みんなの野球場
会員No56 野田


我が子を含む3人の子供を連れて実家から少し離れた新設公園に歩いて行きました。

行く途中には自分の記憶に有る近道(けもの道)を通り抜けようと子供の手を引きましたが、20年以上も前に通った道は面影を残しながらも全て 途絶えていました。
民家の間を通り抜けて線路に出る道、当時友人宅があった場所、いろんな遊具があった小さな公園・・・

新設された公園に着いて思い出したのは、「ここは雑木林だった所」。中学時代には部活動に励んだ会館、子供の相手に追われながらも周囲を見渡せばずいぶん変わった景色。
そんなことを知るはずも無い子供たちは「人のいない公園」で走り回り、砂場で山を造り、ブランコの取り合いでケンカをしている。

『そう言えばこの階段の上には野球場があったよのぅ』

暫く遊んだ新設公園を後にし、50段位の階段を登ると『まだあったんじゃ
確かに昔の遊具がそのままの状態で残っていましたが、何かが違う。

そう、自分達が小学生でみんなで集まって野球をしていたあの狭い公園はこんなに雑草が生えてはいなかったはず・・・。
やはりここにも子供の姿は無く、同行した3人の子供だけが古い遊具で遊んでいる。

『確かこの壁に当たったら2塁打、この辺りを越えたらホームラン』
そんなことが頭の中によみがえり、現代の子供たちがいないこと、そして公園が雑草だらけになっていることに 寂しい思いをしました。

「ガタンガタン・・・」と芸備線が走る姿は昔と変わらないディーゼル。走って行く方向には昔は無かったマンションの姿。

この公園からの眺めもやはり15年以上前のこと。
自分の中にある思い出が着実に姿を変え、いつか消えてしまう。

何よりも寂びしい、人けの無い日曜日の 公園

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田植え体験
会員No56 野田


連休中に妻の実家へ田植えに行きました。

昨年から始めた手伝い(苗を運ぶ程度)ですが今年は念願だった『 手植え』にも挑戦。
腕と首は赤く日に焼けて、まあ満足しました。秋の収穫が楽しみです。

周辺には色々な生物がいます。
田んぼには トノサマガエル、アマガエル、オタマジャクシ、ヒル(血を吸う奴)、ナナフシの親戚みたいなの 等。
あぜ道には 毛虫、蛇の穴、菜の花、たんぽぽ。
竹林には とんがり頭のタケノコ
手伝いの合間にオタマジャクシを手にすくい『これなーんだ?』と子供に見せてやると、眼を凝らして観ていました。初めて見る物だから全てが新鮮な様です。

一輪車(猫車)を倒さないように押したり、置いてあるトラクターに乗って『ちょっとお買い物に行ってくるから』などと遊んでもいました。

昨今『農』に対する作付面積の規制(減反政策)が増え、実際に田んぼは減っています。
水の無い田んぼを「水田」とは呼ばないでしょう。稲作をやめた田んぼの多くは 荒れ果てて雑草がおい茂っています。
今後パン食文化が進んできても日本人の主食が『米』であることに変わりは無いと思うのは私だけかも知れません。

しかし、最近日本が発動したセーフガードに対する海外の報復措置、農業以外では鉄鋼関係の過大なダンピング措置等々、国の先行きに不安がある中で 食料の自給自足だけは絶対に必要なものと私は思います。

ご存知でしょうか?広島県山県郡千代田町には全国でも有名な『壬生の花田植』があります (国の重要無形民俗文化財指定で毎年6月第一日曜日らしい)
花田植とは、牛が代掻きをしたり早乙女が並んで唄いながら手植えを進めるといった具合です。
私自身は幼少の頃、観覧に「行った」という記憶があるだけですが、興味のある方は一度ご覧になったらと思います。毎年一万人規模の観光客で賑わう様ですから。

田植え野菜づくりが出来る環境にあるのなら、拒まず進んで 水や泥に手足を入れてはどうでしょうか。きっと子供たちは大喜びするでしょう。

そして、その記憶は将来確実に伝えられることでしょう。

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理系弱体化
会員No53 前原


近年、"理系離れ"→"学力低下"→" 日本の技術力低下"が問題になっています。( 模型とラジオが日本を支えるにも書きましたが...)
たとえば、大学レベルでも学生で、"たこ、模型飛行機、プラモデルを作ったことがない"、" 自転車のパンク修理をしたことがない"、"たこ揚げ、コマ回しをしたことがない"という者が 大半とか。

簡単に言えば、子供達からモノを作る機会が無くなっているという問題です。

考えてみれば、ここ20年で家庭用TVゲーム が一般的な遊びになり、同時に少子化が進み、バブルの時期には お金土地が一番価値があり、 モノづくりが軽視され、科学技術への夢もしぼみました。あのNASAさえ明確な将来を描けず、方向性に迷いがあります。

体験を通して学習することで、 知識が身に付きやすいことは明白で、学校教育でも実験ベースの授業が行われていますが、面白さが少ない実験と子供がやってみたい工夫を行う時間がない授業に多くは期待出来ません。

教えるという一方向の授業よりも子供が自ら 学びたい知りたい試してみたいと思えるモノを目の前に見せて 誘導することが最も必要なことなのかも知れません。

我が家では最近、子供が乗れるホバークラフト (動力は家庭用掃除機)を製作しています。、先月は顕微鏡を購入しました。近い将来に 天体望遠鏡に手を出そうかと目論んでいます。数ヶ月前には中古の レーシングカートを貰ってきました。去年はペットボトルロケットを飛ばし、数年前には ミニ四駆など面白そうなモノにはこまめに手を出すようにしています。

もちろん親の期待どおりに子供が興味を示すはずはありませんが、そんなことは気にしていません。大事なことは、" こんなことができるぞ"、"こんなにするとできるぞ"と 実際にやって見せて、基本的な理屈を知ってもらい、後は、時間をお金をかけて、頭を使い、上手く工夫すれば、" 何でも出来るぞ"とをいだいてもらうことです。

やりたいこと、やってみたいことは、頭を使えば必ず出来るというが無いと" 無理"、"出来ない"、"不可能"達に押し流されてしまいます。

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元気いっぱい父子家庭=天野さん
会員No53 前原


元気いっぱい父子家庭の天野さんの講演会を二度聞きました。
一度目は、中国新聞の連載の元気いっぱい父子家庭を読んで感動したので、ぜひ本人に会ってみたいと思ったからで、二度目は清心幼稚園での 参観日の講演会です。

講演会で個人的に感じたことは、

子育ては大変なことだけど、自分自身が生きることの意味につながる大事なこと、 自分の人生そのものといえる面白いことなので、お母さんに全てを任せていたのでは、お父さんの人生の意味が半減する。子育てに真正面からぶつかることがないお父さんは 人生を半分も生きていないから勿体ない。ということです。

子育てが大変な時期は、せいぜい10才まで、お父さんの人生では、10年間は 一瞬です。気がつくと子育ての大事な時期は終わっています。お父さんが"仕事"に 絡め取られることなく、お父さんの人生で重要な意味を持つ"子育て"にぶつかり、お父さんの人生が良いものになればという気持ちには、 大変共感出来ました。

"仕事"が大事か? 自分の人生そのものの"子育て"が大事なのか?という問いを真剣に考えれば考えるだけ、自分の人生が良いものになりそうな気がします。逆に"仕事の忙しさで 子育てを忘れている"状態はマズイと言えます。
子供のためでは無く、自分の人生の ための子育てを今の瞬間に考えないと、次に考える機会はないのかも知れません。

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己への問い掛け
会員No56 野田


子供の笑顔を見ると嬉しくなる。
子供の沈んだ顔を見れば寂しくなる。
子供の遊ぶ姿を見ると安心する。
子供の疲れた様子を見れば心配する。
子供と話が出来ない日は淋しい

裏返せば、大人の気持ちは子供も同じか。

起きている子供の姿を見られない生活は哀しい。
仕事が“男の生き甲斐”なんて思いたくは無い。
生活の基盤は経済で成り立たせているもの。
怠れば途端に生活は変わる。

生活を維持していく為に仕事をする。
仕事があるからと家族と接する時間を削ってしまう。
家族と接する時間を確保する為に…

仕事』 という言葉の奥は深く難しい。
家族』 という言葉の奥も深く、答えが一つではない。

こんなことを思いながら今日もまた深夜…

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プラモデル
会員No53 前原


プラモデルといえば高品質で世界的に有名な 田宮模型およびカンダム関係で圧倒的な商品展開と売上を誇るバンダイですが、それらが大幅な方向転換に苦労しているそうです。

昭和30年代生まれの私が子供の頃、近所の色々なお店には プラモデルが山のように置いてありましたが、現在プラモデルを見かける店は激減し、逆に繁華街の安売りカメラ屋にガンダムプラモが 山積みになっています。その理由は子供がプラモデルを作らなくなった (家庭用ゲームに取って変わられた)こととガンダムプラモを買うのは 30代の大人が中心ということです。(つまりプラモデルは 大人のモノになってしまった...)

現在、設計技術者として働いている私の原点は、幼稚園の頃に"おじいちゃん"と一緒に作った \50プラモデル(ゼンマイで動く子供向けのヤツ)です。当時の\50プラモデルは品質的に問題があり、幼稚園児の私が組み立て上手く動くことは全くなかったのですが、 "おじいちゃん"はナイフとペンチを使いすぐに正しく動く状態に直してくれました。 "どのように直したら上手く動くのだろうか?"と幼稚園児の私はいつも不思議に思っていました。その頃の" なぜ? どうして?"という疑問が無ければ、その後の発展成長は無かったかもしれません。

我が子(小学3年)プラモデルを勧めてもあまり良い反応がありません。なぜならば、もっと面白い家庭用ゲームや組み立て式のおもちゃが大量に出回っているからです。決められた範囲の中でしか遊べない "家庭用ゲーム&おもちゃ"よりも範囲を超えることが出来る "プラモデル"の方が絶対に役に立つと思うのですが、子供には伝わりそうにありません...
世代、時代の違いと言えばそれまでなのですが、何とか この思いを子供に伝える方法が無いものかと思案中です。

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社会的資産
会員No53 前原


すこしヘビーな話題ですが、最近幼児虐待のニュースが増えてきて嫌な思いをすることがあります。

"しつけ"の為に親が子供に"いけないこと"を説明をし、それを効果的に子供に伝えるための" 体罰"というのは昔(私が子供の頃)から存在したと思いますが、昔はニュースにしなかったのか"虐待する親"というのは知りませんでした。

昔と今とは時代が違うのでしょうが、"しつけ"をするつもりで 虐待に至ってしまう家庭は、私の想像の出来る範囲を超えています。

それにしても、"自分の思う通りにならない"から"暴力"で強制するという考えを持つ大人には、大変 寂しいものがあります。

その大人自身が"暴力"で育てられたとすれば世代を越えて伝わる 不幸のサイクルの恐ろしさを感じます。

(ちなみに、親に捨てられた不幸な子供が大人になったときに、また子供を捨てる率が高いというのも世代を越えて伝わる不幸のサイクルです...子供の時に足りなかった愛情を一生求め続けるからなのかなぁ...悲しいことです。)

ちなみに"虐待"と反対の意味で恐ろしいと思うことは、" 極度の放任"です。

こどもが何をしても極度に大目に見る、まだ子供だからと全てを許すという、" しつけ皆無"、"親の方針皆無"の家庭で育った子供は、将来に反社会的というハンディに押し潰されます。

"虐待"の家庭に生まれた子供や、"極度の放任"の家庭に生まれた子供には、"その家"に生まれなかったら良かったのにとしか今は言えません。

子供は社会の=社会の資産と言う考え方と少子化で子供自身の社会的な価値が上昇していることから" 虐待"や"極度の放任"のかけらを素早く見つけて、社会的に子供を 救出し、育てる方法を考える時期になったのではないかと感じています。

"子供を育てる親"という免許証が必要なのかも知れません...

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