カテンベ君を救え9

プロジェクト
「カテンベ君を救え!」

更新日 2009-02-27 | 作成日 2007-09-17

早川さんよりカテンベ救済のよびかけ

2006.3.8

●●腎臓病に苦しむケニア人の少年・カテンべに、生きる希望を!!●●

こんにちは。私は、ケニアのナイロビ在住の早川千晶と申します。
2006年2月9日、ケニアの海岸地方の村から、重病の男の子がナイロビに運ばれてきました。
彼の名前は、ジュマ・ハミシ・カテンべといいます。

カテンべはミリティーニという村からやってきました。
14歳だけど、体重は24キロしかありません。

カテンべの腎臓は、ひとつしかありません。そのたったひとつしかない右側の腎臓は、現在、機能を停止しかけています。

彼の健康状態が悪いことに両親がはじめて気付いたのは、生後まもなくのことでした。

貧しい農民の両親は、必死でお金をかき集め、村から乗り合いバスで40分離れたモンバサの町にある病院に、赤ちゃんだったカテンべを連れていきました。

医者ははじめ、胃腸の障害だと診断しました。しばらくすると、そうではなくて腎臓に腫瘍があると言いはじめました。高額のレントゲンやCTスキャンを何度も撮り、薬を飲みましたが、病状はいっこうに回復しません。何度も何度も、村の人々はお金を出し合い、今度こそ良くなると信じて病院に通い続けました。
そうやってカテンべは、14歳になる今まで、何度も病院に通ってきました。
ところが、5年生から病状はさらに悪化し、学校に行くこともできなくなってしまいました。

2006年のはじめ、カテンべはついに立つことも歩くこともできなくなりました。

ひとくち、ふたくち食べては吐き、体中の痛みと強度の頭痛に苦しみ、意識が遠のいてしゃべることもほとんどできなくなったのです。

「このままでは、死んでしまうのではないか」
危機感を感じたあるひとりの日本人が、カテンべをケニアの首都ナイロビに連れていくことを決意しました。村から500キロ離れたナイロビへ、彼はカテンべを抱きかかえて運んできました。

その人は私の友人で、ミリティーニ村での暮らしが2年になる大西匡哉といいます。
ドゥルマ民族の伝統音楽を学ぶためにやってきた日本人のタイコ叩きです。
彼にとってカテンべは、近所に住むかわいい弟のような存在だといいます。
カテンべは、彼のタイコの師匠、マテラ氏の甥にあたります。

ナイロビに長年暮らしている私は、大西匡哉が連れてきたカテンべを、即刻、ナイロビ腎臓センターに連れていきました。
(Nairobi Kidney Centre www.nairobikidneycentre.net )

ここのムウォンゲラ医師は、腎臓に関するナイロビいちの名医だと知人から紹介されたのです。

ムウォンゲラ医師は、カテンべを診察し、これまでの長年に渡るレントゲン写真やスキャンを見たあと、こう診断しました。

左側の腎臓は確認できず、右側の腎臓は重度の障害を起こしている。
それによってカテンべは極度の発育不良を起こし、腎臓病の末期である。

彼の命をつなぐ方法は2つしかない。今すぐ透析を開始して、腎臓移植手術を受けること。
大変危険な状態だと、ムウォンゲラ医師は言いました。


ムウォンゲラ医師は、さらに、この子ははじめから腎臓に障害を持って生まれてきたわけではないのではないか、と言いました。
想像されることは、腎臓と膀胱をつなぐ尿管が生まれつき閉塞しており、それを開通させる処置を行なわなかったせいで健康に生まれた腎臓が障害を起こしたのではないか。
もしも、生後まもなくそれが発見されていれば、とても簡単な手術を受けるだけで彼は問題なく成長していくことができただろう。
こんな段階になるまで何の解決策も取られなかったことが非常に残念だ、と彼は言いました。


これまでの14年間、必死でお金をかき集めてモンバサの病院に通い続けてきた両親は、ムウォンゲラ医師の話を聞いて茫然としました。
モンバサの病院で「いくらいくら持ってきなさい」と言われるたびに、それさえやれば治るのだと、信じ続けてきたのです。




カテンベが今後生き続けるためには、一日か二日おきに1万シリング(1万7千円)近くかかる透析を受けねばならず、腎臓移植手術には最低でも240万シリング(約400万円)かかるとムウォンゲラ医師は説明しました。
一日100シリング(170円)程度で一家全員が何とか食いつないでいるような貧困者にとって、天文学的な数字です。

途方に暮れた私たちは、医師に聞きました。このように、貧しい患者で同じような病状の人は、この国ではどうしているのですか、と。ムウォンゲラ医師は、気の毒そうな顔をしながらこう答えました。

「残念ながら、どうしようもないですね。政府も腎臓病に関しては何のサポートもしていませんから」


このまま放置したら確実に死ぬとわかった以上、私たちは彼を村に帰すことはできませんでした。
その日から彼は入院して、透析治療をはじめました。私と大西匡哉が費用を負担して治療を開始し、現在に至っています。


私たちから話を聞いた日本の仲間たちが、緊急に協力しあい、カテンべ救済基金を設立し、募金運動を開始しました。仙台で活動するNPO「アマニ・ヤ・アフリカ」が、日本側の募金の窓口になることを申し出てくれました。
それと同時進行で、ケニア側でも、カテンべの親族が主体になって資金集めがはじまっています。

週3回の透析治療をはじめてからのカテンべは、少しづつ状態が改善され、ゆっくりと数歩なら歩けるようになりましたが、合併症を起こして高熱を発し、痙攣し、息ができないとのた打ち回って苦しみ、集中治療室に担ぎ込まれたこともあります。
一瞬にして状態が急変することがあるので、片時も油断できません。

親族が話し合いの結果、カテンべの母親が腎臓を提供し、移植手術を受けることを決意しました。現在、緊急にその準備が進められているところです。

苦しむカテンべの体をさすっていると、「死にたくない! 生きたい!」という叫びが聞こえてきます。こんなに小さな体でカテンべは、必死に生きようと闘っています。

どうかカテンべが生きていくことができますように、
そして、いつの日か、笑顔で学校に通えるようになり、村の他の子供たちと同じように元気に走り回れる日が来て欲しい、と、心から祈らずにはいられません。

このメールを読んでくださった皆様、心からのお願いです。
どうかカテンべを、励ましてあげてください。
そして彼に、生きる希望を与えてください。

2006年3月8日
ナイロビにて