではありません。

そしてオイラ。オイラは平野とは逆で、今回のユニットをソロイスツとして捉えていたと思います。アンサンブルとか、他の人との絡みとか、そういうことよりも3本の光の束がまっすぐいくことを望んでいました。見る人の角度や気分により、その光の溶け具合や眩しさが変わればいいと思っていました。しかしサウンドに精彩を欠いていた部分もありました。恐れていた手グセになった部分もないとは言えません。時間を埋めるだけの音を出したつもりはありませんが、自分の感覚と出した音に差があるところはいくつもあり、悔しい想いです。



しゃがんで演奏するパーカッション類です。
ちりばめた楽器からイメージでチョイスできるように
考えました。こういうスタイルは初めての試みです。
ちなみに左上に伸びている物体はテーブルの脚。
芸大時代に東急ハンズで買った楽器が日の目をみました。

3人の思惑は話し合ってもいないし、終了後も聞いていないのでオイラの憶測ですが、本番中には3人の意識のズレから生じるブレが数多くありました。それが面白いときと明らかにダメなときがあったと思います。少なくともオイラは理性のなくなる瞬間には到達せず、トランスするにはほど遠い状況でした。汗っかきなオイラが今回一番汗かいたのが頭だったのは、いい解釈をすれば瞬時に音楽を組み立てるためにオイラのCPUが熱暴走ギリギリの所で処理していたことの表れであり、悪く言えば無心の境地にいたる音楽ー自分とか、インプロとかでなく自分と楽器を通じて唄が天から降りてくる瞬間ーには遭遇できなかったということでもあります。

この一連のトークで、オイラは何度となく「インプロ」と書いてきましたが、それは無駄なことのように感じています。インプロとは全ての音楽の原点であって、インプロのコンサートと言うこと自体ナンセンスであったと反省しています。

音に生命を込める作業は簡単ではありません。またその生命にこめられた想いを他の人(聴衆)に伝えることはさらに困難です。力や頭脳でなんとかしようとしても不自然になってしまうことが多い。今回のコンサートはそれにあてはまると思います。

なんだかマイナスなことを書いていますが、これは予想通りというか、そう簡単には到達できない世界を目指す過程こそが、音楽の持つ魅力で、何度聴いても「まだ聴きたい」と感じる部分だとも思います。

もっと生命のある音を奏で続けたい。そのためには全ての事柄を磨いて行くしかないと感じます。平野は一緒にやっていてほとんどストレスを感じない、オイラにとって希な存在でもあります。「この次はもっとすごいことがおこる予感」を感じているオイラです。


2000.9.14 オイラ 「インプロビゼーションの正しい楽しみ方」

今月16日にサックスの平野とインプロビゼーションのコンサートをします。

平野は同級生なので、大学時代には何度となく一緒に演奏していますが、彼が留学し、コンクールで優勝してからは初めてなので、興奮しているオイラです。今年踏むステージの中で、3本の指に入る期待度満点ステージです。

もうひとり一緒に演奏するピアノの中川賢一氏も初対面です。先日初顔合わせをしましたが、第一印象は秋葉にいるパソコンオタク (^_^;)。ゴメンナサイ。でもそう思ったんだもん。

で、リハを2日間計6時間ほど重ねました。

インプロビゼーションとは、日本語にすれば即興演奏のことで、アドリブと同義語として構わないと思います。モーツァルトやベートーヴェンなどは、自身の作品を演奏するときにインプロビゼーションをおこなっていたそうですが、瞬時に頭に描いた音楽を音に置き換える作業のことだと思います。難しそうな印象のあるインプロですが、非常に原始的且つ自然体な音楽の形態といっていいでしょう。

日本人は制約が好きな人種だと思います。俳句や盆栽に見られるように、ひとつの形式の中に身をおいて、その中で自由に発想することが特異な人種じゃないでしょうか?狭い土地にいかにして家を建てるか?4畳半にいかに居心地よく生活するか?そんな外人から見ると、せこくて貧乏な考えから、ウォークマンが生まれ、ノートパソコンの発達があるんだとおもいます。忍者や武士の携帯した持ち物をテレビで見たことがありますが、欲しくなるほど機能性と携帯性が集約されたものでした。アーミーナイフ(でしたっけ?ナイフやドライバーが折りたたんでひとつになっているキーホルダーみたいなの)も真っ青のすぐれモノでしたよ。

音楽の世界でも同じで、例えば譜面という制約がある場合はそこに精神性や唄を注入することが日本人には出来ると思います。もちろん外人さんにも出来ますが、日本人だからこそ出来る世界が確実にあるとおもいます。それに対して、インプロは少々日本人には難しい世界かも知れません。白紙の状態から音を産み、終わりまで面倒を見るのは並大抵のことではありません。今回のコンサートでオイラが感じるハードルのひとつです。

ややもすれば手グセだけの演奏になってしまったり、何が何だか分からなくなり、いろんな楽器に助けを求めてしまったり、どの作品も同じ雰囲気に陥ってしまったりします。また、うまくいっているとしても、それが本当に聴衆に届いているのか、十人十色のセンスで感じることができるのか?自己満足な自慰にはまり、ステージ上のプレイヤーだけがいい気分になってしまう危険性も持っているのがインプロのコンサートです。

リハでは、いろんな要素や組み合わせを試してみました。平野はアルトとテナーを使って和音してます。でもこれはボツりました。曲芸的なステージにはなりませんので、いらっしゃる方ご安心を。

中川氏と平野が、コードの展開について話し合っています。これはオイラの提案によるある作品での仕掛けについて、練っているところです。今回のインプロでは、万人に分かりやすい音楽であるべきという平野の思惑があり、最低限の決めごとを用意した作品も演奏します。

「オールフリーでやってみよう」で延々20分以上のバトル後、死んでしまった中川さん。お互いが触発しあうと、どんどんストーリーが展開していき、トランス状態になるので、終わるとこのようになっちゃうことも。

しかし、今回オイラが感じている一番難しくてエキサイティングな面は、平野と中川氏の音楽についてほとんど知らないところです。逆に言うと彼等にもオイラがどういう演奏をするのか、どういう考えを持っているのかが知られていない訳です。これは面白いですよ!うまく行かないと全然ダメな反面、音が絡み合い、一枚の布を織るように動き始めると、3人の想像を超えた音の世界が紡ぎ出されます。「こう来るな」という予測を裏切り裏切られながら、会話できる瞬間は音楽家冥利です。

近い距離で、お互いの息づかいを感じながらリハをしました。「音楽的合コン」っていう感じ。何をやろうとしているのか、会話ではよくわからないけど、音を重ね逢うと少しずつ理解が深まりました。

平野は留学中にインプロビゼーションの授業を受け(さすがフランスですね)、今までに数多くのインプロのステージを経験しています。そこに今回パーカッションをいれ(いつもはピアノと2人でやっているみたいです。だから中川氏とは割と分かり合っている様子。)、しかもオイラを呼んだ背景には、今までやってきたことに飽きたり疑問を感じているという迷いが少なくないようです。うんざりのビデオを観て、オイラを誘ってくれた平野の頭の中には、オイラが新しい何かを与えてくれると思っているようです。

2日間のリハが終わった後は、両日とも平野から電話が来て、「今日はどうだった?」とはじまり3時間くらい語り合いました。お互いに見ている場所が違うので、話がまとまることはあり得ないけれど、それぞれの考えがそれぞれを触発し、新しい何かを求めるためのステージになりそうです。

16日のコンサートは、「そう!今の!これだよ!!」そういうシーンが必ずあるでしょう。そして出来ることならその瞬間を、その空間と時間を共有した人全員で感じとれたらものすごいと思います。そのためにオイラがやることは自然体を保つことだと考えています。演出とか、感動を追いかけない、オイラの腎臓からにじみ出ている酸っぱいエキスをエフェクトゼロで唄えるように、体調をコントロールしたいと思っています。

今回オイラがチョイスした楽器の一部です。画家のアトリエをイメージし、楽器とバチをレイアウトしようと思っています。

また、「全然かみ合ってないよ。アララ、そのまますすんじゃって。あ〜あ。やっぱりショボカッタワ。」そんなこともお客さんの楽しみ方としては非常に正しいです。

いらしてくださる方、オイラに前もって御連絡ください。お安くなります。平野のHPでも特別割引しています。是非御来場ください。一緒にインプロしましょう!


2000.9.11 オイラ 「この夏の感想文2」


先日JOBとSSMの陽子のデュオコンサート『Yo!』がおこなわれました。2人は過去にも多くのデュオを演奏していて、今回はそのいいコンビを見せつけてくれました。

JOLの演奏は大きくなりました。しかもまとまっていない所がうんざり的で魅力的でした。「こうしたい」想いが熱く伝わる反面、音がそうなりきれていない部分を「ダメだ」と言い切ることもできますが、そのギャップの中に何を見るか、何かを見つけるかは聴衆の問題だと思います。「男はつらいよ」の寅さんに感情移入するような感覚を、JOLの詩の中にあるブレに見いだすことが出来れば、こんなに面白いマリンバを聴かせてくれる奴は日本中どこを探しても他にいないでしょう。


陽子はオイラの同級生で、オイラには理解しがたい感性を持っています。少なからずオイラはようこにコンプレックスを持っているかも知れません。彼女の演奏は少し大げさに言えば、竹久夢二の描いた女性が持つ幽幻さと、フワリと浮かぶシャボン玉のような弱々しい殻の中に、艶やかで強い芯を感じさせるような演奏でした。言い回しが胡散臭い音楽評論家のようでダメだな (^_^;)。

2人がコンビとして熟成しているかと言えば、明らかにノーです。それぞれの持つ唄は活かしあってはいるものの、そこから生まれる新しい生命を形成するまでにはいたっていません。しかしそれはオイラも、けいこちゃんもポカも一緒で、じゃぁどうしたらいいんだよ?という問いかけを自問他問しながら追い求める過程です。今回はコンサートが進むにつれ、2人と観客がある1点に向かってにじり寄ってきた現象が確実にありました。意識や目の力、音の中にある想いが大きな強い意志になるところまであともう少し!このコンビの次のステージを早く観たいと感じることが出来たコンサートでした。ブラボー!

告白すればオイラはビデオ係をしていたので、演奏は半分ほどしか聴くことが出来ていません。しかしそれでも彼女達の演奏は多くのことを思い出させてくれたように感じます。

うんざりが活動休止してほぼ1年となり、メンバーはそれぞれの活動を展開しています。うんざりは自分たちを見つめ、新しい何かを必死に探し求める場であったことは、この1年間でメンバー各自が実感していることを、JOLと陽子のコンサートを見て感じました。ちなみにポカはステージマネージャー、けいこちゃんは裏方何でもやりますパシリでも係でした。キクは何係だったの?


ポカはステージ上のトラブルがないように走り回っていました。オイラも楽器調整とか、ほんのちょこっとだけ仕事しました。したうちにはいんないか (^_^;)。

この夏混沌としながらすごし、JOLと陽子の演奏を聴いて、やっと今自分の足下が見えた気がしています。

いろんな事に疑問を持ち、「自分にはやりたいことがある!それを見つけだしたい!」そういう想いがうんざり活動の動機のひとつでしたが、そういう想いを過去のものとして捉えるヒントをもらった気がします。

16日に控えるサックスの平野とのライヴで、今の自分自身に答えを見出せるといいと思ってます。いけるかな?

御来場いただいたお客様の中で、オイラがタバコすっているとご挨拶してくださった方が何人もいらっしゃいました。「次のうんざり楽しみにしてますよ」心に痛い激励の言葉です。次のうんざりを一番心待ちにしているオイラは、次の一手を考えるまでに至ってはいませんが、くすぶっている火種がモウモウと煙をあげ続けています。スタッフとして、このコンサートに御来場いただいたお客様にお礼申し上げます。


2000.9.9 オイラ 「この夏の感想文1」

大学を卒業して10年が経ち、自分の音楽や人生、演奏というものについて考えたり、語ることの出来る年代になったと感じるオイラです。知らぬ間に時間は過ぎていきますね。

決してエリートではなく、ただ「もっと上手になれたら」の気持ちで打楽器の世界に飛び込んだオイラは、今まで恵まれてきました。よき師匠に出逢い、よき仲間に囲まれ、よき先輩方にここまで導いてもらったと、感謝する相手には事欠かないです。

しかし、ここ半年間、蓄積疲労が噴出しているというか、何かが違うことに感づいてきている自分がいます。以前も書きましたが、今年は今後のディケイドのために迷っている気がします。確かに10年前より、1年前よりも自分の音楽を唄えるように、徐々にではあるけれどうまくなっていることは、うぬぼれも含めて事実ですが、今は前を見続けることで視界が狭くなってしまったのではないかという恐怖心が24時間オイラを包んでいるようです。何かを創り出す人間には、いつもつきまとう不安ではあるんですけど、今回は少し違う感触を覚えています。

この夏は時間を見つけては今まで敢えて避けてきた部分を見つめてみようと考えました。あるいは敢えて頑なにならずに、流されてみようと言った方が正しいかも知れません。25歳くらいまでは積極的にいっていたコンサートにもいくつか足を運び、美術館や書籍など、他の人の創ったものを脳裏に残す行為をしてみました。その結果、現在のオイラはやや混沌とした意識をひきずって、それを整理することもなく肉付けしようとしています。いくつかご紹介いたします。

竹久夢二氏の美術館は愛が溢れていました。この愛は男の一方的な理想を求めたひとつのカタチであって、ゆがんだものかも知れません。筆が残した夢二のエロシティズムは、1本の線の強さをオイラに思い出させてくれました。オイラは幼稚園のころ、絵画教室に通っていた影響か、作曲も演奏もうまくいっているときは確実に頭の中で絵が鳴っています。氏の描いた女性は、時代とその男たちのわがままを全て抱擁してくれるような恐さを持ち合わせながら、男を喜ばせるに十分な弱さと色香を感じさせてくれる。マリリンモンロー(オイラ大好きなんですけど (^_^;))やオードリーヘップバーンにも感じることの出来ない、虚空の神々しさを身にまとった女性は、氏の愛の汚さを『美』に昇華させていました。竹久夢二氏の作品はネット上でもいくつか見ることが出来ます。

ルドルフ・シュタイナーの「100冊のノート展」は、シュタイナーが書き残したメモや大学講義のためのノートを公開する特異な個展でした。彼の頭の中は狂気と神が存在するかのようで、少しかじっただけのオイラには到底理解することの出来ない世界でしたが、オイラの目玉に残ったそのイラストやノートの走り書きは、この先オイラを支える何かに成長しそうな匂いを嗅がせてくれました。すくなくとも、オイラが嫌いな部類の人間であることは確信できました。

何年かぶりに鼓童を聴くこともできました。毎年夏に佐渡でおこなわれる「アース・セレブレーション」は今や世界的なパーカッションの祭典ですが、その1回目・2回目をむさぼるように見た記憶が蘇り、軽い金縛りにあうことが出来ました。同時に鼓童は感動的なステージではあったけれども、華がなく、悲しい気分にも似た感慨が湧き出ました。それにしてもうんざりの作品やオイラの演奏には、想像以上に鼓童の影響が強いことも再認識しました。逆にサムルノリ(韓国の舞踏打楽器集団)は以前の鼓童にいたレナード衛籐さんのようなタレントが揃っていて、圧倒的なエネルギーを、統率とエンターテイメントに共存させることに成功している点において、同じ演奏家として羨ましいと感じました。



2000.9.2 オイラ 「楽器の動物園2」

クラシック音楽は音楽愛好者のなかでもマイナーな存在となっています。
日本の音楽愛好者の中で、クラシック愛好者の割合は1%ともいわれるほどで、そりゃそうだよ。と思ってしまうあたりに打開策のない困難さをみてとることができてしまいます。

この傾向は全世界的で、クラシック音楽の本場とされるウィーンやベルリンなどでも若者のクラシック離れは著しいようです。昔は日曜になれば教会で賛美歌を唄い、生活の中にクラシック音楽が根付いていたヨーロッパでも、最近では教会に出向く若者の激減や、その他の娯楽の氾濫によりクラシックの立ち位置はどんどん隅っこに追いやられているそうです。

問題は子供達へのアプローチ。子供達に音楽の素晴らしさを伝えることは、現代の音楽家全員に与えられた使命といえるでしょう。もちろんクラシック音楽に限りません。各国の民謡や民族音楽も観光客がいなければ絶滅しているものもあるでしょう。ジャズもすでに衰退の道をたどりはじめているかも知れません。

今流行っている音楽を避難するつもりもないし、クラシックは今まで多くの民謡や民族音楽を取り入れることで隆盛をはかってきました。そういう意味ではジャンル分けすることはナンセンスで、もっとも子供達に伝えなければ行けないことは、音楽の持つ力。湧き出てくるエネルギーを形に変えるイマジネーションを育てるために、音楽や絵画、モノを創るということが大きな経験になるはずです。喜びを身体いっぱいに表現する方法、くじけそうになったときに勇気を思い出す歌、そういうことを伝えていくことで、これからの時代に必要な音楽は力強く生き残り、形を変えながら僕らの生活を豊かにしていく支えになると思います。

8月に長岡ではじめて行われたイヴェント「楽器の動物園」は楽器や音楽がもつ多様さや素晴らしさを子供達に肌で感じてもらいたいというコンセプトのもと、開催されました。この企画に1プレイヤーとして参加できたことは大きな喜びです。今回は「楽器の動物園」のレポートを参加した感想を。かとうさん読んでくださいね。

「楽器の動物園」では、長岡リリックホール全体を動物園(というかアミューズメントスペースといった方が正しいかな)に見立て、あらゆるところで数々のイヴェントを行いました。僕らマジカルサウンズのコンサートのほかにも、地元アマチュア団体のコンサートや、ホールを探検して音を採取してくる企画や、創作楽器製作(パーカッションファクトリー)、デジカメで指令の映像をキャプチャーしてくる企画など、子供達が楽しめるような様々な工夫が随所に見られました。

オイラが参加したのはパーカッションファクトリーとミュージックズー、それに最後のマジカルサウンズコンサート(ミュージックパーティ)でした。

パーカッションファクトリーは身近な素材を使って簡単なパーカッションを作成するという企画。どこでもよくある企画です。ここには最初ノータッチだったんですが、突然参加してくれとの依頼でした。「最後に創った楽器で合奏させてほしい」との要求でしたが、オイラ反発 (^_^;)。楽器を創ることで何を子供達に伝えたいのかポリシーのない企画でした。

だからオイラは合奏させるかわりに、バケツ・紙・フライパン・ペットボトルなどを用意してもらい、それぞれで演奏して見せました。紙は子供達に配り、「どんな音が出るかやってみよう!」、すると破いたりひっぱったり、ぐしゃぐしゃにしたり、落としたり。ひとつの素材でもたくさんの音を持っていること、そしてそれは自分自身で導き出すことで、全てのモノが楽器になるんだよ。これが今回のオイラのメッセージです。

ミュージック・ズーでは、僕らマジカルサウンズのプレイヤーが楽器の飼育員となり、それぞれの楽器を紹介します。写真はマリンバの岸田佳津子さんと、東京佼正ウィンドオーケストラ・ホルンの並木さんです。それにしても並木さん、人間離れした体型と優しい人柄は、子供でなくても引きつけられるものがあります。佼正は中学時代の憧れでもあるので、オイラも子供達に混じって楽しんでしまいました。

ミュージックズーは大変な人気企画で、各楽器の部屋の前には行列が出来ていました。


ホルンの並木さんは、水道ホースを使ってホルンの長さから歴史まで、ものすごく分かりやすく、面白くお話ししてらっしゃいました。最後は子供達にホースのホルン吹いてもらっていました。みんなオナラのようではあるけれど、ちゃんと音が出ました。スゴイ!


楽器の説明をしたり、仕組みを説明したり、プレイヤーによって内容はさまざまです。クラリネットの品川さんは、ひたすらリードを選び、最後に納得のいくリードを見つけたら楽器をケースにしまって仕事に出かけるという、面白い寸劇だったそうで。

オイラはミュージックズーでも音楽事務所と衝突したんですが、毎回来るお客さんの雰囲気を見ながら、計6回のズーを違う形で行いました。基本的にはパーカッションファクトリーでのメッセージと一緒で、楽器は自分自身で音を導き出すモノであるということを伝えたかった(パーカッションファクトリーと内容がダブるといわれ、また衝突!)。

佳津子さんのミュージックズーです。オイラもこの部屋で行いました。広いんですよ。

しかし「楽器の動物園」の中にズーという企画をたてるあたり、ムチャクチャですわ (^_^;)。


子供達は興味のあることにはスゴイ集中力と、想像を絶するリアクションを見せてくれます。楽器を紹介した後、「どれが一番好きかな?」と聞くと、「マラカスゥ!」「トライアングルゥ!」に混じって「ピカチュー!」「オオクワガタァ!」 (^_^;)。面白すぎるデス。


そして「楽器の動物園」のトリはマジカルサウンズのコンサート。今回は各楽器をフューチャーした内容で、それぞれのソロの曲をとりそろえました。東京交響楽団の甲籐さんは紅一点で美しいヴェニスの謝肉祭。あ、佳津子さんもいたっけ。

写真はリハーサルの甲籐さん。

マジカルのメンバーは金管4名、木管3名、パーカッション2名、シンセ1名の計10名です。カルメンや動物の謝肉祭などをマジカル用にアレンジしたほか、ラテンナンバーや佐渡おけさも演奏しました。


今回は大量のパーカッションをほとんど長岡で用意していただきました。リリックホールのものや、近くの中学などからかりてきました。おかげでチューニングが大変でしたが、助かりました。


「とにかくやってみよう!」この気持ちは全ての始まりです。この気持ちがないと何も始まらない。失敗を恐れる前に行動を起こすことが次の扉を開きます。窓から覗いているだけではダメなんですね。うんざりもこういう気持ちではじめたことを思い出します。

そういう意味では「楽器の動物園」、大成功でしょう。特に地元長岡のボランティアの皆さんの献身的な協力は、今後の音楽との関わり方の新しい形を教えてくれた気がします。高校生から主婦まで、総勢120名にものぼるボランティアの皆さんのパワーがこの企画を支えた最大の功績です。

しかしポリシーやコンセプトの弱い企画はオイラはキライです。今回はそういう意味でストレスばかりが蓄積する2日間でした。

我々プレイヤーはそれぞれに強い意志を持っています。子供達に伝えたいことも、ポッとでた「楽器の動物園」くらいの企画では太刀打ちできないほどの熱い想いで満たされています。オイラの今回のメッセージは「楽器なんて区別はなく、君自身の想いで全てのモノが唄い出すんだよ。」ということにしたのは、モロ「楽器の動物園」を否定している訳です。

子供達が目を輝かせながら、長岡リリックホールの中を所狭しと走り回る光景を目にしましたが、同時に手とり足とり手伝って、創作楽器を創る子供達に横やりを入れるお母さんや、何かを「与え」ようとする主催者の思惑に大きな不満と疑問を持つことになったイヴェントでした。

開催中は音楽出版社や地方のホール関係者などが、この新しい企画を見学にきていたようです。すでに他のホールから新しい依頼も来ているそうです。でもオイラは参加するかどうか。

この企画がもっともっと深い想いをもって育っていくことを願っています。そして長岡リリックには無理してでも毎年開催していって欲しい。答えは子供達が大人になるまで分からないから、それまで「とにかくやってみよう!」を忘れないで欲しいと思いました。

それにしても最も美しかったのが信濃川。雄大でした。

2000.9.1 オイラ 「この夏の疑問」

ただ今入院中です。

去年の年末に入院してから今回で3回目の入院となります。こう書くと、「オイラ(さん)は随分身体の具合が悪いらしい」ということになり、仕事にいく場所場所で「入院してたんだって?大丈夫?」と心配されてしまいます。実の所、ここ1年間は治療は全くしておらず、検査入院や、尿管にパイプを挿入(挿入するのは一応手術ということになるんですが、これも身体にメスを入れないのであまり大げさなことではありません。)しての経過観察をしているだけなので、病状が悪いのか、治るのか治らないのか、今後どうなるのかなんてのは分かりません。本人が一番知りたいくらいなので当然分かりやすく説明することが出来ないので、さらに噂が広がることになるんでしょうが、オイラも面倒くさいので随分と体調が悪いフリをしてみたり (^_^;)、「全然大丈夫ですよ!」といきがってみたりと、その時の気分次第でかわしている次第です。

今年の夏はうんざりライヴがないおかげで身体にムチ打つこともなく過ごしました。皆さんはいかがでしたでしょうか?今のオイラの体調では、今までのようなパワフルなうんざりライヴを続けるのが困難なことは、自分自身が分かっているので、「仕方なし。」と心落ちつかせた夏はなかなか快適でした。ひとつ心残りなのは「殺菌・除菌・消毒」の意味がよく分からないままに秋になってしまうこと。

調べようと思いつつ時ばかりが経ってしまい、しかし雪印事件は未だくすぶり続けているのでもうすこしタイムリーなネタとしてオイラの中で「調べたいこと」のリストに残るとは思いますが。除菌は何となくわかります。バイ菌を殺せないけど追い払えることでしょ?きっと。石鹸で手を洗ったときにバイ菌は死なないけれど、石鹸の泡といっしょに流れてくれることだと思うんです。これはほぼ正解だと思うんですが、殺菌・消毒の使い分けがどうしてもわかりません。オイラが普段使用しているハンドソープ「キレイキレイ」は確か除菌・消毒と明記してあった(退院したら再確認します)と思いますが、どういうことだろか?

清涼飲料水のように「甘さひかえめ」程度の厳密な使用法のない言葉なのかな?バイ菌だってたくさん種類があるから、殺虫剤がハエを殺せてもゴキブリ半殺しみたいなこともあるだろうし、すごくあいまいなものなんだろうということは想像に難くないけれど、きっと今薬局に並ぶ衛生用品は抗菌とか殺菌って書いてないと売れないご時世だから、その効能について調べたいと思っています。でもここでこうして書いているってことは「誰か知ってたら教えてね。」っていう他人まかせな姿勢でもあるんだけどね (^_^;)。

あ、大○さんに聞いてみよっと。


top |Schedule | Profile | Listening room | Talk | Repertory | Report Guide | Communication| Links