.......2005年09月02日 (Fri) .......
■ピースボート見学会
今日ね、世界一周の旅の実際の船の見学会行ってきたの。
横浜まで行ってきたよ〜。歩いた歩いたぁ〜今日は・・・すごい疲れたよ。
まったく行く気がない友達を連れて行ったの。
横浜からみなとみらい線に乗換えで3つ目の駅なんだけど、横浜駅でおじいちゃんに「すいません、みなとみらい線ってどこ
ですか?」って聞かれたのね。
で、「そこをまっすぐ行くとありますよ」って答えたんだけど、そのおじいちゃんがハガキを手にしてて見たら・・・「トパ
ーズ号見学会」って見えて。
「あれ?ピースボートの見学会ですか?」って聞いたら、「そうなんです」
って、そこからおじいちゃんも一緒に3人で港まで一緒にいったの。
でも私も初めて行くところで、駅降りてから港までちょっと時間かかっちゃったんだよね・・・。(おじいちゃん、たくさん
歩かせてごめん(≧ヘ≦)
でも、やっとピースボートが見えたときのおじいちゃんの目はすっごく輝いてて可愛かった。
ピースボートでかいねェ〜O(≧∇≦)O
9階まであって迷う迷う〜。迷路みたい
ランクに分かれてる部屋を全部見てきたよ。あたしが申し込んだのは一番安い部屋なのね・・・でその一つ上のランクの部屋
は10万違いなんだけど、ちょっと広いんだぁ〜。今悩み中なんだけどね・・・一番安い部屋か、一個上のランクの部屋かね
・・・(≧ヘ≦)
10万の差ってけっこうデカイの。う〜〜〜ん。(てか150万貯められるかもまだ分からないのにね・・・(; ̄ー ̄A アセ
アセ・・・)
いろいろ計算したら・・・その他にもお金かかるでしょ?ちょっとした食事代とか、おみやげ代とか、ツアーは別料金だから
ツアーの参加代とか・・・
で200万あれば余裕なんだけどね。
見学会ね、沢山人が来てた。平均年齢高いねェ〜おじさま、おばさまばかり・・・若い人も少しいたけどね。
で、絶対無理だけどスイートルームも見てきたよ。
ぜっんぜん違うね・・・(≧ヘ≦) 700万とかだよ〜ォ。ベットはデカイし、もちろんバスタブも付いてて高級感漂う部屋。
写真撮ったから、近いうちUPするね。
明日からね第51回目のクルーズが出航するの。今回のは南半球中心みたい。
(憧れのマチュピチュも回るらしい・・。(o^∇^o)
アタシ、行けるのかな・・・来年・・・
がんばろ〜っと。
.......2005年09月03日 (Sat) .......
■blast
ブラストのチケットがやっと家に届いた。
10月10日関東公演ラストの日。どうせ見るなら良い席でみたいし、
がんばって前から5列目を2枚ゲット!O(≧∇≦)O イエイ!!
楽しみだな〜blast!
.......2005年09月07日 (Wed) .......
■変換・・・・
パソコンって変換するときってありえない漢字が出てきたり、ちょっと文字が間違ってたりするととんでもない字に変わったり・・・
でね、この間「世界一周の船の旅」って打ったつもりが、
「世界異臭の船の旅」になってて・・・・
一人で爆笑だったよ・・・
そんな旅イヤじゃぁ〜〜〜〜〜ε=(>ε<) プーッ!!
.......2005年09月11日 (Sun) .......
■9.11
あのテロ事件あって4年・・・
9月11日はたくさんの人が泣いた日・・・
世界中の人にとって9.11は忘れられない「9月11日」に変わった。
そして、私にとっても9月11日は・・・・大きな意味のある日なんです。
もう、20年も前から・・・
ちょうど20年になるんだな〜・・・
私のお姉ちゃんが死んでから。
今日は姉の命日
20年前って言ったら、あの大きな事故もあった年・・・
飛行機墜落事故。たくさんの人が泣いた年・・・私は病院のTVで飛行機墜落の映像を見ていた。
私は6才で今がどういう状況なのか?よく分かってなかった。
お姉ちゃんが病気で入院したことは理解できた。でも、
お姉ちゃんとまた遊べるんだ。ってなんの疑問も持たずに待ってた。
お母さんもお父さんも病院を行き来して、私は近所に預けられたり
病院のキッズコーナーで一人で遊んでいたり・・・
そんな記憶ばかり・・・
私はなかなか面会を許されなかった。病院でのお姉ちゃんの記憶は
ただ一つ・・・
やっと面会ができたとき、大きなベットにお姉ちゃんが寝てて
胸から上、頭までスッポリ入る箱型のビニールシートが取り付けられていた。
「ばいきんが入らないシートだよ」って説明された。
そして、お姉ちゃんは私を見て「大きくなったねェ〜」って笑顔で言ったのをうっすら覚えている。
それから、何日経ったのかな・・・ある日
私はいつものように病院のキッズコーナーで一人で遊んでたら、
お父さんが来て、泣き崩れたんです。
この記憶はハッキリ明確に私の中にあるの。そして、「もう・・・ダメだ」
って・・・
8才の小さな心臓を最後は機械で動かして命をつないでいるようなものだった。それを見兼ねたお父さんは、楽にさせてあげ
ようという底知れぬ悲痛な思いで決断したことだろう。
お姉ちゃんは肝臓の病気だった。
夏休みに入り、家族4人で旅行にく前日お姉ちゃんの白目の色がやけに黄色くて病院に行ってそのまま入院・・・旅行に行くこ
とも、家に帰ることもできなかった・・・
不思議な事に病院でのお母さんの記憶は一つもないの。
それから・・・何年経った頃かな・・・小学校の高学年になった頃だと思う。
引き出しから病院でのお母さんが毎日毎日書き残したメモ帳を見つけたの。
そこには、お姉ちゃんの容態が事細かに書いてあった。
8月○日 顔色は良い。点滴2本。お父さんの血液200CC。夜に嘔吐。今日からごはんが食べれる。気分が悪いと泣き出
す。今日は顔が少し腫れてる。とか・・・
その記録も途中でなくなり、数ページ後には・・・お姉ちゃんが最後に書いた字があり、その隣にお母さんが書いた日づけが残
されていた。
その字は、字にはなってないけど強く伝わってくるものがあった・・・
お姉ちゃんのお葬式でも泣かなかった私は、全てを理解しどんな状況だったのか明確になったその時大泣きした。
大きくなるに連れていろんな真実が明らかになった・・・
私にはお兄ちゃんもいた事。お兄ちゃんは生まれてすぐに死んじゃった事。
去年、私の中で真実が明らかになったことが一つあった。
お姉ちゃんが一番初めの病院に行ったとき適切な処置をしてくれてたら
もっと生きられたかもしれないこと。お父さんがその病院に怒鳴り込んだこと。裁判はせずちょっとのお金で済まさせられた
こと。
生きてたら28才・・・
26才の私と28才の姉。どんな生活なんだろ?どんな会話をするんだろ?
私は6才までの「兄弟」の感覚で止まったまま、お姉ちゃんの後を追いかけて
公園で遊んだり、お姉ちゃんのランドセルが羨ましくて早く1年生になりたいって思ってたり、お姉ちゃんが始めた塾に一緒
について行ったり・・・
それが私の「兄弟」の感覚・・・これ以上発展はないけど。
いろんな記憶が残ってるけど、どうしても思い出せないのはお姉ちゃんの声。
でも、しっかり8ミリビデオに残ってるからいつか時がきたら大きな真っ白なスクリーンで見てみようって思ってるんだ。
長くなっちゃったけど、
9月11日は私にとっても世界中の人にとっても忘れられない日
写真をUPするね。
1年生になった私は同じランドセルをしょって学校に行くのが楽しみだったのね。
でも、それも1学期間だけしか実現できなかったけどね・・・
うちの家族は複雑な環境できたけど、私はしっかり生きて兄、姉の分まで長生きするよっ!
悪いけど、暗い悲劇のヒロインぶっても人生もったいないし
アタシはどれだけ自分で価値のある時間を過ごせるか?それだけ考えて生きるよっ。
今や長寿国となった日本平均寿命は82歳。それ以上生きるんだから・・・ねっ
......2005年09月28日 (Wed) .......
■エクステ〜
エクステつけてみました。
ちょうど1年前にも付けてたな〜。
去年つけたときは来年はつけなくてもこれくらいの長さになってるだろうな〜って思ってたのに・・・
ほとんど長さ変わってないし・・・(ノ_-。)
伸びるの遅いみたい
去年エクステつけたとき、美容師さんに伸ばしてるのであまり切らないで下さいっていったのにたくさん切られたせいかも・・・
今は真っ黒で腰下まであるよん♪