マイシャ・ヤ・ラハ(しあわせな人生)基金がはじまりました
2007.3.9
皆さん、こんにちは。
ご無沙汰していてごめんなさい。
1月から3月は、スタディツアーのシーズンでした。
たくさんの方々にキベラのマゴソスクールやミリティーニ村のジュンバ・ラ・ワトトに遊びに来ていただき、
子供たちもみんな大喜びでした!
遊びにきてくださった皆さん、ほんとうにありがとう。
トニーたちがキベラからミリティーニ村に引越して、約1年半になりますが
村の暮らしにすっかり溶け込み、ドゥルマ語もしゃべれるようになり、
とても楽しく暮らしている様子に、私もいつも感慨でいっぱいになります。
今回、お客さんが来るのでミリティーニ村のムワムドゥドゥ小学校で先生と生徒たちが歓迎会をしてくれました。
子供たちの歌、踊り、劇など、とっても楽しく、素晴らしかったのですが、
開会式でお祈りをリードしたのはトニー。
歓迎の歌で、他の子供たちをバックにしたがえて先頭に立って歌いながら登場したのは
エフィとシンシアでした。
劇では、トニーとインバラが重要な役をしていました。
ボーイスカウト、ガールスカウトの行進では、半分くらいがジュンバ・ラ・ワトトの子供たちでした。
キベラから村に行った子供たちが、そうやって学校でも受け入れられて
他の子供たちの先頭に立って活動している様子を見ると
ああ~ ほんとによかったなぁ~
大変なことはいっぱいあったし、今でもジュンバ・ラ・ワトトを運営していくのは簡単ではないけれど
やっぱり、ほんとによかったなぁ~
と、ひたすら、「よかった、よかった」という嬉しい気持ちでいっぱいになりました。
ジュンバ・ラ・ワトトにお客さんを案内するときには、
子供たちは、
「ここは、自分たちのおうち!」
とばかりに、お客さんの手を引っ張って、自分たちであちこちを案内していました。
ここは私たちの寝室、ここは私たちがごはんを食べるところ、
ここは私たちのトイレ、
これは私のパンツ(笑)と、干してある洗濯物のパンツまで説明していました。
ムワムドゥドゥ小学校の全校生徒は現在、約800人ですが
そのうち、キクユ人はトニーひとりだけ。
ルオ人は、ジュンバ・ラ・ワトトの子供たちの何人か。
村の子供たちはほとんどが、ドゥルマ人とディゴ人ですから
実際、文化も宗教も生活習慣もここまで違う民族同士なので
まるで、海外留学みたいなものです。
でも、こんなふうに受け入れてもらえて、みんなで兄弟姉妹のように仲良く暮らしている姿は
ほんとに、涙が出るほど嬉しいです。
お祈りはいつも、イスラムのお祈りをしたり、キリスト教のお祈りをしたり、いろいろです。
先日、カテンベの学校で、カテンベの先生がこう言っていました。
カテンベはイスラム教徒ですが、キリスト教の学校に入りましたので、お祈りはキリスト教式です。
日曜日には、寮から教会に行きます。
カテンベに、金曜日にモスクに行きたかったら、そういうふうにアレンジできるけどどうする?と聞いたところ
日曜日に教会に行くので、それでいいんだと言いました。
イスラムだろうがキリスト教だろうが、神様にお祈りすることは同じだから
教会に行っても、モスクに行っても、まったく問題ないんだ、と言いました。
私はそれが嬉しくて、学校の先生にも、
「カテンベがこう言っていたのよ」
と話したのです。
そうしたら、敬虔なキリスト教徒である彼女は、こう言いました。
「そうよ!
死ぬときに、神様の前に立ったとき、
あなたは教会に行っていたか、モスクに行っていたか、なんて、聞かれないのよ。
そんなの、関係ないのよ。
神の前に真摯に、お祈りすることが大切なのよ。
その方法は、なんでもかまわないのよ。」
と、彼女はこう言いました。
実は彼女は、4年前にひどい腎臓病をわずらい、
ほとんど、医者もさじを投げた状態で、死の一歩手前まで行ってきた人なのでした。
ジュンバ・ラ・ワトトでも、子供たちの半分はイスラム教徒で、半分はキリスト教徒ですが
こういう信仰の違いは、まったく関係ありません。
みんなで一緒に暮らし、みんなで一緒にお祈りして
一緒にごはん食べて、一緒に寝て、兄弟姉妹となり、大きなファミリーになって暮らしています。
その姿を見るとき、いつもほんと、心の中がポカポカしてくるような気がします。
さて、そんなこんなでスタディツアーが連続してまして、
忙しい毎日を過ごしている最中に、
2月はじめからはカテンベが復学。
2月中旬にはクレアが腎臓移植手術を受けました。
クレアの手術は成功し、順調に回復しています。
まだ痛みがあったり、血がたまったりして、大事をとらなければなりませんが
透析をしなくてよくなり、命の危険がなくなったことで
クレアはとても喜んでいます。
ときどき、ふっとしたときに何気ない話の中で、絶句するような内容が語られるときがあります。
クレアはルワンダの虐殺孤児ですが、
キガリからブタレまで徒歩で逃げ、逃げている最中にも目の前で次々と人々が殺され、
殺されて放り出された瞬間に、野犬がやってきて肉を食らう様が
今でもありありと、脳裏に焼きついているそうです。
だから今でも、犬が嫌いだそうです。
そのころ、クレアは7歳だったのです。
やっとのことで逃げたけど、母は殺され、
別の方向に逃げた父も殺され、
母方の親戚も、父方の親戚も、ほとんどが殺され、
クレアたちは子供たちだけで隠れて、最後の2ヶ月はほとんど食べ物もなく、雨に打たれて寒くてつらかったそうです。
だけどその頃、そうやって子供たちだけで隠れていた孤児たちを助けてくれるフツのおばちゃんがいたそうです。
そんな異常状況の中でも、自分の命の危険をかえりみずに助ける人もいたということ
クレアは、助けてもらったことを一生忘れないと言っていました。
カテンベの闘病を通じてジェニアやクレアと出会い、ルワンダのことを身近に感じるようになりました。
虐殺を生き抜いた女性(イマキュレー・イリバギザ)が書いた自伝「生かされて。」を読みました。
彼女は、小さなトイレの中に女性7人で隠れて生き抜いた人です。
ものすごい手記です。ぜひお読みください。
カテンベ学校復帰から約1ヶ月たちました。
カテンベの張り切りようは、すごいです。
まったく気後れなく、とっても積極的に取り組んでいます。
「僕はずっと勉強遅れていたのだから、わからないんだから、何でも自分から聞かなきゃダメだ!」
と言い、ひっきりなしに先生たちを質問ぜめにしています。
カテンベは気が強く、負けず嫌いで、とてもしっかりしています。
そしてユーモアがあり、毒舌です。
学校でも礼儀正しいとほめられました。
学校のあと、寮に帰ってからも、夕食のあとで寝るまでずっと勉強しているそうです。
とにかく、勉強できることが楽しくてたまらない、学校に行けることが楽しくてたまらない、というかんじです。
これからが楽しみです。
カテンベの今後の医療費や教育費を支え、
そして、カテンベ以外の子供たちにも応援の輪を広げていこう、という声を、日本中あちこちからいただきました。
そこで、東京在住のキコたん、すぅさん、神戸の助友さん、仙台の石原輝君が中心になって、新しい基金が立ち上がりました。
カテンベの手術(2006年10月26日)直後からそんな話し合いがはじまり、準備が進められてきましたが
ついに、「マイシャ・ヤ・ラハ基金」が立ち上がりました。
ホームページはまだ準備中ですが、4月中旬オープン予定だそうです。
2006年2月から、「友達の友達はみんな友達だ」という具合に、輪が広がり続けていきました。
そしてこうして、新しい活動母体が立ち上がったことを、とっても嬉しく思います。
このホームページなどが準備でき次第、旧基金から新基金への移行が完了されます。(4月中くらいをめどに、完全に移行します。)
それまでの間は、引き続き、旧基金での窓口(アマニ・ヤ・アフリカの口座)でも募金を受け付けていますが、
マイシャ・ヤ・ラハ基金のほうでも新口座が出来ましたので、ここにお知らせいたします。
「カテンベ救済の呼びかけ」ブログは、これまでの経緯の記録として保存され、新基金とリンクされます。
では、私はあさってからスリランカに行ってきます。
コロンボから船に乗って、モンバサまで、ピースボートの船の中で講演と音楽ライブ、ワークショップや勉強会など、させていただきます。
その後、モンバサからオーバーランドツアーに出かけ、4月1日にナイロビに帰ってきます。
しばらくまた連絡が取れなくなりますが、ごめんなさい。
4月以降にはまた、カテンベやクレアのその後や、キベラの子供たちのことなどについて、ご報告したいと思います。
ちょっと待っててくださいね。
「マイシャ・ヤ・ラハ基金」は、キコたん&すぅさんが中心になって歩き始めました。
皆さん、どうか応援してください!
それでは、皆さんもどうかお元気で。
今年はあと、ゴールデンウィークのスタディツアー、および、7月、8月に1本づつ、スタディツアーがあります。
http://tabisen-tsunagu.orio.jp/
ケニアでお会いできるのを楽しみにしています。
早川千晶より


写真:左
学校の帰りにクレアに会いにきたカテンベ。
カテンベとクレア。
写真:右
カテンベとママタイファ。
ママタイファは、ナイロビ病院のホステルでお手伝いしているママです。キベラ在住。ほんとのお母さんのように優しくしてくれています。
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