ケニア大統領選挙15
ケニアの報道より
2008/1/2
昨日Eldoretの教会で焼死した人々の人数は報道により異なり、 35人とも48人とも50人以上とも報道されています。
いずれにしても数多くの子供達を含む村人たちが焼け死にました。
逃げだした人々も追いかけられ畑の中で殺されたと。あまりのことに絶句します 。
その中で生存した人の話によると、殺された理由わKibakiに投票したからだそうです。
ミリチニ村での死者数も昨日最初に発表された8名から11名に上がっていました。
こうして各地で出た死者は、これもまた数字わ報道によって異なりますが、200人とも300人ともそれ以上とも言われていますが、新聞にも
「これわとても控えめな数字で、それよりも遥か多くの人々が犠牲になったと思われる。」
と書いてあります。住まいを失ったり逃げなくてはならなかった人は8万人近いという数字ですが、これもまた実際にはもっと多いと思われます。
各地で殺された人々が、何族出身だったかという発表はありません。
これはそのような報道の仕方をすると、部族闘争の色合いを濃くしてしまうからだと思います。
地元からの直接の話で報道されきれていない色々なことが判ります。
昨日今日と平静が戻って来たと報道されていますが、実際に街の店も開き、平常に戻った様に見えても、現在Kenyaの状況はとても危うい状態だと思います。
これまでAfricaの中で最も安定した民主的な国とされていたKenyaが、一瞬にしてこのような騒乱に巻き込まれるとは…という論調で国際newsで取りあげられていますが、部族同士の憎しみ合いによる戦いだと捉えられたくないとつくづく思う。
表面的には政治的な対立から発展した部族間の殺しあいだと思われてしまうが、事はそんな単純なモノでは無い。
これはこれまでの歴史の中で民衆が大きな力にいかに翻弄されて蹂躙されて来たかということの表れだと思う。
元々一人一人の人々の心の中に憎しみが有るわけではなく、状況に翻弄されて憎しみが生まれてしまうのだ。
どうしようもない貧しさや、どうしようもない理不尽な人生をこれまで耐えて耐えて生きてきた。
その毎日毎日は、人々は何とかバランスとって少しでもよりよく生きて生こうとする。それも踏みにじって蹂躙してメチャメチャに人の心を狂わせる政治が悪い。
今、怒りや憎しみの対象が、Kibakiと彼を取りまくKikuyu社会と彼をsupportした人々に向けられてKikuyu-Luoの部族間闘争だと捉えられてしまうが、だからと言ってRailaが聖人な訳ではない。
虐げられてきたLuoがRailaを先頭に抵抗していると言うような話しに見られてしまうととても困る。
だってこれまでもRailaは何度も簡単に寝返るし、有利な方に変身するカメレオンなのである。
Kenyaの政治内部わほんとにほんとにドス黒くて汚いのだ。
だけど信じて裏切られてを繰返してきたinnocentなKenya庶民が切ない。
Kenya人が多民族間で憎しみあって殺し合う人々だと世界の人々に思われたくない。
私達はずっと見てきた、庶民の生活の中では部族が違っても言葉や宗教や伝統が違っても、肌の色さえ違っていても、
Kenyaの人々は広い心で柔軟に受けいれて調和しあうことができる人々なのだ。
Kiberaでも私たちのマゴソschoolにわいくつもの部族のひとびとが集まって協力しあっているし、500kmも離れたMiritini村でわムスリムのDuruma族の人々が私たちのKiberaのLuoやKikuyuの子供達を受けいれてくれた。
KiberaのLilian達はLuo族だけれど、路上で生活していたKikuyuのTonyを助けて自分の子供の様に愛情注いで育てている。
私はKikuyuと結婚したが、彼ら家族は肌の色の違う分けの訳分らないの人間の私をとても暖く大事にしてくれた。
憎しみがこころの中に生まれる時、それは何によるものか、今のKenyaの人々の状況が本当に切ない。
続きを書きたいですが、ここのnetwork状況が余りにも悪い為、後でまた続き書きます。
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