ケニアの大統領選挙6

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更新日 2009-02-27 | 作成日 2007-09-17

ケニア大統領選挙6

2007/12/31

生放送を禁止、と、政府から発令があったとたんに、これまで12月27日以来ずっと選挙速報を流し続けていたケニアのテレビ局がすべて、ニュースをやめて、どうでもいいような番組を流しはじめた。
不気味だ。
家の中に立てこもってテレビだけが情報源だとすると、これだけ見ているとまるで何事もなかったかのように錯覚してしまいそうだ。
しかし実際には、あっちの町、こっちの町で火の手があがって、人が殺されているというのに。
ああー不気味だ。と思っていたところに、
NTVの画面が、ニュースに戻った。(ナマではなくて録画だけど。)
そうしたら、NTVがこの報道規制について、自局のスタッフにどう思うかをインタビューした特集の映像が流れた。
NTV局内を回って、次々とスタッフにインタビューしていった特集。
「正直、国に裏切られた気分になった。我々はプロの報道者だ。我々が何を報道するかということは国には信頼してまかせてもらいたい。だいたいが、外ではケニア人が死んでいるんだ。それをナマで報道できないというのはどういうことだ。言論の自由が侵害されている。ケニア人には、ケニアで起こっていることを知る権利があるし、我々には知らせる責任がある」
「プロの報道者になるために学校に行って学んだが、その学んだことがすべてウソじゃないかと思わされてショックだった。学校では報道の意義と正義を学んだのだ。正義のために報道できなくて規制を受けて監視されるのであればなんのための報道なのか」
と、このような意見を次から次へと、あいまあいまに「これはナマではありません。録画です。」と何度もちゃちゃ入れているのがユーモラスで、明るくて前向きで、そして辛口に言いたいことを言っていて、とても良いインタビューだった。
報道規制が出てから瞬時に反応して、このインタビューを撮影して超特急で編集して流したのだろう。
このわけのわからない状況に対して、せめてもの抵抗、というかんじ。
若いスタッフもえらい人もインタビューに答えていた。

私はテレビ画面でそのインタビューを見ていて、感じたことがいろいろあった。
理不尽なことが山のようにあるアフリカだけれども、ケニアにはこんなにフェアな考え方をしている人々もたくさんいる。
そしてみんな当たり前のように、当然のように、平和を望んでいる。
フットワーク軽いナイロビの新世代の若者たち、こうして最先端で仕事している人々の中には、部族主義という古い頭はない。
違う部族の人間でも、一緒に仕事をして友達で仲間として一緒に生きている。当たり前のことだ。
欲しいのは闘いのない平和な世の中だし、しあわせに笑いあって暮らせる世の中だし、誰も銃声を聞きたくない。
こんなこと当たり前。当たり前のことを当たり前に言い続けなけりゃダメだ。


(ナマじゃなくて録画で)暴徒があばれて火をつけて街が炎上して警官が発砲して大騒ぎになっている映像も流れた。
キスムは、車も建物も燃えて火の海になっているような映像だった。
モンバサでも火が放たれていた。
暴徒は怖い形相で暴れていた。
国際ニュースでこういう映像ばっかりが何度も何度も流されると、ケニアはどんなに恐ろしい国かと世界の人々は思うだろう。
実際に起こっていることだから伝えなければならないけれども、部分的にしか知らされない報道はほんとに怖い。
それと、心理的に操作されて集団心理で闘いが膨張していくのもほんとに怖い。

この報道規制に関してのインタビューが流れたあとで、今日ケニアの各地で(日曜日の教会で)みんなが手を取り合って祈りあっている姿の映像が流れた。

そして、我々は平和を作れると信じなければいけないと、発言している人がいた。平和は待っていてやってくるものではなくて、ひとりひとりが真剣に意識を持って平和を願って祈って念じて実践して作るものだ。

人間は平和を作れると信じて前向きに進んでいく力が強いか、ネガティブな方向に流されて巻き込まれていく力が強いか、そのどっちかの勝負なんだ。と思った。
ケニアのことだけじゃなくて、世界中みんな同じだ。

平和を祈るこころを、その意志を強く持って、この世に実現していくのが大事なんだ。
祈ることしかできないときはほんとにもどかしいけれども、この、真剣に祈るということがほんとに大事なんだと思った。どれだけ強く念じることができるかが勝負なんじゃないか。
理不尽なことに負けちゃいけない。
とにかくみんな、無事でいてください。
まだ次の動きがどう出るか、落ち着かない気持ちで待っているところですが、またお知らせしていきます。祈っててください。