1999年6月のトークページです。
1999年 4月/5月/6月/7月/8月/9月/10月/11月/12月
2000年 1月/2月/3月/4月/5月/6月/7月/8月/9月/10月/11月/12月
2001年 1月/2月/3月/4月/5月/6月/7月/8月/9月/10月/11月/12月
2002年 1月/2月/3月/4月/5月/6月/7月/8月/9月/10月/11月/12月
最新のトークはこちら。
6/2
オイラ
「うんざり、その名前」 6/18
オイラ
「泣かないでブタ。」 6/4
オイラ
「パーカッションの憂鬱」 6/20
オイラ
「生・録音」 6/5
オイラ
「パーカッションの憂鬱 2」 6/22
オイラ
「忘れ物、ありました」 6/7
オイラ
「うんざり君誕生秘話」 6/23
けいこ
「コーヒー」 6/9
オイラ
「ライヴ先取り情報」 6/24
オイラ
「暮らしのデザイン」 6/10
オイラ
「彼の名は杉木くん。」 6/25
オイラ
「梅雨のアキバもまたよろし」 6/10
オイラ
「電車、飛行機、病院」 6/27
けいこ
「続・コーヒー」 6/13
オイラ
「う、生まれるぅ!」 6/28
ポカ
ポカぽんコラム「梅雨、梅雨、梅雨!!」 6/15
オイラ
「ビデオ見ました」 6/29
オイラ
「音楽、気持ち悪い」 top |Schedule | Profile | Listening room | Talk | Repertory | Report Guide | Communication| Links
曲創りをしています。
昨日、今日と能率が上がらず、頭がボーッとしているんですが、そしたら音楽の不思議さに悩まされてきてしまいました。ちょっと専門的なことになりますが、(いわゆる西洋)音楽には調性というものがあります。ハ長調とか、ニ短調とか。ようするにドレミファソラシドがあります。
(ここでは分かりやすいようにハ長調、Cメジャーとして書きますが)普通の曲は大ざっぱにいえばドから始まってドで終わるんです。ちょっと複雑になってもドミソではじまり、ドミソで終わるわけです。もちろんそうではない曲だってたくさんあるんだけど、これが一番シンプルで形になるんです。これは常識なんですが、どうしてなんでしょうか? 当然のようにいつも曲を書いていますけど、どうしてなのかよく分かりません。
ドで始まって、レで終わるのでは曲として成り立たないんです。あえて終わらない感じで終わらせたいとか、奇抜なことを狙うときには有り得るけれど、普通はありません。ね、不思議じゃないですか?氓フ和音、「の和音、」の和音って知ってますか?曲の背骨となる3つの和音です。ドミソというのは氓フ和音のことです。これが一番強い。
演奏を始めるときにおじぎしますよね。そのときに流れる「チャーン♪チャーン♪チャーン♪」は氓フ和音、」の和音、氓フ和音なんです(-」-氈j。この形が和音進行の中でもっとも強いんです。 なんで? でもピアノを弾いてみると確かにこれが一番強いのはよく分かるんだけど、どうしてなのかが全然わかんないよー!気持ちワリぃ。例えば同じ字を何回も何回も繰り返して読んだり、書いていたりするとだんだんそれが気持ち悪くなることありませんか?「オイラ」ってずーっと書いているといつのまにかその字が今までとは違うハングル文字のような、模様のような、とにかく日本語の「オイラ」を書いているんではない錯覚に陥ることありますよね。その感覚にちかい気持ちになっています。
曲なんて所詮次の音が前の音よりも高いのか低いのか同じなのか、それだけのものです。リズムも大切だけど、時間軸に沿って次の音が前の音よりも高いか低いか。それだけのことなのにいいフレーズとか、ムチャクチャとか、そういう善し悪しが生まれる。不思議だよな。
あ〜!!本当に気持ち悪い。 それにしてもタイコはいいですよ!次に叩く音は前と同じ音。そのくり返しだけでいいんですから。終わりも始まりもなくていい。「ポン」が最初で「ポン」が終わりで、その途中どこを聴いても「ポン」。
音楽って、オンガクって、 なんなんだ?????? (:_;)
1999.6.28 ポカぽんコラム 第7版 「梅雨、梅雨、梅雨!!」
皆さん、お待たせしました。1ヶ月ぶりのポカぽんコラムです。
梅雨、ですねぇ。じめじめ、ですねぇ。嫌、ですねぇ。
「今日は降らないよな。」って、朝洗濯物を干して出かけて、帰ってきたらビショビショ、なんて事は日常茶飯事です。部屋の中に干しても何だか湿っぽいし、臭くなりますよね。おかげで、洗濯機はいっぱい。早く片付けたいなぁ。フローリングもベトベトするし、ひっきりなしに汗をかいているようだし、ああ、早く梅雨明けしないかなぁ・・・。さてさて、やっぱりじとじとするときは、サッパリしたものが欲しくなりますね。ざるそば、冷奴、酢の物、などなど。
僕はやっぱり冷や麦!! 薄焼き卵・キュウリ・ハムの千切り、シーチキンを軽く炒めたものをちゃんと用意して、めんつゆにはこれでもかと言うほどのわさびを溶かす。あ、缶詰ミカンは邪道。あれは、却下です。そして、ちょっと堅めにゆでた麺を、ずずずっと。ん〜〜っ、うまい!!!! 喰いたくなってきたぞ!!!! あと、ヒトリグラシをしていて最も気を付けていることと言えば、「健康!!」。僕は、毎日必ずニンニクを食す!! 絶対欠かさず!! あれって、何であんなに美味しいでしょう。たまらん!! でしょう。
キノコいっぱいとタマネギとシソ(JOLの天敵!!)のスパゲティがいいっすよぉ。
ニンニクと赤とおがらしを、いっぱいいっぱい使って作ります。冷えてしまっても美味しいし。今日はこれを食べました。最近は和食を作ることがあまりないなぁ。ん? 冷凍庫にブリがいた。
よし、明日は煮付けだぁ!!!! 一緒に食べてくれる方、大募集(笑)。
皆様。またまた、調子に乗ってけいこの登場です。
で、本日の話題もまた、コーヒーについてです。いままで、私は某メーカーの缶入りコーヒー豆(挽いて有るもの)を買ってきて、使っていました。家で煎れるコーヒーとは《こんなものだ》と思って気にしていなかったのですが、最近、自分でそのコーヒーを《あんまり美味しくないなあ・・・・》と思ってきてしまいました。
・・・・というのも、コーヒーにはうるさくない私が最近近所の美味しいコーヒー屋さんに通うようになってどうやら舌が肥えてきてしまったようです。
私がそのお店を気に入り出したのも、コーヒーを一杯・一杯丁寧に入れてくれるその姿勢に感動したからなんです。
カウンターで飲むそのコーヒーは美味しいこともさることながらお店の雰囲気も心地よく、マスターとの会話も近すぎず遠すぎずの丁度良い距離感からくる安心感のようなものが有ることなのでしょう。しかも、夜12:00までやっているという、私のような夜型人間には、願ってもない特典付きなのです。コーヒーについてもシロウトな質問をしながらいろいろ教えて貰っています。
詳しいはずなのに、「私もあまり詳しくありませんが・・・・・」と、いつも謙虚なマスターです。マスター曰く
「挽いてから時間が経った高い豆より、安くても、煎れる直前に挽いた豆の方が美味しく煎れられるかもしれませんね。」う〜ん。
わたしは、《挽いてから時間が経っている安い豆を使っている。》
これじゃあ、美味しいはずないっかあ?先日、自分の気持ちを高めるべく、コーヒーミル(豆を挽く道具または、電気器具)も持っていないのに、ついつい豆だけ買ってしまいました。今は、豆は、有るけど煎れられない状態です。
もう一つマスターに質問。
「手で挽くのと、電動のと、どっちがいいんですかね〜?」「本当は、容量の大きい電動ので、時間をかけずにサッとやった方が豆が熱を持たなくていいんですよ。でも、手で挽くのも自分で挽く楽しみや、挽いているときの薫りが楽しめますし、人それぞれでいいんじゃないですか?」
よ〜し!明日にでも、“電動の”を見に行こう。
そして、気に入ったら買っちゃおう!
なんか、楽しくなってきたなあ。今度のうんざりリハまでには、道具を揃えて、挽きたての豆で煎れてあげるから、みんな待っててね。(でも、豆は安い豆だよ。)
じゃあね〜〜〜。
美味しく煎れられるようになったら、これを読んで下さっている
【うんざりファン】の皆様にも煎れてあげたいなあ。
けいこ
久しぶりにアキバ(秋葉原)へ行きました。
単にブラブラするつもりで、マック関係で何か掘り出し物でもあればと思い、雨の中歩いていました。
人混みの中を歩くのは疲れますよね。しかも今日は雨が降っていたので「秋葉原恒例、傘祭り」状態でした。雨だから人がいないと思っていたんですが、よく考えると金曜日で給料日なんですよね。(オイラも一度くらい「お給料」ってもたってみたいなぁ)特に掘り出し物も見つからないまま、帰ろうと駅に向かったんですが、途中でジャンクショップ街にフラフラと入ってしまいました。疲労のため頭もよくまわらないので「ヤバイなぁ〜」と思いつつ、吸い寄せられるようにショップ街をふらついていると、案の定どれもこれも買いたいものだらけに見えてしまいました。あのジャンクショップは無線、電動工具、盗聴器、パソコンのあらゆる部品などがグチャグチャに並んでいて、お店のおじさん方もお客さんも一種なんとも言えないその世界の雰囲気を漂わせていて、それが疲れている肉体には魅惑的に見えるんです。きっと男性諸氏にはこの気持ち伝わると思うんですけど。
狭い敷地に何十という小さい店が寄り集まっている中に、音響機器を扱うお店がありました。本当はどうだか分かりませんが、普通の楽器屋さんや電気屋よりもべらぼうに安い値段が付いているように見えてしまうこと自体、このショップ街の匂いがオイラの脳内麻薬に火をつけている証拠です。
いぶかしげな親父がオイラに話しかけます。
「何をお探し?」オイラ、頭まわってないので訳の分からないことを言ってます。「このマイクは2本で4000円ですか?」
「違うよ、それマイクスタンドの値段だよ」とあきれた親父の返答。
「マイクは何とるマイクさがしてんの?」
「・・・・おと・・・」オイラことごとく疲れ切っています (^_^;)。
その親父は鼻で一笑してもっと専門的なものを探しているお客のもとへ去っていきました。でも何故だかオイラも悪い気がせず、このアングラな雰囲気の中でとまどう自分がやけにけなげに思えてます。若い店員さんが後ろから近づいてきました。
「こんなのどう?特価品だよ!」威勢のいいお兄さん、オイラがまごまごしていると優しくまくしたてながらどんどんいろんなマイクを見せてくれました。だんだんオイラもまっとうな意見を発言し、とうとうひとつのマイクに行き着いてしまいました。別に買う気でここに来たんじゃないのに。やっぱりヤバイことになっている。でもそんな自分がいとおしい。「お客さん、じゃぁもうこのマイクしかないよ!!これだったら絶対、ゼッタイ損はしないよ。2本で1万円だし、コンデンサーマイクじゃぁぜったい一番安いマイク。これしかないよぉ」店員の兄ちゃんも興奮しはじめていたので、もう止められません (^_^;)。まぁ、レコーディングのために今よりもマイクの本数は増やしたいと思ってもいたので、オイラの脳内麻薬も「買っちゃえ〜買っちゃえ〜」とまくしたてています。
「消費税つくと1万円以上なの?」興奮兄ちゃん、アキバの名文句の出番で、目が輝きだしました!!
「お客さぁん、いい人みたいだからイチマンゴヒャクエンなんだけどイチマンニヒャクエンにするよ!もうこれ以上は無理だけど、300円で帰りにコーヒーでも飲んで気持ちよく帰ろうよ!ね!!!」ムムム、うまい!やはりアキバで買い物するということはこういうコトバを聞かないと。この最後の殺し文句でとうとう押し切られてしまいました。マイク2本買いました。
帰りの電車の中、このマイクでどの楽器の音をとろう?と考えるこの気持ちよさは、同じマイクをもっと安い値段で新宿で買ったとしても得られない気持ちです。どう説明していいか分からないけど、アキバに漂うパワーを一緒に買ってきたような気分です。
みなさんもいかが?元気が出る買い物しましょ。
あ!いけない!! ヴォーカルマイク買うの忘れてた (^_^;)。
うんざりをはじめてから絵を描くことが多くなりました。
チラシ・チケット・プログラムの他、このサイトのデザインなどはオイラが手掛けているので、気分がデザイナーなこの頃です(本当のデザイナーさんには失礼いたします)。うんざりの音楽をイメージしたり、ライヴに来てくださったお客さんへの心からの感謝とおもてなしを伝えたいと思いながら、手をかえ品をかえデザインすることは時間がかかるけど音楽を創るのと同じくらい楽しいです。オイラ、デザイナーという職種、あるいは設計士や漫画家の皆さんには元来あこがれています。
例えば東京駅。赤レンガ風で明治時代の匂いをかもし出すあの駅舎は多くの皆さんの記憶に残っていると思います。おそらく僕らの親父のそのまた親父の代から、孫の孫の代までほぼ同じイメージをもつこととおもいます。
例えばたばこ屋。信号を右に曲がって、まっすぐ行って突き当たりのたばこ屋、のたばこ屋さんの店構えは、その地元の大工さんや、たばこ屋のご主人がデザインしたんでしょうが、きっとその街の人々はみんな知っている。そこで買い物してなくても、そこにあるたばこ屋は普遍的なものとして捉えられながらまわりのみんなの暮らしの中にとけている。これって音楽ではなかなかできない憧れであります。
先日のトークでもかきましたが、童謡や民謡のように永く受け継がれていく音楽を創ることはオイラの最高の理想のひとつですが、カタチあるモノをこしらえる職種の皆さんは簡単にそれができる。特に建造物はその大きさとたくさんの人の目に触れるということで非常に羨ましいと思います。
今演奏した生きた音楽は人々の耳に届いて心を打つときにはすでに過去のものですから(そこが音楽の良さなんですけど)、無い物ねだりの極致ですね。デザインは人の暮らしの中に溶けこんで空気のようになることや、新しい発見を与えることができます。もう少し深くいえば、人は皆自分をデザインして生活していると思います。
人間が道具を使いはじめてからずっと「暮らし」イコール「デザイン」なのではないでしょうか?単なる石を石器としてから今日まで、モノが自分の手足のように使えるカタチに改良を重ねたことこそ、人の営みに密着している出来事でしょう。
ですから生きていくということはすなわちデザイナーであるということかもしれません。「こういう自分になりたい」「新しい自分に出逢いたい」。そのために好きなものを買ってきたり、ヘアースタイルを変えてみたり、本を読んだりするんだと思います。大きくいえばそういう気持ちが集まって政治が動いたり、宇宙にロケット飛ばしたりするのが(理想だけど)世の中の姿だと思うんです。デザイナーという職種に就いている皆さんは、そんないろんな人の想いを受け止める必要がある気がします。いや、受け止めてカタチにできる幸運な方達にほかなりません。
東京駅を利用する人はあの駅舎を見てこれから始まる旅に夢をはせたり、遠い昔の思い出をよみがえらせるかもしれない。たばこ屋でたばこ買う人はそこで店主のおじちゃんと会話することで、煙を吸うよりもストレスを減らすことができるかもしれません。それを利用したり使う人とどう関わっていくのか?デザイナーの腕の見せ所だと思うし、オイラがあこがれるのはこの点についてです。もしも学校をデザインする人がいたら、ぜひ登校すること自体がワクワクできるような学校をデザインして欲しい。先生と生徒のあいだが空気のように隔たりのない空間を創造して欲しいと願います。
もしも病院をデザインする人がいたら、寝たきりの人が少しでも生きる勇気がわくようにベッドの上の天井に好きな絵を飾れるようにしたり、治療に専念することはまわりの人々の幸せに繋がることを再確認できるデザインを施して欲しい。
もしも携帯電話の技術をデザインする人がいたら、心臓のペースメーカーの製造会社と話し合って、誤作動しないような技術をデザインして欲しい。(落としても安心なデザインも発達して欲しい (^_^;)!)
もしもライヴハウスをデザインする人がいたら、いろんなジャンルの音楽をみんなで共有できるスペースを創造して欲しい。コストや技術の壁は大きいでしょうが、それを乗り越えるのがデザイナーの職種に就いている人の仕事だと思います。ウォークマンは世界中の人々に新しい音楽との関わり方を教えてくれた。コンビニは夜中の仕事で疲れた人を癒す現代のたばこ屋かもしれない。
お金儲け第一でもいいと思うんです。お金がもたらす幸せもある。利用したり、使ったときに創り手の想いが知らず知らずに伝わるモノをデザインして欲しいです。オイラはそういうモノに出逢うのが大好きです。(気が向いたら4月のトーク「ごきぶりに人生あり」もお読みくださいm(__)m。)
こういう時代だからこそ、安い・便利というテーマではない、創り手と使い手がつながれるような、そのモノと一緒に年をとっていけるようなモノを、選べる「格」を身につけたいと思います。
うんざりをデザインすることが僕らと皆さんの栄養になることを信じて、これからも新曲創りまーす。
こんにちは。皆様お久しぶりです。
うんざりホームページが始まってから随分経ちますが、いつも読むばっかりで、トークには、今やっと2回目の登場という筆不精の【うんざりドラマー】けいこです。これからは、もう少し間隔を縮めていきたいと思いますので、皆様待っていて下さいね。
今日は、コーヒーについて書いてみたいと思います。
・・・・と言っても、私はコーヒーに詳しいわけでもなく、うるさい訳でもありません。ただ、いつのまにかうんざりの中ではコーヒー係(ただ単に、コーヒーを水筒に入れて持っていく係)になってしまったので、一筆かいてみようかな〜・・・と思いまして。わたしが、自分でコーヒーを飲みたいと思ってからは、まだまだ日が浅く、それまでは、煎れて貰ったら飲む。とか、出されたら飲む。といった感じで、どちらかと言ったら苦手な方でした。
いつの頃からか飲み慣れてきて、疲れたとき、リラックスしたいときに
《ああ、コーヒー飲みたいなあ。》と思うようになってきました。
今まで紅茶だったところが、紅茶では物足りない『なにか』をコーヒーに見いだしたような・・・・・。今ではコーヒーを飲まない日が無いくらいです。うんざりのリハーサルは、朝から晩までしかも2日も3日も続けてスタジオ(というか練習室)に篭ります。
長時間のリハーサルなだけに休憩は大事ですし、何回もします。時には練習の合計時間より休憩の合計時間の方が長かったりして・・。一日にいったい何回休憩してるかなあ?
ま、そこで、登場するのが、けいこちゃん持参のコーヒーなのです。
いつの頃からか、有るのが当然になってしまった大きい水筒。1.6リットルも入るのですよ。
家のやかんは大きくないので、その水筒いっぱいにコーヒーをつくるには、2回もお湯を沸かさなければいけません。
しかも、併せて紅茶もつくったりすると、3回も4回もお湯を沸かします。
そして、家にはコーヒーメーカーなどという素晴らしいものは無いのでペーパードリップで2回、時には3回入れます。朝の忙しい時間に、これだけで20〜30分はかかります。
だから、お湯を沸かしながら出来ることを、合間を縫ってチョコチョコやるのです。狭い家だから、あっちにバタバタ、こっちにピューってな感じで
駆け回っています。もう慣れたから、ぜんぜん苦にはなりませんが、困るのは寝坊したとき(または寝坊すれすれのとき)です。
コーヒーを煎れて多少遅刻するのと、コーヒーを持たずに間に合うのってどっちがいいんだろう?という心の葛藤があるわけです。勿論遅刻はいけませんが、コーヒーがないのも、リハが進まないような気がして、どっちが罪? なのかなあ? な〜んて思うわけです。コーヒー係は自主的なもので、コーヒーが無いからといって誰に文句を言われる筋合いのものではないのですが、あまりに有るのが当然になってしまったので、わたしが許せないんでしょうね。
寝坊して、でもコーヒーは持って行きたいときの方法。
水筒だけ持って飛び出して、途中の道路沿いの‘ドトール’や‘シャノアール’に寄って『お願い!この水筒いっぱいにコーヒー入れて下さい!』不思議な顔をされつつも結構快くして下さいます。
でも、家で入れるよりはかなり高くつくよね。そこで、《明日は寝坊しないようにしよう!》と、心から思うわけです。しかも、それを知らずに飲んだ誰かに『今日のコーヒー美味しいね!』なんて言われて
ガックシッッッ〜〜〜〜。 それでも、めげずにコーヒーを入れ続ける打たれ強い【けいこ】でした。
けいこ
みなさんに御連絡です。
5月のうんざりライヴの時に忘れ物がありました。買い物したての新品のものです。先日江古田バディさんからキクへ連絡が入りました。身に覚えのある方は忘れ物をしたその商品名と特徴をお書き添えのうえ、こちらまでメールをください。新品なのでここでそのものの発表は控えますが、現在うんざりが大切に保管しています。7月のライヴにも持っていきますので、お心当たりの方は是非御連絡ください。
実は忘れ物をした方は、後日バディさんに確認に来たそうなんですが、その時は何かの手違いで忘れ物はなかったとバディさんは応えてしまったそうなんです。あとで出てきたのでうんざりの方で引き取らせていただいてますが、忘れた方は本当にショックだと思います。せっかくうんざりライヴに足を運んでくれたのに、きっときっと盛り上がってくれて、我を忘れた夢見心地で家路についたんでしょう (^_^;)。そしたらせっかく買ったお気に入りの○○がない!1万円拾ってよろこんでたら、大事な手帳なくしちゃったような悔しさでしょう。
かくいうオイラも実は先日携帯落としました。
オイラはB型だからなのか、よく落とし物や忘れ物をします。携帯もここ2年で今回が3回目。
今までは電話したらタクシーの運転手さんが出てくれて、返しに来てくれたり、サケが河に戻るようにことごとく我が家へ舞い戻っていたんですが、今回はどうやらだめらしく、昨日解約してしまいました。忘れ物は自分が悪いだけに悔しさをぶつける相手もいなくてくやしいですわ。
携帯は忘れたり落としたりすると本当に困ります。
自分の携帯に電話しても誰も出ない。こうなると誰も気付かないガード下でご主人様であるオイラが見つけてくれるのを独り寂しく祈っているのか、ほかの誰かにもてあそばれながらオイラの電話料金がウナギ上りになっているのかの見当がつきません。あきらめて終わりにするにはリスクの大きい落とし物です。それこそ財布やクレジットカードの方があきらめつくし、アフターケアを怠らなければ助かる最大限の方策が用意されているけれど、携帯はきついですよ。オイラはすぐにあきらめて電波を切る処置をしましたが、こうなるとまず戻ってくることは不可能です。電話会社に駆け寄って「再発行」なんてできないし、電波切っていても解約までは基本料金とるなんて (:_;)。仕方ないかもしれませんが落とした側としては何とも言えない虚しさが去来します。そういうわけで、うんざりライヴでの落とし物はいつまでも、いつまででも大切にお預かりしていますから、きっといつかアナタのところに帰ってきますから、あきらめずに待っていてくださることを願ってやみません。
決してあきらめて同じものをもう一度購入するなんてこと、していないことを祈ります。ナム〜。
今日もうんざりリハでした。
今日はデモテープ用のレコーディングをおこないました。前回のライヴでもデモテープを売らせていただいたんですが、それは単にリハ中の録音を編集して作ったので、音質やバランスなどどれもあまりよくなかったので、今回はデモテープ用のテイクとして音をとりました。エフェクターもかませて録音したので、ずいぶん聞きごたえのある音が取れたと思うんですが、終了後にテイクを聴き直したら、数曲最後の数秒間が尻切れになってしまってました。非常にがっくりくり。
DATで録音したんですが、本テイク用のテープとサウンドチェック用のテープを交互に出し入れしていたので、本テイクのテープをデッキに入れたときにテープが多少逆行していたらしいんです (:_;)。
一番うまくいった「Call me!」も本当にほんのチョットだけラストが尻切れになってしまっていて、泣くに泣けない気分でした。次回もう一度レコーディングし直して見ようと思いますが、今回ほどのテンションが収められるかどうか不安です。
音楽は生が一番ですよね。当然です。プレイヤーが伝えることを受けとめる観客がいるんですから、普通のことです。一番なんていう言い方自体がおかしい。でも、自分たちのプレイをいい音で残すことができたときはやはり純粋に嬉しいものです。いい音というのは生音に忠実とか、微妙なニュアンスまでマイクが拾ってくれたとかそういうことではなく、その曲が活きた音という意味です。
マイクの向こう側でこの録音を楽しんでくれる人がいるんだと思えたときのレコーディングは、ライヴと同じくらいの充実感になることも今日は経験できた気がします。(今までは感じることができなかったです。スタジオ本格的レコーディングの時も感じられませんでした)
ミュージシャンの中には生にこだわる人や、CDを重視する人、いろいろといると思います。オイラも録音についてはうんざりの活動の中でそんなに重要視はしていないと思います。
でも今日思ったのは、ライヴに向けてリハを重ねているときでも、レコーディングの時でも、楽しかったり、悩んだり、辛かったり、「もうやめよう」と弱音を吐いたり、「これならいける!」って力が湧いてくるのはそれを聴いてくださる相手の顔が鮮明に浮かんでいるときなんだということです。要するに生でもテープでも、うんざりが残したいのは「記録」でなく、「想い」だから、重要なのは聴いてくださったみなさんの心の中でうんざりが育つかどうか?その人と一緒にいられるかどうか?なんです。こういう気持ちにたどり着いたのは、今までにうんざりライヴに足を運んでくださったみなさんがオイラ達に勇気と元気を与えてくれたからにほかなりません。誰かのためにがんばれる勇気、自分のためにがんばれる元気があれば、いつかきっとそれは誰のためでもなく、存在自体が強い音楽として活き続けることができるんだと思います。
うんざりは昔からの伝承音楽のような音楽を目指しているのかもしれません。地域によって歌詞も違う、メロディも違う、まして譜面なんてありっこない唄なのに、みんな知っている。みんなその歌を聴くと思い出す風景をそれぞれもって生活している。そういう音楽はなりたいと思っってなるもんじゃない........
!!、そういうことか。
これからもうんざりはたくさんのリハとステージ、それにレコーディングをしたいと思います。今日感じることができた想いをどこかに忘れてこないうちは、修羅場も恐くない。仲間もたくさんいるし、独りっきりでも守っていける。間違った道に迷い込むことも活きるための糧にできると思います。
久しぶりにトークアップです。最近は仕事で新潟へ行ったり、曲を仕上げていたために頭もカラダも溶けていましたので、トーク書けませんでした。ごめんなさい。
今日から3日間、うんざりリハが始まりました。
今度のライヴまでのリハ回数が少ないために、この3日間は内容の詰まったリハとなります。今日は今度のライヴでは新曲が(ガード下seven ・Call me!・西国分寺に雨が降る・Children kiss・泣かないでブタ。)と5曲もあるので、それを中心に詰めたあと、ライヴを想定した通しリハもおこないました。
「泣かないでブタ。」はレパートリーのページにも今日アップしたての新曲で、メンバーも譜面渡して初見状態だったので特に神経も使いました。オイラは作曲者なのでもうイヤというほど聴いていますが、メンバーはこれから暗譜もしないといけないのでしんどい宿題がひとつ増えました。それにしても、ひとつのユニット(グループ)のサウンドを創り上げるのは本当に時間と脳味噌と体力を必要とするんだなぁ、と今日改めて感じました。
新曲を渡して音を出したときには作曲していたオイラの感覚とは似ても似つかない音が出てきます。リズムの感じ方、メロディの歌い方、曲の構成などについて何も分からない状態ですから当然だけど、今日の「泣かないでブタ。」はまるでうんざりのメンバーで音を出しているとは思えないようにも聴こえます。何回か説明を加えながら音を出していくとドンドン変わっていきますが、うんざりにしか歌えない唄になるまでには年季が必要です。この曲も早くうんざり色に染めなきゃ。今回のライヴはみなさんが夏バテにまけないようにと、スタミナたっぷり。おなかいっぱい★もううんざり (:_;)なライヴにしようかと思ってまして、ずらーっと濃い曲を並べた仮プロで通しリハしたら、メンバーがうんざりしちゃいました (^_^;)。今録画したビデオを見終わったところですが、もう少し曲順もライヴの流れも手を加えないとまずい感じです。 明日は手直しした曲順で再チャレンジです。これから直前まで何度も何度も練り直してうんざりステージの本領発揮だ!と、みなさんを魅了しますので楽しみにしていてください。
明日はデモテープ用のレコーディングと、通しリハを中心に朝から晩までやってきますので、今日はここらで失礼させていただきます。
寝坊すると焼き肉おごらなきゃいけないので (^_^;)。
ここ何日か気だるい気分が続いています。
蒸し暑い天気のせいなのか、体調がすぐれないせいなのか、脱力感が全身を支配しています。昨日、うんざりリハのあとにみんなで先日のライヴビデオを見ました。オイラはダビングもかねてすでに何回も見ていますが、ほかのメンバーは昨日が初めてでした。
ビデオをみてまず感じることは、お客さんの反応が以前に比べてとてもいいということです。ビデオ係のふくちゃんのカメラワークもよかったんでしょうが、お客さんが楽しんでいるところ、じっくり聴いてくれているところ、ひいているところがよく分かります。アンコールの頃のお客さんの笑顔や目の輝きなどは、特に今までのライヴでは見ることができないほど楽しそうでした。
オイラ(やメンバー)の目からすると、そういう反応ひとつひとつは(ひいているところも含めて)大事な宝物だし、これからの参考資料になりますが、なかでもこちらが想定していなかった反応に関しては驚きや疑問が詰まっています。
ほかのグループもそうかもしれませんが、うんざりがステージに上がるうえで気をつけることのひとつに「アピール」があります。音楽だけでもパフォーマンスだけでもなく、ステージ上のすべての動きや音やしぐさが総合的にひとつの「アピール」になることが最大のグルーヴだと考えるからです。
今回のライヴは1stも2ndも、始まりから高いボルテージでお客さんがうんざりを迎えてくれました。とってもとってもありがたく、ずいぶんとリラックスして演奏に入れたんですけど、その理由はもっとしっかりと考えないといけません。リピーターのお客さんが増えてくださっていること、うんざりがそういう空気を(以前に比べて)作ることができたことなどが原因ですが、ほかにも何か原因があるかもしれません。
もしかするとここはうまくいったな、と思っている場面でも、オイラの思惑とは違うところで反応してくれているのかもしれない場面もあるかもしれません。うんざりとしてはそういうひとつひとつのお客さんの反応がどうして起こったのかいつも考えています。偶然盛り上がったのか?こちらが用意したツボにはまってくれたのか?みんな喜んでいるところでどうしてあそこに座っている人は腕組みしてるんだろう?とか。ライヴですので、突発的なことが起こるのは当然ですし、お客さんが変われば反応が変わるのは当然ですが、いろんな要素をできる限り抜き出して、ステージ上のすべての出来事に「意味」があるように創っていくことが、お客さんへうんざりの言葉をまっすぐに伝えるアピールになるんじゃないかと思いました。
「結婚しよう、幸せにするから。」 「嬉しいわ。幸せにしてね。」プロポーズした男性の「幸せ」は自分が出世してお金持ちになることで、女性の「幸せ」は貧乏でもいいから外国で子だくさんになることかもしれません。小さな食い違いはあとで分かり合えたなら楽しい想い出で終わるでしょうが、その小さな食い違いに気付かないで積み重なるとその人間関係はいつかきしみ出します。それもまた人生だけどね。
一番辛いことはそんなお互いの思い違いによって、誤解があるまま離れていかなければいけなくなることだと思います。うんざりは一度来てくださったお客さんにもう一度来て欲しいし、一度だけ見てくださったお客さんにも誤解のないうんざりのありのままを感じて欲しいです。そのためにできること、いろんな後悔を無駄にしないで前に進むことがうんざりに関わってくれたみなさん全員が「幸せ」になれる方法だと信じて、また明日もがんばろうと思います。
それにしてもこの気怠さはいつまで続くんだろう?グッタリしてたらまた寝ちゃったよ (^_^;)。
つわりかな?\(^o^)/
オイラは男です。
たいがいの場合、男に生まれてよかったと思います。少なくとも「女」の自分は想像できません。おとこだったからうんざりにもいるんだと思うし。ただひとつだけ、残念なことは「出産」。
前からいつも思ってますが、子供を産むという行為だけは絶対に真似できないですから、これだけは「女に生まれてたらなぁ」と残念で仕様がありません。オイラもいつかはトーチャンになる日が来るかもしれませんが、もしもそうなったとしても自分がおなかを痛めるわけではないですから、女性(おそらく奥さん)ほどの感激はない気がします。女性は10ヶ月も辛い時間を過ごしながら、少しずつ自分のおなかの中で大きくなっていく我が子を実感し、体の変化も手伝いながら母親になっていくんだと思うけど、男は生まれてくるまで分からないし、どんなにオイラにそっくりな赤ちゃんが産まれたとしても「オイラの子供なんだろうな、99%」なんですよね。
最近は遺伝子を調べれば本当に自分の子なのか確実に分かるらしいけれど、科学的に100%だとしても、母親と子供の絆に勝るほどの感激は持つ自信がありません。最近は曲を創っていてもあまり調子が良くなく、苦しい日々が続いていました。曲に生命を吹き込むための最後の電気ショックが与えられない感じです。
そうやってもがくこと約1週間。さっき久しぶりに降りてきました。
「これはいい曲だ」そう思える曲のイメージがひとつ浮かんだんです。だから今はとってもいい気持ち。
ほかの曲をいじっていて、ほぼ完成なのに最後の電気ショックが見つからないまま半年以上も温めている曲を考えあぐねているときに、すーっとその曲は降りてきました。まだライヴでやるのは当分先になるんでしょうが、今までなかったメロディやフレーズが浮かんだときの感じ、「天から降りてきた」。まさにそういう感じです。このときの気持ちよさははかりしれません。ライヴよりある意味気持ちいい!!ライヴはお客さんのこと、演奏のこと、流れのことなど、冷静に考えている部分が必ずあるけど、曲が降りてくる瞬間はそこにピュアな自分がいるだけ、みたいな感覚を味わうことができます。
そしてこの曲もこれから何カ月かの「つわり」を経て、生まれていくんだと考えると嬉しくって仕方がありません!
もしオイラが「女」だったら、出産を経験することになったら、自分の子供が産まれたという感動以上に「神から授かった」「私のところへ天から降りてきてくれた」、そういう感激の方が強く感じる気がします。
今日は気持ちがいい。女に生まれてたらきっとこの気持ちよさは体験できなかっただろうな。
注:女は作曲できない、という差別的意味ではありません。オイラが女性に生まれてたら太鼓も叩いてないだろうし、ましてや作曲することなんてあり得ないだろうな、という推測です。
先日キクが携帯を持ちました。
って、何も驚くほどのことじゃないことに思えますが、ものすごい快挙なんです。キクにとっては!ずっとFAXすらもってなくて、キクがメンバーの頃は連絡とるのにも一苦労で大変だったんです。
「私は絶対携帯持たない」って断言もしてました、キク。
それなのに携帯買っちゃったって。(でもなぜか松戸で購入して、手元に届くのに1週間くらいかかったらしい。このおマヌなところがキクっぽい。)オイラも当然持ってます。携帯。約束に遅れそうなときや車の中から緊急に連絡したいときなどは非常に便利ですよね。「こんな時に携帯電話があったらなぁ」なんて昔思っていたことが現実にできているんですからすごいことです。
でも日常のことを考えると便利どころか不便になってる。そう思いませんか?
携帯の留守電チェックして、家の留守電チェックして、FAXチェックして、メールチェックして、「えーっと、アイツは携帯持ってたよな、たしか。だけどこの時間は家にいるかも? あらら、留守電だよ。じゃぁ携帯にかけて....あららあらら、こっちも留守電だ。じゃぁ家の留守電にいれとくか」オイラがわるいのかなぁ?こんなことが毎日のようにありますよ。そう考えると留守電も何もなかった黒電話の頃、いさぎよかったな。出るか出ないか、だもん。
大体携帯から家の電話にかけると通話料が高いとか、PHSにかけると高いとか、おかしいよ。絶対。
百歩ゆずって仕方ないことだとしても、「みなさんすいません。ご迷惑おかけします。でももうしばらくだけ我慢してください。来年になったらPHSも携帯も同じ通話料になりますよ」みたいな先行きくらい説明してくれてもいいと思うのに。将来本当にそうなるのかは難しいかもしれないけど、でもその方向でやってます、みたいなこと言った方がいい。オイラ達も聞いた方がいいと思います。今日はちょっと病院へいってきました。
病院はみなさんも知っているとおり、携帯使っちゃダメな場所ですよね。電車、飛行機、病院。公共の場でのマナーという意味では電話会社だけの責任にはできません。これは世界中でいろいろとアイディアだして、新しいものと既存のものの融合を果たして行かなくちゃいけない。でも、電車、飛行機、病院ってよく考えたら一番携帯が必要な場所だったりすると思います。
携帯をつかうと電子機器に障害が起こる可能性があるらしい。心臓が弱くて、ペースメーカーをつけている方にとっては本当に恐いことらしいです。携帯を使っている人が車両の中にいると、心臓が苦しくて息ができなくなることもあるらしいです。最近はIモードとか、メールとか、着メロとか、不思議なものがいっぱいついて多機能だ!ってことになってますが、アホかと思いますよ。病院で使えないなんて!!喫煙コーナーつぶしてもいいから(オイラはスモーカーなので個人的には辛いけど)携帯コーナーくらい作る技術持ってくれ!!そう思います。
ペースメーカーやそういう生命維持に関わる機器と共存できないような機械はまずいよ。コンサートホールなども携帯のベルがなって演奏会が興ざめしたり、お客さん同志でケンカになったり、そういうことよくあります。電源を切るマナーは必要ですが、携帯なんだから本当は留守電センターに電話して用件があるかないか確認すること自体本末転倒なんだとぼくらも気付くべきです。これは一時の仕方ない措置なんだと。
携帯電話から「携帯」がとれて、電話とならなければいけないよ。やっぱり。PHSはもともとそういう発想だったはずだし、これいじょう企業主体の開発やってたら日本の電話業界なんて先行き真っ暗な気がしてなりません。
携帯についてはいろいろと疑問がありすぎて(例えば携帯でしゃべっている人の声がうるさいのは、携帯電話の形にも絶対問題があると思いますよ)何を言っているかよく分からない文句だけの文章になっちゃってますが、企業の利益中心とか、某アメリカメーカーとの規格競争とか、そういうのだけじゃなくて、日本人の生活様式とか行動パターンも考えて欲しい。一番大事なのはこういう今までないハイテク機器(し、死語 (^_^;))を扱うメーカーはしっかりとしたアイデンティティーとか、将来のビジョンをもつ義務があると思います。
1、2年で新機種変更させて、そこで利益を出そうなんて戦後と考え方は全然変わってないぞ!
電話機本体は無料で通話料で稼ぐという最近の仕組みも冷静に考え直さないとやばいと思います。寝たきりのおじいちゃんが携帯で孫とお話しできたり、ノートパソコンのゲームで気を紛らわせたり、メール送ったりできることは、株の取り引きや銀行振り込みができることと同じ(かそれ以上)に大事だし、もってて嬉しいモノになるのになぁ。と考えてたら居眠りしてしまった1日でした。
それにしても病院の待ち時間は長いなぁ。あの時間で充分「自分は病気なのであります」とマインドコントロールされてしまう。うんざり。
うんざり君の紹介に引き続いて、今日みなさんにご紹介したいのは、チラシやチケットでいつも穏やかな笑顔を振りまいてくれています、杉木君です、パチパチパチ。
チラシをデザインするときに、アメリカン・コミックのテイストをちょっと入れたかったこと。オイラは藤子不二雄氏の画風が好きなことも手伝って、杉木君の誕生となりました。
杉木君の目を通して、うんざりの紹介をしたり、今日のライヴのコンセプトを伝えたり、古株のSSMって感じの彼はいっつも変な帽子をかぶってます。推定年齢は小学5年生の11才。
活発な彼とうんざり君は衝撃的な出会いのあと、少しずつ友達関係が生まれているようです。うんざりのチラシとライヴハウスで配るプログラムを並べると、何となくのストーリーが見えてくるようにしているつもりです。音楽と文章、それに杉木君とうんざり君がとりまく小さな物語が今ではうんざりライヴの大事な骨組みとなってます。ライヴでは時間がなくて説明できないことや、うんざりの気持ちや意気込みをみなさんに伝えるために日夜動きまわっています。
そんな彼には憧れの女の子、マリちゃんがいます。また7月のライヴチラシでは友人のタモツと(多分)弟の優樹君も登場しました。
彼はこの先もうんざりと一緒に年をとっていくと思います。彼へのファンレターはこちらまで。
8月のスケジュールをアップしました。マイカル本牧という、横浜の本牧にある巨大なショッピング街の広場で演奏します。
「マイカル・ホリデーコンサート」という野外ステージに出演します。今回が3回目の出演になります。最初は1st ライヴの2ヶ月前(1997年10月)に出演。実はこれが「うんざり」としての初ステージでした。2回目は去年の7月で、このときは出演団体のトリをつとめたんですが、うんざりの出番前から雨が降り出してきてPAは撤収 (:_;)、しかも終了後はドシャ降りの中楽器を搬出しました。お客さんは(家族連れやカップルが多い中)ずいぶん盛り上がってくれたので、楽しかったんですが。
ですからマイカル本牧の小さなステージは、うんざりにとって江古田BUDDYと同じくらい愛着のあるスポットになっています。うちからはちょっと遠いけど (^_^;)。ライヴではなかなかできないお客さんとの交流もできますので、ぜひ足を運んでくださいね。もちろん無料のイベントです。また臨時SSMも募集してますので、「しょうがないなぁ。ちょっと手伝ってやるか」なんて思われた方はぜひ御連絡ください。楽器運びからサクラまで、どんな形でも結構です。ぜひうんざりステージをいっしょに創りましょう!ファミレスでかき氷おごっちゃうよ!
まだ決定していないんですが、そのあとはある温泉地のお祭りに出演する予定です。これは泊まりがけでの活動になるので、久しぶりの「うんざり骨休めツアー」にもなりそうで(もちろんステージは精一杯やりますよ、念のため。)楽しみです。
さらにこのページだけの最新情報です!秋のライヴ第1段が決定しました!
10月9日(土)、おなじみ江古田BUDDY です。 本当は9月を予定していましたが、リハを十分に積んで皆さんの前に帰ってきます。まだ具体的な内容やコンセプトが煮詰まっていないのでスケジュールのページには掲載しませんが、予定だけ空けておいてくださいね!
皆さんといっしょに少しずつ大きくなっていくうんざりです。これからも応援よろしくお願いいたします。
8月及び秋以降のうんざりの予定が少しずつ決定しはじめました。
メンバーとしては、先日のライヴの興奮が冷めやらぬままで息をもつかせぬスケジュールに感じますが、本当はもっともっと忙しくなって、毎日みなさんとお祭りできたらいいのにとも思ったりします。具体的なことはまもなくスケジュールのページで発表できると思いますので、もう少しお待ちくださいね。
これから時間を見つけてうんざりに携わっているメンバーとSSM以外のものを紹介していきたいと思ってます。つまりうんざりのチラシやプログラムに登場するキャラクターや、プログラムそのものなどについての紹介とオイラの考えを書いていきたいと思います。いつもチラシにいる男の子、名前知ってます?たしか公の場では発表してないんですよね。 そんなことをつらつらと書いてみたいと思ってます。
初回はなんといっても彼からはじめなければなりません。2ndライヴからずっと我々を見守っている、「うんざり君」です。パチパチパチ。
このサイトのトップページでは目玉をキョロキョロさせてみなさんのご訪問を歓迎いたしております。
彼の生まれたなれそめでも紹介させていただきます。うんざりはこんな名前だし、インストゥルメントなので、どうにかしてみなさんに親しまれるユニットになりたい、そんな想いからロゴマークの作成に取り組みました。
最初からイメージは「目」でした。魅力的な目。見てるだけでこっちがドキドキしてくるような好奇心に満ちた目をデザインしようと思いました。そこで黒人の男の子の目を思い浮かべながら創りました。だから、原案は今のうんざり君の目だけで、シャツのタグのように真四角のものでした。
しかし、これでは逆に目の輝きが貧しく、しかもパーカッションどころか音楽ということさえ分からないので、いろいろと創りました。その中で今のうんざり君に決まったわけです。ロゴマークを創る上で気をつけたことは、
- パーカッションであるということが文字がなくても想像がつくこと(バチを持たせました。ドラえもんの手ではありません (^_^;))。
- 一色で表現できること、またバリエーションとしてほかの色や複数の色で表現できること。
- 曲面に貼った場合にもうんざり君と分かること。
- ひとつということ(切り取ったときにバラバラにならないこと)
- 文字があってもなくてもバランスが取れればなおさらOK。
結果、急いで創ったわりにはいい生き物になりました。
笑った口を付けたことで、目の輝きが際だつようになったし、見る人によって止まっているようにも、浮いているようにも、向かってくるようにも見える(見えますよね?)。文字が右側につくことで動きも表せているし、最後の最後になってつけたギザギザの輪郭は当初「コジマ電気」っぽいかも?と思いましたが、あれが毛なのか何なのか?横から見るとどうなっているのか?ドラえもんのスネ夫や巨人の星の花形満、鉄腕アトムの髪の毛のような不思議かげんもかもし出していていい感じ。でしょ!彼はここ何カ月か立体化に向けてPHOTOSHOP でいじられてますが (^_^;)、なかなか難しい!はやくうんざりドラムに燦然と輝く「浮き出たうんざり君」をご披露したいんですが、いつになることやら。
とにもかくにも、今やうんざりの守護神として、けいこちゃんとともに上座におわしまするうんざり君。
これからも末永くお付き合いのほどを。
昨日の続きを書きます。
みなさんは音楽をやるとき、または聴くときにどういう感覚を持ちますか?学生の頃にみんなの前で合唱したりした時を覚えてますか?カラオケで歌うときはどうですか?おそらく普段と違う自分だったと思います。かっこよく歌いたいとか、この場を盛り上げなきゃとか、知らず知らずのうちにでもそういう下心のようなものを持ってしまうのが普通ですよね。うんざりもそうですから。
パーカッションの持つ魅力はそういうところとは一番かけ離れたところにあると思います。つまり、一番日常的なところ。アナタの生活の中に溶け込んでいて、気付かないようなところに転がっている音こそ、パーカッションの魅力です。みんなそれぞれに自分だけの音を持っているんです。
子供の頃に、自分の家の車のエンジンの音は聞き分けられた記憶があります。「あ、お父さん返ってきた」みたいな。おふくろの冷蔵庫の開け閉めの音で「機嫌悪そうだ」って思って、その日はことのほかいい子にしてたとか。
「地団駄を踏む」こともあるでしょ。もう、くやしくってくやしくって仕方ないときに壁を叩いたり、石を蹴ったり、そういう行為こそがパーカッションそのものなんだと思います。リズム感とか、テクニックなんてのはあるだけ邪魔なことの方が多いと最近は感じるほどです。
うんざりの出したい音、やりたい音楽は誰もまだ知らない、誰もやっていないうんざりサウンドを創出することですが、それはどこにでもある、誰でも分かる音の集まりでありたいと思ってます。
手とコンガが触れ合うときには高校の頃の初Kissの感触を思い出したり、ヴァイブを演奏するときは冷たく冷えたコップをつかむように、ピアニッシモからクレシェンドするときは遠くからコワァイ軍隊が押し寄せるように感じることからはじめたいと思います。みなさんが日常何気なく聞いている音を、楽器によって再現し、そこに風景や背景、恐怖感や動悸息切れ、安堵、そして匂いや温度までも思い起こさせることができるのが音楽であり、皆さんに一番身近なパーカッションです。アリの足音、雲の流れる音、光が鏡に当たる音、聴いてみたいと思いませんか?うんざりが聴かせてあげる。
みなさんに聴いていただく音楽にするためには、さらにたくさんのイメージを膨らませなくてはいけませんが、パーカッションの魅力の根元というか、うんざりの考えている音に対するイメージが少しでも伝わったら嬉しく思います。
パーカッションは面白いです。
うんざりライヴに来てくださった方はもう当然と思ってらっしゃるでしょうが (^_^;)、これがなかなか世間ではちょっと違う気がします。
日本で面白いとか、かっこいいと(一般的に)思われているパーカッションはやっぱり和太鼓だと思います。実際大きなやぐら太鼓をたたく男は雄壮だし、あの音は世界一伝達力に優れていると思います。また盆踊りには生の太鼓が聴きたいでしょ。日本人の市民権を得ているパーカッションは今でも和太鼓だと思います。女性が叩いても「いなせだねぇ」なんて絵になりますよね。うんざりの使用するパーカッションは主に海外の楽器ですから、そういう点が羨ましいですよ、ワダイコォー!
大体学校での扱いがよくないと思いませんか?マリンバは木琴で、ヴァイブは鉄琴。カウベルやトライアングルにいたっては縦笛がうまく吹けない生徒のかけ込み寺だった記憶があります。アコースティックの魅力であり、パーカッションの最大の魅力は「触れる」ということです。つまり、楽器自体に何らかの衝撃を直接与えて振動させるということです。シンセはもとよりピアノは実際に音を出す楽器の部分は内部にある弦です。そこを叩くために機械式のボタン(キーボード)をおさえます。管楽器は直接振動する部分にずっとキスしているということでその密着感はパーカッション以上ですが、共鳴部分なしではつたわりません(マリンバ、ヴァイブも共鳴管はありますが)。人の声に勝ることは決してできませんが、パーカッションというのは人間と楽器の関係が非常に直接的だというのが特徴です。バチで音が出るそのものを叩くんです。パーカッションを演奏してみないと理解が難しいかもしれませんね。シンバルなんてのは楽器と楽器をぶつけちゃうんですよ!この世に他にありますか?そんな楽器はパーカッションだけだと思います。トランペットとトランペットをぶつけちゃいけないし、喉と喉をぶつけたらおプロレスと呼ばれるし。
何が言いたいかって?
パーカッションは楽器の世界では野蛮な仕組みですが、最も日常に溢れている行為で成り立つ楽器でもあるということです。皆さんも今度一日自分の出す音を注意して生活してみてください。オイラの言っていることが分かるかもしれません。時間におわれているときの自分の足音、疲れて家に帰るときの足音、コーヒーカップをおくときの音、デート中だったらなおさら音が違うはずです。初デートなら更になおさら。
もうでかけなきゃいけない時間なのでこの続きはまた、近いうちに。
ライヴが終了以来、たくさんの皆様より嬉しいお便りをいただきました。みなさん本当にありがとうございました。中にはCD発売してくださいとか、うんざりの将来についてのご意見などもあり、今までよりもみなさんのなかにうんざりが深く心に残ったものを残せたライヴができたのかなと、感じた毎日を過ごしました。
今日は打ち上げ後初めて4人で顔を合わせました。今後の予定などについての簡単なミーティングでした。メールのやりとりや、個人個人では毎日のように連絡を取り合ってますが、4人で改めて逢うとこのライヴによってそれぞれが変わったことにすぐ気付きました。どう変わったか一言で言い表すことはできませんが、また少し自信がついたことは事実だと思います。
「うんざり」というグループ名、みなさんはどうしてこんな名前なんだろう?って思いませんか?一番思っていたのはメンバーでした。インパクトを狙っていることは確かですが、それにしてももうちょっと違う名前でもいいでしょう。つけたメンバーも何カ月も悩みました。もともとKa-GUEという名前で活動しているときから、リハーサルが濃いのでメンバーの手帳にはカグーでなく、ウンザリと記入していたことが発端ですが。
次第にオイラや他のメンバーの中で「うんざり」でいこう。と決まりました。「UNZARI」「un the rRYTHM (リズムな奴等)」「運のいいザリガニ (^_^;)」のような当て字や意味を持たせる案をおしのけて「うんざり」と決定しました。
うんざりを知って、このページを読んでくださるみなさんはどうでしょうか?新聞や雑誌の中に「ウンザリ」という言葉を見つけたとき、ぼくらのこと思い出したりしませんか?大体そういうときは怒ってたりあきれている文章で使われますが、われわれのライヴを思い出したときに「ウンザリ」という言葉そのものに違和感を感じたりしませんか?「ウンザリだって。」なんてニヤッとしちゃったり。
つまり、「名は体を表す」でなく、「体が名を表す」。うんざりはうんざりサウンドのパイオニアでありたいという自負と、ちいさなひとつの日本語に新しい意味を持たせるようなユニットになりたい、そういう気持ちがこめられています。もう一つ大きな理由は、メンバーの覚悟を決めるといういたって内部的意味合いも込めてあります。以前にも触れましたが、メンバーはそれぞれにパーカッション・プレイヤーとしてプロフェッショナルです。そういう人間達が今までにだれもしていない一線を越えるための決意や、仲間意識をもつためにもうんざりという名前をつけた理由があります。
オイラ的にはもっといろんな理由があります。ひらがなで4文字にもこだわっていたし、音の持つイントネーションは(多分)外人さんにも覚えやすい日本語でしょう。
とにかく、うんざりという名前が少しずつですがみなさんの中に浸透していくことを実感するにつれ、それがどんどんメンバーの自信となって栄養がついていく感覚を今日また感じた1日でした。
この先もウンザリでいくのかどうなのか、名前を変える可能性は正直言えば多分にありますが (^_^;)、今は「こんな僕たちがうんざりで〜す!」7月もその先も、末永くいっしょにうんざりしましょ。
top |Schedule | Profile | Listening room | Talk | Repertory | Report Guide | Communication| Links