マゴソ長屋購入とキベラ空撮写真2009/1/9
まずは写真見てください。
写真1:キベラスラム上空から撮影の写真。
こんなに大きいけど、これでもまだ一部です。
写真2:
真ん中あたりにマゴソスクールが見えますか?
新しいトタン屋根の長屋が2つ並んでいて、その上に子どもたちが乗っています。
その隣りのもうひとつの長屋と、それにつながってコの字型になっている長屋全体が、マゴソスクールです。
写真3 マゴソスクールの部分を拡大した写真。
ピカピカトタン屋根長屋2列と、そこからコの字型に広がる長屋全体がマゴソスクールで、さらに、それらの長屋の列のちょうど下にあたっている横一列の長屋が、2008年はじめに購入してまだ改装工事をしていない長屋。
そしてそのすぐ下にあたる、コの字型の大きな長屋(中庭にピンク色の洗濯物が干してあるのが見える長屋)が、2008年12月に購入した、21部屋長屋です。
これから拡張工事をしたら、これ全部がマゴソスクールになります。
さて、マゴソスクールもどんどん人数が増えて大所帯になってきました。
2008年は、大きな拡張工事をして、教室と、宿舎と、子どもたちがみんなで集えるホールを足しました。
そして、さらに拡張するために、隣接した長屋を購入しました。
2008年11月に、キベラスラム上空をヘリで空撮するという仕事がありましたので、そのときにマゴソスクールの屋根の上に子どもたちが登り、写真を撮りました。
ここにUPした写真です。
見てみてください。
こんなにこんなにぎゅうぎゅう詰めで、まったく隙間がないことが上空からだとさらによくわかります。
キベラスラムがこんなに密集してしまったのは、おそらく、1990年代に入ってからのことです。それまでは、こんなじゃなくてもっと余裕があったと誰もが言っています。
それだけ、ケニアの田舎のほうでも急激に生活状態が悪化し、貧困者が増えたということだと思います。
とにかく、信じられないほどぎゅうぎゅう詰めです。
なのでマゴソスクールもぎゅうぎゅう詰めなのも仕方ないのですが、もっとスペースが欲しいというのは常々、マゴソスクールの夢でした。
こうしてマゴソスクールは、キベラの奥のほうにあることが大きな利点で、キベラスラムの子どもたちにとってすぐ身近な場所にあるので、スラムの貧困家庭からも通ってこれるし、困った子どもたちが駆け込んでくることもできます。
そして、ここがたくさんの子どもたちや大人たちの憩いの場になっているので、もっと広げていってますます確かな場所にしていきたいと思っています。
一番最初にはじめたときは、リリアンが住んでいる長屋の一部屋を借りて、20名の子どもたちが集まってはじまった学校ですが、それからあと、19部屋の長屋を購入して改築し、現在のマゴソスクールの場所で子どもたちがどんどん集まりはじめました。この最初の長屋の購入と改築は、日本の有志の皆さんやナイロビで働くお友達がハランベーしてくださったお金と、キベラスラムの住民たち200名ほどが集まってハランベーしてくださったお金、そして当時の日本ツアーからの収益や私の本の印税収入などを一緒にして捻出しました。それからあとは、スタディツアーや日本ツアーで収入が入ったらそれでセメントを買って床をしくなどして、だんだんと改装していきました。
その最初のマゴソ長屋の一棟に、2階4部屋を増築したのが2006年のことです。
このときは、52回ピースボートに私がセイシェルからモンバサまでの3日間だけ乗船したときに、船内で皆さんが行ってくれた募金によって、2階を作ることができました。
その次に、その2階建ての棟に隣接した長屋を購入しました。それを改装してもう一棟、2階建て長屋ができました。2008年11月に完成しました。この費用は、「マイシャ・ヤ・ラハ基金」内に「特別支援金」という項目を設けて、そこに入金された特別な意味合いのあるお金が使われました。最初は、そのさかのぼること数年前に、私が日本に向かうときに飛行機の中で隣りの席になり、おしゃべりをしながら日本までの旅を共にさせていただいた方がいらっしゃいます。それから数年たって突然、メールをくださり、元教師ですでに引退しているけれども、子どもたちの未来を思って寄付をしたいと申し出てくださいました。その方のお金と、若くして亡くなった友人が最後に残したお金、旅仲間だった友人が死の数ヶ月前に電話をくれて遺言と共に残してくれたお金、闘病中もずっとマゴソの子どもたちに声援を送り続けてくれた友人が亡くなり奥様が届けてくださったお金。これらは、長屋の購入と建設のために使いたいと思い、ひとつにまとめて、使わせていただきました。
そこにさらに、MISIAがはじめてマゴソを訪問してから夏のライブツアーでキベラの職人たちが作ったグッズを販売してくれた収益と、カレンダーからの収益を足して、2階建てを建設するための費用にあてました。
そうしている間に、もうひとつ、隣接している長屋一列が売りに出たので、それを購入。
そして今回、それに隣接した21部屋の大きな長屋が売りに出たので、2008年12月中旬に購入しました。
売りに出たときにすぐに買わなければ、買いたい人がたくさんいるために、次にチャンスが回ってくることはなかなかありません。特に、隣接した長屋が売りに出ることはめったにありません。そこで、資金繰りのめどはないままに、即刻、購入したという次第です。
長屋の購入には、キベラのそのときの相場というものがあります。一部屋いくら、という相場があり、その購入した部屋数のスペースが居住権のようになり、それをキベラのチーフの承認のもと、手続きをします。
もちろんスラム自体が政府の土地の不法占拠区ですので、本来は、正式な土地の登記はないわけですが、人口も多く歴史も古いキベラスラムでは、キベラスラム独特のコミュニティ内での居住権、土地の使用権のようなものが不文律で存在しており、その秩序を守るためのシステムもスラム内に存在しています。
不法占拠区である以上、スラムは常に政府から撤去対象にあてられているわけですが、キベラの場合は、あまりにも人口が多いせいでその作業は常に難航しており、具体的にいつから撤去され、いつ誰に代替住居がどのような形で提供されるのかということは、政府の方針がずっと不透明なまま今に至っています。そんな中で、学校や診療所などコミュニティに役立つことに使われているプロジェクトには、優先的に正式な土地の登記を行い、撤去を免れる可能性があるというふうに、長い間、ささやかれています。
マゴソスクールがあるキベラの奥地まで、撤去が進んでいくには、相当の時間がかかるとも思われ、そして、たとえ正式な土地の登記がなくとも、スラムの奥地に子どもたちの避難所があるということへの利点を考えると、今すぐ必要なことを今すぐ行うことに意味があると私は考えました。なので、こうしてこれまで長屋を購入し、拡張をしてきたわけなのですが、そうしてきたおかげで、今実際に、300名の子どもたちがいられる場所があるということ、貧困者たちが集える場所があるということに、意義があると思っています。
実際に、正式な登記がある土地では、このナイロビの物価高ではとても手が届かないような高額であり、キベラスラムで民間の取引で売買されている方式とは比べようもないほどの金額であると思います。
こうして学校を拡張していくことのもうひとつの利点としては、学校が大きくなり人数も増え、確かなものになればなるほど、むやみに撤去される危険性が薄れていくのではないかという期待です。さすがに、政府も無視できないほどの規模になっていれば、撤去はまぬがれる可能性が高くなります。
そういういろいろなことを考えているわけですが、何よりも、今このときに、子どもたちにとって救いの場があるということが一番に大切で、これから先、悪化していくと思われるスラム状況に対応していけるよう、早めに、チャンスがあるときには広げていきたいと思っています。
購入した長屋には、各部屋に賃貸で人が住んでいるわけなので、その人々が無理なく、新しい場所を見つけて引越しができるようになるまで待ちます。
キベラではよく、無理やり追い出されてしまい、他に行く場所がなくて困る、ということがあるので、私たちはそのようにはしたくないと思っていて、それまでの大家に払っていた家賃も、払わなくていいから無料で滞在してもらい、その間に、引越しができる準備をしてもらい、新しい住まいが見つかったら、無料で住んでいた期間に溜めたお金を資金にして引っ越してもらう、という方法です。
前回の長屋は、購入してから全員が引っ越すまでに9ヶ月くらいかかりました。
最後のひとりは、他のテナントの人が説得をしてくれて引越しをしました。「こんなに優遇してくれたんだから、あなた、こうして居座ったらヒトデナシになっちゃうわよ」と言って説得してくれたのです。なので、非常に円満な形で空けてもらうことができました。
21部屋長屋は2008年12月に購入したので、おそらく、拡張工事がはじめられるのは早くて今年の後半であると思います。
21部屋長屋の購入で、マイシャの特別支援金のほうは約46万円の赤字になってしまったのですが、またこれは拡張工事の資金も含め、これから試行錯誤していきたいと思います。
マゴソに壁絵を描こうと張り切っていたモミー、描きがいのある壁をいっぱい用意して待ってますよ!
これまでのマゴソ壁画を描いてくれた、シーノタカヒデさんとミヤケンさんも、ぜひ、また絵を描きに来てくれると嬉しいです。
早川千晶
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